湊かなえ『王国』- 珊瑚の女王と、秘密を抱えた九人の騎士について【読書日記】

「珊瑚の女王を殺したのは誰なんだ? 9人全員何かを隠している」
海面に浮かぶ遺体。幼い頃から信じてきた海底の城。珊瑚の女王と、城を守る九人の騎士。
湊かなえ『王国』は、この美しいおとぎ話を、ひとりの青年の死によって一気に現実へ引きずり出す。
2026年7月23日刊行、作家生活30作目となる節目の長編である。『anan』での連載を経て生まれた本作は、これまで湊かなえが描いてきた人間の悪意や復讐とは少し違う場所へ向かう。
彼らの嘘の出発点にあるのは悪意より、守りたいという気持ちだ。
だから黙り、庇うために事実を曲げる。その善意が、いちばん厄介な形で絡まり合ってしまう。
珊瑚の女王と九人の騎士
朔也と弟の元樹は、幼い頃を南太平洋の島国で過ごした。
海を守る仕事に就く父と、病を抱えた母。両親は兄弟に、海の底には城があり、珊瑚の女王と九人の騎士が美しい海を守っているのだと語って聞かせる。
父は騎士を演じ、母は女王になった。家族だけの小さな戯曲であり、兄弟にとっては海そのものを信じるための物語だった。
やがて母は亡くなり、白珠湾に散骨される。父も海洋調査の最中に行方不明となった。朔也は両親が残した夢を引き継ぐように海洋学を学び、旅行会社で経験を積み、故郷にウェルネス・ツーリズム会社「海の王国」を立ち上げる。
海の美しさを知ってもらい、その体験を保全へつなげる。幼い日の芝居が、事業として輪郭を持ちはじめるのだ。
夢を追う青年の物語としてまっすぐなのに、朔也の死から眺めると、あらゆる思い出が証拠のように見えてくる。
母を象徴する珊瑚の女王とは誰なのか。九人の騎士は本当に城を守っていたのか。そもそも、守られていたのは海なのか、人なのか。
朔也の周囲には、弟の元樹、幼なじみの潮見翔、海上保安官の杉浦航生、東京へ出た凪真、民宿を継ぐ洲原壮一、映像制作者の水元亮司、素材研究者の島田淳、大学院生の海野健斗らが集まっている。
職業も性格も、海との距離も違う。それでも朔也の夢を中心に、彼らはひとつの円を描いていた。
九人もの男性が登場するものの、それぞれの役割が海と直結しているので意外と迷わない。船を動かす者、法を守る者、映像を撮る者、素材を開発する者、土地の暮らしを支える者。
海の王国が一人の理想だけで完成しないことを、人物配置そのものが示している。『anan』連載らしく、頭の中で俳優やアイドルを当てはめてみる楽しさもある。
『ビーチボーイズ』的な海辺の男たちのきらめきを思わせつつ、実際に描かれるのはもっと不器用で、秘密の多い友情だ。
「守る」が相手を遠ざける
本作で面白いのは、「守る」という言葉が少しずつ怖くなっていくところである。
誰かを傷つけたくない。大切な人の未来を壊したくない。自分が罪を被れば済む。真実を知らないほうが幸せだ。
どれも優しさから始まった判断であり、露骨な悪意は見当たらない。ところが、相手のために抱え込んだ秘密が、次の人の沈黙を生み、別の誰かの後悔へつながっていく。
守る側に立った瞬間、人は知らず知らず相手を守られる存在にしてしまう。本人なら真実を受け止められたかもしれない。自分で選び直す力もあったはずだ。それでも周囲は、あの人のためだからと口を閉ざす。優しさの顔をした不信。ここを湊かなえは容赦なく掘ってくる。
今までの湊かなえのイヤミスで描かれてきたのは、嫉妬や復讐、エゴイズムが人を追い詰める怖さだった。この『王国』では、善人たちの配慮が事故のように連鎖する。
誰か一人を悪者にして終われないため、感情の置き場が簡単には決まらない。怒りたいのに、その人が黙った理由もわかる。責めたいのに、自分も同じ選択をしたかもしれない。そうやって、事件の輪郭が人間関係の内側から浮かび上がってくる。
章ごとに視点が切り替わる構成も、このテーマとよく噛み合っている。それぞれが「あの時こうしていれば」と過去を見返し、自分だけが知っている事実を差し出す。九人分の後悔が重なって、ようやく全体が見えてくる仕組みだ。
そのため、謎解きの快感は犯人当ての一点に集中しない。誰が何を隠したのか。誰を守ろうとしたのか。その選択が、別の人にはどう見えていたのか。秘密が開かれるたび、過去の場面の意味が少しずつ変わる。人間関係そのものを解いていく感覚があり、私はそこに強く惹かれた。
帯では「究極のブロマンス・ミステリ」とうたわれている。ただ、読んだ印象は、特定の二人に絞った濃密なブロマンスというより、朔也と婚約者・汐音を中心に広がる青春群像劇に近い。
汐音は珊瑚の女王の象徴であり、九人の男性たちから特別な存在として見つめられている。友情、恋情、尊敬、罪悪感。
感情の種類が多いからこそ、単純な男性同士の絆という枠には収まりきらない。その広がりこそ、本作の持ち味だと思う。
海を守る夢は誰のものか
『王国』の海は、ただきれいな背景として置かれていない。
死んだウミガメの胃から出てくるプラスチックごみ、海中で無害な粒子へ分解されるダイビング機材の研究、深い呼吸をメンタルケアへつなげるウェルネス・ツーリズム。環境保全、地域振興、科学技術が、朔也たちの仕事や夢として物語へ溶け込んでいる。
ここで説教臭くならないのは、海を守る第一歩を「海の美しさを知ること」に置いているからだ。汚染の現実だけを示しても、人の心は簡単には動かない。
潜って、魚を見て、光の揺れを感じる。楽しいと思った場所だから、失いたくないと願える。洲原の「『楽しい』は生きる力になる」という考え方が、物語全体の明るさを支えている。
マンボウのカレーも印象的だった。かわいそうだから食べない、という単純な話にせず、命をいただく土地の文化と感謝へ目を向ける。海洋保護をきれいなスローガンにせず、そこで暮らす人の仕事や食卓まで含めて考える姿勢がある。この具体性が、白珠湾を観光パンフレットのような理想郷で終わらせない。
湊かなえ自身が青年海外協力隊員としてトンガで暮らし、これまでも海を重要なモチーフとして描いてきたことを思うと、『王国』は作家30作目にふさわしい節目の物語だと感じる。
『告白』以来の鋭さは、今回もちゃんとある。ただし、その刃先は人間の悪意より、善意の中に混ざる傲慢さや弱さへ向けられている。
読後を照らすのは、九人が自分の過ちを認め、隠していた事実を言葉にし、もう一度関係を作り直そうとする姿である。その労力をきちんと描いた先に、ようやく光が差す。
終幕の「あとがき、もしくは、序章」という題も好きである。事件が終わったあとを語りながら、同時にこれから始まる海の王国を示す。過去を閉じる文章が、未来の入口にもなっているわけだ。
海底の城も、珊瑚の女王も、九人の騎士も、家族が語ったおとぎ話から生まれた。
それでも朔也たちは、その物語を仕事に変え、友情に変え、海を守る仕組みにしようとした。
白珠湾の底で揺れる光の向こうには、秘密を抱えた九人がこれから築き直す城が見えている。


