『アボット荘の怪異』- 吸血鬼、黒魔術、呪物。忘れられた怪奇作家フレデリック・カウルズの十三編【読書日記】

『アボット荘の怪異:フレデリック・カウルズ怪奇傑作選Ⅰ』
古い屋敷や鏡、教会記録、呪物から怪異が立ち上がり、吸血鬼や黒魔術まで姿を見せる、古典怪奇とパルプ・ホラーが融合した英国怪奇短編集。
ノーサンバーランドの古びた荘園。その敷地には礼拝堂が残されているのだが、家を借りる若夫婦に不動産業者が念を押す。
昼間なら入っても構わない。しかし夜だけは、絶対に鍵を開けるな──。
しかも礼拝堂には、16世紀に修道院を追放された背徳の男ウィリアム・サルトン卿の肖像画と、封印された墓所まである。
こういう場所に人を住まわせたら何かが起きるに決まっているし、その何かを見たくて怪奇小説を読む私には、表題作『アボット荘の怪異』の舞台がたまらなかった。
古い屋敷、禁じられた場所、過去の罪、墓、そして吸血鬼。古典怪奇の好きなものを全部並べたような材料なのに、フレデリック・カウルズの書き方には妙に勢いがあり、埃をかぶった古文書の向こうから怪異がそっと顔を出すだけで終わらず、最後には牙まで見せてくる。
BOOKS桜鈴堂から刊行された『アボット荘の怪異:フレデリック・カウルズ怪奇傑作選Ⅰ』は、そんなカウルズの怪奇短編から13編を選んだ日本独自の選集で、すべて本邦初訳。
1900年にケンブリッジで生まれ、司書として働きながら怪奇小説を書き続けた作家が、これまで日本でまとまって読めなかったという事実にも驚かされた。
しかも全61編を残している。今回の13編を読んだだけでも、よくこれだけ面白い怪奇作家が長く埋もれていたものだと思う。
古文書の埃っぽさと、血の匂いが同居している
カウルズの名前を語るとき、やはりM・R・ジェイムズとの近さは避けられない。
古い教会、歴史資料、肖像画、墓所、遺跡、土地に伝わる不吉な逸話。学究肌の人物が過去を探り、その過程で眠っていたものを起こしてしまうという構造も多く、アンティクァリアン・ゴースト・ストーリーの系譜ははっきり感じられる。
ところが、カウルズは怪異をいつまでも物陰へ隠しておいてくれない。
『隠された宝』では、埋蔵金を求めて地下へ手を伸ばした好古家の欲望が、宝を守る超自然的な存在と衝突する。『アプトン・ストンウォルドの怪事件』では、古教会の記録と魔女裁判を調べているうちに、異様な巨体と邪悪な知性を持った漆黒の猫が現れる。
古文書をめくり、土地の過去を調べていたはずが、気づけば目の前に怪物がいる。この切り替わりの速さが実にカウルズらしい。
とりわけ私が惹かれたのは『沼辺に建つ家』だった。ノーフォークの湿地帯に建つ館を相続した青年、その館に残された伯父の日記、黒魔術、不老不死の実験、不気味な池、そして群がるハエ。
文字で並べても嫌な感じしかしないが、作品の中では湿地のじめついた空気とハエの生理的な不快さがぴたりと重なっている。
M・R・ジェイムズやE・F・ベンスンにも通じる古典怪奇の型を持ちながら、カウルズはそこへ肉体的な嫌悪感まで遠慮なく持ち込むので、上品な幽霊譚を読んでいたつもりが途中から怪奇映画のような景色へ連れていかれる。
この感触は『踊り子の家』にもある。かつて館に住んでいた踊り子の愛執と暴力が残留し、官能的な幻影と鮮血のイメージが絡み合う。
古典的な英国幽霊譚という骨格を守りながら、血や肉体、欲望の生々しさを押し込んでくるので、品のいい怪談とパルプ・ホラーが同じテーブルについているような妙な楽しさが生まれていた。
鏡、聖人像、手相……。触れてはいけないものほど触りたくなる
『フィレンツェの鏡』に出てくるのは、骨董品店で安く手に入れた豪奢なルネサンス調の鏡である。
怪談に登場する骨董品ほど信用できないものもないのだが、カウルズ作品ではその危険な品物が、単なる小道具として置かれているわけではない。鏡の向こうから過去の悪意が現在へ滲み出し、部屋そのものの空気を変えていく。
似た怖さを別の方向から味わわせるのが『聖パヌクリタス』だ。信仰の対象に見える小さな聖人像が、じつは呪詛と結びついているという発想がいかにも意地悪で、敬虔さと冒涜をひっくり返すブラックな味がいい。
カウルズ自身が熱心なカトリック信者で、聖職者との交流も深かったことを知ると、作品に出てくる礼拝堂や修道院、聖具、背徳の司祭が妙に具体的なのも腑に落ちる。
彼の怪奇世界では、悪霊が出ることそのものより、聖なる場所へ悪が入り込んでくることのほうが怖い。
その傾向が強く現れるのが『リシーン』である。17世紀のコーンウォールで、孤独な牧師が身寄りのない美しい少女リシーンを引き取る。少女の周囲には次第に不穏な魔性が漂い、敬虔だった牧師の信仰そのものが内側から崩れていく。
海岸の荒々しい風景と宗教的な恐怖が結びつき、人間の精神へ入り込んだものが少しずつ聖域を侵していくので、怪物を正面から見せる作品とは別種の重さがあった。
一方で『ジプシーの手』になると、カウルズ自身のロマ文化への強い関心が前へ出る。祖母がロマの血を引いていた彼は、放浪民の習俗や民間伝承について複数の本を書いていて、手相や血脈、逃れられない運命といったモチーフにも机上の思いつきとは違う手触りがある。
土地や宗教、民間信仰を怪異の飾りとして借りるのではなく、その文化の中に怪異を根づかせるところが面白い。
だから舞台が変わると、怪談そのものの匂いまで変わってくる。
コーンウォールにはコーンウォールの魔性があり、ノーフォークの湿地には湿地の怪物がいるし、ブダペストへ行けば、そこにはまた別の闇が待っているのだ。
幽霊屋敷からブダペストまで、十三編がやたら賑やかだ
『闇の公女』まで来ると、カウルズの振り幅には笑ってしまうほど驚かされた。
妖しい気配に包まれたブダペストで、英国外交官がスパイ疑惑を持つトランシルヴァニアの公女と向き合い、オカルティストの相棒とともに事件を追っていく。
吸血鬼伝承とスパイ・スリラーを混ぜた冒険活劇で、もはや端正な英国幽霊譚の部屋からずいぶん遠くまで来ているのだが、それでも古い土地と過去の因縁が現在を侵すというカウルズの好みは変わらない。
『森の中の城』も印象的だった。森の奥で地図に載っていない古城へ迷い込み、そこでは豪奢な夜会が開かれている。死者たちが踊る光景にはダンス・マカブルめいた退廃美があり、後年のゴシック・ホラー映画を思わせる華やかさまで感じさせる。
フランス革命の記憶と演劇衣装を結びつけた『桃色の舞姫』、チベットの僧院で甘美な夢が悪夢へ変わる『夢幻の僧院』も含め、本書は同じタイプの幽霊話を十三回繰り返す短編集にはなっていない。
これほど作風が広い理由の一端は、カウルズの経歴にもありそうだ。公立図書館の司書長として働き、図書館広報誌へ怪奇短編を書き、地誌や民俗、ロマ文化まで扱った人なのである。
限られた誌面で人を楽しませていたからだろうか、作品の多くは無駄が少なく、怪異へ入るまでが速い。好古趣味の知識を披露し続けるより、必要な背景を置いたら早々に変なものを出してくる。そのサービス精神が、今読んでも古びにくい理由なのだと思う。
1936年の処女短編集『The Horror of Abbot’s Grange』、1938年の『The Night Wind Howls』を出したあと、カウルズは第3短編集を準備しながら出版の機会を得られず、1948年に世を去った。
その後作品は長く埋もれ、1970年代の再発見、1993年の限定版『Fear Walks the Night』、1999年の全61編を収めた決定版へとつながっていく。
今回のBOOKS桜鈴堂版は、その長い時間を経た作品群から十三編を日本語で読める形へ引き寄せてくれた。
最後まで私の頭に残っていたのは、文学史上の再評価という大きな言葉より、やはりあの礼拝堂だった。
夜には鍵を開けるなと念を押され、壁には背徳の男の肖像画が掛かり、その奥には封印された墓がある。
そんな場所を物語の入口に置く作家が、鏡や手相、湿地の館、魔女の猫、地獄の聖人、ブダペストの公女まで十三通りの怪異を連れてくるのだから楽しくないはずがない。
しかも続刊には『ルイス司教の死骸像』という題名が待っている。
アボット荘の礼拝堂の扉をせっかく開けてしまったのだから、ここまで来たら次の墓まで覗きに行くしかない。


