呉勝浩『爆弾』『法廷占拠 爆弾2』について語る – スズキタゴサクという悪意の正体と、現代ミステリが到達した倫理のサスペンス

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ミステリを読んでいて、「犯人を捕まえれば終わり」と思える物語は、ある意味で安心できる。

謎があり、捜査があり、真相が明かされ、最後に秩序が回復する。こちらは事件の外側に座り、安全な場所からページをめくることができる。

だが、呉勝浩の『爆弾』と、その続編『法廷占拠 爆弾2』は、その安心をあっさり爆破してきた。

物理的な爆弾が出てくる。都市が脅かされる。警察は走る。犯人は笑う。設定だけを見れば、ノンストップの犯罪サスペンスである。

実際、ページをめくる手は止まらない。取調室、東京の街、法廷、人質交渉、ライブ配信。場面は緊迫し、会話は火花を散らし、展開は容赦なく加速していく。そもそも娯楽小説としての馬力が、とんでもない。

しかし、この二作で本当に爆発するのは、ビルや法廷だけではない。人間の倫理である。もっと言えば、「自分はまともな側にいる」と思っているこちらの足場そのものだ。

『爆弾』の中心にいるのは、スズキタゴサクと名乗る、さえない中年男である。酔って自動販売機を蹴り、暴行事件で警察署に連れてこられた男。見た目はみすぼらしく、態度は卑屈で、発言は軽薄。いわゆるカリスマ的な悪役とは真逆の存在だ。

ところがこの男は、口を開けば相手の心の綻びを正確に突いてくる。

そして『法廷占拠 爆弾2』では、そのスズキ事件から一年後、法廷そのものが占拠される。しかも事件の様子はネットで生配信される。

神聖な司法の場が、世界中に開かれた残酷な劇場へ変わるのだ。

目次

取調室の怪物 スズキタゴサクはなぜ怖いのか

呉勝浩『爆弾』

おすすめ度:(5.0)

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『爆弾』の凄みは、取調室という狭い空間から始まるところにある。

スズキタゴサクは、警察に捕まっている。つまり、普通に考えれば弱い立場のはずだ。手錠をかけられ、取調室に座らされ、刑事に囲まれている。

にもかかわらず、場の支配権はじわりとスズキの側へ移っていく。いや、正確に言えば、彼は自分で支配権を奪い取るのではない。相手が勝手に崩れるように仕向けるのだ。

ここが恐ろしい。スズキは、「自分には霊感がある」と言い出し、秋葉原で爆発が起きると予言する。最初は酔っ払いの戯言にしか聞こえない。だが、予告された時刻に本当に爆発が起こる。

そこから物語は一気に爆走する。東京のどこかに次の爆弾がある。警察は走り回る。だが、最大の爆弾は取調室に座っている男の言葉なのだ。

スズキタゴサクという悪役が面白いのは、まったく格好よくないところである。ハンニバル・レクターのような優雅さも無く、知的で美学のある犯罪者でもなければ、闇のカリスマでもない。むしろ、見たくないタイプの醜さを煮詰めたような男だ。卑屈で、下品で、相手の善意を笑い、理想を疑い、正義の言葉をぐちゃぐちゃに汚してくる。

だが、その汚し方が妙に的確なのだ。警察官たちは、市民を守る側の人間である。正しいことを言わなければならない。倫理を語らなければならない。けれど、スズキはその言葉の裏にある保身、優越感、功名心、怒り、差別感情を見逃さない。「あなたも本当はそう思っているんじゃないですか」と、にやにやしながら突きつけてくる。

これが本当に嫌な感じなのである。こちらも読んでいて、そんな屁理屈に乗るな、と思う。思うのだが、完全に切り捨てることもできない。なぜならスズキの言葉は、正論ではないのに、こちらの心のどこかにある濁った部分を引っかけてくるからだ。

呉勝浩の書く悪は、外側からやってくる怪物ではない。人間の内側にすでにあるものを、最悪の形で鏡に映してくる。だから怖い。スズキは爆弾魔である以前に、人間観察の化け物である。相手を殺す前に、相手の「自分はまともだ」という感覚を破壊してくる。

しかも、『爆弾』はそれを重苦しいだけの社会派小説にはしない。爆弾の場所をめぐる謎、警察内部の連携、タイムリミット、複数視点による緊張感。エンタメとしての針の振り切れ方がすさまじい。

読む側は「倫理がどうこう」と考えながら、同時に次の爆弾はどこだと前のめりになる。高尚なテーマと娯楽の推進力が、同じ導火線でつながっている。ここが呉勝浩作品らしい、恐ろしいところだ。

法廷が劇場になる 『法廷占拠 爆弾2』が広げた悪意の射程

呉勝浩『法廷占拠 爆弾2』

おすすめ度:(5.0)

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続編『法廷占拠 爆弾2』は、前作の単なる二番煎じではない。

『爆弾』が取調室という密室から東京全体へ悪意を広げた物語だとすれば、『法廷占拠』はその悪意を、ネット配信によって社会全体へばらまく物語である。

舞台は東京地方裁判所。スズキ事件から一年後、スズキタゴサクの公判が行われている法廷で、若者・柴咲奏多が拳銃を手に立ち上がる。法廷は占拠され、人質が取られ、犯人は死刑囚の刑執行を要求する。そして、そのすべてがライブ配信される。

この設定があまりにも現代的で、嫌な汗が出る。法廷とは本来、秩序の場である。罪を裁き、法に基づいて判断を下す場所だ。そこが一瞬で暴力の舞台に変わる。

しかも、閉じた空間でありながら、ネットを通じて全世界に開かれている。人質の恐怖、警察の交渉、犯人の言葉、被害者遺族の感情、スズキの存在。そのすべてが、画面の向こうで消費される。

ここで描かれるのは、事件そのものだけではない。事件を見る側の欲望である。

人が死ぬかもしれない。誰かが叫んでいる。警察が追い詰められている。犯人は何を言うのか。人質は助かるのか。そんな極限状況が、動画として視聴され、コメントされ、拡散される。作中の人々は恐怖しながらも、どこかでその劇場性に引き寄せられていく。

これはフィクションの中だけの話ではない。現実の私たちも、災害、事件、炎上、誰かの破滅を画面越しに見てしまう。見てはいけないと思いながら、目が離せなくなる。『法廷占拠』は、その視線の欲望を逃がさない。

そして、新たな占拠犯である柴咲奏多がまた苦しい。彼は前作のスズキとは違う。スズキがどこか得体の知れない悪の塊だとすれば、柴咲は社会の側から追い詰められた青年である。

父を失い、借金や労働環境に押し潰され、未来を削られた存在。彼のやっていることは犯罪であり、許されない。だが、その背景にある絶望を、簡単に狂っていると片づけることもできない。このバランスが苦すぎるのだ。

呉勝浩は、犯罪者を免罪しない。しかし、犯罪者が生まれる土壌からも目をそらさない。悪は個人の中にある。だが、個人だけに押しつけて終わらせるには、社会の仕組みがあまりに冷たい。柴咲奏多は、その冷たさに焼かれた人間なのだ。

しかも、法廷内にはスズキタゴサクがいる。これがもう嫌な意味で豪華すぎる。警察、占拠犯、スズキ。三者の思惑がぶつかり、言葉がぶつかり、命が賭け金になる。

前作で取調室の中心にいたスズキが、今度は人質の一人として法廷にいる。だが、彼がただ怯えて座っているわけがない。状況そのものを餌にして、また他人の心をかき回してくる。

なんという迷惑な男だろう。ミステリの悪役としては最高なのだが、同じ空間に一秒でもいたくない。

それでも踏みとどまる人たちと、呉勝浩が描く倫理のぎりぎり

絵:悠木四季

この二作を読んでいて私がたまらなく惹かれるのは、悪の迫力そのものよりも、悪に揺さぶられながら踏みとどまろうとする人たちの姿である。

スズキタゴサクの言葉は、人を壊す。警察官たちの怒りや未熟さや弱さを引きずり出す。倖田沙良、伊勢勇気、類家、高東、猿橋、矢吹。それぞれが傷を負い、それぞれが判断を迫られる。

彼らは完璧な正義の人ではない。怒るし、迷うし、失敗するし、時にはスズキの言葉に足を取られる。

私はそこがいいと思うのだ。完全無欠のヒーローが悪を打ち倒す話なら、こちらはもっと楽に読める。だが呉勝浩は、そんな快適な椅子を用意してくれない。

警察官も人間である。疲れる。怖い。腹も立つ。功名心もある。誰かを見下す瞬間もある。それでも、彼らは踏みとどまろうとする。ここに、このシリーズの倫理がある。

倫理とは、得をするためのものではない。むしろ、倫理を守ることで損をする場面はいくらでもある。怒りに任せて殴った方が楽なときもある。見捨てた方が早いときもある。誰かを犠牲にすれば、多数を救えるように見えるときもある。だが、それをやった瞬間、人として何かが壊れる。

『爆弾』と『法廷占拠』は、そのぎりぎりの線を何度も描く。スズキは「どうせ人間なんて汚い」と笑う。柴咲は「社会は弱者を救わない」と突きつける。どちらの言葉にも、完全には否定しきれない毒がある。だからこそ、それに対する答えは美しい正論では足りない。

必要なのは、きれいな言葉ではなく、行動なのだ。

人質を救う。爆弾を探す。交渉を続ける。傷ついても立ち上がる。恐怖で足がすくんでも、前に出る。呉勝浩の登場人物たちは、立派な演説で悪に勝つわけではない。ぼろぼろになりながら、それでも最後の線を越えないようにする。その泥臭さが胸に刺さるのだ。

特に『法廷占拠』では、前作の事件が終わった後も、人々の傷が消えていないことが印象的だ。事件は解決しても、関わった人間の人生は元には戻らない。

失われた身体、消えない後悔、折れかけた誇り、再びスズキと向き合わされる苦痛。続編としてここまで残酷に「その後」を描くのは、なかなか容赦がない。

だが、その容赦のなさが、シリーズを単なるサスペンス以上のものにしている。

『爆弾』は、言葉が人を破壊する物語だ。

『法廷占拠』は、その破壊が社会の中でどう増幅され、別の絶望を生むのかを描く物語だ。

二作を並べて読むと、スズキタゴサクという一人の悪が、事件を越えて社会のあちこちに亀裂を入れていく様子が見えてくる。

しかも恐ろしいのは、その亀裂が完全にフィクションのものとは思えないことだ。ネット上の冷笑、弱者への自己責任論、炎上を娯楽にする空気、正義の言葉の裏にある攻撃性。そういうものが、スズキの言葉や柴咲の犯行の背後に透けている。

だからこの二作は、ただ「面白かった」で終われない。もちろん面白い。めちゃくちゃ面白い。サスペンスとしても、警察小説としても、心理戦としても、犯罪小説としても、読み応えは凄まじい。だが、それ以上に、こちらの内側に小さな破片を残していく。

自分はスズキの言葉に絶対に乗らないと言えるのか。

柴咲のような人間を、画面の向こうの出来事として消費していないか。

誰かが踏みとどまろうとしているとき、その努力を笑っていないか。

読後に胸の奥へ残るのは、そんなざらついた感触である。

呉勝浩は、事件の謎を解くだけでは満足しない作家だ。人間の中にある悪意、弱さ、保身、怒り、それでもなお倫理へ手を伸ばす瞬間までを書こうとする。

『爆弾』と『法廷占拠 爆弾2』は、その試みがもっとも鋭く、もっともエンタメとして炸裂した傑作だと思う。

ページをめくる間、こちらは爆弾処理班のような気分になる。

次に爆発するのはどこか。誰の心か。あるいは、自分の中の何かなのか。

呉勝浩の爆弾は、紙の上で爆発する。

そしてその爆風は、読み終えた私たちの倫理まで、しっかり焦がしていくのである。

Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

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