エミリー・カーペンター『ゴシックタウン』- 親切すぎる町は、なぜこんなにも怖いのか【読書日記】

百ドルで歴史あるヴィクトリア朝の豪邸が手に入る。
しかも、町で商売を始めるなら補助金まで出る。
そんな話は怪しいに決まっているが、人生がうまくいかなくなった直後に届いたら、完全に無視できるだろうか。
エミリー・カーペンター『ゴシックタウン』は、その絶妙に嫌なところから始まる。
主人公のビリー・ホープは、ニューヨークで高い評価を受けるレストランを経営していた女性シェフだ。ところがパンデミックによるロックダウンで店を失い、再起のきっかけをつかめないまま二年が過ぎている。母親との関係もぎくしゃくし、都会で暮らし続けることにも疲れきっていた。
そこへ舞い込むのが、ジョージア州の田舎町ジュリアナから届いた移住勧誘メールである。
百ドルで豪邸。新規事業への補助金。犯罪の少ない町。住民同士の助け合い。子どもの大学進学率も高い。
条件だけ並べれば、再出発の場所として申し分がない。
ビリーは心理カウンセラーの夫ピーター、九歳の娘メレディス、愛猫ラムジーとともにジュリアナへ移り住む。そして、かつての店と同じ名前を掲げたレストラン「ビリーズ」を再開する。
ここまでは、傷ついた家族が新天地でやり直す物語……に見える。
ただ問題なのは、その新天地があまりにも親切すぎたのだ。
豪邸も補助金も、全部そろった町
ジュリアナへ着いたビリー一家を、住民たちは驚くほど温かく迎える。
店の調度品を融通してくれる人が現れ、商売も順調に滑り出す。古い町並みは美しく、歴史ある屋敷には十分な広さがあり、高速Wi-Fiも使える。夫はオンラインで仕事を続けられ、娘も新しい環境へ馴染んでいく。
いわば、サービス満点の因習村だ。
昔ながらの因習村ものなら、外から来た人間は露骨に警戒される。村人の視線は冷たく、よそ者には決まりを教えず、何か尋ねても口を閉ざす。
ところがジュリアナは逆だ。歓迎する。助ける。金を出す。家まで用意する。追い返すどころか、全力で町の内側へ招き入れてくる。
ここが怖い。ビリー一家を縛るのは、暴力でも監禁でもない。破格の条件と、住民たちの善意と、「ここなら人生をやり直せますよ」という甘い誘いである。
しかもビリーには、その言葉へすがりたくなる理由がある。店を失った。自信も傷ついた。家族関係も揺らいでいる。そんな人にとって、ジュリアナは罠というより救済に見える。
こういう設定の作品は好きだ。古い町の秘密を描きながら、入口には現代の地方創生や移住支援、起業家誘致を置く。怪談の始まりが行政サービスの顔をしているのだ。
うまい。とても現代的で、嫌な説得力がある。
蓋のない井戸と、同じ夢を見る母娘
ジュリアナの異常は、いきなり派手な形で現れない。最初に出てくるのは、敷地内にあるという蓋のない井戸の噂だ。
娘が落ちたら危険だと考えたピーターは、広い庭を何度も探す。けれど、どこにも井戸は見つからない。
あると言われたものが見つからない。ただそれだけなのに、気持ちが悪い。
存在しない井戸の噂が、家族の暮らしへ入り込み、少しずつ空気を変えていく。井戸そのものより、確認できない何かを信じさせられる感覚のほうが怖いのである。
やがて、ビリーは奇妙な夢を見る。暗闇の中で泣き叫ぶ子どもたち。白髪の老婆。そして、「やつらはあなたから何を奪った?」という言葉。
さらに、娘のメレディスまで同じ夢を見ていたとわかる。母娘が同じ悪夢を共有する。この時点で、町の秘密が屋敷の外に留まらず、眠りの中へまで入り込んできたことがわかる。
愛猫ラムジーの変化も不気味だ。ジュリアナへ来てから外へ逃げ出すようになり、小動物を激しく狩り始める。以前より荒々しく、どこか別の生き物へ近づいていくような変貌。
その姿を、メレディスは「カタワンパス」と呼ぶ。
カタワンパス。これは、歪んだ、ねじれた、調子が狂った、という意味だ。妙に愛嬌のある響きなのに、ジュリアナという町全体をそのまま言い表している。
そしてもうひとつ重要なのが、ロタリー(Lottery)という言葉だ。
メレディスが店名の候補として口にするこの単語は、シャーリイ・ジャクスン『くじ』へのオマージュであり、同時に一八三二年の土地抽選会へつながっていく。
個人的にもシャーリイ・ジャクスン『くじ』は大好きなのでテンション上がったよねえ。
ジュリアナは、金鉱と土地の再分配によって築かれた町だ。先住民から取り上げた土地、創設者一族、名家の支配。町の中心には、幼くして亡くなった少女ジュリアナ・ミネットの銅像まで立っている。
可憐な記念像というより、過去がいまも町を見張っている印に見えてくる。
本作では、ビリーたちの現在と並行して、町の過去を描く章が差し込まれる。そこで生贄や名家の罪が早い段階から示されるため、「何か秘密があるのか」を考える物語にはならない。
秘密はある。
問題は、それがビリー一家へどう迫り、彼女たちがどこまで逃げ切れるのか、だ。
夫ピーターは町への不信を強め、ビリーとの関係も崩れていく。やがて彼は家を出たまま行方がわからなくなり、入れ替わるように名家の末裔ジェイミー・クリーバーンが近づいてくる。
金鉱の噂。製材所で見つかる古い遺体。町を支配してきた三大名家。
家庭の亀裂と土地の歴史が重なったあたりから、物語はぐっと速度を上げる。
人を生かす料理と、人を呑み込む町
『ゴシックタウン』には、料理がたくさん登場する。
アップルソース・ホットケーキ、庭のハーブとモッツァレラを使ったピザ、スパイスの効いたフリッタータ、羊肉を煮込んだハリーム、カルニタスのライスボウル、ナマズのフライサンドイッチ。
どれも本当においしそうで、読んでいる途中で普通にお腹が減る。ただ、この料理描写は単なる彩りに収まらない。
ビリーにとって料理は、人生を立て直す手段だ。家族へ食べさせる。店を開く。誰かを迎える。皿の上に、自分がまだ失っていないものを並べ直す。料理を作るたび、彼女は少しずつ自分を取り戻していく。
一方で、ジュリアナという町も人を迎え入れる。家を与え、金を出し、仕事を助け、共同体の食卓へ座らせる。
しかし、こちらのもてなしには別の欲望が潜んでいる。ビリーの料理は人を生かすためのもの。ジュリアナのごちそうは、人を町の一部へ変えるために並べられる。
この対比がすごくいい。サザン・ゴシックらしい古い屋敷、血統への執着、名家の権力、南北戦争の傷、土地の略奪。そこへオンライン勤務、移住支援、起業家誘致、多様性の歓迎といった現代の言葉が重なる。
古い支配は消えない。時代に合わせて看板だけを掛け替え、より親切で、より洗練された顔を手に入れる。
そこに、本作の一番ぞっとする部分を感じた。
ジュリアナは、よそ者を追い返さない。笑顔で歓迎し、必要なものを惜しみなく差し出す。そうして違和感を言葉にした頃には、暮らしの隅々まで町の論理が入り込んでいる。
五百ページを超える厚さにもかかわらず、読み心地は軽快だ。現在と過去、崩れかけた家族、名家の歴史、説明のつかない怪異。それぞれの線が後半で絡み合い、サスペンスは一気に加速する。
茂木健の訳文も滑らかで、南部の湿った空気を保ちながら、物語の勢いを少しも損なわない。榎本マリコによる装画も印象的だ。町の美しさと、その奥へ潜む禍々しさが、一枚の中できれいに同居している。
『ゴシックタウン』は、古い因習を現代のサービス精神で包み直したサザン・ゴシックだ。
豪邸も、補助金も、親切な隣人も、すべて魅力的だから怖い。
百ドルの契約書へ名前を書いた瞬間、ビリー一家が手にしたのは、家と店と新しい人生だった。
その足元では、ジュリアナという町が、蓋のない井戸より大きな口を開けている。



