伊坂幸太郎おすすめ名作15選 – まず読むべき傑作を厳選してご紹介します

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私はミステリー小説ファンであると同時に、実は伊坂幸太郎の大ファンでもある。

本格ミステリのロジックやどんでん返しに心を奪われてきた一方で、伊坂作品のあの軽やかな会話、鮮やかな伏線回収、そして物語の最後にすべてがカチリとはまる快感にも、ずっとやられてきた。

しかも、ただ仕掛けが巧みなだけではない。殺し屋、泥棒、学生、政治家、普通に暮らしているようでどこか普通ではない人々。彼らが理不尽な暴力や社会の息苦しさに巻き込まれながらも、自分なりの美学や信頼を手放さずに進んでいく姿には、妙に胸を掴まれるものがある。

軽やかに読めるのに、ふとした一文があとから効いてくる。洒落ているのに、ちゃんと痛みもある。そのバランスが、実に伊坂作品らしい魅力だ。

とはいえ、作品数が多いので、どれから読めばいいのか迷う人も多いと思う。『アヒルと鴨のコインロッカー』『ゴールデンスランバー』『重力ピエロ』『マリアビートル』など、代表作だけでも方向性はさまざまだ。

そこで今回は、伊坂幸太郎作品の中から、ぜひ優先的に読んでみてほしいおすすめの名作15冊を厳選してご紹介する。

ミステリとしての仕掛けを楽しめる作品、青春小説として胸に残る作品、エンタメとして一気読みできる作品まで、ネタバレなしで魅力を語っていきたい。

悠木四季

ようするに、これは伊坂作品を全部読んでいる私が選んだ、大好きすぎる作品ベスト15というわけだ。

伊坂幸太郎おすすめ名作15選 早見表

1.『アヒルと鴨のコインロッカー

──広辞苑を盗むという奇妙な計画を入口に、二年前の切ない過去と忘れられない喪失が浮かび上がる伊坂幸太郎の代表的青春ミステリ。

2.『砂漠

──仙台の大学で出会った五人が、青くさい理想とくだらない日々を抱えたまま、社会という砂漠へ歩き出していく青春群像劇。

3.『オーデュボンの祈り

──未来を知るはずの喋る案山子が殺された島で、奇妙な住人たちと世界の欠落をめぐる謎がつながっていく伊坂幸太郎のデビュー作。

4.『ゴールデンスランバー

──首相暗殺犯に仕立て上げられた男が、巨大な陰謀から逃げながら、かつて築いた信頼だけを頼りに生き延びようとする逃走ミステリ。

5.『逆ソクラテス

──大人や教室の決めつけに抗う子供たちが、知恵と作戦で世界の見え方を少しだけ変えていく短編集。

6.『ガソリン生活

──望月家の愛車・緑デミの視点から、家族のにぎやかな日常と元女優の死をめぐる事件を描く、あたたかくて奇妙な車語りミステリ。

7.『ホワイトラビット

──仙台の住宅街で起きた人質立てこもり事件を軸に、愛と偶然と嘘が星座のようにつながっていく伊坂幸太郎流の犯罪群像劇。

8.『死神の精度

──死の判定に訪れる死神・千葉が、七日間の調査を通して人間たちの孤独や意地や覚悟を見つめていく、軽やかでほろ苦い連作短編集。

9.『重力ピエロ

──連続放火事件の謎を追う兄弟の姿を通して、血や過去に縛られない家族の絆と、運命に抗う軽やかさを描く伊坂幸太郎の代表的長編。

10.『陽気なギャングが地球を回す

──犯罪者なのに応援したくなる四人組が、喋って盗んで走り抜ける、抜群に楽しい銀行強盗ミステリ。

11.『ラッシュライフ

──仙台の街で交差する人々の偶然と選択を通して、誰かの人生が別の誰かの物語につながっていく瞬間を描く群像劇。

12.『グラスホッパー

──裏社会に迷い込んだ普通の男・鈴木が、殺し屋たちの地獄で復讐と人間性の境目をさまようサスペンス。

13.『マリアビートル

──走る新幹線という逃げ場のない空間で、殺し屋たちの任務と復讐と不運が次々に衝突していくクライムサスペンス。

14.『チルドレン

──屁理屈だらけで型破りな家裁調査官・陣内が、子供たちや周囲の大人たちの心を揺さぶり、小さな奇跡を起こしていく連作短編集。

15.『フィッシュストーリー

──誰にも届かなかったはずの一曲が、時代を越えて人々の勇気をつなぎ、思いがけない奇跡を起こす短編集。

目次

1.『アヒルと鴨のコインロッカー』

この作品を一言でいうと

奇妙な本屋襲撃と切ない過去が交差する、伊坂幸太郎を代表する青春ミステリ。

本屋を襲う夜、コインロッカーの奥で過去が目を覚ます

大学入学のため仙台で一人暮らしを始めた椎名は、引っ越し初日に隣人の河崎と出会う。

長身で、妙に人を巻き込む力があり、どこか信用ならないのに目が離せない男である。

その河崎がいきなり言う。

「一緒に本屋を襲わないか」

「それで」河崎が言った。「それで、俺は辞書をプレゼントしたい」

「それはいいと思うよ」まずいな、早く帰らないと、と膝を立てる。

「ただの辞書ではなくて、厚くて、立派なやつを」僕は腰を上げるタイミングを計り、そわそわとしていた。

「広辞苑を奪ってやるんだ」

河崎の言葉が耳に飛び込んできた。はじめは聞き間違いかと思った。

「何をどうするって?」

彼は鼻を広げ、いくぶん興奮を見せながら、口の端を吊り上げた。

「広辞苑を奪うんだ」

言葉を失った。床が抜けて、自分だけが宙に浮いているような、取り残されている感覚になる。顔の皮膚に細かい震えが走るのが分かった。

「というわけでだ」彼はさらにつづけた。

「一緒に本屋を襲わないか」

教訓を学んだ。本屋を襲うくらいの覚悟がなければ、隣人へ挨拶に行くべきではない。

『アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)』24ページより引用

標的は現金ではない。広辞苑である。しかも目的は、同じアパートで暮らすブータン人留学生・ドルジにそれを贈るためだという。

どう考えても筋が通っていない。だが、河崎の言葉には妙な推進力がある。気づけば椎名は、モデルガンを手に書店の裏口へ立たされることになる。

巻き込まれ型主人公として、これほど気の毒で、これほど小説的においしい立場もない。

物語は、この椎名の「現在」と、二年前に起きた琴美たちの出来事を交互に描いていく。二年前の中心にいるのは、ペットショップで働く琴美、心優しいブータン人留学生のドルジ、そして河崎。

三人の時間は、街で起きていたペット虐待事件と結びつき、やがて取り返しのつかない場所へ進んでいく。

ふざけた計画の中に、忘れられない痛みが隠れている

腹を空かせて果物屋を襲う芸術家なら、まだ恰好がつくだろうが、僕はモデルガンを握って、書店を見張っていた。夜のせいか、頭が混乱しているせいか、罪の意識はない。

『アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)』7ページより引用

『アヒルと鴨のコインロッカー』は、ミステリー小説の名作として語られることが多い。

たしかに、その仕掛けは鮮やかだ。終盤、ある事実が明かされた瞬間、これまで見ていた世界の角度が変わる。

何気ない会話、奇妙な行動、ボブ・ディランの「風に吹かれて」、本屋を襲うという馬鹿げた計画。そのすべてに、別の意味が宿りはじめる。

ただ、本作が忘れがたいのは、驚きだけで終わらないからだ。真相を知ったあとに押し寄せるのは、頭をやられたという快感だけではない。もっと苦くて、やるせなくて、それでも誰かを思わずにはいられない感情だ。

伊坂幸太郎は、トリックを人間の悲しみから切り離さない。だからこの小説の仕掛けは、単なる技術ではなく、人物たちの記憶をもう一度照らすための装置になっている。

タイトルにある「アヒル」と「鴨」も印象的である。似ているようで違うもの。並んでいるようで、どこか境界があるもの。外国から来たドルジと、日本で暮らす琴美たちの間には、言葉や文化の距離がある。その距離は、ときに温かく、ときに残酷だ。相手を知ろうとする気持ちがある一方で、社会には偏見や無理解も横たわっている。

さらに、ペット虐待という要素が重い。無抵抗なものへ向けられる暴力。それを前にしたとき、人はどこまで怒っていいのか。正義のためなら、越えてはいけない線を越えてもいいのか。本作はそこを単純に裁かない。河崎たちの行動には危うさがある。けれど、その危うさの奥には、守りたいものを守れなかった人間の悲鳴がある。

そしてコインロッカーである。駅に並ぶ無機質な箱。誰かの荷物を一時的に預かるだけの場所に、過去の記憶や罪や願いが閉じ込められている。このタイトルの良さはずるい。読み終える前とあとで、まったく響きが変わるのだ。最初は少し奇妙で洒落た題名に見えるのに、最後には胸の奥に沈む言葉になる。

伊坂作品らしい軽妙な会話も、本作では大きな支えになっている。重い話なのに、ずっと沈みっぱなしにならない。河崎の胡散くささ、椎名の戸惑い、琴美のまっすぐさ、ドルジの優しさ。それぞれの言葉が、物語を湿っぽくしすぎず、けれど感情の芯はきちんと残している。このバランス感が大好きだ。

『アヒルと鴨のコインロッカー』は、広辞苑を盗む話であり、過去に置き去りにされた悲しみを取り戻す話でもある。

馬鹿げた計画の先に、どうしようもなく切実な理由がある。ふざけているようで、祈っている。軽やかなようで、傷だらけである。

本を閉じたあと、ボブ・ディランの声がどこか遠くで鳴っている気がする。

風に吹かれて消えていくもの。コインロッカーの奥にしまわれたもの。それでも誰かが忘れずにいたもの。

この小説は、そういう小さな記憶の箱を、そっとこちらの前に差し出してくる。

広辞苑を盗むなんて、どう考えても変だ。

けれど、その変さの奥にある願いを知ったとき、胸のどこかがきゅっとなる。

伊坂幸太郎の小説には、そういう瞬間がある。

「生きるのを楽しむコツは二つだけ」

河崎が軽快に言った。

「クラクションを鳴らさないことと、細かいことを気にしないこと」

「滅茶苦茶だ」

「世の中は滅茶苦茶」

河崎は心から嘆き悲しむかのようでもあった。

「そうだろう?」

『アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)』115〜116ページより引用

悠木四季

仕掛けの鮮やかさに驚き、真相のあとに胸を締めつけられる。伊坂作品の軽さと痛みが見事に同居した傑作長編だ。

2.『砂漠』

この作品を一言でいうと

仙台の大学で出会った五人の若者たちが、笑い、迷い、傷つきながら社会へ向かう青春群像劇。

青春というオアシスから、社会という荒野へ歩き出す

「それなんですよ」西嶋が声を大きくする。「さっきの募金と同じですよ。関係ないんですよ!歴史とか世界とかね。今、目の前にある危機、それですよ。抗生物質をあげちゃえばいいんですよ。その結果、歴史が変わったって、だからどうしたって話ですよ。抗生物質をあげちゃえばいいんですよ、ばんばん。みんなに広めちゃえばいいじゃないですか。あのね、目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いてる人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ」

場がどんどん白けていくのは明白だったが、僕は愉快だった。「抗生物質をばんばんあげちゃえばいいんですよ」と言い切る彼があまりに清々しかったのだ。

『砂漠 (新潮文庫)』110ページより引用

大学という場所には、人生を変えるような出会いが何食わぬ顔で転がっている。

北村の場合、それが鳥井、南、東堂、西嶋の四人だった。

口が達者で軽やかな鳥井、不思議な念動力を持つ南、知性と美貌を兼ね備えた東堂、そして暑苦しいほどまっすぐな男・西嶋。

偶然集まった五人は、麻雀をし、合コンへ行き、ボウリングに熱中し、しょうもない会話で時間を溶かしていく。

事件なんて起きなくても、この五人の会話だけでずっと読めてしまうくらいに面白い。麻雀の卓を囲んで、くだらない話をして、誰かの一言に笑って、気づいたら夜が終わっている。

そういう時間が、実はあとから振り返ると人生の中で妙に光っていたりする。『砂漠』は、その感覚をよくわかっている小説だ。

ただし、甘い青春だけでは終わらない。彼らの日常のすぐ隣には、暴力も不条理もある。連続通り魔、捨てられた犬たち、ヤクザとの騒動、超能力をめぐる奇妙な展開。

普通ならば青春小説の外側に置かれそうなものが、五人の生活にするりと入り込んでくる。伊坂幸太郎らしい軽妙さがありながら、世界はけっこう容赦ない。

西嶋という暑苦しさが、青春をただの思い出にしない

『砂漠』で忘れられないのは、やはり西嶋である。

彼は暑苦しい。理想を語る。無理そうなことも言う。周囲から見れば滑稽に映る場面もある。

けれど、その滑稽さこそがまぶしい。社会なんて変わらない、正義なんて通用しない、どうせ大人になれば丸くなる。そんな諦めを、彼は真正面から拒む。

「あのね、俺たちがその気になればね」と言う。一拍、置いた。

売爾が茶々を入れ、誰かのわざとらしい欠伸が聞こえたが、僕はどういうわけか彼の言葉に耳を塞ぐことができず、「その気になれば?」と続きが気になった。

西嶋が、ぱかっと口を開き、「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」と断言した。

『砂漠 (新潮文庫)』17〜18ページより引用

「砂漠に雪を降らせる」という言葉は、普通に考えれば無茶だ。だが、この小説ではその無茶がかけがえのないものとして響く。

世界全体を変えることはできなくても、目の前の悪意に抗うことはできる。誰かが傷ついているなら、せめて手を伸ばすことはできる。西嶋の言葉は青くさい。だが、その青くささを笑い飛ばせないところに、この小説の熱がある。

北村は、最初から熱血型の人物ではない。どちらかといえば物事を少し距離を置いて見る側の青年だ。だからこそ、西嶋たちと過ごす時間によって、彼の中の何かが動いていく過程がいい。

青春とは、急に立派な人間へ変わることではない。誰かの言葉に引っかかり、誰かの行動に揺さぶられ、自分でも予想しなかった方向へ一歩踏み出してしまうことなのだと思う。

構成も気持ちいい。大学生活の四年間が、春夏秋冬のように移り変わっていく。麻雀、合コン、ボウリング、部屋での会話。そんな何気ない場面が、あとになって別の意味を帯びる。

伊坂作品おなじみの伏線の快感もあるが、『砂漠』ではそれ以上に、時間そのものが仕掛けになっているように感じる。四年は長いようで短い。永遠みたいに思えた日々は、ある日ふっと終わる。

タイトルの『砂漠』は、大学の外に広がる社会を指している。大学という場所は、ある意味でオアシスだ。守られていて、自由で、少し無責任で、仲間と馬鹿なことをしていられる。

だが、いつかそこを出なければならない。外には乾いた現実がある。理不尽もある。努力だけではどうにもならない場面もある。それでも、出ていくしかない。

だから『砂漠』は、青春を懐かしむだけの小説ではない。モラトリアムの終わりを見つめながら、その先へ向かうための物語だ。

馬鹿な会話も、麻雀の夜も、ボウリングの勝負も、傷ついた出来事も、全部が彼らを少しずつ外の世界へ送り出していく。

読み終えると、大学生活というものが、ただの通過点ではなく、人生の中にぽつんと現れる水場のように思えてくる。

そこで出会った人、交わした言葉、信じてみた理想。

たとえ社会が砂漠のように乾いていても、その記憶があるなら歩いていける。

それでも、砂漠に雪を降らせようとした誰かの姿を知っているだけで、世界の見え方は少し変わる気がするのだ。

卒業式自体は、本当に淡々としていて、相変わらず僕は、さめた思いで式の進行を眺めていた。ただ、式の最後、学長の言った台詞は印象に残った。くどくどと話をしない主義なのか、学長は、卒業おめでとう、という趣旨のことを簡単に言った後で、

「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ」

と強く言い切った。

さらに最後にこう言った。

「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」

『砂漠 (新潮文庫)』533〜534ページより引用

悠木四季

私が好きな伊坂作品ベスト3に確実に入るのがこの『砂漠』だ。
「砂漠に雪を降らせる」という西嶋の信念が、冷めた日常に熱を持ち込んでくるのがとにかくいい。

3.『オーデュボンの祈り』

この作品を一言でいうと

奇妙な孤島の寓話と本格ミステリの快感がひとつに溶け合った、伊坂幸太郎の原点となる長編。

喋る案山子が殺された島で、世界の欠落を見つめる

「人間ってのは失わないと、ことの大きさに気がつかない」

「だろうね」

『オーデュボンの祈り (新潮文庫)』176ページより引用

コンビニ強盗に失敗した青年・伊藤が目を覚ますと、そこは外の世界から切り離された島だった。

仙台沖にある荻島。江戸時代から外界との接触を断ち、独自の時間と規則で生き続けてきた場所である。

伊藤が出会う住人たちは、現実の常識から少し、いやだいぶ外れている。自分の判断で悪人を殺すことを許された男・桜。どんな事実に対しても嘘しか言わない画家。太りすぎて店から出られなくなったウサギさん。

そして島の中心には、人間の言葉を話し、未来を見通す案山子・優午がいる。

ここで「案山子が喋るのか」と引くか、「案山子が喋るなら最高じゃないか」と前のめりになるかで、この小説との相性はだいたい決まる。私はもちろん後者である。

この案山子の存在が、もう抜群にいいのだ。喋る案山子というだけなら童話的だが、優午はただの不思議な存在ではない。島の精神的な支柱であり、未来を知る者であり、同時にどこか人間よりも人間らしいまなざしを持っている。

伊藤は優午から「この島には何かが欠けている。それを外から来た人間が置いていく」という言い伝えを聞かされる。

しかし翌日、優午は何者かによってバラバラに解体され、頭部を奪われた姿で発見される。

未来を知るはずの案山子が、なぜ自分の死を避けなかったのか。ここに本作のミステリとしての芯がある。

ファンタジーのような設定が、そのまま論理の謎へ変わる。この変換がとても気持ちいい。

奇妙な島は現実から逃げる場所ではなく、現実を照らす装置である

「ばあさんは、わかったんだってよ」

「何を?」

「受け入れることをさ」

樽のような身体から発せられた、彼女の言葉はじんわりと僕に染み込んだ。受け入れること。

「『一回しか生きられないんだから、全部を受け入れるしかねえんだ』って、ばあさんはそれに気づいたらしい」

『オーデュボンの祈り (新潮文庫)』203ページより引用

『オーデュボンの祈り』の魅力は、突飛な設定を単なる飾りにしないところにある。

荻島の住人たちは、最初こそ「なんだこの人たちは」と思うような存在ばかりだ。だが物語が進むにつれて、それぞれが島の秩序の中で意味を持っていることが見えてくる。

嘘しか言わない者には、嘘しか言わないからこその役割がある。殺人を許された男にも、善悪を簡単に割り切れない重みがある。

伊坂幸太郎のデビュー作でありながら、本作にはすでに後の伊坂作品へつながる要素が詰まっている。軽妙な会話、どこか現実から浮いた人物造形、唐突に差し込まれるユーモア、そして終盤で伏線がひとつの形を成す構成力。

とくに本作では、寓話と本格ミステリの相性のよさが際立っている。普通なら説明が難しい不条理も、荻島という閉じた舞台の中では奇妙な説得力を持ちはじめる。

タイトルに含まれるオーデュボン、そしてリョコウバトのエピソードも見逃せない。かつて空を覆うほどいた鳥が、人間の手によって絶滅した。ありふれていると思っていたものは、失われた瞬間にかけがえのなさを帯びる。

本作が描く「欠けているもの」とは、単に島に不足している何かではない。人間が気づかないまま失い、失ってからようやく悔やむものの総称でもある。

外の世界には、伊藤を追う警察官のような、むき出しの暴力がある。一方、荻島には奇妙だが保たれてきた秩序がある。どちらがまともなのか。現実に近い場所ほど正しいとは限らない。

むしろ喋る案山子がいる島のほうが、人間社会の残酷さや鈍さをくっきり浮かび上がらせる。ここが本作のすごいところだ。非現実を描くことで、現実の輪郭を逆に濃くしている。

優午の死をめぐる謎は、やがて島全体の秘密へとつながっていく。バラバラに見えた人物、逸話、言葉が、終盤で思いがけない形に組み上がる。その瞬間、奇妙な島はただの舞台ではなく、ひとつの大きな祈りの形だったのだとわかる。

『オーデュボンの祈り』は、変わった設定を楽しむだけの小説ではない。喋る案山子の声に耳を傾けるうちに、失われたもの、守れなかったもの、見過ごしてきたものへ視線が向かう。読みはじめたときには遠い島の話だったはずなのに、最後にはこちらの足元まで物語が届いている。

未来を知る案山子は、なぜ死を避けなかったのか。

その答えにたどり着いたとき、優午という存在が単なる謎の中心ではなく、島そのものの記憶を抱えた存在だったことが胸に残る。

喋る案山子なんているはずがない。未来を見通す存在なんているはずがない。

そう思いながらも、ページを閉じたあと、もう一度だけ優午の声を聞きたくなる。

そこに、この小説の魔法がある。

「人生ってのはエスカレーターでさ。自分はとまっていても、いつのまにか進んでるんだ。乗った時から進んでいる。到着するところは決まっていてさ、勝手にそいつに向かっているんだ。だけど、みんな気がつかねえんだ。自分のいる場所だけはエスカレーターじゃないって思ってんだよ」

それから、どうせエスカレーターは進むんだから、ぜいぜい息を切らして働くよりも、美味しいものを食っていたほうがよほどいい、と言った。

「働かないと食っていけない。働かなければ、エスカレーターの最後まで乗っていられないんだ。だから、仕事をする」僕は反論した。

「エスカレーターなんてのは、どこで降りても大した違いはねえんだ」

『オーデュボンの祈り (新潮文庫)』42ページより引用

悠木四季

喋る案山子、嘘しか言わない画家、悪人を殺す男。奇抜な設定が最後には美しい構図へ変わる鮮烈なデビュー作だ。

4.『ゴールデンスランバー』

この作品を一言でいうと

巨大な陰謀に飲み込まれた青年が、「習慣と信頼」を頼りに走り抜ける、伊坂幸太郎のど真ん中サスペンス。

逃げろ、青柳。信じてくれる人がいる限り、物語は終わらない

いきなり首相が爆殺される、という始まり方からして物騒だ。

仙台で行われた新首相の凱旋パレード。多くの人が見守る中、ラジコン飛行機型の爆弾が飛び、首相は殺される。

そして、その事件の犯人として名前を挙げられるのが、元宅配ドライバーの青柳雅春である。

もちろん青柳には身に覚えがない。何もしていない。なのにテレビは騒ぎ、警察は追い、街は包囲網になる。本人の知らないところで証拠は作られ、報道は進み、世間は「青柳雅春は犯人だ」という顔をし始める。

怖すぎる。しかも逃げる側には、弁明の時間なんてない。抗議する暇もない。まず走れ。とにかく生き延びろ。そういう小説である。

青柳に危険を知らせるのは、大学時代の友人・森田森吾だ。久しぶりに呼び出されたと思ったら、「お前はオズワルドにされるぞ」と告げられる。この一言の不穏さがたまらない。日常の足元がいきなり抜ける感じがある。

そこから一気に物語が加速する。警官は撃ってくる。テレビは敵になる。監視システムは青柳を追う。仙台の街そのものが巨大な檻に変わっていく。

巨大な悪意に、人間の信頼だけで立ち向かうのが熱い

「青柳っち、大丈夫? 何か面倒なことになってる?」

「大丈夫」と青柳雅春は咄嗟に嘘をついた。

わたしね、平気な顔して嘘をつく大人にだけはなりたくないんだよね、という声が聞こえる。樋口晴子の声だ。学生時代、アパートでだらだらとテレビで国会中継を眺めていた時、「そんなことを言った覚えはないよ。知らないよ。忘れたよ」と繰り返し答弁する政治家を見て、そう蔑んだ。

「嘘をつかざるをえない時はさ、やっぱり、それなりに苦悩して、悶え苦しんでくれないと」と彼女は飄々とした表情の政治家を指で弾くようにしたものだった。

『ゴールデンスランバー (新潮文庫)』252ページより引用

『ゴールデンスランバー』がすごいのは、国家的陰謀の話なのに、最後に胸を打つのがめちゃくちゃ個人的な感情だというところだ。

首相暗殺、監視社会、捏造映像、メディアの暴走。題材だけ並べると、冷たい政治サスペンスになりそうである。だが伊坂幸太郎は、そこに青柳雅春という普通の人を放り込む。

青柳には特別な力がない。天才的な推理力もない。格闘能力で敵を倒すタイプでもない。

では何があるのか?

昔の友人がいる。元恋人がいる。宅配ドライバー時代に出会った人たちがいる。何気なく交わした言葉がある。過去の行動がある。

つまり、彼がこれまで生きてきた時間そのものが武器になるのだ。これがめちゃくちゃいい。

作中で語られる「人間の最大の武器は習慣と信頼だ」という言葉が、本当に効いてくる。巨大な組織は、映像を作れる。証拠を作れる。人々の印象を操作できる。けれど、誰かの中に残っている青柳雅春までは簡単に消せない。

「あいつがそんなことをするわけがない」

その根拠のなさに見えるものが、実は何よりも太い。証明書にはならない。でも、人を支える理由にはなる。

そして伏線の使い方も気持ちがいい。マンホール、車、昔の会話、妙な合言葉、変な人物。最初はわからなかったことが、逃走の中で次々と意味を持ち始める。そこにつながるのか。これも生きてくるのか。そういう快感が次々に来る。青柳が走るたび、物語のパーツも一緒に走り出す感じがある。

しかも本作は、ただ逃げるだけの小説ではない。青柳が逃げているのは警察からだけではない。勝手に作られた「犯人・青柳雅春」という偽物からも逃げている。自分が自分であることを奪われないために走っている。ここが熱い。ものすごく熱い。

タイトルの『ゴールデンスランバー』もずるい。ビートルズの曲の響きが、戻れない青春や、もう会えない時間を連れてくる。大学時代の仲間、過去の恋、家族との距離。逃走劇のスピードの裏に、ずっと「昔には戻れない」という寂しさが流れている。だから青柳の走りは、ただのサバイバルではなく、過去に置いてきたものを抱えたまま進む行為に見えてくる。

『ゴールデンスランバー』は、理不尽な世界にひとりで放り出された男の話だ。けれど、読み終わったあとに残るのは孤独ではない。

あいつなら大丈夫だ。あいつは犯人じゃない。そう信じてくれる人がいることの、どうしようもないありがたさである。

世界が全部敵に回っても、ひとりでも自分を覚えていてくれる人がいるなら、まだ走れる。

伊坂幸太郎はその希望を、最高にスリリングな逃走劇として描き切った。

だからこの小説は、ページをめくる手を止めさせないだけではなく、走り終えたあと、こちらの胸まで熱くしてくるのだ。

青柳雅春は笑いを堪える。こんな状況にあっても、笑おうと思えば笑える。人間の最大の武器は、習慣と信頼だ、と森田森吾が言っていたのを思い出す。

おい森田、むしろ、人間の最大の武器は、笑えることではないか? そう言いたかった。どんなに困難で、悲惨な状況でも、もし万が一、笑うことができれば、おそらくは笑うことなどできないのだろうが、笑えれば何かが充電できる。それも真実だ。

『ゴールデンスランバー (新潮文庫)』591ページより引用

悠木四季

国家規模の包囲網を破る鍵が、銃でも権力でもなく、これまで積み重ねてきた人間関係だというところが最高なのだ。

 5.『逆ソクラテス』

この作品を一言でいうと

小学生たちが大人の先入観や教室の空気に立ち向かう、伊坂幸太郎の痛快であたたかい短編集。

「僕はそうは思わない」から始まる、子供たちの小さな革命

「人間の先入観っていうのは侮れないんだよ」

小学六年生の加賀は、転校生の安斎から、担任の久留米先生を相手にした作戦へ巻き込まれる。

久留米先生は、見た目もよく、教師としても堂々としている。けれど彼には大きな問題がある。自分の見方を疑わないのだ。

成績がいい子はこう。家庭環境がこうならこう。出身地がこうならこう。本人に確かめる前から、頭の中で勝手にラベルを貼ってしまう。これはとても怖いことだ。しかも本人は悪人の顔をしていない。むしろ正しいことをしていると思っている。だから余計に手強い。

そこで安斎たちは、久留米先生の決めつけをひっくり返すために動き出す。方法は、なんとカンニング作戦。いきなり手段が攻めている。

けれど、この小説の面白いところは、単に「先生をやりこめてスカッとする話」ではないところだ。相手を倒すというより、相手が見ていた世界の歪みを突きつける。その作戦の切れ味が、伊坂幸太郎らしくて最高なのだ。

子供たちは、世界の空気を変える方法を知っている

『逆ソクラテス』に収められた五編には、共通して「決めつけられた子供たち」が出てくる。

運動が苦手だと思われている子。服装だけで貧しいとからかわれる子。いじめの記憶を抱えた子。大人の嘘に気づいてしまう子。

教室という狭い場所では、一度貼られたラベルがなかなか剥がれない。たった一言、たった一度の失敗、たったの見た目だけで、その人の位置が決められてしまう。

しかし、この短編集の子供たちは、そこで黙っていない。殴り返すわけではない。大声で正義を叫ぶわけでもない。彼らは観察する。考える。仲間と相談する。

そして、いちばん効くタイミングで、いちばん効く方法を選ぶ。ここがいい。

子供たちの作戦には、ミステリ的な気持ちよさがある。伏線が置かれ、準備が進み、最後に見事な反転が来る。読んでいて心の中で拍手したくなるくらいだ。

『スロウではない』では、運動会のリレーと『ゴッドファーザー』ごっこが結びつく。普通なら意味がわからない組み合わせだ。だが伊坂作品では、それがちゃんと友情の物語になる。ドン・コルレオーネの真似をしながら、子供たちは自分たちなりのやり方で誰かを守ろうとする。ふざけているのに、泣ける。こういうバランスが本当に好きだ。

『非オプティマス』では、服装や見た目で決めつけられる子供が出てくる。これも胸がざわつく。教室では、ほんの小さな違いがからかいの理由になる。

けれど、その子には、その子だけの力がある。周囲が勝手に低く見積もっていただけなのだ。伊坂幸太郎は、そういう見えていなかったものが現れる瞬間を、すごく鮮やかに描く。

そして、複数の話にまたがって存在感を放つ磯憲先生がいい。こういう大人がいると、物語の空気が一気に救われる。上から押さえつけるのではなく、子供たちの中にある力を信じる大人。変な言い方をすれば、子供の作戦をちゃんと成立させてくれる大人である。

『逆ソクラテス』は、子供たちの物語でありながら、大人の側こそ背筋を伸ばされる短編集だ。

自分は決めつけていないか。わかった気になっていないか。誰かを最初から小さく見ていないか。そんなことを、説教ではなく、物語の反転でこちらへ届けてくる。

「僕はそうは思わない」

この一言は派手な武器ではない。けれど、教室の空気を変えるには十分な力を持っている。

世界を一気に変えることはできなくても、目の前の決めつけに異議を唱えることはできる。小さな反抗が、誰かの未来を少しだけ広げることがある。

『逆ソクラテス』は、その瞬間を何度も見せてくれる作品だ。読み終えるころには、子供たちの作戦に拍手したくなり、自分の中の久留米先生にも少しだけ気づかされる。

誰かを決めつけないこと。わかったつもりにならないこと。

そして、違うと思ったときに「僕はそうは思わない」と言えること。

その一言があるだけで、人は少しだけ自由になれるのだ。

悠木四季

ミステリ的な反転の快感がありながら、最後に残るのは「自分も決めつけていないか」という自問自答だ。「僕はそうは思わない」という言葉が、教室の小さな空気を変え、人の見方まで変えていくところが最高にいい。

6.『ガソリン生活』

この作品を一言でいうと

望月家の愛車・緑デミが語る、車たちのおしゃべりと家族愛溢れるのロード・ミステリー。

車が見ている。家族のことも、事件の匂いも、別れの予感も

望月家の愛車、緑色のデミオ。通称・緑デミ。

人間の言葉はわかるし、車同士ならおしゃべりもできる。ガソリンを食事にして、道路を走ることが何より好き。そんな車の視点で物語が進むのだから、伊坂幸太郎はまた変なことを思いついてしまったようだ。

望月家は、母の郁子、大学生の良夫、高校生のまどか、小学生の亨という四人家族だ。にぎやかで、少し抜けていて、でもちゃんと互いを大事にしている。その家族を、緑デミは近くで見ている。人間たちは気づかない。愛車がこんなにも自分たちを気にかけ、心配し、ときにツッコミを入れていることを。

ある日、良夫と亨が緑デミに乗っていると、見知らぬ女性が飛び込んでくる。彼女は、かつて芸能界を去った元女優・荒木翠。週刊誌の追跡から逃げているという。兄弟は彼女を助けるが、その直後、荒木翠が事故で亡くなったというニュースが流れる。

しかも、その死にはどうにも変な匂いがある。ここから、望月家と緑デミ、そして車たちの情報網を巻き込んだミステリーが動き出す。

車だからこそ見える、人間たちのあたたかさと危うさ

『ガソリン生活』の何がいいかといえば、車が語り手であることを、ただの珍しい設定で終わらせていないところだ。

緑デミは、人の会話を聞ける。事件の断片も拾える。ほかの車から噂も集められる。けれど、自分から自由に動き回ることはできない。ハンドルを握るのは人間で、目的地を決めるのも人間だ。

このもどかしさがいい。見えている。知っている。気づいている。でも伝えられない。緑デミがどれだけ望月家を大切に思っても、彼らにはその声が届かない。だからこそ、サスペンスとしても家族小説としても妙な切なさが生まれる。車が主人公なんて聞くとゆるい話に思えるかもしれないが、実はこの視点はミステリーと相性が抜群なのだ。

車たちのおしゃべりも楽しい。隣家の車ザッパをはじめ、道路を走る車たちはそれぞれに個性がある。すれ違いざまの会話、車庫での噂話、人間を見守るちょっと上から目線のコメント。これがいちいち可愛い。いや、車を可愛いと言い出したらもう負けかもしれない。でも読んでいると本当にそう思ってしまうのだ。自分の車や、道に停まっている車まで、何か考えているんじゃないかと思えてくる。

一方で、事件のほうはしっかり不穏だ。元女優の死、週刊誌、隠された事情、誰かの悪意。望月家ののんきな空気のすぐ隣に、危ないものが口を開けている。良夫はどこか頼りないし、亨は小学生とは思えないほど頭が切れる。

このでこぼこ兄弟が事件に関わっていく感じも、伊坂作品らしい。頼りなさと賢さ、偶然と伏線、ユーモアと危険が、変なバランスで同じ車に乗っている。

そして何より、緑デミの家族への思いがいい。車は人間より長く生きるとは限らない。むしろ、いつか廃車になり、望月家と別れる日が来ることを、緑デミ自身もどこかでわかっている。

それでも、今日も走る。家族を乗せる。無事に目的地まで運びたいと願う。これは車の話なのに、ほとんど献身の物語ではないか。ずるい。こんなの好きになってしまうに決まっている。

『ガソリン生活』は、車が語るミステリーであり、望月家という家族の肖像でもある。事件の謎を追う楽しさがあり、車たちの会話に笑い、最後には愛車という存在の見え方まで少し変わる。

人は、自分が使っているものにあまりにも鈍感だ。

毎日乗る車、いつも通る道、そばにある道具。

そのどれかが、もしこちらを見守っていたら。そう考えるだけで、この小説の世界はぐっと近くなる。

読み終えたあと、駐車場に停まっている車へ、つい「今日もありがとう」と言いたくなる。

車が喋るという奇抜な設定の奥に、こんなにあたたかい家族の物語を忍ばせてくるあたり、やはり伊坂幸太郎である。

『ガソリン生活』を読むと、エンジン音まで少し違って聞こえてくる。

物語の力とは、そういうところにまで届いてしまうのだ。

そして何より、数ある伊坂作品の中でもトップクラスに読後感がいい。

読み始めた時からは想像もしていなかったレベルの、圧倒的な幸福感に包まれるラスト。

これはもう、最高の一言に尽きる。

悠木四季

伊坂作品史上No. 1レベルの幸福感に溢れる作品だ。
車が喋るという設定だけで楽しいのに、気づけば家族の物語として胸をつかまれる。これはずるい。

7.『ホワイトラビット』

この作品を一言でいうと

妻を救いたい男、過去を抱えた警察官、巻き込まれた泥棒が交差する、伊坂流の籠城エンタメ長編。

オリオン座の下で、愛と偶然が立てこもる

伊坂幸太郎の小説を読んでいると、物語の中で起きている事件よりも、語りそのものに振り回される快感がある。

誰が何を知っていて、どの場面がどこにつながり、いつ膝を打つことになるのか。

『ホワイトラビット』は、その快感をとにかく贅沢に味わわせてくれる長編だ。

舞台は仙台の住宅街。ある一軒家で人質立てこもり事件が起きる。犯人は兎田孝則。組織的な誘拐ビジネスに関わる男だが、彼が動く理由はとても切実である。

愛する妻・綿子を救わなければならない。組織の金を横領して逃げた折尾、通称オリオオリオを追ううちに、兎田は思わぬ形で民家へ入り込み、後戻りできない状況へ追い込まれていく。

そこへ宮城県警のSITが出動する。指揮をとるのは夏之目課長。かつて妻と娘を事故で失い、空っぽになった自分を抱えたまま、有能な警察官として立っている男だ。さらに、別件で詐欺師の家へ忍び込もうとしていた泥棒・黒澤まで現場周辺に現れる。

もう大渋滞である。犯罪者、警察、泥棒、横領犯、人質。それぞれの事情がぶつかり、話はどんどんややこしい方向へ転がっていく。

バラバラの点が、最後にちゃんと星座になる

『ホワイトラビット』の楽しさは、物語の視点がころころ動くところにある。

籠城中の家、SITの指揮本部、黒澤が入り込む隣家、逃げ回るオリオオリオ。それぞれの場所で別々の思惑が走っているのに、読んでいるうちに少しずつ線が見えてくる。夜空の星をひとつずつ結んで、最後にオリオン座が浮かび上がるような感覚だ。

ここで効いてくるのが、オリオン座のモチーフである。オリオオリオという名前からしてふざけているようで、実は星の話が物語の構造に深く絡んでくる。

伊坂幸太郎のこういう小道具の置き方が本当に好きだ。最初は雑談みたいに見える知識や、妙な言い回しが、あとで物語の骨組みに変わるこの快感!油断していると、何気ない会話に足をすくわれることになる。

そして、やはり黒澤である。伊坂作品の中でも人気の高い泥棒だが、本作でもいい味を出している。礼儀正しく、冷静で、泥棒なのに妙な職業倫理がある。ピンチに陥っても、頭の中で屁理屈と機転を組み合わせ、なんとか道を作る。その姿がもう楽しい。緊迫した籠城事件の中に黒澤がいるだけで、物語の温度が少し変わる。緊張感のあるサスペンスなのに、どこかニヤリとしてしまうのだ。

一方で、兎田の動機は笑えない。彼は犯罪者だが、妻を救いたいという気持ちは本物だ。夏之目もまた、過去の喪失から抜け出せずにいる。二人は立場こそ正反対だが、大切な存在を失う恐怖という一点でつながっている。

そこへ『レ・ミゼラブル』の言葉が重なるとどうなるか。空よりも壮大なものとして語られる魂の内部。その響きが、ただの籠城ミステリではない奥行きを物語に与えている。

『ホワイトラビット』は、ややこしい。だが、そのややこしさがいい。事件が整理されていないからこそ、人間の必死さが出る。

誰も完全に状況を把握できていない。勘違いもある。偶然もある。余計な介入もある。それでも物語は前へ進む。めちゃくちゃに散らかった部屋の中から、最後にちゃんと一本の道が見つかるような気持ちよさがあるのだ。

伊坂幸太郎の小説では、悪人も警察も泥棒も、単純な記号にはならない。誰かを守りたい者がいて、失ったものを抱えた者がいて、自分の美学だけは手放さない者がいる。その全員が同じ夜の同じ事件に巻き込まれる。だから面白い。だから目が離せない。

『ホワイトラビット』を読むと、籠城事件という閉じた舞台が、いつの間にか広い夜空へつながっていたことに気づく。

点と点は、最初から線だったわけではない。人が動き、嘘をつき、誰かを助けようとして、ようやく一本の形になるのだ。

人は誰かを守るためなら、少しだけ無茶をする。

その無茶が重なったとき、物語は思いもよらない場所へ跳ねる。

『ホワイトラビット』は、その跳ね方が抜群に楽しい。

悠木四季

オリオン座と『レ・ミゼラブル』を軸に、複数の人物の思惑が星座の線のように結ばれていく構成が抜群に楽しいのだ。黒澤が出てくるだけでテンションが上がる人にはたまらない一冊である。

8.『死神の精度』

この作品を一言でいうと

音楽好きの死神が、人間の生と死のあわいを歩く、伊坂幸太郎の魅力がぎゅっと詰まった連作短編集。

雨の日に現れる死神は、人間の人生を少しだけ聴いていく

伊坂幸太郎の小説には、死や別れのような重いものを、妙に軽やかな角度から眺めてみせる作品がある。

『死神の精度』は、その代表格だ。

扱っているのは人の死である。けれど、ページを開いた瞬間に空気が重く沈むわけではない。むしろ、どこかとぼけていて、乾いていて、少し笑える。死神の千葉という存在が、悲劇のど真ん中に感情を持ち込まず、淡々と人間たちのそばに立つからだ。

千葉は、人間の姿を借りて現世に現れる死神である。対象者のそばで七日間を過ごし、その人間の死に「可」か「否」かの判定を下す。仕事ぶりは真面目。態度はクール。けれど人間の感情にはどうにも疎い。会話の受け取り方が少しずれていて、本人は大真面目なのに、妙に笑えてしまう場面がある。

そして千葉は音楽が好きだ。人間そのものにはあまり興味を示さないくせに、ミュージックには夢中になる。このズレがいい。人の生死を判定する存在が、CDショップの試聴機の前ではただの音楽好きになる。怖い存在のはずなのに、気づけば千葉が現れるのを待ってしまう。死神なのに、なんだか会いたくなるのだ。

表題作『死神の精度』では、苦情処理の仕事に疲れた女性・藤木一恵のもとへ千葉が現れる。ほかにも、ヤクザの男と過ごす『死神と藤田』、吹雪の山荘で事件に巻き込まれる『吹雪に死神』、恋愛にまつわる『恋愛で死神』、逃亡犯との旅を描く『旅路を死神』、そして老女との対話が胸に残る『死神対老女』と、六つの物語が並ぶ。

死神がわからないから、人間の面倒くささが光る

『死神の精度』の面白さは、千葉が人間に寄り添いすぎないところにある。彼は人生の尊さを熱弁しない。対象者に同情して涙を流すわけでもない。ただ調査する。話を聞く。そばにいる。そして判定する。

その距離感が、逆に人間の輪郭を浮かび上がらせるのだ。疲れ切った女性の孤独。一本気な男の意地。恋を前にした不器用さ。逃げている者の焦り。年を重ねた人間の覚悟。

千葉が感情で受け止めないからこそ、こちらは彼らの生き方をまっすぐ見てしまう。死神の視点を借りているのに、気づけば人間の話として胸に届いている。このひっくり返り方が、いかにも伊坂幸太郎である。

千葉のルールも楽しい。調査期間は七日間。名前は仮名。素手で人間に触れると相手は意識を失う。こういう決まりごとが、ただの設定資料で終わらないのが伊坂幸太郎らしい。

ある場面ではユーモアになり、別の場面ではサスペンスの足場になる。死神の仕事は、思ったより事務的で、思ったより融通が利かない。だからこそ、人間たちの感情の揺れが余計に際立つのだ。

しかも、この短編集はジャンルの振れ幅が広い。ハードボイルド、恋愛、ロードノベル、本格ミステリ風の山荘ものまである。千葉という同じ死神が出てくるのに、毎回まったく違う味わいになる。この器用さがすごい。まるで千葉がいろいろな人生のレコードを順番に聴いているような感覚だ。

そして終盤に待っている連作としての響きがいい。各話は独立して楽しめるのに、最後まで読むと、時間の流れや人のつながりが別の色で見えてくる。あの短い出会いが、こんなふうに続いていたのか。そう感じる瞬間、死神の物語だったはずの本作が、人生そのものを見つめる物語へ変わる。

『死神の精度』は、伊坂幸太郎を初めて読む人にもおすすめしやすい。会話の軽さ、設定の面白さ、短編ごとのジャンル遊び、そして最後に胸へ届く構成。伊坂作品のいいところが、ほどよく詰まっている。

千葉は人間を救うために来るわけではない。けれど、彼が七日間そばにいることで、その人が生きてきた時間の形が少し見えてくる。死を判定する存在が、生の輪郭を照らしてしまう。その皮肉で優しい感じが、この小説の大きな魅力だ。

読み終えたあと、雨の音と音楽が少し近くなる。

どこかのCDショップで、千葉が試聴機に耳を傾けているかもしれない。

そう思えるだけで、私たちがいるこの世界も案外悪くないと思えてしまうのだ。

悠木四季

死を扱っているのに重く沈まない。むしろ読み終えると、人間って案外悪くないなと思えてくるから不思議だ。

9.『重力ピエロ』

この作品を一言でいうと

連続放火事件の謎を追う兄弟の姿を通して、家族とは何か、運命にどう抗うのかを描いた伊坂幸太郎の代表的長編。

落ちてきたのは春か、それとも家族を縛る運命か

春が二階から落ちてきた。

私がそう言うと、聞いた相手は大抵、嫌な顔をする。気取った言い回しだと非難し、奇をてらった比喩だと勘違いをする。そうでなければ、「四季は突然空から降ってくるものなんかじゃないよ」と哀れみの目で、教えてくれる。

春は、弟の名前だ。頭上から落ちてきたのは私の弟のことで、川面に桜の花弁が浮かぶあの季節のことではない。

『重力ピエロ (新潮文庫)』9ページより引用

伊坂幸太郎の小説には、どうにも説明しにくい軽さがある。

重いテーマを扱っているのに、文章が地面に沈みきらない。深刻な出来事のそばに、冗談や洒落た会話が置かれ、絶望のすぐ横で誰かが少し笑っている。

『重力ピエロ』は、その軽さと痛みの混ざり方が、とりわけ鮮やかな長編だ。

舞台は仙台。街では連続放火事件が起きている。現場の近くには、スプレーで描かれた謎のグラフィティ。遺伝子調査会社に勤める兄・泉水と、落書き消しの仕事をしている弟・春は、その奇妙なつながりに気づき、事件の謎へ近づいていく。

なんといっても、この兄弟がいい。泉水は真面目で、どちらかといえば観察する側の人間だ。春は美しく、危うく、身体能力も抜群で、どこか現実のルールから少しだけ離れているように見える。二人の会話にはユーモアがあり、距離感には確かな信頼がある。だが、その奥には、家族が長く抱えてきた過去の傷が横たわっていた。

春は、母がかつて受けた暴力によって生まれた子供である。血のつながり、遺伝子、罪、生まれてきたことへの苦しさ。普通なら真正面から語るだけで物語全体が沈んでしまいそうな題材だ。

けれど『重力ピエロ』は、そこから逃げないまま、同時に軽やかさも手放さない。ここが本当にすごい。

自転車の向きを変えて、移動した。別れ際、春はぽつりとこう言った。

「良心については、多数決の原理があてはまらないんだ」

『重力ピエロ (新潮文庫)』208ページより引用

家族は、血よりも深い場所で人を支える

「ふわりふわりと飛ぶピエロに、重力なんて関係ないんだから」

「そうとも、重力は消えるんだ」父の声が重なってくる。

「どうやって?」私が訊ねる。

「楽しそうに生きてれば、地球の重力なんてなくなる」

「その通り。わたしやあなたは、そのうち宙に浮かぶ」

『重力ピエロ (新潮文庫)』110ページより引用

この小説で忘れられないのは、父の存在だ。癌で入院しているにもかかわらず、どこか陽気で、飄々としていて、家族の中心にいる。彼は血のつながりだけで家族を定義しない。むしろ、血というわかりやすい理屈を軽く飛び越えてみせる。

春と母がサーカスで空中ブランコを見る場面に出てくる、「楽しそうに生きていれば、地球の重力なんてなくなる」という言葉。この一言が作品全体の芯になっている。

重力とは、人を下へ引っ張るものだ。過去、血筋、暴力、社会の常識、自分では選べなかった運命。そうしたものに押しつぶされそうになりながら、それでも笑って生きる。浮いてみせる。ピエロのように。

タイトルの『重力ピエロ』が見事なのは、軽さがただの逃避ではないからだ。ピエロは笑っている。けれど、その笑いは痛みを知らない者の笑いではない。痛みを抱えたまま、それでも落ちないための笑いだ。春の危うさも、泉水の戸惑いも、父の陽気さも、すべてこのタイトルに集まってくる。

ミステリとしての仕掛けも楽しい。放火現場に残されたグラフィティと、DNAの塩基配列が結びついていく流れは、理系ミステリ的な快感がある。AとT、GとC。遺伝子のルールが、街の落書きや事件の順番へつながっていく。こういう小道具の使い方が伊坂作品らしい。難しい題材を、ちゃんと物語の推進力に変えてくる。

さらに、黒澤の登場も嬉しい。伊坂作品を追っている身としては、こういうクロスオーバーに弱い。泥棒でありながら探偵めいた働きをする黒澤が加わることで、奥野家の物語に別の角度が生まれる。家族の中だけでは見えにくいものを、外側からすっと照らしてくれる感じがあるのだ。

『重力ピエロ』は、復讐の物語としても読める。放火事件の謎を追うサスペンスとしても読める。けれど、いちばん胸に残るのは、家族が家族であろうとする姿だ。

血がどうだとか、遺伝子がどうだとか、世間がどんな理屈を持ち出してきても、それだけでは決まらないものがある。誰かを息子として愛すること。弟として守ろうとすること。父として笑ってみせること。

人は、過去から完全には逃げられない。生まれた事情も、受けた傷も、なかったことにはできない。それでも、その重力に引きずられるだけでは終わらない生き方がある。

『重力ピエロ』を読むと、家族というものが血の証明ではなく、誰かを支えようとする意志の積み重ねに見えてくる。

春は二階から落ちてくる。

けれど、この小説で本当に落ちてこないように踏ん張っているのは、春だけではない。

泉水も、父も、亡き母も、それぞれの場所で重力に逆らっている。

笑いながら。傷つきながら。

それでも、少しでも軽く生きるために。

私がベンチの隣に座る。鳩がさっと去るが、そのうち、高をくくったかのように寄ってきた。目の前の鳩がどこかぎこちない動作で、よく見ると、片足が横に曲がっている。春はその鳩にパンを投げる。

「生まれた時からかな」と春が言う。

「何が」

「足」とその鳩の曲がった足を指差した。

「かもしれない」と私が答えると、春は、「だよな」と静かに答えた。「人間はさ、いつも自分が一番大変だ、と思うんだ」

「何のことだ」

「不幸だとか、病気だとか、仕事が忙しいだとか、とにかく、自分が他の誰よりも大変な人生を送っている。そういう顔をしている。それに比べれば、あの鳩のほうが偉い。自分が一番つらいとは思ってもいない」春は小さく笑う。「俺よりも、何倍も偉いよ」

『重力ピエロ (新潮文庫)』187ページより引用

悠木四季

重い題材を扱いながら、語り口は軽やかで、会話は洒落ていて、最後には家族のかたちが胸に残る。伊坂幸太郎のバランス感覚が光る一作だ。

10.『陽気なギャングが地球を回す』

この作品を一言でいうと

特殊能力めいた才能を持つ四人組が、銀行強盗と奪還作戦を軽やかに駆け抜ける痛快クライム・エンタメ。

銀行強盗なのに、こんなに気持ちよく応援してしまっていいのか

犯罪小説なのに、読んでいるあいだの気分がやたら軽い。

『陽気なギャングが地球を回す』には、そういう妙な爽快感がある。

銀行強盗をしているのに、湿っぽさも凶悪さも薄い。むしろ、こちらは彼らの作戦がうまくいくことを当然のように願ってしまう。いや、倫理的にはだめなのだが、小説の中ではもう仕方がない。この四人が魅力的すぎるのだ。

メンバーは全員、何かがおかしい。嘘を見抜く市役所職員・成瀬。口を開けば流れるように喋り倒す喫茶店主・響野。動物を愛する天才スリ・久遠。そして、正確な体内時計を持つ凄腕ドライバー・雪子。

能力だけ並べると、ほぼ特殊部隊である。だが彼らがやっているのは、誰も傷つけない銀行強盗。そこに妙な美学がある。

彼らの仕事はスマートだ。響野が人質たちを演説で煙に巻き、成瀬が状況を読み、久遠が手先の技で動き、雪子が車を走らせる。乱暴に押し切るのではなく、会話と段取りとタイミングで場を制する。この手際のよさが気持ちいい。犯罪なのに、手品を見ているような楽しさがある。

ところが、ある日の仕事帰り、彼らは奪った金を別の強盗たちに横取りされてしまう。銀行強盗が強盗に遭う。なんというややこしい状況!プライドを傷つけられた四人は、奪われた「売上」を取り戻すために動き出す。

ここから物語は、金の奪還、誘拐事件、謎の死体、雪子の息子・慎一をめぐる危機へと転がっていく。

「いいか、よく聞いておけよ」

まるでその一言でこの世のすべての法則を証明できるとでも言うような自信満々の声だった。

「あいつは私の友人だ」と成瀬を指差す。

「だから何よ」祥子が呆れる。

「人間の価値はその友を見れば分かる」

『陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)』299ページより引用

会話が走る。車も走る。そして伏線まで走っている

『陽気なギャングが地球を回す』の楽しさは、とにかくテンポの良さにある。

誰かが喋る。別の誰かが混ぜ返す。成瀬が冷静に見抜き、響野が余計なことを言い、久遠が妙に澄ました顔で動き、雪子が時間を刻む。四人の会話が、まるで作戦そのもののように進んでいく。

特に響野がいい。彼の演説は、役に立っているのか邪魔をしているのか紙一重だ。だが、その紙一重が楽しい。言葉で場を支配するタイプのキャラクターは、読んでいて気持ちがいい。しかも、ただのほら吹きではない。彼の無駄に見える言葉が、空気を変え、相手の意識をずらし、作戦の隙間を作る。そういう、おしゃべりが武器になる瞬間が好きだ。

「こんな目に遭ったってこういう奴らは懲りないだろうな」響野が言った。

「人間は後悔をする動物だが、改心はしない。繰り返すんだよ、馬鹿なことを。『歴史は繰り返す』というのは、それの言いわけだ」

『陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)』228ページより引用

一方で、成瀬は嘘を見抜く。これもギャングものとして実に便利で、同時に怖い能力だ。どんな駆け引きも、嘘を見抜かれる側からすれば丸裸である。なのに成瀬は、派手にひけらかさない。淡々としている。その落ち着きが、四人組の中心を支えている。

久遠と雪子もいい。久遠は若く、身軽で、どこか浮世離れしている。動物への愛情が行動原理に入り込んでいるところも、伊坂作品らしい変な優しさがある。雪子は、母であり、運転手であり、秒単位で世界を測る人だ。逃走車のハンドルを握る彼女がいるだけで、作戦にリズムが生まれる。

「もういいわ」

「え?」

「あなたはたぶん知らないと思うけど、時間というのは有限なの」

「それくらいは分かっている」

「きっとあなたなら地球が太陽の周りを回っていることだって分かっているでしょうね。

そういうのは分かってるんじゃなくて、知っているだけなんだって。いい、人生の長さは時間で決まっていて、それはこうしている間にも減っている。分かる? 砂時計の砂がさらさら落ちるみたいに、どんどん減っているわけ」

『陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)』288ページより引用

そして、伏線の気持ちよさ。何気ない会話、辞書の定義のような言葉遊び、ちょっとした日常の引っかかり。そうしたものが、後半できちんと効いてくる。軽く読めるのに、作りは雑ではない。むしろ、軽く見せるために細かく組んでいる。そのあたりが伊坂幸太郎である。軽く読ませておいて、あとから伏線の仕込みに気づかせる。その手つきがめちゃくちゃ鮮やかだ。

本作のギャングたちは、社会のルールからは外れている。けれど、自分たちのルールは持っている。

人を傷つけない。必要以上に荒らさない。美しくやる。

もちろん犯罪は犯罪だ。だが、この小説の中では、その反則ぶりが息苦しい日常を軽く蹴飛ばしてくれる。

『陽気なギャングが地球を回す』は、銀行強盗小説でありながら、どこか会話劇の快楽に満ちている。四人が集まれば、それだけで場が動く。作戦が転がる。余計な言葉が飛び、そこから思わぬ突破口が開く。

読み終えるころには、彼らの次の仕事をもう少し見ていたくなる。成瀬が嘘を見抜き、響野が喋り、久遠が盗み、雪子が走る。そのチーム感があまりに楽しい。

犯罪者なのに、また会いたくなる。

困ったことに、これが陽気なギャングたちのいちばん危ない魅力なのだ。

祥子はそこで諦めたような顔をして、息を吐き出した。

「あなたたちは良い人たちだけど、どこかわたしとは常識が違ってる」それから、「悪い意味でね」とつけ足した。

成瀬が苦笑している。

「祥子さんの言うとおりだね」と久遠は言った。

「祥子さんと僕たちは明らかに考え方が違っていて、たぶん正しいのは祥子さんのほうだ。でもさ」

「でも?」

「正しいことが人をいつも幸せにするとも限らない」

『陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)』55ページより引用

悠木四季

会話が楽しい。キャラが立っている。伏線回収も気持ちいい。
四人それぞれの能力が、ただのキャラ付けではなく、作戦と会話と物語のリズムを動かしているところが最高である。

11.『ラッシュライフ』

この作品を一言でいうと

複数の人物の視点が絡み合い、最後に大きな騙し絵として立ち上がる、伊坂幸太郎初期の群像劇ミステリ。

バラバラの人生が、仙台の街でひとつの絵になる

人生は、本人が思っているほど一本の線ではないのかもしれない。

どこかで誰かとすれ違い、その一瞬が別の場所で思わぬ意味を持つ。本人は気づかない。けれど、少し離れた場所から眺めると、たしかに線が伸びている。

『ラッシュライフ』は、そんな人間たちの交差を、ものすごく手の込んだ騙し絵のように見せてくれる小説だ。

舞台は仙台。中心になるのは、まったく違う場所にいる四人の男女である。

独自の哲学を持つ泥棒・黒澤。父親の死を抱え、神の存在へ近づこうとする青年・河原崎。不倫相手との未来を望み、その妻の殺害を考えるカウンセラー・京子。仕事も家庭も失い、野良犬との出会いに救いを見つける男・豊田。

彼らの物語は、最初から仲良く並んで進むわけではない。むしろ、別々の小説を同時に読んでいるような感覚に近い。泥棒の話があり、宗教の話があり、愛欲と殺意の話があり、どん底の男と犬の話がある。そこへ、「歩くバラバラ死体」という妙な存在まで入り込んでくる。

物騒なのに、どこか奇妙にユーモラス。このバランスがいかにも伊坂幸太郎だ。

視点が変わるたび、見えていた景色が裏返る

分かり合うことはできない。自分は彼らとは分かり合えない。そう考えると、気分が楽になる。

分かり合おうとするから、辛いのかもしれない。相容れないもの同士なのだ。それを前提にすれば、気は楽だ。

『ラッシュライフ (新潮文庫)』358ページより引用

『ラッシュライフ』の面白さは、群像劇としての構成にある。ある人物にとってはただの通行人だった相手が、別の章では人生の中心に立っている。

何気なく置かれた場面が、あとから別の意味を持ち始める。さっきまで背景だったものが、急に前景へせり出してくる。この視点の入れ替わりが、本当に気持ちいい。

しかも、ただ複雑にしているだけではない。物語の断片が散らばっているように見えて、それぞれにちゃんと体温がある。

河原崎の危うさ、京子の身勝手さ、豊田の行き場のなさ。誰も立派ではないし、簡単に好きになれる人物ばかりでもない。だが、それぞれが自分なりの理由で生きている。その混み合った感じこそが、タイトルの『ラッシュライフ』にぴったりはまる。

そして黒澤である。伊坂作品を追っているファンとしては、やはりこの泥棒の存在は外せない。彼は犯罪者なのに、妙に筋が通っている。盗みをする男なのに、会話には美学があり、行動には奇妙な品がある。

黒澤の顔は、自分でも知らないうちに歪んでいた。後先を考えず、ろくな調査や検討もせずに仕事を起こそうとする者に未来はない。

「オリエンテーリングを知っているか?」と思わず言っている。

「地図とか見て、目標の目印を探してくやつだろ。俺だってな、それくらい知ってる。年寄りだって馬鹿にしてるのか」

「年は関係ない。ようするに、『未来』はそういうものなんだよ。探し出すものなんだ。『未来』は闇雲に歩いていってもやってこない。頭を使って見つけ出さなくてはいけないんだ。あんたもよく考えたほうがいい」

『ラッシュライフ (新潮文庫)』116ページより引用

何より、物事を少し斜めから眺める視線がいい。黒澤が出てくると、物語の空気がすっと締まる。泥棒なのに、なぜか頼れる存在。いや、泥棒に頼るなという話なのだが、そう思わせてしまうのだから困る。

歩くバラバラ死体という異様なモチーフも印象に残る。普通ならホラーになりそうなものを、伊坂幸太郎は群像劇の中へひょいと混ぜ込む。現実の上に、少しだけ奇妙な影が落ちる。その違和感が、物語全体をただの人間ドラマで終わらせない。どこか寓話めいた匂いまで漂ってくる。

『ラッシュライフ』は、誰か一人の成功や救済を描く話ではない。もっと雑多で、もっとざらついている。人はそれぞれ勝手に悩み、間違え、欲を出し、誰かを傷つけ、たまに誰かを救う。

その全部が同じ街の中で起きている。まるで交差点だ。信号が変わり、人が行き交い、ほんの一瞬だけ人生が重なる。

ただ、「たぶん、これは」と眠りこけている犬をそのまま抱きかかえた。

「これは手放してはいけない気がするんです。譲ってはいけないもの。そういうものってありますよね?」

『ラッシュライフ (新潮文庫)』448ページより引用

最後に全体を見渡した瞬間、最初に見えていた景色はすっかり変わっている。バラバラだったはずの話が、ひとつの絵として浮かび上がる。

しかも、その絵はきれいに整いすぎていない。歪みもある。汚れもある。だからこそ、人の生きる感じに近い。

仙台の街を歩く彼らは、自分の物語だけを生きているつもりでいる。

だが、見えないところで誰かの行動が誰かの背中を押し、別の誰かの選択を少し変えていく。

人生は案外、そういう知らない接触の積み重ねでできているのかもしれない。

『ラッシュライフ』は、そのざわめきを一冊の騙し絵にしてみせた。

「俺はさっき泥棒のプロフェッショナルだと言ったよな」

「確かに」

「でもな、人生については誰もがアマチュアなんだよ。そうだろ?」

佐々岡はその言葉に目を見開いた。

「誰だって初参加なんだ。人生にプロフェッショナルがいるわけがない。まあ、時には自分が人生のプロであるかのような知った顔をした奴もいるがね、とにかく実際には全員がアマチュアで、新人だ」

「アマチュアか」佐々間がぼんやりと呟く。

黒澤は、友人に自分の言葉が伝わっているのかどうかをじっと見つめながら、「はじめて試合に出た新人が、失敗して落ち込むなよ」と言った。

『ラッシュライフ (新潮文庫)』277ページより引用

悠木四季

バラバラに見えた物語が、少しずつ別の顔を見せてくる快感がすごい。黒澤の登場も含めて、伊坂作品を追う楽しさがこれでもかと詰まっている。

12.『グラスホッパー』

この作品を一言でいうと

妻を奪われた元教師と、異様な殺し屋たちの視点がぶつかり合う「殺し屋シリーズ」の出発点。

復讐に踏み込んだ男が、殺し屋たちの地獄で迷子になる

伊坂幸太郎の小説には、普通の人間が突然、日常の床を踏み抜いてしまう瞬間がある。

『グラスホッパー』の鈴木も、まさにそのひとりだ。

彼はもともと中学校の数学教師だった。裏社会とは無縁の男。殺し屋の名前を聞いても、映画や小説の中の話として受け止める側の人間だったはずである。

だが、最愛の妻を暴走車によって奪われたことで、彼の人生はねじ曲がる。事故ではない。仕組まれた殺人だった。その事実を知った鈴木は、復讐のために非合法組織へ潜り込む。

ここがつらいところだ。鈴木は、明らかに復讐に向いていない。怒りはある。悲しみもある。けれど、裏社会で立ち回れるような凄みはない。なので読んでいて、ずっと危なっかしい。強者として乗り込んでいくのではなく、震えながら、それでも引き返せずに奥へ進んでしまう。その頼りなさが、この殺し屋だらけの物語に人間らしい揺れを持ち込んでいる。

鈴木が狙う相手は、組織「フロイライン」の社長の息子・寺原。ところが、復讐を果たす直前、その男は目の前で車に轢かれて死ぬ。誰かが車道へ押し出したのだ。

伝説の暗殺者「押し屋」。その存在を追うことになった鈴木は、復讐の標的を失ったうえに、組織からも追われる身となる。

もう踏んだり蹴ったりどころではない。復讐劇の主人公のはずが、気づけば裏社会の生態系に放り込まれた弱い虫みたいになっている。

殺し屋たちは怖い。でも、それ以上にどこか壊れている

『グラスホッパー』でとにかく好きなのは、殺し屋たちのキャラクターだ。自殺専門の殺し屋・鯨。ナイフ使いの若い殺し屋・蝉。そして、誰かを車道へ押し出して事故に見せかける押し屋。

名前からしていい。伊坂幸太郎の殺し屋は、ただ強いだけのキャラクターではない。どこか歪んでいて、どこか哀しい。

鯨は、相手を自死へ追い込む男である。だが彼自身も、殺してきた人間たちの幻影に付きまとわれている。巨大な身体を持ちながら内側はどんどん沈んでいく、深海の底を歩いているような重さがある。

一方の蝉は、騒がしく、若く、ナイフを振るうことで自分の存在を確かめているような男だ。彼のそばには仲介人の岩西がいる。この二人のやり取りがまた独特で、殺伐としているのに妙なテンポがある。蝉は危険なのに、どこか未熟で、虚勢を張っているようにも見える。その青さがかえって痛い。

押し屋という存在も怖い。銃でも刃物でもなく、人を押す。たったそれだけで事故に見せかける。日常の中にある横断歩道や車道が、急に別の顔を持ちはじめる。都市の風景そのものが罠に変わる感じだ。

そしてこの三人の殺し屋の世界に、鈴木という一般人が迷い込む。ここが『グラスホッパー』の歪な魅力だ。鈴木は殺しのプロではない。冷酷でもない。亡き妻の言葉を胸に、どうにか自分を保とうとしているだけだ。だからこそ、鯨や蝉の視点と並んだとき、彼の弱さが際立つ。でも同時に、その弱さが物語の救いにもなっているのがいい。

プロットは、三つの視点が交互に進むことで、少しずつひとつの場所へ引き寄せられていく。復讐、仕事、逃走、裏切り。バラバラに見えた動きが、いつの間にか同じ網の上に乗っている。槿という名前にある、絡みつくような感覚。その言葉どおり、人物たちは逃げているつもりで、別の誰かの運命に絡め取られていく。

『グラスホッパー』は、爽快な勧善懲悪ではない。裏社会の暴力は乾いていて、人の死はあっけない。けれど、その中で鈴木は何とか踏みとどまろうとする。妻を失った悲しみを、ただの復讐で終わらせていいのか。自分はどこまで落ちていくのか。そんな危うい境目を歩かされる。

殺し屋たちは派手だ。鯨も蝉も槿も、一度読んだら忘れにくい。だが読み終えたあと、案外いちばん胸に残るのは鈴木の頼りない足取りかもしれない。

裏社会の怪物たちに囲まれながら、それでもまだ人間の側に立っていようとする男。

その小さな抵抗が、『グラスホッパー』という暗い群像劇にかすかな温度を残している。

悠木四季

ポップなのに暴力的で、怖いのにどこか洒落ている。伊坂幸太郎が裏社会を書くと、殺し屋まで妙に忘れがたい存在になるから面白い。

13.『マリアビートル』

この作品を一言でいうと

東京発盛岡行きの新幹線を舞台に、殺し屋たちの思惑と不運と悪意が激突する超高速クライム・エンタメ。

新幹線の中で、殺し屋たちの運命が跳ね回る

伊坂幸太郎の殺し屋小説は、暴力の話をしているはずなのに、どこか会話劇として楽しい。

『マリアビートル』は、その楽しさが新幹線の車内にぎゅっと詰め込まれたような一冊だ。

東京発盛岡行きの東北新幹線〈はやて〉。この限られた空間に、殺し屋、復讐者、悪魔のような中学生、裏社会の使い走り、そして世界一不運な男が乗り合わせる。

駅に着けば降りられるはずなのに、降りられない。仕事は終わるはずなのに、終わらない。ひとつの車両で起きたトラブルが、別の車両へ移り、また別の人物の命運を巻き込んでいく。列車は前へ進むのに、事態だけはどんどん悪い方向へ脱線していくのだ。

中心にいるのは、息子を傷つけられた元殺し屋・木村。相手は中学生の〈王子〉である。この王子が、とんでもないやつなのだ。頭が切れる。人の心を読む。自分の幼ささえ武器にする。大人を操り、相手の弱みを握り、罪悪感もなく追い詰める。怖いというより、気味が悪い。人間の形をした毒みたいな存在だ。

殺し屋たちが濃すぎて、新幹線の密度がおかしい

本作でまず語りたくなるのは、やはり蜜柑と檸檬である。

彼らは、峰岸の息子と身代金トランクを運ぶ殺し屋コンビだ。蜜柑は文学を愛し、やや神経質で、物事を理屈で捉える男。檸檬は『機関車トーマス』を人生の物差しにしている男。

もうこの組み合わせが最高だ。殺し屋なのに、会話のノリが妙に可愛い。いや、やっていることは物騒なのだが、二人の掛け合いがあまりにも魅力的で、出てくるだけで車内の温度が変わる。

そこへ七尾、通称・天道虫が絡む。仕事はシンプル。トランクを奪って、次の駅で降りるだけ。普通なら秒で終わる。だが七尾は、とにかく不運だ。

降りようとすれば邪魔が入る。隠したいものは見つかりそうになる。避けたい相手には出くわす。本人は必死なのに、状況だけがコメディみたいに転がっていく。しかし、いざとなるとちゃんと強い。この、かわいそうなのに頼もしいというバランスがまた面白いのだ。

木村の復讐、王子の罠、蜜柑と檸檬の任務、七尾の不運。別々に進んでいたはずの線が、車内という狭い場所でぶつかり合う。逃げ場は少ない。停車駅は限られている。誰かが移動すれば、別の誰かと遭遇する。殺し屋たちの行動が、まるでドミノ倒しのように次の厄介事を呼び込んでいく。この構造が本当に気持ちいい。

そして王子である。彼が発する「なぜ人を殺してはいけないのか」という悪意のこもった疑問に対し、前作からつながる鈴木が返す場面は、本作の中でも印象的だ。

感情論ではなく、社会の仕組みとして答える。その冷たさが、王子の幼稚な全能感に刺さる。殺し屋たちの派手なアクションの裏で、こういう理屈のぶつかり合いがあるのも伊坂作品らしい。

『マリアビートル』は、閉じた新幹線の中で起きるバトルロイヤルでありながら、ただの殺し合いにはならない。運、不運、悪意、家族、仕事の美学、過去の因縁。それぞれが車内を跳ね回り、最後には思いもよらない形でぶつかる。

読み終えるころには、蜜柑と檸檬の会話をもっと聞きたくなり、七尾の不運に同情し、王子には心底うんざりし、木村の家族にはどうか報われてほしいと思っている。感情が忙しい。列車は一本なのに、積まれている物語が多すぎるのだ。

『マリアビートル』は、伊坂幸太郎の殺し屋エンタメが一気に加速した長編である。

新幹線は止まらない。殺し屋たちも止まらない。

ページをめくるこちらの手も、止まることはない。

悠木四季

『グラスホッパー』の闇を受け継ぎつつ、テンポもキャラの濃さも一段ギアが上がっている。新幹線という逃げ場のない空間で、木村、七尾、蜜柑と檸檬、王子の思惑が次々に衝突していく構成が抜群に楽しいのだ。

14.『チルドレン』

この作品を一言でいうと

破天荒な家裁調査官・陣内を中心に、子供たちと大人たちの傷を軽やかにほどいていく連作短編集。

俺たちは奇跡を起こすんだ。そう言い切る男が、世界のすみっこで本当に奇跡を起こす

銀行強盗の人質になった場面で、大声で歌い出す男がいる。

普通なら迷惑でしかない。けれど『チルドレン』を読んでいると、その迷惑さの奥に、妙な頼もしさが見えてくる。

陣内という男は、いつも正しいわけではない。むしろ、言っていることは屁理屈だらけだ。それでも彼は、誰かが見落としているものを、変な角度から拾い上げてしまう。

物語は、陣内の大学時代から始まる。友人の鴨居とともに銀行強盗事件に巻き込まれた陣内は、そこで全盲の青年・永瀬と出会う。永瀬は目が見えない。けれど、声の調子や周囲の気配から、状況を驚くほど正確につかむ。勢いで場をかき回す陣内と、落ち着いて物事の輪郭を捉える永瀬。この二人が並ぶと、会話だけでぐっと空気が変わる。

やがて陣内は、家庭裁判所の調査官になる。後輩の武藤とともに向き合うのは、少年事件や親権争い、万引きをした子供、離婚調停の泥沼にいる大人たち。世界を揺るがす大事件ではない。ニュースの中心にもならない。けれど、そこには誰かの生活があり、傷があり、見過ごされそうな声がある。

陣内はそこへ、常識的とは言いにくいやり方で踏み込んでいく。正面から説教するわけでもない。きれいな言葉でまとめるわけでもない。

屁理屈をこね、周囲を振り回し、時には「それでいいのか」と言いたくなる方向へ突っ走る。それでも、彼の行動には妙な筋が通っているのがおかしい。

「それを俺たちはやってみせるんだよ」満足感を浮かべて、笑う。

「俺たちは奇跡をやってみせるってわけだ。ところで、あんたたちの仕事では、奇跡は起こせるのか?」

そして、眉根を寄せ、彼らに顔を近づけた。

意味不明で、でたらめな主張だったが、陣内さんの話には迫ってくる力があった。

最後にはこうも言った。

「そもそも、大人が恰好良ければ、子供はぐれねえんだよ」

『チルドレン (講談社文庫)』229ページより引用

陣内はめんどくさい。でも、こういう大人が必要なときがある

『チルドレン』の陣内は、理想的な大人ではない。空気を読む気配は薄いし、協調性にも期待しにくい。後輩の武藤からすれば、相当に手のかかる先輩だと思う。近くにいたら疲れる。絶対に疲れる。

ただ、陣内には見逃さないものがある。子供をひとまとめに扱わない。大人の都合で押しつけられた理屈を、そのまま受け取らない。相手が少年であれ、親であれ、友人であれ、目の前のひとりを見ようとする。そこがいい。めちゃくちゃなことを言っているようで、肝心なところでは人をちゃんと見ているのだ。

『バンク』では、銀行強盗の現場で陣内と永瀬の出会いが描かれる。緊迫した状況なのに、陣内がいるだけで妙な可笑しさが混じる。『チルドレン』では、家裁調査官となった彼が、万引きした少年の背後にある事情へ踏み込む。『レトリーバー』では、永瀬や盲導犬ベスが登場し、陣内の恋も絡みながら、少し切なく温かい時間が流れる。『チルドレンⅡ』『イン』へ進むにつれて、陣内の父との関係も見えてくる。

「僕は思うんだけど」

彼は、生まれながらに目が見えないのだが、時折、周囲の景色が見えているかのように、首を動かす。

「人っていうのはさ、ショックから立ち直ろうとする時には、自分の得意なやり方に頼るんじゃないかな」

「どういうこと?」

「落ち込んだ陸上選手はやっぱり走るだろうし、歌手は歌うんだよ。みんな、そうやって立ち直ろうとするんじゃないかな」

「陣内君の場合は?」

「ギターを弾くか、馬鹿な話をしつづけるかどちらかだ」

『チルドレン (講談社文庫)』156ページより引用

この短編集は、順番通りの人生アルバムではない。大学時代と調査官時代を行き来しながら、陣内という人物をいろんな角度から見せてくる物語だ。

うるさい男だと思っていたら、案外やさしい。無茶な男だと思っていたら、妙に筋が通っている。ふざけているようで、誰かを助けるための動きだけは外さない。

「いい加減にしろよ、陣内。迷惑だろうが」

「俺はな、杓子定規というのが嫌いなんだ」

「ルールを守るのは悪いことじゃないだろ」

「柔軟さのない人間ってのは、歪むんだよ」

『チルドレン (講談社文庫)』12〜13ページより引用

永瀬の存在も大きい。陣内が熱と勢いで場を動かすなら、永瀬は落ち着いた知性で物事を捉える。二人の間には、余計な説明がなくても伝わる信頼がある。この友情が作品全体を支えていて、読んでいると少しうらやましくなってしまう。互いを変に持ち上げない。けれど、ちゃんと相手をわかっている。その距離感がとにかくいいのだ。

『チルドレン』は、子供たちだけの物語ではない。むしろ、子供を前にした大人がどう振る舞うのかを描いた小説でもある。

正しい言葉を並べるだけでは届かない場面がある。制度や手続きだけでは、こぼれてしまう気持ちもある。そんなとき、陣内のような迷惑で、騒がしくて、でも本気の大人が、思いもよらない穴をこじ開けてしまう。

大きな奇跡なんて、そう簡単には起きない。けれど、誰かが少しだけ前を向けるなら、それも立派な奇跡だろう。陣内はたぶん、そういう小さな変化を本気で信じている。

『チルドレン』を読み終えると、奇跡という言葉が少しだけ身近になる。

空から光が降ってくるような大事件ではない。誰かの言葉で、固まっていた心が少し動く。置き去りにされそうだった子供の声に、大人がようやく気づく。そういう小さな変化を、陣内は本気で奇跡と呼ぶ。

うるさくて、面倒で、でも肝心なところでは目を逸らさない。

陣内という男がいるだけで、この世界は少しだけ騒がしく、少しだけ救いのある場所に見えてくるのだ。

続編『サブマリン』に手を伸ばしたくなるのは当然のこと。

なぜなら、陣内のような人は、もっとそばにいてほしくなるからだ。

悠木四季

陣内がうるさい。理屈も無茶。なのに、最後にはこの男がいてくれてよかったと思ってしまう。なんともずるい小説だ。

15.『フィッシュストーリー』

この作品を一言でいうと

四つの物語がそれぞれ違う顔を見せながら偶然と善意と小さな勇気の連鎖を描く、伊坂幸太郎らしさ満載の短編集。

売れないバンドの一曲が、時代を越えて思いがけない奇跡を連れてくる

何の役にも立たなかったように見えるものが、遠い未来で誰かを助けることがある。

『フィッシュストーリー』を読んでいると、そんな馬鹿みたいにロマンチックなことを、少しだけ信じたくなる。

この短編集には、『動物園のエンジン』『サクリファイス』『フィッシュストーリー』『ポテチ』の四編が収められている。動物園の夜、閉ざされた村の風習、売れないパンクバンドのレコード、空き巣とプロ野球選手をめぐる物語。

並べるとバラバラだ。ジャンルも空気も違う。けれど、ページをめくっていくうちに、どの話にも見えないところで何かがつながっている感触が残る。

表題作『フィッシュストーリー』は、とくにその楽しさが濃い。1975年、売れないパンクバンドが、最後のレコーディングで一曲を残す。曲名は「FISH STORY」。ほら話、という意味だ。

その曲には、奇妙な無音部分がある。やがてその空白にまつわる噂が生まれ、別の時代の誰かを動かし、さらに別の人生へ波紋のように広がっていく。

小さな偶然が、後から世界の形を変えていく

「でも、正義の味方になれ、って言われても、サッカー選手とか弁護士とかと違って、漠然としているじゃないですか」

「普通は、正義の味方と言うと、弁護士とか警官とか消防士とか、そういった職業を思いつくものでしょうが、父は違ったんですよ」彼は疲れた声で、自嘲気味に言う。

「父が言うには、大事なのは、職業や肩書きではなくて、準備だ、ということらしくて」

「準備?」

「強い肉体と、動じない心。それを身につける準備こそが必要だ、と」

『フィッシュストーリー (新潮文庫)』167ページより引用

『フィッシュストーリー』の面白さは、時間の離れた出来事が、ひとつの曲を通じてつながっていくところにある。

売れなかったバンドの演奏。峠道で勇気を出す大学生。フェリーで危機に遭遇する女子高生。世界の終わりが近づく中で流れるレコード。どの場面も、それだけ見れば小さな話に思える。けれど、それぞれの行動が次の誰かへ届いていく。

ここが熱い。世界を救うのは、最初から英雄として選ばれた人物ではない。たまたま曲を聴いた人、たまたま声を聞いた人、たまたま勇気を出した人。そういう名もない行動の連鎖が、あとからとんでもない場所へたどり着く。

この「ほら話みたいだけど、本当に起きてもいいじゃないか」という感覚が、本作の大きな魅力だ。

『動物園のエンジン』は、夜の動物園で眠る元職員・永沢の謎をめぐる一編である。派手な事件というより、奇妙な光景を前にした人々の憶測が転がっていく話だ。夜の動物園という舞台のざらつきと、会話の中で少しずつ形を変える推理がいい。答えそのものより、そこへ近づいていく時間に味がある。

『サクリファイス』では、おなじみの黒澤が登場する。泥棒であり探偵めいた働きもするこの男が、東北の山奥の村で人探しをする。閉鎖的な空気、古い風習、どこか割り切れない結末。

「大変だな」黒澤は儀礼的に同情の言葉を投げかけた。

「大変なのはいいんですよ。生きていくのが楽じゃないってことくらいは、わたしにも分かりますから。でもね、ちょっとは売れてくれないと」

「くれないと?」

「張り合いがないですよね」彼女は寂しい笑みを見せた。

「お金よりもね、何かこう人生のうちで一度くらい、やったね、とか言ってやりたいじゃないですか」

『フィッシュストーリー (新潮文庫)』収録『サクリファイス』67ページより引用

黒澤のぶっきらぼうな優しさが、甘さではなく苦みとして残るのがいい。伊坂作品の黒澤は、出てくるだけで場が締まる。派手に助けるのではなく、必要なところだけをすっと見抜く感じがある。

そして『ポテチ』。私は話が最高に好きなのだ!

空き巣の今村と、プロ野球選手の尾崎。題材だけ見ると実はなかなか重いのだが、そこにポテトチップスの塩味みたいな日常感が混ざる。

「塩味も食べてみたら意外に美味しいから」

大西は本心からそう言ったのだが、信じていないのか、今村は一瞬、動きを止め、大西をまじまじと眺めた。

「嘘じゃないって」大西は声を大きくし、塩味の袋を引っ張った。

「コンソメ食べたい気分だったんだけど、塩は塩で食べてみるといいもんだね。間違えてもらって、かえって良かったかも」

『フィッシュストーリー (新潮文庫)』収録『ポテチ』291ページより引用

『コンソメ食べたい気分だったんだけど、塩は塩で食べてみるといいもんだね。間違えてもらって、返ってよかったかも』

この一言で今村は泣いてしまう。ポテチの味を間違えただけでなんで泣くのか? と疑問に思うけれど、最後まで読むとその理由がわかる。しかも読んでいるこっちも号泣。

いつもと違っても、これはこれでアリ。

そんな小さな気づきが、大きなやさしさになる。

人生はうまくいくことばかりではない。思い通りにならないことも多いけれど、「まあ、これでいいか」と思える瞬間があるなら、それも十分幸せなのではないか。そんなふうに思わせてくれる、優しい物語だ。

笑えるのに、ふいに胸をつかまれる。誰かの人生を比べたり、正しさで測ったりするのではなく、目の前のささやかな感情をちゃんと受け止める。その温度が心地いい。

『フィッシュストーリー』は、短編集でありながら、どこかアルバムみたいな一冊だ。曲調の違う四つの話が並び、最後まで聴くと、不思議と同じビートが流れていたことに気づく。

偶然を信じること。小さな勇気を軽く見ないこと。名もない誰かの行動が、別の誰かの未来へ届くかもしれないこと。

ほら話は、ただの嘘ではない。現実を少しだけ遠くへ押し広げるための、明るい嘘でもある。

売れなかった曲が残り、誰かがそれを聴き、別の誰かが動き出す。そんな連鎖を見せられると、無駄に見える日々の中にも、まだ何かの種が埋まっているような気がしてくるのだ。

大ヒットしなかった曲でもいい。誰にも届かなかったと思っていた声でもいい。

いつか、どこかで、思いもよらない相手に届くことがある。

この短編集は、その可能性を本気で信じている。

「これ、いい曲なのに、誰にも届かないのかよ、嘘だろ。岡崎さん、誰に届くんだよ。俺たち全部やったよ。やりたいことやって、楽しかったけど、ここまでだった。届けよ、誰かに」

五郎は言って、そして清々しい笑い声を上げた。

「頼むから」

『フィッシュストーリー (新潮文庫)』200ページより引用

悠木四季

どの短編も素晴らしいが、やっぱり『ポテチ』が好きすぎるのだ。何度読んでも泣いてしまう。

おわりに

伊坂幸太郎の作品を読んでいると、世界は理不尽だし、悪意はしぶといし、人生はそう簡単にうまくいかない、ということを何度も突きつけられる。

けれど、それでも人は誰かを信じることができる。くだらない冗談を言える。好きな音楽を聴ける。自分なりの美学を持って、ほんの少しだけ世界に抵抗できる。伊坂作品がずっと愛されている理由は、たぶんその軽やかさにあると思う。

物語の中では、何気ない会話や偶然の出会い、小さな親切、過去に交わされた一言が、思いがけない形で誰かを救う。ばらばらに見えた出来事がつながり、最後にはひとつの大きな絵として立ち上がる。その瞬間の気持ちよさは、ミステリ好きにとってもたまらないご褒美だ。

今回紹介した15作品は、どれも伊坂幸太郎らしさを味わえる名作ばかりである。伏線回収の鮮やかさを楽しみたいならこの作品、青春小説として読みたいならこの作品、エンタメとして一気読みしたいならこの作品、というように、読む順番によって見える景色も変わってくる。

まだ伊坂作品を読んだことがない人には、ぜひ気になった一冊から手に取ってみてほしい。すでに伊坂ファンの人なら、昔読んだ作品をもう一度読み返してみるのも楽しいはずだ。何気なく置かれていた一文が、再読ではまったく違う光り方をすることがある。

伊坂幸太郎の小説には、現実を一気に変える魔法は出てこない。けれど、現実の見え方を少しだけ変えてくれる力がある。重たい世界を、軽やかに歩くための知恵がある。

だから私はこれからも、ミステリー小説を読みながら、きっと伊坂幸太郎の物語にも戻ってくるのだと思う。

最後に、私が伊坂作品で一番好きな『砂漠』から、とても印象に残っている文章を引用させていただいて、この記事を終わろうと思う。

卒業式自体は、本当に淡々としていて、相変わらず僕は、さめた思いで式の進行を眺めていた。ただ、式の最後、学長の言った台詞は印象に残った。くどくどと話をしない主義なのか、学長は、卒業おめでとう、という趣旨のことを簡単に言った後で、

「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ」

と強く言い切った。

さらに最後にこう言った。

「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」

『砂漠 (新潮文庫)』533〜534ページより引用

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Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

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