M・W・クレイヴン『ブラッディダイスの殺人』- 狙撃手はなぜ20面体ダイスを振るのか?【読書日記】

真夏の英国から人が消えた。
街には狙撃手がいる。いつ、どこから撃ってくるのか分からない。
すでに十七人が殺され、標的となった人々には年齢も職業も人種も共通点が見つからない。犯人は一発も外さず、狙撃地点にも規則性らしいものがない。
猛暑にもかかわらず、人々は窓を閉め、カーテンを引き、できるだけ外へ出ないようになる。姿の見えない一人の殺人者によって、英国全体が半ばロックダウン状態へ追い込まれていく。
M・W・クレイヴンの〈ワシントン・ポー〉シリーズ第7作『ブラッディダイスの殺人』は、そんな物騒極まりない状況から始まる。
シリーズも七作目となれば、おなじみの人物たちを中心にした安定した事件物を想像してしまうところだが、クレイヴンは今回、舞台そのものを大きく広げてきた。
相手は一つの街で殺人を繰り返す犯人ではなく、英国中を狩場にする正体不明のスナイパー。警察のプロファイリングは通用せず、国家レベルで対応しても尻尾すらつかめない。
しかも前作『デスチェアの殺人』を経て、重大犯罪分析課は解体されている。ポーもティリーもフリンも、それぞれ別の場所へ追いやられた状態だ。
そこへ現れた、誰にも止められない殺人者。
散り散りになった三人が、国家規模の危機を前に再び集まる。
もうこの時点で、シリーズを追い続けてきた身としては楽しくならないはずがない!

無差別殺人の中に、たった一つの作為を探す
本作の事件で面白いのは、犯人が何を基準に犠牲者を選んでいるのか、まったく分からないところにある。
連続殺人を捜査するとき、警察は被害者の共通点を探す。職業、住所、年齢、人間関係、過去。複数の殺人が同じ人物によるものなら、どこかに犯人と犠牲者を結ぶ線があるはずだ。
ところが今回は、その線がない。
そこで登場するのが、シリーズおなじみの天才分析官ティリー・ブラッドショーである。
彼女が着目するのは、テーブルトークRPGなどで使われる20面体ダイス。犯人は二個のダイスを利用し、英国全土を格子状に区切った地図から犯行地点を決定しているらしい。
つまり、本当にランダムなのだ。
警察がどれほど地理的プロファイリングを行っても犯人の行動を予測できなかった理由が、ここでひっくり返る。人間には行動の癖があるという捜査側の前提そのものを、犯人はサイコロによって消していたのだ。最悪の発想である。
ところが、完全な無秩序に見える殺人を数学の側から眺めると、ごく小さな違和感が浮かぶ。二個の20面体ダイスなら組み合わせは400通り。それほど多くの候補があるのに、一連の事件には偶然と片づけるには妙な偏りが存在する。
ここからポーとティリーが考える方向が、いかにも本格ミステリらしくて好きだ。
犯人が無差別に人を殺しているのなら、なぜそこだけ不自然なのか。そう、そこを逆に考えればいい。
大量殺人の中から本来の目的を探し出すという発想は、派手な狙撃サスペンスの真ん中に古典的なパズルを埋め込んだような面白さがある。銃撃戦や諜報機関を扱いながら、最後にものをいうのが数字の小さなズレというのも気持ちいい。
ダイスは偶然を作る道具だ。しかし人間がそれを使った瞬間、どこかに意志が入り込む。
クレイヴンは、そのわずかな人間臭さを殺人者の足跡へ変えてみせる。
ポーとティリーが再び並ぶ、それだけで嬉しい
事件と同じくらい本作で大きな意味を持つのが、ポーたちの現在である。
前作の出来事によって重大犯罪分析課は解体され、ポーはPTSDを抱えながら閑職へ追いやられ、ティリーはMI5に徴用されていた。フリンも以前のように自由にチームを動かせない。
第一作『ストーンサークルの殺人』から、このシリーズは事件を一冊ごとに完結させながら、登場人物たちの人生についてはずっと続きを描いてきた。その積み重ねが七作目で大きな意味を持つ。
ポーとティリーの関係も、最初とはずいぶん変わった。人付き合いを苦手とする天才分析官と、規則より自分の勘を信じる現場刑事。正反対だった二人が事件を重ねるうちに、お互いの能力を誰より信頼する相棒になった。
本作ではティリーがポーの食生活にまで口を出し、危険が迫れば彼を守ろうとする。初期から知っていると、この何気ないやり取り一つにも時間の蓄積を感じてしまう。
そしてポー自身にも大きな変化がある。法医学病理学者エステル・ドイルとの結婚が数日後に迫っているのだ。
人を遠ざけ、自分一人で生きることに慣れていた男が、誰かと人生を共にするところまで来た。そのタイミングで、英国中の人間を恐怖に陥れる狙撃手を追わなければならない。
結婚式の準備をしている男が、いつ撃たれるか分からない殺人者を追い回す。この落差が妙にクレイヴンらしい。
新登場するドイルのバーティ伯父もいい。最初は扱いにくそうな上流階級の人物なのに、話が進むほど妙な愛嬌が見えてきて、食虫植物を使った結婚式の飾り付けまで飛び出す。
外では人間が狙撃されているのに、こちらでは結婚式の植物について揉めている。この温度差のおかげで、上下巻の長さでも息苦しくならない。
ポーとティリーの掛け合い、フリンの頼もしさ、ドイルとの生活、そして妙な脇役たち。陰惨な事件の合間にあるこうした時間が、いつの間にかシリーズを読む大きな楽しみになっている。
単独の事件としても読めるものの、人物たちの変化を味わうなら第一作から順番に追いたくなる第7作だ。
ダイスが示す事件と、誓いが示す人生
クレイヴンには軍で銃工として働いた経験があり、その後は長く保護観察官を務めている。その経歴は今回の題材と抜群に噛み合う。
狙撃手がどう身を隠し、どのように標的を待ち、何を考えて射撃地点を選ぶのか。ギリースーツや銃器、弾道に関する描写には妙な生々しさがあり、姿が見えない狙撃手の怖さを支えている。
その一方で、物語は警察小説の範囲からどんどん外へ飛び出していく。MI5が絡み、国家安全保障の話へ広がり、ロンドンからカンブリア、さらにスコットランド国境へと舞台が動く。数ページ単位の短い章が次々と切り替わるため、上下巻合わせて六百ページを超える物語なのに速度が落ちにくい。
このシリーズを読むたび、クレイヴンは本格ミステリの人なのか、警察小説の人なのか、スリラーの人なのか分からなくなる。
たぶん全部なのだ。
派手な事件を起こし、登場人物を危険な場所へ放り込み、銃や国家機関まで持ち出した末に、最後は小さな論理の違和感を拾わせる。その横ではポーとティリーがくだらないことで言い合っている。このごちゃ混ぜ感が、七作続いてもとても楽しい。
そして面白いのが、日本版と原書でタイトルがまるで違うことである。
邦題は『ブラッディダイスの殺人』。事件を支配する20面体ダイスを前面に押し出している。
一方、原題は『The Final Vow』。直訳すれば『最後の誓い』だ。
一方は殺人者が振るダイスを見つめ、もう一方は結婚を目前にしたポーの人生へ視線を向ける。
偶然に命を預ける殺人者と、自分の意志で誰かとの未来を選ぼうとするポー。二つのタイトルを並べると、事件と人物ドラマが思いがけない形で重なって見える。
ダイスを振れば、次に何が出るかは分からない。
それでも人は、どこかで一つを選ばなければならない。
英国中を恐怖に陥れる殺人者を追いながら、ポーもまた自分の人生を決めようとしている。
血まみれの20面体が転がるその先で、彼がどんな未来を選ぶのか。
七作かけて孤独な刑事をここまで連れてきたクレイヴンは、今回も容赦なく、その未来へライフルの照準を合わせてくるのである。
『ワシントン・ポー』シリーズのおすすめや読む順番はこちら

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