『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026』- 乙一の30年を、暗闇の中でたどり直す【読書日記】

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悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

幸せだね。

乙一という名前には、青春の記憶と、物語に足をすくわれる予感が一緒にまとわりついている。

怖い話を書く人。切ない話を書く人。ひねりの効いたミステリを書く人。

白乙一、黒乙一、中田永一、山白朝子。いろいろな呼び方や名義があり、そのたびに作風も少しずつ変わる。けれど、どの名前で書かれていても、奥のほうにある感触はどこか似ている。

誰にも言えない孤独。うまく届かない声。世界から半歩だけずれてしまった人間の、少し痛くて、少しおかしくて、そして妙に忘れがたい姿。

『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026』は、そんな乙一の三十年を作家自身が選び直した短編集だ。

1996年に『夏と花火と私の死体』でデビューした十七歳の作家が、ミステリ、ホラー、青春小説、ファンタジー、朗読企画、WEB企画、同人誌的な場まで越境しながら書き続けてきた。その軌跡を、九つの短編でたどることができる。

しかも本書は、ただの有名作寄せ集めではない。入手しづらかった作品や、朗読CD付き企画、同人誌掲載作、WEB公開作、本書のための書き下ろしまで含まれている。

つまり乙一ファンにとっては、尋常ではないありがたさなのだ。

収録作品・初出一覧は以下のとおり。

「毒殺天使」(『とるこ日記 “ダメ人間”作家トリオの脱力旅行記』)
「ウソカノ」(『失はれる物語』)
「おじいさんのひげのなか」(『BALLAD Issue #1』)
「電車のなかで逢いましょう」(『U-cafe オツイチ特集号』)
「ベッドタイム・ストーリー」(『ベッドタイム・ストーリー』)
「山羊座の友人」(『ファウスト Vol.8』)
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』)
「子羊たちの冒険」(『オレンジ文庫創刊10周年記念「魔法のある日常」リレー短編』)
「アテンド探し」(書き下ろし)

目次

白乙一と黒乙一、その境目は本当にあったのか

おすすめ度:(5.0)

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乙一を語るとき、よく「白乙一」と「黒乙一」という言い方が使われる。

前者は切なく優しい青春・恋愛・ファンタジー寄り、後者は残酷で冷えたホラーやサスペンス寄り。たしかに便利な整理ではある。

GOTH』のような鋭利な暗さもあれば、『失はれる物語』のように、孤独な心へそっと触れるような物語もある。読んだ時期によって、どちらの乙一に救われたか、あるいはどちらに叩き落とされたかは人それぞれだろう。

ただ、本書を通して読むと、その二色分けが少し怪しくなってくる。

たとえば『毒殺天使』は、もともと旅行記『とるこ日記』の袋とじに収録されたという出自からして変化球だ。脱力した旅の空気の横に、いきなり毒殺という不穏なモチーフが置かれる。この落差が乙一らしい。日常のすぐ隣に、冷たい穴が空いている。その穴を、本人は平然と覗き込む。怖いのに、文章はどこか淡々としていて、だからなおさら逃げ場がない。

一方で『ウソカノ』は、存在しない彼女をめぐる嘘から始まる青春の物語だ。設定だけ聞くと、少し間抜けで、笑える。けれど乙一が書くと、その嘘がただのギャグで終わらない。

見栄、孤独、友人関係の微妙な距離感。十代特有のくだらなさと切実さが、同じ皿に乗って出てくる。嘘なのに、その嘘を共有した時間だけは本物になってしまう。この感じはまさに乙一である。

『おじいさんのひげのなか』は、タイトルからして楽しい。おじいさんのひげの中に小さな世界がある、という童話めいた発想が中心にある。普通ならかわいい話に寄りそうなところを、乙一は妙な手触りを混ぜる。

メルヘンなのに、どこか不思議な不安が漂う。山白朝子的な幻想味ともつながっていて、名義をまたいでも同じ作家の想像力が息をしていることがよくわかる。

つまり、白と黒はくっきり分かれているようで、実際にはとても混ざり合っている。濃淡、と言ったほうが近いかもしれない。乙一の物語には、優しさの中に影があり、残酷さの中に救いの気配がある。

だから単純に、怖い、泣ける、だけで済まない。読んでいるこちらの感情が、いつも少し複雑な形にねじれるのだ。

乙一は、孤独な人間に変な通信手段を与える

本書を読んで改めて思うのは、乙一が「うまく繋がれない人」を書き続けてきた作家だということだ。

『失はれる物語』では、五感を失った人物が、残された身体感覚を通して他者と接触する。『Calling You』では、頭の中の架空の携帯電話が、孤独な者同士を結ぶ。

悠木四季

『Calling You』は『失はれる物語』に収録されている。マジの名作です。

そして本書収録の『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』では、視覚を奪われた主人公が、暗闇の中で声や気配にすがる。

乙一作品では、普通の会話があまり信用されていない。言葉をそのまま投げても、相手には届かない。あるいは、届いたと思った瞬間にすれ違う。

だから彼の物語では、電話、皮膚感覚、朗読、未来の新聞、振り子、暗闇の案内人のような、少し変わった通信手段がよく出てくる。人と人がまっすぐ向き合うのではなく、何かを経由してようやく触れ合う。

ここがたまらなく乙一的だと思う。『ベッドタイム・ストーリー』は、朗読企画として発表された背景もあって、声の存在が大きい。文字で読む物語でありながら、耳元で誰かが語っているような距離の近さがある。

SF的な仕掛けと恋愛感情が組み合わさり、時間や能力といった大きな要素が、最終的にはとても個人的な感情へ収束していく。このスケールの縮め方がいい。大きな仕掛けを出しておきながら、最後に残るのは一人の心の震えなのだ。

『山羊座の友人』は、本格ミステリ好きとしても血が騒ぐ一編である。ベランダに異世界から漂流物が流れ着き、そこへ未来の新聞が紛れ込む。この発想だけでもう楽しい。しかも、その新聞にはこれから起きる殺人事件が記されている。

未来を知ってしまった主人公が、悲劇を変えようと動き出す。SF、青春、サスペンス、いじめをめぐる痛み、そしてミステリ的な反転。その全部を一つの物語の中で破綻なく走らせるのだから、やはり乙一は構成が天才すぎる。

しかもただ技巧だけではない。未来を変えられるかどうかよりも、誰かが誰かを見捨てずにいようとすること。その不器用な行動のほうに、物語の熱が宿っている。

乙一のプロットは冷静に組まれているのに、核の部分ではいつも人間臭い。そういうところが好きなのだ。

三十年後の乙一は、暗闇を案内する側にいる

本書の後半に置かれた『子羊たちの冒険』と、書き下ろしの『アテンド探し』は、三十年という時間の重みを感じさせる。

『子羊たちの冒険』は、魔女の血筋と噂された祖母、水晶の振り子、ダウジング、母を探す小旅行といった要素を持つ青春ファンタジーだ。豊橋から東京へ向かう道のりには、ローカルな空気と十代の頼りなさがある。大冒険というより、少し背伸びした移動。その小さな旅の中で、登場人物たちは自分たちの過去や距離感に触れていく。

乙一の青春ものは、明るいだけではない。むしろ、青春の明るさをそのまま信じていないところがある。けれど、だからこそ信用できる。現実には、友情も恋も家族も、きれいに説明できるものばかりではない。

会えなかった人、言えなかったこと、思い違い、偶然、取り返しのつかなさ。そういうものを抱えたまま、それでも前に進む。そのぎこちなさを、乙一はとても丁寧にすくい上げる。

そして『アテンド探し』。タイトルにある『アテンド』は、暗闇の中で案内する人を思わせる言葉だ。本書の最後にこの題が置かれているのは、あまりにも象徴的である。

若い頃の乙一は、暗闇の中にいる少年少女を書いていた。誰にも理解されず、うまく話せず、世界の端でじっとしているような人物たち。けれど三十年を経た今、その視線は少し変わっているように感じる。暗闇に閉じ込められた人間を描くだけでなく、その暗闇の中をどう歩くか、誰がそばで案内してくれるのか、そこへ意識が向かっている。

これは作家の成熟という言葉で片づけるには、少しもったいない変化だ。乙一は、痛みそのものを書く作家から、痛みを抱えたまま歩く方法を書く作家へ移ってきたのではないか。もちろん、昔の鋭さが消えたわけではない。むしろ、その鋭さを知っているからこそ、今の柔らかさが沁みる。

私自身、乙一作品を読むと、読書にハマり始めた頃の本棚の前で感じたあの妙な胸騒ぎを思い出す(あの頃めちゃくちゃ乙一にハマっていた)。怖いのに読みたい。切ないのにページを止められない。こんな設定を思いつくのかと驚きながら、最後には人物の寂しさに持っていかれる。

ミステリ好きとしては仕掛けに唸り、物語好きとしては感情にやられる。忙しい。乙一を読むと、いつも自分の中の感情処理班が大変なことになる。

『乙一デビュー30周年記念自選短編集1996-2026』は、乙一の代表作だけを効率よく並べた入門書というより、作家の足跡を少し横道からたどるような短編集だ。

だからこそ面白い。商業誌、文庫書き下ろし、朗読企画、同人誌、WEB企画、書き下ろし。いろいろな場所で書かれた物語が一冊に集まり、乙一という作家の輪郭を別角度から浮かび上がらせている。

三十年分の乙一を読むことは、暗闇の種類を数えることに少し似ている。怖い暗闇、寂しい暗闇、優しい暗闇、誰かの声だけが届く暗闇。その中で、乙一の物語はいつも、完璧な救いではなく、小さな案内を差し出す。

だから私は、これからも乙一を読んでしまうのだと思う。

暗闇の中で差し出される手が、本当に救いなのか、それとも別の罠なのか。

わからないままページをめくる時間こそ、乙一文学のいちばん贅沢な味わいなのだから。

他の乙一おすすめ作品

少しでも乙一作品に興味を持っていただけたなら、『失はれる物語』『暗いところで待ち合わせ』『GOTH 夜の章』あたりをぜひ読んでみてほしい。ガチの名作なので。これを読むと乙一作品を全部読みたくなるはず。

Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

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悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

幸せだね。

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