黒田研二『完全密室のマトリョーシカ』- エッシャーの館で始まる、ミステリ・イン・ザ・ミステリ【読書日記】

久しぶりに黒田研二の長編ミステリを読めた!
そして読み進めるうちに、やっぱり私はこの作家の作品が好きだと素直に思った。
人工的なくらい凝った謎。現実と虚構の境目を揺らす仕掛け。少し無茶をしてでも、最後に世界の見え方をひっくり返そうとする大胆さ。
黒田研二のミステリには、きれいに整ったパズルを解く楽しさと、大仕掛けへ丸ごと放り込まれる興奮が一緒にある。
『完全密室のマトリョーシカ ミステリ・イン・ザ・ミステリ』は、その魅力を久しぶりのオリジナル長編へ一気に詰め込んだような作品だった。
舞台は、遠い異国に建つ別荘。壁にはM.C.エッシャーの錯視画がずらりと並び、そこで著名なミステリ作家が、自分の考えた三つの殺人事件を朗読し始める。
この状況がすでにたまらなく怪しい。しかも語られるのは、いかにもパズル心を刺激してくる謎ばかり。その一方で、現実の館でも不可解な事件が動き出す。
作中作の殺人。館で起きる本物の事件。主人公の記憶。そして、亡くなった母を巡る過去。
ひとつ開けば、また別の謎が現れる。
気づいたときには、物語全体が巨大なだまし絵へ変わっている。
父が語る三つの事件と、館で始まる本物の殺人
主人公の朔史は、大学受験に失敗し、生きる意味を見失いかけている青年だ。
彼を苦しめているのは受験の挫折ばかりではない。眠るたび、母が断末魔の声を上げる悪夢に襲われる。母は誰に殺されたのか。自分の記憶はどこまで正しいのか。答えの見えない過去が、朔史の足元をつかんで離さない。
そんな彼が滞在しているのは、父であり著名なミステリ作家でもある猪龍錠の別荘。遠い異国に建つ館の壁には、エッシャーの絵がいくつも飾られている。上り続けているはずなのに元の場所へ戻る階段。つながるはずのない空間。水が永遠に循環する水路。
この館にエッシャーを置いた時点で、黒田研二は堂々と宣言している。ここで信じられるものは、目に映った形だけでは足りない、と。
館には猪龍錠の作品を愛する親族や縁者が集まり、そこへ予期せぬ訪問者も加わる。やがて猪龍錠は、自らが考えた新作小説のプロットを朗読し、その謎を解いてみろと一同を挑発する。
語られるのは、いずれも特殊な状況や物理条件を利用した、クイズ性の強い不可能犯罪だ。
水族館の構造はどう使われたのか。ダンベルは凶器として何を可能にしたのか。密室の中へ毒はどう運び込まれたのか。
ひとつずつ眺めれば、昔ながらのパズル・ミステリに近い。少々素朴で、作中人物からさえ「子供騙し」と評される謎もある。ところが、その軽さが妙に引っかかる。なぜ猪龍錠ほどの作家が、わざわざこの場で、こんなプロットを披露するのか。
しかも朗読が進む一方で、現実の別荘でも人が死に始める。
作中作の事件。館で起きる殺人。朔史の母の死。
三本の線は互いに離れて見えながら、少しずつ同じ図形の一部として組み上がっていく。この並行進行がとにかく楽しい。ひとつの謎を考えている最中に、別の階層から新しい違和感が入り込み、推理の土台ごと揺らしてくる。
朔史自身も、自分の精神が崩れているのか、周囲の世界が狂っているのか判断できない。その不安定さが、館の錯視画とぴたりと重なる。
マトリョーシカの中から現れる、さらに大きな虚構
タイトルにある『マトリョーシカ』は、この小説の構造をそのまま表している。
物語の中に物語があり、その中に謎がある。ひとつを開けると次の層が現れ、さらにその奥から別の真相が姿を見せる。作中作、現実の事件、朔史の記憶、母の死。どれかひとつを解けば終わる構造ではなく、すべての層が互いの意味を書き換えていく。
黒田研二は、過去作『硝子細工のマトリョーシカ』でも虚構と現実の二重構造を扱っていた。本作では、その趣向をさらに大きく拡張している。
特に面白いのは、作中作が単なる余興として置かれていない点だ。
三つのプロットは、それぞれ独立したミステリクイズとして読める。けれど、本当に重要なのはトリックの出来栄えだけではない。
なぜその物語が語られたのか。誰が聞かされているのか。語り手は何を見せ、何を隠そうとしているのか。
つまり、物語を語るという行為自体が、巨大な手品になっているのだ。
私たちは猪龍錠のプロットへ意識を向けさせられ、その間にも現実の館を見ているつもりになる。だが、エッシャーの絵と同じく、見えている全体像が正しい保証はどこにもない。
ここで作品のキャッチコピー「疑え、全ての錯視(リアル)を。」が強烈な意味を持ち始める。
錯視とは、目が騙される現象だけを指さない。記憶も、常識も、物語の形式も、信頼している人物の言葉も、すべて現実らしい顔をした仕掛けになり得る。
この構造には、黒田研二が長年手掛けてきたゲームシナリオやインタラクティブ作品の経験も表れているように思う。『逆転裁判』『逆転検事』の脚本、『真かまいたちの夜 11人目の訪問者』のメインシナリオ、『TRICK×LOGIC』への参加。黒田研二は、受け手が自分で推理し、選び、裏切られる物語を数多く作ってきた。
本作もまた、こちらへ問題を差し出しながら、その問題用紙そのものを途中で裏返してくる。
正解を当てる楽しさと、見ていた世界が別物へ変わる驚き。その二つを同時に狙った構成であり、整然とした推理ゲームよりも、巨大なイリュージョンへ近い感触がある。
すべてをひっくり返す大胆な大仕掛け

絵:悠木四季
私は大好きだけれど、本作への評価はかなり分かれるんじゃないか、と思う。
作中作として語られる三つのトリックには、あえて古典的でクイズ的な手触りが残されている。しかも登場人物自身が、その拙さを口にする。
ここを自虐的な予防線と感じる人もいるだろう。作者には自分のトリックを信じて、もっと真正面から押し切ってほしかった。そんな不満が出るのも理解できる。
解決編で明かされる大仕掛けも、現実味を最優先した作りとは少し違う。
細部を堅牢に積み上げ、最後の一ピースがぴたりと収まるタイプを期待すると、その跳躍に置いていかれる可能性がある。伏線の量やリアリティを重く見る人ほど、仕掛けの接続部分が気になるはずだ。
だが私は、この危うさを含めて黒田研二らしいと思っている。本作が狙っているのは、細部をきれいに整えることより、一発の大技で世界の見え方を反転させることだ。
合理的な捜査を積み重ねて真犯人へ迫るというより、ここまで読んできた物語の形そのものを変形させる。その瞬間へ向けて、作中作も館も悪夢も、すべてが配置されている。
整いすぎていない。少しはみ出し、少し無理をし、それでも最後には理論値の外側へ手を伸ばす。そこに、この作品の勢いがある。
黒田研二は『ウェディング・ドレス』で第16回メフィスト賞を受賞して以来、本格ミステリ、サスペンス、漫画脚本、ゲームシナリオ、ノベライズ、児童向けシリーズと幅広い分野を歩いてきた。
本作は、そうした長いキャリアを経た作家が、自分の原点にある人工的な謎、大掛かりな仕掛け、虚実の反転をまとめて解放した長編なのだろう。
私はそこに、久しぶりのオリジナル本格長編へ戻ってきた作家の本気を感じたのだ。お帰りなさい!
そして、派手な構造の奥には、母の死を抱えた朔史の物語がある。すべての錯視が崩れたあとに現れるのは、冷たい論理ばかりでは終わらない感情だ。パンドラの箱の底に残されたものを思わせる、切実で温かな余韻が待っている。
館の壁に掛けられたエッシャーの階段は、どこまでも同じ場所を巡っているように見える。
けれど朔史は、その迷路の中で確かにひとつ先の段へ進む。
人形をひとつずつ開き、最後の小さな核へ辿り着いたとき、最初に見ていた完全密室は、もう同じ形をしていない。


