野宮有『殺し屋の出世術』- 営業マンが挑むどんでん返しだらけの頭脳戦【読書日記】

殺し屋の会社で、社長の座をかけた出世レースが始まる。
勝てば社長、負ければ死。
野宮有『殺し屋の出世術』は、第71回江戸川乱歩賞を受賞した『殺し屋の営業術』の続編であり、前作であれほど鮮烈だった殺し屋×営業という組み合わせを、今度は殺し屋×出世競争×マネジメントへ進化させてきた。
営業術の次が出世術。このタイトルを見た瞬間から嬉しくなってしまった。
前作の主人公・鳥井一樹は、殺人現場に遭遇したことで口封じされそうになり、殺し屋を相手に自分自身を営業して生き延びた男である。
殺すより私を雇ったほうが利益になります、と言葉と数字で命を売り込み、そのまま殺人請負会社〈極東コンサルティング〉へ入社する。この発想だけでも十分ぶっ飛んでいるのに、野宮有は営業マンを裏社会へ放り込んだだけで終わらせなかった。
顧客の本音を探り、数字から問題点を拾い、相手の欲しいものを先回りして提示する。営業という仕事のロジックそのものを殺人ビジネスへ接続したからこそ、『殺し屋の営業術』はあれだけ面白かったのだと思う。
私も前作を読みながら、殺しの場面より鳥井が相手を説得しているところに興奮していた。
そんな鳥井が半年後、今度は自分一人で数字を取る立場から、人を動かす側へ回る。シリーズとしてこの進み方が本当に気持ちいい。
社長になりたくない男が社長の座を争う
前作から半年。鳥井は〈極東コンサルティング〉の営業マンとして殺し屋たちを束ね、順調に業績を伸ばしている。
ところがある日、鷹見という男に突然拉致され、上部組織〈巣ヶ谷一家〉の組長の前へ連れて行かれる。
そこで告げられるのが、鳥井と鷹見のどちらかを次の社長にするという出世レースだ。期限は一か月。勝者は〈極東コンサルティング〉の経営権を手に入れ、敗者には死が待っている。
普通の会社でも昇進争いや社内政治は胃が痛くなるが、この会社は文字どおり命がかかっている。しかも鳥井は最初から圧倒的に不利だ。彼は数字と実績で結果を出してきたトップセールスマンで、根回しや派閥形成を得意としていない。
一方の鷹見は組織内部に太い人脈を持ち、幹部への働きかけにも長けている。社長になりたいという欲望もはっきりしており、出世レースという競技そのものが彼向きに見える。
対する鳥井は、そもそも社長という肩書に強い興味を示さない。ここが面白い。上へ行きたい男と、上へ行くこと自体には執着しない男が、同じ椅子を争うのだ。
ただし鳥井は、難題を突きつけられると途端に思考が加速する。自分の手札は何枚あるのか。相手は何を狙っているのか。どこを突けば盤面が崩れるのか。負ければ死ぬ状況なのに、追い詰められるほど頭が冴えていく。
鳥井がたびたび重視する楽しさも、この続編ではいっそう鮮明になる。楽な状況を求めているのではなく、自分の能力を限界まで使わなければ突破できない局面そのものを面白がっている。
逃げ道が減り、制約が増え、普通なら焦るような場面ほど攻略欲が刺激される。営業マンという肩書の奥に、難易度の高いゲームを見ると前のめりになる危険人物が潜んでいるわけだ。
暴力や格闘能力を持たない鳥井が、暴力団の権力争いへ営業理論だけで挑む。その構図がやっぱり最高に楽しい。銃も拳も使えないからこそ、相手が武器を使う前に状況を変えなければならない。
鳥井にとっての戦闘は、相手を倒すことより、相手が自分の思った通りに動く盤面を作ることなのだ。
殺し屋たちが、ちゃんと部下として育っている
そして『殺し屋の出世術』で私が特に好きなのが、鳥井の周囲にいる殺し屋たちの変化である。
前作では耳津をはじめ、どこか頼りなさを抱えた人間も多かった。それが半年間、鳥井の下で働いてきたことで少しずつ変わっている。
指示された仕事をこなすだけだった人間が、自分で考え、自分の得意分野を理解し、状況に合わせて動くようになっていく。殺し屋なのに、ものすごく普通に部下が成長しているというギャップがいい。
しかも鳥井は、自分の営業術をそのまま全員へコピーしようとはしない。耳津には耳津の強みがあり、別の人間には別の使い道がある。誰に何を任せるか、どこまで裁量を渡すか、何を経験させれば次の段階へ進めるか。
やっていることは完全にマネジメントだ。扱っている業務だけが殺人という、とんでもない職場ではあるのだが。
ここで鷹見との違いもはっきりしてくる。鷹見は人間を出世のための資源として扱い、役に立つなら使い、必要がなくなれば切り捨てる。裏社会では合理的な考え方だろう。
鳥井も人を手札として見る冷徹さを持っているが、その手札自体を育てていく。個々の能力を見つけ、本人が自発的に動ける状態へ持っていく。その差が出世レースの中で効いてくるのが面白い。
前作が一人のトップ営業マンの物語だったとすれば、今回は明確にチームの物語へ広がっている。優秀なプレイヤーが管理職になったとき、同じやり方では通用しない。
自分が百点を取ることと、部下に七十点、八十点を取らせることは別の技術である。そんな会社員なら覚えのある話を、殺人請負組織でやってしまうのだから、このシリーズは本当に変だし、その変さがちゃんと物語の面白さへつながっている。
さらに、この世界には営業理論だけで処理しきれない相手もいる。殺人請負部門で圧倒的な実績を持つ鴎木美紅と、その相棒・百舌だ。この二人が絡んでくると、物語の温度が一気に変わる。
鳥井がどれだけ先を読んでも、相手には本当に人を殺せる力がある。交渉の席につく前に撃たれれば終わり。だから鳥井は相手より強くなる方向へ進まず、撃つ理由そのものを消しにいく。
私はこのシリーズの、暴力へ暴力で返さず、相手が当然だと思っている前提をひっくり返して勝つところが好きだ。
腕力では勝てない。なら、腕力を使う意味がなくなるところまで話を持っていけばいい。その発想がいかにも鳥井らしい。
勝ったと思った瞬間から営業が始まる
そして終盤に入ると、やっぱり野宮有はここが楽しいなと思わされる。
鳥井が強いのは、単純に口が達者だからではない。何を言うかより、いつ言うか。相手が何を知っているか、何を知っているつもりなのか、自分の計画がどこまで進んでいると思い込んでいるのか。そこまで計算したうえで交渉を組み立てていく。
だから相手が勝利を確信した瞬間ほど危ない。序盤に出てきた何気ない会話や行動が、終盤になると別の意味を持ちはじめる。
あそこで鳥井が黙っていた理由はこれか、あの人物へ声をかけたのはこのためか、と散らばっていた点がつながっていく。この反転の気持ちよさは、ミステリ好きにはたまらない。
営業トークが伏線になり、組織の人間関係が仕掛けになり、相手の思い込みが罠へ変わる。殺し屋小説、ビジネス小説、コンゲーム。その三つが鳥井一樹の思考法によって一本につながっているから、物語がぶれない。
野宮有自身が会社員時代に営業職や企画職を経験していたことも、このシリーズの手触りにつながっているのだと思う。上司と現場の認識が噛み合わない。優秀な営業マンが管理側へ回った途端に別の能力を求められる。部下によって任せ方を変える。
数字を出せば終わりとも限らず、人間関係や社内政治が成果を左右する。そんな会社員の生々しい感覚を、全部殺し屋の会社へ持ち込んでいる。
しかも本作では、その仕事の積み重ねが人の変化にもつながっていく。命令されたことを処理していた殺し屋たちが、自分で考え、自分なりのやり方を見つけ始める。
鳥井本人は立派な教育者を目指している様子もなく、ただ勝つために最適な配置を考えているだけ。それでも結果として周囲が育っていく。この奇妙な爽快感が、バイオレンスな物語の中にちゃんとある。
前作『殺し屋の営業術』は第71回江戸川乱歩賞を受賞し、2026年本屋大賞第6位にも入った。刊行後には累計15万部を突破し、漫画化も始まっている。
これだけ成功した作品の続編なら、同じ型をもう一度なぞる方法もあったはずだ。それでも『殺し屋の出世術』は、営業という核を残しながら、人材育成、組織運営、社内政治へと舞台を広げてきた。
自分自身を商品として売り込んで生き延びた男が、半年後には部下を育て、組織を動かし、会社のトップを争っている。この進化が私は嬉しい。
〈極東コンサルティング〉の社長の椅子をめぐって、営業マンと殺し屋たちが一か月間、本気で数字と命を奪い合う。
その最後に鳥井一樹がどんなプレゼンを仕掛けるのか。
ここまで来たら、次の商談先まで見届けたくなってしまうのも当然のことである。


