2026年10月に読んで特に面白かった本26冊- 森バジル『探偵小石は戻らない』ほか

悠木四季毎月恒例、2026年10月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った26冊の記録である。
1.森バジル『探偵小石は戻らない』
──殺人容疑をかけられた名探偵の事件と相棒との関係を、時間をさかのぼって解き明かす逆行型ミステリ。
2.潮谷験『ふしぎな凶器博物館』
──投石器やメロンパンなど奇妙な凶器が選ばれた理由から、殺人の真相に迫る連作ミステリ。
3.九能式尚『名探偵の君へ』
──耳の聞こえない女子大学生探偵が、音と催眠を利用した孤島の連続殺人に挑む本格ミステリ。
4.有栖川有栖『折れた岬』
──9年前に失踪した覆面作家の謎を追い、定年後の人生を見つめ直す元編集者の長編ミステリ。
5.今村昌弘『0秒前の彼女』
──死んだ恋人からの救難信号を追い、元公安捜査官が1年前の爆破テロの真相に迫る逃亡サスペンス。
6.櫛木理宇『VS.シャングリラ』
──暴徒に包囲された女性支援施設で殺人が発生し、元人気俳優が仲間とともに生き残りを図る籠城スリラー。
7.桃野雑派『水没レストランの一夜』
──迫りくる濁流と姿なき殺人犯。地下金庫に閉じ込められた人々の決死の一夜を描くミステリ。
8.諏訪部浩一『チャンドラー講義』
──名探偵マーロウの孤独や独特の名文句を、作家の人生とアメリカ社会の歴史から解き明かす文学評論。
9.大島清昭『最凶の心霊実験』
──32年前の降霊実験で学生10人が怪死した大学を舞台に、恐怖の七不思議を追う心霊ホラーミステリ。
10.箕輪尊文『弾丸とヒマワリ』
──女子高生射殺事件をきっかけに、遠い紛争地で放たれた銃弾と元自衛官たちの消えない傷が交錯する社会派ミステリ。
11.蜂巣敦『「八つ墓村」は実在する』
──津山三十人殺しの現場や岡山の山村を歩き、横溝正史が描いた恐怖の原点を探る実録探訪記。
12.水沢文尾『初髪下ろし』
──死者が赤子へ戻る奇妙な風習が残る山村で、葬送儀礼を任された美大生が怪異と村の秘密に挑む因習ホラー。
13.遠坂八重『呪祖の島』
──高校2年生を必ず10人に保つ孤島で、過去の大量殺人と姉弟を縛る呪いの謎に迫るホラー。
14.相羽廻緒『祝福の鎮魂歌』
──天才ピアニストの死をめぐる嫉妬と執着が、20年の時を経て新たな殺人を呼ぶ音楽ミステリ。
15.月村了衛『腐魚の海』
──妻と義父の不審な死を追う男が、凄腕の北朝鮮工作員とともに港町を支配する金と暴力の闇に挑む社会派サスペンス。
16.澤村伊智『靴と自転車』
──青い子供靴や見えない霧など、身近な怪異を通して人間の罪悪感と身勝手さをあぶり出すホラー短編集。
17.宮島未奈『ギャルにひかれて寺マルシェ』
──金髪ギャル僧侶と再会した幼馴染たちが、寺での騒動を通じて30歳の迷える人生に向き合う青春小説。
18.ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのは誰か』
──クリスティーの歴史的名作に異議を唱え、名探偵ポアロの推理を覆す驚きの新犯人説に挑む文学評論。
19.ジェラルド・カーシュ『廃墟の歌声』
──不死身の兵士や奇妙な幽霊、怪しげな冒険譚を通じて、人間の愚かさと哀しさを描く奇想短編集。
20.ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ 新版』
──翼を持つ老人や美しい水死人、祖母に虐げられる少女を通じて、人間の欲望と残酷さを描く幻想短編集。
21.H・P・ラヴクラフト『未知なるカダスを夢に求めて』
──夢の中の美しい都市を求め、怪物や神々が潜む異界を旅する幻想冒険譚を中心としたラヴクラフト短編集。
22.ローラン・ビネ『遠近法』
──ルネサンス期の巨匠殺害と謎の猥褻画をめぐり、芸術家や権力者たちの手紙から事件の真相を探る歴史ミステリ。
23.マイク・オマー『人質交渉人』
──払えるはずのない500万ドルを要求する誘拐犯と、封印されたカルト教団の過去に挑む人質交渉サスペンス。
24.ダニエル・クラウス『クジラに落ちた男』
──クジラの胃袋に閉じ込められた少年が、憎んだ父の教えを武器に生還を目指す極限の海洋サバイバル。
25.シャーロット ・マコーナギー『野生の暗き岸辺』
──海に沈みゆく孤島へ流れ着いた謎の女性が、残された家族の秘密と喪失の記憶を揺さぶる文芸ミステリ。
26.D・V・ビショップ『フィレンツェに悪魔が彷徨う』
──ルネサンス期のフィレンツェで、秘密を抱えた捜査官が残虐な連続殺人と宗教権力の腐敗に挑む歴史ミステリ。
1.森バジル『探偵小石は戻らない』
名探偵だった小石が、殺人犯として追い詰められる
連続毒殺事件の現場で蓮杖が目にしたのは、犯人として糾弾される小石の姿だった。
証拠は彼女を指している。名探偵に憧れ続けてきた人間が、いま殺人犯として追い詰められているのだ。
森バジル『探偵小石は戻らない』は、この場面から幕を開ける。
福岡で小石探偵事務所を営む小石は、生粋のミステリオタクである。華麗な論理で難事件を解く探偵を夢見ながら、舞い込むのは浮気や不倫の依頼ばかり。
しかも他人の感情や色恋の気配だけは、異様なほど敏感に察してしまう。奇行の多い彼女を冷静に止め、現場仕事も引き受ける調査員の蓮杖とは、近いようで決定的には近づかない距離感を保ってきた。前作から続く、あの二人の間合いである。
なぜこんな場所へ辿り着いたのか。
物語はそこから、現在に至る出来事を過去へとたどり直していく。
結末を先に知ると、何気ない過去まで別の顔を見せる
先に追い詰められた小石を見ているので、そのあとに読む会話や行動には、最初から別種の緊張がまとわりつく。何気ない一言も、誰かへの態度も、蓮杖とのやり取りも、流して通れない。
時間をさかのぼるほど、すでに見た出来事の意味は塗り替えられる。結果から原因へ向かう読み方は、一般的な回想とはまるで違い、あの場面はなぜああなったのか、誰が何を考えていたのかを後ろ向きに掘り下げる感覚に近い。
戻るたびに以前は欠けていた情報が姿を現し、こちらが無意識に補っていた前提まで崩れていく。何が書かれ、何が伏せられていたのか。そこまで気になってくる構造なのだ。
二人の関係も、この進み方によく合う。最初に見るのは、すでに大きく揺らいだ姿。そのあとで、まだ穏やかだった頃の会話に触れることになり、何でもないやり取りにまで寂しさが混じる。
本書は事件のロジックに加えて、小石の本格ミステリへの憧れにも手を伸ばす。彼女が愛したのは、整然とした謎と美しい解決のある世界。現実の探偵仕事で向き合うのは、不倫、執着、嫉妬、裏切りといった泥臭い感情ばかりだ。
人が死ぬ物語を娯楽として楽しめるのはフィクションだからこそで、現実では人が傷つき、関係が壊れ、人生まで変わってしまう。今回の事件は、その境目の真上に立っている。
題名の『探偵小石は戻らない』も、ページを重ねるほど意味を増す。物語は過去へ向かうのに、気持ちまで同じ場所へ戻れるとは限らない。
起きた事件も、一度変わった関係も、巻き戻せはしない。
過去へ向かって進む物語の中で、いちばん先へ進んでしまったのは、小石と蓮杖の関係だった。
そう気づいた瞬間、この題名に込められた寂しさが一段深くなる。
悠木四季この『探偵小石は戻らない』の前に、前作の『探偵小石は恋しない』は絶対に読んでおこう。これはもう絶対だ。面白さがまるで違ってきてしまうので。
2.潮谷験『ふしぎな凶器博物館』
投石器、ブラジャー、メロンパン。どうしてそれで人を殺したのか
人里離れた場所に建つ、奇妙な凶器博物館。
展示されているのは歴史的な武器や拷問具ではなく、実際の殺人事件で使われた珍しい凶器ばかりである。
館長の千手は、派手で軽そうな青年だ。そして事件の概要と証言を聞くだけで全貌を見抜く安楽椅子探偵でもあり、警察は難事件のたびに秘密裏に協力を頼んでいる。
ただし、千手が求める報酬は少し変わっている。事件解決後、犯行に使われた凶器を博物館へ寄贈すること。それが唯一の条件だ。
持ち込まれる事件も、とにかく変わっている。採石場で巨大な投石器によって殺された男性、自分のブラジャーで絞殺された女性、さらにはメロンパンまで凶器として登場する。
包丁でも毒でも済みそうなのに、なぜそんな道具を選んだのか。千手は犯人探しの前に、その不自然な選択へ目を向ける。
変な凶器を笑っていたら、いつの間にか事件の核心にいる
投石器で人を殺す。ブラジャーで首を絞める。メロンパンまで殺人へ使われる。
題材だけ見ればかなりふざけているのに、読み進めると笑ってばかりもいられない。
大事なのは、なぜその道具を使う必要があったのか、である。
投石器なら大きさも重さもある。準備にも手間がかかり、場所まで選ぶ。ブラジャーなら衣類としての形や素材があり、メロンパンにも食品だからこその性質がある。普通なら犯行の邪魔になりそうな特徴が、事件の条件と噛み合った瞬間、急に意味を持ち始めるのである。
そこが気持ちいいところだ。最初は犯人の悪趣味にしか見えなかった凶器が、実はその場で必要だった選択だと分かる。奇抜さと論理が一本につながったとき、道具の見え方まで変わるのだ。
しかも凶器を調べるほど、犯人の事情まで透けて見える。何を隠したかったのか。どんな制約があったのか。なぜもっと簡単な方法を選べなかったのか。人間が口を閉ざしていても、使われた物には判断の跡が刻まれている。
千手が現場へ飛び回らず、阿多と白崎から話を聞きながら答えを組み立てるのも、この連作ならではの味だ。刑事二人が持ち帰った事実を、博物館で千手が一つずつ並べ替える。派手な追跡劇より、会話の中で凶器の意味が変わっていく時間のほうが中心なのもいい。
凶器だけを眺めれば珍品だ。だが事件を知れば、その形には理由があり、重さには事情があり、選ばれ方には人間の感情が刻まれている。
『ふしぎな凶器博物館』の展示棚に並んでいるのは、道具より先に、殺人へ辿り着いた人間たちの選択なのだ。
悠木四季投石器やメロンパンを凶器に使った理由を知ると急に笑えなくなる。凶器の変さと人間の事情がきっちり結びつくのが良い。
3.九能式尚『名探偵の君へ』
音の聞こえない名探偵が、音を使った殺人へ挑む
かつて数々の難事件を解決した伝説的な名探偵・斑猫雪羽。
その娘である斑猫キリカもまた、鋭い観察眼と推理力を備えている。ただし彼女は重い聴覚障害を抱え、音のない世界で暮らしていた。
そんなキリカを支えるのが、ミステリ作家を志す青年・岩崎理人だ。会話の補助から現場でのやり取りまで担い、探偵と助手のような関係で彼女と行動を共にしている。
二人が招かれたのは、日本海に浮かぶ孤島の洋館・月形邸。そこで行われるのは、特定の旋律や音響刺激を使った催眠実験だった。ところが天候が崩れ、本土との連絡は断絶。教授が姿を消し、やがて館内で死者まで出る。
しかも館には、音を合図として人間を眠らせる催眠暗示が潜んでいた。キリカにはその音が聞こえない。それは大きな不利である一方、他の人間とはまったく違う位置から事件を見ることにもつながっていく。
聞こえないことが、武器にも死角にもなる
ここで大事なのは、キリカの聴覚障害が便利な能力へ置き換えられていない点だ。音が聞こえない代わりに超人的な感覚が備わる、そんな分かりやすい補償は用意されていない。
読唇には相手の口元を見続ける集中力が必要で、複数人が同時に話せば会話から取り残される。背後から呼ばれても気づけず、情報を得るにも理人の助けが要る。名探偵であっても、できないことははっきり存在するのが面白い。
その不自由さが、孤島の館で一気にサスペンスへ変わる。音を利用した催眠が事件へ関わる以上、他の人物には聞こえるものがキリカには届かない。
罠を避けやすい場面がある一方で、重要な会話や物音を取りこぼす危険もつきまとう。優位と不利が同じ条件から生まれるため、聴覚障害がキャラクター設定だけで終わらず、事件の論理へ深く入り込んでいるのもうまい。
読唇術も同じだ。正面から口元を確認できれば情報を得られるが、顔を背けられれば途端に世界が閉ざされる。聞こえる人間なら無意識に拾える声や音を、キリカは一つずつ別の方法で補わなければならない。その積み重ねが、推理する行為そのものへ緊張を与えている。
一方で、音が聞こえないからこそ見える矛盾もある。誰かが当然のように音へ反応した場面、逆に反応しなかった場面。普通なら意識にも上らない音の存在が、キリカを通すと急に輪郭を持つ。耳で受け取れない情報を、視線や行動から拾い直すわけだ。
そして本書は、名探偵という存在そのものへも踏み込む。キリカの父・雪羽は伝説的な名探偵だった。その血を引く娘もまた、周囲から特別な役割を期待される。だが、事件を解ける頭脳があるからといって、孤独や疎外まで消えるわけではない。
ここにドルリー・レーンへの敬意も重なる。耳の聞こえない名探偵を受け継ぎながら、現代の当事者性を通して改めて描き直す。憧れの探偵像をなぞるだけでなく、名探偵として生きることの重さまで正面から扱っているのがいい。
約600ページの中には、孤島の殺人、催眠実験、過去の因縁、キリカと理人の関係までたっぷり詰め込まれている。
それぞれを積み重ねた先で、話は犯人当てを越え、探偵が誰のために存在するのか、その根本まで踏み込む。
音のない世界で事件を見つめるキリカは、聞こえないことで孤立し、同時に誰より近く人の痛みへ触れていく。
最後に彼女へ向けられる言葉には、名探偵への称賛以上に、彼女が歩いてきた時間そのものへの応答がある。
悠木四季音が聞こえないから助かる場面もあれば、聞こえないから届かない真実もある。その両方を背負って推理するキリカが、ただただ格好いいのだ。
4.有栖川有栖『折れた岬』
9年前に消えた作家の家で、第二の人生が始まる
定年を迎えた元文芸編集者・滝原文典が、新しい暮らしの場所に選んだのは南伊豆の町・風伏。海を見下ろす高台の木造ロッジである。
ただ、この家には忘れられない過去があった。9年前、覆面作家・苅田琉介がここから忽然と姿を消している。滝原が才能を見出し、デビューから支えてきた作家だった。
事故なのか、自ら姿を消したのか、それとも誰かが関わったのか。何ひとつ分からないまま、時間だけが過ぎていた。
仕事に追われていた頃には追い切れなかった謎も、定年を迎えれば話が変わる。しかも今、自分が暮らしているのは苅田が最後にいた家だ。滝原は町の食堂や喫茶店を訪ね、当時を知る人から話を聞き、古い原稿や記録へ目を通していく。
そうして9年前の一日、一週間、一年を少しずつ掘り起こしていくうち、担当編集者だった自分さえ知らなかった苅田の顔が見え始める。
人を探していたはずなのに、自分の人生まで掘り返してしまう
この物語で面白いのは、死体が転がらないことだ。
追いかけるのは殺人犯でも凶器でもなく、一人の男が消えた理由。残された原稿、町の人の記憶、何気ない会話、昔の出来事。派手な材料がないぶん、ひとつの言葉が急に意味を持ったり、昔聞き流した話が別の角度から立ち上がったりする。
そして何より、滝原が名探偵らしくない。長年の編集経験はある。文章を読む目も、人を見る勘もある。それでも彼は、すべてを一瞬で見抜く天才ではない。聞き込みに出かけ、昔の記録を読み返し、考え、迷い、ときには自分の記憶まで疑う。その歩き方が、南伊豆の町によく似合う。
有栖川有栖は本作を「白秋小説」と呼んでいる。青春の真逆にある季節。若さを失う寂しさだけを描くのではなく、人生の後半にも選び直せる道がある。その感覚が、この長い物語の底に流れている。
しかも、編集者と作家の関係が軸にあるため、本を作る側の感情までじっくり見えてくる。才能を見つけた喜び、世へ送り出した誇り、もっと何かできたはずだという悔い。担当作家が消えた事実は、滝原にとって未解決事件であると同時に、自分の職業人生へ開いた穴でもある。
だから彼は9年も経ってから、わざわざその家へ住む。普通なら遠ざけたくなる場所へ、自分から足を踏み入れるのだ。真相を知りたい気持ちに加え、かつての自分へもう一度向き合いたい思いまで重なっているように見える。
苅田琉介がなぜ消えたのかを追う物語でありながら、気になってくるのは滝原がこれからどこへ向かうのかだ。
その二つが重なったところに、この長編の味がある。
悠木四季火村英生も江神二郎も登場しないけれど、元編集者が主人公なのがいい。本を愛する人の人生が描かれていてすごく好きだ。
5.今村昌弘『0秒前の彼女』
死んだ恋人から、突然電話がかかってくる
元公安捜査官・津倉勇一は、海外で身を隠して暮らしている。
1年前に起きた爆破テロで重傷を負い、恋人の沙奈を失ったうえ、自分まで事件への関与を疑われ、日本を離れるしかなかった。
そんな津倉の携帯へ、ありえない電話が入る。助けを求める声の主は、死んだはずの沙奈だった。
生きていたのか。誰かが声を使って津倉を誘い出そうとしているのか。疑えば疑うほど危険なのに、確かめずにはいられない。津倉は日本へ戻る決断をする。
ところが帰国直後から、新たな事件へ巻き込まれ、今度は完全な指名手配犯となる。追ってくる警察、正体の見えない協力者、1年前の爆破テロ。
そして電話の向こうにいる沙奈。逃げながら調べるしかない状況へ、一気に放り込まれる。
走って逃げながら、恋人の言葉まで疑わなければならない
『屍人荘の殺人』以来、特殊な状況と論理を組み合わせてきた今村昌弘だが、今回はゾンビも予知能力も出てこない。
舞台は現代日本。武器になるのは、津倉の公安経験と、目の前に置かれた情報だけだ。
そのぶん、死んだ沙奈から電話が来た一点がとにかく大きい。生存していたなら、なぜ1年間も連絡できなかったのか。亡くなっているなら、電話の声は誰なのか。そしてそもそも、沙奈はなぜ爆破現場にいたのか。最初の謎を追うだけで、過去の事件まで次々と掘り返される。
しかも津倉には、腰を据えて考える時間がない。自分を追う側は警察組織であり、監視や捜査の手も知り尽くしている。逃げ切るには、かつて自分がいた世界の論理を逆側から利用する必要がある。元公安捜査官が公安から逃げる、この関係だけでも緊張感は十分だ。
さらに巻頭には、わずか3行の短い序が置かれている。そこで示されるのは、彼女の言葉を思い出せ、の一文。つまり会話まで油断できない。
沙奈が何を言ったのか。どんな言葉を選んだのか。何を口にしなかったのか。逃亡劇の速度に乗って読んでいると通り過ぎそうな台詞が、あとから急に意味を持つ。アクションの最中にも、細部を拾う今村昌弘らしさがちゃんとある。
津倉を追う警察側の視点が入るのもいい。主人公と一緒に逃げているだけなら、背後の包囲網は見えない。ところが追跡側へ場面が移ると、どのルートが塞がれ、どこまで正体が割れているのかが先に分かる。本人だけが危険を知らずに走っている場面ほど、こちらは落ち着かない。
沙奈の存在も、死んだ恋人を取り戻すための目的だけで収まらない。出生や血縁、1年前の事件との関係がほどけるにつれ、津倉が知っていた彼女の姿まで揺らぎ始める。助けを求める声を信じたい気持ちと、捜査官として疑わなければならない理性。その二つがずっと衝突しているのだ。
つまりこれは、冤罪を晴らす逃亡劇であると同時に、愛した相手をどこまで信じられるかの物語でもある。
警察から逃げるだけなら、捕まるか逃げ切るかで決着する。けれど津倉が本当に知りたいのは、自分を陥れた人間の名前だけでは足りない。
1年前、沙奈はなぜあそこにいたのか。そして今、電話をかけてきた彼女は誰なのか。
走り続けた先で待っているのは、逃亡の終点より先に、沙奈を信じていた自分自身への答えだ。
悠木四季『屍人荘の殺人』とはまったく異なる方向性なのに、今村昌弘らしい謎解きがしっかり楽しめるのが嬉しい。
6.櫛木理宇『VS.シャングリラ』
無敵のヒロインを演じた少女は、現実の自分を好きになれなかった
宮原鞆子は、十代の頃にサバイバルドラマ『シャングリラ』で主演を務め、どんな窮地でも折れないヒロインとして国民的な人気を得た。
だが私生活では母親から細かく支配され、世間からも清純でタフな理想像を押しつけられる。画面の中の自分が輝くほど、現実の鞆子は追い詰められていった。
やがて睡眠薬への依存が深まり、芸能界から退く。彼女が身を寄せたのは、依存症やDV被害から逃れてきた女性たちの回復支援施設だった。
そこへある夜、暴徒の集団が押し寄せる。依存症の母親から子どもを救い、父親へ返す。彼らはその正しさを信じ切ったまま施設を囲み、通信を断ち、実力で中へ入ろうとする。
女性たちはバリケードを作って籠城する。外には暴徒。ところがその最中、施設内で入居者の一人が死体となって見つかる。守るために閉じたはずの場所で、今度は仲間同士を疑う羽目になった。
正義を掲げる人間ほど、話が通じない夜がある
この物語の怖さは、襲撃者たちが自分を悪人だと思っていないところから始まる。
本人たちは人助けをしているつもりだ。善悪を早々に決め、相手の事情を知る前に断罪し、自分の行動を正義で包む。SNSで見慣れた空気が、そのまま物理的な暴力へ姿を変えて押し寄せてくる。
しかも施設の中も安心できない。外敵を防ぐために閉じた空間で、仲間の一人が殺される。侵入者は本当に外だけにいるのか。助け合ってきた女性たちの間へ疑いが入り、過去や素性まで掘り返されてしまう。
そこで鞆子の過去が重なってくる。かつて画面の中では、絶体絶命でも仲間を守るヒロインだった。現実の彼女は薬に依存し、自分を弱い人間だと思い続けてきた。その鞆子が今度は、演技抜きの恐怖の中で誰かを守る側へ回る。
『VS.シャングリラ』の題名もいい。鞆子が戦う相手は、外の暴徒や内側の殺人者だけで済まない。十代の自分が演じた完璧なヒロイン像まで、長いあいだ彼女を追い詰めてきた。
立派でいなければならない。期待へ応えなければならない。傷ついても立ち上がらなければならない。そんな理想像から離れ、震えたままでも誰かの前へ立つ。その姿にこそ、鞆子自身の生き方が初めて見えてくる。
周囲の女性たちも、それぞれ依存症やDV、家庭の問題を抱えている。外からなら簡単な言葉で裁ける人生も、本人の側へ立てばそんなに単純には片づかない。だから暴徒の掲げる正義が、なおさら薄く、怖く見える。
外の暴力、内側の殺人、そして鞆子を縛ってきた過去。
この三つが同時に迫る一夜の中で、彼女は無敵になる必要を捨てていく。
昔のヒロイン像を倒した先に立つのは、傷つくことも怖がることも許された、一人の宮原鞆子だ。
悠木四季外から襲われているだけでも大変なのに、施設の中で殺人まで起こるなんてもう誰を信じればいいのやら。
7.桃野雑派『水没レストランの一夜』
殺人犯を探している間にも、水位は上がり続ける
完全会員制の高級フレンチレストラン・北斗之軒。歴史ある旧銀行の地下金庫を改装した店で、半年先まで予約が埋まるほどの人気を誇っている。
そこで給仕係として働く柴田正和には、別の顔があった。元・厚生労働省麻薬取締官。新型違法薬物の密売ルートを探るため、身分を隠して2年半も店へ潜り込んでいたのだ。
そんなある夜、都心を猛烈な豪雨が襲う。悪天候の中でも予約を取り消さなかった9人の客が集まり、豪華なコース料理が始まった。
ところが食事の途中、客の一人が突然痙攣を起こし、そのまま死亡する。症状は急性薬物中毒を思わせるものだった。
さらに地上では鉄砲水が発生。地下へ濁流が押し寄せ、巨大金庫の扉には水圧がかかり、外との通信まで断たれてしまう。
犯人は店内にいる。そして水は増え続ける。柴田は正体を伏せたまま、殺人事件と脱出の両方へ向き合うことになった。
高級フレンチの一皿が、そのまま犯行現場になる
この舞台設定がまず抜群にいやらしい。地下金庫だから外へ出られないだけなら、まだ典型的な密室劇で済む。だが今回は、時間が経つほど水が入り込み、生存できる空間そのものが減っていく。
つまり、犯人を見つけるために使える時間と、脱出するために残された時間が同じ時計で削られているのだ。推理を優先すれば逃げ遅れる危険が増し、避難だけを考えれば殺人犯を野放しにする。どちらか一方だけ片づければいい状況ではない。
そこへ高級フレンチが絡む。全員へ同じコース料理が運ばれているのに、なぜ一人だけ薬物中毒を起こしたのか。厨房で混入したのか、配膳中なのか、皿が置かれたあとか。料理の下ごしらえからワインの抜栓、給仕の順番まで、レストランの仕事そのものが検証対象になる。
柴田が元マトリなのも相性がいい。薬物の作用や吸収経路を知っているため、症状から可能性を絞り込み、料理や飲み物との接点を探れる。一見すると華やかなディナーの風景が、彼の目を通すと薬物を摂取させる経路の一覧へ変わってしまう。この落差が怖い。
しかも柴田自身、潜入捜査中の身だ。元マトリだと明かせば事件へ対処しやすくなる一方、2年半積み上げた潜入捜査は崩壊する。目の前では人が死に、店内には殺人犯がいて、さらに水まで迫る。秘密を守る意味が時間とともに変わっていくのも面白いところである。
料理を楽しむ場所だったレストランが、やがて殺人現場になり、最後には生存を争う空間へ変わる。この変化も容赦がない。美しく盛りつけられた一皿の横で水位が上がり、犯人探しと脱出劇が同時に加速する。
桃野雑派らしいのは、状況が一度整理されたと思ったところから、別の事実が顔を出すところだ。誰を疑うべきか、薬物はどこから入ったのか、柴田が追っていた密売ルートと殺人はどう結びつくのか。答えが見えたと思うたび、事件の形がまた変わる。
そして舞台は最後まで地下金庫の中。広い街を走り回る必要も、大勢の捜査員もいらない。限られた人数、料理、薬物、浸水、水圧。その材料だけで緊張を積み上げ、最後まで逃げ道を削っていく。
犯人を当てても、水は止まらない。真相へ辿り着いても、扉が開くとは限らない。
推理小説の解決とサバイバルの決着を別々に要求してくるところが、この一夜の恐ろしさである。
悠木四季毒殺の謎と水没する地下金庫からの脱出を同時進行させ、推理に使える時間そのものを削っていくこの圧迫感が見事!
8.諏訪部浩一『チャンドラー講義』
フィリップ・マーロウの格好よさを、もう一段奥から読み直す
レイモンド・チャンドラーと聞けば、まずフィリップ・マーロウが浮かぶ。
トレンチコートをまとい、腐敗した街をひとり歩き、誰にも媚びず、自分なりの倫理を守る私立探偵。ハードボイルドを代表する人物像として、あまりにも有名だ。
『チャンドラー講義』は、その格好いいイメージの奥へ入っていく一冊である。
チャンドラーはアメリカ生まれだが、若い頃を英国で過ごし、名門ダリッジ・カレッジで古典教育を受けた。その後アメリカへ戻り、石油会社で働いた末に失職。40代半ばからパルプ雑誌へ小説を書き始める。英国的な教養とアメリカの俗語文化、その両方を身体に抱えた作家だったわけだ。
諏訪部浩一は、初期の詩やエッセイから『ブラック・マスク』時代の短編、さらに『大いなる眠り』『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』『プレイバック』まで順に追っていく。
マーロウだけを語る本ではなく、チャンドラーがどんな言葉を身につけ、どんな社会を見て、なぜあの探偵を生み出したのか。作家の人生と作品が一本につながっていく。
あの独特な比喩にも、マーロウの孤独にも理由がある
チャンドラーの文章を読んでいると、突然ものすごい比喩が飛び出してくる。「エンゼルケーキの上のタランチュラのように目立つ」など、一度見たら頭からなかなか離れない。
本書では、そんな直喩を格好いい言い回しとして眺めて済ませない。英国で身につけた教養英語と、アメリカ西海岸の荒っぽい俗語。その二つがぶつかる場所から、チャンドラー特有の文体を読み解いていく。
すると、比喩ひとつにも階級、人種、金、権力への視線が見えてくる。ロサンゼルスの豪邸も、安酒場も、警察署も、ただの舞台背景では済まない。マーロウが歩く街そのものに、当時のアメリカ社会が抱えていた格差や腐敗が刻まれていた。
そして気になってくるのが、なぜマーロウはいつも一人なのか、という点だ。
依頼人とは距離を置き、警察にも犯罪組織にも属さない。殴られ、騙され、ときには報酬さえ失いながら、それでも自分なりの線だけは越えない。この姿は騎士道的なヒーローとして語られやすいが、本書を通すと別の顔が見えてくる。
大恐慌を経て、金や組織への信頼が崩れた社会。そこに自分の居場所を持てない人間が、それでも他者と誠実に関わろうとする。マーロウの孤独は格好よさの演出だけで片づかず、時代との距離を保つための生き方として読めるのだ。
チャンドラー作品で事件の筋道が時折複雑になり、真相解明さえ物語の中心から外れていく理由にも踏み込む。謎をきれいに閉じることと、都市や人間を描くこと。
その両者がぶつかった結果として、あの独特な長編が生まれた。プロットの弱さとして処理されがちな部分まで、作品の性格として読み直されていく。
だから『チャンドラー講義』を読むと、昔読んだマーロウものをもう一度開きたくなる。名台詞やハードボイルドな身振りを楽しむだけだった場面にも、その背後にある階級意識や社会への距離、チャンドラー自身の経歴が見え始めるからだ。
格好いい私立探偵だと思って眺めていたマーロウの背中が、最後には、大恐慌後のアメリカで居場所を探し続けた一人の男の姿へ変わっていくのである。
悠木四季この本を読むとチャンドラー作品をめちゃくちゃ読み返したくなる。実際読み返したし。
9.大島清昭『最凶の心霊実験』
32年前、降霊実験をした学生10人が全員死んだ
前作『最恐の幽霊屋敷』で恐ろしい体験をしたオカルトライター・鍋島猫助は、心霊取材から距離を置き、比較的安全そうなUFO調査へ逃げていた。
ところが今度は、茨城県T市にある国立・九十九大学の噂を耳にしてしまう。この大学では、なぜかオカルト系サークルの新設が禁止されていた。
その理由は32年前に起きた事件にある。当時のオカルト研究会に所属していた学生10人が、教室へ立てこもって降霊実験を行い、そのまま全員死亡したのだ。
事件の教室は現在も封鎖され、構内には白衣姿の怨霊、犬のような少年、地図から消された学生寮、飛び降りが続く屋上、怪魚が潜む池など、不穏な七不思議が語り継がれている。
関係者からは、調べないほうがいいと警告される。当然、鍋島も前作の経験から危険は分かっている。それでも取材者としての好奇心には勝てない。
教員や元学生へ話を聞き、古い資料を掘り始めると、過去に同じ七不思議を追った人間たちまで変死や事故に遭っていた事実が浮かぶ。
そして今回も、調べた側から順番に怪異が近づいてくる。
七不思議を調べるほど、32年前の死に別の顔が見えてくる
大学の七不思議は、怖い話を七つ並べただけの飾りでは済まない。開かずの教室、白衣の怨霊、存在を消された学生寮。それぞれの噂を追うたび、32年前の集団怪死へ細い道が伸びている。
しかも鍋島は、霊能者のように怪異と戦わない。証言を集め、古い記録を読み、年代の食い違いや語り継がれるうちに変化した部分を拾っていく。怪談を怖がりながら、やっていることは意外なほど地道な検証作業だ。
ここで怖いのが、怪異と合理的な説明が互いを打ち消してくれない点である。人間の作為を突き止めたから安心、とはならない。誰かが嘘をついていたとしても、説明の外側には不可解な現象がまだある。逆に、怨霊の存在を受け入れたところで、人間が事件へ手を加えた可能性まで消えるわけもない。
32年前の密室で学生10人を殺したのは何だったのか。降霊実験そのものに原因があったのか。極限状態に置かれた学生たちの間で何かが起きたのか。それとも、そこへ人間の悪意まで入り込んでいたのか。可能性を一つ潰すたび、別の怖さが顔を出す。
七不思議の広がり方もいやらしい。事件当時を知る人間が減り、話だけが後輩へ受け継がれ、いつしか細部まで変わってしまう。誰かの勘違い、誇張、恐怖心。そうしたものが何十年も重なれば、元の事件と現在の噂の間には大きな距離が生まれる。
それでも、噂だから安全とは限らないのがこの世界だ。白衣姿の怨霊を恐れた人間が行動を変えれば、その恐怖は現実へ影響を与える。さらに本物の怪異まで混ざれば、どこからが人間の思い込みで、どこからが超常現象なのか判別しにくい。大島清昭らしい嫌な領域である。
前作を経験した鍋島は、怪異へ不用意に近づけば何が起きるか知っている。それでも調べてしまう。怖いから逃げたい気持ちと、正体を知りたい欲求。その両方を抱えたまま進むから、彼の調査にも妙な切迫感がある。
七不思議を一つずつ剥がしていった先で待つのは、幽霊だけか、人間だけか。
32年間積み重なった噂、恐怖、悪意が同じ場所へ集まったとき、九十九大学そのものが巨大な心霊実験場に見えてくる。
悠木四季幽霊の正体を暴けば安心できる、そんな逃げ道を最初から塞いでくるのが怖い。
10.箕輪尊文『弾丸とヒマワリ』
女子高生の手には、PKOのメダルが握られていた
東京都内の住宅街で、女子高生が自宅にて銃殺される。
銃規制の厳しい日本で実弾銃が使われたうえ、少女の手にはPKOへ派遣された自衛隊員に授与される国連メダルが握られていた。
事件直前に被害者宅へピザを届けていたのが、本庄恵梨香。現在は配達員として働く彼女も、かつて東キアノス共和国へ派遣された元陸上自衛官だった。現地で起きたある出来事を境に退官し、過去を抱えたまま目立たない生活を送っている。
もう一人の元自衛官・野島武は、同じ派遣先で幼い少女を射殺した記憶に苦しみ、退官後は薬物へ手を出していた。そんな彼の前へ現れるのが、死を望む元地下アイドル・南川杏子。彼女は野島へ、確実に人を殺せる薬を求める。
東京で起きた一件と、遠い紛争地で放たれた銃弾。離れて見える二つの時間が、少しずつ同じ場所へ近づいていく。
一発の銃弾は、撃った瞬間だけで終わらない
恵梨香と野島は、ともに東キアノスへ派遣された経験を持つ。だが帰国したからといって、戦地で起きたことまで置いてこられるはずもない。
恵梨香は社会の片隅で息を潜め、野島は罪悪感を薬物で麻痺させようとする。二人とも戦場を離れたあとに、別の形で傷を抱え続けてきた。
この二人を並べることで、PKOという言葉の裏側にある現実が見えてくる。現地では厳格な交戦規定があり、それでも目の前には命の危険がある。撃てば罪悪感が生まれ、撃たなければ自分や仲間が死ぬ可能性もある。制度の文章と現場の判断、その間に立たされる個人の重さが生々しい。
恵梨香の捜査線と、野島と杏子の物語が並行して進むため、最初は二冊の小説を交互に読んでいるような感覚もある。だが人物の過去が開かれるにつれ、距離は少しずつ縮まっていく。片方で示された何気ない事実が、もう片方へ移った途端に別の意味を持つ。このつながり方もうまい。
扱う題材は重い。PTSD、薬物、海外派遣、組織防衛、戦地での殺傷。それでも物語は停滞せず、女子高生射殺事件の謎が先へ引っ張ってくれる。
社会問題を説明するために事件を置く形ではなく、事件を追ううちに制度や戦争の傷へ触れてしまう。その順番が読みやすさにつながっている。
そして題名に並ぶ『弾丸』と『ヒマワリ』。片方は人を殺すための物、もう片方には生や光を思わせる響きがある。遠い国で放たれた一発が、何年も経って東京の少女へつながったとき、過去は終わった出来事とは呼べなくなる。
戦地から帰った人間にも、その後の生活がある。罪を抱えた人にも、誰かと出会い直す時間がある。
銃声のあとに何を選ぶのか。
『弾丸とヒマワリ』が最後に見つめるのは、そこだ。
悠木四季戦争を題材にした社会派小説でありながら、ミステリとしてもしっかり楽しめる。こういう新人作品が登場するのは本当に嬉しい。
11.蜂巣敦『「八つ墓村」は実在する』
田治見要蔵のモデルとなった惨劇の現場へ
1938年5月21日未明、岡山県の貝尾集落で21歳の都井睦雄が村人30人を殺害した。
頭に懐中電灯を括り、猟銃と日本刀を手に家々を襲った姿は、横溝正史『八つ墓村』の田治見要蔵へつながったことで知られている。
蜂巣敦は知人から八つ墓村を歩こうと誘われ、中国山地へ向かう。そこで目にするのは、同じ日付が刻まれた墓石、深い山に囲まれた集落、事件から長い年月を経ても消えきらない記憶だ。
ただ、本書が追うのは津山事件だけではない。『八つ墓村』には、戦国時代に八人の落武者が村人に殺され、末代まで呪うと告げた伝承もある。蜂巣はその源を探し、岡山各地の史跡や古い記録へ足を運んでいく。
現実の大量殺人と、土地に伝わる血なまぐさい昔話。二つを重ねながら歩くうち、架空の八つ墓村を形作った風景が少しずつ見えてくる。
横溝正史が拾ったのは、一つの事件だけではなかった
『八つ墓村』と津山事件の関係は有名だ。田治見要蔵の凶行だけを見れば、モデルとの共通点も分かりやすい。だが蜂巣敦は、そこからさらに土地の奥へ入っていく。
山中一揆の首謀者を祀る六地蔵、二本杉、洞窟に潜んだ百姓の伝承、「三十人ヶ仙」の地名。岡山の山間には、人が殺され、逃げ、祀られ、その話が次の世代へ渡された痕跡が点々とある。
横溝正史は戦時中、この土地で暮らした。そこで耳にした話や目にした風景、歴史の断片が、のちの作品へ混ざっていった。津山事件をそのまま小説へ移したと考えるより、複数の土地の記憶を集め、一つの架空の村へ作り替えたと考えるほうが、『八つ墓村』の異様な厚みにはよく合う。
面白いのは、蜂巣自身が派手な怪談へ寄りかからないところだ。生存者へ無遠慮に踏み込まず、公判記録や検視調書、新聞、郷土資料を照らし合わせながら現地を歩く。そのため墓石の日付や山道の狭さ、集落の距離感が、余計な演出なしで迫ってくる。
小説を読んでいると、八つ墓村は最初から完成した異界のように感じる。けれど実際の土地を辿ると、その怖さには現実の事件、古い争い、山の地形、村の記憶が何層も折り重なっていたと分かる。
そして題名の意味も、最後には少し変わる。八つ墓村と同じ名前の集落を地図で探しても見つからない。それでも、閉ざされた共同体、土地に積もった記憶、昔の出来事を背負って暮らす人々は確かに存在していた。
架空の村を探す旅だったはずが、最後に立っているのは小説と現実の境目だ。
横溝正史が作った八つ墓村は、地図の上では消えていても、岡山の山々を歩けば確かに輪郭を持ち始める。
悠木四季この本を読んだら、もう一度『八つ墓村』を読みたくなる。小説に登場する村や山の景色まで、以前とは別の姿で思い描けそうだ。
12.水沢文尾『初髪下ろし』
死者は老いるのではなく、赤子へ戻っていく
美術大学で日本画を学ぶ洞口航は、才能や卒業後の進路に悩む青年。学費と生活費を稼ぐため、長野県の山奥で募集されていた高額の漆掻きアルバイトへ応募する。
面接を担当したのは、村から来た柿原淑恵。航は無事に採用され、険しい山道を越えて集落へ向かう。ところが到着した彼を待っていたのは、淑恵の死だった。
しかも村人たちは悲しみに暮れる間もなく、よそ者の航へ「初髪下ろし」の執行役を求めてくる。
この村では、人の霊は死後に少しずつ若返り、最後には赤子へ戻ると信じられていた。女性の死者を黄泉へ送るためには、成人儀礼の髪上げを逆向きになぞるような髪下ろしを行う必要があるらしい。
当然、航には何が何だか分からない。しかも漆掻きの親方からは、このままでは命を落とすと警告まで受ける。なぜ淑恵は、村と縁のない美大生をわざわざ呼び寄せたのか。
そこから、村の過去と彼女が抱えていた事情が少しずつ顔を出す。
死者が若返る。そのルールを知るほど逃げ道が狭くなる
死者が年を取らず、逆に若返っていく。この設定だけでも十分に気味が悪い。
しかも本書では、それが怪談の飾りで終わらず、村の葬送儀礼や人間関係、生死の考え方まで深く支配している。
成人した女性が髪を上げるなら、死後は髪を下ろして幼子へ戻す。理屈だけを見れば筋は通っている。だからこそ怖い。こちらには異様に見える儀式でも、村人たちにとっては長く守られてきた生活の一部なのだ。
そこへ漆掻きの仕事が重なる。木の幹へ傷を入れ、滲み出した漆を少しずつ集める。黒く艶のある樹液、山の湿気、皮膚へ触れればかぶれを起こす危うさ。日本画を学ぶ航にとって身近な素材だった漆が、山へ入った途端に生々しい労働と土地の記憶へ変わる。この感触が作品全体によく馴染んでいる。
面白いのは、ただ逃げ回るだけのホラーにはならないところだ。死霊にも村の儀礼にも一定のルールがあり、航は親方や村の娘・ひいろの助けを借りながら、その条件を読み取って生き延びようとする。
何をすれば死者は近づくのか。どこまで儀礼へ従えばいいのか。逆に、その決まりを利用できる余地はあるのか。怪異を怖がる一方で、相手の法則を理解しなければ命を守れない。因習村ホラーの湿った怖さが、途中からサバイバルの緊張へ変わるのだ。
そして初髪下ろしの中心には、死者を送り出す儀礼だけで片づかない感情がある。愛した人への執着、村の中で背負わされた役割、消せなかった罪。淑恵が航を選んだ理由へ近づくほど、怪異と人間の情念が区別しにくくなっていく。
山奥の閉ざされた村、漆黒の樹液、髪を下ろす儀式、少しずつ幼くなる死者。
横溝正史を思わせる土着の湿気をまといながら、その中心に置かれているのは、過去から手を離せなくなった人間の執着だ。
死者が赤子へ戻る村でいちばん大人になりきれなかったのは、はたして誰だったのか……。
悠木四季「髪上げ」は、髪形を変えることで成人や身分の変化を示した日本の風習だ。本作では、その発想を死者のための儀式へ応用している。因習村ホラーと本格ミステリの両方が好きな人には格好の一冊だ。
13.遠坂八重『呪祖の島』
2年生は、必ず10人いなければならない
高校2年生の夏目秀には、物や場所に染みついた感情を感じ取る特殊な感覚がある。
10歳年上の姉・唯に頼まれ、廃校寸前の四橿高校へ1年間だけ転校することになった。生徒数を確保できれば、仕事に追い詰められていた唯が希望部署へ移れるらしい。
だが島へ着くと、住民たちの親切さに不自然な気配を覚える。さらに四橿高校では昭和26年、2年生10人が同じクラスの生徒に包丁で皆殺しにされ、犯人は凶器だけを残して姿を消していた。
そして現在も、2年生は必ず10人に保たれている。人数が減れば外から転校生を呼ぶ。その決まりを知ったとき、秀が島へ招かれた理由まで不穏なものへ変わる。
島の呪いと、姉弟の関係が同じ形をしている
四橿島には、いかにも因習ホラーらしい材料が揃っている。
絶海の孤島、閉鎖的な住民、過去の大量殺人、夜に現れる影、耳元へ届く呪詛、人数を守り続ける高校。けれど怖さの中心は、古い伝承だけに置かれていない。秀と唯の姉弟関係が、最初から危ういのだ。
唯は精神的に不安定で、弟へ何度も助けを求める。秀もそんな姉を放っておけず、自分が我慢すれば済むと考えてしまう。姉が苦しいなら島へ行く。姉が泣くなら話を聞く。秀にとっては優しさでも、積み重なるほど二人の関係は息苦しく見えてくる。
ここへ四橿島の呪いが重なるのだから手に負えない。島もまた、誰かを縛り、役割を押しつけ、そこから外れようとする人間を許さない。姉に必要とされ続ける秀と、島の掟に従い続ける住民。規模は違っても、どちらにも逃げにくい関係がある。
秀が島の過去を探る一方、東京にいる唯の周囲でも異変が起き始める。遠く離れているはずの姉弟が、別々の場所で同じ呪いへ触れているように見えてくる。島から離れていれば安全、そんな安心も早々に崩れる。
昭和26年の惨劇も大きな謎だ。なぜ生徒10人が殺されたのか。犯人はどこへ消えたのか。そしてなぜ現在まで、2年生だけ10人へ固定されているのか。数字の意味を追うほど、学校の決まりと島民たちの態度がつながり始める。
さらに怖いのは、怪異と人間の執着が分けにくくなる点だ。島に本当に呪いがあるとしても、それを守り続けるのは人間である。血縁、家族、依存、罪悪感。目に見えない怨念と、生きている人間が抱える感情が同じ場所へ集まってしまう。
なので四橿島から逃げれば全部解決、とは簡単にいかない。秀を縛っているものは島の掟だけではなく、東京にいる姉との関係にも食い込んでいる。恐怖の舞台は孤島でも、その根は家族の中まで伸びているのだ。
昭和から続く10人の掟と、互いを手放せない姉弟。
その二つが重なった先で見えてくるのは、呪いより怖い、人間が誰かを必要としすぎたときの姿である。
悠木四季島民の笑顔も、10人のルールも怖い。でもいちばん息苦しいのは、秀と唯が互いを必要としすぎていることだったのだ。
14.相羽廻緒『祝福の鎮魂歌』
切り刻まれた首吊り死体と、20年前のピアニスト毒殺事件
東京・蒲田の古いアパートで、男性の首吊り死体が見つかる。
自殺に見えたが、顔には鋭い刃物で刻まれた無数の傷があった。警視庁捜査一課の若手刑事・一ノ瀬真央は違和感を抱き、他殺の可能性を追い始める。
同じ頃、音大生の井上香音は路上ライブの帰りにストーカーから襲われ、思わぬ事態へ巻き込まれる。一方、北海道では売れないミステリ作家・柴田三四郎が、20年前に天才ピアニスト・柳川龍之介が毒殺された廃墟を訪れていた。
当時、地元紙にはモーツァルトとサリエリの伝説を思わせる小説が連載されていた。しかもその原稿は、正体不明の依頼主から大金を受け取った柴田自身が代筆したものだった。
蒲田、恵比寿、北海道。離れた場所で起きた三つの出来事が、クラシック音楽を介して少しずつ結びついていく。
天才を愛し、嫉妬し、その光から逃げられなかった人々
物語の中心に流れているのは、モーツァルトとサリエリを思わせる関係だ。
生まれつき大きな才能を持つ者と、その隣で努力を続ける者。同じ音楽を愛しているからこそ、相手の輝きが自分の痛みへ変わる。
20年前に殺された柳川龍之介は、世界から注目を集める天才ピアニストだった。一方、古賀奏人は幼馴染であり、同じ音楽の世界に生きる人間でもある。尊敬、憧れ、嫉妬、敗北感。ひとつの感情で説明しきれない関係が、過去の事件へ暗い影を落とす。
この主題は、現在を生きる人物たちにも重なる。歌手を目指す香音、作品が売れず焦りを抱える柴田、真相を追い続ける真央。それぞれ立場は違っても、才能や評価、成功から逃れられない。誰かの輝きが、自分の人生まで照らしてしまう苦しさがある。
そこで気になってくるのが、蒲田で見つかった首吊り死体だ。自殺に偽装したいなら、顔へ傷を刻む行為はあまりにも目立つ。隠したいのか、見せたいのか。傷には犯人の衝動だけで片づかない理由があり、その意味を考えることが事件をほどく入口になる。
さらに20年前の小説が、現在の事件へもう一本の道を作る。モーツァルトとサリエリを模した物語が新聞へ載り、その原稿を柴田が代筆していた。
フィクションとして書かれた殺人が、現実の事件とどう重なるのか。小説の筋書きは過去を隠すための道具だったのか、それとも誰かの告白だったのか。書かれた文章まで証拠のように見えてくる。
三つの事件は、最初から一本の線でつながっているようには見えない。だが人物の過去、音楽、原稿、死体の傷を追ううち、それぞれが別々の方向から同じ場所へ近づいてくる。
クラシック音楽も飾りで済まされない。誰かにとっては憧れであり、誰かにとっては敗北の記憶であり、また誰かにとっては失った人へ手を伸ばす方法になる。題名にある「鎮魂歌」も、事件が片づいたあとで急に重さを増す言葉だ。
才能に恵まれた人も、その隣で傷ついた人も、過去を消すことはできない。
最後に響くのは勝者を讃える曲ではなく、才能に焼かれた人々へ向けられた弔いだ。
悠木四季首吊り死体の顔を、なぜわざわざ傷つけたのか。この一点が20年前の音楽家たちまでつながった瞬間、題名の意味まで変わって見えるのが気持ちいい。
15.月村了衛『腐魚の海』
妻と義父を失った海で、ひとりの漂流者を拾う
理不尽なリストラで長年勤めた商社を追われた垂水柊一郎は、妻の故郷である日本海沿岸の暮内町へ移り住む。義父から漁を教わり、慣れない海で少しずつ新しい生活を築き始めていた。
ところが柊一郎が漁へ出たある日、妻と義父が夜釣りの最中に海へ転落し、二人とも命を落としてしまう。事故として処理されたものの、妻が以前から故郷を嫌っていたことや、義父の様子を思い返すうち、柊一郎の中には疑いが生まれていく。
そんなある嵐の夜、海上で瀕死の男を発見する。男はイルナムと名乗るが、その正体は北朝鮮の工作員。過酷な訓練を受け、暴力にも殺人にもためらいを持たない危険な人物だった。
それでも柊一郎は、目の前で死にかけている男を見捨てきれず、自宅へ匿ってしまう。その善意を境に、暮内町で保たれていた平穏が崩れ始めた。
腐っているのは海か、それとも町を守ろうとする人間か
暮内町は、日本海に面した小さな漁村だ。
だが内側には、漁協と暴力団が絡むアワビ密漁、消えた事務員、組合の不正、放射性廃棄物最終処分場の誘致まで、いくつもの問題が潜んでいる。
腐敗の背景には、過疎や財政難、漁業の衰退もある。不正を知りながら口を閉ざす住民、危険な金へ手を伸ばす者、波風を避ける行政。悪意だけで町が壊れたのではなく、暮らしを守ろうとした選択まで泥の中へ混ざっている。
柊一郎にも特別な力はない。銃も格闘も扱えない元商社マンで、危険を前にすれば迷い、善意からイルナムを匿った判断さえ事態を悪化させる。そんな普通の男だからこそ、日常へ暴力が入り込んでくる怖さが近い。
対するイルナムは、国家によって殺人技術を叩き込まれた存在だ。彼が漁村へ現れたことで、密漁や暴力団の支配など、それまで水面下にあった暴力まで一気に噴き出す。中盤からは銃撃と肉弾戦が続き、穏やかだった港町の姿も崩れていく。
それでも、誰か一人を倒せば解決する話にはならない。密漁の奥には貧困があり、処分場誘致の裏には町を存続させたい焦りがある。
妻と義父の死を追っていた柊一郎は、やがて自分が暮らす土地全体の腐敗へ足を踏み入れることになる。
海は美しく、魚も獲れる。その足元では、金と暴力と沈黙が長い時間をかけて積み重なっていた。
題名の『腐魚の海』は、町が守ってきた沈黙まで飲み込む名前だったのだ。
悠木四季漁協の不正、暴力団の密漁ビジネス、放射性廃棄物の利権。現代日本の社会問題を盛り込んだ犯罪サスペンスが好きな人におすすめだ。
16.澤村伊智『靴と自転車』
青い子供靴が一足置かれただけで、駐輪場が怖くなる
学校の駐輪場で、同級生の三田は自転車から降りるたび、地面へ青い子供靴を一足そろえて置く。
誰かに見せつける様子もなく、説明もしない。ただ毎回、同じ動作を繰り返す。それだけなのに、違和感が消えない。
表題作『靴と自転車』の怖さは、最初から幽霊が飛び出してくるところにはない。ありふれた駐輪場と、ありふれた自転車。その横へ子供靴が加わった瞬間、見慣れた景色の意味が少しずつ崩れ始める。
三田の弟は、かつて理不尽な形で命を落としていた。そして彼女は「あんたら、取り返しのつかないことしたんだから」と告げる。
責められている側にどこまで罪があったのか。誰が加害者で、誰が被害者なのか。その境目が曖昧なまま、青い靴だけが日常へ居座る。
ほかの作品も同じだ。『赤い霧』では、廃ニュータウンへ入り込んだ若者たちが、カメラには映らず肉眼でしか見えない霧に出会う。『さぶら池』では、町中華を営む家族の生活へ、郵便受けを覗き込む何かが入り込んでくる。
舞台は学校、公園、図書館、店、家。怪異を求めて遠くまで旅をする必要などない。
いつもの帰り道にも、毎日使う玄関にも、恐怖の入口は開いている。
怖いのは幽霊より、自分にも同じことができそうな人間だ
この短編集を読んでいて嫌なのは、怪異だけを怖がっていれば済まないことだ。
登場人物たちは、ごく普通の人間である。承認されたい。面倒なことには関わりたくない。少しくらいならいいと思う。誰かが困っていても、自分とは関係ないと考える。どれも大げさな悪意ではない。
しかし澤村伊智のホラーでは、その小さな選択があとから姿を変える。表題作の青い靴もそうだ。人間は、自分が直接手を下していなければ無関係だと思いたくなる。けれど見ていた、笑っていた、止めなかった。その程度の関わり方まで含めて過去が追いかけてきたら、どこまで逃げ切れるのか。
『赤い霧』も、ただ廃墟で怪異に襲われる話には収まらない。若者たちは恐怖を撮影し、再生数へ変えようとする。怖いものを見たい、見せたい、数字を伸ばしたい。その軽さで踏み込んだ場所に、記録できない現象が待っている。
カメラへ映らない以上、証明も共有もできない。配信するために来た人間が、最後には自分の目しか信じられなくなる。この落差が素晴らしい。
『さぶら池』では、もっと逃げ場が狭い。町中華は仕事場であり、同時に家でもある。異変が起きても、簡単に捨てられない。料理を作り、家族と食卓を囲み、眠る場所へまで気配が入り込むと、生活自体が少しずつ削られてしまう。
ここで澤村作品らしさが出る。怖い場所へ行ったから祟られた、で片づけない。暮らしの中に怪異を置き、そのそばに人間の身勝手さや後ろめたさを並べる。すると幽霊の正体を暴いたあとにも、嫌な感触がまだ消えない。
写真、公園、図書館、郵便受け、墓。どれも普段なら気にも留めない物や場所だ。だからこそ、一度怖い意味を与えられると元の景色へ戻れなくなる。
全8編を読み終える頃には、怪異の種類より、人間が恐怖を呼び込む瞬間のほうが気になってくる。
何かを見落とした。誰かを傷つけた。面倒だから黙った。
その小さな選択が、あとから玄関先まで追いついてくる。
『靴と自転車』が怖くするのは、夜の墓地でも廃屋でもない。
明日の朝、また通る駐輪場である。
悠木四季澤村伊智ホラーの安定感と面白さは別格よね。もう安心して読める。
17.宮島未奈『ギャルにひかれて寺マルシェ』
伝説のポケモンカードを掘り返すはずが、なぜか寺マルシェへ
30歳の英介は、亡き父から継いだ酒屋を営んでいる。
店を大きくしたい夢があるわけでも、別の仕事へ飛び出したい熱意があるわけでもない。母親と買い物へ出かけ、近所で働き、毎日を無難にこなす。大きな不満はないが、このままでいいとも言い切れない。そんな生活だ。
そこへ東京から幼馴染の光司が帰ってくる。昔から思いついたら一直線の男で、今度は小学生時代に寺へ埋めたタイムカプセルを掘り返したいらしい。中には、今や高額カードとなった「ひかるリザードン」が入っているはずだと息巻く。
二人が向かった陵泉寺で待っていたのは、派手な金髪とギャルメイクで袈裟をまとった副住職・真実子。かつての同級生であり、昔は生真面目な優等生だった女性だ。
寺では地域交流イベント〈寺マルシェ〉が開かれていた。光司はさっそく真実子を「ギャル僧まみたん」として売り出そうと企み、英介まで巻き込まれる。
やがてボヤ騒ぎ、怪しい占い師、ステッカー騒動まで持ち上がり、タイムカプセル探しだったはずの夏が、思いがけない方向へ転がっていく。
30歳になっても、人生の答えなんて簡単には決まらない
英介、光司、真実子は、もう学生ではない。
仕事があり、家族があり、周囲から大人として扱われる年齢だ。それでも三人の中には、小学生時代からあまり変わっていない部分がちゃんとある。
英介は決めきれない。光司は思いつきで走る。真実子は自分の好きなものを堂々と選ぶ。三人が並ぶと、誰が正解で誰が間違い、と簡単に整理できないのがいい。
とくに真実子が魅力的だ。金髪でギャルメイク、袈裟姿で法話をする。一歩間違えば色物キャラクターになりそうなのに、彼女には一本筋が通っている。
「やめたくないからやめないの」
この言葉が彼女の生き方をよく表している。周囲からどう見られるか、寺の人間らしい格好とは何か、普通ならどうするか。そんな基準へ自分を無理に合わせない。自分が好きで、誰かも楽しくなれるなら続ける。その軽やかさが、英介には少しまぶしい。
面白いのは、ギャルらしい価値観と仏教の考え方が意外なほど近く見えてくるところだ。執着しすぎない。他人の評価へ縛られすぎない。縁があれば受け入れ、離れるときは離れる。難しい言葉を並べなくても、真実子の振る舞いを見ているだけで、そんな考えが自然に伝わってくる。
タイムカプセルに入れたカードは、子どもの頃にはただの宝物だった。それが大人になると金額で語られ、掘り返す理由まで変わる。けれど昔の友人と寺へ集まり、くだらない話をして、祭りの準備をしているうちに、別の価値まで見えてくる。
30歳は、青春を懐かしむにはまだ早く、何でもやり直せると信じるには少し現実が見えすぎる年齢だ。だからこそ、英介たちの迷いには身近さがある。
大きな夢を掲げなくてもいい。人生を全部変えなくてもいい。
寺マルシェで出会った人や出来事に背中を押され、昨日とはほんの少し違う選択をする。
それだけでも、人はちゃんと前へ進める。
タイムカプセルから始まった夏の最後に待っているのは、子どもの頃へ戻ることではなく、大人になった三人が今の自分を選び直す時間だ。
悠木四季作者は『成瀬は天下を取りにいく』シリーズで大ヒットしまくった宮島未宮。そりゃ面白いはずである。
18.ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのは誰か』
あのポアロの推理は、本当に正しかったのか
『アクロイド殺し』を読んだ人なら、最後に示される犯人を疑おうなんてまず思わない。
あまりに有名な解決であり、ミステリ史の中でも長く語られてきた一作だからだ。
ところがピエール・バイヤールは、その前提から平然と疑う。ポアロの推理には飛躍があり、見落とされた矛盾もある。なら事件は、別の形で解けるはずだ。そこから原作の再捜査が始まる。
使う証拠は、クリスティーが書いた本文の中だけ。証言、時間の食い違い、言葉の選び方、語られなかった部分まで拾い直し、ポアロが組み立てた筋道を一つずつ検討していく。
しかも話は犯人探しだけで進まない。探偵がなぜ自分の仮説を真実だと信じるのか。批評家は作品をどこまで自由に読めるのか。
事件の再捜査を続けるうちに、ミステリ論と文学論がいつの間にか同じテーブルへ座っている。
名探偵の推理を疑うと、小説の読み方まで変わってくる
バイヤールが面白いのは、ポアロを笑いものにして終わらせないところだ。彼が注目するのは、名探偵の推理が持つ危うさである。
人は仮説を立てると、それに合う事実を集めたくなる。都合の悪い部分は例外として処理し、つながる材料だけを並べれば、きれいな物語が完成する。
ポアロほどの名探偵でも、その誘惑から完全に自由とは言い切れない。バイヤールはそこへ精神分析の視点を持ち込み、推理と妄想が思いのほか近い場所にあると示していく。
ここから本書は、意外な方向へ進む。名探偵の解決を検証していたはずなのに、いつの間にか小説の世界は作者が書いた範囲だけで完結するのか、そんな問題まで広がっている。
作品にない証拠を勝手に足す手法は取らない。バイヤールが何度も戻るのは本文だ。何が書かれ、何が省かれ、誰の言葉が信用できるのか。原作を細かく読み直すほど、確定していたはずの解決へ小さな穴が開いていく。
この感覚が最高に楽しい。名作は一度答えを知れば終わり、で済ませなくていい。答えを知っているからこそ、二度目には別の読み方ができる。しかも本書の場合、その再読が本気の再捜査になっているのだ。
精神分析、文学理論、推理小説論まで持ち出すので、内容は知的で少しややこしい。それでも語り口には遊びがあり、ポアロへの遠慮もない。名探偵の権威をひっくり返す快感と、古典を細部まで読み込む喜びが同時にある。
そして終盤、バイヤールは自分なりの真犯人を提示する。新犯人説の正否に加え、百年近く読み継がれてきた名作に、まだ別の読み筋を作れる点も大きい。その自由さこそ、本書がいちばん楽しそうに実演していることだ。
『アクロイド殺し』を一度読んだ人ほど、ページの余白まで疑いたくなる。
名探偵の断案を信じ切っていた自分まで、事件の関係者にされた気分になる一冊だ。
悠木四季とんでもなく面白い本だが、原作『アクロイド殺し』の核心に触れるどころか、クリスティーの別作品の重大なネタバレも含まれるため、未読の作品が多い人は注意したい。
19.ジェラルド・カーシュ『廃墟の歌声』
廃墟の奥から聞こえてくる、美しく不気味な歌声
表題作の舞台は、神の怒りによって一夜で滅びたと伝わる古代都市。
伝説の真相を確かめようと遺跡へ入った男は、日が沈んだあと、瓦礫の奥から甘く物悲しい歌声を耳にする。
人のいるはずもない場所で、誰が歌っているのか。声を追って廃墟の深部へ進んだ男を待つのは、怪談の幽霊とも古代の呪いとも簡単には呼べない存在だ。
『クックー伍長の身の上話』では、帰還兵を乗せた船上で、全身を古傷に覆われた兵士が自分の過去を語り始める。彼は16世紀から400年も生き続け、世界中の戦場を渡り歩いてきたらしい。
もちろん、まともに信じれば途方もない話だ。ところがカーシュは、そんな大法螺を平然と語らせる。笑って聞いているうちに、死ねない男が何百年も戦争を見続けた時間の長さが、急に別の重みを持ち始める。
ほかにも悪魔とのチェス、吝嗇な幽霊、奇怪な詐欺師、魔法の魚、荒っぽい戦場譚まで登場する。
十五編それぞれが別の顔を持ち、次に何が飛び出すのかまったく予想できない。
大法螺を笑っているうちに、いつの間にか哀しくなる
カーシュの短編では、語り手をどこまで信用していいのか分からない。
400年生きている兵士もいれば、自分の冒険を得意げに語る大泥棒カームジンもいる。話はどんどん膨らみ、偶然は重なり、常識では考えにくい出来事まで平然と事実の顔をして現れる。
この「本当か?」と疑いながら聞く時間が楽しい。まるで酒場で隣に座った男から、途方もない身の上話を延々聞かされているみたいだ(そんな経験はないけれど)。
しかもカーシュは、笑いだけで話を閉じない。クックー伍長が不死身なら、そこには死ねない苦しさもある。大泥棒が豪快な冒険を語れば、その背後には貧困や孤独も覗く。幽霊までどこかせこく、怪物まで人間臭い。
だから、怪奇小説なのかSFなのか、犯罪小説なのかを決めようとするとすぐ困る。『廃墟の歌声』の幻想的な恐怖の隣に、乾いた笑いを持つ幽霊譚があり、その次には血なまぐさい戦場が待っている。ジャンルを渡り歩くというより、最初から境界線を気にしていない自由さがある。
登場する人間も立派な英雄ばかりではない。詐欺師、浮浪者、酒飲み、興行師、偏屈な老人。人生の端へ押し出されたような人物たちが、どうでもよさそうな意地や欲へ必死にしがみつく。
そこがカーシュの面白いところだ。人間の愚かさを笑いながら、その愚かさまで捨てようとはしない。大仰な法螺話を散々膨らませた末に、最後の数行でふっと人間の寂しさが顔を出す。
『盤上の悪魔』の怪しさも、『ブストは幽霊だがしみったれすぎて怖がらせもしない』の可笑しさも、『テシエ大佐の惨憺たる騎行』の凄惨さも、同じ一冊に入っている。その振れ幅が15編を飽きさせない。
怪物や幽霊を描いていても、カーシュが眺めているのは結局、人間の欲、見栄、執着、孤独なのである。
悠木四季ロアルド・ダールやジョン・コリアが好きなら、カーシュも絶対に試してほしい。変な話が好きな人には宝箱みたいな短編集だ。特に『クックー伍長の身の上話』は必読レベルで面白い。
20.ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ 新版』
蝋燭一本から、少女の人生が燃え落ちる
表題作の主人公エレンディラは、巨大な屋敷で祖母に酷使される14歳の少女だ。
ある夜、疲れ切ったまま蝋燭を消し忘れ、屋敷は火事で焼け落ちた。すると祖母は、その損害を身体で返せと命じる。
二人は砂漠と町を巡り、祖母は少女を客へ差し出して金を集める。エレンディラの前に現れるのが、オランダ人密輸商人の息子ウリセス。彼は彼女を救おうとするが、祖母は人間離れした生命力で二人の前に立ちはだかる。
本書にはほかにも、翼を持つ老人が見世物にされる『大きな翼のある、ひどく年取った男』、浜辺へ流れ着いた巨人の死体が村を変える『この世でいちばん美しい水死人』、巨大客船の幻影を追う『幽霊船の最後の航海』など、全7編を収録している。
不思議なことほど、誰も驚かない
ガルシア=マルケスの物語では、奇跡と日常の境目が最初から薄い。
翼のある老人が空から落ちても、人々は畏れ敬う前に鶏小屋へ入れ、金を取って見物させる始末だ。海が薔薇の香りを放ち、水死人が村の景色を変えても、語り口は平然としている。
だから幻想が生活の中へすっと混ざる。魔法と現実を対立させず、同じ地面へ当然の顔で置く語り口だ。どの短編にも、そんな熱と乾きがある。
同時に、人間の欲や残酷さはひどく生々しい。翼のある老人を見世物にする群衆、少女の身体から金を搾り取る祖母、奇跡さえ商売へ変える人々。幻想的な出来事が続いても、人間だけは現実臭い。そこが笑えて、同時にぞっとする。
表題作では、とくに祖母の存在感が異様だ。エレンディラを徹底的に支配し、金へ変え、逃げようとしても簡単には倒れない。童話の魔女めいた姿でありながら、その欲望はあまりに現世的で、だからこそ恐ろしい。
一方、ウリセスは愛によって少女を救おうとする。だが愛がすべてを解決してくれる保証はない。若さも善意も、祖母の支配を前にすれば簡単に傷つく。それでも二人は走り出す。荒野の乾いた風景には、その無謀さがよく似合う。
『幽霊船の最後の航海』では、句点を使わない長い一文が波のように続き、文章自体が船の幻影を追いかけていく。物語だけでなく、言葉の流れまで大胆に遊ぶ文体実験でもある。
『百年の孤独』と『族長の秋』の間に書かれた作品群らしく、作家の想像力が奔放に動いていた時期の勢いまで封じ込めた一編だ。
新版には、木村榮一と松本健二の解説も収録されている。代表作へ進む前の入口にも、すでに『百年の孤独』を知る人が別の角度から作家を見直す機会にもなるだろう。
砂漠、翼、死者、幽霊船、薔薇の香り。
ありえない光景が次々と現れるのに、本当に怖いのはいつも人間の欲望だ。
『エレンディラ』は、その残酷さを童話の衣装で包んだ、眩しく乾いた悪夢である。
悠木四季『大きな翼のある、ひどく年取った男』は、奇跡を前にした人間たちの反応が秀逸だ。短い物語に社会への鋭い観察が詰まっている。
21.H・P・ラヴクラフト『未知なるカダスを夢に求めて』
夢で見た美しい都市を求め、世界の果てまで進む
ランドルフ・カーターは、夢の中で息を呑むほど美しい都市を目にする。
黄金の尖塔と大理石の列柱が夕映えに輝く、幼い頃から憧れてきた美のすべてを集めたような街だった。
だが近づこうとするたびに夢から覚め、ついにはその街さえ見られなくなる。カーターは神々へ直接場所を尋ねるため、未知なるカダスを目指して幻夢境へ旅立つ。
その道中がとにかく楽しい。猫の一族と手を組み、食屍鬼となったピックマンと再会し、月の裏側を航海し、夜妖に運ばれながら異界を渡っていく。もちろん先にはニャルラトホテプまで待っている。
クトゥルー神話らしい恐怖はありながら、物語の手触りは冒険譚に近い。未知の土地へ進むたび風景が変わり、次は何が出てくるのかと期待させる。
ラヴクラフト作品の中でも、ひときわ旅の楽しさが前へ出た一編だ。
怪物より先に、夢そのものへ惹かれてしまう
本書を読むと、ラヴクラフトが恐怖だけを書いた作家ではなかったことがよく分かる。
『サルナスに訪れし破滅』では古代都市の栄華と滅亡が語られ、『イラノンの探求』では理想の都を求めて旅する詩人が描かれる。『忘却より』には覚醒した現実から逃れたい願いがあり、『幽霊船の最後の航海』では長い一文が波のように続く。
どの作品にも、現実の外へ行きたい気持ちが流れている。その気分が最も大きく広がるのが表題作だ。
カーターは危険を承知で夢の深部へ進み続ける。欲しいのは財宝でも名誉でもなく、一度だけ見た美しい都市。そこへもう一度辿り着きたい。ただそれだけで、冥府も月の裏側も越えてしまう。
この執着には、ラヴクラフト自身の幻想世界への愛まで重なって見える。現実には存在しない街だからこそ、頭の中ではどこまでも美しくできる。けれど理想を追い続けるほど、現実との距離も開いてしまう。
一方、『冷気』のような作品では、夢幻的な美しさから一転して、肉体の腐敗や死への恐怖が真正面から迫る。幻想、宇宙、墓所、都市、死体。九編を続けて読むと、ラヴクラフトが何度も形を変えながら同じ境界を覗き込んでいたことが見えてくる。
新潮文庫版選集の締めくくりとして表題作が置かれたのもよく似合う。過去の人物や怪物が次々と姿を見せ、これまで広がってきた神話世界を一気に旅する感覚があるからだ。
怖いものを見るために夢へ入るのではない。
美しい場所へ行きたいから、その途中にいる怪物まで越えてしまう。
『未知なるカダスを夢に求めて』には、そんな夢想家の無茶な情熱が満ちている。
悠木四季恐怖一辺倒の作家だと思っている人にこそおすすめだ。奇怪な生き物や神秘的な都市が彩る、もう一つのラヴクラフト文学をぜひ。
22.ローラン・ビネ『遠近法』
巨匠ポントルモが殺され、現場には大公の娘を描いた猥褻画があった
サン・ロレンツォ聖堂で『最後の審判』を描いていた画家ヤコポ・ダ・ポントルモが、制作中の足場で殺される。
しかも遺品から、トスカーナ大公コジモ1世の亡き娘マリアを裸身のヴィーナスへ変えた猥褻画まで見つかった。
娘への侮辱に激怒したコジモ1世は、宮廷画家ジョルジョ・ヴァザーリへ極秘の調査を命じる。ポントルモを殺したのは誰か。問題の絵は本当に彼が描いたのか。
ヴァザーリはローマのミケランジェロへ手紙を送り、助言を求める。
手紙は真実を伝えるために書かれるとは限らない
全編を進めるのは176通の手紙だけ。
地の文はなく、誰かが事情を整理してくれる場面もない。差出人が変わるたび、同じ事件の見え方まで変わる。
ここの手紙の面白さが生きてくる。人は相手によって言葉を選ぶ。都合の悪いことは伏せ、味方には弱音を見せ、権力者には忠誠を装う場合もある。176通すべてが情報源でありながら、同時に書き手の演技でもあるのだ。
だから一通を読んだだけでは安心できない。別の人物から届いた手紙を開くと、さっきまで確かに見えた事実が急に傾く。誰が嘘をついたかだけでなく、誰が何を見せたがっているのかまで気になってくる。
さらに楽しいのが、ヴァザーリ、ミケランジェロ、ブロンズィーノ、チェッリーニら実在の芸術家たちだ。美術史の巨人として眺めていた人物が、手紙の中では嫉妬し、牽制し、愚痴までこぼす。急にルネサンスが生身の人間たちの時代へ近づいてくる。
殺人を追う一方で、誰の言葉を信じるか、何が書かれていないかまで考えさせられる。手紙と手紙の隙間にも情報があり、沈黙まで証言のように見えてくるのが面白い。
一枚の絵をめぐって、芸術家も君主も亡命者も自分に都合のいい景色を描く。
『遠近法』の題名は、最後には絵画技法の名から、人が真実を見る癖の名前へ変わっていた。
悠木四季手紙の内容を鵜呑みにせず、書かれていない事実まで想像してみよう。書簡体ならではの情報の偏りが、犯人探しをいっそう面白くする。
23.マイク・オマー『人質交渉人』
払えるはずもない500万ドルを、犯人はなぜ要求したのか
ニューヨーク市警の人質交渉人アビー・マレンは、立てこもりや誘拐の現場で、相手の声を聞きながら人命をつないできた。銃ではなく、言葉を武器にする仕事だ。
そんな彼女のもとへ、30年以上連絡を取っていなかった女性・イーデンから電話が入る。8歳の息子が誘拐され、犯人から500万ドルを要求されたらしい。
だがイーデンは大富豪でも資産家でもない。どう考えても払えない金額だ。なら犯人は、最初から金だけを狙っていないのではないか。
アビーは少年を救うため交渉へ加わるが、事件を追ううち、イーデンと共有する遠い過去まで掘り返されていく。二人は幼い頃、外界から隔離されたカルト教団の共同体で育ち、そこから逃げ出した経験を持っていた。
30年間閉じ込めてきた記憶が、誘拐事件をきっかけにまた扉を開ける。
人を救うためには、犯人の話まで聞かなければならない
人質交渉と聞くと、犯人を言い負かす頭脳戦を想像したくなる。けれどアビーが最初にするのは、その逆だ。
話を聞く。相手の興奮を下げる。怒りの理由を探り、時間を稼ぐ。不用意な一言で電話を切られれば、その先にいる人質の命まで危うくなってしまう。なので交渉中の会話には、普通の会話とは別の緊張がある。
何を言うかと同じくらい、いつ言うかが大事だ。犯人を刺激せず、それでも少しずつ主導権をこちらへ寄せる。派手な銃撃戦がなくても、受話器の向こうで沈黙が続くだけで胃が痛くなるような場面が多い。
そして今回、アビーにはもう一つ厄介な条件が加わる。依頼してきたイーデンは、昔のカルト共同体を知る相手でもあるのだ。
少年を救う現在の事件と、30年前の記憶が少しずつ重なっていく。なぜイーデンの息子だったのか。500万ドルには何の意味があるのか。犯人は二人の過去をどこまで知っているのか。身代金の額ひとつから、誘拐の目的そのものが揺らぎ始める。
558頁と長めだが、中心に置かれた謎はシンプルだ。
なぜ、払えない500万ドルを要求したのか。
この一点を追ううちに、誘拐事件は家族の秘密へ入り込み、やがてアビー自身の過去まで引きずり出していく。
外から持ち込まれた犯罪を調べていたはずが、気づけば彼女自身がもっとも触れたくなかった場所の前に立たされていた。
〈人質交渉人〉シリーズの第1作として、事件の決着だけでなく、アビーが30年前に置いてきたものまでまだ先がありそうなのも気になるところだ。
悠木四季心理戦を中心とした犯罪サスペンスが好きな人に特におすすめだ。主人公の過去に潜む謎も含め、三部作の幕開けにふさわしい一作だった。
24.ダニエル・クラウス『クジラに落ちた男』
父の遺骨を探しに潜った海で、クジラに呑み込まれる
17歳のジェイ・ガーディナーは、亡くなった父ミットの遺骨を探すため、モントレー湾へ単身潜っていく。
ミットは伝説的なダイバーだったが、息子にも苛酷な訓練を課す支配的な父親だった。ジェイは耐えきれず家を飛び出し、そのまま絶縁。やがて末期癌となった父は、一人で海へ入り命を絶つ。
父を見捨てたのは自分だ。そんな罪悪感を抱えたジェイは、せめて遺骨だけでも家族のもとへ戻そうと海へ向かう。
だが深海でダイオウイカとマッコウクジラの捕食に巻き込まれ、気づけば巨大な口の奥へ吸い込まれていた。
酸素は残り約1時間。周囲には消化液、押し寄せる内臓の動き、完全な暗闇。
助かるために使えるのは、あれほど嫌っていた父から叩き込まれた潜水の知識だった。
父から逃げた少年が、父の教えで生き延びようとする
生きたクジラの体内から脱出する。
設定だけ聞けば、とんでもない怪獣映画のようだ。けれど本書は、その荒唐無稽さを徹底して現実の手触りへ引き寄せる。
胃壁はうねり、消化液は皮膚を焼き、潜水ボンベの数字は呼吸のたびに減っていく。深海から無理に浮上すれば減圧症の危険もある。ひとつ問題を越えても、その先には次の危険。逃げ道を考える時間さえ酸素を削っていく。
ここでジェイを支えるのが、父ミットの教えなのが苦しい。
呼吸を乱すな。焦るな。海で判断を誤った瞬間に死ぬ。子どもの頃には押しつけにしか思えなかった言葉が、クジラの腹の中で命綱へ変わる。
もちろん、父から受けた傷まで帳消しにはならない。ミットは息子を追い詰めた。その記憶も、家を飛び出した理由も消えない。それでも、人から受け取ったものは愛情と痛みできれいに分けられないのだ。
ジェイは父を憎みながら、父の知識に救われる。父から離れたかったのに、極限の暗闇で何度も父の声を思い出す。その矛盾が、ただの脱出劇を家族の物語へ変えている。
舞台となるクジラの体内も、だんだん父との記憶に重なって見えてくる。暗く、狭く、簡単には外へ出られない場所。そこでジェイは過去を何度も通り直しながら、自分が何を受け継ぎ、何を手放すのかを選ばされる。
酸素残量のカウントダウンは、生存時間を示す数字であると同時に、父との関係を考え直せる最後の猶予にも見える。父の骨を探しに海へ入った少年は、クジラの腹の暗闇で死者と向き合い、その先にある自分の生まで見つめる。
巨大生物の胃袋からの脱出と、父の影から抜け出す少年の再出発。二つのサバイバルが重なったとき、この異様な冒険は家族小説へ姿を変える。
クジラの腹の暗闇は、父の死から自分の生へ向き直るための、あまりにも過酷な通路である。
悠木四季この小説が面白すぎて映画も観に行ったが、とんでもない迫力と面白さだった。
25.シャーロット ・マコーナギー『野生の暗き岸辺』
世界から取り残された島へ、見知らぬ女性が流れ着く
タスマニア島と南極大陸の間に浮かぶシーアウォーター島。
世界各地の植物の種子を保管する巨大な貯蔵庫が置かれているが、海面上昇と暴風雨によって島の水没は目前まで迫っている。
研究者の多くが去ったあとも、管理人のドミニクと三人の子ども、ラフ、フェン、オーリーは島にいた。最後の退去船を待ちながら、家族だけの時間を守るように暮らしている。
そこへ嵐の翌朝、瀕死の女性が海岸へ打ち上げられる。ローワンと名乗った彼女は、どうやってこの孤島へ辿り着いたのかを語ろうとしない。しかも島には、以前から研究員の失踪や不審火など、いくつもの不可解な出来事があった。
ローワンが家族の中へ入ったことで、彼らが互いに伏せてきた過去まで揺れ始める。
島が海へ沈むまでの時間と、一家の秘密が持ちこたえられる時間。その二つが同時に減っていく。
島が沈む前に、家族の秘密まで浮かび上がる
この物語でまず圧倒されるのは、シーアウォーター島の風景だ。
切り立った崖、銀色の草原、霧に覆われた山、浜辺を埋めるオットセイやペンギン。その向こうには荒れた海が広がり、ときおりクジラまで姿を見せる。美しい。けれど人間へ都合よくできた土地ではない。
嵐が来れば通信は途切れ、海は容赦なく岸を削る。島を守ろうとしても、自然は人間の願いを聞いてくれない。種子貯蔵庫には未来のための植物が保管されているのに、その貯蔵庫を置いた島自体が消えようとしている。
そこへローワンが流れ着くのだ。彼女が何者なのかを知りたい気持ちはもちろんある。けれど読み進めるほど気になってくるのは、ソルト一家のほうだ。
父ドミニクは子どもたちを守ろうとしすぎる。フェンはオットセイへ心を寄せ、ラフは家族の中で背負ったものを抱え、幼いオーリーは植物の世界を見つめている。
家族は近い。近すぎるから、言えないことも増える。ローワンはその輪へ外から入ってきた異物であり、同時に、家族が長く目を逸らしてきたものを照らす存在にもなる。
誰かの失踪、不審火、凍結標本の異変。島に散らばっていた出来事がつながるにつれ、家族の愛情と罪悪感まで同じ場所へ集まってくる。
この島には、人間が守ろうとする価値がたくさんある。植物も動物も、家族の思い出も、死者との記憶もある。それでも島は沈む。守れないものがあると知ったうえで、何を持って次の場所へ行くのか。その選択が物語の芯になっている。
ローワンもまた、自分の過去を抱えて島へ来た人間だ。ソルト一家と出会うことで、彼女の事情と家族の秘密が交差し、誰かを守る行為と誰かを傷つける行為の境目まで揺れる。
ミステリとして秘密を追いながら、同時に家族小説として人の喪失へ触れていく。そこへさらに、消えゆく島と野生動物の姿が重なる。
海は島を奪っていく。それでも人間は、全部を失う前に誰かの手を取ろうとする。
『野生の暗き岸辺』は、世界の終わりに似た風景の中で、それでも生き直そうとする人々の物語である。
悠木四季ペンギン、オットセイ、クジラ、荒れ狂う海。亜南極の自然を描いた迫力ある情景描写も大きな楽しみだ。
26.D・V・ビショップ『フィレンツェに悪魔が彷徨う』
ミケランジェロの『ダヴィデ像』の足元に、磔にされた死体
1539年、フィレンツェ。
かつて〈治安八人委員会〉で腕を振るったチェーザレ・アルドは、上層部に従わない性格が災いし、夜間外出禁止令を取り締まる仕事へ左遷されていた。
冷たい雨の降る夜、逃げる不審者を追ったアルドは、シニョーリア広場で異様な死体を発見する。裕福な羊毛商人がキリストの磔刑を模した姿勢で殺され、舌まで二つに裂かれていた。翌日、今度はアルドの情報提供者だった青年が同じ方法で殺される。
捜査線上へ現れるのは、同性愛者や精神疾患を抱える人々を悪魔憑きと決めつけ、苛烈な悪魔祓いを行う神父ネーグリ。だが教会の壁は厚く、世俗の捜査権も簡単には届かない。
しかもアルド自身が、当時なら命を奪われかねない秘密を抱えている。彼は同性愛者であり、ユダヤ人医師サウルと恋仲にあった。
殺人犯を追うだけでも危険なのに、自分の素性まで隠し通さなければならない。
犯人を追う捜査官自身が、いつ告発されてもおかしくない
ルネサンス期のフィレンツェと聞くと、美術館に並ぶ絵画や彫刻、豪華な宮殿を思い浮かべる。だがアルドが歩くのは、そんな明るい場所ばかりではない。
雨に濡れた石畳、夜間外出禁止令、売春宿、悪臭の漂う路地、監視の目。ミケランジェロの彫像が立つ広場のすぐそばで、人間は拷問され、密告され、宗教や権力の都合で簡単に人生を奪われる。
この時代設定が、アルドの人物像とよく噛み合っていていい。彼は腕が立ち、頭も切れる。必要なら法の外側へ足を出す大胆さもある。
それでも、自分自身の生き方だけは堂々と表へ出せない。殺人犯へ近づくほど、教会や役人から自分へ向けられる視線まで気にしなければならないのだ。
そこへ元部下ストロッキが加わる。融通の利かないほど生真面目な男と、規則を必要に応じて踏み越えるアルド。性格は噛み合わないのに、捜査を重ねるうち互いのやり方を認め始める。殺人事件の暗さが続く中、この二人の関係には人間らしい温度がある。
そして事件は、磔刑の死体だけに留まらない。悪魔祓いを行う教会、フィレンツェとヴェネツィアの諜報戦、メディチ家を巡る権力争いまで入り込み、誰が誰を利用しているのか簡単には読めなくなる。
神父が語る神の意志も、役人が掲げる法も、国家が求める忠誠も、人を守るために使われるとは限らない。正しさの名を借りた暴力が町のあちこちへ潜み、その中でアルドは自分なりの線を守ろうとする。
640頁の中には、連続殺人だけでなく、路地裏の暮らし、宗教への恐怖、諜報活動、アルドとサウルの関係まで詰め込まれている。ページを重ねるほど、16世紀フィレンツェの息苦しさが身近になっていく。
芸術と信仰が栄えた都市の裏側で、人々は密告を恐れ、恋を隠し、権力の顔色をうかがって暮らす。
そんな街でアルドが守ろうとするのは、目の前で踏みにじられた人間の尊厳だ。
磔刑の死体を追う捜査はやがて、彼自身が何を守って生きる人間なのかまで突きつけてくる。
悠木四季ルネサンス期の社会制度や宗教観が、捜査の障害として立ちはだかる。現代の警察小説とは異なる犯罪捜査が面白い。
おわりに

1.森バジル『探偵小石は戻らない』
──殺人容疑をかけられた名探偵の事件と相棒との関係を、時間をさかのぼって解き明かす逆行型ミステリ。
2.潮谷験『ふしぎな凶器博物館』
──投石器やメロンパンなど奇妙な凶器が選ばれた理由から、殺人の真相に迫る連作本格ミステリ。
3.九能式尚『名探偵の君へ』
──耳の聞こえない女子大学生探偵が、音と催眠を利用した孤島の連続殺人に挑む本格ミステリ。
4.有栖川有栖『折れた岬』
──9年前に失踪した覆面作家の謎を追い、定年後の人生を見つめ直す元編集者の長編ミステリ。
5.今村昌弘『0秒前の彼女』
──死んだ恋人からの救難信号を追い、元公安捜査官が1年前の爆破テロの真相に迫る逃亡サスペンス。
6.櫛木理宇『VS.シャングリラ』
──暴徒に包囲された女性支援施設で殺人が発生し、元人気俳優が仲間とともに生き残りを図る籠城スリラー。
7.桃野雑派『水没レストランの一夜』
──迫りくる濁流と姿なき殺人犯。地下金庫に閉じ込められた人々の決死の一夜を描く本格ミステリ。
8.諏訪部浩一『チャンドラー講義』
──名探偵マーロウの孤独や独特の名文句を、作家の人生とアメリカ社会の歴史から解き明かす文学評論。
9.大島清昭『最凶の心霊実験』
──32年前の降霊実験で学生10人が怪死した大学を舞台に、恐怖の七不思議を追う心霊ホラーミステリ。
10.箕輪尊文『弾丸とヒマワリ』
──女子高生射殺事件をきっかけに、遠い紛争地で放たれた銃弾と元自衛官たちの消えない傷が交錯する社会派ミステリ。
11.蜂巣敦『「八つ墓村」は実在する』
──津山三十人殺しの現場や岡山の山村を歩き、横溝正史が描いた恐怖の原点を探る実録探訪記。
12.水沢文尾『初髪下ろし』
──死者が赤子へ戻る奇妙な風習が残る山村で、葬送儀礼を任された美大生が怪異と村の秘密に挑む因習ホラー。
13.遠坂八重『呪祖の島』
──高校2年生を必ず10人に保つ孤島で、過去の大量殺人と姉弟を縛る呪いの謎に迫るホラー。
14.相羽廻緒『祝福の鎮魂歌』
──天才ピアニストの死をめぐる嫉妬と執着が、20年の時を経て新たな殺人を呼ぶ音楽ミステリ。
15.月村了衛『腐魚の海』
──妻と義父の不審な死を追う男が、凄腕の北朝鮮工作員とともに港町を支配する金と暴力の闇に挑む社会派サスペンス。
16.澤村伊智『靴と自転車』
──青い子供靴や見えない霧など、身近な怪異を通して人間の罪悪感と身勝手さをあぶり出すホラー短編集。
17.宮島未奈『ギャルにひかれて寺マルシェ』
──金髪ギャル僧侶と再会した幼馴染たちが、寺での騒動を通じて30歳の迷える人生に向き合う青春小説。
18.ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのは誰か』
──クリスティーの歴史的名作に異議を唱え、名探偵ポアロの推理を覆す驚きの新犯人説に挑む文学評論。
19.ジェラルド・カーシュ『廃墟の歌声』
──不死身の兵士や奇妙な幽霊、怪しげな冒険譚を通じて、人間の愚かさと哀しさを描く奇想短編集。
20.ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ 新版』
──翼を持つ老人や美しい水死人、祖母に虐げられる少女を通じて、人間の欲望と残酷さを描く幻想短編集。
21.H・P・ラヴクラフト『未知なるカダスを夢に求めて』
──夢の中の美しい都市を求め、怪物や神々が潜む異界を旅する幻想冒険譚を中心としたラヴクラフト短編集。
22.ローラン・ビネ『遠近法』
──ルネサンス期の巨匠殺害と謎の猥褻画をめぐり、芸術家や権力者たちの手紙から事件の真相を探る歴史ミステリ。
23.マイク・オマー『人質交渉人』
──払えるはずのない500万ドルを要求する誘拐犯と、封印されたカルト教団の過去に挑む人質交渉サスペンス。
24.ダニエル・クラウス『クジラに落ちた男』
──クジラの胃袋に閉じ込められた少年が、憎んだ父の教えを武器に生還を目指す極限の海洋サバイバル。
25.シャーロット ・マコーナギー『野生の暗き岸辺』
──海に沈みゆく孤島へ流れ着いた謎の女性が、残された家族の秘密と喪失の記憶を揺さぶる文芸ミステリ。
26.D・V・ビショップ『フィレンツェに悪魔が彷徨う』
──ルネサンス期のフィレンツェで、秘密を抱えた捜査官が残虐な連続殺人と宗教権力の腐敗に挑む歴史ミステリ。
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