『Q この漫画に見覚えがある方はお知らせください 特装版』発見された漫画原稿という恐怖【読書日記】

『この漫画に見覚えがある方はお知らせください』
このタイトルは、作品名というより、駅の掲示板や古い新聞広告に紛れ込んでいそうな告知文である。
誰かを探しているのか、何かの記憶を掘り起こそうとしているのか、それとも、うっかり反応した人間を巻き込もうとしているのか。開く前から、こちらはもう読む人より証言を求められた人に近い場所へ立たされている。
一迅社の「comic HOWL」「一迅プラス」から生まれ、通常版と特装版が同時刊行された本作は、ホラープロジェクト『フェイクドキュメンタリーQ』が漫画という媒体に仕掛けた、ずいぶん物騒な実験である。いや、実験というより、メディアの引っ越しを装った侵入と言ったほうが近い。
YouTubeで培われたモキュメンタリーの呼吸、実録っぽさ、説明しすぎない余白、見ている側が勝手に考察を始めてしまう構造。それらを映像から紙へ、デジタルの暗がりから本棚の中へ移している。
断片、欠落、証言、編集された資料、出所不明の原稿。こういうものが並ぶだけで、読んでいる側の頭は勝手に動き出す。誰が描いたのか。なぜ残ったのか。なぜ今になって公開されたのか。
ひとつずつ確かめたくなるのに、本作は安心できる答えを簡単には渡してくれない。
むしろ調べようとするほど、「考察すること自体が、すでに罠へ足を踏み入れる行為なのでは」という嫌な感覚が膨らんでいくのだ。
物語より先に、物として怖い
『Q この漫画に見覚えがある方はお知らせください』の中心にあるのは、comic HOWL編集部に届いたり、どこかから発見されたりした曰く付きの漫画原稿を公開する、という枠組みである。
これがもう強い。ホラーにおける「発見されたテープ」「押し入れから出てきた日記」「差出人不明の封筒」の系譜を、漫画原稿へ置き換えている。
漫画という媒体は、普段なら絵とコマを通じて物語へ入っていくものだ。しかしこの作品では、まず原稿用紙の存在感が前に出る。誰が描いたのか。なぜ残っているのか。どうして今、私たちの前に出てきたのか。
紙のしわ、線の粗さ、絵柄の古さ、ページの欠落。その全部が情報になる。ここで起きているのは、物語鑑賞というより、ほとんど書誌考古学である。犯行現場に残されたメモを読む感覚にも近い。紙面そのものが証拠品なのだ。
0話『トム&クーピー』の設定がまた嫌な手つきで面白い。2002年、人口約3000人の町に住むKさんの家へ、差出人不明の封筒が直接投函される。中には「よんで下さい」と書かれた便箋と、未完成の漫画原稿。
表紙には可愛らしい青年と小生物が描かれているのに、中身を開くとエリア51をめぐる劇画調の粗い下書きが現れる。この表紙と本編のズレが、すでに不快なほど気持ち悪い。可愛い顔をして玄関に立っていた何かが、上がり込んだ瞬間に別の姿を見せる感じである。
しかも作画者名として出てくる「織川隆智」は、実在を確かめきれない人物として置かれている。こういう名づけの絶妙さにもぞくっとする。妙にありそうで、検索しても輪郭がつかめない名前。身元不明の人物を追っているときの、あの確認作業の興奮がある。
ところが本作の場合、確認すればするほど霧が深くなる。調査のつもりで読み始めたはずが、いつの間にか怪談の証言者にされている。この足場の外し方がすごくいい。
古い漫画の顔をした、メディア横断の怪異
※読むと呪われるとされる漫画を
一部収録しています。
いかなる事象が起きても、
弊社は一切の責任を負いかねますので、
閲覧は自己責任でお願いいたします。本書で紹介する漫画の著者について心当たりのある方、
漫画の内容を読んで何かにお気づきの方がいらっしゃいましたら、
ぜひ編集部まで情報をお寄せください。『Q この漫画に見覚えがある方はお知らせください 特装版 (HOWLコミックス)』Amazonより引用
『フェイクドキュメンタリーQ』は、映像のプロジェクトとしてよく知られている。画面の奥に映ったわずかな違和感、説明されないまま残る映像の断片、公式が言い切らないことで広がる考察の余地。そうした作家性が、この漫画版にも濃く流れ込んでいる。
ただ、映像の怖さを漫画にそのまま持ち込むだけなら、ここまで面白くはならなかったはずだ。本作がすごいのは、漫画の弱点に見える部分を、きちんと恐怖の装置へ変えているところにある。
映像には音がある。間がある。カメラの動きがある。漫画にはそれがない。だからこそ、ページの固定された感じ、コマの余白、線の掠れ、古い印刷物めいた質感が前面に出る。映像でいうノイズを、鉛筆線やトーン、紙の手触りへ翻訳しているのだ。
1話『四代目転生記 ツバキ』は、狐、猫、蛇に似た可愛らしい何かに取り憑かれた高校生・山村椿の話として始まる。入口だけ見れば、少し奇妙なファンタジー風味にも見える。けれど、線の揺れやコマ割りの違和感が、少しずつ日常の床板を剥がしていく。
可愛いものが可愛いまま怖い、というのはホラーにおいて強烈な武器である。怖い顔をした怪物より、愛嬌のある顔でこちらを見てくる異物のほうが逃げ道を塞いでくる。人間は可愛さに油断する。そこを踏み抜かせる構造がいやにうまい。
2話『八百比丘尼伝説』もすばらしい。古い商業漫画のような画風に擬態し、昭和後期から平成初期あたりの空気をまとわせながら、地方の伝承と不老不死の気配を絡めてくる。ここで面白いのは、古さが単なる懐古趣味に見えない点だ。古い漫画の顔をした別の何かが、文化の地層から掘り起こされてしまった感覚がある。
そのうえ、モノクロのページに突然カラー写真が差し込まれる。これが反則級に怖い。漫画の中の出来事として読んでいた世界へ、いきなり現実の質感が乱入する。地の文の途中に証拠写真を叩きつけられるようなものだ。絵の中に閉じていたはずの不安が、写真によってこちら側へ半歩出てくる。ページをめくる手が、そこで一瞬だけ別の重さを持つ。
3話『アツシのリスト』は、呪われた原稿という王道の素材を、編集者や漫画業界の噂と結びつけてくる。持ち込み原稿を読んだ人々に災厄が起き、回収され、お焚き上げされたはずの原稿。
その幻の5作目が、骨董競売を経て姿を現す。怪文書、失われた原稿、業界内の噂、処分されたはずの資料。こういう単語が並ぶだけで、もうこちらの好奇心はきれいに釣り上げられてしまう。
しかも掲載されるのは「安全な一部」だけという体裁である。全部を見せない。ここが賢い。ホラーは空白を与えられた瞬間、読む側の頭の中で勝手に増殖する。
隠されたページに何が描かれていたのか。なぜそこは伏せられたのか。本当に伏せれば安全なのか。
考えたくないのに考えてしまう。この能動性の強制こそ、フェイクドキュメンタリーQらしい罠である。
特装版の小冊子が、部屋に怪異を持ち込む
特装版を語るうえで外せないのが、追加取材小冊子である。これが付くことで、本作はただの単行本から、危ない資料束のような顔つきに変わる。
Web上で公開され、その後に削除された0話『トム&クーピー』に関する追加取材と、生原稿の複製。その設定だけで、紙の本を買う行為そのものが少し変質する。
デジタル上で消えたものは、日々いくらでもある。動画、投稿、画像、告知、誰かの証言。消えたものは検索に引っかからなくなり、タイムラインの底へ沈み、やがて最初からなかったかのように扱われる。しかし特装版の小冊子は、その消えたはずのものを物理的な重さに変えて、手元へ届けてしまう。
これが怖い。スマホの画面なら閉じれば済む。ブラウザならタブを消せる。けれど紙の冊子は部屋に残る。本棚に立つ。机に置かれる。夜中にふと思い出す。
ここで本作は、ホラーの居場所を画面の中から生活空間へずらしてくる。YouTubeの映像なら、画面越しの距離がある。コメント欄で考察し、再生を止め、戻って確認する余裕もある。ところが特装版は、情報が紙としてこちらの所有物になる。持っていること自体が、ちょっとした共犯関係めいてくるのだ。
この感覚がたまらなく好きで、同時に嫌だ。好きで買ったのに、買ったせいで巻き込まれている気がする。ホラー好きの業の深さ、ここに極まれりである。
また、comic HOWLという掲載場所も面白い。『変な家』のように図面や現実の形式を使って恐怖を立ち上げる作品が注目されるなかで、本作は漫画原稿そのものを恐怖の装置にしている。間取り図が家の秘密を語るなら、こちらは原稿用紙が事件の痕跡を語る。似ているようで、触っているメディアが違う。
図面は読むための資料だが、漫画原稿は本来、物語を届けるための素材である。その素材が、物語よりも先に不穏な証拠品としてこちらへ迫ってくる。この倒錯が抜群に面白い。
この作品に明確なオチやすっきりした解決を求めるのは違うと思う。この作品が狙っているのは、謎を解いて安心させる快感とは別の場所にある。解けそうで解けない断片をこちらへ渡し、読む側を考察の沼へ誘導するのだ。
しかもその沼は、足を取られるほど楽しい。説明不足というより、未整理の資料を渡されたときの不安と興奮。その感覚を、漫画として成立させている。
『Q この漫画に見覚えがある方はお知らせください 特装版』は、漫画、動画、取材資料、ロストメディア、都市伝説、出版流通、書店特典まで巻き込みながら、ホラーの輪郭を現実の側へ広げていく。
怪物が飛び出すわけでも、派手な惨劇で脅かすわけでもない。怖いのは、これを読んでいる自分の位置がいつの間にか変わっていることだ。鑑賞者のつもりでページを開いたのに、気づけば情報提供を求められた関係者の席に座らされている。
読んでいて面白いのは、最後まで「これは本当にただの漫画なのか」という疑いが消えないところだ。古びた絵柄、急に差し込まれる写真、削除された0話、特装版の追加取材小冊子。
そういう要素が積み重なることで、ただ怖い話を読んでいる感覚からだんだん、変な資料を見てしまった感覚に変わっていく。
『この漫画に見覚えがある方はお知らせください』
見覚えなんてあるはずがない。そう思いたい。しかし、古びた絵柄、差し込まれた写真、削除された0話、追加取材小冊子の質量が、妙にこちらの記憶をつついてくる。
知らないはずのものを、どこかで見た気がしてくる。
そんな気がしてしまったら、それはもうフェイクドキュメンタリーQの術中にハマっているということだ。
悠木四季最後にもう少し言わせてほしい!
近年はモキュメンタリーホラーが豊作すぎて、正直ちょっとお腹いっぱいになる瞬間もある。
考察系、失踪系、実録風、怪文書風。あちこちで不穏な資料が発見され、誰かが行方不明になり、画面の端に変なものが映る。
もちろん楽しい。楽しいのだが、胃袋にも限界がある。
そんな中で、私にとって『フェイクドキュメンタリーQ』だけは完全に別腹である。あの、説明しきらないのになぜか見続けてしまう感じがどうにも好きなのだ。
だから本作が気になった人には、『イシナガキクエを探しています』『飯沼一家に謝罪します』『フェイクドキュメンタリーQ』といった関連書籍もあわせておすすめしたい。
映像で見ていた不安が、文章や紙の形になると、また別の嫌な手触りを持ち始める。
その流れの中で読むと、この漫画版がやろうとしていることの面白さも、よりはっきり見えてくるはずだ。
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