伏尾美紀『誰何』- 二年前に死んだ女は、なぜ東京でもう一度死んだのか【読書日記】

東京都杉並区のアパートで、高齢女性がひとり死んでいた。
警察が戸籍を辿り、親族へ連絡を取ると、思いもよらない返事が返ってくる。死亡した女性が名乗っていた松川美和は二年前に病院で亡くなり、葬儀まで済んでいたのだ。
ならば、東京で死んだこの女性は誰なのか。
一方、北海道石狩市では、29歳の会社員・工藤健斗が遺体となって発見される。死因は車にはねられたことによる外傷性ショック。
しかし遺体が置かれていた遊歩道には車止めがあり、一般車両は入れない。別の場所で事故に遭い、その後ここまで運ばれた可能性が浮かび上がる。
地理的にも人間関係にも接点が見えない二つの死。その両方から発見されたのが、元北海道警刑事・新内由紀の名刺だった。
ところが当の新内には、どちらの死者にも名刺を渡した覚えがない。
この導入がものすごく強い。なぜ二年前に死んだ女性の名前を別人が使っていたのか。なぜ面識のない二人が、同じ元刑事の名刺を持っていたのか。
伏尾美紀『誰何』は、そんな二本の細い糸をゆっくり手繰り寄せながら、身元、家族、血縁、そして人が誰かを「自分の家族」と呼ぶ意味へ踏み込んでいく警察小説である。
二つの死をつなぐ、一枚の古い名刺
物語の中心に立つ新内由紀は、かつて北海道警捜査一課で働いていた元刑事だ。
現在は警察を離れ、札幌市の児童相談所で虐待対応支援員として勤務している。家庭訪問で威圧的な保護者と向き合い、正規職員を守る役目も担う、少し風変わりな第二の人生である。
そんな彼の過去を追うように、東京と北海道から名刺が現れる。
ここで面白いのは、新内がすでに警察手帳を持たない立場にいることだ。現役刑事なら照会や鑑識、組織力を使って一気に進められる局面でも、彼にはその権限がない。
自分の名前が死者たちの周辺へ入り込んでいるのに、自力で公的情報へアクセスできない。この微妙な立場が、事件を単純な警察捜査から、人の足跡を辿る探索行へ変えている。
そこへ警視庁から来た宝生尊が加わる。慇懃無礼で遠慮がなく、新内の触れられたくない過去へ平然と手を伸ばす男だが、状況証拠を積み上げて仮説を組み立てる能力は抜群。足で稼ぐ新内と、ロジックで一気に道筋を作る宝生の組み合わせによって、捜査に独特のスピードが生まれる。
もう一方では、道警捜査一課の砂本修二が石狩の事件を追う。かつて新内とバディを組み、刑事として多くを教わった若手であり、いまは怪我をした父の世話をしながら捜査一課に立つ人物でもある。
新内、砂本、宝生。この三人がそれぞれ違う位置から死者へ近づくため、警察組織の内と外、経験と若さ、直感と論理がほどよくぶつかり合う。
そして東京の孤独死と石狩の轢き逃げは、少しずつ同じ方向を向き始める。その過程で重要になるのが、事件そのものより、死者がどんな人生を送ってきたのかを確かめる作業だ。
「誰だったのか」を追ううちに、家族の形が揺らいでいく
書名の『誰何』には、「誰だ」「何者か」と相手の身元を確かめる意味がある。これが作品全体にぴたりとはまっている。
東京で孤独死した女性は、松川美和の名を使っていた。戸籍の上ではすでに死者となっている人物の名前で暮らし、そのまま誰にも正体を知られずに人生を終えている。
警察にとっては身元確認の案件でも、新内たちが辿るのは、ひとりの人間がなぜ自分の名前を手放し、別人として生きるしかなかったのか、その人生そのものだ。
そこへ重なるのが、新内夫妻の過去である。新内と妻・三春は、かつて大和という男児を実子同然に育てていた。特別養子縁組を通じて迎え入れ、家族として時間を積み重ねていたものの、実親側の親権回復によって手放すことになる。その出来事が新内の人生を大きく変え、警察を離れる遠因にもなった。
この設定によって、本作の身元を確かめる行為が、戸籍上の名前だけでは済まなくなる。血がつながっていれば家族なのか。一緒に暮らし、育て、愛情を注いだ時間はどこまで家族を形作るのか。法律が定める親子関係と、生活の中で生まれた結びつきが食い違ったとき、どちらを大切にすべきなのか。
伏尾美紀は、こうした重い題材を声高な主張へ傾けず、事件捜査と人物の選択へ落とし込んでいる。児童相談所で働く現在の新内も、その過去から切り離せない。かつて守れなかった子どもの記憶を抱えた男が、今度は別の家庭へ足を運び、子どもを守る側に立っている。
この配置が切ない。タイトルの意味も、物語が進むほど広がっていく。死者へ向けた「あなたは誰だったのか」との確認が、やがて新内自身へ返ってくる。
刑事を辞め、父親としての時間も失った自分は、いま何者なのか。事件を追うことが、そのまま新内自身の人生を見つめ直す旅にもなっているのだ。
北海道の川を辿るように、離れた人生が一本へ近づいていく
伏尾美紀作品を読む楽しさのひとつに、北海道の土地が単なる背景で終わらない点がある。
本作でも石狩川、茨戸川、伏籠川といった水系が物語の中へ組み込まれ、土地の歴史と人間たちの人生が重なる。
石狩の遺体発見現場もよく考えられている。防犯カメラやNシステムが広がった現在、都市部で車を使った犯罪を成立させるのは難しい。そこで舞台に選ばれたのが、人通りも監視の目も薄くなる石狩の工業地帯周辺だ。
防犯カメラやNシステムが張り巡らされた都市部をあえて外すことで、現代の警察捜査を相手にしても無理のない犯罪現場が成立した。土地勘を物語上の必然へ変えるあたりにも、北海道を知り尽くした伏尾美紀らしい手堅さがある。
新内と宝生が札幌を離れ、赤平や長万部へ足を延ばすくだりには、ロードノベルめいた味わいも漂う。場所を移すたび、新しい証言や過去の断片が拾い上げられ、それまで離れて見えた人間関係の距離まで縮まっていく。石狩川から切り離され、別々の流れを刻んだ水路がどこかで再び交わるように、登場人物たちの人生もまた、思いがけない地点で重なり合うのだ。
前作『百年の時効』は、半世紀をまたいで捜査の執念を描く大河的なスケールが魅力だった。対する『誰何』では、336ページという引き締まった紙幅の中、一人の身元不明者と一枚の名刺から社会の奥へ踏み込み、人物一人ひとりへぐっと近づいていく。
特に惹かれたのは、事件を解くことと、死者を知ることが同じ方向へ進んでいる点だ。真相へ近づくほど、単なる被害者だった人物にも過去があり、選択があり、誰かとのつながりがあったことが見えてくる。
名前を突き止めれば終わりではなく、その名前の持ち主がどんな人生を送ったのかまで辿ろうとする姿勢に、本作の温度がある。
誰かの名前を呼ぶこと。家族として迎えること。失った相手を、それでも忘れずにいること。
二つの変死事件から始まった捜査は、やがてそんな人の営みへまで届いていく。
『誰何』の二文字が最後まで重いのは、身元を確かめるための言葉でありながら、自分が誰を家族と呼び、誰の人生を自分のものとして引き受けるのかまで迫ってくるからだ。
伏尾美紀のおすすめ作品3選
1.『百年の時効』
50年前に起きた一家四人殺傷事件をめぐり、昭和・平成・令和、三つの時代の刑事たちが真相を追い続ける。
聞き込み、捜査ノート、証言、科学捜査。それぞれの時代で積み上げられた捜査の成果が半世紀を越えて受け継がれ、やがてひとつの真実へと集約していく展開が熱い。
第28回大藪春彦賞、第47回吉川英治文学新人賞、第79回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞し、三冠を達成した大河警察小説。
2.『北緯43度のコールドケース』
札幌近郊で見つかった少女の遺体をきっかけに、5年前の未解決誘拐事件が再び動き始める。面白いのは、事件そのものの謎と並行して、北海道警内部の派閥や保身、監察による圧力まで濃密に描かれる点だ。
主人公の沢村依理子も、何もかも見抜く天才型ではなく、組織の中で迷い、傷つき、それでも自分の足で真相へ近づいていく等身大の人物として魅力がある。
過去と現在が絡み合う捜査の緊張感に、人間関係や組織内部の生々しさまで重なった骨太な警察小説だ。
3.『数学の女王 道警 沢村依理子』
新設された理系大学院で爆破事件が発生し、沢村依理子は特命捜査班を率いて事件の真相を追う。
警察内部の駆け引きに加え、大学という閉鎖的な世界に渦巻く権力争い、研究者同士の嫉妬、女性研究者が直面する偏見や不平等まで捜査の中へ深く組み込まれているのが面白い。
大学院で研究者を目指していた過去を持つ沢村だからこそ、事件の背景にある学問への執着や傷にも説得力をもって踏み込んでいく。
前作では一捜査員だった彼女が、癖の強い刑事たちを率いる班長として悩みながらチームをまとめていく姿も大きな見どころだ。


