三津田信三『囁く逆婿 怪民研に於ける記録と推理』- 死者の婿が囁くとき、論理はどこまで怪異に勝てるのか【読書日記】

亡くなった姉の婚礼披露宴に、自分の代わりに出席してほしい。
無明大学の怪異民俗学研究室、通称・怪民研に出入りする瞳星愛が、後輩の百古里民恵から持ち込まれた相談は、そんなところから始まる。
花嫁となる美々子はすでに密室状態の中で謎の死を遂げており、相手の慎之輔もこの世にはいない。つまり執り行われるのは、死者と死者を結びつける霊婚、あるいは冥婚と呼ばれる婚礼なのだ。
しかも、亡き婿の代わりとして宴席に据えられるのが、本人そっくりに造られた等身大の生き人形である。
三津田信三の作品を読むたびによくこんな嫌なものを思いつくなあと惚れ惚れするのだが、今回の婚礼も相当に嫌だ。等身大の生き人形なんて……。
死者を弔うための儀式だったはずが、肖像画と人形と生首の配置によって少しずつ別のものへ変わり、そこへ首のない何かが暗闇を歩く気配まで混ざってくる。祝いの場と死の匂いが最初から同居していて、何が起きてもおかしくないという緊張がずっと消えない。
2026年7月刊行の『囁く逆婿 怪民研に於ける記録と推理』は、三津田信三の作家生活25周年、単著50作目にあたる記念作であり、怪民研シリーズでは『歩く亡者』『寿ぐ嫁首』に続く第3作となる。
記念作だから豪華にした、という単純な話では済まない。
七人もの犠牲者が出る壮絶な事件、冥婚という民俗モチーフ、首なし死体、生き人形、密室、多重推理まで詰め込まれ、三津田ホラーミステリの好きなところを一気に浴びせられたような長編だった。
死者の婿を迎える旧家で、祝宴が惨劇へ変わる
愛が向かう婚礼の場には、すでに死んだ花嫁と婿の気配が濃厚に漂っている。
死者同士を結婚させる冥婚そのものは東アジア各地に存在し、日本でも東北地方のムカサリ絵馬などにつながる風習として知られているが、三津田信三が面白いのは民俗資料をそのまま怪談の飾りにして終わらせないところだ。
舞台は昭和30年代。都市では高度経済成長によって暮らしが急速に変化している一方、地方へ行けば古い家制度や伝承、土地の習俗がまだ生活のすぐ隣にある。
近代化へ片足を踏み入れながら、もう片方の足は昔から続く薄暗い場所に残っている。その境目に冥婚を置くことで、登場人物たちも、それを単なる迷信として笑い飛ばすことができない。
しかも今回の儀礼では、慎之輔の身代わりとなる生き人形が用意されているのだが、この人形が素晴らしく気味が悪い。
亡くなった人間の代用品として作られたはずなのに、そこへ生首が置かれたり、暗闇の中で人ならざる動きを感じさせたりするうちに、誰が誰の身代わりなのかという関係まで崩れていく。
そして耳にまとわりつく、ざっ、ずっ、ざぁっ、という音。
暗闇の向こうに何がいるのかを見せるより、まず音だけを近づけてくる演出が怖い。個人的に、ホラー小説は姿形を細かく説明される場面より、いるのかいないのか判断できない段階のほうが怖いのだが、本作はそこを執拗に攻めてくる。
首のない影が歩いているのか、生き人形が動いているのか、それとも人間が何かを仕掛けているのか。答えを決めようとするたび、その横から別の可能性が顔を出す。
そこへ毒殺をはじめとする殺人が重なり、婚礼のために集まった一族と関係者は一気に惨劇の中心へ放り込まれる。登場人物も多く、人間関係を把握するまで多少集中力は要るものの、この混線そのものが旧家の閉塞感とよく噛み合っていた。
誰と誰がどんな関係にあり、誰が死者へ何を抱えているのか。その感情の絡まりが、そのまま事件の複雑さへつながっていく。
怖がりな天弓馬人が、怪異を論理で追い詰める
怪民研シリーズで私が好きなのが、瞳星愛と天弓馬人の役割分担である。
怪異を引き寄せる体質を持つ愛は、とにかく現場へ行く。過去に恐ろしい体験をしているにもかかわらず、妙な相談を受ければ旧家へ足を運び、嫌な儀式にも立ち会い、そこで起きたことを持ち帰る。
対して刀城言耶の弟子である天弓は、膨大な知識と推理力を持ちながらとんでもなく怖がりだ。普通なら名探偵の欠点になりそうな性格が、このシリーズでは推理の燃料になっているのがいい。
怪異が本当に存在すると認めたら怖くて仕方がない。だから天弓は、愛が持ち帰った首なしの影も、生き人形の怪現象も、不自然な死体も、とにかく論理で説明しようとする。
怪異を解体したいという欲求より、怪異であってほしくないという切実さのほうが先に立つので、研究室での推理場面にも妙な必死さがある。この構造が三津田ホラーミステリと抜群に相性がいい。
首なし死体や首のすげ替えといえば、どうしても著者自身の傑作『首無の如き祟るもの』を思い出すが、本作ではその蓄積を踏まえながら、別の角度から首というモチーフを組み直している。
雪の密室、生き人形、消えた首、人物の入れ替わりを疑わせる状況。古典本格でも何度となく扱われてきた道具が並ぶのに、冥婚と旧家の因習が重なることで、論理パズルの部品がすべて呪物めいて見えてくるのが面白い。
シリーズの背景には当然、刀城言耶もいる。民俗学者にして作家である言耶は不在がちなため、天弓が研究室を預かっているのだが、刀城言耶シリーズと同じ昭和30年代の世界に怪民研が存在しているだけでも、長く三津田作品を読んできた身にはうれしい。
鬼無瀬警部や谷藤刑事まで登場し、血なまぐさい現場で現実的な捜査態勢を整えてくれるので、怪異へ傾きすぎた空気に別方向から圧力がかかる。
このシリーズ同士がゆるく接続している感覚も、単著50作目という節目にふさわしい遊びだと思う。
七転八倒の推理の果てで、それでも怪異が囁く
そして『囁く逆婿』で最も興奮したのは、やはり終盤だった。
三津田作品の解決編では、一つの推理を提示して事件終了、とは簡単にいかないことが多い。
本作ではその傾向がさらに激しく、天弓が組み立てた解釈が成立したかと思えばわずかな矛盾が引っかかり、そこから別の可能性へ踏み込み、さらにその説明にも穴が見つかる。
首なし死体ひとつ取っても、なぜ首がないのか、誰の首なのか、なぜその状態で発見される必要があったのかと、謎が別々の方向へ枝分かれしていく。
一度納得しかけたところから床を抜かれるように推理が更新されるので、解決編へ入ってからページをめくる速度がまったく落ちない。
犯人を当てることだけをゴールにせず、事件の構造そのものを何度も組み替えて見せるタイプの本格が好きなら、この終盤はたまらないはずだ。
しかも三津田信三は、論理ですべて説明したあとに恐怖を片づけてくれない。人間が仕掛けた犯罪として説明できた部分が増えるほど、本来なら安心できるはずなのに、最後までどうしても説明し切れない気配が残される。
三津田作品はこの境界がいちばん怖い。怪異と思われた現象に合理的な説明が与えられる一方、その説明からわずかにはみ出したものがこちらを見ている。
ホラーとミステリの両立とはよく言われるが、この二つを仲良く半分ずつ配置するのではなく、論理が怪異を追い詰めた末に怪異のほうが別の場所から戻ってくるのが三津田信三なのである。
本作では、その攻防が本当に最後まで続く。犯人、動機、首をめぐる仕掛け、冥婚の意味が次々と反転し、そろそろ終わるだろうと思って残りページを確認しても、まだ何かが潜んでいる。
事件が解決した安心感に浸る時間をほとんど与えず、結末ぎりぎりまで推理と恐怖を押し込んでくる構成には、単著50作を書いてなお本格ミステリで遊び続ける作家の執念さえ感じた。
怪民研シリーズは、瞳星愛の大学生活に合わせて全4作で完結する予定だという。第1作では大学1年、第2作を経て、『囁く逆婿』では3年生となった愛も、次はいよいよ卒業の年を迎える。
ただ、今回の婚礼を思い返すと、卒業まで無事にたどり着けるのか少し心配にもなる。
死んだ花嫁のために用意された席、そこへ迎えられた等身大の婿、膝の上に置かれた首。
そして暗闇のどこかから近づいてくる、ざっ、ずっ、ざぁっ、という音。
天弓馬人がどれだけ論理を積み上げても、その音だけは真相の向こう側からまだ近づいてきそうなのである。


