『サプライズ・エンディングス 嘘』- ひっくり返される快感、そして疑うことの楽しさ【読書日記】


ミステリを読んでいて、最後の数行でこちらの頭の中の家具配置が全部変わってしまう瞬間がある。
さっきまでテーブルだと思っていたものが実は扉で、壁だと思っていたものが実は床で、犯人だと思っていた人物が、そもそも別のゲームをしていた。
そういう瞬間に出会うと、とても嬉しくなる。騙されたのに、なぜか腹が立たない。むしろもう一回最初から読ませてくれ、となる。
ジェフリー・ディーヴァーの短編には、その面倒なミステリ好きの脳をきっちり狙い撃ちしてくる楽しさがある。
ディーヴァーといえば、リンカーン・ライム・シリーズやコルター・ショウ・シリーズで知られる大物作家だが、短編になるとまた別の顔を見せる。長編では大がかりな仕掛けを組み上げる職人だとすれば、短編では精密な罠をポケットサイズに折りたたむ奇術師である。
文春文庫から刊行された日本独自短編集『サプライズ・エンディングス 罠』と『サプライズ・エンディングス 嘘』は、その短編作家としてのディーヴァーの魅力を贅沢に味わえる二冊だ。米国では電子書籍などで発表されていた中短編を、日本向けに編み直した短編集という点も面白い。
つまり、ただの寄せ集めではない。日本のディーヴァー好きが何を求めているのかを見越したうえで、驚きの結末という一点に照準を合わせて組まれているのだ。
まさに最高の企画である。こちらが期待しているのは、名探偵のありがたい説教ではない。もちろん地味な心理描写だけでもない。
欲しいのは、最後に足元の床板が抜けるあの感覚である。ディーヴァーはそこを外さない。
『罠』は状況を仕掛け、『嘘』は認識を崩す
二冊を並べてみると、タイトルの違いがかなりはっきり作品の性格を示している。
『罠』は、どちらかといえば物理的、構造的なサスペンスの色が濃い。リンカーン・ライムやアメリア・サックスが登場する作品もあり、事件そのものが一つの装置として組まれている印象がある。
登場人物たちは特定の場所、特定の状況、特定の時間に追い込まれ、そこから抜け出せるのか、あるいはそこで何が起きていたのかを探ることになる。
たとえば『罠』収録の『完全犯罪計画』は、ライム暗殺計画という非常にわかりやすい危機を扱っている。ライムというキャラクターの存在感が大きいぶん、読んでいる側も自然と防御姿勢になる。どこから攻撃が来るのか。何が本当の狙いなのか。そう身構えているうちに、ディーヴァーは別の角度からすっと刃を差し込んでくる。
一方で『嘘』は、もっと心理的で、もっと意地が悪い。こちらが信じた前提そのものが、終盤でひっくり返される。罠が外側から仕掛けられるものだとすれば、嘘は内側に入り込んでくるものだ。気づいたときには、こちらの理解そのものがすでに汚染されている。ミステリとしては実にたちが悪い。もちろん褒めている。
『嘘』に収録された『帰任報告』は、麻薬カルテルの摘発作戦が失敗した理由をめぐる内部調査の物語だ。基本は会話劇に近く、派手なアクションで押す作品ではない。
だが、証言、記憶、立場、言葉の選び方が少しずつ不穏な影を落としていく。誰が本当のことを言っているのか。そもそも、本当のことなど最初から語られているのか。そう考えはじめた時点で、すでにディーヴァーの手の上である。
『ターニングポイント』もいかにもディーヴァーらしい。現場にマトリョーシカを残す殺人鬼という設定からして、すでにプロットの象徴になっている。開けても開けても次が出てくる。
真相に近づいたと思った瞬間、さらに内側の層が現れる。ミステリにおけるマトリョーシカほど信用ならない小物もなかなかない。かわいい顔をしているが、だいたいろくなことをしない。
この作品の面白さは、犯人探しの興奮だけではない。むしろ、こちらが事件を理解したつもりになった瞬間に、その理解がもう一段階ずらされるところにある。
ディーヴァーは、こちらが推理していることを前提にして、さらにその推理の癖まで利用してくる。ミステリ好きの習性を逆手に取るタイプの作家なのだ。
短編だからこそ見える、ディーヴァーの職人芸

『ジェフリー・ディーヴァー 似顔絵』 絵:悠木四季
ディーヴァーの短編を読むと、彼がどれほど結末から逆算して物語を組み立てているかがよくわかる。
短編ミステリでは、長編のように大量の人物や複数の事件を投入することはできない。使える紙幅は限られている。つまり、無駄な描写を置く余裕が少ない。
にもかかわらず、ディーヴァーは短い作品の中に、人物造形、伏線、ミスリード、感情の動き、そして最後の反転まで詰め込んでくる。しかも、ぎゅうぎゅうに押し込んだ感じがしない。ここが最高なのだ。
彼の作品では、何気ない会話や小道具が、あとからまったく違う意味を持ちはじめる。最初に読んだときは普通の説明に見えたものが、最後まで行くと、ああ、ここでそんなことをしていたのか、と急に表情を変える。
これは単なる後出しではない。ちゃんと目の前に出されていたのに、こちらが別の意味で受け取っていただけなのである。この納得できる誤解を作る技術こそ、ディーヴァーの強みだと思う。
雑なツイストは、驚きはあっても納得がない。急に知らない親戚が出てきたり、実は夢でしたと言われたりすると、さすがにちゃぶ台を探したくなる。だがディーヴァーの反転は、基本的に物語の中に根を張っている。騙されたあとに読み返すと、むしろそちらのほうが自然に見えてくる。この再読に耐える感じがいい。
『忘れられし者』では、コルター・ショウが登場する。彼はリンカーン・ライムとはかなり違うタイプの主人公である。ライムが部屋の中から知性を研ぎ澄ませる人物だとすれば、ショウは現場へ入り、身体を使い、経験と確率で世界を読む人物だ。サバイバル術と統計的な判断を組み合わせるその姿勢は、短編になるといっそう輪郭がはっきりする。
ショウに関しては、好みが分かれるのもわかる。ライムのような濃いキャラクターを期待すると、少し距離を感じるかもしれない。だが、彼の面白さは、感情を大きく揺らすタイプではなく、状況を冷徹に測るところにある。
危険な現場で、確率と経験を武器に一歩ずつ進んでいく。そのプロっぽさが、ディーヴァーの短編形式と相性がいい。
日本独自編集という、かなり贅沢な楽しみ
この二冊で見逃せないのは、日本独自短編集として編まれている点である。
ディーヴァーの未訳中短編をまとめ、テーマごとに『罠』と『嘘』へ振り分ける。この編集自体がとてもミステリ的だ。
単に作品を並べただけではなく、読み味の違いが二冊の対比として浮かび上がるようになっている。『罠』では状況がひっくり返り、『嘘』では認識が崩れる。この分け方によって、ディーヴァー短編の技法が見えやすくなっているのだ。
また、池田真紀子氏の翻訳も大きい。ディーヴァーの文章には、捜査や犯罪に関する専門的な情報と、人物同士の軽妙な会話が同居している。硬くしすぎるとテンポが落ちるし、柔らかくしすぎると緊張感が薄れる。そのバランスを保つのはかなり難しいはずだが、この二冊では短編らしい切れ味がきちんと残っている。
一冊約1700円という価格については、文庫としては高めに感じる人もいるかもしれない……というか、高い!そこはまあ、財布が軽く悲鳴をあげる部分である。
だが、日本だけの短編集として未訳作品をまとめて読めることを考えると、ディーヴァー好きにとってはかなり誘惑が大きい。文庫棚に二冊並んでいるだけで、なんとなく悪い罠に自分から近づいている気分になる。危険である。だから買ってしまう。
結局のところ、『サプライズ・エンディングス 罠』と『サプライズ・エンディングス 嘘』は、短編を長編の付属品としてではなく、それ自体が完成されたゲームであることを示す二冊だと思う。
『罠』は、外側から迫る状況のスリルを描く。『嘘』は、内側から認識を揺さぶる。どちらも、最後の一撃を最大限に輝かせるために、前半の配置が緻密に組まれている。
読み進めている間は普通のサスペンスとして楽しめるのに、終盤で突然、今まで読んでいた景色の意味が変わる。これがディーヴァー短編の怖さであり、快感でもある。
ミステリ好きは、驚かされたい。でも、ただ驚かされたいわけではない。驚いたあとに、なるほど、そう来たか、と笑いたいのである。
少し悔しくて、少し楽しくて、すぐに前のページを確認したくなる。そんな読書体験をきっちり堪能させてくれるのが、この二冊だ。
ディーヴァーの長編を追ってきた人には、作家の技巧を凝縮したショーケースとして楽しめる。まだ長編に手を出していない人にも、短編からその悪魔的なサービス精神を知る入口になる。
どちらにせよ油断は禁物である。ディーヴァーの物語では、安心した瞬間がいちばん危ない。
最後の数行で世界の見え方を変えられるあの感じを味わいたいなら、『罠』と『嘘』はかなり頼もしい二冊だ。
騙される準備をして開いたはずなのに、それでもきっちり騙される。
そこがまた、なんとも悔しくて楽しいのである。

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