『天狗岳怪死事件まとめファイル』- そのファイルを開いた瞬間、もう事件の外側にはいられない【読書日記】

山の怪死事件。
失踪した登山サークルの男女六人。
警察が早々に幕を引いた事故扱い。
そして、一年後に浮かび上がる新聞記事の小さな食い違い。
もう、この並びだけで嫌な予感(ワクワク)がする。しかも舞台は八ヶ岳連峰の天狗岳である。
天狗岳。名前からしてよすぎる。この時点で脳内では、山岳遭難、怪異、隠蔽、古い因習、謎の実験施設あたりが勝手に渋滞を始めてしまう。こちらはまだ表紙を眺めているだけなのに、頭の中ではもう吹雪が吹いている。
SCRAPによる『天狗岳怪死事件まとめファイル -登山サークル男女6人失踪の謎-』は、いわゆる普通の小説とは感触が違う。
ページを順番に追って物語を受け取るというより、事件資料を渡されて、さあ君も調べてくれ、と机の前に座らされるタイプの作品である。
新聞記事、関係者の証言、写真、公的資料、設問。そうした断片が、まとめファイルという形で積み上げられていくのだ。
これがとても厄介で、そして楽しい。何しろ、こちらは物語の外側から眺めているつもりなのに、いつの間にかペンを持って資料を見比べている。
何かおかしくないか。この証言は、前のページと合っていないのではないか。この写真の扱い、妙ではないか。そんなふうに、思考が勝手に捜査モードへ切り替わっていく。
つまりこの作品を一言で言うと、事件を読むのではなく、事件に手を突っ込む本である。
資料を読むだけでなく、資料に疑われる感覚
本作の導入はとてもシンプルだ。二つの新聞記事の食い違いから、天狗岳で起きた怪死事件の再調査が始まる。
これだけなら、ミステリではおなじみの発端である。表向きは事故。しかし、細部を見るとどこかおかしい。警察の判断に納得できない人物が現れ、記者とともに事件の奥へ踏み込んでいく。
ただ、本作の面白いところは、その違和感を作中人物だけが見つけるのではなく、こちらにも実際に探させる点にある。資料を読み、設問に答え、ページを行き来しながら矛盾を拾う。
普通の小説なら、探偵が発見した手がかりを後から知らされることが多い。しかし本作では、手がかりの前に自分が置かれる。ここがとても重要である。
つまり、名探偵の後ろ姿を眺めるのではない。自分が記者席に座らされるのだ。しかも、渡される資料は親切すぎない。全部を読めばわかるようにはなっているが、ぼんやり流すと見逃す。
これがいい。こういう作品に向き合うと、急に姿勢がよくなってしまう。カフェで読むつもりが、気づいたら受験生みたいに本文へ線を引きたくなる。何なら付箋も貼りたくなる。
本作の推理は、難解な暗号や突飛なパズルを解く方向ではない。中心になるのは、資料間の食い違いを見つける作業である。証言と新聞記事、写真と説明、時系列と行動。そうした情報を照合し、引っかかる点を洗い出していく。
この作業が、思った以上に現代文である。これは悪口ではない。文章を丁寧に読み、必要な情報を抜き出し、文脈と照らして矛盾を見つける。ミステリ小説の楽しさと国語の読解問題が、奇妙な形で握手しているのだ。
しかも握手したあと、二人で山に登って怪死事件を調べ始める。どういう状況だ!と思う。でも、それが本作の楽しさである。
フェイクドキュメンタリーとしての嫌な生々しさ
『天狗岳怪死事件まとめファイル』が単なる謎解き本にとどまらないのは、フェイクドキュメンタリーとしての手触りが濃いからだ。
舞台が実在感のある山岳地帯であり、事件の発生年も近い。資料の作りも、いかにもありそうな温度で整えられている。新聞記事、証言、現場写真、調査メモ。こういうものが並ぶと、人間の脳はなかなか素直で、これは作り物だとわかっていても、どこかで身構えてしまう。
特に、遺体や事件現場にまつわる描写はかなり容赦がない。白黒写真であっても、そこに映っているものを想像してしまう。文字情報だけならまだ距離を取れるのに、写真や資料の形になると急に逃げ場がなくなる。これがフェイクドキュメンタリーの怖さである。
小説なら、文章の向こう側に虚構の幕がある。だが資料形式になると、その幕が薄くなる。まるで事件のコピーを手元に置いているような感覚になる。自分の部屋の机の上に、誰かの死の痕跡が置かれている。これは冷静に考えるとかなり不穏である。しかし、嫌だなあ、と言いながら次のページを開いてしまう。なんと業が深いことか。
しかも本作では、事件が警察によって早期に処理されたという設定がある。事故として終わったはずの出来事に、別の真相が潜んでいるかもしれない。
この構図は、ミステリのエンジンとして非常に働きがいい。公式発表の裏に何かあるのではないか。誰かが見落としたのか、それとも見落としたことにしたのか。その疑念が、調査を先へ進める燃料になる。
ここで本作が面白いのは、陰謀論めいた気分に寄りかかりすぎないところだ。あくまで必要なのは、資料を読むこと。感情的に疑うのではなく、根拠を探す。怪しい、だけでは先へ進めない。どこが、なぜ、どう食い違っているのか。それを示さなければならない。
このあたりに、とても現代的な感触がある。情報が山ほど流れてくる時代に、私たちは何を信じるのか。公式の説明を丸呑みにするのか。逆に、すべてを疑いすぎて迷路に入るのか。
本作はその中間で、まず資料を見ろ、と言ってくる。ミステリとしても、情報リテラシーの訓練としてもとても骨があるのだ。
謎解き本ではなく、事件調査のごっこ遊びである
SCRAP作品というと、やはり謎解きや脱出ゲームの印象が濃い。
ひらめき、パズル、暗号、仕掛け。そういうものを期待して本作を手に取ると、少し意外に感じるかもしれない。本作の難易度はそこまで高くない。パズルの歯ごたえを求める人には、あっさりめに映る部分もあるだろう。
ただ、そこを欠点と見るかどうかは、この本に何を求めるかで変わる。私は、本作は高難度パズルで殴りにくる作品ではなく、事件調査のごっこ遊びを本気でやらせる作品だと思っている。ごっこ遊びと言うと軽く聞こえるかもしれないが、これは大事な言葉である。
結局、ミステリ好きは基本的にごっこ遊びが好きなのだ。名探偵ごっこ。捜査会議ごっこ。アリバイ表を作るごっこ。容疑者の証言を並べて、こいつが怪しいな、と勝手に眉間へ皺を寄せるごっこ。もちろん大人なので普段は澄ました顔をしているが、心の奥ではいつでも捜査本部を立ち上げたいと思っている。少なくとも私はそう思っている。
本作は、その欲望に対して素直に応えてくれる。物語の中に入って、資料を読み、設問に答え、真相へ近づいていく。複雑すぎるパズルで足止めされることが少ない分、テンポよく事件の奥へ進める。
三時間前後で完走できるボリューム感も、現代の娯楽として扱いやすい。休日の午後に一気に取り組むのにもいいし、夜に始めてしまって、寝る前に妙な気分になるのにも向いている。後者はおすすめしていいのか少し迷うが、まあ、そういう楽しみもある。
さらに、紙の本でありながらデジタル要素も組み込まれているのもポイントだ。読了後にカラー資料を確認できる仕組みは、白黒の本編を読み終えたあとに、もう一度事件を見直すきっかけになる。これは単なるおまけではなく、調査の余波として面白い。
真相にたどり着いたあと、あらためて資料を見る。あのとき見落としていたもの、薄くしか見えていなかったものが、別の輪郭を持ち始める。こういう二段階の楽しませ方は、体験型コンテンツならではの味である。
本という媒体の限界を、逆に演出へ変えているところもいい。写真が白黒であること、情報がページに固定されていること、資料を自分で行き来しなければならないこと。その不便さが、調査している感じにつながっている。
検索窓に言葉を入れて一発で答えが出るのではなく、紙を戻り、目で探し、文脈を拾う。その手間が、事件へ触れている感覚を作るのだ。
『天狗岳怪死事件まとめファイル』は、ミステリ小説、謎解き本、フェイクドキュメンタリー、ARG的な遊びのちょうど境目に立っている作品だ。どれか一つの枠にきれいに収めるより、境界で遊んでいるところに魅力がある。
事件の真相を追う楽しさはもちろんある。だが、それ以上に面白いのは、自分がどう情報を読んでいるかを試される点である。
何を疑い、何を見逃し、どこで立ち止まるのか。真相へ近づく過程で、自分の読み方まであぶり出される。これがなかなかスリリングだ。
天狗岳で何が起きたのか。その答えを知るためにファイルを開く。けれど、開いた瞬間から、もうただの傍観者ではいられない。
資料は黙って並んでいるようで、実はずっとこちらを試している。
さあ、あなたは気づけるか?
そう言われている気がするのだ。
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