ジョン・アシュトン『奇怪動物百科〔新版〕』- こんな怪物たちが本当にいると思われていました【読書日記】

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悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

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自分の巨大な片足を頭の上へ持ち上げ、その影で暑さをしのぐ人間がいる。

海には修道士や司教そっくりの魚が泳ぎ、森では満腹になるまで死肉を食べたクズリが、木の隙間に体を押し込んで無理やり排泄し、また食事へ戻っていく。

ジョン・アシュトンの『奇怪動物百科〔新版〕』を開くと、こんな連中が次々と出てくる。

しかも扱いは、いまのファンタジー図鑑に載るモンスターとは少し違う。彼らはかつて本気で語られ、記録され、ときには世界の常識として信じられていた生きものたちなのだ。

ここがとにかく面白い。ユニコーンやドラゴン、バジリスクのような有名どころから、植物の茎とへそでつながった羊、二つ頭のガン、後ろへ進む牛、法衣をまとったような海の司教まで、ページをめくるたびに世界の形が変わっていく。

現実と空想の境目が、いまよりずっと曖昧だった時代。

その知識と誤解と想像力を、百点を超える古い図版とともに閉じ込めた一冊である。

目次

紙の上に開かれた、分類以前の動物園

ジョン・アシュトン『奇怪動物百科〔新版〕』

おすすめ度:(5.0)

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原著『Curious Creatures in Zoology』が刊行されたのは1890年。

著者のジョン・アシュトンは、大英博物館の閲覧室へ長年通い、チャップ・ブック、諷刺画、街頭バラッド、悪魔学、風俗史といった、大衆文化の周辺に埋もれていた資料を掘り起こし続けた人物だ。

本書でも、その収集癖が思いきり発揮されている。古代の自然哲学、中世の旅行記、近世の航海記、草本誌、神学書。そこから拾い上げられた異形の生きものは百十種以上。

人間に似た異人種から始まり、半人半獣、四足獣、怪鳥、海の怪物、爬虫類、小動物へと進んでいく構成も楽しい。分類学の教科書というより、知識の迷路を歩いている感覚に近い。

スキアポデスは一本の巨大な足を日傘代わりにし、有尾人間は尻尾を通す穴の開いた椅子を必要とする。マンティコラは人面、赤い獣の体、サソリの尾。植物羊バロメッツは茎につながれたまま周囲の草を食べ、届く範囲を食べ尽くすと死んでしまう。海へ移れば、島と見間違えるクラーケンや、軍艦の航海記録にまで登場した巨大海蛇が待っている。

このごちゃまぜ感がいい。サイやセイウチ、オランウータン、コバンザメのような実在動物と、グリフォンやケンタウロスが同じ調子で並ぶため、こちらの常識が何度も揺さぶられる。

いまなら動物園とモンスター図鑑を分けるところを、アシュトンの紙上動物園では同じ檻へ入れてしまう。その雑なようでいて絶妙な並び方から、当時の世界観がそのまま立ち上がってくる。

日本では1992年に博品社から高橋宣勝訳の単行本が出て、2005年にハヤカワ文庫NFへ入り、その後長い品切れ期間を経た。

2026年の新版は装いを改め、山本貴光による約九千字の解説を追加。三十年以上かけて受け継がれてきた本が、ようやくまた手に取れる形へ戻ってきたのだ。

怪物を生んだのは、無知より誠実さだった

『ウィキペディア(Wikipedia)』スキアポデス より引用

この本を読んでいると、昔の人はどうしてこんな話を信じたのか、と笑いたくなる瞬間が何度もある。けれど、ページを重ねるほど、その笑いには別の感情が混じってくる。

アリストテレス、プリニウス、マルコ・ポーロ、エドワード・トプセル。ここに並ぶのは、当時の知識世界を支えた人々だ。

彼らは真剣だった。見たことのない動物を、手持ちの言葉と既知の生きものの部位で説明しようとした。その格闘の末に、人の顔、獅子の胴、サソリの尾が一つの体へ集まり、遠い土地のサイはユニコーンの親類へ近づいていく。

未知を理解するとき、人は知っている形へ分解し、もう一度組み直す。本書に並ぶキメラたちは、その思考の癖を目に見える姿へ変えた存在でもある。

とりわけ面白いのが、近世英国の博物学者トプセルだ。彼は捏造など決してしないと厳粛に誓いながら、実物を見た経験のないスフィンクスやサイを、過去の文献に基づいて堂々と描写する。本人は大真面目。だからこそ、その文章には妙な説得力が宿る。

アシュトンも、彼らを見下ろす位置から眺めない。「この人たちは本当にそう信じていた」という事実を、古い文章と図版の組み合わせでそのまま差し出してくる。ここがこの本の品のよさであり、同時に少し怖いところでもある。

「誰かが見たらしい」

「古い書物に書いてある」

「航海者が語った」

そうした伝聞が引用され、補足され、絵まで与えられると、話は急に現実味を帯びる。

いまのSNSでも、出どころの曖昧な情報が画像や体験談をまとい、いつの間にか確かな話として広がっていく。怪物の姿は変わっても、噂を育てる人々の手つきは驚くほど似ている。

そう考えると、この本の怪物たちは昔の珍しい勘違いとして笑って終われない。

私たちも日々、別の形をした怪物を作っているのかもしれないのだ。

新版で読み直す、知識と想像力の生態系

『奇怪動物百科〔新版〕 (ハヤカワ文庫NF)』より引用

日本語版の読みやすさを支えているのが、英国口承文芸を専門とした高橋宣勝の訳文である。

ギリシア語、ラテン語、中世英語の文献が入り乱れる原著を、格調を保ちながら日本語へ移した仕事は素晴らしい。文章に古めかしい香りがあり、それでいて怪物の姿がきちんと浮かぶ。古書をめくる感触と、文庫を読む気軽さがうまく同居している。

新版に加わった山本貴光の解説「噂話の向こうにあるもの──綺想の動物園の遊び方」も、付録の枠を軽々と越えている。

通常の文庫解説を大きく超える約九千字。アシュトンの編集を「紙上の動物園」と捉え、伝聞が知識へ育っていく過程を、人間そのものの問題として読み解いていく。本編で散々奇妙な動物を眺めたあとに読むと、それまで笑っていた怪物たちが、急にこちら側の生きものへ見えてくる。

この本はモンスター好きのためのネタ帳として抜群に楽しい。ドラゴン、マンティコラ、クラーケン、バジリスク、サラマンダー。小説やゲームでおなじみの名前が、どの古典から来て、どんな姿や性質を与えられていたのかをたどれるからだ。

ただ、読んでいるうちに興味は怪物そのものから、その怪物を信じた人間のほうへ移っていく。百点以上の木版画や銅版画と、古文献の引用がページ上で組み合わさり、一冊そのものが驚異の部屋になっている。

図版は愛嬌があったり、不気味だったり、どう見ても説明と噛み合っていなかったりする。それでも文章と絵が並ぶだけで、こんな生きものが世界のどこかにいたのかもしれないと思えてしまう。書物の力とは、こういうところにあるのだろう。

私はこの本を、昔の誤りを集めた珍品として読むより、人間が世界を理解しようとした記録として読むほうがずっと面白いと思う。観察し、聞き取り、引用し、描き写し、少し勘違いし、さらに話を足す。

その積み重ねが怪物を作り、怪物がまた次の知識を呼ぶ。科学史、民俗学、幻想文学、大衆文化史が、一つの檻の中でごちゃごちゃと動き回っている。

分類し尽くされた世界に慣れた目で読むからこそ、この混沌は新鮮だ。

正しい名前がつく前、正確な標本が届く前、未知の生きものは噂と想像の姿で海を渡った。

『奇怪動物百科〔新版〕』は、その途中経過を丸ごと保存している。

ページを閉じても、片足を傘にするスキアポデスと、僧帽をかぶった海の司教は、まだ紙の檻の奥からこちらを見ている。

次に怪物へ変わるのは、遠い海の生きものか。

それとも、私たちが今日なんとなく信じてしまった噂話だろうか。

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悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

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② 有栖川有栖『月光ゲーム
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⑧ 知念実希人『硝子の塔の殺人
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悠木四季
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