【バカミスおすすめ39選】愛すべきバカミスの話をしよう!笑って驚いて呆然とする怪作たちに敬意を込めて

「バカミス」という言葉が、あまり好きではない人も多いと思う。
それもよくわかる。
私もミステリが好きだからこそ、素晴らしい作品たちに「バカ」という言葉をつけることには、いまだに少しためらいがある。
だが、それでもなお、この呼び名には独特の敬意がこもっているとも思うのだ。
ミステリ界で言う「バカミス」とは、決して出来が粗いとか、内容が浅いとか、そういう意味ではない。むしろ逆だ。
あまりにも発想が突き抜けていて、あまりにもトリックや設定が豪快で、思わず「そんなバカな!」と笑いながら感心してしまう作品たちに贈られる、半ば賞賛のような呼び名なのである。
常識を飛び越えた大技。
物理法則をぎりぎりまで踏み越えそうな仕掛け。
真面目に読んでいたはずなのに、気づけば笑ってしまうのに、最後はなぜか妙に納得させられてしまうロジック。
その馬鹿馬鹿しさと紙一重の大胆さこそ、バカミス最大の魅力だ。
そこで今回は、この愛すべきバカミスをご紹介するにあたって、二つの軸を用意した。
ひとつは、純粋に「そんなバカな!」と叫びたくなるような、あり得ない発想や大仕掛けを備えた作品。いわば王道のバカミスである。
もうひとつは、作者が明らかに楽しみながら暴走していて、これ絶対ニヤニヤしながら書いているだろ、と思わされるタイプの作品である。
この二つは似ているようでいて、実は少し違う。
前者はトリックや設定の豪快さに振り切れた作品であり、後者は作品全体から漂う遊び心や悪ノリまで含めて愛したくなる作品だ。
どちらもミステリの懐の深さを教えてくれるし、真面目にふざけることの強さを見せてくれる。
そこでこの記事では、それぞれの作品に二種類の「バカミス度」をつけることにした。
一つは、あり得ない発想や大仕掛けを備えた、王道のバカミス度。
もう一つは、ユーモアたっぷりで作者が楽しんで読者を笑わせに来ているような、おふざけしてる度。
悠木四季こんな感じね。
そんなバカな!度 (5.0)
おふざけしてる度 (3.0)
気になる作品を探すときの、ちょっとした目安にしてもらえればうれしい。
ミステリは、ときに論理を極めすぎた果てに、とんでもない場所へたどり着く。
そして、そのとんでもなさが見事に決まった瞬間の快感は、やはり格別なのだ。
1.倉阪鬼一郎『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』
──連続密室殺人の顔をしながら、最後には常識ごとひっくり返してくるとんでもない倉阪鬼一郎流館ミステリ。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(2.0)
2.倉阪鬼一郎『四神金赤館銀青館不可能殺人』
──密室と館の謎を追っているうちに、小説そのものの仕掛けへ引きずり込まれていく、馬鹿馬鹿しくも恐ろしく緻密な不可能犯罪小説。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(2.0)
3.門前典之『屍の命題』
──雪の山荘、巨大な兜虫の亡霊、死体消失の謎が、建築と錯視と力業の論理でつながっていく、門前典之らしさ全開の異形本格。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(3.0)
4.門前典之『浮遊封館』
──宗教、聖遺物、死体消失の不穏さをまといながら、最後には建築と物理の力技で神秘を踏みつぶしていく門前典之の怪作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(1.0)
5.門前典之『灰王家の怪人』
──名家ものの情緒と仮面の怪人を並べた末に、最後は門前典之らしい冷酷な物理トリックで全部を踏み抜く孤島の異形作。
そんなバカな!度:(4.7)
おふざけしてる度:(2.0)
6.殊能将之『黒い仏』
──仏教伝奇と秘宝探しの顔をしながら、最後には推理小説の足元にある現実ごと消し飛ばしてくる殊能将之の危険な奇書。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(2.0)
7.殊能将之『キマイラの新しい城』
──中世騎士の妄想と現代日本の移築城が、博識と悪ふざけの手つきで奇妙に噛み合っていく洒落た変化球。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(2.0)
8.早坂吝『双蛇密室』
──蛇恐怖症の悪夢めいた過去を掘り返すうちに、ありえなさの限界を越えた真相がロジックで回収されてしまう危険球。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(4.0)
9.早坂吝『○○○○○○○○殺人事件』
──孤島の殺人劇を読ませておいて、最後の最後にタイトルそのものですべてをひっくり返してくる早坂吝の一撃。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(4.5)
10.幡大介『猫間地獄のわらべ歌』
──江戸のわらべ歌殺人を追ううちに、時代劇の約束事ごと足元からずらされていく意地悪なメタ怪作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(4.0)
11.島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』
──元妻への執念、北国の旅情、甲冑武者の怪異が、最後には島田荘司らしい巨大な物理トリックへ雪崩れ込む切なくも豪快な奇想作。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(1.0)
12.島田荘司『斜め屋敷の犯罪』
──吹雪の宗谷岬に建つ斜めの洋館で、常識外れの大仕掛けが本気の論理として立ち上がる御手洗潔シリーズの代表作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(1.0)
13.島田荘司『屋上』
──屋上から続けざまに人が落ちる怪奇じみた事件を、巨大看板と都市空間を巻き込んだ物理の力技でひっくり返す。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(3.0)
14.柾木政宗『NO推理、NO探偵? 謎、解いてます!』
──推理を捨てた探偵が、ジャンルの約束事を笑い飛ばしながら、最後にはその強さまで証明してしまう柾木政宗の曲者。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
15.麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』
──城、名家、首なし死体、変人探偵という豪華なガジェットを積み上げた末に、推理の足場ごと崩してくる麻耶雄嵩の劇薬的デビュー作。
そんなバカな!度:(4.6)
おふざけしてる度:(2.0)
16.麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』
──真夏の雪、首なし死体、足跡なき密室という美しい道具立てを並べながら、最後には謎解きの足場ごと崩してくる麻耶雄嵩の危険すぎる奇書。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(2.0)
17.麻耶雄嵩『あぶない叔父さん』
──謎を解いてくれるはずの叔父さんが、解決のたびにもっと危ない場所へ連れていく麻耶雄嵩の意地悪な一冊。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
18.蘇部健一『六枚のとんかつ』
──全力のくだらなさを、本格の骨組みできっちり成立させてしまう蘇部健一の伝説的なアホバカ短編集。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(5.0)
19.霞流一『首断ち六地蔵』
──六つの地蔵の首と死体をめぐる謎が、笑えるほど過剰な推理合戦の果てにきれいな着地を見せる霞流一の曲者。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(4.5)
20.霞流一『落日のコンドル』
──誘拐事件にコンドルのイメージを重ねながら、最後には空間と運動を巻き込んだ大仕掛けへ飛躍していく豪快な本格。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(4.0)
21.霞流一『スティームタイガーの死走』
──走行中のSLという巨大な鉄の塊を、蒸気も振動も速度もろとも精密なトリック装置へ変えてしまう暴走作。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(4.5)
22.泡坂妻夫『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』
──新興宗教と心霊術の怪しさをまといながら、最後には本という物体そのものまで鮮やかなトリックへ変えてしまう奇術的傑作。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(2.0)
23.小島正樹『扼殺のロンド』
──密室、内臓消失、高山病など盛り込んだ不可能犯罪の見本市が、最後には巨大な策謀として一本につながっていく小島正樹の怪物級やりミス。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(1.0)
24.小島正樹『武家屋敷の殺人』
──武家屋敷の因縁と蘇るミイラの怪奇色をまといながら、死体消失も物理トリックも家の秘密もまとめて詰め込んでくる濃厚本格。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(1.0)
25.東野圭吾『名探偵の掟』
──名探偵、密室、見立て殺人といったお約束を笑いながら解体し、その型の強さと愛おしさまで浮かび上がらせる東野圭吾の痛快なパロディ連作。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
26.七尾与史『全裸刑事チャーリー』
──服を着ない世界のくだらなさが、ポケットも繊維も隠し場所もない事件のロジックへ化けていく脱力系刑事コメディ。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(5.0)
27.中西智明『消失!』
──赤毛の美女ばかりを狙う連続殺人と死体消失の謎が、最後には見えていた世界そのものを裏返してしまう伝説的ミステリ。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(2.0)
28.黒田研二『嘘つきパズル』
──下ネタとドタバタにまみれた孤島劇の奥で、誰が嘘をつけるのかをめぐる硬派な論理パズルがきっちり組み上がっていく変本格。
そんなバカな!度:(3.5)
おふざけしてる度:(5.0)
29.西澤保彦『瞬間移動死体』
──限定的な瞬間移動能力で完全犯罪を狙ったはずが、その不便すぎるルールによって死体も計画もどんどん変な方向へ転がっていく西澤保彦お得意の特殊設定パズル。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(1.0)
30.清涼院流水『コズミック 世紀末探偵神話 新装版』
──1200の密室殺人という大風呂敷を広げ、名探偵も犯罪も論理もろとも神話のスケールへ膨張していく伝説の問題作。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(4.0)
31.歌野晶午『女王様と私』
──人形を妹と呼ぶ男の滑稽な語りに付き合わされるうち、笑いも推理も妄想もまとめて冷たい現実へ落ちていく悪夢的な一冊。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(2.0)
32.東川篤哉『仕掛島』
──瀬戸内海の孤島に建つ異形の館が、密室も消失も過去の悲劇もまとめて動かす巨大な仕掛け絵本へ変わっていく大仕掛け長編。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(3.0)
33.野島夕照『片翼のイカロス』
──上空500メートルでヘリに衝突する人影という無茶な謎が、航空理論と一族の血の狂気によって異様な説得力を帯びていく飛翔系作品。
そんなバカな!度:(4.6)
おふざけしてる度:(2.0)
34.小森健太朗『ローウェル城の密室』
──少女漫画のきらめく二次元世界へ放り込まれた先で、ページと平面の性質そのものが密室トリックへ変わっていく異色本格。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(2.0)
35.五条紀夫『私はチクワに殺されます』
──ちくわの穴から死が見えるという珍妙すぎる設定が、笑いと狂気を通り抜けて、最後には妙に切ない円環へ閉じていくトンデモ作品。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.5)
36.深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』
──密室殺人の推理を100億円の生放送クイズに変え、もっともらしい解答を次々に叩き落としながら、最後には真実そのものの見せ方まで揺さぶってくる悪趣味な怪作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(3.0)
37.矢野龍王『極限推理コロシアム』
──夏の館と冬の館に分けられた参加者たちが、犯人当てのロジックをそのまま生存競争へ変えていくデスゲーム本格。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(2.0)
38.津島誠司『A先生の名推理』
──宇宙人も怪火も巨大な怪人も、A先生の前ではすべて合理で処理されてしまう、真面目さの向け方がおかしい奇想の見本市。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
39.ピエール・シニアック 『ウサギ料理は殺しの味』
──ウサギ料理の噂から始まる連続殺人が、最後には黒い笑いの効いた皮肉な群像劇へ仕上がっていくシニアックの毒味ある一冊。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(3.0)
1.倉阪鬼一郎『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』
館ミステリの顔をした、とんでもないトリック小説
崖を挟んで建つ黒鳥館と白鳥館、次々と仕掛けられる密室殺人、そして癖の強すぎる容疑者たち。
ミステリ好きならタイトルを見ただけでお腹いっぱいになりそうな、お約束全開の舞台で派手に暴れ回るのが、倉阪鬼一郎の『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』だ。
本来なら行き来できるはずのない二つの館を犯人がどうやって移動したのか、不可能犯罪の連続に最初は大興奮でページをめくることになる。だが、読み進めるうちに、どうにも言えない強烈な違和感が這い上がってくる。何かが不自然で、妙に引っかかるのだ。
単に癖がある作家なのかと思いきや、これこそが読者の脳みそをひっくり返すための罠の始まりである。事件の謎を追っているつもりで、実は最初から作者の巨大な悪ふざけの中に閉じ込められていたのだ。
ここまで無茶な仕掛けを、一冊丸ごと使って最後までやりきってしまう執念には、驚きを通り越して変な笑いが込み上げてくる。
密室も作中作もすごいが、いちばんおかしいのは……
この小説がバカミスとして語り継がれる理由は、密室のトリックや建物の構造を遥かに超えた、解決編のぶっ飛び方にある。
そこで明かされる真相は、私たちが普段使っている言葉の常識そのものを丸ごとトリックに変えてしまうものだ。思いつきの一発ネタではなく、執念深く積み上げて作られた仕掛けの物量には、ただただ圧倒されるしかない。
笑える作品なのは間違いないが、その笑いは軽い冗談に対するものではなく、作者の狂気じみた根気と偏執ぶりに背筋が寒くなるタイプの笑いだ。
さらに、物語の構造が一枚上手なのも面白い。館の中の連続殺人を読んでいるはずが、作中作の仕掛けによって、いつの間にか別のドロドロした現実の層が見えてくる。復讐の気配が強まるにつれて、さっきまでの派手な密室劇がぬるっと嫌な形に歪んでいく展開の意地悪さは最高だ。
散りばめられた美術の蘊蓄や暗号のような要素も、すべてがこの巨大な言葉のパズルを完成させるためのパーツとして機能している。真相に納得するというより、そこに至るまでの作者の遠回りすぎるこだわりに頭がくらくらするレベルだ。
館ミステリとして大げさに暴れていた話が、途中からじわりと別の顔を見せる……というより、この作品の場合は、もっとぬるっと現実の不穏さが染み出してくる感じに近い。復讐の気配が強まっていくにつれて、さっきまでの派手な密室劇が、妙に嫌な輪郭を帯びはじめるのだ。
本作を読んでいると、ミステリというより、作者がものすごく遠回りしながら巨大な悪ふざけを完成させたのではないかという気分になる。だが、その悪ふざけがきっちり小説として着地してしまうから困る。
真相に感心するというより、そこに至るまでの異様な執念に目眩がする。館ミステリとして読んでも楽しいし、バカミスとして読んでも強い。
だが結局いちばん印象に残るのは、この小説は最初の段階からもうおかしかったのか、という感触である。
黒鳥館と白鳥館のあいだにある谷よりも深いのは、作者のこだわりのほうかもしれない。
悠木四季笑えるのに、最後は作者の執念がちょっと怖くなる怪作である。
2.倉阪鬼一郎『四神金赤館銀青館不可能殺人』
密室を解いているつもりが、気づけば小説そのもののルールを試されている
金赤館と銀青館というあまりにもケバケバしい名前の洋館、二つを隔てる深い入り江、そして嵐の夜に幕を開ける厳重な密室殺人。
倉阪鬼一郎の『四神金赤館銀青館不可能殺人』は、ミステリ好きなら一目でこれは大好物だと確信する、景気のいいガジェットがこれでもかと詰め込まれた一冊だ。
物語は、ミステリー作家の屋形が銀青館に招かれたことから動き出す。完全に隔離された部屋で死体が転がり、それに呼応するように対岸の金赤館でも惨劇が連鎖していく。二つの館で死が鏡合わせのように増殖していく見た目の派手さは、クローズド・サークルものとしてこれ以上ない最高のワクワク感がある。
次は一体どんな無茶な不可能犯罪をやってくれるのか。期待で胸がパンパンに膨らんでいくのだが、いつの間にか単なる館の謎解きを超えた、小説そのもののルールを試されるような異次元の世界へと引きずり込まれてしまう。
馬鹿馬鹿しさと技巧が、ものすごい勢いで同居している
本作の凄まじさは、二つの館をまたいで死体が移動したように見えるといった無茶苦茶な不可能犯罪の裏で、ものすごく細かい仕掛けが24時間フル稼働している点だ。
登場人物たちの何気ない会話、章立て、名前の響き、ちょっとした言い回し。それらの要素が、後からすべて恐ろしい精度で効いてくる。倉阪作品らしく、文章をただの文章として使わず、物語全体を巨大な言葉のパズルに仕立て上げる手腕はまさに職人芸だ。
しかもその言葉遊びが、事件の構造や館の正体といった核心部分と完璧にリンクしている。あとから振り返ると、最初からだいぶ露骨にヒントが置かれていたことに気づかされ、正統派の本格ミステリを解き明かしたときのような極上の快感が押し寄せる。
さらに、物理トリックや館の正体に関するネタのバカバカしさは、これぞバカミスの醍醐味と拍手したくなるほどの破壊力だ。あまりの力技に最初は「そんなのありか!」とツッコミを入れたくなるが、提示された条件をよくよく見直すと、1ミリの破綻もなく綺麗に成立しているから驚く。この、呆れと感心が同時に脳内を殴りつけてくる感覚が本当にたまらない。
物語の後半では演劇や脚本の形式まで飛び出し、全体の構成はどんどん人工的なものへとエスカレートしていく。普通の小説らしさに収まることを完全に拒否し、どこまで作為を積み上げられるかを真顔で実験しているような潔さがある。
倉阪鬼一郎は、ときどき作為が見え見えだとか、やりすぎだとか言われる作家なのだが、私はむしろそこが魅力だと本気で思う。
本作は特にそうで、作為を隠すのではなく、作為ごと作品の武器にしている。全力で馬鹿馬鹿しいことを、全力で緻密にやる。その突き抜けたエネルギーこそが、本作を唯一無二の傑作たらしめているのだ。
『四神金赤館銀青館不可能殺人』は、きれいに整った館ミステリを期待して読むと面食らうだろう。だが、ミステリという形式でどこまで遊べるか、どこまで無茶を論理で押し切れるか、そういう作品が好きなら刺さるはずだ。
金赤館と銀青館という派手な舞台装置の向こうにあるのは、館の謎だけに留まるものでは決してない。
小説はここまで人工的で、ここまで過剰でも成立するのか、という驚きそのものなのである。
悠木四季館トリックの豪快さと、言葉の細部にまで仕込まれた異様なパズル性の両方が味わえる贅沢な作品だ。
3.門前典之『屍の命題』
論理で説明されるはずなのに、説明されるほど頭がおかしくなっていく
門前典之のミステリを読むと、この人は人間より先に建物を信用しているのではないか、と思うことがある。
いや、もう少し正確に言うと、人間の感情や都合よりも、構造と配置と物体の運動のほうをずっと深く信じている作家なのだと思う。
だから門前作品では、ときどき登場人物が血の通った人間というより、壮大な仕掛けを成立させるために配置された部品のように見えてくる。その冷たさが欠点になる場合もあるのだが、『屍の命題』ではむしろそれが異様な魅力になっている。
雪に閉ざされた山荘、過去の事件の関係者たち、連続殺人、遅れて現れる探偵。こう並べると、古典的な新本格の顔つきである。しかもそこに、巨大な兜虫の亡霊まで出てくる。
字面だけ見ると、さすがに盛りすぎだろうと言いたくなるのだが、本作はこの無茶な要素をきっちり中心に据えて進んでいく。しかも逃げない。
巨大な兜虫という、どう考えても悪ふざけにしか見えないものを、本気でミステリの核にしてしまう。その異様な度胸がまずすごい。
建築と錯視と力業が、真顔でひとつの論理になる
本作のいちばん面白いところは、見えているものが荒唐無稽なのに、解決は超常ではなく物理に寄っていくところである。
もちろん素直に納得できるかというと、そこは怪しい。怪しいのだが、条件を並べられると、たしかに筋は通っている。
ここが門前典之の恐ろしいところで、普通なら思いつきで終わるような大ネタを、建築的な発想と空間把握で無理やり成立させてしまう。これにはあきれながら感心し、感心しながら笑ってしまう。
しかも『屍の命題』は、ただ珍妙なトリック一発で押し切るような単純な作品に留まらない。クローズド・サークルものとしての不安感、死体消失の謎、過去の事故との接続、加害者と被害者が円環のように絡み合う構図など、パズルとしての組み方がとても凝っている。
エッシャーの錯視や産廃処理のマニフェストといった、一見するとミステリから遠そうな断片が最後に収束していく流れもいい。このへんは、奇想に目が行きがちな作品なのに、骨格は意外なくらいきっちりしている。
探偵役の蜘蛛手も、いかにも門前作品らしい存在だ。キャラクターの厚みで押すタイプではないが、事件の異様さと昆虫的なモチーフにぴたりとはまっていて、解決場面では独特の軽さと残酷さがある。感情移入で引っぱるというより、論理の運び方そのものを見せる役回りで、その非人間的な手触りが作品全体の空気とよく合っている。
本作はもちろん読者を選ぶ尖った作風だ。力業すぎると思う人もいるだろうし、動機の出し方に引っかかる人もいるはずだ。だが、私はこの作品が死ぬほど好きだ。
無茶な発想を無茶なまま出すのではなく、きちんと論理の枠に押し込み、建築と配置と錯覚で成立させようとする、その大真面目さがたまらないのである。そして何より、作品の隅々にまで本格ミステリへの愛が溢れているのだ。
『屍の命題』は、整った本格ミステリというより、本格ミステリが持っている奇妙な夢を限界まで膨らませたような一作である。
論理で説明されるはずなのに、その説明が終わるころには、最初より世界のほうが妙に見えてくる。そこがたまらんのよ。
悠木四季巨大兜虫という無茶なガジェットを、建築的発想と物理トリックで本気で成立させる熱量が本当にすごいのだ。
4.門前典之『浮遊封館』
オカルトじみた不穏さの奥で、最後には物理トリックが全部を踏みつぶしていく
門前作品の多く(ほぼ全て)は、事件が起きるたびに、これは本当に人間が関わる犯罪なのか、それとも巨大な仕掛けが人を巻き込んで動いているだけなのか、だんだん分からなくなってくる。
『浮遊封館』は、そんな門前典之らしさが濃く出た一冊である。
まず設定がすでに強い。130人もの犠牲者を出した飛行機墜落事故。その後に続く全国規模の死体消失事件。さらにその裏で動く不気味な宗教団体。ここまで並ぶと、大掛かりな陰謀ものや伝奇ミステリのような気配すら出てくる。
実際、本作の前半にはそういう得体の知れなさがしっかり漂っている。宗教、聖遺物、怪しい教義、消える死体。いかにも超常的なものが顔を出しそうな雰囲気で、読んでいる側もついそちらに意識を引っぱられる。
神秘の皮をかぶっているのに、中身はえげつないほど物理的
だが、門前典之がそんな空気のまま終わるわけがない。本作の中心にあるのは、宗教団体の幹部らが住む特殊なマンションで起きる密室殺人である。
聖遺物とされるナーガの剣によって、男が口から剣を突き刺された状態で発見されるという嫌な見た目の事件だ。しかも現場は密室。この時点で、オカルトっぽさと本格ミステリの定番が強引に接続されているのだが、本作の面白さはまさにそこにある。
門前作品らしく、真相は超常現象ではなく、どこまでも物理で押してくる。しかもその物理が上品さとは無縁だ。もっとこう、でかくて乱暴で、力業の気配が濃い。
普通のミステリなら、もう少しスマートにまとめそうなところを、本作は無骨なやり方で成立させようとする。その無茶さがまず楽しい。
いや、楽しいというより、あきれながら笑ってしまう感じに近いかもしれない。こんな大仰な背景を敷いておいて、最後に出てくるのがそんな方向の答えなのか、と妙な感心をしてしまうのだ。
特に印象に残るのは、建物が単なる舞台ではなく、最初から巨大なトリック装置として扱われていることである。門前典之の建築ミステリはいつもそうなのだが、部屋や廊下や構造物が背景では終わらず、事件そのもののエンジンになっている。
本作でもマンションの設計がそのまま犯罪の骨格に食い込んでいて、物語が進むにつれて、宗教の不気味さより建築のほうがよほど怖いと思えてくる。人間の狂気が観念ではなく、ちゃんと物理的な形になって現れてしまうのが、この作家の怖いところであり、面白いところでもある。
探偵役の蜘蛛手も相変わらずいい。感情移入しやすいタイプというより、この作品世界の非人間的なロジックにこそ美しく噛み合う存在だ。蜘蛛手が導く解決は論理的ではあるのだが、その論理の基盤にあるのが、常識的な感覚から少し外れた効率性や、冷たい物の見方であるところが門前作品らしい。
人を人として扱うより先に、条件と配置と運動として見る。その手つきが、作品全体の異様な温度の低さにつながっている。
本作は、宗教団体の不気味さや死体消失という悪趣味な題材のせいで、全体の色は黒い。にもかかわらず、最終的な読後感にはどこか脱力が混じる。それは、真相があまりにも門前典之的で、あまりにも大真面目に馬鹿馬鹿しいからだと思う。
壮大な神秘をちらつかせながら、最後には物理トリックのゴリ押しで全部を持っていく。この乱暴さと執念に賛美を。
『浮遊封館』は、オカルトと建築ミステリが衝突した結果、とんでもない力技が生まれてしまったような一冊だ。
神秘の幕をめくった先に、巨大な物理装置がどんと置かれている。
この乱暴な光景こそ、門前典之を読む楽しさなのだ。
悠木四季不気味な宗教ミステリかと思っていたら、最後は門前典之らしい物理の暴力に全部さらわれる。
5.門前典之『灰王家の怪人』
正統派の顔で近づいてきて、最後にとんでもない力技で全部をひっくり返す
というわけで門前作品が続く。私が門前典之好きなのがバレたかな?
というか門前作品は基本バカミスというか、とんでもないトリックを使ってくる作品ばかりなので、ぜひここでご紹介している作品以外も読んでみてね。
関連記事:門前典之おすすめミステリー小説7選 – なんでそんなトリック思いつくんだよ選手権、優勝作家。
さて、彼の作品には、いつもどこか無情なところがある。人間の感情の揺れやドラマよりも、構造、配置、移動、そういうもののほうをずっと強く信じている感じがあるのだ。
なので門前作品では、登場人物がときどき血の通った人間というより、壮大なトリックのために置かれた部品のように見える。その冷たさが、この作家の持ち味でもある。
『灰王家の怪人』は、そんな門前典之が王道寄りのクローズド・サークルに挑んだ一作なのだが、もちろんただ王道で終わるわけがない。
舞台は絶海の孤島、あるいは外界から切り離された古風な屋敷。灰王家という名家、仮面の怪人、因縁めいた過去、そして連続殺人。
並べてみると、露骨なくらい本格ミステリの定番が揃っている。しかも前半は、その定番を律儀になぞって進んでいく。
閉ざされた場所で住人が一人ずつ減っていく展開は、やはりクリスティ的な不安と緊張感があって楽しい。この段階では、門前典之にしてはずいぶん素直な作品なのでは?とさえ思ってしまう。
王道のクローズド・サークルを、非人間的な論理で粉砕する
だが、本作の本領はもちろん解決編にある。蜘蛛手が登場してから一気に空気が変わるのだが、ここで提示される真相が実に門前典之らしい。
前半で積み上げてきた孤島ミステリの雰囲気や、名家ものらしい不気味さや情緒を、最後には無骨な物理トリックで踏み抜いていく。このバランスがすごくいい。いや、いいというより、ひどい。ひどいのだが、そこが最高なのだ。
本作の面白さは、古典的なフレームを使っているからこそ、門前流の異様さが余計にはっきり見えるところにある。ふつう、この手の連続殺人ものでは、人間関係のもつれや家の因縁や心理戦が前に出てくる。
ところが門前典之は、そういう本来なら主役になりそうな要素をちゃんと置いておきながら、最後にはもっと別のもの、つまり空間と物体の運動の論理で作品を支配してしまう。人間ドラマを読みたい気持ちでついていくと、終盤で急に巨大な装置の内部を見せられるような感じになるのだ。
しかもこの人のすごいところは、その力技がただの思いつきでは終わらないことだ。無茶苦茶なのに、細部を見返すとちゃんと伏線が置いてある。読んでいる最中には気にも留めなかった小さな不整合が、あとから一気に意味を持ち始めるのだ。
蜘蛛手の解決は、毎度のことながら人間味より論理の異様さが前に出るのだが、本作ではその狂気がとくによく出ている。こんなことまで考えるのか、とあきれながら、でも条件を並べられると否定しきれない。この感触が実に門前作品らしい。
そしてやはり強烈なのは、人を人として扱わないようなトリックの冷酷さである。本作でも、登場人物はしばしば感情を持つ存在というより、計画の中でどこに置かれるかが重要なパーツとして処理される。その非情さは極端で、情緒豊かなクローズド・サークルが好きな人には合わないかもしれない。
だが、私はここに門前典之の独特の魅力を感じるのだ。人間の情念を描くためではなく、驚きを成立させるために全力で物語を組み上げる。その偏り方が、ある意味ではとても誠実なのである。
『灰王家の怪人』は、正統派の本格ミステリを装いながら、その内側では門前典之らしい非人間的な論理がずっと蠢いている作品だ。きれいに整った孤島ミステリを期待すると、最後は面食らうはずである。
だが、その面食らいこそがこの作品の醍醐味だろう。古典的な館ものの骨組みに、ここまで冷酷ででかい物理トリックをぶち込むのか、という驚きがある。
読み終わるころには、灰王家の怪人よりも、門前典之という作者のほうがよほど怪人じみて見えてくる。
悠木四季孤島ものの定番を丁寧になぞったうえで、終盤に非人間的な物理トリックを叩き込む落差が強烈だ。
6.殊能将之『黒い仏』
推理小説を読んでいたはずなのに、気づけば足元の現実ごと消えている
殊能将之という作家は、最初から危ういところを歩いていた人だと思っている。
端正で、知的で、いかにも本格ミステリの名手らしい顔をしながら、その内側にはジャンルそのものをひっくり返したい欲望を持っている。
『黒い仏』は、その危うさがもっとも派手なかたちで噴き出した一作である。
発端は、唐から帰る途中に没した僧・円載の伝説と、海から漂着した仏像をめぐる因縁話だ。
そこに現代の秘宝探しがつながり、さらに福岡市内で起きた身元不明死体の事件が絡んでくる。設定だけ見ると、伝奇と探偵小説のあいだを行き来する、いかにも濃い長編である。
しかも石動戯作とアントニオのコンビが動き出すと、博識でどこか気取った会話の楽しさもあって、読み味はむしろ軽やかですらある。仏教史や土地の由来、歴史の層が重なっていく感じも面白い。
つまり最初のうちは、教養の厚みを備えた本格ミステリとして気持ちよく読めてしまうのだ。
論理の道を進んでいたら、最後に別の宇宙へ放り出される
だが、『黒い仏』の本当のおそろしさはそこから先にある。本作は、前半から中盤まで丁寧に本格ミステリの手つきで進む。
手がかりがあり、謎があり、探偵がいて、こちらは当然のように論理の着地点を期待する。殊能将之はその期待をちゃんと分かったうえで、意地悪く育てていく。そして解決編で、その期待ごと一気に裏切るのだ。
有名な作品なので細部には踏み込まないが、本作の真価は、単に意外な真相を出すところにはない。ミステリという形式の中で当然のように共有されている前提そのものを、最後にまとめて蹴り飛ばすところにある。
ふつうなら成立しないはずの飛躍を、あえて成立させてしまう。その乱暴さがすごい。いや、乱暴というより、あまりにも計算された大暴投と言ったほうが近いかもしれない。
私の勝手な想像だが、殊能将之はとても悪い顔でこれを書いたのではないかと思う。博識で格調高い本格ミステリとして安心させておいて、終盤でいきなり別のジャンルの地平をぶち抜いてくるのだから、やはりどうかしている。
だが、その悪辣さこそがたまらなく魅力的でもある。きれいに整った解決を求める人ほど面食らうだろうし、怒りたくなる気持ちもわかる。でも私は、ここまで思い切りよくやられると、むしろ笑ってしまう。そんな手がありなのか、というより、そこまでやるのか、である。
しかも本作は、単なる悪ふざけでは終わらない。前半で積み上げた教養や歴史や土地の重みがあるからこそ、終盤の超展開がただの突飛さではなく、異様な説得力を帯びる。地に足のついた世界をきっちり作っておいて、その世界ごとひっくり返す。この落差がとにかく強烈だ。
『黒い仏』は、ミステリのルールを破る作品というより、ルールを完璧に理解した人が、壊す瞬間がいちばん派手になる角度を正確に見極めて放った一撃なのだと思う。
本格ミステリの顔をした奇書。あるいは、奇書の顔をした本格ミステリ。たぶんこの作品は、どちらの呼び方でも少し足りない。
読み終えるころには、事件の真相以上に、ミステリというジャンルそのものの輪郭がぐらついて見えてくる。
その感覚こそが、『黒い仏』という小説の取り返しのつかない魅力である。
悠木四季本格ミステリの信頼感を利用して、最後に全部を爆破するような、とんでもない奇書である。
7.殊能将之『キマイラの新しい城』
中世の亡霊みたいな妄想が、現代日本のど真ん中で妙に本気を帯びてくる
殊能将之の小説は、入口の時点でもうおかしいことが多い。
普通なら、そんな設定で本当に最後まで行くのかと半信半疑になるのだが、この作家はその無茶な入口をきっちり物語の中心に据えてしまう。
『キマイラの新しい城』もまさにそういう作品である。舞台は、フランスの13世紀の古城を石一つずつ移築したという千葉のテーマパーク。
その持ち主のベンチャー企業社長が、自分は750年前にこの城で死んだ騎士エドガー・ランベールの生まれ変わりだと言い出し、中世の騎士として振る舞い始める。設定だけ書き出すと無茶なのに、読み始めるとこれが妙に楽しい。
しかも依頼の内容がいい。石動戯作が呼ばれる理由は、現代の殺人事件を解いてほしいからではなく、750年前に死んだ騎士の死の真相を解いてほしいからである。この時点で、ミステリの依頼としてはだいぶ変だ。
だが、殊能将之はこういう変な話を、変なまま雑には扱わない。中世史、城郭建築、紋章、騎士道、文学的な引用まできっちり積み上げて、荒唐無稽な話に妙な厚みを与えてしまう。
だからこちらも、気づけばそのおかしな依頼をわりと真面目に受け止めてしまうのである。
博識と悪ふざけが、ものすごくきれいな形でかみ合っている
本作の好きなところは、殊能将之の博識が単なる飾りではなく、物語の推進力そのものになっている点だ。
中世ヨーロッパの城のつくりや歴史的背景がしっかり書き込まれているので、千葉に移築された古城という途方もない設定に、変な現実感が出る。
そのうえで、江里という人物の騎士ごっこめいた狂気が、ただの冗談ではなく、どこか切実なものとして見えてくる。このあたりのさじ加減が絶妙だ。
もちろん、本作の魅力は教養の厚み以外にもたくさんある。石動戯作シリーズらしいユーモア色も強い。石動とアントニオの掛け合いは相変わらず楽しいし、そこに自称エドガーの大真面目な騎士ムーブが加わることで、全体の空気が妙になる。
中世の騎士道と現代日本の風景がぶつかるたびに、真顔でやればやるほど面白くなるタイプのずれが生まれるのだ。このあたりは、殊能将之の洒落っ気が気持ちよく回っている。
ただ、本作がただの変わったユーモアミステリで終わらないのは、やはり解決編の強さがあるからだ。過去の事件と現在の事件が重なり合い、城の構造そのものが意味を持ち始めたあたりから、物語は一気に別の顔を見せる。
ここで明かされる真相は、大胆で、常識外れで、しかも殊能将之らしく、きっちり論理の体裁を保っている。読んでいる最中は、そんな方向に行くのかと笑ってしまうのに、読み終わると妙に納得させられる。この、笑いと感心が同時に来る感じがすごくいい。
『黒い仏』ほど露骨にジャンルの地盤を爆破する作品ではないが、本作にはあの作品とは別の意味での危うさと楽しさがある。奇想を奇想のまま放り出すのではなく、資料と論理とユーモアで丁寧に包み込み、最後に変な真相へ着地させる。その手つきがすごく洗練されているのだ。
なので『キマイラの新しい城』は、バカミス的な跳躍力を持ちながらも、全体としては品よくまとまっているように見える。見えるのだが、やっていること自体はやはり相当おかしい。その上品さと無茶さの同居が、この作品の最大の魅力だ。
読み終わるころには、移築された古城という舞台装置そのものが単なる背景ではなく、殊能将之が仕掛けた大きな冗談であり、大きな迷宮だったのだと分かってくる。
騎士の亡霊を追っていたはずなのに、最後に立ち尽くすのはミステリの奇想そのものの前なのである。
悠木四季博識とユーモアと大真面目な悪ふざけが、驚くほどきれいに噛み合っているのが凄い。
8.早坂吝『双蛇密室』
悪夢みたいな設定を、本格ミステリの論理で本気で押し切ってしまう
早坂吝という作家は、本格ミステリのルールをものすごく愛しているのにその愛し方がだいぶねじれている、と思うことがある。というか、絶対ねじれている。
王道の謎解きや伏線回収の快感をきっちり守りながら、そこへ普通なら持ち込まない題材を平然とぶち込んでくるからだ。『双蛇密室』は、そのねじれ方が強烈に出た一冊である。
シリーズの中心にいるのは、援交探偵・上木らいちと、彼女の常連客である刑事・藍川。設定だけ見ればかなり飛び道具なのだが、シリーズを読んでいると、この異様な取り合わせがむしろしっくりくるから不思議だ。
本作では、そんな藍川の蛇恐怖症が真正面から扱われる。毎月のように二匹の蛇に襲われる悪夢を見ている男。その原因が、幼少期に経験したらしい密室事件にあるらしい、という時点でもう嫌な気配が濃い。
しかも物語は、その過去の事件をたどる形で、藍川の両親の関係や田舎町の暗い事情まで掘り返していく。ここだけ見ると、わりと古典的な因縁もののミステリにも見える。過去と現在を行き来しながら、家族の秘密と未解決事件が結びついていく構成も手堅い。
早坂吝はこういうベタな型を、わざとベタなまま使うのがうまいのだ。古典的な密室ものや因習ものの手触りをしっかり残しつつ、そこへ自分の変な球を投げ込んでくる。
ありえなさの限界を越えてから、本格ミステリとしてきっちり回収する
『双蛇密室』のすごいところは、真相がとにかくひどいことである。
もちろん、ここで中身は言えない。ただ、ネタバレを避けて言うなら、普通のミステリなら最初から候補にすら入らないようなものを、早坂吝は真顔で犯行の中心に置いてしまう。
そしてさらに厄介なのは、それが単なる出オチでは終わらないことだ。むちゃくちゃなのに、ちゃんと伏線がある。変なのに、筋が通っている。そこがこの作家のいやらしくて見事なところである。
こういうタイプのバカミスを読むと、感動と脱力がほぼ同時に来る。『双蛇密室』はまさにその典型だ。真相に触れた瞬間、さすがにそれはやりすぎだろうと思うのに、あとから細部を見返すと最初から丁寧に準備されていたのがわかる。
ふざけているのに雑な処理など微塵も見当たらない。むしろ、ふざけた真相を成立させるために、ものすごく真面目に設計されている。そのアンバランスさはもはや異常だ。
さらに、本作がただの怪作で終わらないのは、藍川という人物の根っこの部分に触れているからでもある。蛇恐怖症という一見するとキャラづけの一要素に見えたものが、ここまで大きな核になるのは気持ちいい。
つまりシリーズものとしての積み重ねが、奇想天外な真相にちゃんと重みを与えているのだ。だから読み終わると、ただ変なトリックを見せられたという感じではなく、藍川という男の見え方そのものが少し変わる。
早坂吝の作品はエロティックな要素や生理的な嫌さを前に出してくることがあるので、好みははっきり分かれると思う。だが、『双蛇密室』に関しては、その危うさも含めて作品の魅力になっている。
本格ミステリの意外性を、ここまで無茶な方向へ押し広げながら、それでも最後はロジックで着地させる。その執念はやはりすごい。
読み終えたあとに残るのは、美しい解決の余韻というより、なんてものを読まされたのだという、半笑いの敗北感である。
だが、その敗北感こそが、この作品の強さなのだと思う。
悠木四季絶対にありえないはずの真相を、精密な伏線とロジックで成立させてしまう手腕が圧倒的なのだ。
9.早坂吝『○○○○○○○○殺人事件』
タイトルそのものが凶器になっている、前代未聞のメタ・ミステリ
ミステリにはいろいろな驚かせ方がある。犯人でひっくり返すもの、トリックで唸らせるもの、語りの仕掛けで視界を反転させるもの。
だが早坂吝『○○○○○○○○殺人事件』は、もっと変なところに手をかけてくる。よりによって、タイトルそのものを最大の謎にしてしまったのである。これがまず強烈だ。
普通なら表紙に印刷されていて、最初から与えられているはずのものが、ここでは最後まで伏せられたまま進んでいく。そんな無茶な設定を、本当に長編ミステリの核にして成立させてしまう。その時点で異常なのだが、この作品は予想を遥かに超えてくるのだからやっぱりこの作家はおかしい。
舞台は小笠原諸島の孤島。オフ会で集まったメンバーたち、仮面の男、消えたクルーザー、失踪者、そして連続殺人。設定だけ見ればクラシックで、クローズド・サークルものとしての部品はきれいに揃っている。
針と糸を使った密室めいた仕掛けや、いかにも意味ありげな仮面の存在も含めて、いかにも本格ミステリらしい。実際、序盤から中盤にかけては、そのベタさを意識的に並べてくる。
だが本作のおもしろさは、そのベタさ自体がすでに目くらましになっているところにある。
孤島の殺人劇を読んでいたはずなのに、気づけば題名と格闘している
この作品のすごさは、タイトル当てというメタな仕掛けが単なる変化球で終わっていない点にある。奇抜な発想だけなら一発ネタで済んでしまう。けれど本作は、その思いつきを物語全体の構造にまできっちり食い込ませているのだ。
物語の細部、登場人物の言動、妙に引っかかる描写、いかにもそれっぽく置かれた古典的ガジェット、その全部があとから別の意味を持ちはじめる。
つまりこれは、タイトルを隠した変なミステリではなく、タイトルを隠すことによって全体の見え方を制御しているミステリなのだ。この設計がいやらしく、とても面白い。
しかも早坂吝は、そういうメタ的な遊びをただの内輪ネタっぽい軽さにしない。ちゃんと本格ミステリとして勝負しようとしている気配があるから恐ろしいのだ。
冒頭から挑戦的な姿勢を見せ、途中でもこちらの思考を先回りするような構成を入れ込みながら、最後には小説という媒体でしか成立しない一撃を叩き込んでくる。読んでいるあいだは何度も、これは悪ふざけなのか、それともとんでもなく真面目な実験なのか分からなくなるのだが、たぶん両方なのだと思う。
上木らいちというキャラクターの強さも大きい。清廉な名探偵とはまるで違う、かなり癖の強い存在でありながら、この作品の下世話さと知的な悪意を引き受ける役としてはこれ以上ないくらい似合っている。
シリーズの出発点として見ても、この人物を探偵役に置いた判断はとても大胆だと思う。上品に整える気が最初からあまりなく、その代わり印象だけは絶対に残す。その開き直りが素晴らしい。
『○○○○○○○○殺人事件』は、きれいに整った本格ミステリというより、ミステリという形式でどこまで遊べるかを本気で試した一冊である。評価が割れるのもよく分かる。
だが、もちろん私はこういう作品が好きだ。そんな場所まで謎にしてしまうのか、という驚きと、その無茶をちゃんと小説として成立させる胆力にやられてしまうからだ。
題名を明かされた瞬間、物語の見え方が一気に変わる。あんな感覚を忘れられるわけがない。
悠木四季タイトルという当たり前の土台をまるごと謎に変えた、攻めに攻めたデビュー作だ。
10.幡大介『猫間地獄のわらべ歌』
江戸の怪談めいた空気の奥で、本格ミステリがにやりと牙を見せる
幡大介『猫間地獄のわらべ歌』のおもしろさは、まず入口のうまさにある。
江戸の藩邸、愛妾、書物蔵で見つかる死体、国許でくすぶる利権争い、そして不気味なわらべ歌。材料だけ並べると、正統派の時代怪談めいた話である。
しかも舞台は封建社会で、自由に動ける人間は限られ、捜査にもいろいろな制約がある。なので最初は、江戸の風俗や人間関係の機微を楽しみながら、じわりと不穏さが濃くなっていく話なのだろうと思う。
だが本作は、そこに本格ミステリの骨組みを強引に差し込んでくる。その混ざり方がいい。
閉ざされた書物蔵の死、わらべ歌をなぞるような見立て殺人、屋敷という閉じた空間。こうしたガジェットはどう見ても本格ミステリのものなのに、江戸という時代設定の中に置かれることで、妙に新鮮な顔つきになる。
科学捜査がないぶん、頼れるのは観察と論理だけで、そのぶん謎解きの手触りはむしろ古典的ですらある。ここだけでも十分に楽しいのだが、本作はそれで終わらない。
時代劇の仮面をかぶった、意地の悪いメタ・ミステリ
本作の真骨頂は、終盤に向かうにつれて作品そのものの態度が少しずつ変わっていくところにある。
最初は江戸ミステリとして丁寧に進んでいた物語が、だんだんこちらの読み方そのものを試すような顔を見せはじめるのだ。
そして読み進めていくと、さらに追い打ちをかけるような仕掛けが待っている。
登場人物たちが「この時代に『密室』なんて言葉を使っていいのか?」なんてメタな相談を始めるのだ。第四の壁をそんなにあっさり壊していいのか、と突っ込みたくなるが、これが不思議と心地いい。
「厳密に外界より隔てられしで行われた人殺し……。左様、これは、密室殺人とでも、呼ぶべきであろうか」
「密室殺人……!」
俺は我が耳を疑った。
「い、今、密室と仰せになられましたか?」豊寿院様はしれっとした顔つきで答えた。
「申したが、それがどうした」
俺はますます困惑した。
内侍之佑(以下・内)「密室……などという言葉は、この時代には、なかったのではないかと推察いたしまするが」
豊寿院(以下・豊)「左様であろうな」
内「そういうことにうるさい読者が結構いるんですけど……」
豊「えっ、そこをつっこむ? つっこむべきところは、そこではないのではないかと思うがの?」
『猫間地獄のわらべ歌』 34.35ページより引用
著者の幡大介氏は、時代考証という名の正しさを盾に取る読者を、あえて正面から挑発している。
これは確信犯的な演出だ。江戸という舞台を、リアリズムの場としてではなく、現代的なロジックやギャグをぶち込むための巨大な仮想空間として使い倒している。
とくに効いているのが、読者への挑戦状をめぐる仕掛けである。ミステリ好きなら身構えるあの形式を、まっすぐ使うのではなく、認識の癖や先入観そのものに刺さる形で使ってくる。これが楽しくて仕方がないのだ。
個人的にも、こういうジャンルのお約束を理解したうえで、そこを少しずらしてくる作品は好きだ。本作はまさにそういう一冊で、時代小説の情緒をしっかり書き込みながら、その土台の上で人を食った遊びをやっている。
しかも、それが単なる悪ふざけで終わらないのがうまい。銀山をめぐる政治的な思惑や、わらべ歌殺人の不気味さもきちんと効いているので、読んでいるあいだの満足感はちゃんと王道寄りなのだ。そのうえで最後に、そんな角度からひっくり返してくるのかと唸らされる。
時代小説として読んでも、本格ミステリとして読んでも、それぞれにおいしい。だがいちばん印象に残るのは、その二つを混ぜたことで生まれる妙な歪みである。江戸という舞台の不自由さが、かえってメタ・トリックの切れ味を増しているのだ。
『猫間地獄のわらべ歌』は、しっとりした時代劇の顔で近づいてきて、最後にいたずらっぽい笑いを残して去っていく。
こういう作品に出会うと、ミステリはまだまだ変なことができるんだなあ、と嬉しくなってしまうのだ。
悠木四季江戸情緒たっぷりの時代ミステリかと思いきや、最後にメタな悪意がきれいに炸裂する快作である。
11.島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』
恋情と執念と巨大トリックが、雪の北国でむき出しのままぶつかり合う
島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』は特殊な小説である。読んでいるあいだに味わう驚きの種類が、一種類に収まらないからだ。
まず、通子からの電話を受けた吉敷竹史が、彼女を追って北へ向かうという導入がすでに強い。元妻のただならぬ気配を感じ取り、理屈ではなく体ごと追いかけていく。
この時点で、すでにただの謎解き小説から大きくはみ出している。吉敷シリーズ特有の、傷だらけの感情がむき出しになった感じが最初から濃すぎるのである。
しかも、その先で待っているのがまたとんでもない。通子は奇妙な殺人事件の容疑者として追われていて、現場では甲冑を着た武者が現れたとか、夜空を飛んだとか、後ろ向きに歩いて消えたとか、どう考えても怪談じみた証言が飛び出してくる。
普通なら、この時点で伝奇とか怪奇小説に寄っていきそうなものだ。だが島田荘司はそこから逃げない。
むしろ、その突飛さをきっちり本格ミステリの内部に引き戻してしまう。その強引さと胆力がまずすごい。
ハードボイルドな痛みの中に、途方もない物理トリックが突っ立っている
本作のいちばん好きなところは、吉敷竹史という男の生身の痛みと、トリックの荒唐無稽な巨大さが、まったく別々にならずに走っているところである。
吉敷は通子を追い、疑い、信じ、苦しみながら移動を続ける。上野から青森、盛岡、釧路へと北上していく道のりには、刑事小説らしい泥くささと、私小説めいた切実さまで混じっている。読んでいるこちらも、まずはこの男の感情の流れに引っぱられる。
その一方で、事件の側ではとんでもない不可能興味が積み上がっていく。列車内での殺人、密室、甲冑武者の怪異、そして時刻表の隙間に潜むロジック。材料だけ見ると盛りだくさんなのに、本作はそれをばらばらにせず、一つの大きな流れの中へまとめていく。
そして終盤で明かされる物理トリックが、やはりものすごい。島田荘司はときどき、そんなでかいことを本当にやるのか、という発想を真顔で出してくるが、本作はその代表格だ。
しかも面白いのは、その大仕掛けが単なる見せ場で終わらないことだ。たしかに真相はサーカス的で、初見では思わず笑ってしまうくらい大胆である。
だが、そこまで読んできた吉敷の苦しさや執着があるから、最後にはその奇想がただの珍トリックではなく、ひどく重たいものとして着地する。こういうところが島田荘司の醍醐味だろう。普通なら荒唐無稽で吹き飛びそうなトリックに、人間の感情の重さがきっちり食い込んでくるのだ。
さらに本作は、トラベルミステリとしての快感も強い。列車移動、ダイヤ、土地ごとの距離感、時間のずれ。そのあたりの積み上げがきっちりしているので、巨大トリックがただの夢物語にならない。
むしろ、現実の地理と時刻表の厳しさがあるからこそ、その上に載る奇想がいっそう鮮やかに見える。空想ではなく、現実の線路の上に怪物じみたトリックが乗っている感じがするのである。
『北の夕鶴2/3の殺人』は、吉敷竹史シリーズの中でもとくに感情の濃い作品だ。愛する人を救いたいという個人的で生々しい衝動と、ミステリとしての途方もない物理的発想が、ここまで真正面から結びついているのは珍しい。
だから読み終わったあとに残るのは、ただトリックに驚いたというだけでは片づけられない。むしろ、こんなにも無茶な謎が、こんなにも切ない話の中に置かれてしまうのか、という妙な圧倒のほうである。
吉敷竹史という男の傷と、島田荘司の奇想。
その両方がぶつかり合った結果、こんなにも無茶で、こんなにも切ないミステリが生まれてしまった。
悠木四季途方もない大仕掛けと、吉敷竹史のむき出しの感情が奇跡みたいなバランスで両立した、島田荘司の代表作である。
12.島田荘司『斜め屋敷の犯罪』
館そのものが狂っているからこそ、本格ミステリとしてこんなにも強い
タイトルからしてもう好きだ。
斜め屋敷、である。
そんなものが出てきた時点で、ミステリ好きとしてはテンションが上がるしかない。
しかもそれが北海道の最北端、宗谷岬の高台に建つ異形の洋館となれば、舞台装置としての迫力は十分すぎる。吹雪、クリスマス、閉ざされた館、そして密室殺人。
並べてみると古典的な材料が揃っているのに、本作はそこへ島田荘司らしい過剰な物理的奇想を容赦なく流し込んでくる。ミステリファンってこういうのが好きなんでしょ?と島田荘司が言っているのがわかる。先生、正解です。
すごいのは、やはり「斜め」という設定が雰囲気づくりでは終わっていないところだろう。普通なら、傾いた館なんてそれだけで十分目立つし、不穏な空気も出せる。だが本作では、その傾斜がまるごとトリックの中核になる。
屋敷が北側に傾いているという一点に、これでもかというほどの意味が与えられていて、館全体が巨大な殺人装置みたいな顔つきになっていく。この発想にまず痺れてしまうのだ。
でかすぎる仕掛けを、本気の論理で押し切る気持ちよさ
本作を読んでいると、島田荘司という作家は発想のスケールが妙におかしいと改めて思う。
一人を殺すために、そこまでやるのか。いや、そもそもそんな屋敷を建てる段階でだいぶおかしい。けれど、そのやりすぎがこの作品では完全に魅力へ変わっている。動機と手段の釣り合わなさが、むしろ本格ミステリの夢そのものみたいに見えてくるのだ。
しかも、その巨大な奇想がちゃんと細部まで行き届いているのがすごい。廊下の隙間、換気口、天狗の面、傾斜した床、滑る物体。そうしたパーツが一つずつつながって、最終的にありえないような物理トリックを現実味のある形で組み上げていく。
もちろん、冷静に考えれば無茶である。だが、読んでいる最中はその無茶を力でねじ伏せるだけの熱量がある。私はこういう、常識で止まらない本格ミステリが大好きだ。
被害者の遺体の不自然な姿勢も印象的だ。首の折れた菊の花のような、あの強烈なイメージが、館の構造と結びついて回収される瞬間の気持ちよさはやはり格別である。奇妙な光景がただの怪奇ではなく、きっちり論理の側へ引き戻される。この感触こそ本格ミステリの醍醐味だと思う。
そして御手洗潔の登場がまた良いのだ。警察が見落とした違和感を拾い上げ、変人ぶりを隠そうともせず、論理だけでぐいぐい真相に迫っていく姿には、やはり独特の華がある。
本作の御手洗は、後年のシリーズを思えばまだ初期の段階にいるのだが、それでもすでに「この探偵はただ者ではない」という圧がある。石岡とのコンビの空気も含めて、シリーズの始まりとしての魅力も濃い。
『斜め屋敷の犯罪』は、館ミステリの代表作として語られることが多いが、個人的にはそれ以上に、物理的奇想をここまで大真面目にやり切った一冊として強く残るのだ。
情念の重さと、トリックのとんでもなさ。その両方が同時に走っていて、最後には妙な説得力さえ帯びてくる。
館が傾く。ただそれだけの異常から、ここまで大がかりで豊かな悪夢を組み上げてしまう。その力技が、どうしても好きでたまらないのだ。
この斜めの館には、本格ミステリというジャンルの自由さと過剰さが、これ以上なくわかりやすい形で詰まっている。
悠木四季斜めの屋敷という異様な設定が、見た目のインパクトだけでなく殺人の手段そのものに直結しているところが最高なのだ。

13.島田荘司『屋上』
オカルトみたいな連続転落死を、御手洗潔が力技の物理でひっくり返す
幸福の絶頂にいたはずの女性が、屋上から飛び降りる。しかも周囲の証言から見ても、そこに不審な人物の姿はない。
自殺に見える。だが動機がない。ここまでは、よくある不穏なミステリである。ところが『屋上』は、その一件で終わらない。むしろそこからが本番だ。
私は絶対に自殺しません、と口にしていた人たちが、まるで何かに呼ばれたみたいに次々と屋上から身を投げていくのである。設定だけ書いても異様だし、嫌な話だ。にもかかわらず、この作品にはどこか喜劇すれすれの危うさまで混ざっている。その温度がまずおもしろい。
前半の空気は怪奇寄りである。呪われた盆栽、怨念めいた気配、ビル全体に漂う不吉さ。普通ならこのまま怪談に寄っていきそうなものだが、ここで御手洗潔が出てくると話の重心が一気に変わる。
やはりこの探偵は強い。場を深刻に引き締めるというより、そんな怪談みたいな話があるわけないだろうとでも言うように、現象の背後へずかずか踏み込んでいく。その快活さがこの作品にはよく合っている。
連続転落死の裏にあるのは、島田荘司らしい巨大で雑で美しい発想
この作品の魅力は、とにかく発想の大きさにある。島田荘司はときどき、どうやったらそんな事を思いつくのかと呆れるほど巨大な物理トリックを平然と出してくるが、『屋上』もその系譜にある一作だ。
鍵になるのは、ビル群の中にそびえる「プルコキャラメル」の巨大看板。こんなものが殺人、いや転落死の連鎖にどうつながるのか、最初は見当もつかない。ところが御手洗の説明を追っていくと、ばらばらだった違和感が急に一本につながりはじめるのだ。この感触がまず気持ち良すぎる。
しかも、このトリックは精密機械みたいな美しさというより、もっと豪快な類のものだ。巨大な看板、周囲の環境、偶然の重なり、そして人間の行動のちょっとした癖。そういうものをまとめて一つの現象として見せてしまう。
無茶だし、危うい。だが、そこがいい。本格ミステリの上品なミニチュア細工というより、街そのものを巻き込んだ仕掛けを見せられる感じがある。スケールで圧倒してくるタイプの快感だ。
それにしても、この作品の転落死の並び方はすごい。悲惨な事件であるはずなのに、説明の仕方によってはほとんどコントみたいな見え方までしてくる。もちろん実際には笑えないのだが、まさかそんな理由で……と思わされる落差が大きすぎるのである。
この不謹慎すれすれの感触も含めて、『屋上』はかなり変な作品だ。オカルトの顔で始まり、最後は壮大な物理ギャグみたいな場所へ着地する。その振れ幅がとても大きい。
ただ、単なる珍トリック大会で終わらないのが島田荘司らしいところでもある。ばらまかれた違和感が最後に一気に収束していく手際には、やはり本格ミステリとしての気持ちよさがある。
途中で見せる怪談じみた空気も、御手洗の登場でぜんぶ別の顔になる。この反転が鮮やかだ。真相の現実味をどこまで受け入れられるかで好みは分かれそうだが、島田作品に求めるものが「そこまでやるのか」という奇想のスケールなら、本作は満足度が高い。
ビルの屋上という都会的な舞台から、こんなにも大きくて妙な真相を立ち上げてしまう。その無茶の仕方が、なんとも島田荘司らしい。きれいに整ったロジックだけでは届かない、力業の魅力がある。
読み終えたあとには、恐ろしい話を読んだという感覚と同じくらい、とんでもないものを見せられたという妙な高揚が残る。そういう意味でも忘れにくい一編だ。
つまりこの作品は、現実にどれだけ近いかではなく、どこまで飛べるかを見せてくるタイプのミステリである。
地に足がついていないようで、最後にはきちんと着地する。まあ、その着地点が妙におかしいのだが。
悠木四季怪談みたいな連続転落死を、御手洗潔が巨大な物理トリックで豪快に回収してみせる、あまりにも島田荘司らしい真相が強烈だ。
14.柾木政宗『NO推理、NO探偵? 謎、解いてます!』
推理を捨てたはずなのに、最後にはミステリそのものの急所を刺してくる
ミステリ好きなら一度は思ったことがあるはずだ。
名探偵の長い解決編。あれは本当に必要なのか。犯人はそのあいだ黙って待ちすぎではないか。そもそも、あんなに都合よく話がつながることばかりなのか、と。
柾木政宗『NO推理、NO探偵? 謎、解いてます!』は、そういう身もふたもない気持ちを、真正面からネタにした作品である。しかもただ茶化すだけでは終わらないのが凄い。
主人公は自称・名探偵の女子高生、美智駆アイ。しかし彼女はある事件をきっかけに、肝心の推理能力をまるごと失ってしまう。ここで普通なら、探偵再生ものとか、能力喪失からの復活劇に行きそうなものだ。
だが本作はそうならない。助手の取手ユウが、そもそも推理なんてしなくても探偵はやれるのでは、と雑な方向へ話を持っていく。この出発点がもういい。
ミステリの根幹を、そんな軽さで崩していいのかと思うのだが、作品そのものがその危うさをちゃんと分かったうえで走っている。
ジャンルをいじり倒しているのに、最後は本気で回収してくるのがずるい
まず会話のテンポがいい。アイとユウのやりとりはほとんど漫才みたいで、ミステリのお約束、探偵小説の妙な癖、ジャンルもの特有のわざとらしさを、片っ端からつついていく。しかもそのツッコミが細かい。
長すぎる解決編、日常の謎の大げささ、旅情ミステリやエロミスの様式美まで、ミステリをそれなりに読んできた人ほどニヤニヤしてしまうはずだ。愛がないとここまで細かくはいじれないので、この作品はふざけているようでミステリへの目線は真面目なのである。
しかも厄介なのは、中盤までのこの軽さが、単なるパロディでは終わらないところだ。推理しない探偵、こじつけみたいな解決、メタ発言だらけの世界。普通ならそのままギャグで押し切ってもおかしくない。
ところが本作は、そこまで積み上げてきたふざけた感じを、終盤でちゃんと本格ミステリの土俵へ引き戻してくる。ここが面白い。読んでいる側は半分笑いながら油断しているので、そのぶん最後の回収がきれいに刺さるのだ。
個人的にも、こういうジャンルの形式を笑いながら、その形式そのものの強さを最後に証明してしまうタイプの小説は好きだ。本作はまさにそうで、ミステリを解体して遊んでいるように見せかけて、最後にはやっぱりミステリの快感へ戻してくる。
その戻し方がきれいだから、ただの悪ふざけでは終わらない。むしろ、ミステリはこんなに崩してもまだ立ち上がれるのか、という変な感心が残る。
タイトルからしてふざけているのに、読後には意外なくらいきっちり探偵小説を読んだ感触が残る。それがこの作品のいちばん面白いところかもしれない。
推理をなくしても探偵は成立するのか、ではなく、推理をなくしたふりをしながらどこまでミステリでいられるのか。
その実験の果てにあるものが、ちゃんと小説の形になっている。
ふざけている。けれど、そのふざけ方があまりにも本気なので、妙に嬉しくなってしまうのだ。
悠木四季漫才みたいな軽さで進むのに、終盤でちゃんと本格ミステリの気持ちよさへ着地するところが見事だ。
15.麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』
本格ミステリの豪華な残骸の上で、麻耶雄嵩が高笑いしている
麻耶雄嵩『翼ある闇』は、何度読んでもやっぱり楽しい。私自身、多分少なくとも10回は読んでいると思う。それくらい好きな作品だ。
さて、まず出だしから異様である。
曰く付きの城めいた屋敷、今鏡家という濃すぎる一族、密教儀式の伝説、見立て殺人、そして異様な死体。材料だけ見れば、新本格の夢をそのまま煮詰めたような一冊だ。
しかも、私立探偵の木更津悠也が訪れた先で、依頼人がいきなり死んでいる。首なし、足なしという派手すぎる死体まで出てくるのだから、もう遠慮がない。
普通ならここまで並べると過剰になりそうなものだが、本作はその過剰さをためらわず前へ押し出してくる。
豪華絢爛な本格ミステリのふりをして、根っこから全部ひっくり返す
この作品のすごさは、古典的な本格ミステリのガジェットを愛していることが伝わってくるのに、その愛し方が危険なところにある点だと思う。
城、名家、怪奇趣味、首なし死体、蘇る死者、見立て殺人、変人探偵。こういうものが好きだからこそ全部入れたのだろうし、実際その盛り上がり方はたまらない。
だが麻耶雄嵩は、それを端正にまとめる方向へは行かない。むしろ、本格ミステリという形式がどれほど無茶を飲み込めるのか、その限界をわざと踏みに行っているように見える。
とくに強烈なのは、探偵役が次々に入れ替わり、推理まで何度も上書きされるところである。これが実に落ち着かない。普通の本格ミステリなら、名探偵が現れた段階である程度の安心感が生まれるものだが、本作ではむしろそこから地盤が崩れていく。
メルカトル鮎という男も、いわゆる頼れる名探偵ではまったくない。冷酷で、芝居がかっていて、しかも場を整えるより壊すほうに向いている。この人物がいるだけで、小説全体がずいぶん嫌な方向へ加速するのだ。
そしてやはり、本作を語るうえで外せないのは、木更津の第二の推理である。初読では、さすがにそれはないだろうと頭を抱えたくなる。だが、この作品ではその無茶さが単なる珍説で終わらない。
むしろ、本格ミステリの論理というものが、前提をひとつ飲み込んだ瞬間にどこまで暴走できるのかを過激なかたちで見せつけてくる。この感じがたまらなく好きなのだ。
筋を通しているはずなのに、通れば通るほど世界がおかしくなっていく。『翼ある闇』は、まさにその快楽と恐ろしさがむき出しになった小説である。
しかも終盤では、語りそのものの足場まで崩してくる。最初は古典趣味たっぷりの怪奇館ミステリとして始まった話が、気づけば本格ミステリの約束事そのものを解体する話へ変わっている。この倒錯した運びがすごい。
整った名作というより、熱に浮かされたまま書き切った劇薬に近いのだが、その危うさこそが本作の魅力だろう。
うまくまとまる気など最初からあまりなく、その代わり、忘れがたい衝撃だけは絶対に残す。
読後に効いてくるのは、整った満足感よりも、猛毒を飲まされたような眩暈である。
悠木四季新本格の欲望を全部盛りにしたうえで、その全部を内側から壊してみせる、とんでもない劇薬だ。


16.麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲 新装改訂版』
雪密室の顔をしたまま、世界そのものを壊しにくる小説
麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』を、普通のミステリだと思って読んでしまうと痛い目を見る。
もっと正確に言うなら、こちらが当然あると思っていた足場を、最後にまとめて抜かれるタイプの小説である。
絶海の孤島、歪んだ館、死んだ美少女を神のように祀る人々、真夏に降る雪、そして首なし死体。
ここまで並べると、もう完全に本格ミステリの豪華な舞台装置だ。しかも雪の上に足跡のない密室まで出てくるのだから、ミステリ好きとしてはワクワクしないわけがない。
ただ、本作の恐ろしいところは、そのいかにもな道具立てが、きちんとこちらを誘い込むために用意されている点にある。和音島という場所は最初から現実感が薄く、20年前に死んだ和音の影がいまも島全体を支配している。
集まっている人々も、ただの関係者というより、ある種の信徒に近い熱を帯びている。だから雰囲気だけ見れば怪奇小説めいているのに、事件の起こり方はあくまで本格ミステリの顔をしているのだ。この組み合わせがもう変態である。
こちらは論理で解けるものとして見てしまうのだが、小説のほうは最初から、そんな見方をどこかで冷笑している気配がある。
ミステリの形を借りながら、最後にはその形ごと砕いてしまう
本作の特に強烈なところは、雪密室という古典的な魅力を持つ題材を出しておきながら、その解決のあり方が通常の本格ミステリとはまるで違うことだ。
普通なら、ここで期待するのは精巧なトリックや、人間の作為を暴く快感である。だが麻耶雄嵩は、そういう期待を正面から満たす方向へは進まない。むしろ、ロジックで切り分けられると思っていたものの外側に、もっと大きくて気味の悪いものが広がっているのではないか、という感じをどんどん強めていく。
しかも、それを単なる怪奇趣味で済ませないのがこの作品のすごさである。作中には芸術や宗教や絶対性の気配が濃く流れていて、会話もどこか噛み合わない。如月烏有と桐璃のやりとりには、ふつうの小説的な親切さがあまりない。
そのせいで読んでいるあいだは、ずっと不安定な床の上を歩かされているような気分になる。物語のピースはあるのに、きれいな一枚絵になってくれない。この落ち着かなさが、本作ではむしろ強い武器になっている。
そして終盤、メルカトル鮎が現れてからの壊れ方が本当にすごい。もともと危うかった世界が、一気に支えを失って崩れていく感じがある。メルカトルはいつも場をかき回す存在だが、本作ではとくにその冷酷さが際立っている。
せっかく積み上げてきた物語を、解決へ導くためではなく、その成立条件ごと疑わせるために現れるようなところがあるのだ。あの最後の一撃は、きれいな真相がほしい人ほどきついと思う。
だが、私はあれがたまらなく好きだ。ここまで来たら、もう整った終幕より、全部を台無しにするような一言のほうがこの小説にはふさわしい。
『夏と冬の奏鳴曲』は、本格的な雪密室ミステリとして読もうとすると、ひっくり返って戻って来れなくなるような作品だ。けれど、ミステリという形式の境界が崩れていく瞬間に立ち会いたいなら、これほど強烈な作品はなかなかない。
謎を解く快感より、世界の見え方が壊れていく感覚のほうが前に出る。首なし死体も、真夏の雪も、孤島の異様さも、全部が最後にはひとつの巨大な不穏さへ収束していく。
読み終わるころには、何が解けたのかより、何が壊れたのかのほうがずっと大きく残る。
麻耶雄嵩はやはり危険すぎるだろ、と改めて思わされる奇書である。
悠木四季本格ミステリのガジェットを並べながら、最後には解決よりカタストロフのほうを強く焼きつけてくる。これが麻耶雄嵩です。
17.麻耶雄嵩『あぶない叔父さん』
謎が解けるたびに、もっと嫌なものが見えてくる
麻耶雄嵩『あぶない叔父さん』は、いやな小説である。もちろん褒めている。
年中霧に包まれた町、家族から疎まれつつも妙に魅力的な叔父さん、そして高校生の語り手。設定だけ見ると、どこか郷愁のある田舎の連作ミステリのようだ。
実際、読みはじめの感触には、少し昔のジュブナイルっぽさすらある。だが、この作品はその見た目を意地悪く裏切ってくる。
町で起きるのは、事故なのか殺人なのかもはっきりしない、不穏で微妙に嫌な事件ばかりだ。優斗がそれを叔父さんのところへ持ち込むと、叔父さんは穏やかに、いかにも頼れる大人のような顔で、するすると真相を解き明かしていく。
この流れだけなら、ちょっと変わった安楽椅子探偵ものとして読める。だが本作のおそろしいところは、その解決がちっとも安心につながらないことにある。
むしろ、真相が明らかになるほど、叔父さんという存在の危うさが濃くなっていくのだ。
探偵が真相を語るたび、倫理の床が抜けていく
本作の強烈なところは、叔父さんが探偵役でありながら、どう考えてもただの探偵では済まない位置にいることだ。
事件を解く人間であると同時に、その事件に異様に近い。近いどころか、深く手を突っ込んでいる気配がある。しかも本人は悪びれない。むしろ、ちょっといい話みたいな調子で話をまとめてしまう。この感じが本当にいやでありつつ、しかし面白い。
麻耶雄嵩は、論理そのものを壊す作家というより、論理がきれいに通った瞬間に、その先にあるもののほうを急に不気味に見せるのがうまい作家だ。
『あぶない叔父さん』でもまさにそれが炸裂していて、叔父さんの語る真相は一応筋は通っている。条件にも合っている。推理としては成立している。
なのに、それで納得していいのかと言われると、まったくそうは思えない。ここがこの作品の真骨頂だ。ミステリのかたちを借りながら、その中心にある「解ければよし」という感覚をどんどん腐らせてくるのである。
優斗の語りも絶妙だ。叔父さんを慕っていて、どこかのんびりしていて、危険な話を聞かされても完全には目をそらせない。この暢気さがあるからこそ、作品全体の不気味さがいっそう際立つ。もっと切迫した語り手ならホラーになっていたかもしれないが、本作はそうならない。
むしろ、少しずれた親しみやすさがずっと続くせいで、こちらの感覚のほうが少しずつ狂っていく。読んでいるうちに、叔父さんの論理が妙にもっともらしく思えてくる瞬間があるのだが、そのたびに、いま危ない場所にいるなと思わされる。
霧ヶ町という舞台もいい。閉鎖的で、湿っていて、町全体がどこか見通しの悪い空気に包まれている。この土地の息苦しさがあるから、叔父さんの異常さがただの奇人の個性では済まなくなる。町そのものが少しずつ壊れているのか、もともとこういう場所なのか、その境目が曖昧なまま進む感じも実に気持ちが悪い。
『あぶない叔父さん』に、爽快な名探偵ものを期待してはいけない。謎が解けてすっきりするどころか、解けるたびに変な後味が増していくからだ。だが、その嫌さこそがこの作品の最高の魅力である。
ブラックユーモアとして読んでも強いし、安楽椅子探偵もののねじれた変奏として読んでも面白い。叔父さんが何者なのか、どこまで本当なのか、そういうことを考え始めると、物語の底が急に見えなくなる。
やさしい顔で人を安心させながら、その足元だけそっと崩す。
麻耶雄嵩のブラックユーモアは、笑ったあとにちゃんと寒気を残していくからたちが悪い。
悠木四季探偵役の叔父さんが真相を語るほど、解決者ではなくあぶない存在に見えてくるところが圧倒的なのだ。
18.蘇部健一『六枚のとんかつ』
くだらなさに全力投球しているのに、ミステリとしてちゃんと気持ちいい
タイトルの時点でだいぶずるい。
とんかつである。
しかも六枚である。
こんなもの、シリアスな本格ミステリの題名として見たら笑ってしまうに決まっている。だがこの短編集のすごいところは、その笑いをただの脱力で終わらせず、ちゃんとミステリとしての快感につなげてしまうところにある。
読んでいるあいだは何度も、いやこれはさすがにアホだろう、と思うのだが、最後にはそのアホらしさごと作品の魅力として受け入れてしまう。そこが悔しい。
主人公は保険会社の調査員・小野。仕事柄、保険がらみの面倒な案件や怪事件に首を突っ込むことになるのだが、その周囲で起きる出来事がいちいち妙である。
誘拐、雪上の不可能犯罪、密室、奇妙な失踪。材料だけ見ると本格ミステリ然としているのに、そこへ古藤のような困った人物が出てきて、空気をどんどん変な方向へ持っていく。
このバランスがいい。真面目な謎の枠組みはちゃんとあるのに、そこへ流し込まれるのが妙にくだらない発想ばかりなのだ。
ふざけているのに、ミステリの骨組みだけは意外なくらいまっすぐ
本作の面白いところは、各編のトリックがちゃんとミステリの手順を踏んでいることだ。
読みながら笑ってしまう場面は多いし、下ネタやダジャレも遠慮なく入ってくる。にもかかわらず、肝心のミスリードや伏線の置き方は案外しっかりしている。
つまりこれは、ギャグの形をした雑な小話ではなく、本格ミステリの枠組みをきっちり守ったうえで、そこへわざとアホな中身を詰め込んだ作品なのである。このひねくれ方がいい。
表題作『六枚のとんかつ』がまさにそうで、注文されたとんかつの枚数なんて、どう考えても小ネタにしか見えない。ところがその些細な違和感が、ちゃんと密室の謎を解く鍵になる。ここがいい。
壮大な秘密でも、血塗られたダイイングメッセージでもなく、とんかつの数である。そのバカバカしさに笑ってしまうのに、ロジック自体は意外と素直で、読み終えると妙にすっきりする。この感触は独特だ。
蘇部健一の作品には、本格ミステリの厳密な論理を、なんでそんなことのために使うんだ、という場面がしばしばある。高性能な機械をくだらない遊びに全力投入しているような感じ、と言ってもいいかもしれない。その無駄遣いぶりが最高なのだ。
ふつうなら、トリックのすごさを見せるためにシリアスな動機や劇的な背景を用意しそうなところを、本作はむしろ逆へ行く。手段も動機も間抜けなのに、論理だけは無駄に本気。このアンバランスさが、アホバカ・ミステリとしての純度をぐっと高めている。
もちろん、好みは分かれるだろう。レトロな軽さや、下品すれすれのノリが苦手な人にはきついかもしれない。だが、ミステリ好きとしては、このくだらなさをここまで真顔で積み上げる姿勢が刺さって仕方がない。
とくに、古典的な本格ミステリへの愛情やパロディ精神がうっすら見えるので、単なるふざけ倒しでは終わらない。笑わせながら、ちゃんとミステリの快感を残す。その匙加減がうまいのである。
『六枚のとんかつ』は、高尚な傑作という顔ではまったくない。むしろ、こんなものをメフィスト賞に通してしまっていいのか、という方向の記念碑である。だが、だからこそ忘れがたい。
アホらしさを全力で貫きながら、本格ミステリとしての骨は折らない。この妙な誠実さが、馬鹿馬鹿しさの奥にある本気を感じさせるのだ。
正確に言うなら、読み終えたあとに、なんだかすごく馬鹿なものを読んだはずなのに、妙に満足している自分に気づく。
そこがこの本のとても迷惑で、最高に魅力的なところだと思う。
悠木四季アホらしさに振り切っているのに、ミステリとしての筋道は妙にちゃんとしているのが素晴らしい。

19.霞流一『首断ち六地蔵』
バカバカしいのに本格、笑っているうちにきっちり迷わされる
地蔵の首が六つ消える。しかもそれがただのいたずらでは終わらず、首が見つかるたびに、そのそばに地蔵を思わせる奇妙な死体が現れる。
こう書くとおどろおどろしいのだが、本作はその不気味さを保ったまま、そこへ妙に脱力するユーモアをどんどん流し込んでくる。この混ざり方が絶妙なのだ。
舞台になるのは豪凡寺という寺、そして寺社捜査局なる変な組織である。寺と捜査局。この取り合わせだけで、いわゆる警察ミステリとは少し違う空気が漂う。
主人公の魚間岳士が、住職の風峰や警部の霧間たちと一緒に事件を追っていくのだが、そこで繰り広げられるのが、ひたすら濃い推理合戦である。
そしてこの推理合戦こそが、本作の最大の特徴だ。一つの事件に対して、そんなにいるかと思うほど次々に解答が出てくる。多重解決ミステリとして有名な作品だが、その物量がまず楽しい。
しかも、ただ数が多いだけではなく、一つひとつがちゃんとバカミス寄りの妙な味を持っているから困るのだ。
解答が多すぎて笑うのに、最後にはちゃんと一本に収束する
魚間の推理はしばしば荒唐無稽で、思わずいやいやそれはないだろうと突っ込みたくなる。いかにも霞流一らしい、少しオジサンくさいユーモアも前に出てくるし、地の文もわりと軽口が多い。
なので読み味としてはくだけている。だが、ここで油断するとやられる。本作はその軽さの奥で、きっちり本格ミステリの仕掛けを積み上げているからだ。
個人的に、多重解決ものの面白さとは真相そのものより、解答が重なることでこちらの足場がどんどん不安定になっていく感じにあると思っている。本作はまさにそこがうまい。
もっともらしい説明が出るたびに少し納得するのに、次の解答が出るとまた揺らぐ。その繰り返しで、いつのまにか何を信じればいいのか分からなくなってくる。しかもそれが嫌な混乱ではなく、楽しい混乱なのだ。このへんは、霞流一がただのネタ作家ではなく、きっちり読者を幻惑する術を知っている人だとよく分かる。
そして本作が単なるおふざけで終わらないのは、最終話でそれまでの遊びがちゃんと意味を持ち始めるからである。前座みたいに見えた推理、笑いに見えたやりとり、そのへんが最後に一本の線へ寄っていく。
この着地が思いのほかきれいで、読み終わると、あれだけ好き勝手やっていたように見えたのに、ちゃんと計算されていたのかと気づかされるのだ。この快感といったらもう!
『首断ち六地蔵』は、厳粛な寺を舞台にしているのに、どこかずっとにぎやかで、推理は多いし、言葉の調子も軽い。なのに、本格ミステリとしての芯は案外ぶれない。この、遊び心と本格魂の両立がとても魅力的だ。
笑いながら読めるのに、最後に残るのはちゃんとミステリを読んだ満足感。
霞流一入門の一冊として名前が挙がる理由も、読めばすぐに分かる。
悠木四季解答が増えるほど混乱するのに、最後にはその混乱ごと気持ちよく回収されるところが見事だ。
20.霞流一『落日のコンドル』
大仕掛けと大まじめが正面衝突して、気づけば笑いながら唸らされる
『落日のコンドル』は、まさに霞流一らしい一冊である。
つまり、最初はちゃんと本格ミステリの顔をしているのに、読み進めるほど、その顔の下から異様な力技と過剰な論理がぬっと出てくるタイプの作品だ。
軸になるのは誘拐事件で、そこに鳥、とくにコンドルをめぐる象徴的なイメージが絡み、不可能状況めいた謎が次々と立ち上がる。設定だけ聞くと、少しロマンティックですらあるのだが、実際にはゴリゴリのパズル小説である。
霞流一の作品を読むといつも思うのだが、この人は「そこまでやるのか」という地点からが本番なのだと思う。普通の作家なら、ちょっと派手な謎を置いて、あとはほどよく現実的な線へ着地させる。
だが霞流一は、そのほどよさをあまり信用していない。むしろ、派手な謎には派手な解決が必要だと言わんばかりに、論理をどんどん増築していく。『落日のコンドル』でも、その性格がはっきり出ている。
無茶な現象を、無茶なまま終わらせず論理で押し倒す快感
本作の面白いところは、やはり空を飛ぶものをどうトリックに組み込むかという点にある。鳥というモチーフは、象徴として置くだけでもそれなりに映える。
だが、この作品ではもちろんそんな上品な使い方だけでは終わらない。飛ぶ、運ぶ、見下ろす、現れる。そうした鳥の性質が、物理的な謎のほうへどんどん食い込んでくる。コンドルという大仰なイメージが、雰囲気作りではなく、ちゃんと本格ミステリのギミックに接続されているのがいい。
しかも霞流一は、その過程を細かく積み上げる。たとえば、普通なら読者が「まあそのへんはそういうものとして」と流しそうな箇所も、この人はやたら真面目に説明したがる。そこが最高なのである。
無茶な条件、危うい偶然、際どいタイミング。その全部を、いや理論上は成立する、と本気で押してくる。この「理論上は可能」という顔つきがとても霞流一らしい。
読んでいる側は、いやさすがにそれは苦しいだろうと思いながら、でもここまで堂々と論じられると、だんだん笑いながら納得してしまう。
そして私はこういうタイプのバカミスが大好きだ。雑に変なことをやるのではなく、変なことをやるためにむしろ論理を過剰投入してくるからだ。『落日のコンドル』はまさにその代表格で、犯人の計画は相当に綱渡りである。
少しでも条件がずれたら崩れそうだし、偶然への依存度も高い。なのに、それが作品の弱さではなく、むしろ魅力になっている。読んでいるこちらが、そんなもの成立するかと半笑いになればなるほど、作者の側はさらに細かい理屈を積んでくる。その押しの強さが楽しいのだ。
さらに本作では、多重解決的な面白さも効いている。もっともらしい仮説がいくつも提示され、そのたびに少し納得しかけるのに、まだその先がある。
霞流一の作品は、こういう納得しかけたところをもう一段ずらす感覚がうまい。読んでいるうちに、まともな解決とは何か、だんだん感覚が狂ってくる。
そして最後に残るのが、いちばん馬鹿馬鹿しく、いちばんこの作品らしい真相である。この落としどころが最高なのだ。
『落日のコンドル』は、端正な本格ミステリというより、巨大な発想を巨大なまま成立させようとする執念の小説だ。誘拐という現実的な事件を出発点にしながら、最後には大きな空間と運動の話へ飛躍していく。
その飛び方が、題名にあるコンドルのイメージときれいに重なっているのも気持ちいい。
物理トリックの喜び、言葉遊びの楽しさ、そして大まじめなバカバカしさ。
その全部を抱えたまま、『落日のコンドル』は最後に大きく翼を広げて飛び立っていく。
悠木四季鳥というモチーフの派手さを、そのまま物理トリックの核へつなげてしまう発想力が抜群だ。
21.霞流一『スティームタイガーの死走』
鉄と蒸気と速度、その全部をトリックの材料にしてしまう暴走系鉄道ミステリ
タイトルの時点でもう勝っている。スティームタイガー、である。
蒸気機関車にそんな強そうな名前をつけられたら、こちらとしては読む前から期待するしかない。
しかも舞台はSLの車内。走行中の列車という、それだけで本格ミステリ向きの閉鎖空間に、死体消失や不可能状況まで持ち込んでくるのだから、これはもう好きな人にはたまらない設定だ。
鉄道ミステリというジャンルには、やはり独特の魅力がある。時刻表、車両の構造、移動距離、停車時間、線路の制約。そういう現実の厳しさが最初からあるので、トリックが決まるときの気持ちよさが強い。
本作もその系譜にしっかり乗っていて、列車の運行や構造を土台にしながら、そこへ霞流一らしい過剰な物理トリックを盛り込んでくる。この盛り方がなんとも魅力的だ。
巨大な機関車を相手に、数ミリ単位の論理を積み上げていくおかしさ
本作が面白いのは、SLという巨大な存在をただの舞台装置ではなく、精密なトリック装置として見ているところだ。
蒸気、振動、速度、重量、車両同士のつながり。ふつうならでかい乗り物としてざっくり扱われそうなものを、霞流一はむしろ細かく分解して、どこに何が作用するのかを大まじめに考えはじめるのだ。
大きな鉄の塊が轟音を立てて走っているのに、事件の成立には妙に細かい条件やわずかな物理的差異が関わってくる。そのアンバランスさが実にバカミス的で、実に魅力的なのである。
霞流一作品のこういうところがやはり好きだ。スケールの大きな装置を出しておいて、やっていることは異様に細かい。しかもその細かさを、笑いのためだけではなく、ちゃんと本格ミステリの論理として成立させようとする。
読んでいる側はそこまで計算するのかとあきれながら、でもその計算がきれいにつながると、やはり気持ちいい。本作にも、その独特の快感がしっかりある。
しかも舞台がSLというのがまたいい。新幹線や特急ではなく、蒸気機関車であることに意味がある。スピードだけではなく、熱、煙、重さ、動力の生々しさが前面に出るので、トリックにもどこか機械の手触りが残るのだ。
単なる鉄道パズルというより、巨大な機械の運動そのものを相手にしている感じがある。だから読み味にも独特の熱気があるし、犯人の計略にも妙な迫力が出る。
もちろん、霞流一なのできれいなだけでは終わらない。こういう大掛かりな物理ミステリでは、どうしても「そこまでやるか」という瞬間が出てくるのだが、本作はむしろそこが醍醐味である。
犯人の執念も、探偵側の読みも、だんだん普通の水準から外れていく。深読みしすぎではないかと思うくらいの論理が、最後にはちゃんとこの世界の中で機能してしまう。その強引さと説得力の同居が、やはり霞流一らしい。
『スティームタイガーの死走』は、古典的な鉄道ミステリへの敬意を持ちながら、そのうえで過剰な方向へ進化した一冊だ。
走る列車の中という王道の舞台でここまで物理トリックを盛れるのか、という驚きがあるし、その過剰さがちゃんと楽しい。
蒸気機関車の機械美と本格ミステリの狂気が、幸福な形で噛み合った作品である。ここまでやると、むしろ清々しい。
悠木四季機関車の重さと熱気をそのままトリックの迫力へ変えてしまうところが抜群におもしろいのだ。
22.泡坂妻夫『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』
読み終えた瞬間、小説の外側にまで手が伸びてくる
泡坂妻夫『しあわせの書』は、ミステリ好きなら一度は名前を聞いたことがある本だと思う。しかも、たいていは内容そのものより、まず「仕掛けがすごい本」として語られる。
そういう作品は、ときに評判だけが先に立ってしまうこともあるのだが、本作はちゃんと中身もおもしろい。むしろ、あの有名な仕掛けがきれいに効くのは、物語そのものがしっかりミステリとして組み上がっているからだ。
舞台になるのは、新興宗教団体「しあわせの書」をめぐる不穏な世界である。幸福をもたらすとされる教典を中心に信者を集める教団、そこで起きる怪しい現象、そして調査に乗り出す主人公。
ここに現れるのが、迷探偵ヨギ・ガンジーだ。名前からして濃いし、実際その言動もいかにも胡散臭い。心霊術だの読心術だのを平然と持ち出す怪しい存在である。だが、その怪しさがまさにいい。
本格ミステリの禁じ手ぎりぎりをうろつきながら、泡坂妻夫はそこを絶妙なバランスで制御していく。
物語の中だけで終わらず、本そのものまで仕掛けにしてしまう美しさ
本作の魅力を語るとき、どうしても避けて通れないのが、やはり「本という物体」そのものに触れてくる仕掛けである。ここは細かく言えない。言ってしまうともったいないからだ。
ただ、読んでいる最中にこちらが当然だと思っていること、ミステリを読むときに無意識で受け入れていること、その足場に対して泡坂妻夫は鮮やかな手を打ってくる。しかも、それが単なる奇抜さでは終わらない。読み終えた瞬間、うわあああああ!と声が出そうになるあの感覚は、たしかに唯一無二だ。
泡坂妻夫のすごさというのは、奇術師としての技術をそのまま小説へ持ち込んだところにあると思っている。ふつうのミステリ作家も、もちろん読者をミスディレクションにかける。だが泡坂妻夫の場合、その手つきが本当にマジシャン的なのだ。
こちらがどこを見ていて、何を自然だと思っていて、どこで油断するのかを正確に分かっている。そのうえで、視線をそらし、別のところへ意識を向けさせ、最後に仕掛けを開示する。『しあわせの書』は、そのマジックとしての美しさがとくによく出ている。
しかも本作は、仕掛けだけの小説ではない。ヨギ・ガンジーというキャラクターがまずいい。いかにも怪しく、どこまで信用していいのか分からないのに、読んでいるうちに妙な説得力が出てくる。
心霊術めいたものを扱いながら、それが本格ミステリとしての危うさと魅力の両方を引き受けているのだ。このへんの匙加減がとても泡坂妻夫らしい。派手に見えて、実はめちゃくちゃ繊細に設計されている。
それに、本作の謎に対する答え方も好きだ。ただ驚かせるためだけではなく、どこか軽やかで、ちょっと粋で、しかもきれいに落ちる。
バカミス的といえばたしかにそうなのだが、ただ馬鹿馬鹿しい方向へ振り切るのではなく、そこに品のある遊び心がある。だから読後感も妙にいい。してやられた、というより、見事な手品を目の前で見せてもらった、という感覚に近い。
『しあわせの書』は、ネタバレにとにかく弱い作品である。なので未読なら、本当に何も知らないまま読むのがいちばんいい。今では仕掛けの存在自体が有名になりすぎていて、それでもなお驚けるのかと思う人もいるかもしれない。
だが、私はそれでも十分に強いと思う。なぜなら、この作品の価値は仕掛けがあることではなく、その仕掛けをここまできれいに小説の中へ埋め込んでいるところにあるからだ。
読み終えたあと、本を閉じた手の中にまで物語の余熱が残る。こんな奇抜なミステリは他にない。
悠木四季仕掛けの派手さばかり語られがちだが、その派手さを成立させる物語の手際そのものがとても美しいのだ。
23.小島正樹『扼殺のロンド』
不可能犯罪を盛れるだけ盛って、それでも最後はきっちり着地させる怪物級の一冊
廃工場の中、しかも鍵のかかった空間のさらに奥、扉の開かない事故車の中から二つの遺体が見つかる。
その片方は内臓を抜き取られた若い女性、もう片方は海辺の平地ではあり得ない高山病で死んだ男。
材料を並べただけで、すでに過剰である。だが本作のすごいところは、この過剰さを出オチで終わらせず、むしろここからさらに加速していくところにある。
こういう小説を読むと、本格ミステリというジャンルは、ときどき正気を捨てたほうが強いのではないかと思ってしまう。普通なら長編ひとつにつき大ネタは一つか二つで十分なはずだ。
ところが『扼殺のロンド』は、まだ乗せるのかと笑ってしまうくらい不可能犯罪を重ねてくる。この盛り方がまず気持ちいい。やりすぎなのに、読みながら妙に楽しくなってしまうのだ。
やりすぎなくらいの大仕掛けを、本格ミステリとして本気で回収する
『扼殺のロンド』は、まず謎の派手さに目を奪われる。大ネタを次々に繰り出すタイプの作品は、その勢いのぶんだけ土台がぐらつきやすいものだ。けれど本作は、そこを意外なほど手堅く支えているのがすごい。
警察のアリバイ調査や地道な捜査の手順がしっかり入っていて、その現実感があるからこそ、あとで出てくるとんでもないトリックが単なる夢物語にならない。島田荘司ばりの奇想と、地道な捜査の積み上げが同じ小説の中で案外きれいに並走しているのである。
しかも背景には、横溝正史を思わせる血縁のどろどろした因縁や、家にまつわる暗い感情が流れている。この湿った人間関係があるから、トリックの派手さに対して物語が空中分解しない。
ただ珍しい死体や奇怪な現象を見せるだけではなく、その背後に重たい感情がある。このバランスがいい。大がかりな仕掛けの話でありながら、ちゃんと人の業の話にもなっているのだ。
探偵役の海老原浩一も、この作品にはよく合っている。自称名探偵という時点で少し胡散臭いのだが、その胡散臭さがかえって本作の濃さになじむ。
あまりにも奇怪な現象が続くので、こちらとしても普通の探偵では受け止めきれない気分になってくるのだが、海老原浩一はその過剰さを正面から受け止め、ばらばらに見える怪異をひとつの巨大な策謀へまとめていく。その手つきに勢いがあるから、読み手もぐいぐい引っぱられるわけだ。
こういう、そこまでやるかと思わせておいて、最後にはちゃんと本格ミステリとして納得させる作品は大好きだ。『扼殺のロンド』はまさにその典型で、トリックの大きさも、謎の数も、感情の濃さも、全てが過剰である。
なのに読み終わると、やりすぎだったという印象より、よくここまで回収したなという感心のほうが強く残るから不思議だ。派手な不可能犯罪の見本市みたいな小説なのに、最後はちゃんと一本の線になる。
いわゆる「やりミス」の代表格とされるのも納得で、ここまで振り切った構成を成立させている点自体がすでに一種のトリックだ。
悠木四季不可能犯罪を詰め込めるだけ詰め込みながら、最後は本格ミステリとして力業でまとめきっているのがいい。
24.小島正樹『武家屋敷の殺人』
古風で重たい屋敷の奥から、やりすぎなくらいの本格ミステリが次々に顔を出す
小島正樹『武家屋敷の殺人』は欲張りな小説である。しかもその欲張りさを、ほとんど隠そうともしない。
導入は比較的わかりやすい。孤児院育ちの美女が、自分の生家を探してほしいと弁護士の川路に依頼する。
手がかりは、二十年前の殺人と蘇るミイラが記された奇妙な日記だけ。この時点ですでに濃い。だが本作は、この濃さを前振りにして、そこからさらに武家屋敷もの、因縁もの、死体消失もの、物理トリックものへと、どんどん話を膨らませていく。
舞台となる武家屋敷の空気がまずいい。江戸から続く因縁、重たい家の歴史、今もなお残る不穏さ。こういう古風で湿った舞台は、それだけでミステリ好きの気持ちを引っぱる。
しかもそこに蘇るミイラのような、ちょっと怪奇小説めいた単語が平然と混ざってくるのだから怪しさの濃度が一気に上がる。
見た目は横溝正史や島田荘司の系譜にあるのに、中身はもっと過剰で、もっと詰め込み型で、まさに小島正樹らしいのだ。
謎が多すぎるのに、読み味はちゃんと前のめりになる
本作の面白さは、ひとつひとつの謎が短編の核になってもおかしくないくらい強いことだ。
死体が消える。死んだはずのものが蘇ったように見える。物理トリックがあり、心理トリックがあり、過去と現在がねじれながらつながっていく。
普通なら、これだけ盛るとどこかで散らかりそうなものだが、本作はその散らかりかける感じごと推進力に変えている。次から次へと新しい謎が出てくるので、六百ページ近い長さがむしろあまり気にならない。この過剰さが退屈を吹き飛ばす感じは、やりすぎミステリならではの快感だ。
しかも、小島正樹はただ詰め込むだけでは終わらない。生家探しという導入にちゃんとドラマがあり、その先にある武家屋敷の暗い歴史が事件へ厚みを与えている。だからトリックが派手でも、話がただのパズル大会にはならない。
もちろん、力技だなと思う瞬間はある。探偵役の説明にも、そこをそう押し切るのか、と半笑いになるような箇所はある。だが、そういうところも含めてこの作品の味だと思う。むしろ、そこまでやるからこそ小島正樹なのである。
色々ミステリを読んでいるけれど、やっぱりこういうちょっとやりすぎなくらいの本格ミステリは好きだ。整った美しさよりも、作者の「これも入れたい、あれもやりたい」が前に出ている作品には、どうしても惹かれてしまう。
本作もそのタイプで、蘇るミイラなんてどう考えてもホラーな題材を、きっちり論理の側へ引きずり戻そうとする執念がある。無茶苦茶な題材を、真顔で本格の土俵に乗せてくるその姿勢がまず楽しい。
『武家屋敷の殺人』は、古風な屋敷ものの雰囲気を愛しながら、そこへ現代本格の過剰なトリック精神を遠慮なく流し込んだ。しっとりした怪奇譚として始まり、気づけば論理の大迷宮へ入っている。その移り変わりがとても気持ちいい。
読み終えたあとに残るのは、きれいに整った印象というより、よくここまで盛ったなという満足感だ。だが、その満足感こそ、この手の作品にはいちばん大事なのだと思う。
やりすぎを楽しむための作品であり、そのやりすぎを成立させてしまうところに、この作家の強さがある。
悠木四季短編数本分はありそうな濃い謎を長編に詰め込みながら、最後まで前のめりで読ませる勢いがすごい。
25.東野圭吾『名探偵の掟』
本格ミステリを笑いながら解体して、それでもやっぱりミステリが好きだと言ってくる
名探偵・天下一大五郎と、大河原警部が事件を追う。
設定だけ見れば、いかにも古典的な本格ミステリである。ただし、この二人が普通の探偵役と警部役で終わるはずがない。
なんと自分たちが推理小説の世界にいることを分かっていて、そのうえで「今回もこういうお約束をやるのか」と半ばうんざりしながら事件に付き合っていくのだ。この出発点がもうおかしいし、面白い。
取り上げられる題材は、密室、アリバイ崩し、童謡見立て、凶器の消失といった、本格ミステリの王道ばかりである。しかも本作は、それらを雑に茶化すのではなく、一度ちゃんと本格ミステリとして差し出してから、そこへメタなツッコミを入れていく。
なので読んでいると、笑いながらも身につまされる。探偵が最後に全員を集めるのはなぜか。犯人はなぜそんな面倒なトリックを選ぶのか。崖の上でわざわざ告白するのはどういう理屈なのか。
普段なら気持ちよく流しているお約束が、ここでは全部いったん立ち止まって見直されるのだ。
お約束を笑う本なのに、根っこには本格ミステリへの愛情がちゃんとある
本作のいいところは、ミステリの様式美を壊しているようで、実はとても大事に扱っているところだ。ただの意地悪なパロディなら、ここまで面白くはならない。
天下一が「またこのパターンか」とぼやき、大河原が役回りのしんどさを引き受けるたびに見えてくるのは、長年積み重ねられてきた本格ミステリの型そのものの面白さである。つまり本作は、お約束を笑いものにしながら、そのお約束がなぜこんなに強いのかも同時に示しているのだ。
とくに面白いのは、密室や見立て殺人のような古典的な仕掛けが、笑いのネタになりながらも、やはりどこか魅力的に見えてしまう点である。
むしろ、こうして一度ばらされることで、あの大げささや様式美がいっそう愛おしく感じられる。東野圭吾はたぶん、外から石を投げているのではなく、内側に立ったまま楽しそうに解体しているのだ。
個人的に好きなのは、ノックスの十戒の扱い方だ。かつては厳格だったルールが、現代ではどう変質しているのか。それを軽やかに笑いに変えている。単なる批判ではなく、こういうものだよねと共有している感じがある。だから読んでいて嫌な感じがしない。
東野圭吾は、ミステリの外側から冷笑しているのではなく内側にいる。その距離感が本作の魅力だ。
本格ミステリの不自然さ、無理筋、様式美、そしてどうしようもない愛おしさ。その全部が、軽やかな笑いの中にきれいに入っている。
つまり『名探偵の掟』は、パロディでありながら、めちゃくちゃ誠実なミステリでもあるのだ。
悠木四季密室や見立て殺人を茶化しているのに、読み終わるとむしろ本格ミステリが好きになるところが最高なのだ。
26.『全裸刑事チャーリー』
服を捨てたら自由になった、ではなく、事件まで変な形になってしまった
ここまで堂々とおバカな設定を出されると、むしろ拍手したくなってしまう。
近未来の日本でヌーディスト法が施行され、公共の場での全裸生活が認められる。しかもその理由が「全裸は究極のエコ」という、勢いだけで押し切ったような理屈なのだから笑うしかない。
普通なら、この時点で完全にギャグ小説である。だがこの作品は、その無茶な前提を一発ネタで終わらせず、そこからちゃんと刑事ものとミステリを組み立ててくる。そこが強い。
この世界で警視庁初の「全裸刑事」となったのが、茶理太郎ことチャーリーだ。全裸であることに強い誇りを持ち、まったく迷いなく捜査の最前線に立つ。その姿だけでもう十分おかしいのだが、本作の面白さはそこから先にある。
チャーリーが追う事件は、全裸だから笑える、というだけで済まされない。全裸専用車両での痴漢事件や、衣服が存在しないことで証拠の見え方が変わる事件など、この世界ならではの問題がちゃんとミステリの核になっているのである。
ばかばかしい前提を、最後まで本気で運用する力がある
本作のいいところは、服がないという条件がただのギャグで終わらず、きっちりロジックの一部になっている点だ。
ポケットがない。服の繊維もつかない。隠し場所も限られる。ふつうのミステリでは当然のように存在する条件が丸ごと消えるので、犯行や証拠の意味合いが変わってくる。
つまりこの作品は、見た目はものすごくふざけているのに、やっていることは意外なほど本格寄りなのだ。そのねじれ方がうまい。
さらに効いているのが、全裸派のチャーリーと反全裸派の七尾の対立である。片方は全裸を理想のように語り、片方は常識人としてひたすら困惑する。この温度差が会話にテンポを生み、全体を軽快にしているのだ。設定の濃さだけで押すのではなく、掛け合いのリズムでどんどん読ませるあたりはエンタメとして手堅い。
そして地味に効いているのがテンポの良さだ。ショートショート形式で、事件から解決までの流れがどんどん進む。変なことをやっているのに、読後感は妙に軽い。このバランスがちょうどいい。
もちろん、重厚な警察小説や端正な本格ミステリを期待すると面食らうはずだ。だが、本作は最初からそんな顔はしていない。その代わり、「そこまで徹底するのか」という一点に全力を注いでいる。
無茶な法律、無茶な主人公、無茶な状況。その全部を真顔で描き切ることで、変な説得力が生まれてくるのである。
読み終えるころには、全裸刑事という言葉の破壊力より、その世界でちゃんと事件が成立していたことのほうに妙な納得を覚えてしまう。
設定の勝利とは、たぶんこういうことを言うのだ。
悠木四季全裸という記号的な笑いを、証拠や犯行条件にまでつなげてしまう発想が抜群におもしろいのだ。
27.中西智明『消失!』
見えていたものが、最後にはまるごと別の顔に変わってしまう
最初の印象は派手なサスペンスのようである。
赤毛の住人が多く、しかも知能犯罪が多発するという妙に作り込まれた街、高塔市。
そこで、美しい赤毛の持ち主ばかりが狙われ、犯人は黒ずくめの姿で現れては、死体ごと現場から消えてしまう。設定だけ書き出しても十分に強い。
連続殺人、消える死体、痕跡ゼロの犯行。こういう大ネタを正面から並べられると、こちらとしてはまず「どうやってやったのか」を考えたくなる。実際に、本作はその好奇心をうまく煽りながら進んでいく。
しかも、ただの不可能犯罪ものでは終わらない。赤毛ばかりが狙われる理由は何なのか、なぜ犯人はそこまで徹底して死体を消すのか、そもそもこの街は何なのか。謎が一つではなく、何本も同時に走っている。
名探偵・新寺仁が登場してからも、物語はすっきり整理されるどころか、むしろ不穏さを増していく。犯人側の独白まで混ざるので、読んでいるあいだはサスペンスとしての勢いも強い、のだが……。
死体消失の謎を追っていたら、もっと大きな前提が裏返る
本作が今でも語られるのは、やはり被害者をめぐる大ネタの強さだろう。もちろんここは細かく言えない。言ったら台無しになってしまう。
ただ、読んでいる側が当然のように受け入れていることを大胆な角度からひっくり返してくる作品だ、とは言える。
しかも素晴らしいのは、それがただの思いつきでは終わらず、ちゃんと伏線で支えられている点である。真相を知ってから見返すと、あの描写もこの描写も、最初から別の意味を持っていたのかと気づかされる。この後読みの感触が抜群だ。
こういう作品はネタの大きさだけが先に立ちがちなのだが、『消失!』はそこをきちんと踏みとどまっている。都会的なテンポのよさがあって、事件の連なり方にも勢いがある。なのでトリックの一点突破で終わらず、長編として読ませる力があるのだ。
ミスリードも効いていて、読み手の視線を少しずつずらしながら、最後にまとめて足元を払ってくる。この手つきはとても鮮やかだ。
もちろん、すごく大胆な仕掛けなので、好みは分かれるだろう。ある種のトリックに慣れた人なら途中で何かしらの異様さに気づくかもしれないし、アンフェアすれすれだと感じる人もいるはずだ。
だが、その危うさごと本作の魅力でもある。安全圏で上手にまとめるより、読者を本気で引っかけにいこうという気迫が前に出ているからだ。
しかもオチが一段では終わらず、さらにもうひとつ、もうひとひねりと続くので、読み終えたあとには単なる驚きだけでなく、少し嫌な感じまで残る。この後味の悪さもまたいい。
『消失!』は、派手な不可能犯罪の小説として始まりながら、最後には「見えていたものをどう信じるか」という話に変わっていく。死体が消えるという題材そのものも十分に強いのに、そのさらに奥で、読み手の前提をまとめて揺さぶってくる。
この二段構え、三段構えの感じがまた魅力的なのだ。伝説のバカミスと呼ばれるのもよくわかるし、同時に、ちゃんと本格ミステリとして記憶に残るのも納得できる。
読後、何が消えていたのかを確認するために、もう一度読み直したくなること必須だ。
悠木四季死体消失の謎そのものより、「そもそも何を見せられていたのか」が最後に裏返る感触が強烈だ。
28.黒田研二『嘘つきパズル』
下ネタとドタバタの奥で、とんでもなく硬い論理が待ち構えている
最初の数ページを読んだ時点で、多くの人はこう思うはずだ。
なんだこれは????? と。
絶海の孤島、神の呪い、異様なキャラクター、妙に暑苦しいギャグ、そして遠慮のない下ネタ。しかも主人公は間男(はざまおとこ)である。出だしからずいぶんひどい。ひどいのだが、そのひどさが妙に癖になる。
黒田研二『嘘つきパズル』は、そういう一冊だ。見た目は完全にふざけているのに、その奥でやっていることは驚くほど本気である。
舞台となる孤島には、神の呪いがあるとされている。そこに集まった人々が連続殺人に巻き込まれていく、という筋立てだけ見れば王道のクローズド・サークルものだ。だが本作の肝はそこではない。
最大の特徴は、容疑者のうち何人かが「嘘をつけなくなる」という条件に置かれていることだ。この時点でもう変だ。
変なのだが、この設定がただの珍味では終わらない。むしろここから先、物語は一気に論理ゲームの顔を見せはじめる。
バカミスみたいな見た目で、やっていることは硬派な論理戦
本作のおもしろさは、とにかくギャップにある。序盤から中盤にかけては、ドタバタの勢いが強い。
会話のノリも濃いし、人物造形も大げさで、魔夜峰央っぽい絵柄のイメージまで重なるので、全体の手触りは完全に変化球だ。だからこちらもつい、バカミス寄りの悪ノリ小説だなあ、と受け止めてしまう。だが、その油断が見事に裏切られるのだから楽しい。
特に、終盤で展開される「誰が嘘をつけるのか」「誰が本当のことを言っているのか」という整理はガチガチの本格パズルである。しかも、設定の特殊さに頼るだけではなく、ちゃんと伏線が配置されていて、真相そのものはびっくりするくらいすっきりしている。
ここがすごくいい。変な呪いの話をしていたはずなのに、最後にはむしろ筋の通ったロジックの美しさが前に出てくるのだ。この落差は気持ちいいを通り越して、奇妙な清々しさすらある。
しかも黒田研二は、その論理をわざと難しく見せすぎない。ルール自体は特殊なのに、着地は案外クリアで、だからこそ余計に効く。ごてごてした外見の小説が、最後には驚くほどまっすぐな本格ミステリの快感へつながるこの運びは素晴らしいのなんのその。
ふざけているようでいて、パズルとしてはきっちり設計されている。だから読み終わったあとに残るのは、笑いだけにとどまらない。むしろ、この見た目でそこまで行くのかという感心のほうが強い。
さらに良いのは、ラストの後味である。こんなに騒がしくて馬鹿馬鹿しい話だったのに、最後には妙に感情が残る。ただのロジック披露会では終わらず、少ししんみりするものまで置いていくのがずるい。
大笑いさせておいて、最後に少し胸の奥をつついてくる。この温度差も含めて忘れがたい作品だ。
もちろん、下ネタとギャグの濃さは人を選ぶだろう。そこが合わないと厳しいかもしれない。だが、波長が合うならめちゃくちゃ刺さる。変本格という言葉がぴったりの見た目をしていながら、芯のところでは驚くほどきっちり本格ミステリをやっているからだ。
ふざけた外装と、真面目な論理。確かに、ノリが合わないと序盤で離脱する可能性はある。
ただ、そのノリの中にきちんと仕掛けが埋め込まれているので、最後まで読むと評価が一気に変わるタイプの作品だ。
遊びながら本気で組んでいる。その温度差が最後まで心地いい。
悠木四季「嘘をつけなくなる」という特殊設定を、ギャグの道具ではなく本格ミステリのルールとして使い切っているのが見事である。
29.西澤保彦『瞬間移動死体』
超能力で完全犯罪をやるはずが、そこから全部おかしくなっていく
最初の一手からもう好きだ。限定的な瞬間移動能力を使って、嫌な妻を殺して完全犯罪を成し遂げようとする。
発想だけ聞くと、ずいぶん物騒だし危ない。だが西澤保彦『瞬間移動死体』のおもしろさは、その危ない計画がきれいに決まる話ではまったくないところにある。
むしろ、計画を実行しようとした瞬間に全部が狂いはじめる。殺そうとした相手ではなく、見知らぬ男の死体が突然現れる。このズレ方がまず見事だ。
特殊設定ミステリにはいろいろなタイプがあるが、本作の魅力は能力が全然万能ではないことだ。主人公が持っているのは、一定範囲内で、自分の身体と同じ体積の物体を入れ替えるという、面倒くさい能力である。
しかもそこにはバランスウエイトという重さの制約までついてくる。要するに、便利そうに見えて不自由なのだ。そしてこの不自由さがものすごく効いている。
もし何でもできる能力だったら、話はすぐ終わってしまう。だが本作では、その半端な超能力のせいで、主人公はどんどん窮地に追い込まれていく。
特殊設定の妙というより、特殊設定の不便さがこんなに楽しい
西澤保彦は、超能力やSF的な前提をただの珍しい味つけでは終わらせない作家だが、本作ではその持ち味がわかりやすく出ている。
物体交換のルールが最初から比較的はっきりしているので、こちらもその条件を頭に入れながら、「ではこの死体はどうやって現れたのか」「どうしてこんなことになったのか」を考えることになる。この感覚がすごくいい。超能力ものなのに、やっていることは本格ミステリ寄りなのである。
しかも、本作のトーンは重たくなりすぎない。妻はとにかく強烈だし、主人公は情けない。設定だけ抜き出すと殺人計画の話なのに、読み味としてはむしろドタバタ感が強い。このへんのバランスも西澤保彦らしい。
ちゃんと論理を積み上げているのに、全体にはどこかコメディのリズムがある。大まじめにルールを運用しているからこそ、その結果として起きる混乱が余計におかしいのだ。
とくに好きなのは、死体が瞬間移動したという大ネタを、派手な超能力バトルみたいな方向へ持っていかないところである。むしろ地味に、細かく、条件を確認しながら進んでいく。その手つきが本格パズルとして気持ちいい。
特殊設定ミステリというと、設定の奇抜さばかりが目立つ作品もあるが、本作において奇抜さはあくまで入口にすぎない。奇抜なのは前提であって、そこから先はきっちりロジックの勝負になっている。この誠実さが強い。
夫婦の関係もよくできていて、単に記号的なキャラ配置では終わらない。キレキレの妻と、どこか頼りない主人公。この組み合わせが物語のエンジンになっていて、殺意すらどこか滑稽に見えてくる。
だから本作は、死体消失や瞬間移動のトリックを楽しむ小説でありながら、同時に変な夫婦劇としても読める。そのねじれた軽さが後味の良さにつながっている気がするのだが、私だけだろうか。
『瞬間移動死体』は、SF設定を前提にした本格ミステリのうまさが、とてもわかりやすい形で出ている一冊である。特殊能力の派手さではなく、その不便さと制約の細かさで転がしていくところがとにかくうまい。
終盤、すべての現象に説明が与えられると、一気に景色が整理される。あれだけ混乱していた状況が、なるほどそういうことかと一本に繋がるあの瞬断はとても鮮やかだ。
大ネタのはずなのに、終わってみるといちばん印象に残るのは、能力のすごさより、その能力のせいで泥沼にはまっていく主人公の情けなさだったりする。その情けなさまで含めて大好きなのだ。
悠木四季特殊能力の派手さより、細かい制約をどう論理パズルへ変えるかという設計のうまさが光っている。
30.清涼院流水『コズミック 世紀末探偵神話 新装版』
密室ミステリをここまで膨らませたら、もはや神話になる
最初にこの設定を見たとき、多くの人は同じことを思うはずだ。
いやいや、それはさすがにやりすぎだろう、と。
1年で1200個の密室、1200人の殺人。しかもそれを本格ミステリとして成立させるつもりでいる。
普通なら、この時点で思いつきの悪ノリか、破綻前提の大風呂敷に見える。だが『コズミック』は、その常識的な感想ごと燃料にして前へ進む。
無茶だから面白いのではなく、無茶を無茶なまま巨大化させることでしか届かない場所を目指した小説なのだ。
物語を動かすのは、日本探偵倶楽部、通称JDCに属する名探偵たちである。ここがまず異様だ。九十九十九の「神通理気」も、ピラミッド・水野の「超迷推理」も、もはや通常の探偵小説のルールから半歩どころか思いっきり踏み出している。
けれど本作は、その逸脱を欠点として隠そうとしない。むしろ、探偵とは何か、推理とは何かという問いに対して、能力者めいた探偵を本気でぶつけてくる。
その振り切れ方が清涼院流水らしいし、この作品の危険な魅力でもある。
過剰さそのものが、この小説の武器になっている
本作の強烈なところは、やはりスケール感である。密室が一つでも大ネタになりうるジャンルで、1200個をやると言い出す。この時点で、普通の本格ミステリの美学とは違う場所に立っている。
だが『コズミック』は、その過剰さをただの冗談にはしない。アナグラム、歴史的モチーフ、神話めいた人物配置、メタな仕掛けを次々と積み上げ、物語全体を一種の巨大な構築物にしていく。読んでいると、密室トリックの連打というより、密室という概念そのものがどんどん増殖していくような感覚になる。
しかも面白いのは、ここまで大きく振り切っているのに、ミステリ好きが引っかかるポイントはきちんと用意されていることだ。仕掛けの単純さ、メタトリックのあざとさ、露骨なくらいの記号性。そういうものを含めて、本作はとても挑発的である。
見破れる人は見破ればいい、そのうえでまだこちらには別の層がある、とでも言いたげに話が進む。この押しの強さがすごい。
『コズミック』を読むと、本格ミステリというジャンルは、きれいに整った論理パズルであると同時に、どこか神話的な夢も抱えているのだとわかる。
名探偵は人間を超え、犯罪は儀式のように反復され、密室はただの部屋ではなくひとつの宇宙になる。そういう、本格ミステリが内側に秘めていた大げささを、清涼院流水は遠慮なく表面に引きずり出したのだと思う。
もちろん好みは分かれる。長さも、発想の飛び方も、人を選ぶ。だが、この作品がいまも怪作として語られる理由はよくわかる。整った完成度で残ったというより、あまりにもやりすぎていたからこそ、ミステリ史の中で消えずに残ったのだ。
『コズミック』は、密室ミステリを巨大化させ、探偵小説を神話へ接続しようとした、無謀で、危険で、でもやはり忘れがたい一冊である。
論理のパズルとしてのミステリを期待するとズレるが、ジャンルそのものを揺さぶる作品として見ると最高に面白い。
やりすぎを突き抜けた先にある、ある種の到達点である。
悠木四季1200の密室という無茶な前提を、破綻ではなく作品の推進力に変えてしまう異様な熱量がすごい。
31.歌野晶午『女王様と私』
笑っていいのかわからないまま読んでいたら、最後に全部が冷たく変質する
44歳無職、実家暮らし、しかも人形を妹として扱っている男が主人公である。
ここだけでも十分にきついのに、その男が「女王様」に振り回され、親のカードで貢ぐことに妙な快感を覚えはじめるのだからどうかしている。
設定だけ書き出すと、悪趣味なブラックコメディか、危険な変人小説のように見える。実際、読み始めの数馬の語りには、どこか笑ってしまいそうな滑稽さがある。だがこの作品の怖さは、その滑稽さがずっと滑稽なままでは終わらないところだ。
数馬は人形の絵夢に話しかけ、二人一役みたいな形で推理まで始める。しかもその会話の調子が妙に軽く、今風のくだけた口調まで混じるので、読んでいる側の感覚も少しずつおかしくなっていく。
普通なら、これは異常だとすぐ切り捨てたくなるはずなのに、語りの勢いに引っぱられて、こちらも少しずつその世界へ付き合ってしまうのだ。この付き合わされる感じが、歌野晶午はとにかくうまい。
妄想の中で進むミステリが、最後にはそのまま地獄へつながる
本作でまず強烈なのは、主人公の視点そのものが初めから危うく、その危うさが最後まで物語を支配していることだ。
叙述トリックという言葉で説明することもできる。だが、この作品のおそろしさは、視点が反転する瞬間の驚きだけでは語りきれない。
数馬の世界を読まされること自体がしんどい体験になっている。つまり、真相を知って驚くというより、その真相へ向かうまでの過程そのものがずっと嫌なのだ。いや、この言葉は避けよう。もっと正確に言うなら、読んでいるあいだに現実感の足場が少しずつ腐っていく感じがある。
しかも歌野晶午は、その嫌さをただの病理描写にはしない。ちゃんとミステリとして引っぱる。数馬は逃げ、考え、犯人探しめいたことをする。だからこちらも一応は、謎を追っているつもりで読み進める。
ところが終盤になると、その追いかけ方そのものがひっくり返される。ここで明かされる現実は、いわゆるあっと驚く真相というより、今まで読んでいたもの全部が一段深い嫌さへ落ちる感じに近い。これがきつい。超きつい。でも見事でもある。
歌野晶午は、トリックの使い方がうまい作家というより、トリックを通じて読者の心理状態そのものを操作するのがうまい作家だ。『女王様と私』では、その手つきがえげつない形で出ている。
最初は笑えるように見えたものが、あとでまるごとホラーへ変わる。しかも、その変化が急すぎるのではなく、よく考えれば最初からそうなる兆しはあったのだとわかる。この後読みの感触が重い。
数馬という男の情けなさも、ただ軽蔑して終われないところが厄介だ。もちろんどうしようもない人物なのだが、だからといって単純な怪物としては描かれていない。その半端な人間臭さがあるせいで、読後の救いのなさがいっそう強くなる。
笑いと不快感と恐怖がぐちゃぐちゃに混ざったまま最後まで行くので、読み終えたあとの気分は悪い。だが、その悪さこそがこの作品の成功でもある。
『女王様と私』はバカミスの中でも異質な位置にある作品だ。
笑える要素を入口にして、最後はしっかり精神を削ってくるのが恐ろしい。
悠木四季滑稽さと狂気を同じ視界に置いたまま進み、最後にはその全部をホラーへ変えてしまう危険な一冊である。
32.東川篤哉『仕掛島』
館ミステリの夢を、ここまで大がかりに実体化してしまうなんて
こういう舞台を出されると、それだけでもう楽しい。
瀬戸内海の孤島、崖にへばりつくように建つ異形の館、台風によるクローズドサークル、相続人たちの集結、そして密室殺人。
『仕掛島』は、本格ミステリの好きな要素をこれでもかと並べながら、その全部をちゃんと東川篤哉流のエンタメに仕立てている。過剰なくらい盛り込んでいるのに、くどさより先に、もっとやってくれ!という気分が来る。その勢いがまず気持ちいい。
まず舞台となる御影荘がとにかく強い。巨大な球形展望室を備えた奇妙な建築で、館の内部には仕掛け絵本みたいなギミックまで潜んでいる。ここまで盛られると、屋敷というより、もう一個のアトラクションである。
館ミステリの舞台装置というより、館そのものが一種の巨大な玩具であり、巨大な罠であり、巨大な見世物でもあるのだ。
このやりすぎ感に、思わず頬がゆるむ。現実味を削ってでも、ミステリとしての見た目の楽しさを優先する。その潔さがいいのだ。
大がかりな仕掛けを、笑いと本格の両方で押し切る
本作の面白さは、そんな大仰な舞台をただの飾りで終わらせないところにある。
密室、消失、過去の人間消失事件、鬼面の怪人物。いかにも怪奇趣味めいたガジェットが並ぶのに、話の進め方そのものはしっかり本格ミステリである。
しかも東川篤哉らしいのは、その本格部分をむやみに重たくしないことだ。小早川隆雄と矢野沙耶香の掛け合いはずっと軽妙で、ときどき漫才みたいですらある。この軽さがあるから、館の異様さや血縁のどろどろが必要以上に息苦しくならない。深刻な事件が起きているのに、どこか楽しく読めてしまうのだ。
ただ、この作品は軽いだけでは終わらない。むしろ笑いの調子で進むぶん、終盤で明かされる仕掛けの規模がいっそう強く効く。
たとえば、犯人の移動や消失を説明する物理トリックは、発想の時点で豪快だ。そんなことを本当にやるのか、という無茶さがある。
けれど、本作はその無茶を「でもこの館ならありえるかもしれない」と思わせるだけの勢いを持っている。ここが東川篤哉のうまいところで、厳密な理詰めだけで押すのではなく、舞台の異様さそのものをトリックの説得力へ変えてしまうのである。
しかも、館全体に込められた発想が視覚的にとても楽しい。仕掛け絵本みたいな大ネタは、論理の美しさというより、ミステリならではの大きな夢を見せてくれる。
本格ミステリは、ときどき現実離れしたスケールの仕掛けを出してくるが、『仕掛島』はその楽しさを素直に前へ出した作品だ。小さくまとまらない。ちゃんと大きい。そこがいい。
一方で、真相の底にはちゃんと人間の悲しさもある。相続をめぐる感情、家族のしがらみ、過去から続く傷。館のギミックが派手だからこそ、その下にある人間の重さが意外とよく見える。
東川作品は笑える本格として読まれがちだけれど、本作もまた、最後には少し苦いものを残すものだ。愉快な掛け合いと、やりすぎな仕掛けと、背後にある悲劇。その三つがきれいに噛み合っているからすごい。
孤島、遺言、異形の館、密室、消失トリック。こういう要素が好きなら楽しく読めるはずだ。
そして読み終えたあとには、きれいに解けた満足感と一緒に、よくこんな大仕掛けを本気でやったなあという感動が残る。
館ミステリの王道をなぞりながら、それを巨大な仕掛けとして再構築する。
しかもそれを笑いながらやる。それが東川ミステリだ。
悠木四季異形の館そのものがトリックの中心に座っていて、真相が明かされた瞬間の見た目の派手さまで含めて楽しいのだ。
33.野島夕照『片翼のイカロス』
空を飛ぶ夢が、ついには一族そのものを狂わせていく
空を飛ぶ人間、という言葉には、それだけで少し古典的な魅力がある。
幻想でもあり、怪奇でもあり、本格ミステリに持ち込まれた瞬間には危険な香りもする。
『片翼のイカロス』は、その危険な題材を真正面から引き受けた作品だ。
しかも舞台は、相模湖畔にそびえる大富豪の豪邸。空への執着をこじらせた当主、病を抱えながら一族を見張る姉、ねじれた家族関係、そして家事代行として入り込む新人メイド。設定の段階で濃いのに、物語はそこからさらに上へ飛んでいく。
何より強いのは、上空500メートルを飛ぶプライベートヘリに人間のような物体が衝突する、という大ネタである。こんなもの、普通は怪奇現象かホラ話として処理されそうなものだ。
だが本作は、そこから逃げない。むしろその無茶な現象を本格ミステリの謎として真正面から扱い、しかも物理トリックで押し切ろうとする。
この時点で好きだ。無理そうな題材ほど、理屈でねじ伏せようとする作品には独特の勢いがある。
とんでもない謎を、航空理論と血の狂気で押し切る力がある
探偵役を担うのはメイドの麻琴だが、彼女はひとりで謎に挑むわけではない。内に潜むもうひとつの人格、誠との掛け合いが物語に独特のテンポを生んでいる。
この二人のやり取りは軽快で、ときにギャグアニメみたいな勢いすらある。なので読み味は案外するすると進むのだが、扱っている中身は重たい。
一族の血脈への執着、環境や生命をめぐる不穏なテーマ、そして空を飛ぶことへの異様な信仰めいた熱。軽さと重さが同時に走っている感じが、この作品の変な中毒性を生んでいる。
そして肝心のトリックが、めちゃくちゃ力技である。めちゃくちゃ力技なのだが、そこに航空関係の蘊蓄がきっちり差し込まれるので、読んでいるうちに妙な説得力が出てくる。このへんは実に危ない。
本来なら「そんな馬鹿な」で終わってもおかしくない発想なのに、専門的な理屈と登場人物たちの狂気が加わることで、この一族なら本当に信じてしまうかもしれないと思わされるのだ。
理屈で納得するというより、理屈の勢いで押し倒される感覚に近い。島田荘司の短編『山高帽のイカロス(御手洗潔のダンスに収録)』を彷彿とさせる空飛ぶ男のイメージが、現代的な設定で見事に刷新されている点も見逃せない。
後半で明かされる真相はどろどろしていて、夢や理想の話では終わらない。むしろ、空を飛ぶという美しい願望が、血筋や執着と結びついたときにどれだけ歪むか、その嫌なところまできっちり見せてくる。
だから読後に残るのは、爽やかな解放感よりも、胸の底に沈むような重さだ。けれど、この作品にはその重さが必要だったのだと思う。
本格として見ると異端だし、バカミスとして見るとやたら完成度が高い。そしてどちらの読み方でも、読み終えたあとに妙な手触りが残る。
上空の奇跡みたいな謎と、地上の醜い感情。その落差が大きいほど、物語は強く残る。
悠木四季空飛ぶ人間という古典的な夢を、現代本格ミステリの無茶なロジックへ変換した発想がとにかく強い。
34.小森健太朗『ローウェル城の密室』
少女漫画のきらめきの中で、密室トリックまで二次元化してしまう
霧の森で道に迷った中学生が、奇妙な科学者に出会い、そのまま少女漫画の世界へ放り込まれる。
ここまでなら、少し変わったジュブナイル冒険譚である。
だが『ローウェル城の密室』は、その先でさらに妙な方向へ踏み込む。華やかな貴族たちが愛憎劇を繰り広げるローウェル城で、今度は本格ミステリの花形である密室殺人が起きるのだ。
少女漫画と密室。普通なら交わらなそうな二つを、こんな真正面からぶつけてくる時点ですごい。
舞台も強い。トーンの飛び交う二次元世界、妙に大仰な台詞、きらびやかな登場人物たち。最初は、この漫画的なノリそのものを楽しむ話なのかと思う。ところが実際には、その「二次元であること」こそが本作の中核になっている。
ただの異世界転移とは違う。紙に描かれた世界だからこそ起こりうること、逆に現実の三次元では成立しないこと、その差が丸ごとトリックへ変わっていく。ここが独特でとにかく面白いのだ。
漫画の世界を舞台にするのではなく、漫画の世界だからこそ成立する密室
少女漫画の世界に入る、というだけでも十分に変なのに、小森健太朗はそこからさらに「ではその世界で密室をやるならどうなるか」を本気で考えている。
しかもその答えが、ただの思いつきではなく、媒体の性質そのものに結びついているのがすごい。ページ、平面、二次元の物理。そういうものがトリックの核になってくるので、読み終わるころには、最初の突飛な設定が全部このためにあったのかと思わされる。
探偵役の「星の君」も強烈だ。名前からしてすでに過剰だし、毒舌で会話もどこかずれている。ふつうの名探偵のように場を整えるのではなく、少女漫画世界の異様な空気をさらに濃くするタイプの存在で、作品全体のテンションにとてもよく合っている。このキャラの浮き方も含めて、本作は端正にまとまるより、勢いと熱量で読ませるタイプのミステリなのだ。
それにしても、16歳でこの発想をここまで押し切ったのはやはりすごい。若書きらしい勢いはたしかにある。会話の飛び方も、前半のノリも振り切っている。だが、その振り切れ方が弱点ではなく、この作品の魅力になっている。
理屈の整った落ち着いた長編というより、頭の中にある妄想を一気に形にした熱そのものが残る感じだ。その熱があるから、多少のぎこちなさもむしろ味に見えてくる。
本作を読んでいると、本格ミステリは本来とても自由なジャンルなのだと改めて思う。現実的な舞台で、もっともらしいロジックを積み上げるだけが本格ではない。こんなメタファンタジーみたいな設定からでも、ちゃんと密室の謎は立ち上がるし、しかもそこにしかない驚きまで生まれる。
『ローウェル城の密室』は、その自由さと無謀さを若い熱量のまま叩きつけてくる一冊だ。
読み終えたあとには、きれいにまとまった傑作を読んだ満足感というより、ものすごく変で、ものすごく本気なものに立ち会った充足感が残る。そこがこの作品のいちばん強いところだ。
悠木四季二次元世界を舞台にするだけでなく、「二次元だから可能な密室」を本気で成立させているところが圧倒的なのだ。
35.五条紀夫『私はチクワに殺されます』
こんな題名なのに、読み終えるころには妙に切なく、妙にきれいに閉じてしまう
最初にこのタイトルを見たときの感想は、みんなだいたい同じだと思う。
「何を言っているんだ?」
もしくは、
「五条紀夫がまた変なミステリ書いてる……」
である。
しかも読み始めると、いきなり夫婦の変死体と大量のちくわが出てくる。首を吊った夫、刺し傷だらけの妻、そして現場に散乱する無数のちくわ。どう考えても悪夢か悪ふざけのどちらかだ。
なのにこの作品は、そこで引かない。むしろ、その異様な光景を真正面から受け止めて、ミステリとして組み立てていく。この時点で強い。
物語の中心にあるのは、「ちくわの穴を通して覗くと、その相手の死に様が見える」という、とんでもない特殊設定である。普通なら、ここで完全にホラーかギャグへ振り切るはずだ。
だが本作のおもしろさは、その荒唐無稽な前提を、変にごまかさず、そのまま切実な狂気へつなげていくところにある。死が見えてしまう。だったら穴を塞げばいい。そう信じ込んだ男が、スーパーのちくわにキュウリやティッシュを詰めはじめる。
この発想だけ抜き出すと完全におかしいのに、男の中ではそれがきわめて真剣な救済行為になっている。そのズレがたまらなく不穏で、同時に少し笑ってしまう。
ばかばかしいのに、狂気の温度だけは妙に本物めいている
この作品の面白いところは、設定の珍妙さを一発ネタで終わらせない点だ。
男の手記、娘へのインタビュー、事件を追う作家の視点。そうやって視点をずらしながら、最初はただ異常に見えた出来事に少しずつ別の輪郭が与えられていく。
この構成がうまい。ちくわに取り憑かれた狂人の独白を読む話かと思いきや、次第に事件そのものの見え方が変わってくる。だからこちらも、「ちくわの話なんて」と笑い切れなくなる。
しかも怖いのは、男の行動が端から見ればひどく滑稽なのに、本人の内側では切実な必死さとして描かれているところだ。人を救おうとして、穴を塞ごうとして、でもそのやり方が全部ずれている。
このどうしようもなさがいやな形で胸に残るのだ。スプラッター的な場面もあるし、言葉の響きだけなら相当に馬鹿げているのに、読み進めるほどに妙な哀しさまで混じってくる。この感触はなかなか独特だ。
そして何より見事なのは、最後にちゃんとミステリとして着地することだ。ここまで散らかりそうな設定を持ち込みながら、最終的には論理で説明し、構造として閉じる。その手際がいい。
ただ変なものを見せて終わりではなく、なぜこうなったのかをきちんと回収するので、読後には驚きだけでなく納得も残る。しかもその結末が、ちくわというモチーフの円環性まで含めて妙に美しい。題材はあまりにも変なのに、終わり方だけ見ると不思議なくらい整っているのだ。
読み終えて振り返ると、この作品は、奇抜な設定を押しつけるタイプの作品に見えて、実際にはもっと真面目な勝負をしているのだと気づく。それは、どれだけふざけた前提でもそこから本気で物語を作れるか、という挑戦である。
ちくわ、穴、死の予見。どう考えても雑に転びそうな素材ばかりなのに、五条紀夫はそれを恐怖と笑いと切なさが同居する一冊へまとめてしまった。
その無茶の仕方がすごくいい。とても変で、とても怖くて、そして思った以上に忘れにくい。
悠木四季笑うしかない設定を、視点の切り替えと論理の積み上げで、ちゃんと読ませる物語に変えてしまう力がすごい。
36.深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』
推理そのものを見世物にしたら、ここまで悪趣味で、ここまで面白くなった
本格ミステリには、どこか神聖視されがちなところがある。
密室、アリバイ、名探偵、論理の一撃。そういうものをきっちり積み上げて、最後に真相へ到達する。
その美しさはたしかにあるのだが、深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』は、その美しさをいったんテレビの生放送に放り込み、巨大賞金付きのクイズ番組にしてしまう。発想の時点でいやらしい。だが、そのいやらしさこそがこの作品の出発点であり、最大の魅力でもある。
設定はものすごくわかりやすい。番組内で提示される難攻不落の密室殺人を解き、犯人を当てれば100億円。しかも舞台に出される事件は、嵐の中の孤立した洋館という、本格ミステリ好きが反応せずにいられない王道ど真ん中である。
病院経営一族、首吊り死体、自殺に見せかけた殺人、明白すぎる容疑者。材料だけ見ると正統派だ。
ところがこの作品は、その正統派の事件をテレビで消費される推理に変えることで、空気を一気に変えてしまう。
論理の応酬をエンタメに変えながら、最後はその土台ごと揺さぶってくる
本作の面白いところは、次々に提示される解答が、それぞれもっともらしいことだ。解答者たちは全国から選ばれた精鋭で、出してくる推理もちゃんと本格ミステリとして成立しそうなものばかりである。
なので読んでいるこちらも、今度こそこれか、と思う。ところが司会者・樺山桃太郎が、それを容赦なく叩き落としていく。この反復が気持ちいい。多重解決ミステリの醍醐味をクイズ番組という俗っぽい形式に乗せたことで、論理のせめぎ合いそのものがショーへ変わっているのだ。
しかも樺山桃太郎という存在がとにかく強い。アフロに白いスーツという時点でだいぶ濃いのに、彼の煽りと却下が入るたび、推理小説の静かな解決編は完全に壊される。
本格ミステリの世界では、本来なら探偵の説明は敬意をもって聞かれるものだ。だがこの作品では、それが全国放送の見世物として消費される。ここにある下品さと痛快さがいい。
ただ、本作がただのパロディで終わらないのは、その多重解決の積み上げ自体がうまいからだ。深水黎一郎は、本格ミステリのロジックを本当に理解しているからこそ、それをここまで遊べるのだと思う。
適当に崩しているのではなく、ちゃんと筋の通った推理をいくつも並べ、そのうえでなお「では真実とは何か」と謎をずらしてくる。このずらし方が見事である。
そして終盤、本作は単なる犯人当て小説ではなかったことが見えてくる。ここから先は言えないが、クイズ番組という形式そのものがただの舞台装置ではなかったのだと分かった瞬間、作品の輪郭が一段深くなる。
推理を競う話を読んでいたはずなのに、いつのまにか「推理を見せること」「真実を商品にすること」まで含めて眺めさせられていたと気づく。この感覚が鋭い。
派手で、俗っぽくて、うるさくて、でも中身は本格。そんな不思議なバランスで成り立っているのが『ミステリー・アリーナ』である。
本格ミステリへの愛情があるからこそ、ここまで悪ノリできるし、ここまで深く壊せる。読み終えたあとには、ロジックの気持ちよさと、見世物小屋を覗いたような後味の悪さが両方残る。
論理を愛しているからこそ、その論理を壊しにいく。このねじれた愛情が、作品全体にしっかり通っているのがいい。
悠木四季多重解決の面白さをそのままクイズ番組へ移植し、推理そのものを見世物に変えてしまった発想がすでに抜群におもしろい。
37.矢野龍王『極限推理コロシアム』
犯人当てを、ここまで露骨に命がけのゲームにしてしまう潔さ
本格ミステリの楽しさを、ひどく乱暴な言い方でまとめるなら、結局は「犯人を当てる」ことにある。
だが『極限推理コロシアム』は、その知的な遊びを文字通りのサバイバルへ変えてしまう。犯人を当てれば生き残る。外せば死ぬ。
しかも舞台は、真夏の「夏の館」と極寒の「冬の館」に分断された二つのグループ。ここまでくると、繊細な心理小説というより、ルールそのものが牙をむいてくるタイプの作品だ。
設定の時点ですでに強い。見知らぬ男女が集められ、これから起きる殺人事件の犯人を見抜けと命じられるだけでも十分にきついのに、さらに「相手の館より先に正解しないと自分たちが全滅する」という条件まで乗る。
協力しなければ解けない。だが、協力しすぎれば相手の勝利につながる。このひねり方がすごくいい。推理小説でおなじみの情報共有や議論そのものが、そのまま生死の駆け引きに変わるのである。
ロジックを組み立てること自体が、もう戦闘になっている
本作の面白さは、物理トリックの華やかさよりもゲームの条件が生み出す心理戦にある。夏の館と冬の館は通信できる。つまり、情報はつながっている。けれど、生存条件は対立している。
この構図があるせいで、推理がただの謎解きでは終わらない。どこまで話すのか、どこを隠すのか、相手は本当にこちらを助けるつもりなのか。そうした読み合いが、事件の真相と同じくらい重要になってくるのだ。この感じはデスゲーム的なのに、芯のところではちゃんと本格ミステリの読み心地がある。
しかも本作は、その極端な状況設定を中途半端にリアル寄りへ戻そうとしない。むしろ「ここまでゲームっぽいなら、徹底的にゲームとして楽しませる」という方向へ振り切っている。だからこそ勢いがあるし、読みながら迷いがない。
キャラクターもある意味で記号的なのだが、その記号性がむしろこの作品には合っている。誰を信じるか、誰が怪しいか、どの発言がブラフなのか。人狼ゲームめいた感覚でどんどん読めるのだ。
そして終盤、犯人は誰か?だけではなく、そもそもこのゲームは何なのか?という謎へ踏み込んでいく。ここで出てくる真相はゲーム的で、さすがメフィスト賞らしい。
もっと文学的に重たくもできたはずなのに、この作品はあえて芝居がかった面白さを選んでいる。そしてその選択は大成功した。勢いで読ませ、ロジックで納得させ、最後には少し笑ってしまう。この感触が実に楽しい。
重厚な人間ドラマや繊細な心理描写を期待すると、たぶん少し違う。だが、ミステリの面白さをむき出しの形で味わいたいなら、本作は十分すぎるほど応えてくれる。
犯人当て、デスゲーム、通信による駆け引き、二つの館の対立構造。その全部が無駄なく回っていて、物語を読ませる力がとても高い。
バカミスとしての魅力は、やっぱりこの直球さだろう。推理、心理戦、デスゲーム。この三つを遠慮なくぶつけて、そのまま最後まで走り切る。
余計な装飾を削って、面白いかどうかだけで勝負している感じが大好きなのだ。
ロジックが人を救うのではなく、ロジックに失敗した人間が消されていく。その冷たさまで含めて、この作品の魅力である。
悠木四季夏の館と冬の館の「協力しなければ解けないのに、協力しすぎると負ける」という構図がとにかくうまい。
38.津島誠司『A先生の名推理』
超常現象にしか見えないものを、本格ミステリの論理でねじ伏せていく
喫茶店で山のような甘味を静かに食べ続ける老人が、実はとんでもない名探偵だった。
こう書くと、少しユーモラスな安楽椅子探偵ものに見える。
たしかに『A先生の名推理』にはそういう味もある。だが、この短編集の本当のすごさは、そこに持ち込まれる事件の異様さである。電光怪人、逆立ちする山小屋、浜辺の怪火、屋内の巨人、さらには隕石から物体Xまで飛び出す。
ラインナップだけ見ると完全に怪奇小説かSFだ。にもかかわらず、この作品はそれを徹底して本格ミステリとして処理しようとする。
そこがまず異様におもしろい。ふつうなら、ここまで超常めいた事件が並ぶと、どこかでホラーや幻想の側へ逃げたくなる。だがA先生は逃げない。どれだけ見た目が派手でも、どれだけ現象が無茶でも、とにかく一度は「合理的に説明できるはずだ」という態度を崩さない。
この頑固さがいい。しかも、その説明がちゃんと論理のかたちをしているから、妙に納得させられてしまうのだ。
奇想の見本市みたいなのに、解決の手つきだけは妙に本格である
本作の魅力は、何より謎の盛り方にある。ひとつひとつの事件が、短編のネタとして明らかに過剰だ。普通なら長編の中心になってもおかしくない大ネタを、惜しげもなく次々に放り込んでくる。
その意味で、たしかに「奇想の二郎系」なんて呼び方はしっくりくる。量も濃さも多すぎる。だが、それがただの悪ノリに見えないのは、解決の方向がぶれていないからだろう。A先生の推理は、どれだけ派手な現象に対しても「では条件を整理しましょう」とでも言うように進んでいく。その冷静さがすごくいい。
しかも、ただ静かな名探偵として置かれているだけではなく、A先生というキャラクター自体にも妙な説得力がある。甘味を食べ続ける穏やかな老人という見た目と、頭の中では論理が暴走している感じの落差がいい。
怪奇現象だらけの話なのに、最後には探偵の静かな口調のほうがむしろ怖くなってくる瞬間がある。そんなものまで説明するのか、という驚きが何度も訪れるのだ。
本作を読んでいると、本格ミステリの強みは「現実的であること」ではなく、「どれだけ異様なものでも一度は論理の俎上に載せてみせること」なのだとよくわかる。もちろん、実現性という意味では危うい話もある。というか、だいぶ無茶なものも含まれている。
だが、その無茶さごと押し切る勢いがある。筋だけは通してみせる、という真摯な狂気がある。そこが本作のいちばん面白いところだと思うのだ。
そして何より、この作品にはサービス精神がある。著者はたぶん、読者を驚かせることをものすごく楽しんでいる。もっと端正に、もっと上品にまとめる道もあったはずなのに、そうはしない。
怪奇もSFもホラーも全部まとめて本格ミステリの土俵に引っぱり上げ、どこまで読者がついてこられるかを試してくる。この押しの強さがいい。最後まで読むと、困惑より先に、よくここまでやったなという謎の達成感まである。
バカミスという言葉で括られることが多いけれど、実際にやっていることはとても真面目だ。
ただ、その真面目さの向け方が少しおかしいだけで。
悠木四季宇宙人や怪火まで含めた奇想を、逃げずに合理的な謎として扱い切る姿勢が圧倒的だ。
39.ピエール・シニアック 『ウサギ料理は殺しの味』
黒い笑いが煮え立つ鍋の底で、人間のいやらしさがつやつや光る
「レストランにウサギ料理が載ると、若い女が殺される」
この一文だけで、変だし、不穏だし、しかもどこかおかしい。
ピエール・シニアックの『ウサギ料理は殺しの味』は、その悪趣味な噂をただの猟奇趣味で終わらせず、町全体を巻き込むブラックミステリへ育て上げていく。しかもその育ち方が、実にフランス・ノワールらしくひねくれている。
出てくる人物がまず良い。いや、良いというより、ろくでもない。高級商店の新入荷品を報酬に欲しがる娼婦、家を持たないくせに報酬として家を狙うホームレス、星回りに執着する占い師、ウサギ料理に妙な熱意を燃やす男。まともな人間がほとんどいない。
なのに、この連中の欲望や見栄や小狡さが妙に生き生きしていて、読んでいるうちにどんどん引きずり込まれる。清潔な探偵も、高潔な被害者もいない。そのかわり、人間の情けなさと図太さがたっぷりある。
論理より先に嫌な笑いが立ちのぼる、それでも最後はちゃんとミステリになる
本作の面白いところは、連続殺人を扱っているのに、全体の手触りがどこか人間喜劇めいているところだ。もちろん事件は不気味だし、脅迫状まで届いて空気はどんどん悪くなる。
だがシニアックは、その緊張をまっすぐ高めるだけではなく、登場人物たちの愚かさや欲深さを混ぜ込んで、妙にねじれた笑いへ変えてしまう。この感触がたまらない。上品なパズルを読む気分でいると面食らうはずだ。
しかも、ただ変な人たちが暴れているだけでは終わらない。群像劇として広がっていった話が、最後にはきちんとひとつの絵になる。
その絵がきれいに整っているかというと、むしろ歪んでいるのだが、その歪み方がこの作品の魅力なのだと思う。ぴたりとはまったはずなのに、できあがる図柄はどこまでもグロテスクで、どこまでも皮肉だ。この後味の悪さと爽快さの同居がすごい。
フランス・ミステリらしい退廃した空気、ブラックユーモア、そして人間を少し高いところから眺めるような冷たい視線。その全部が『ウサギ料理は殺しの味』には詰まっている。
整然と組み上げられた本格ミステリの快感よりも先に立つのは、毒のある寓話を読まされたような後味だ。謎が解けた気持ちよさに加えて、底意地の悪い笑いと、妙に乾いた苦味が残る。
なんて嫌な話だ!と笑いながら言いたくなる、あの独特の満足感。
そこにこそ、この作品の忘れがたい味がある。
悠木四季悪趣味とユーモアと人間の卑小さをぐつぐつ煮込みながら、最後は見事な怪作として着地する一冊である。
おわりに

絵:悠木四季
バカミスのおもしろさは、荒唐無稽だからおもしろい、というだけではない。
むしろ逆で、荒唐無稽なものを荒唐無稽のままで終わらせず、そこにむりやり筋道を通してしまうところにこそ、独特の快感がある。
普通に考えれば、そんなの成立するわけがない。そんな仕掛けはやりすぎだし、その発想はどうかしているし、その結論に着地させようとする根性もだいぶおかしい。
だが、だからこそいい。ミステリというジャンルは、ときどき常識の内側で整いすぎる。そんなとき、バカミスはそこに風穴を開けてくれる。論理を壊すのではなく、論理を極端な場所まで連れていくことで、まだこんな景色があったのかと見せてくれるのである。
思えば、愛すべきバカミスたちに共通しているのは、単なる思いつきで終わっていないことだ。
屋敷を傾けるにせよ、首をつなぐにせよ、瞬間移動するにせよ、とんでもない犯行計画を本気で成立させようとするにせよ、その裏には膨大な手間と執念がある。馬鹿馬鹿しいことを、誰よりも真面目にやっている。その異様な本気さが、笑いと驚きと感心をいっぺんに呼んでくる。
だから私は「バカミス」という言葉を、やはり悪い意味だけでは使えない。そこには、呆れるほど大胆で、笑ってしまうほど過剰で、それなのにきちんと拍手したくなるような作品たちへの敬意がある。
ミステリは、きれいに整ったロジックだけでできているわけではない。ときには常識を踏み越え、ときには悪ノリすれすれまで加速し、それでも最後には、なるほどと唸らせてしまう。そんな自由さもまた、このジャンルの大きな魅力なのだと思う。
今回挙げた39作品は、どれも方向性は違うが、その真面目な馬鹿馬鹿しさという一点でしっかりつながっている。ありえなさに笑い、力技に呆れ、最後には妙に納得してしまう。そんな体験ができる作品ばかりだ。
ミステリを読んでいて、ときどき理屈を超えた一撃がほしくなることがある。
あまりに突き抜けていて、思わず本を閉じて天井を見たくなるような一冊に出会いたくなることがある。
そんなとき、バカミスは期待を裏切らない。
呆れながら楽しんで、笑いながら感心して、最後はきっちり降参する。
その贅沢な体験こそ、バカミスの醍醐味である。
(おわり)
1.倉阪鬼一郎『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』
──連続密室殺人の顔をしながら、最後には常識ごとひっくり返してくるとんでもない倉阪鬼一郎流館ミステリ。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(2.0)
2.倉阪鬼一郎『四神金赤館銀青館不可能殺人』
──密室と館の謎を追っているうちに、小説そのものの仕掛けへ引きずり込まれていく、馬鹿馬鹿しくも恐ろしく緻密な不可能犯罪小説。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(2.0)
3.門前典之『屍の命題』
──雪の山荘、巨大な兜虫の亡霊、死体消失の謎が、建築と錯視と力業の論理でつながっていく、門前典之らしさ全開の異形本格。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(3.0)
4.門前典之『浮遊封館』
──宗教、聖遺物、死体消失の不穏さをまといながら、最後には建築と物理の力技で神秘を踏みつぶしていく門前典之の怪作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(1.0)
5.門前典之『灰王家の怪人』
──名家ものの情緒と仮面の怪人を並べた末に、最後は門前典之らしい冷酷な物理トリックで全部を踏み抜く孤島の異形作。
そんなバカな!度:(4.7)
おふざけしてる度:(2.0)
6.殊能将之『黒い仏』
──仏教伝奇と秘宝探しの顔をしながら、最後には推理小説の足元にある現実ごと消し飛ばしてくる殊能将之の危険な奇書。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(2.0)
7.殊能将之『キマイラの新しい城』
──中世騎士の妄想と現代日本の移築城が、博識と悪ふざけの手つきで奇妙に噛み合っていく洒落た変化球。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(2.0)
8.早坂吝『双蛇密室』
──蛇恐怖症の悪夢めいた過去を掘り返すうちに、ありえなさの限界を越えた真相がロジックで回収されてしまう危険球。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(4.0)
9.早坂吝『○○○○○○○○殺人事件』
──孤島の殺人劇を読ませておいて、最後の最後にタイトルそのものですべてをひっくり返してくる早坂吝の一撃。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(4.5)
10.幡大介『猫間地獄のわらべ歌』
──江戸のわらべ歌殺人を追ううちに、時代劇の約束事ごと足元からずらされていく意地悪なメタ怪作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(4.0)
11.島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』
──元妻への執念、北国の旅情、甲冑武者の怪異が、最後には島田荘司らしい巨大な物理トリックへ雪崩れ込む切なくも豪快な奇想作。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(1.0)
12.島田荘司『斜め屋敷の犯罪』
──吹雪の宗谷岬に建つ斜めの洋館で、常識外れの大仕掛けが本気の論理として立ち上がる御手洗潔シリーズの代表作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(1.0)
13.島田荘司『屋上』
──屋上から続けざまに人が落ちる怪奇じみた事件を、巨大看板と都市空間を巻き込んだ物理の力技でひっくり返す。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(3.0)
14.柾木政宗『NO推理、NO探偵? 謎、解いてます!』
──推理を捨てた探偵が、ジャンルの約束事を笑い飛ばしながら、最後にはその強さまで証明してしまう柾木政宗の曲者。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
15.麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』
──城、名家、首なし死体、変人探偵という豪華なガジェットを積み上げた末に、推理の足場ごと崩してくる麻耶雄嵩の劇薬的デビュー作。
そんなバカな!度:(4.6)
おふざけしてる度:(2.0)
16.麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』
──真夏の雪、首なし死体、足跡なき密室という美しい道具立てを並べながら、最後には謎解きの足場ごと崩してくる麻耶雄嵩の危険すぎる奇書。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(2.0)
17.麻耶雄嵩『あぶない叔父さん』
──謎を解いてくれるはずの叔父さんが、解決のたびにもっと危ない場所へ連れていく麻耶雄嵩の意地悪な一冊。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
18.蘇部健一『六枚のとんかつ』
──全力のくだらなさを、本格の骨組みできっちり成立させてしまう蘇部健一の伝説的なアホバカ短編集。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(5.0)
19.霞流一『首断ち六地蔵』
──六つの地蔵の首と死体をめぐる謎が、笑えるほど過剰な推理合戦の果てにきれいな着地を見せる霞流一の曲者。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(4.5)
20.霞流一『落日のコンドル』
──誘拐事件にコンドルのイメージを重ねながら、最後には空間と運動を巻き込んだ大仕掛けへ飛躍していく豪快な本格。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(4.0)
21.霞流一『スティームタイガーの死走』
──走行中のSLという巨大な鉄の塊を、蒸気も振動も速度もろとも精密なトリック装置へ変えてしまう暴走作。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(4.5)
22.泡坂妻夫『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』
──新興宗教と心霊術の怪しさをまといながら、最後には本という物体そのものまで鮮やかなトリックへ変えてしまう奇術的傑作。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(2.0)
23.小島正樹『扼殺のロンド』
──密室、内臓消失、高山病など盛り込んだ不可能犯罪の見本市が、最後には巨大な策謀として一本につながっていく小島正樹の怪物級やりミス。
そんなバカな!度:(4.8)
おふざけしてる度:(1.0)
24.小島正樹『武家屋敷の殺人』
──武家屋敷の因縁と蘇るミイラの怪奇色をまといながら、死体消失も物理トリックも家の秘密もまとめて詰め込んでくる濃厚本格。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(1.0)
25.東野圭吾『名探偵の掟』
──名探偵、密室、見立て殺人といったお約束を笑いながら解体し、その型の強さと愛おしさまで浮かび上がらせる東野圭吾の痛快なパロディ連作。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
26.七尾与史『全裸刑事チャーリー』
──服を着ない世界のくだらなさが、ポケットも繊維も隠し場所もない事件のロジックへ化けていく脱力系刑事コメディ。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(5.0)
27.中西智明『消失!』
──赤毛の美女ばかりを狙う連続殺人と死体消失の謎が、最後には見えていた世界そのものを裏返してしまう伝説的ミステリ。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(2.0)
28.黒田研二『嘘つきパズル』
──下ネタとドタバタにまみれた孤島劇の奥で、誰が嘘をつけるのかをめぐる硬派な論理パズルがきっちり組み上がっていく変本格。
そんなバカな!度:(3.5)
おふざけしてる度:(5.0)
29.西澤保彦『瞬間移動死体』
──限定的な瞬間移動能力で完全犯罪を狙ったはずが、その不便すぎるルールによって死体も計画もどんどん変な方向へ転がっていく西澤保彦お得意の特殊設定パズル。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(1.0)
30.清涼院流水『コズミック 世紀末探偵神話 新装版』
──1200の密室殺人という大風呂敷を広げ、名探偵も犯罪も論理もろとも神話のスケールへ膨張していく伝説の問題作。
そんなバカな!度:(5.0)
おふざけしてる度:(4.0)
31.歌野晶午『女王様と私』
──人形を妹と呼ぶ男の滑稽な語りに付き合わされるうち、笑いも推理も妄想もまとめて冷たい現実へ落ちていく悪夢的な一冊。
そんなバカな!度:(4.0)
おふざけしてる度:(2.0)
32.東川篤哉『仕掛島』
──瀬戸内海の孤島に建つ異形の館が、密室も消失も過去の悲劇もまとめて動かす巨大な仕掛け絵本へ変わっていく大仕掛け長編。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(3.0)
33.野島夕照『片翼のイカロス』
──上空500メートルでヘリに衝突する人影という無茶な謎が、航空理論と一族の血の狂気によって異様な説得力を帯びていく飛翔系作品。
そんなバカな!度:(4.6)
おふざけしてる度:(2.0)
34.小森健太朗『ローウェル城の密室』
──少女漫画のきらめく二次元世界へ放り込まれた先で、ページと平面の性質そのものが密室トリックへ変わっていく異色本格。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(2.0)
35.五条紀夫『私はチクワに殺されます』
──ちくわの穴から死が見えるという珍妙すぎる設定が、笑いと狂気を通り抜けて、最後には妙に切ない円環へ閉じていくトンデモ作品。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.5)
36.深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』
──密室殺人の推理を100億円の生放送クイズに変え、もっともらしい解答を次々に叩き落としながら、最後には真実そのものの見せ方まで揺さぶってくる悪趣味な怪作。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(3.0)
37.矢野龍王『極限推理コロシアム』
──夏の館と冬の館に分けられた参加者たちが、犯人当てのロジックをそのまま生存競争へ変えていくデスゲーム本格。
そんなバカな!度:(4.5)
おふざけしてる度:(2.0)
38.津島誠司『A先生の名推理』
──宇宙人も怪火も巨大な怪人も、A先生の前ではすべて合理で処理されてしまう、真面目さの向け方がおかしい奇想の見本市。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(4.0)
39.ピエール・シニアック 『ウサギ料理は殺しの味』
──ウサギ料理の噂から始まる連続殺人が、最後には黒い笑いの効いた皮肉な群像劇へ仕上がっていくシニアックの毒味ある一冊。
そんなバカな!度:(3.0)
おふざけしてる度:(3.0)
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