2026年6月に読んでに特に面白かった本23冊 – 西式豊『処刑館殺人事件』ほか

  • URLをコピーしました!

   超おすすめ記事  

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

幸せだね。
悠木四季

2026年6月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った23冊の記録である。

2026年6月に読んでに特に面白かった本23冊

1.西式豊『処刑館殺人事件

──山奥の洋館に集められたミステリ作家たちが、自作トリックをなぞる処刑に追い詰められていく、物騒でメタな館もの本格。

2.辻村深月『ファイア・ドーム

──地方都市で起きた少年失踪をきっかけに、25年前の誘拐殺人事件と噂の暴力が再燃していく社会派ミステリ長編。

3.米澤穂信『倫敦スコーンの謎

──小鳩くんと小佐内さんが甘いお菓子にまつわる小さな謎を追いながら、論理の快楽と青春のほろ苦さを味わわせる〈小市民〉シリーズ番外短編集。

4.島田荘司『切り裂きジャック・百年の孤独[改訂完全版]

──切り裂きジャック事件と百年後の西ベルリン連続殺人を重ね、歴史の闇に島田荘司流の巨大な論理で挑むスケール満点の歴史本格。

5.『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026

──ホラー、ミステリ、青春、ファンタジーを横断しながら、暗闇の中で孤独な声を拾い続けた乙一30年の歩みをたどる自選短編集。

6.芦沢央『あなたが正しくいられたとき

──善意や正義を信じる人々が、いつの間にか誰かを追い詰める刃を握ってしまう怖さを描いた、鋭く苦い心理ミステリ短編集。

7.『そうだ、君を憎めばいいんだ: 愛と殺意と七つの条件

──桜庭一樹と斜線堂有紀が同じ七つの条件から、少女たちの愛と嫉妬と殺意をまったく別の地獄へ変えていく競作短編集。

8.加門七海『裂神

──古い神楽面をめぐる怪死をきっかけに、伊豆の祭祀と荒ぶる神の気配が現代へにじみ出す、民俗の怖さが濃い怪異ホラー。

9.餅屋蛾『ダクダデイラ

──削除された怪文書やクチコミ欄、スマホ画面に潜む異物が、日常のネット空間から滲み出してくる電脳モキュメンタリーホラー。

10.大舟『三重県津市西区平山町3-15-7

──三重県津市にあるはずのない住所をめぐり、掲示板や検索履歴に散らばる怪異と土地の記憶がつながっていく、現代型の土着モキュメンタリーホラー。

11.『怖い熊 傑作アンソロジー

──実話や記録、小説を通して、山で熊と出会うことの圧倒的な恐怖と、人間を特別扱いしない野生の冷たさを刻み込む獣害アンソロジー。

12.福井栄一『全訳 大和怪異記: 古典怪談玉手箱

──江戸中期の奇書『大和怪異記』百五篇を現代語で開き、祟りや因果、病や肉体の異変に宿る日本怪談の原型を味わわせる古典怪談集。

13.ホリー・ヘップバーン『シャーロック・ホームズは引退しました

──ベイカー街221Bに届いた失踪相談をきっかけに、ホームズ宛ての手紙を扱う郵便室の女性がロンドンの裏側へ踏み出す、軽やかな歴史ミステリ。

14.スティーヴン・キング『もし血が流れれば

──悲劇を食うニュースの怪物と、創作欲に取り憑かれた作家の悪魔的取引を通して、日常のすぐそばに開くキング流の恐怖を描くホラー中編集。

15.スティーヴン・キング『ロングウォーク

──止まれば撃たれる死の競技に参加した少年百人が、歩き続けるだけの道で友情も肉体も削られていく、あまりに苛酷なディストピアホラー長編。

16.『フレドリック・ブラウンSF短編全集2 星ねずみ (創元SF文庫)

──喋るねずみや悪魔、植字機、恐竜まで飛び出す奇想を、最後の一行で鮮やかに反転させるブラウン流SF短編の魅力が詰まった一冊。

17.ナオミ・クリッツァー『陽の光が消えた町で

──太陽の光が消えた終末の町で、人々が自転車やスープや小さな助け合いによって暮らしをつなぎ直す、ケアの温度を宿したSF短編集。

18.アン・クリーヴス『水面の弔花

──花で飾られた青年の死をきっかけに、ヴェラ警部が海辺の町に沈んだ嘘と過去の傷を掘り起こしていく、湿度の高い英国ミステリ。

19.ジョン・ブラックバーン『痛苦の聖母 (怪奇の本棚)

──血の伯爵夫人バートリの伝説を題材にした舞台をめぐり、ロンドンの劇場街で怪奇と医学の狂気が絡み合っていく英国ゴシック・サスペンス。

20.南條竹則『英国幽霊いまむかし (怪奇の本棚)

──中世の霊から近代の屋敷怪談、二十世紀の洗練された幽霊譚まで、英国怪談の変遷を時代順に味わえる古典アンソロジー。

21.フアン・ルルフォ『黄金の軍鶏

──闘鶏場で瀕死の軍鶏を拾った貧しい男が、歌姫ラ・カポネーラと幸運に導かれながら、勝負の熱と欲望に呑まれていく乾いた運命譚。

22.ディケンズ『バーナビー・ラッジ

──二十二年前の殺人事件の影を抱えた無垢な青年バーナビーが、宗教的熱狂に呑まれるロンドンで暴徒たちの旗印にされていく、犯罪と群衆劇が燃え上がる歴史長編。

23.トム・フィリップス『世界の破滅を信じた人たちのとんでもない世界史

──古代から現代まで繰り返されてきた終末予言の空振りをたどり、人間が破滅の物語に惹かれる理由まで笑いと皮肉で照らす歴史本。

目次

1.西式豊『処刑館殺人事件』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

館ものの王道を、創作論と処刑道具で派手に再構築した本格ミステリ。

館ものの王道を、処刑道具と創作論でぶん回す

山奥の洋館。跳ね上がる橋。姿を見せない招待主。謎の声。そして一人ずつ消えていく参加者たち。

はい、ミステリ好きが大好きなやつである。しかも舞台となるのは、群馬県北部の山奥に建つ豪奢な洋館・岨景館。名前からしてもう帰す気がない。

そこへ集められるのは、かつてミステリ作家養成講座で机を並べた同期の男女六人。売れっ子、デビューしたての新人、まだ芽の出ない者。それぞれが成功や焦り、嫉妬や矜持を抱えたまま、恩師である高名な推理作家・宇宿部彬の招待を受けて館へ向かう。

ところが、到着した途端に外界へ戻るための跳ね橋が上がる。恩師はいない。代わりに館へ響くのは、〈黒衣の処刑人〉を名乗る何者かの声だ。

「ミステリ作家は一人残らず罪人である」

この物騒すぎる宣告を合図に、館内に並べられた処刑道具を使った惨劇が幕を開ける。

しかも殺され方がえげつない。彼ら自身が過去に書いたミステリ小説のトリックをなぞっているのだ。これは復讐なのか、批評なのか、それとも最悪のファン活動なのか。とにかく設定の時点で、館ミステリ好きの心臓を掴みにくる。

作家が作家を裁く、あまりにも物騒な本格ミステリ

『処刑館殺人事件』の楽しいところは、館ものの定番を全力で鳴らしながら、そこに現代的な毒を盛ってくるところだ。

山奥の洋館、外界からの遮断、謎の告発者、見立て殺人。要素だけ見ると古典の香りがぷんぷんする。だが本作はそこへ、ミステリ作家たちが自作のトリックで処刑されるという仕掛けを重ねてくる。それはもう反則級においしい。

登場人物たちが全員、物語を作る側の人間というのもポイントだ。彼らは事件に巻き込まれながらも、つい分析してしまう。これは誰のプロットか。どの作品を模倣しているのか。犯人は何を見せたいのか。

恐怖のただ中で、作家としてのプライドや見栄や焦りが顔を出す。そのせいで、館の中の会話まで推理合戦めいてくる。怖いのに、妙に知的で、やたら面白い。

さらに本作は、現代のクローズドサークルとしても抜かりない。スマートフォンや通信環境が当たり前にある時代に、どうやって館を孤立させるのか。ここを曖昧にせず、きちんと物語の仕組みに組み込んでいる。昔ながらの館ミステリへの愛がありつつ、今この時代にやるならこうだ、というアップデート感もある。

そして終盤である。事件が一段落したように見えたあとも、物語はまだ終わらない。別の視点が差し込まれ、見えていた構図がぐるぐる組み替えられていく。

解決したと思ったら、まだ奥がある。真相にたどり着いたと思ったら、足元の床板がもう一枚外れる。こういう畳みかけはミステリ好きにはたまらない。

西式豊は、ギロチンや鉄の処女といった派手な道具を出しながら、ただの悪趣味な見世物にはしない。創作で死を扱うこと。事件を物語として楽しむこと。その後ろめたさまで、きっちり館の中へ閉じ込めている。

だから本作は、物騒で派手なのに、どこか創作論としても読める。ミステリというジャンルが持つ快楽と罪深さを、処刑道具つきで突きつけてくるのだ。

橋を上げ、声を響かせ、処刑道具を並べたうえで、ミステリ作家たちのプライドまでまとめて火にくべる。現実なら絶対に近づきたくない館である。

だが本の中なら話は別だ。ページを開いた瞬間、こちらももう岨景館の敷地内にいる。

逃げ場なし。

最高である。

悠木四季

『処刑館殺人事件』というタイトルでもう勝っているよねえ。古典館ミステリのご馳走感と、現代的な毒気を同時に味わえる一冊だ。

2.辻村深月『ファイア・ドーム』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

過去の事件と現代の失踪を通して、噂という火の恐ろしさを描く社会派ミステリ。

噂の火が、過去と現在をまとめて燃やしていく

スノードームを振ると、きれいな粉雪が舞う。小さな世界が、ほんの一瞬だけ美しく閉じ込められる。

辻村深月『ファイア・ドーム』の舞台となる地方都市も、最初はそんなふうに見える。山々に囲まれた、穏やかな街。けれど、その透明なドームの内側には、消えたはずの火種が残っていた。

25年前、この街では百貨店受付嬢誘拐殺人事件が起きた。事件そのものの凄惨さに加え、過熱する報道と人々の噂が、被害者側の生活まで焼いていく。真実よりも、わかりやすく盛り上がる物語が求められる。その空気の中で、傷ついた人たちはさらに追い詰められていった。

そして現代。写生遠足の帰り道、一人の男子小学生・光汰朗が姿を消す。これをきっかけに、25年前の事件は再び街の表面へ浮かび上がる。

終わったと思われていた火事が、まだ地中で燃えていたみたいに。

子供たちのまっすぐさと、大人たちの勝手な物語

『ファイア・ドーム』で胸をつかまれるのは、事件の謎だけではない。もちろん、現代の少年失踪事件、25年前の誘拐殺人事件、さらに同時期に起きた小学生轢き逃げ事件が絡み合っていくミステリとしての引力はすごい。

上下巻の厚みを使って、過去と現在、人の記憶と街の空気が少しずつつながっていく。この構成だけでも、辻村深月の長編を読んでいる実感がある。

ただ、本作が本当に刺してくるのは、事件を取り巻く外側の描き方だ。誰かが消えた。誰かが怪しい。きっとあの家には事情がある。そうやって人々は、確かな根拠のないまま、他人の人生に勝手な筋書きを貼りつける。しかも本人たちは、自分が火をつけている自覚がない。ここが怖い。悪意だけではなく、軽さが人を燃やすのである。

その中で、光汰朗の友人である速斗と一樹の存在がまぶしい。大人たちが噂に流され、勝手な推測で物語を作っていく中、子供たちは友人を信じ、自分たちの足で動こうとする。未熟だからこそ届くものがある。知らないからこそ、最初から決めつけない。その視線が、作品全体の重さを支えている。

新聞記者・桜木のパートも重要だ。情報を扱う仕事の怖さと責任。誰かの人生を記事にすることの重み。そこに向き合おうとする姿が、SNSやネットニュースの速度とは別の場所にある誠実さとして響く。辻村深月は、人の弱さを容赦なく描く一方で、それでも人を信じる余地を残す。そのバランスがやはり抜群にうまい。

『ファイア・ドーム』は、ただ犯人を探す小説では終わらない。誰が火をつけたのか。誰がそれを広げたのか。誰が遠くから眺めていただけなのか。読み進めるほど、炎は事件現場だけでなく、こちらの言葉の使い方にまで迫ってくる。

美しいスノードームの内側で舞っていたのは、雪ではなく灰だったのかもしれない。

そう気づいた瞬間、この物語の熱が一気に肌へ届く。

悠木四季

事件の真相だけでなく、人はなぜ他人の不幸を物語にしたがるのかまで突き刺してくる、辻村深月にしか書けない傑作だ。

3.米澤穂信『倫敦スコーンの謎』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

小鳩君と小佐内さんの小市民修業を、お菓子と謎で包んだほろ苦い連作ミステリ。

甘いお菓子の皿に、小鳩くんと小佐内さんのややこしさが載っている

小鳩常悟朗と小佐内ゆき。

この二人が小市民を目指している、という時点で無理がある。

穏やかに、目立たず、慎ましく。そうありたいと願っているのに、目の前に奇妙な謎が置かれると、どうしても脳が動いてしまう。しかも二人とも、賢さの奥に別の危うさまで抱えている。

真相へ近づくことの甘さも、そこに潜む毒も、ちゃんと知っている。だからこそ実に味わい深いコンビなのである。

『倫敦スコーンの謎』は、〈小市民〉シリーズの番外短編集第二弾。時期としては、高校一年の冬から高校二年の夏にかけての物語であり、小鳩君と小佐内さんがまだ互恵関係の中で、どうにか小市民として生きようとしていた頃のエピソードが描かれる。

収録作は『桑港クッキーの謎』『羅馬ジェラートの謎』『倫敦スコーンの謎』『維納ザッハトルテの謎』。タイトルからして甘い。だが、中身はちゃんと苦い。

甘いお菓子と、甘くない青春ミステリ

『倫敦スコーンの謎』というタイトルだけ見れば優雅なお茶会のようだが、実際に差し出されるのは、論理と自意識をたっぷり含んだ菓子皿だ。

クッキー、ジェラート、スコーン、ザッハトルテ。それぞれの質感や背景が、謎の形や人間関係のズレと結びついている。甘いものを食べながら、心の中では論理がパチパチ鳴っている。まさに米澤穂信らしさ全開である。

一話目では、美術家・縞大我をめぐる高校時代の作品の謎が浮上する。新聞部の堂島健吾が小鳩たちに相談を持ちかけ、過去の絵にまつわる違和感が少しずつ形を取っていく。

続くエピソードでは、フードコートで溶けていくジェラート、調理実習で失敗したスコーン、講演会前に届く脅迫状と石膏像の破損など、日常の中に転がる奇妙な出来事が扱われる。

派手な殺人事件などは起きない。だが、だから軽いわけでもない。むしろ小さな謎だからこそ、人の見栄や不安、責任感、隠しておきたい気持ちがくっきり浮かぶ。スコーンが生焼けになった理由ひとつにも、誰かの事情がある。そこに小鳩君の推理が届いてしまう。届いてしまうから、痛い。

小鳩君は論理で物事を整えようとする。小佐内さんは小佐内さんで、可愛らしい顔をしながら、甘いだけでは終わらない視線を持っている。二人は小市民を名乗りながら、どう見てもただの小市民ではいられない。その矛盾が、このシリーズのたまらない魅力だ。

謎を解くことは気持ちいい。けれど、解かれた側にとってはどうなのか。その手触りが、短編の一つひとつに残されている。さらに最終話で、最初のエピソードから続いていた縞大我をめぐる線が、別の事件と重なって見え方を変えていく。

短編集でありながら、一冊としてのまとまりもきちんとある。甘いものを順番に味わっていたはずが、最後にはコース料理を食べ終えたような満足感があるのだ。

『倫敦スコーンの謎』は、甘い顔をして油断させてくる一冊だ。クッキーもジェラートもスコーンもザッハトルテも、名前だけなら優雅でかわいい。

けれど皿の上には、論理と自意識と、まだうまく他人を扱えない若さが一緒に載っている。

小鳩君と小佐内さんは、今日も小市民になろうとしている。

でもたぶん、なりきれていない。

だからこそ、私たちはまた彼らの謎解きを追いかけてしまうのである。

悠木四季

小さな謎を解くたびに、二人が小市民から少しずつはみ出してしまうところがこのシリーズの醍醐味だ。

4.島田荘司『切り裂きジャック・百年の孤独[改訂完全版]』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

世界的未解決事件に、島田荘司流の巨大な論理をぶつけた歴史本格ミステリ。

ロンドンの霧とベルリンの壁が、百年越しにひとつの悪夢を映す

一八八八年、ロンドン。ホワイトチャペルの暗い路地で、娼婦たちが次々と殺される。

犯人は捕まらず、名前だけが伝説のように残った。切り裂きジャック。世界犯罪史の中でも、ここまで有名で、ここまで正体の見えない存在はそう多くない。

そして百年後の一九八八年、西ベルリン。東西を分断する壁に囲まれたこの街で、百年前の惨劇をなぞるような連続殺人が起きる。被害者の数、犯行の手口、事件の進み方。あまりにも似ている。これは模倣なのか。偶然なのか。それとも、百年前の亡霊が本当に霧の中から戻ってきたのか。

まさに島田荘司である。歴史上の未解決事件と、冷戦下の閉ざされた都市をぶつけてくる。このスケール感。この無茶に見える大仕掛け。

そして、それを本格ミステリとして成立させようとする腕力。こういうのを読むと、やっぱり島田荘司は大きな謎を扱うのが抜群に上手い作家だと思い知らされる。

百年を隔てた二つの都市が、鏡のように重なっていく

百年という時間は、本来なら事件を歴史の奥へ押し流すはずだ。だが本作では、その距離がむしろ不気味な反響を生んでいる。

ロンドンのホワイトチャペルは、帝国の繁栄の裏側にある貧困と不衛生の街だ。一方、西ベルリンは、壁に囲まれた現代の孤島であり、若者文化や退廃、政治的な緊張が渦巻く場所である。時代も国も違うのに、どちらも閉じ込められた空間として描かれる。その中で、同じ形の殺人が反復される。構図が強すぎるのだ。

しかも本作は、猟奇事件の不気味さだけで押し切らない。島田荘司らしいのは、そこに大胆な仮説と論理を持ち込み、世界的な未解決事件へ独自の答えを与えようとするところだ。

切り裂きジャックとは何者だったのか。なぜあのような犯行が起きたのか。百年後のベルリンで、なぜ同じ悲劇が繰り返されるのか。歴史の闇に、ミステリの光を無理やり差し込んでいくような迫力がある。

さらに、御手洗潔ファンにも見逃せない要素がある。ベルリンで事件に関わる風変わりな人物の存在が、物語に独特の浮遊感をもたらしている。紅茶を愛し、奇妙な振る舞いで周囲を振り回しながら、異様な頭脳で核心へ近づいていく。その姿には、島田ミステリならではの高揚感がある。

改訂完全版としての重厚さも見どころだ。歴史パートの空気、ロンドンの暗さ、西ベルリンの寒々しさ、そして猟奇と論理が接続される瞬間の美しさ。

グロテスクな題材を扱いながら、その奥には時代に押しつぶされた人々へのまなざしがある。ただ怖いだけでは終わらず、血と霧の向こうにひとつの悲しい構造が立ち上がるのだ。

百年前の霧を、百年後の壁の街へ呼び戻し、そこで新しい謎として燃え上がらせる。残酷で、不穏で、でも論理が決まる瞬間には鳥肌が立つ。

ロンドンの路地とベルリンの部屋が一本の線でつながったとき、切り裂きジャックはただの伝説ではなくなる。

島田荘司の手にかかれば、歴史の怪物さえ、本格ミステリの舞台へ引きずり出されるのである。

悠木四季

切り裂きジャックの伝説を、百年越しの鏡像ミステリとして組み上げた大作だ。

5.『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

乙一の三十年を、暗闇と声と孤独のモチーフからたどる自選短編集。

暗闇の中で、乙一はずっと誰かの声を探していた

乙一という名前には、青春の記憶と、物語に足をすくわれる予感が一緒にまとわりついている。

怖い話が来るのか。切ない話が来るのか。最後にひっくり返されるのか。

白乙一、黒乙一、中田永一、山白朝子。いくつもの名義や呼び方を持ちながら、その奥にはいつも似た手触りがある。誰にも言えない孤独。うまく届かない声。世界から半歩ずれた人間の、痛くて、変で、妙に忘れがたい姿だ。

『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026』は、作家自身が三十年の歩みから選び直した九編を収めた短編集である。『夏と花火と私の死体』で十七歳のデビューを飾った作家が、ホラー、ミステリ、青春、ファンタジー、朗読企画、WEB企画、同人誌的な場まで越境してきた。

その足跡を、まっすぐな代表作集というより、少し横道からたどるような構成になっている。

怖くて、切なくて、少し変で、やっぱり忘れられない

収録作品・初出一覧は以下のとおり。

「毒殺天使」(『とるこ日記 “ダメ人間”作家トリオの脱力旅行記』)
「ウソカノ」(『失はれる物語』)
「おじいさんのひげのなか」(『BALLAD Issue #1』)
「電車のなかで逢いましょう」(『U-cafe オツイチ特集号』)
「ベッドタイム・ストーリー」(『ベッドタイム・ストーリー』)
「山羊座の友人」(『ファウスト Vol.8』)
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』)
「子羊たちの冒険」(『オレンジ文庫創刊10周年記念「魔法のある日常」リレー短編』)
「アテンド探し」(書き下ろし)

並んだタイトルだけでも、乙一の幅がよくわかる。毒殺、嘘の彼女、ひげの中の世界、暗闇、未来の新聞、母を探す旅。普通なら別々の棚に置かれそうな題材が、乙一の手にかかると同じ暗がりでつながって見えてくる。

よく乙一は「白」と「黒」で語られる。切なく優しい物語と、残酷で冷えた物語。たしかに便利な分け方だ。けれど本書を通して読むと、その境界は思ったほどはっきりしていない。

『ウソカノ』の嘘は笑えるのに、孤独の輪郭をくっきり浮かばせる。『毒殺天使』の不穏さには、どこか淡々としたユーモアが混ざる。『おじいさんのひげのなか』の童話めいた発想にも、ほんの少し不安の影が差している。

乙一の物語では、人と人がまっすぐにはつながらない。電話、朗読、暗闇、身体感覚、未来の新聞、振り子。いつも少し変わった回路を通して、ようやく誰かの声が届く。ここがたまらなく乙一的だ。

『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』では、視界を失った場所で、声や気配だけが頼りになる。『ベッドタイム・ストーリー』では、朗読企画らしい近さがあり、耳元で物語がほどけていくような温度がある。

ミステリ好きとして血が騒ぐのは、やはり『山羊座の友人』だ。異世界からの漂流物、未来の新聞、これから起きる殺人。発想だけで十分においしいのに、そこへいじめの痛みと、誰かを見捨てずにいようとする不器用な行動が重なる。仕掛けは鋭い。なのに最後にこちらを掴むのは、論理の冷たさより、人間の寂しさのほうである。

後半の『子羊たちの冒険』や書き下ろしの『アテンド探し』には、三十年という時間がにじむ。若い頃の乙一は、暗闇の中でうずくまる少年少女を書いていた。今の乙一は、その暗闇をどう歩くか、誰がそばで案内してくれるかへ目を向けているように見える。鋭さがなくなったのではなく、痛みを抱えた人を見つける視線が、前より遠くまで届くようになったのだと思う。

『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026』を読むと、乙一はずっと暗闇を書いてきた作家なのだと改めて思う。怖い暗闇、寂しい暗闇、少し笑える暗闇、誰かの声だけが届く暗闇。その中で差し出された手が救いなのか、罠なのか、最後までわからない。

けれど、その手を見つめている時間がもう、乙一文学の中にいるということなのだ。

三十年経っても、乙一はまだ私たちを暗闇の入口に立たせてくる。

悠木四季

白乙一と黒乙一を分けるより、その二つが混ざり合う瞬間こそが本書の醍醐味だ。

6.芦沢央『あなたが正しくいられたとき』

おすすめ度:(4.8)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

正しさを信じる人間ほど危うくなる、芦沢央らしい心理ミステリ短編集。

その正義は、本当に最後まで正義のままでいられるか

正しさとは、常に自分の側にあると思ってしまう。

大切な人を守りたい。損をしたくない。過去の過ちに決着をつけたい。どれも、ごく当たり前の感情だ。

けれど芦沢央『あなたが正しくいられたとき』では、その当たり前が一歩ずつ形を変え、気づけば誰かを追い詰める刃になっている。怖い。ものすごく怖い。しかも他人事として片づけにくいのがまた怖い。

本作は、六つの心理ミステリを収めた短編集である。表題作では、同窓会を兼ねたバーベキューの場で、主人公の窪田が元恋人・黒川の娘を川から救い出す。普通なら、これは文句なしの善行だ。

ところが、黒川の不可解な態度をきっかけに、窪田は彼女は娘を虐待しているのではないかという疑念に取り憑かれていく。自分は正しいことをしている。その確信が、少しずつ危ない方向へ転がりはじめる。

善意と正義が、こんなに怖いものになるなんて

芦沢央は、善意や正義を最初から怪しいものとして描かない。むしろ、まっとうに見える感情の温度を保ったまま、ゆっくり危険な場所へ運んでいく。

創作の盗作疑惑に追い詰められる作家を描く『代償』。リベンジポルノに苦しむ女優が、人生を守るために密室殺人の偽装へ踏み出す『薄着の女』。子どもを守りたい親の不安が、街全体を疑心暗鬼に染めていく『立体パズル』。

無料マンガアプリの仕組みから完全犯罪を思いつく『待てば無料』。将棋と自粛ムードを絡め、夫婦の時間まで描く『投了図』。

並べてみると、題材の幅が広い。だが芯にあるのは、どれも「自分は間違っていない」という感覚の危うさである。

芦沢央は、善意をきれいなまま置いておかない。守りたい気持ちも、負けたくない気持ちも、正しくありたい気持ちも、少し角度が変わるだけで別の顔を持つ。その変化を、派手な説明ではなく、会話のずれや小さな判断の積み重ねで見せてくる。

ああ、そっちへ行くのか。止まってくれ。いや、でもその気持ちもわからなくはない。そう思っているうちに、足元の床が抜けるのだ。

ミステリとしても、もちろん抜かりない。どんでん返し、倒叙、アリバイトリック、日常の不穏さ。短編ごとに仕掛けの味が違い、読み進めるたびに別の角度から刺される感覚がある。

特に正しい側に立っている人物ほど危ない、という構図がいい。悪人の悪意よりも、善人の顔をした正義のほうが、ときにずっと手に負えないのだ。

読んでいて何度も背筋が冷える。犯人が怖いからでも、怪物が出てくるからでもない。怖いのは、普通の人が普通の顔で、自分の正しさを信じたまま一線を越えていくことだ。

芦沢央はその瞬間を見逃さない。やめてくれ、そこまで見ないでくれ、と思う場所まで平然と踏み込んでくる。だからページをめくる手が止まらない。

困る。だが、こういう困り方なら何度でも味わいたいのだ。

悠木四季

日常の善意が反転する瞬間を、鋭い心理とミステリの技巧で描き切っている。

7.『そうだ、君を憎めばいいんだ: 愛と殺意と七つの条件』

おすすめ度:(4.6)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

少女たちの愛と憎しみを、共通条件でぶつけ合う令和の競作クライムサスペンス。

同じお題から、まったく別の愛と殺意が立ち上がる

桜庭一樹と斜線堂有紀。

この二人が愛と殺意をテーマに競作する。

もう企画の響きだけで、何か大変なものが始まるに決まっている。しかも本作は、ただ同じテーマで書く短編集にとどまらない。日時、場所、小道具、必ず出てくるセリフなど、細かく決められた七つの条件をもとに、それぞれがまったく違う物語を立ち上げていく。

いわば小説版のプロンプト・バトルである。これは楽しい。しかし怖い。楽しいのに、ちゃんと痛いのだ。

舞台は二〇二〇年代の東京。きらびやかな都市の隅で、少女たちは愛されたい、認められたい、負けたくないという感情を抱えながら、ぎりぎりの場所に立っている。そこに渦巻くのは、まっすぐな恋愛と呼ぶにはあまりに濃い感情だ。

嫉妬、執着、支配欲、劣等感、自意識。愛と呼べば美しく見えるものが、別の角度から見ると殺意に近づいている。その危ない変化を、八つの短編がそれぞれのやり方で描いていく。

七つの条件が、少女たちの感情を暴走させる

同じ日時、同じ場所、同じ小道具。同じ材料がそろっているはずなのに、桜庭一樹と斜線堂有紀の手にかかると、まったく別の温度を持った物語が立ち上がる。

たとえば「ゲームオーバー」から始まる条件群では、斜線堂有紀の『場外戦』と、桜庭一樹の『怪物のまま生きてゆく』が並ぶ。

『場外戦』は、トレーディングカードゲームの世界に居場所を見つけていた百華の物語だ。彼女の前に現れるのは、才能も美しさも持った少女・ちなみ。自分だけの場所だと思っていた領域に、もっと鮮やかに輝く誰かが入ってくる。

その瞬間、自尊心が崩れ、カードゲームの勝敗を超えた感情が動き出す。コミュニティの中の格差、承認欲求、女であることへの視線。その全部が絡まり、ゲームの外側で本当の戦いが始まってしまう。

一方の『怪物のまま生きてゆく』では、中華料理店の娘・水が、自分の人生を理性的に進めようとしている。大学、奨学金、就職。現実的なルートを計算しながら生きている彼女の周囲に、姉や幼なじみ、そして不思議な存在感を放つ向日葵がいる。そこへ転落事件が起き、眠っていた感情が目を覚ます。桜庭一樹らしい、現実と幻想の境目が少し溶けるような手触りがある。

この競作のすごいところは、条件が単なる縛りではなく、作家の個性をしっかり浮かび上がらせている点だ。桜庭一樹は、少女の中にある美しさとグロテスクさを、寓話のような空気で包み込む。斜線堂有紀は、現代のコミュニティや推し、嫉妬、ネット的な距離感を、鋭いサスペンスへ変えていく。

同じ材料なのに、皿に乗って出てくる料理がまるで違う。こんな競作いくらでも読みたい。

『そうだ、君を憎めばいいんだ』は、愛をきれいな感情のまま終わらせない。好きだから欲しい。欲しいから奪いたい。奪えないから壊したい。そんな危うい連鎖が、東京の片隅で少女たちを追い込んでいく。

桜庭一樹と斜線堂有紀、二つの才能が同じ条件を手にしたとき、こんなにも違う地獄が生まれるのかと驚かされる。

甘くて、苦くて、刃物みたいに光る。

この二人の作家は、愛の顔をした美しい地獄を、真正面から差し出してきた。

悠木四季

七つの共通条件から、それぞれ別の青春犯罪サスペンスが生まれる構成が抜群に面白いのだ。

8.加門七海『裂神』

おすすめ度:(4.5)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

古い神楽面をめぐる祟りを、民俗学の手触りで描く鹿角南シリーズの伝奇ホラーサスペンス。

その面を被った瞬間、人は神の側から見られてしまう

夏休み中の大学キャンパスで、男子学生が古い神楽面を顔に当て、何かに取り憑かれたように舞う。

そして倒れ、そのまま怪死する。

出だしから嫌な気配が濃い。舞う、倒れる、死ぬ。しかも顔にあるのは、目の部分が縦に裂けたような奇妙な仮面である。

見たくないけれど見てしまう。加門七海のホラーは、こういう近づいたらまずいとわかっているものへ、こちらの足を向けさせるのがうまい。

作家の鹿角南と友人の和歌子は、和歌子の祖父が遺した神楽面の中に、怪死した学生が身につけていたものと同じ形の面を見つける。そこから二人は、学生の友人である村上と奈良崎とともに、面の出自を調べ始める。

手がかりは伊豆地方の祭祀。やがて一行は、伝統行事「虫追い神事」へと向かうことに。

だが、相手はただ棚に置かれている古道具とはわけが違う。人間の都合など聞く気のない、もっと古くて荒いものが動き出していた。

祓うのではなく、障りを避けるしかない怖さ

『裂神』がたまらないのは、怪異との距離感だ。鹿角南は、怪しいものを見て、感じ取り、追いかけることはできる。

けれど、彼は特別な力で全部を片づける万能の退魔師というより、怪異の気配を追い、危うい場所へ踏み込む人間である。神や祟りを相手にしたとき、人間ができることは、せいぜい手順を守ること、古い決まりを軽く見ないこと、先人たちが残した作法にすがることくらいなのだ。

この勝てない感じが、本作の怖さを支えている。面の正体を暴いても終わらない。由来を知れば安全になるわけでもない。むしろ知れば知るほど、踏み込んだ場所の危なさが増していく。

海に捨てたはずの面が戻ってくる。音がする。濡れている。そこにある。こういう一つひとつの現象が、妙に生々しい。派手な絶叫より、部屋の中に戻ってきている仮面のほうがずっと嫌だ。

加門七海らしい民俗学的な手触りも濃い。伊豆の土地、虫追い、死の番をする虫、神楽面。単なる設定として並べるのではなく、土地の記憶と人の暮らしの中から怪異が立ち上がってくる。

神とは、願いを叶えてくれる優しい存在というより、祀り、畏れ、距離を取ることで、どうにか関わってきたものだ。その感覚を忘れた現代人に、古い神のほうから触れてくる。それは最悪だ。最悪だが、ホラーとしては最高においしい。

『裂神』は、神を便利なパワースポットの記号にしない。そこにいるのは、人間の願いを聞くためだけの存在ではなく、触れ方を間違えればこちらを裂いてくる何かだ。

面の縦長の目はこちらが覗く穴ではなく、向こうから見られる裂け目なのかもしれない。そう思った瞬間、ただの木彫りの仮面が一気に怖くなる。

加門七海のホラーは、やはり知ってしまったあとの戻れなさがいい。

神とは近づいて理解するものではなく、遠ざけながら畏れるものなのだと、しみじみ思い知らされる。

悠木四季

退治するのではなく、手順を守って障りを避けるしかない緊張感が抜群に怖い。

9.餅屋蛾『ダクダデイラ』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

削除された怪文書たちが、クチコミ欄やスマホ画面からこちらへ滲み出してくる電脳ホラー。

削除された怪文書たちが、画面の底から這い上がってくる

インターネットには、見なかったことにしたほうがいい文章がある。

掲示板の奥、SNSの片隅、クチコミ欄の下のほう。誰が書いたのかも、なぜ書いたのかもわからないのに、妙に体温だけがある。

餅屋蛾『ダクダデイラ』は、そんなネットの底に沈んでいた怪文書を拾い集め、ひとつの本として編み直したモキュメンタリーホラーである。いや、これは本というより、削除済みフォルダから出てきた呪物ファイル集だ。

収録されるのは、病院のクチコミ、怪しい儀式の手順、意味のわからない投稿、日常の画面に紛れ込む異物めいたテキストたち。たとえば『日本で一番クチコミの悪い病院』では、入院中の患者が深夜の病棟で、白い顔の女と遭遇する。

枯れた花束を抱え、「お見舞いに来たよ」と囁く女。病院の廊下というだけで怖いのに、そこへネットのクチコミ文化が絡むことで、妙に現代的な気持ち悪さが生まれる。

さらに表題作『濁唾濔蓏』では、鏡、呪文、蛾、夢世界の寄生生物といった要素が、異様な儀式の手順として積み上げられていく。普通なら荒唐無稽で終わるはずなのに、文章の形式がやけに事務的なせいで逆に怖い。

怪異が一点に集まらず、ネットみたいに増殖していく

『ダクダデイラ』を読んでいると、怪異の輪郭をつかもうとするほど、逆に手元からこぼれていく感覚がある。断片がひとつの巨大な正体へ整理される快感より、ばらばらのまま増殖していく不安のほうが前に出てくるのだ。

呪いやまじないは、誰かの意思を離れて、別の場所へ、別の人へ、別の画面へと広がっていく。中心が見えない。だからこそ怖い。原因を突き止めて終わり、という安心感がないのである。

個人的にネット怪談の怖さは、距離の近さにあると思っている。古びた屋敷や山奥の廃村ではなく、スマートフォンの画面、検索結果、レビュー欄、投稿フォーム。毎日見ている場所に、少しだけ変なものが混ざる。その瞬間、いつもの端末が急に信用できなくなる。

本作は、その感覚をよくわかっている。クチコミサイトの見た目や、スマホ画面の再現があるだけで、これはどこかに本当にあったのでは、と脳が勝手に補完してしまうのだ。

しかも、話ごとの温度差もいい。生理的にきつい話、電脳呪詛めいた話、嫌な夢のような話がある一方で、スーパーAミワさんのように、どこか変な懐かしさをまとったエピソードもある。この緩急があるから、ただ不快なだけで終わらない。ネット文化の雑多さ、くだらなさ、懐かしさ、そしてその奥に口を開けている暗がりまで、まとめて本の中へ閉じ込めている。

『ダクダデイラ』を読むと、インターネットの画面が少し違って見える。レビュー欄の変な投稿、古い掲示板のログ、誰も読んでいなさそうな注意書き。そのひとつひとつが、何かの入口に思えてくる。

怖いのは、怪異が遠くにあることではない。

もう普段使っている画面の中に、入口が開いているかもしれないことだ。

悠木四季

怪異が一点へまとまるのではなく、ネット上をウイルスのように広がっていく構造が最高に嫌なのだ。

10.大舟『三重県津市西区平山町3-15-7』

おすすめ度:(4.5)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

地図にない住所が、人と記憶と怨念を呼び寄せる現代ネットロアホラー。

存在しない住所が、ネットと土地の隙間からこちらを呼ぶ

三重県津市西区平山町3-15-7

この住所にまず引っかかりを覚える。

三重県津市は実在する。けれど「西区」も「平山町」も存在しない。つまり、地図には出ない。検索しても正しい場所へはたどり着けない。

なのにこの住所は、ネット掲示板、検索履歴、いたずら電話、新聞記事、テレビのテロップといった、あらゆるメディアの隙間に何度も現れる。住所という身近な記号が、いきなり怪異の入口になってしまうのだ。

作家の小林は、この奇妙な住所に惹かれ、調査を始める。ネット上の書き込みを追い、古い資料や地図を調べ、実際に現地へ向かう。すると、無関係に見えていた失踪や変死が、少しずつ「三重県津市西区平山町3-15-7」へ集まっていく。

さらにその背後には、バブル期の住宅開発と、取り壊された墓地、そして凄惨な過去を持つ家族の影が浮かび上がる。

地図にない住所が、現実のすぐ隣に穴を開ける

怪異は山奥の祠から現れるとは限らない。検索窓、掲示板、ニュース映像、電話の履歴。そういう日常の画面からも、十分に入り込んでくる。

『三重県津市西区平山町3-15-7』の怖さは、まさにそういう怪異の出方が現代的なところにある。古い墓地、土地の因縁、家族の怨念。材料だけ見れば土着ホラーの系譜だ。

けれど本作では、それがネット掲示板や検索ログ、ニュースの断片、スマートフォンの画面を通じて広がっていく。湿った土地の呪いと、乾いたデジタル情報がつながる。この組み合わせがめちゃくちゃ嫌なのだ。

しかも、舞台の作り方がうまい。実在する三重県津市に、存在しない区画をひとつ差し込む。そのわずかなズレだけで、見慣れた地図が急に信用できなくなる。

ありそうでない。ないはずなのに、どこかにありそう。この感覚が、モキュメンタリーホラーとして抜群に効いている。資料を読んでいるだけのはずなのに、いつの間にか自分も調査に参加しているような気分になってしまう。

本作は、単に怖い断片を並べるだけでは終わらない。バブル期の土地開発、墓地の移転、地方の共同体、家族という閉じた関係。その全部が、存在しない住所を中心に結び直されていく。怪異の背景にあるのは、忘れられた人々と、なかったことにされた土地の記憶だ。

だから怖さに芯がある。幽霊が出ました、はい終わり、にはならない。なぜそこが呼び続けるのか。その理由が見えてくるほど、嫌な納得が胸に沈む。

『三重県津市西区平山町3-15-7』を読むと、住所というものが少し怖くなる。住所は本来、場所を示すための記号だ。けれどこの小説では、その記号が場所ではなく、何かの欠落を指し示している。

地図の空白、消された墓、壊された家族、忘れられた過去。そこへネットが接続された瞬間、怪異は一気に現代へ流れ込んでくる。

検索してはいけない。調べてはいけない。

そう思うほど、指は画面へ伸びる。これぞモキュメンタリーホラーの嫌なおいしさである。

悠木四季

実在する土地に存在しない住所を紛れ込ませる、という発想が素晴らしい。

11.『怖い熊 傑作アンソロジー』

おすすめ度:(4.7)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

人が忘れがちな、野生は人に合わせてくれないという事実を叩き込む熊アンソロジー。

山の王者は、こちらの理屈などまったく知らない

熊は、ぬいぐるみの顔をした自然災害だ。

山の奥で出会ってしまった瞬間、人間の都合も、道徳も、登山経験も、全部まとめて吹き飛ばす存在である。

『怖い熊 傑作アンソロジー』は、その当たり前の事実を、容赦なく突きつけてくる本だ。いや、わかってはいた。熊が危ないことくらい、知識としては知っている。

だが本書を読むと、その「知っている」が一気に身体感覚へ変わってしまう。山は怖いし、熊はもっと怖く見えてくる。

本書は、山と溪谷社が編んだ、熊と人間の遭遇をめぐるアンソロジーである。収録されているのは、実話、または実話をもとにした小説や記録。

今野保『手負い熊』、吉村昭『耕平』、戸川幸夫『羆風』、羽根田治『日高・カムイエクウチカウシ山のヒグマ襲撃事故』、木村盛武『北千島の人食いヒグマ事件と私』など、タイトルを並べるだけで空気が重くなる。

どれも、人が野生の領域へ足を踏み入れたとき、何が起こりうるのかをまざまざと見せてくる物語だ。

熊の怖さは、悪意がないところにある

人は理由を探したがる。なぜ襲われたのか。何が熊を刺激したのか。

けれど本書にあるのは、熊にとって人間の事情など最初から勘定に入っていないという恐怖である。

熊は復讐しない。人間を罰しようとしているわけでもない。ただ、生きるために動く。腹が減れば食べ、邪魔なものがあれば排除し、獲物だと認識すれば追う。その無慈悲なシンプルさが、人間にとっては悪夢になる。

特に、羽根田治によるカムイエクウチカウシ山の記録はすさまじい。大学生のパーティーがヒグマに荷物を狙われ、追われ、判断を狂わされていく。文章は抑えられているのに、だからこそ怖さが増す。誰かが叫ぶよりも、時間経過と行動の記録だけが積み上がっていくほうが、逃げ場のなさを感じさせるのだ。

一方で、吉村昭や戸川幸夫の小説形式の収録作には、人間の心理が濃く出る。恐怖、油断、覚悟、諦め。三毛別羆事件をもとにした凄惨な物語は、獣害という言葉だけでは片づかない重さを持っている。家も村も共同体も、人間が築いてきた安全圏のはずだった。だが、熊が来た瞬間、その境界は簡単に破られる。

本書を読むと、自然への見方を変えられてしまう。自然は癒やしの場でもあるし、美しい場所でもある。けれど同時に、人間を特別扱いしない場所でもある。

そこでは「かわいそう」も「助けて」も通用しない。こちらがどれほど必死でも、熊にとっては別の生き物がそこにいるだけなのだ。この冷たさが、幽霊や怪物とは別種の怖さとして迫ってくる。

山へ入ること、自然に近づくこと、野生の領域に身を置くこと。『怖い熊 傑作アンソロジー』はその意味を、血の匂いがするほどの現実感で教えてくる。

熊は怪物というより、ただ圧倒的な力を持った生き物としてそこにいる。だからこそ、怪物よりずっと怖い。

そこには倫理も演出もなく、ただ生き物としての力がある。

悠木四季

小説形式の恐怖と、事故記録のような淡々とした恐怖、その両方が味わえる戦慄のアンソロジーだ。

12.福井栄一『全訳 大和怪異記: 古典怪談玉手箱』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

江戸の怪談文化を、現代語で開ける古典ホラーの玉手箱。

江戸の怪談箱を開けると、日本の怖さの原型が詰まっている

怪談は、長ければ怖いというものではない。むしろ短い話ほど、逃げ場がないことがある。

福井栄一『全訳 大和怪異記:古典怪談玉手箱』は、そのことを思い知らせてくる古典怪談集だ。江戸中期、宝永六年に刊行された著者不明の奇書『大和怪異記』を、現代語でまるごと味わえるようにした本である。

百五篇。しかも、誰が何のために編んだのか、そこからもうよくわからない。怪談集としての中身だけでなく、本そのものの出自まで少し不穏なのがいい。

収められているのは、日本武尊、安倍晴明、源実朝、吉田兼好など、歴史や伝承の中で知られる人物たちをめぐる怪異から、病、祟り、転生、妖変、肉体の異変までさまざま。

目鼻が消える。背中から虱が湧く。女の死骸が蝶になる。孫を殺す祖母の話まである。

……幅が広すぎる。神話、説話、仏教的な因果、土地の伝承、人間の業。それらが小さな箱の中にぎっしり詰められている。

古典怪談は、説明しすぎないから怖い

本書がいいのは、怪異の語り口がとにかく短く、乾いているところだ。現代のホラーのように心理を細かく描き込むのではなく、起きたことがすっと差し出される。

誰それがこうなった。祟りでこう死んだ。身体がこう変わった。以上。これが怖い。説明の余白に、こちらの想像が勝手に入り込んでしまう。

しかも、その短い話の奥には、当時の人々が世界をどう受け止めていたかが見える。災害、病、死、理不尽な不幸。宝永年間は、大地震や富士山噴火など大きな災厄の時代でもあった。

理由のわからない出来事を、人々は怪異や因果の物語として受け止めていたのだろう。怖い話でありながら、同時に世界を理解するための古い装置でもあったわけだ。

福井栄一の現代語訳は、古典の空気を残しつつ、読みやすく整理されている。難しい古文の壁を越えずに、江戸の怪談棚へ手を伸ばせるのはありがたい。

古典に詳しくなくても、短い怪談を拾い読みするだけで楽しめるし、現代の実話怪談やネット怪談の源流を探るような読み方もできる。そう考えると、本書は単なる古典紹介ではなく、日本のホラーがどこから来たのかを覗くための入口でもある。

『全訳 大和怪異記』の怪談は、声高に脅かしてこない。けれど、短い数行の中に、病の怖さ、死の近さ、祟りへの畏れ、人間の残酷さがすっと置かれている。

派手な怪物が出なくても、人は十分に怖がれる。むしろ、昔の人々が当たり前のように語っていた怪異のほうが、今の私たちの足元を冷たく撫でてくる。

玉手箱のふたを開けたつもりが、底から覗いていたのは、日本人が長く抱えてきた恐怖そのものだった。

悠木四季

百五篇の短い怪異譚が、神話・歴史・祟り・肉体変化まで一気に見せてくる贅沢な古典怪談集である。

13.ホリー・ヘップバーン『シャーロック・ホームズは引退しました』

おすすめ度:(4.8)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

ベイカー街221Bの郵便室から始まる、ホームズ不在の時代の女性探偵物語。

ベイカー街221Bに届いた手紙が、ひとりの女性を探偵にする

シャーロック・ホームズは実在しない。

もちろん、私たちはそれを知っている。だが、一九三二年のロンドンには、そう思っていない人たちが山ほどいた。

ベイカー街221B宛てに、世界中から事件相談の手紙が届く。失踪、盗難、家庭の秘密、どうにもならない悩み。名探偵に助けてほしい人たちは、今日も封筒に希望を詰めて投函する。この設定だけでちょっと最高すぎやしないか。

本作の主人公ハリエット・ホワイトは、アビーロード金融組合の郵便室で働く若い女性である。実は男爵家の孫娘なのだが、その身分を隠し、自分の力で生きようとしている。

彼女の仕事は、ホームズ宛ての手紙に「引退して養蜂中です」と返事を書くこと。つまり、名探偵への依頼をひたすら断る係である。うらやましいような、切ないような、不思議な仕事である。

ところがある日、列車の中で消えた若いメイドを捜してほしいという手紙が届く。ハリエットはそれをただの断り状で済ませられない。そこで彼女は、ホームズの秘書「R・K・モス」を名乗り、こっそり調査を始める。

ここから物語は、貴族社会とロンドンの裏通りを行き来する、軽やかでスリリングな二重生活へ走り出す。

ホームズ不在の街で、ハリエットが自分の足で謎を追う

ホームズの名前は、物語の中心にどっしり置かれている。

しかし、この小説がきちんと見つめているのは、ベイカー街221Bに届く手紙を前にして、ただの断り状では済ませられなくなったハリエットのほうだ。名探偵の不在が、彼女を動かす。そこに、この物語の軽やかな力がある。

時代背景もおいしい。晩餐会の灯り、母親の結婚話、貴族社会の礼儀作法。ハリエットの周囲には、いかにも上品なロンドンが広がっている。しかし、彼女が一通の手紙を追いかけた先で見えてくるのは、失踪したメイド、裏社会を渡り歩く女たち、そしてフォーティ・エレファンツの名だ。紅茶の香りがふっと薄れた途端、この街はまったく別の顔を見せはじめる。

ハリエットの調査は、派手なひらめきだけで進まない。話を聞き、歩き、確かめ、危ない橋も渡る。ホームズのように一瞬で真相を射抜くのではなく、自分の身分や時代の制約とぶつかりながら前へ進む。これは名探偵の伝説を借りながら、これは彼女自身が自分の物語を手に入れていく話でもあるのだ。

『シャーロック・ホームズは引退しました』は、ホームズ愛だけに寄りかからない。名探偵がいないからこそ、ハリエットは自分の足でロンドンを歩き、自分の名前ではない名前を使って、それでも自分の意思で事件に向かっていく。

ベイカー街に届いた封筒の山。その中の一通が、断り状ではなく冒険の扉へ変わる。

養蜂中の名探偵の代わりに、郵便室の彼女がロンドンの霧の中へ踏み出すのである。

悠木四季

「ホームズは引退中」という断り文句から、本物の調査が始まる発想が抜群に楽しい。

14.スティーヴン・キング『もし血が流れれば』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

ニュースの悲劇と創作の欲望がそれぞれ怪物を呼び込む、キング印の恐怖譚。

ニュース画面の向こうと、山荘の机の上からやってくる恐怖

スティーヴン・キングには、いくつもの顔がある。

少年たちの友情を書くキング、町そのものを描くキング、作家の狂気を書くキング。

そしてもちろん、こちらの首筋に冷たい息を吹きかけてくる、怖い方のキング。

『もし血が流れれば』に収められた表題作と『ラット』は、その怖い方がきっちり前に出ている物語だ。ニュース画面と山奥の山荘。どちらも日常の延長にある場所なのに、キングが触れると、そこに怪物の入口が開く。

表題作『もし血が流れれば』は、『アウトサイダー』の後日譚にあたる中編である。クリスマス休暇を前に、中学校で爆弾テロが起き、多くの子供たちが犠牲になる。私立探偵ホリー・ギブニーは、その悲惨な事件を報じるテレビニュースの中で、有名キャスターのオンド・ハリスに違和感を抱く。

悲劇を伝えているはずの男が、どこか高揚している。まるで人々の苦しみを食べているように見える。かつて異形の存在と対峙したホリーは、その直感を見逃さない。

もう一編の『ラット』では、長編小説を書けずに苦しむ大学教師ドリュー・ラーソンが、亡き父の山荘へこもる。ようやくつかんだ長編の構想。家族から離れ、書くことだけに没頭する時間。

だが嵐が山荘を孤立させ、発熱で意識が揺らぎ始めたころ、彼の前に言葉を話すネズミが現れる。

長編を完成させたいなら、身内の誰か一人の命を差し出せ。作家にとって、これほど嫌な取引はない。

悲劇を食う怪物と、物語に食われる作家

『もし血が流れれば』の怖さは、怪物がニュースの中にいることだ。夜道でも廃屋でもない。テレビ画面の中で、整った声と表情を使って事件を伝える人物。その奥に、人間の悲鳴を栄養にする何かが潜んでいる。

キングはここで、怪奇を使いながら、悲劇を消費する社会のいやらしさを撃ってくるのだ。血が流れるほど注目される。痛ましいほど話題になる。そんな仕組みの真ん中に、本当に血を欲しがる存在を置くのだから嫌すぎる。つまり最高にキングである。

ホリーの物語としても読み応えがある。彼女は万能のヒーローというより、むしろ不安も過去の傷も抱えた人物だ。それでも、違和感をなかったことにしない。自分の弱さを抱えたまま、危険な相手へ近づいていく。そこに『アウトサイダー』以降のホリーの成長がある。怪物退治でありながら、ひとりの女性が自分の足場を取り戻す物語にもなっているのだ。

『ラット』はまた別方向に嫌な味がある。作家が山荘にこもる。嵐が来る。体調が崩れる。頭の中で物語と現実の境目がゆるんでいく。出ました、キングの得意技である。

言葉を話すネズミの提案は、悪魔的なのに妙に童話めいている。だからこそ怖い。長編を書き上げたいという願いが、家族への愛や良心を少しずつ削っていく。書くことは尊い。だが、書きたいという欲望は、ときどき人をひどく身勝手にする。

『もし血が流れれば』では、怪物は墓場から出てこない。ニューススタジオの照明の下で微笑み、山荘の床を小さな足で歩き、こちらが安全だと思っていた場所に座っている。

ホリーは画面の違和感を見逃さず、ドリューは机の上の原稿に吸い寄せられていく。

血を求めるニュースと、完成を求める小説。

その二つの欲望が並んだとき、キングのホラーはいつもの顔でこちらを振り向くのだ。

悠木四季

ホリー・ギブニーの成長譚と作家の狂気。怖い方のキングを存分に味わえる作品だ。

15.スティーヴン・キング『ロングウォーク』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

止まることを許されない少年たちを描いた、ディストピア・サバイバル小説の原点。

少年たちは、止まれない道を歩かされる

道がある。少年たちがいる。彼らは歩く。

たったそれだけなのに、スティーヴン・キング『ロングウォーク』は、どうしようもなく怖い。

怪物は襲ってこない。呪いの館に閉じ込められるわけでもない。ただ、立ち止まれない。眠れない。座れない。速度を落とせば警告され、四度目で撃たれる。ルールは単純。だから逃げ道がない。

舞台は、全体主義的な体制に支配された近未来のアメリカ。国家的なイベントとして、十四歳から十六歳までの少年百人が参加する死の競技〈ロングウォーク〉が開かれる。

出発地点はメイン州。そこから南へ向かい、最後の一人になるまで歩き続ける。最低速度は時速四マイル。下回れば警告。警告が重なれば、背後の装甲車から兵士が銃を向ける。

主人公のレイ・ギャラティは、その百人のうちの一人だ。道中でマクヴリーズやステビンズらと出会い、くだらない会話をし、励まし合い、ときには互いの奥にある傷にも触れていく。だが、友情が芽生えたところで競技は止まらない。

足は腫れ、眠気は思考を壊し、銃声がひとつ鳴るたび、誰かの名前が道の上から消えていく。

歩くという日常が、少しずつ処刑に変わる

『ロングウォーク』でまず胃にくるのは、恐怖の仕組みがあまりにも簡素なことだ。

歩け。止まるな。遅れるな。命令はそれだけ。派手な迷路も、複雑なゲームもない。けれど、単純だからこそ肉体へ直接くる。足の裏が痛む。喉が乾く。眠りたいのに眠れない。体が自分のものではなくなっていく。その崩壊を、キングは少年たちの会話と銃声の間に刻み込んでいく。

しかも、この競技を沿道の人々が見ている。応援し、拍手し、熱狂する。少年たちが壊れていく姿が、国家の娯楽になっているのだ。ここが本当に嫌である。死に向かって歩く子どもたちと、それをイベントとして消費する社会。その距離の近さが、ホラーとしてあまりに冷たい。

ギャラティたちの会話も胸を刺す。彼らは死を前にしても、急に立派な英雄へ変わったりしない。弱音を吐くし、見栄も張る。くだらない話で笑い、相手を気にかけ、次の瞬間には自分の足の痛みで精一杯になる。

だからこそ、ひとりずつ脱落していくたびに、ただ人数が減ったとは思えない。さっきまで言葉を交わしていた少年が、道の後方へ置いていかれる。銃声のあと、列はまた進む。

『ロングウォーク』は、歩くことの意味を変えてしまう。前へ進む。足を出す。呼吸を整える。本来なら生きるための動作が、この物語では死を先送りするための作業になる。

ギャラティたちはゴールを目指しているのではなく、背後の銃口から、ほんの数歩ぶんだけ遠ざかっているだけなのだ。

道はどこまでも続く。少年たちは歩く。

誰かが倒れても、列は止まらない。

悠木四季

ただ歩くという行為を、ここまで残酷なデスゲームへ変えたキング初期の怪作にして傑作だ。復刊してくれたのは本当にありがたい。

16.『フレドリック・ブラウンSF短編全集2 星ねずみ (創元SF文庫)』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

宇宙規模の奇想とブラックユーモアを、数ページの短編へ詰め込んだブラウン初期傑作集。

小さな短編の中で、宇宙も悪魔も恐竜もひっくり返る

フレドリック・ブラウンの短編は小さい。だが油断してはいけない。

小さい箱だと思って開けたら、中から宇宙船と悪魔と恐竜と喋るねずみが飛び出してくる。しかも最後に、こちらの足元までひっくり返していく。

『フレドリック・ブラウンSF短編全集2 星ねずみ』は、そんなブラウンの初期衝動とアイデアの鋭さをぎゅっと詰め込んだ一冊である。

本書に収録されているのは、『最後の決戦』『エタオイン・シュルドゥル』『星ねずみ』『新入り』『天使ミミズ』『帽子の手品』『白昼の悪夢』『パラドックスと恐竜』『イヤリングの神』の九編。

悪魔と人間の最終戦争、自我を持つ植字機、宇宙へ行ったねずみ、現代に迷い込む古代の神、タイムパラドックス、地球侵略。並べるだけで、もう発想の弾倉がどうかしている。

しかも一作一作が短い。なのに、ちゃんと世界が変わる。これがブラウンである。

喋るねずみと、最後の一行の切れ味

表題作『星ねずみ』は、自家製ロケットで宇宙へ飛ばされた灰色ねずみ、ミッキーの物語だ。異星人の超科学によって知性と言葉を得たミッキーは、地球へ戻ってくる。普通なら、ここから愉快な動物SFになりそうなものだ。

ところがブラウンは、その先でふっと笑いを冷たくする。賢くなりすぎたねずみは、もう普通のねずみの世界には戻れない。かといって、人間社会にも入れてもらえない。喋れる。考えられる。だからこそ、どこにも居場所がない。なんという切なさだろう。ねずみの話で、そんな場所まで連れていくのか。

『エタオイン・シュルドゥル』では、植字機がただの機械ではいられなくなる。文字を並べる道具が、世界を書き換える側へ回ってしまう。この発想も実にブラウンらしい。言葉が現実に干渉する、というSF的な怖さを、軽い調子でさらっと出してくるのがいい。

『パラドックスと恐竜』では、タイムトラベルと恐竜絶滅を扱いながら、無駄な飾りを削り落としたパズルのような手つきで読ませる。『白昼の悪夢』は、他惑星を舞台にしたSFミステリとして、何が起きているのかを少しずつ見せていく構成が鮮やかだ。

ブラウンは奇想の人であると同時に、ミステリの人でもある。だから、ただ変なアイデアを見せて終わらない。必ず、なるほど!という着地を用意してくる。

『星ねずみ』を読んでいると、短編という形式の怖ろしさがよくわかる。長く語らなくても、世界は崩せる。数ページあれば、宇宙へ行ける。最後の一行があれば、人間の思い込みまで裏返せる。

ブラウンは大きな声で脅かさない。軽い顔で近づいてきて、ポケットから小さな爆弾を取り出す。

そして次の瞬間、ねずみも神も恐竜も、私たちの常識の上で派手に跳ね回っている。

悠木四季

小さな短編の中でSFのアイデアとミステリの切れ味が爆発する、ブラウン入門にもぴったりの一冊だ。

17.ナオミ・クリッツァー『陽の光が消えた町で』

おすすめ度:(4.8)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

終末、AI、怪物、人魚伝承を通して、人と人のつながりを描くホープパンクSF短編集。

世界の終わりに、最初に必要なのは英雄ではなく隣人だった

太陽の光が消える。空は冷え、町は暗くなり、物流は止まり、いつもの生活が少しずつほどけていく。

終末SFなら、ここから暴動、略奪、銃声、荒野のサバイバルへ転がってもおかしくない。

けれどナオミ・クリッツァー『陽の光が消えた町で』は、そこでまったく別の景色を見せる。人々は地下シェルターへ逃げ込むのではなく、家の奥に眠っていた自転車を引っ張り出す。

誰かがペダルを漕ぎ、誰かがスープを作り、誰かが高齢者の家を見に行く。世界が暗くなったからこそ、町の小さな手が次々につながっていくのだ。

本書は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞などで高く評価されてきたクリッツァーの日本初短編集である。表題作のほか、『小さな図書館の司書さまへ』『怪物』『報酬は猫の写真で』『海を見渡す四姉妹』『アルゴリズムでよりよい人生を』を収録。

AI、図書ボックス、人魚伝承、バイオSF、終末の町。題材はばらばらに見えるのに、どの作品にも、人と人がどう関わるかという手ざわりがある。

終末の暗がりで、ケアが物語を動かしていく

この物語では、終末が大きな爆発音ではなく、台所や玄関先や自転車のペダルから始まっていく。

太陽が消えた世界で、町の人たちはまず、目の前の暮らしをどうつなぐかを考える。余ったジャガイモを分ける。自転車で電気を生む。孤立した人に声をかける。

大げさな救世主は現れない。けれど、ペダルを漕ぐ足や、鍋をかき混ぜる手や、玄関先で交わされる短い言葉が、世界の終わりに対抗していく。この優しさには、甘さの奥にきちんと苦さもあるのだ。

『怪物』では、高校時代の支配や排除が、友人関係の傷として浮かび上がる。『報酬は猫の写真で』では、人間を幸せにしたいAIが、猫の写真を報酬にこっそり奮闘する。可笑しいのに、テクノロジーと善意の距離感が妙に胸に来る。『アルゴリズムでよりよい人生を』では、便利な判断システムの先に、外へ出て人と会うという、ごく当たり前の場所が見えてくる。

クリッツァーのSFは、巨大な発明や未来の設定を見せびらかさない。むしろ、SF的な仕掛けを通して、台所、庭先、図書ボックス、町内のネットワークへ目を向ける。

そこで動いているのは、誰かを気にかける力だ。世界が壊れかけても、人はまだスープを分けられる。猫の写真を送れる。玄関の外へ出て、隣の誰かに声をかけられる。

そう、『陽の光が消えた町で』の暗闇には、絶望の底にもまだ人の手つきが残っているのだ。誰かが自転車を漕ぎ、誰かが鍋を火にかけ、誰かが本の箱にそっと贈り物を置く。

世界が冷えていくとき、人間のあたたかさは大げさな演説ではなく、そんな小さな動作の中に宿る。

太陽が消えた町で、最後まで光っているのは、隣にいる誰かを気にかける心なのだ。

悠木四季

暗い世界の中で、派手な勝利ではなく、小さなケアの積み重ねが希望として立ち上がるのがいいのだ。

18.アン・クリーヴス『水面の弔花』

おすすめ度:(4.6)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

花で飾られた連続殺人を追う、ヴェラ・スタンホープ警部シリーズの英国警察ミステリ。

花で飾られた死が、海辺の町の嘘を浮かび上がらせる

浴槽の水に、花が浮いている。色とりどりの草花が、まるで誰かの手で丁寧に並べられたように、水面を飾っている。

しかし、その下に沈んでいるのは十九歳の青年の遺体だ。美しい。だからこそ、気味が悪い。

アン・クリーヴス『水面の弔花』は、この最初の光景だけで、もう逃がしてくれない。

舞台はイングランド北東部、ノーサンバーランド。短い夏の夜、ジュリー・アームストロングは外出から戻り、浴槽で息絶えた息子ルークを見つける。ルークはかつて友人を水難事故で亡くし、心に傷を抱えたまま精神科の病院から退院したばかりだった。

だが、自死とは考えにくい。誰かが彼を殺し、その遺体を水と花で飾ったのだ。

捜査にあたるのは、女性警部ヴェラ・スタンホープ。身なりに頓着せず、部下にも甘くない。だが人の嘘を嗅ぎ分ける勘と、どこまでも食い下がる粘りは本物である。ヴェラがルークの周辺を調べ始めた矢先、海岸のタイドプールで若い女性の遺体が発見される。

その水面にも、花。犯人はなぜ死者を飾るのか。弔いなのか、見せつけなのか。それとも、もっと歪んだ願いなのか。

花の下に沈むものは、死体ひとつに限らない

このミステリでまず目を奪われるのは、水面に花を浮かべるという見立ての美しさだ。だが、アン・クリーヴスはそれを派手な猟奇趣味で終わらせない。

花びらを一枚めくるたび、町の人間関係のぬかるみが見えてくる。家族、友人、恋人、過去の事故、誰かを守るための嘘。きれいに整えられた水面の下で、沈殿していたものが少しずつ濁りはじめる。

ヴェラの存在感も重要だ。洗練された名探偵ではないし、優しい上司でもない。ずけずけ踏み込み、相手の痛いところを突き、時には煙たがられる。それでも彼女が現場に入ると、空気が変わる。花の美しさに惑わされず、遺体の周りにいる人間を見つめる。その目つきがいい。事件を飾りではなく、生活の中で起きた殺人として引きずり戻していく感じだ。

ノーサンバーランドの海辺の町も、事件の背後でじっと湿った気配を放っている。霧、海風、潮溜まり、閉じたコミュニティ。誰もが少しずつ知り合いで、誰もが何かを隠せそうな距離にいる。

都会の匿名性とは違う息苦しさがあり、そこに水と花のイメージが重なる。美しい弔いの顔をした殺人が、町の奥にしまわれていた傷を浮かべていくのだ。

『水面の弔花』では、花は慰めではなく、合図のように浮かんでいる。浴槽に、潮溜まりに、死者のまわりに。

ヴェラはその花を眺めて終わらせない。水を濁らせ、底をさらい、そこに沈んでいた嘘をつかみ上げる。

きれいに飾られた死の下で、人間の弱さと罪だけが、冷たい水に濡れたまま横たわっている。

悠木四季

水面に浮かぶ花の美しさが、かえって人間関係の暗さを際立たせているという皮肉……。

19.ジョン・ブラックバーン 『痛苦の聖母 (怪奇の本棚)』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

エリザベート・バートリ伝説をロンドンの劇場へ呼び込んだ、血と怪異のオカルト・サスペンス。

血の伯爵夫人の伝説が、ロンドンの劇場に忍び込む

ロンドンの劇場街に、新作舞台『痛苦の聖母』の噂が広がっている。

題材は、エリザベート・バートリ。若さと美貌を保つため、若い女性たちの血を求めたという、あの「血の伯爵夫人」である。もう演目の時点で不穏だ。

客席の赤いビロード、舞台袖の暗がり、女優の白い顔。そこに血の伝説が重なった瞬間、劇場そのものが巨大な棺のように見えてくる。

主演を務めるのは、大女優スーザン・ヴァランス。圧倒的な才能を持ちながら、傲慢で敵も多い。新聞記者ハリー・クレイは、そんな彼女のもとへ不審な医師ポール・トレントンが出入りしていることに気づく。

さらに、ある泥棒が「この世のものとは思えないものを見た」と怯えきった様子で語り出す。トレントン、スーザン、舞台『痛苦の聖母』。ばらばらに見えた点が、血の匂いをまとって近づいていく。

やがて、秘密に触れた者たちは不可解な死を遂げる。呪いなのか。医学の狂気なのか。あるいは、人間の悪意が古い伝説の仮面をかぶっているだけなのか。初日の幕が近づくほど、劇場の外と内の境目は薄くなっていく。

劇場の華やかさが、怪異の仮面になる

『痛苦の聖母』では、血の伯爵夫人の伝説が、単なるゴシック趣味の飾りで終わらない。

華やかな舞台の準備、女優のプライド、記者の嗅覚、不穏な医師の影。それぞれが劇場の裏側で絡み合い、伝説は古い物語ではなく、いま目の前で起きている事件の形を取り始める。

照明が当たる表舞台より、むしろ暗い廊下や楽屋のほうに目が行く。そこに何かが潜んでいそうで、気が抜けない。

ブラックバーンの面白さは、怪奇とサスペンスの混ぜ方にある。邪眼、狂気、血の儀式めいたイメージ。いかにもオカルトな材料が揃っているのに、物語はふわふわした怪談にはならない。

記者ハリーが足で追い、証言を拾い、危険な場所へ踏み込んでいくため、謎はちゃんと地面を持っている。超自然の闇と、人間が作る犯罪の闇。その二つがぴたりと重なったところで、嫌な光景が見えてくるのだ。

脇役の癖もいい。スーザンは鼻持ちならない大女優でありながら、ただ嫌な人物として片づけられない濃さがある。ブリガム・ビアー教授のような、博識でどこか可笑しい人物も英国怪奇小説らしい味わいを添える。怖いのに、どこか知的で、少し皮肉っぽい。この空気感がいいのだ。

『痛苦の聖母』では、舞台の幕が上がる前から、すでに別の劇が始まっている。楽屋の扉の向こう、医師の足取り、怯えた泥棒の証言、大女優の横顔。そこへバートリの血の伝説が流れ込み、劇場は少しずつ現実から外れた場所へ変わっていく。

観客席に座っているつもりでも、気づけばこちらも赤い幕の内側にいることに気づく。

拍手をする前に、まず逃げ道を探したくなるような劇場だ。

20.南條竹則『英国幽霊いまむかし (怪奇の本棚 1)』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

英国幽霊譚の変化を、中世から二十世紀までたどれる知的で味わい深い怪談アンソロジー。

英国の幽霊は、時代ごとに違う顔で現れる

幽霊にも歴史がある。

突然そんなことを言われると少し変に聞こえるが、『英国幽霊いまむかし』を読むと、本当にそう思えてくる。

中世の古文書に記された荒削りな霊の話。ポルターガイストの報告。屋敷に出る亡霊。学校に残された怪異。

時代が進むにつれて、幽霊はただ現れて脅かすだけの存在ではなくなり、人間の後悔や罪、社会のゆがみまで背負うようになる。英国怪談は奥が深い。しかも思った以上に芸が細かい。

本書は、英国怪談を時代順に味わえるアンソロジーである。収録作は全十四篇。

M・R・ジェイムズが古文書から拾い上げた『中世怪談十二話』から始まり、『テッドワースの鼓手』『ヴィール女史の幽霊』、ブルワー=リットン『幽霊屋敷』、チャールズ・ディケンズ『弁護士と幽霊』、J・H・リデル夫人『胡桃屋敷』、A・C・ベンスン『最後の一厘』、W・B・イェイツ『窓ガラスの文字』などへ進んでいく。

並びそのものが、英国幽霊譚の小さな博物館のようだ。

幽霊は、語られ方を変えながら歩いてくる

最初のほうに出てくる幽霊たちは、妙にむき出しである。教訓を告げる。祟る。現れる。消える。物語としての飾りは少ないのに、そのぶん妙な生々しさがある。古い石壁の隙間から、昔の人々が信じていた死者の気配がそのまま吹き込んでくるような感じだ。

そこから近代へ移ると、幽霊の出方が変わる。本当にあったこととしてどう語るか。証言、記録、目撃談。怪異を信じさせるための工夫が入り込み、話は少しずつ文芸の形を取り始める。

さらに十九世紀になると、屋敷、遺産、家族、孤独、罪の記憶が絡み合い、幽霊は人間ドラマの奥から姿を見せるようになる。リデル夫人の『胡桃屋敷』などは、怖さだけでなく、胸に触れる哀しみまである。幽霊が出るのに、どこか人間の話として読めてしまうのがいい。

そして二十世紀篇へ入ると、怪談はさらに洗練される。M・R・ジェイムズの『学校綺譚』は、はっきり見せるよりも、断片を置くことで想像を動かすタイプの怖さがある。すべてを説明しない。だが、だからこそ背後が広く感じられる。この英国怪談のいやらしい上品さがいいのだ。あからさまに叫ばないのに、いつの間にか廊下の先を見たくなくなるような感覚である。

南條竹則の訳は、古典の硬さを残しながらも読みやすい。古い話を古いまま遠ざけるのではなく、今の日本語で手に取れる距離まで運んでくれる。怪談好きなら、単に怖い話を集めた本としても楽しめるし、英国怪奇小説がどう育ってきたかをたどる読み方もできる。幽霊を通して文学史を歩く、というちょっと贅沢な体験だ。

『英国幽霊いまむかし』には、ひとつの決まった幽霊像がない。中世の霊は荒々しく現れ、近代の幽霊は証言の中を歩き、十九世紀の屋敷では人間の罪や悲しみに寄り添い、二十世紀の学校では言葉の隙間からこちらを覗く。

幽霊は同じ場所に留まらない。

時代の廊下を渡りながら、姿を変え、声を変え、読む人のすぐ後ろまでやってくる。

悠木四季

時代ごとに、幽霊の出方も、怖がらせ方も、物語の形も変わっていくのが面白いのだ。まさに新訳でめぐる幽霊文学の小旅行である。

21.フアン・ルルフォ 『黄金の軍鶏』

おすすめ度:(4.8)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

一羽の軍鶏に導かれた男が、富と愛と運に呑まれていくメキシコ文学の寓話。

運を掴んだ男は、いつの間にか運に飼われていた

乾いた町に、羽音と怒号が渦を巻く。闘鶏場の土ぼこり、賭け金を握る手、血に濡れた蹴爪。

フアン・ルルフォ『黄金の軍鶏』は、そんな荒っぽい熱気の中から始まる。

主人公ディオニシオ・ピンソンは、片腕が不自由で、周囲から見下されながら暮らす貧しい男だ。町内の知らせを触れ回るお触れ屋として細々と生き、病気の母を抱え、人生に大きな望みなど持てそうにない。

そんな彼が、祭りの闘鶏場で一羽の瀕死の軍鶏を拾う。普通なら捨てられるだけの鳥だ。けれどディオニシオは、その軍鶏を必死に看病する。やがて鳥は息を吹き返し、黄金の羽を輝かせながら闘鶏場で勝ち続ける。

すると、男の人生まで一気に回り始める。金が入り、名が広まり、かつて彼を見下していた世界が、今度は彼の足元へ視線を向ける。

そしてディオニシオは、巡業歌手ラ・カポネーラと出会う。男たちの欲や金の匂いを知り尽くした、妖しい魅力を持つ女。彼女は幸運を呼ぶ存在として囁かれ、ディオニシオは彼女を手にしたことで、さらに勝負の世界へ深く沈んでいく。

だが、勝ち続ける者ほど、自分が何に導かれているのか見えなくなる。軍鶏は鳴き、賭け金は積まれ、運命の輪はもう止まらない。

闘鶏場の土ぼこりに、人間の欲が染み込んでいる

『黄金の軍鶏』では、闘鶏がただの背景では済まない。蹴爪をつけられた鶏たちは、人間の欲望のためにぶつけられ、血を流し、倒れていく。だが、その姿はそのままディオニシオ自身にも重なる。

拾われ、賭けられ、勝つことで価値を持たされ、やがて勝負の熱に呑まれていく。彼は軍鶏を所有しているつもりでいる。けれど本当に彼を動かしているのは、鶏なのか、金なのか、ラ・カポネーラなのか、それとも運という見えない獣なのか。

ルルフォの文章は、余計な飾りを置かない。町の貧しさ、祭りの喧騒、博打場の熱、男の変化。それらが短いカットのように次々と差し出される。もともと映画の原案として書かれた作品らしく、場面の切り替わりが鋭い。砂埃の舞う道、歌う女、羽を広げる軍鶏、金を数える男。どの場面にも、乾いた光と、逃げ場のない運命の気配がある。

ディオニシオの変貌も苦い。貧しさの底にいた男が、勝利によって姿勢を変え、声を変え、人との距離まで変えていく。かつて彼を救ったはずの軍鶏も、彼を輝かせたはずのラ・カポネーラも、やがて欲望の道具に近づいていく。ここが痛い。幸運を掴んだはずの男が、幸運を逃さないために、少しずつ自分の中の柔らかい部分を手放していくのだ。

『黄金の軍鶏』では、勝利のたびに何かが削れていく。金は増える。名も広まる。ラ・カポネーラの歌声もそばにある。けれど、闘鶏場の土に落ちた血は、誰のものだったのか。

軍鶏の羽が輝くほど、ディオニシオの足元には濃い影が伸びる。

最後に鳴くのは鶏か、運命か。

乾いた町の空気の中で、その声だけがやけに遠くまで響いていく。

悠木四季

黄金の軍鶏は幸運の象徴でありながら、ディオニシオを運命の賭場へ縛りつける存在でもあるのだ。

22.ディケンズ 『バーナビー・ラッジ』

おすすめ度:(4.5)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

殺人事件の影とゴードン騒乱の炎が交差する、ディケンズ流の歴史ミステリ大河。

無垢な青年は、なぜ暴徒たちの旗印にされたのか

風の強い夕暮れ、ロンドン郊外チグウェル村の酒場〈メイポール亭〉に、顔に傷を持つ旅人が現れる。

日付は三月十九日。二十二年前、近隣の富豪ヘアデイル家で惨殺事件が起きた、まさにその日である。

酒場の客たちが昔の事件を語り出した瞬間、忘れられていたはずの血の匂いが、ふっと現在へ戻ってきた。

ディケンズ『バーナビー・ラッジ』は、この古い殺人の影から始まり、やがてロンドン全体を焼き尽くす暴動へとなだれ込んでいく物語だ。

中心にいるのは、心優しく無垢な青年バーナビー・ラッジ。彼は知能に遅れを抱えながらも、母を慕い、相棒の烏グリップとともに暮らしている。だが、その出生には二十二年前の殺人事件と深く結びつく秘密がある。

ヘアデイル家の遺族、錠前師ゲイブリエル・ヴァーデン、美しいドリー、陰謀を企む者たち。人々の運命は、少しずつバーナビーの周囲へ集まっていく。

そして物語は一七八〇年、ロンドンを揺るがしたゴードン騒乱へ。宗教的な憎悪に煽られた群衆が、教会や建物を焼き、街を暴力の渦へ変える。バーナビーはその混乱の中で、利用され、祭り上げられ、気づけば暴徒たちの象徴のような存在になってしまう。

無垢な魂が、もっとも危険な熱狂の中心へ押し出されるのである。

殺人の謎と、群衆の狂気が同じ炎で燃える

『バーナビー・ラッジ』は、歴史小説であり、犯罪小説であり、群衆劇でもある。

前半には、二十二年前の殺人事件をめぐる影が濃く漂う。誰が殺したのか。なぜ事件は封じられたのか。バーナビーの出生には何が隠されているのか。酒場の噂話から始まった不穏さが、家族の秘密や過去の罪へと伸びていく。このあたりの仕掛けはさすがディケンズ、人物の配置がすごくうまいのだ。

一方で後半に入ると、物語の景色は一気に変わる。個人の秘密だったはずのものが、ロンドンの街路へ引きずり出される。火の手が上がり、群衆が叫び、昨日までただの隣人だった人間たちが、別の顔で街を壊し始めるのだ。

ここが怖い。暴徒たちは怪物の姿をしていない。人間である。だから余計に始末が悪い。怒り、噂、偏見、熱狂。そういうものが束になったとき、街はあっという間に理性を失う。

バーナビーの存在も強烈だ。彼は悪意に満ちた人物というより、あまりに無防備で、純粋で、周囲の悪意をまっすぐ受けてしまう存在である。その彼が、暴動の中で英雄のように扱われる。無垢な者ほど、群衆にとって都合のいい旗にされてしまう。

この構図が痛い。彼の肩にいる烏グリップの不気味な陽気さも、物語全体に奇妙な彩りを添えている。ポーの『大鴉』に影響を与えたという逸話も納得の存在感だ。

『バーナビー・ラッジ』は、殺人事件の謎を追うだけの小説では終わらない。そこからがディケンズの恐ろしいところだ。酒場で誰かが昔話を始めた瞬間、もう嫌な音がする。ああ、これは掘り返してはいけないやつだ、とわかる。

しかしディケンズは容赦なく掘る。家の秘密も、人の恨みも、宗教的な憎悪も、全部まとめて一七八〇年のロンドンへ流し込む。すると、個人の罪だったものが、群衆の暴力に火をつける燃料へ変わってしまうのだ。

やはりディケンズは人間の怖さを知りすぎている。

人間が集まったときの愚かさを、ここまで物語の熱に変えてしまうのだから。

悠木四季

ポオを嫉妬させたと言われている傑作歴史長篇だ。それが初文庫化したというのだから読まずにはいられない!

23.トム・フィリップス 『世界の破滅を信じた人たちのとんでもない世界史』

おすすめ度:(5.0)

Amazonで見てみる
この作品を一言でいうと

終末予言の失敗史を笑いながら、人間がなぜ破滅の物語に惹かれるのかまで掘っていく知的エンタメ。

人類は何度も世界の終わりを待ち、毎回ちゃんと外してきた

世界は終わる。今度こそ終わる。もうすぐ終わる。

そう言われ続けて、人類はここまで来た。

すごい。予言は外れ、太陽は昇り、社会はなんだかんだ続き、当の人間たちはまた次の終末予言に飛びつく。

トム・フィリップス『世界の破滅を信じた人たちのとんでもない世界史』は、その壮大な空振りの歴史を、笑いながら、でも笑い飛ばすだけでは済ませずに眺めていく本である。

扱われるのは、古代の洪水神話から中世の黙示録信仰、キリスト再臨カルト、冷戦期の核戦争への恐怖、現代の気候危機やAIへの不安まで。人類は時代ごとに違う衣装を着せながら、ずっと終わりを語ってきた。しかも、その中にはどうかしている話が山ほどある。

たとえば、終末を予言して街を支配したパン職人ヤン・マティアス。あるいは、「キリスト再臨」と書かれた卵をニワトリに産ませるという、力技にもほどがある詐欺で人々をだましたメアリー・ベイトマン。

……歴史というのは、ちゃんとふざけていたのだ。

世界の終わりを信じたがる、人間の困った習性

この本を読んでいると、終末予言そのものよりも、それを信じる人間のほうがだんだん怖く、そして少し愛おしく見えてくる。

世界が複雑すぎる。理不尽なことが多すぎる。誰が悪いのか、どこへ向かっているのか、よくわからない。そんなとき、「もうすぐ全部終わります」「そのあと選ばれた者だけが救われます」と言われると、人は妙に納得したくなるのだろう。最低で、でもわかるような気がするから困る。

フィリップスの筆は、その愚かさを容赦なくいじる。だが、ただ上から笑って終わらせるほど冷たくもない。終末論にすがる人々の背後には、不安、怒り、孤独、社会への不信がある。

中世のカルトも、現代の陰謀論も、シリコンバレーの富豪が建てる地下シェルターも、形は違っても根っこには似た欲望がある。自分だけは意味のある物語の内側にいたい。破滅のあとで、自分たちだけは正しかったと証明されたい。世界の終わりを怖がっているようで、実はその中に、自分が救われる筋書きを見つけたがっているのだ。

しかも本書の語り口がいい。歴史のトンデモ話をテンポよく紹介しながら、ふと現代へ刃を向けてくる。笑っていたはずなのに、気づくとこちらのニュース画面やSNSの空気まで巻き込まれている。世界が終わる話をバカにするのは簡単だ。

けれど、今この瞬間にも、私たちは別の形の終末物語を消費していないか。終わりそうな世界を眺めながら、どこかで興奮していないか。そのあたりの嫌な自覚まで、ユーモアの裏から顔を出す。

『世界の破滅を信じた人たちのとんでもない世界史』を読むと、人類は昔から本当に忙しかったのだとわかる。

空を見上げて終末を待ち、卵に神のメッセージを見出し、広場に集まって復活を期待し、地下シェルターを作って次の崩壊に備える。

外れて、外れて、外れまくる。それでもまた、人は新しい破滅の物語を探しにいく。

笑うしかない。

しかしその笑いの中に、私たちの時代の顔もしっかり混ざっている。

悠木四季

的中率ゼロの終末予言を追ううちに、現代の不安や陰謀論まで見えてくる構成がとにかく面白いのだ。

おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございました(*´꒳`*)

2026年6月に読んでに特に面白かった本23作品

1.西式豊『処刑館殺人事件

──山奥の洋館に集められたミステリ作家たちが、自作トリックをなぞる処刑に追い詰められていく、物騒でメタな館もの本格。

2.辻村深月『ファイア・ドーム

──地方都市で起きた少年失踪をきっかけに、25年前の誘拐殺人事件と噂の暴力が再燃していく社会派ミステリ長編。

3.米澤穂信『倫敦スコーンの謎

──小鳩くんと小佐内さんが甘いお菓子にまつわる小さな謎を追いながら、論理の快楽と青春のほろ苦さを味わわせる〈小市民〉シリーズ番外短編集。

4.島田荘司『切り裂きジャック・百年の孤独[改訂完全版]

──切り裂きジャック事件と百年後の西ベルリン連続殺人を重ね、歴史の闇に島田荘司流の巨大な論理で挑むスケール満点の歴史本格。

5.『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026

──ホラー、ミステリ、青春、ファンタジーを横断しながら、暗闇の中で孤独な声を拾い続けた乙一30年の歩みをたどる自選短編集。

6.芦沢央『あなたが正しくいられたとき

──善意や正義を信じる人々が、いつの間にか誰かを追い詰める刃を握ってしまう怖さを描いた、鋭く苦い心理ミステリ短編集。

7.『そうだ、君を憎めばいいんだ: 愛と殺意と七つの条件

──桜庭一樹と斜線堂有紀が同じ七つの条件から、少女たちの愛と嫉妬と殺意をまったく別の地獄へ変えていく競作短編集。

8.加門七海『裂神

──古い神楽面をめぐる怪死をきっかけに、伊豆の祭祀と荒ぶる神の気配が現代へにじみ出す、民俗の怖さが濃い怪異ホラー。

9.餅屋蛾『ダクダデイラ

──削除された怪文書やクチコミ欄、スマホ画面に潜む異物が、日常のネット空間から滲み出してくる電脳モキュメンタリーホラー。

10.大舟『三重県津市西区平山町3-15-7

──三重県津市にあるはずのない住所をめぐり、掲示板や検索履歴に散らばる怪異と土地の記憶がつながっていく、現代型の土着モキュメンタリーホラー。

11.『怖い熊 傑作アンソロジー

──実話や記録、小説を通して、山で熊と出会うことの圧倒的な恐怖と、人間を特別扱いしない野生の冷たさを刻み込む獣害アンソロジー。

12.福井栄一『全訳 大和怪異記: 古典怪談玉手箱

──江戸中期の奇書『大和怪異記』百五篇を現代語で開き、祟りや因果、病や肉体の異変に宿る日本怪談の原型を味わわせる古典怪談集。

13.ホリー・ヘップバーン『シャーロック・ホームズは引退しました

──ベイカー街221Bに届いた失踪相談をきっかけに、ホームズ宛ての手紙を扱う郵便室の女性がロンドンの裏側へ踏み出す、軽やかな歴史ミステリ。

14.スティーヴン・キング『もし血が流れれば

──悲劇を食うニュースの怪物と、創作欲に取り憑かれた作家の悪魔的取引を通して、日常のすぐそばに開くキング流の恐怖を描くホラー中編集。

15.スティーヴン・キング『ロングウォーク

──止まれば撃たれる死の競技に参加した少年百人が、歩き続けるだけの道で友情も肉体も削られていく、あまりに苛酷なディストピアホラー長編。

16.『フレドリック・ブラウンSF短編全集2 星ねずみ (創元SF文庫)

──喋るねずみや悪魔、植字機、恐竜まで飛び出す奇想を、最後の一行で鮮やかに反転させるブラウン流SF短編の魅力が詰まった一冊。

17.ナオミ・クリッツァー『陽の光が消えた町で

──太陽の光が消えた終末の町で、人々が自転車やスープや小さな助け合いによって暮らしをつなぎ直す、ケアの温度を宿したSF短編集。

18.アン・クリーヴス『水面の弔花

──花で飾られた青年の死をきっかけに、ヴェラ警部が海辺の町に沈んだ嘘と過去の傷を掘り起こしていく、湿度の高い英国ミステリ。

19.ジョン・ブラックバーン『痛苦の聖母 (怪奇の本棚)

──血の伯爵夫人バートリの伝説を題材にした舞台をめぐり、ロンドンの劇場街で怪奇と医学の狂気が絡み合っていく英国ゴシック・サスペンス。

20.南條竹則『英国幽霊いまむかし (怪奇の本棚)

──中世の霊から近代の屋敷怪談、二十世紀の洗練された幽霊譚まで、英国怪談の変遷を時代順に味わえる古典アンソロジー。

21.フアン・ルルフォ『黄金の軍鶏

──闘鶏場で瀕死の軍鶏を拾った貧しい男が、歌姫ラ・カポネーラと幸運に導かれながら、勝負の熱と欲望に呑まれていく乾いた運命譚。

22.ディケンズ『バーナビー・ラッジ

──二十二年前の殺人事件の影を抱えた無垢な青年バーナビーが、宗教的熱狂に呑まれるロンドンで暴徒たちの旗印にされていく、犯罪と群衆劇が燃え上がる歴史長編。

23.トム・フィリップス『世界の破滅を信じた人たちのとんでもない世界史

──古代から現代まで繰り返されてきた終末予言の空振りをたどり、人間が破滅の物語に惹かれる理由まで笑いと皮肉で照らす歴史本。

関連記事

あわせて読みたい
2026年5月に読んでに特に面白かった本26冊 – 『法月綸太郎の不覚』ほか 2026年5月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った26冊の記録である。 他の月はこちら 2026年4月に読んでに特に面白かった本29冊 - 高原英理『抒情的恐怖群』ほ...
あわせて読みたい
2026年4月に読んでに特に面白かった本29冊 – 高原英理『抒情的恐怖群』ほか 2026年4月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った29冊の記録である。 他の月はこちら 2026年3月に読んでに特に面白かった本17冊 – 飛鳥部勝則『封鎖館の魔』ほ...
あわせて読みたい
2026年3月に読んでに特に面白かった本17冊 – 飛鳥部勝則『封鎖館の魔』ほか 2026年3月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った17冊の記録である。 他の月はこちら 2026年2月に読んで特に面白かった本23冊 – 飴村行『粘膜大戦』ほか 2025...
あわせて読みたい
2026年2月に読んで特に面白かった本23冊 – 飴村行『粘膜大戦』ほか 2026年2月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った23冊の記録である。 他の月はこちら 2026年4月に読んでに特に面白かった本29冊 - 高原英理『抒情的恐怖群』ほ...
あわせて読みたい
2026年1月に読んで特に面白かった本18冊 – 道尾秀介『I』ほか 2026年1月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った18冊をご紹介するぞ。 他の月はこちら 2026年4月に読んでに特に面白かった本29冊 - 高原英理『抒情的恐怖群』...
あわせて読みたい
2025年11月に読んで特に面白かった本16冊 – 小川哲『火星の女王』ほか 2025年11月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った16冊をご紹介するぞ。 ・2025年10月に読んで特に面白かった本15冊 – 『本好きに捧げる英国ミステリ傑作選』...
あわせて読みたい
2025年10月に読んで特に面白かった本15冊 – 『本好きに捧げる英国ミステリ傑作選』ほか 2025年10月に読んだ本の中から、特にこれは面白い!と思った15冊を紹介するぞ。 ・2025年9月に読んで特に面白かった本15冊 – アンソニー・ホロヴィッツ『マーブル館殺人...
あわせて読みたい
2025年9月に読んで特に面白かった本15冊 – アンソニー・ホロヴィッツ『マーブル館殺人事件』ほか 2025年9月に読んだ本の中から、これは面白い!と思った15冊を紹介するよー。 ・2025年8月に読んで特に面白かった本17冊 – パーシヴァル・エヴェレット『ジェイムズ』ほ...
あわせて読みたい
2025年8月に読んで特に面白かった本17冊 – パーシヴァル・エヴェレット『ジェイムズ』ほか 2025年8月の読書の中から、これは面白い!と思った17冊を紹介するよー。 1.狙われたキャンピングカーと、信じたい嘘── ホリー・ジャクソン『夜明けまでに誰かが』 RV車...
Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

幸せだね。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次