石持浅海『あなたには、殺せません』- 殺す前から詰まされる、倒叙ミステリの異様な快楽【読書日記】

殺人を計画している人間が、犯罪相談所にやってくる。
相談内容はだいたい物騒だし、相談者たちはみんな真剣に人を殺そうとしている。
けれど、その真剣さを前にして、相談員が返す言葉があまりにも冷徹で、あまりにも論理的で、あまりにも石持浅海なのである。
『あなたには、殺せません』は、石持浅海による連作短編集だ。単行本は2023年7月に東京創元社から刊行され、2026年6月には創元推理文庫として文庫化された。
もともとは文芸誌『紙魚の手帖』で2022年から2023年にかけて連載された犯罪相談員シリーズであり、全5話が収められている。文庫版には書評家・若林踏による解説も加わり、石持浅海の倒叙ミステリとして改めて手に取りやすくなった。
倒叙ミステリといえば、犯人が最初からわかっていて、探偵役がその犯行の穴を暴いていく形式が基本だ。ところが本作は、その前提をひょいとずらす。犯行後ではない。犯行前なのだ。まだ誰も殺されていない段階で、相談者が殺人計画を持ち込み、相談員がその計画の欠陥を淡々と指摘する。
つまりこれは、殺人計画の事前検証である。犯罪のデバッグ。物騒なコンサルティング。ミステリとして考えると、とんでもなく楽しい。倫理的に考えると、まったく楽しくない。そこがいい。
石持浅海のロジックは、いつも人の情緒をすっと横に置き、状況そのものを冷たい刃物のように切り分けていく。
本作ではその刃が、殺意を抱えた人の計画に向けられるのだ。
犯罪を止める場所なのに、なぜか犯罪計画が磨かれていく
本作の舞台となるのは、犯罪を犯すしかないと思い詰めた人のためのNPO法人、いわば犯罪相談所である。
理念だけ聞けば、社会的意義のある場所に思える。追い詰められた人を受け止め、犯罪に走る前に踏みとどまらせる。まっとうだ。実にまっとうな看板である。
しかし、そこで行われる相談は、私たちが想像するような心のケアとはだいぶ違う。相談員は、相談者の苦しみに深く寄り添うわけではない。怒りを受け止め、涙を拭い、人生をやり直す道を示すわけでもない。ただ、殺人計画を聞き、その計画がなぜ成立しないのかを説明するのだ。
この冷たさがすごい。しかも相談員がいるのは、特別な1号室だ。防音。録音なし。録画なし。外部に会話が漏れる心配もない。相談者は自分で飲み物を持参し、相談所側は余計な痕跡を残さない。お茶の一杯すら出さないあたりに、この場所の異様さがにじむ。ここには人間的な温かさよりも、リスク管理と論理の衛生が優先されている。
その空間で相談員は、ニュースを読むアナウンサーのように明瞭な口調で、殺人計画の不備を指摘していく。アリバイが甘い。人間関係から捜査線上に浮かぶ。現場の偶然を制御できない。動機が濃すぎる。第三者の行動が読めない。警察はそこまで都合よく無能ではない。
言っていることは、たしかに犯罪抑止である。だが、ミステリ的には別の効果も生んでしまう。計画の穴を指摘された人は、そこで諦めるとは限らない。むしろ、穴がわかったなら塞げばいい、と考えてしまうのだ。殺意を持った人間に、論理の助言を与えてしまう恐ろしさ。本作のブラックユーモアは、このねじれから生まれている。
相談員は殺人を止めようとしている。けれど、その言葉は時に、より洗練された犯行への案内図にもなってしまう。ここがすごく嫌な味わいだ。
石持浅海のミステリを読んでいると、ロジックとは本来、人を救う道具なのか、それとも追い詰める道具なのか、わからなくなる瞬間がある。本作はその感覚を、かなり鋭利な形で突きつけてくる。
五つの殺意が見せる、人間のどうしようもなさ
収録作は全5話。いずれも相談者が1号室を訪れ、殺したい相手について語り、自分なりに組み立てた計画を提示する。相談員はそこに潜む欠陥を見つけ出し、あなたには殺せません、と突き返す。
第一話『五線紙上の殺意』では、音楽活動をともにしていた相手への恨みが語られる。信頼していた相方に楽曲を奪われたという怒り。創作をする人にとって、これはかなり根の深い裏切りだろう。
自分の中から生まれたものを盗まれる。しかも相手は近しい人物。殺意に至る心理は理解できてしまう部分もある。だからこそ怖い。理解できることと許されることは、まったく別の話なのに、人はしばしばその境目を見失う。
第二話『夫の罪と妻の罪』は、さらに性格が悪い。夫が犯した罪を目撃した妻が、社会的破滅を避けるために夫を殺そうとする。ここには愛情の残骸よりも、保身と世間体と計算が渦巻いている。
夫婦という最も近い関係が、犯罪の隠蔽と自己保存のゲーム盤に変わるのだから、ぞっとする。しかも、そのぞっとする感覚の中に、妙な可笑しさが混じる。人は追い詰められるとここまで自分本位な理屈を組み上げるのか、という黒い笑いだ。
第三話『ねじれの位置の殺人』では、水難事故で亡くなった女性をめぐり、残された人物の復讐心が描かれる。双子の姉が妹を見捨てたのではないか。
そう考えた人物が殺意を抱くわけだが、この話で効いているのは、思い込みの危うさである。人は自分の痛みを説明するために、誰かを加害者にしたくなる。もちろん真相は単純ではない。だが、単純ではないからこそ、復讐の論理は暴走する。
第四話では、DV被害者をめぐる見殺しと責任転嫁が火種となる。怒りの理由は重く、相談者の憤りにも一定の切実さがある。けれど、だからといって犯罪計画が正当化されるわけではない。石持浅海はここで、怒りの正しさと計画の破綻をきっちり分けて描く。感情としてはわかる。だが実行すれば詰む。その冷えた距離感がたまらない。
そして第五話『完璧な計画』。同性の恋人を失いかけた人物が、その愛を歪んだ方向へ煮詰めていく。ここに至って、相談者の計画は非常に精密になる。相談員も容易には崩せない。だからこそ、最後に浮かび上がるのは、殺人という行為そのものの空しさだ。
どれだけ計画が整っていても、どれだけ捕まらない可能性を積み上げても、そこには決定的な欠落がある。相手を殺しても、望んだ形では何も手に入らない。その事実が、ミステリのロジックを越えて胸に残る。
石持浅海のロジックは、人を救わないから怖い

絵:悠木四季
石持浅海といえば、特殊な状況を作り、その中で登場人物たちに徹底的な推理をさせる作家という印象がある。
『扉は閉ざされたまま』では、閉ざされた扉をめぐる心理と論理が緊密に絡み合い、『月の扉』ではハイジャックされた機内という極限空間で会話と推理が展開される。『殺し屋、やってます。』シリーズでは、殺し屋という非日常の存在が、日常の謎めいた出来事を処理していく。
どの作品にも共通しているのは、状況が先にあり、その中で論理が動き出す感覚だ。人物の感情が物語を引っ張るというより、作られた状況の中で感情が論理に巻き込まれていく。そこに石持浅海らしさがある。
『あなたには、殺せません』は、その作家性を最小単位まで圧縮したような連作だ。場所はほぼ相談室。やることは対話。大きなアクションも派手な捜査もない。それなのに、読んでいる最中の緊張感は妙に高い。なぜなら、相談者の言葉のひとつひとつが、犯行の可能性と失敗の予兆を同時に含んでいるからだ。
さらに面白いのは、相談者の語りが本当に信用できるのか、という点である。彼らは自分の殺意を正当化するために、相手がどれほどひどい人物かを語る。裏切られた。見捨てられた。奪われた。罪をなすりつけられた。たしかに、その話だけを聞けば怒りたくもなる。
しかし、そこに相手側の視点はない。語られているのは、殺そうとしている側の物語だけだ。人間は自分の痛みを語るとき、無意識に自分に都合のいい編集をする。悪意を持って嘘をつく場合もあれば、本気でそう信じ込んでいる場合もある。本作の不気味さは、まさにそこに宿っている。
相談員は、その真偽を深追いしない。あなたの話が正しいとしても、その計画では無理です。そんな態度である。ここがまた怖い。善悪ではなく、成否。救済ではなく、検算。殺意の倫理ではなく、殺人計画の実現可能性。人の感情を、ここまでドライに扱うミステリはそう多くない。
だからこそ、本作は単なる変化球の倒叙ミステリでは終わらない。犯人が誰かを当てる楽しみではなく、殺意がどこで破綻するのかを見る楽しみ。あるいは、破綻したはずの殺意がどんな方向へ転がるのかを見届ける楽しみ。そこに、石持浅海ならではの黒い娯楽性がある。
ミステリとしては、犯行前に計画を崩すという発想がまず楽しい。短編集としては、五つの殺意がそれぞれ違う角度から人間の愚かさを照らしていて飽きさせない。
そして読書としては、ロジックの精密さに感心しながら、自分の中の黒い好奇心まで覗かれているような落ち着かなさがある。
石持浅海は、殺意を劇的に燃やすのではなく、論理で冷却し、分解し、再配置する。その結果、感情だけでは見えなかった人間の歪みが、くっきり浮かび上がる。
『あなたには、殺せません』は、倒叙ミステリの形を借りた、殺意の検算書であり、人間心理のブラックな観察記録でもあるのだ。



