芦沢央『あなたが正しくいられたとき』- いいことをしているつもりの怖さについて【読書日記】

芦沢央は、人が善意の顔をしたまま誰かを傷つけてしまう瞬間を、ミステリの仕掛けで鮮やかに見せてくる。
どこかで視界がひっくり返されるかもしれない。信じていた人物の印象が変わるかもしれない。何気なく読んでいた場面が、あとから別の意味を持って迫ってくるかもしれない。
ただ、芦沢央作品の怖さは、単に意外な真相があるというだけでは終わらない。もっと身近で、もっと生々しい場所を突いてくる。
自分は正しい。これは当然の判断だ。大事な人を守るためだ。社会のためだ。そう思って踏み出した一歩が、いつの間にか誰かを傷つける方向へ進んでいる。その瞬間を、芦沢央は逃さない。
『あなたが正しくいられたとき』は、作家デビュー15周年の節目に刊行された短編集だ。2017年から2026年までにさまざまな媒体で発表された短編の中から、ミステリ色が濃く、芦沢央らしさの詰まったものを集めた一冊である。
いわば、約10年分の切れ味をまとめた「芦沢央濃縮パック」。やや言い方が雑だが、読んだ感覚としては本当にそうなのだ。
表題作『あなたが正しくいられたとき』をはじめ、『代償』『薄着の女』『立体パズル』『待てば無料』『投了図』の全6編。
形式も題材もバラバラなのに、読み終えると、ひとつの言葉が頭に残る。
「正しさ」
これが怖い。
正しさは、芦沢央によって刃物になる
表題作『あなたが正しくいられたとき』は、この短編集の核にふさわしい一編だ。中心となるのは消防士の窪田。河川敷での同窓会バーベキュー中、かつての恋人の娘が川に落ちる。
窪田はすぐさま飛び込み、少女を救う。ここだけ見れば、完全にヒーローの物語だ。人命救助。称賛。正しい行動。文句のつけようがない。
ところが、救助後の母親の態度に違和感を覚えた窪田は、彼女が娘を虐待しているのではないかと疑いはじめる。「子どもを守る」という大義名分を背負った瞬間、彼の正義感は止まらなくなる。
自分が見つけた違和感は正しいはずだ。自分が動かなければならない。そう信じて疑わない。
ミステリ読みとして、この流れは非常に怖い。というのも、こちらも窪田の疑念に乗せられかけるからだ。怪しい。何か隠している。これは事件かもしれない。そうやってページをめくる。
だが、芦沢央はそこで読ませ方を反転させる。窪田の正しさが、別の誰かにとってはどれほど乱暴なものだったのか。その輪郭が見えた瞬間、背中に冷たいものが走る。
この短編が刺してくるのは、「善意なら許されるのか」という一点である。人を助けたい。真実を知りたい。間違いを正したい。どれも立派に聞こえる。けれど、その奥に自己満足や支配欲が混じっていたらどうなるのか。
芦沢央は、そこを容赦なく照らす。しかも説教臭くない。物語として読ませ、ミステリとして驚かせ、そのあとでこちらの胸元にそっと刃を置いてくるのだ。
やめてくれ、と思いながらも、いや、もっとやってくれと思ってしまう中毒性がある。
六つの短編に仕込まれた反転

芦沢央『あなたが正しくいられたとき』 Amazonより引用
『代償』は、作家を主人公にしたメタフィクション的な一編だ。自信を持って書き上げた新作が、すでに公開されている別のWeb小説と酷似していると妻から指摘される。
自分は盗作などしていない。では、なぜ同じような物語が存在するのか。作家としての正しさを証明しようとする主人公の焦りが、やがて家庭内に横たわる別の歪みをあぶり出していく。
この話が面白いのは、創作者の正しさが家庭の中で別の形に変質していく点だ。仕事に真剣であること。才能を信じること。表現に誠実であろうとすること。どれも悪ではない。
だが、その陰で誰かがずっと負担を引き受けていたとしたら。タイトルの『代償』が、読み進めるほど重くなる。創作の話であり、夫婦の話であり、才能と生活の話でもある。こういう苦いミステリは大好物だ。心臓には優しくないけれど。
『薄着の女』は、倒叙ミステリの楽しさが詰まった一編。犯人側の事情が先に示され、そこに十時警部と琴子のコンビが切り込んでいく。古畑任三郎へのオマージュを感じさせる軽妙さもありつつ、扱われている背景は軽くない。
追いつめられた人物が、自分の尊厳を守るために犯行へ向かう。その行動は法の上では許されない。けれど、そこに至るまでの痛みを無視することもできない。
続く『待てば無料』では、この十時警部と琴子が再登場する。ロジックの組み上げ方は本格ミステリとして気持ちよく、事件の構造が明かされる快感もある。だが、解決すればすべてがすっきりするかといえば、そうではない。
論理は正解を導き出す。しかし、人の感情はその枠にきれいには収まらない。このズレがいい。ミステリの快楽と人間ドラマの苦味が、同じ皿に盛られている。
『立体パズル』は、地域社会と家族をめぐる心理サスペンスだ。子どもを守りたい。危険な人物を遠ざけたい。親として当然の感情である。だが、その当然が集団の中で膨らんでいくと、監視や排除へ変わっていく。
不確かな噂が正義の燃料になり、誰かを追いつめる力になってしまう。この話は読んでいて息苦しい。けれど、現実のどこかで見たことのある空気でもある。だからこそ逃げ場がない。
そして『投了図』。コロナ禍と将棋界を重ねた一編で、これもまた時代の空気を鋭く切り取っている。感染を広げてはいけない。外から人を呼び込むべきではない。そうした社会的な正しさが、いつの間にか他者を責める道具になっていく。
あの時期、誰もが不安で、誰もが何かに怯えていた。だからこそ、自分の判断を正義だと信じたくなる。その危うさを、将棋の「投了」という言葉に重ねる構成がたまらない。
負けを認めること。間違いを受け入れること。これがどれほど難しいかが胸に残る。
芦沢央が描く、善意の加害

芦沢央『あなたが正しくいられたとき』 Amazonより引用
この短編集を読んでいると、芦沢央は悪人を描く作家というより、「善人が悪い方向へ転がる瞬間」を描く作家なのだと改めて感じる。
もちろん犯罪は起こる。嘘もある。隠し事もある。だが、物語の根っこにあるのは、わかりやすい悪意ばかりではない。むしろ、善意、責任感、使命感、家族愛、職業倫理、防犯意識、防疫意識。社会的には推奨されるはずのものが、ふとした角度で誰かを傷つける。
これが、芦沢央の怖さだ。
「正しい人間でいたい」という願いは、多くの人が持っている。私にもある。間違えたくないし、できれば善良でありたい。人に迷惑をかけず、誰かを助けられる側でありたい。
だが、その願いが「私は正しい」という確信に変わった瞬間、他人の事情を見落とすことがある。見落とすだけならまだいい。しかし、実際には踏みつけていることに気づかない場合すらある。
『あなたが正しくいられたとき』に収録された六編は、その危うい境目を何度も見せてくる。しかも、どの話もミステリとしてきちんと読ませる。反転がある。ロジックがある。人物の心理がある。短編ごとに味わいが違うので、一冊の中で芦沢央の技術の幅も楽しめる。
表題作の心理トリック、『代償』のメタな構造、『薄着の女』『待てば無料』の刑事コンビもの、『立体パズル』の社会不安、『投了図』の時代性。まさに一人アンソロジーという言い方が似合う。
個人的にいちばん刺さったのは、やはり表題作だ。正義感を持つ人物が、自分の見たい形で世界を切り取ってしまう怖さ。そこにミステリの仕掛けが重なり、最後にはこちらの読み方まで揺らされる。ああ、私は今、何を信じて読んでいたのだろう。誰の側に立っていたのだろう。そう考えさせられる後味がある。
芦沢央の短編は読みやすい。ページをめくる手も止まりにくい。けれど、気軽に飲み込んだはずの物語が、あとから妙に喉の奥に残る。甘いと思って口に入れたら、中心部に苦味が仕込まれていた感じだ。ミステリとして楽しく、心理サスペンスとして怖く、現代社会の空気まで映し出してくる。
『あなたが正しくいられたとき』は、「自分は間違っていない」と思ったことがある人ほど、刺さる短編集だ。
つまり、ほぼ全ての人に関係がある。
もちろん、あなたにも。
正しさは美しい。だが、ときどき人を遠ざけ、人を追いつめ、自分自身の輪郭すら歪ませる。芦沢央はその瞬間を、冷たすぎず、甘やかしすぎず、ミステリの形で差し出してきた。
『あなたが正しくいられたとき』
その「あなた」は誰なのか。何をもって正しいと言えるのか。胸の中に小さな棘を残す、見事なタイトルだと思う。
正しさを疑うことは、自分を否定することではない。たぶん、自分以外の誰かをちゃんと見るための、ひとつの姿勢なのだ。
正しさは、人を救うこともあれば、人を追いつめることもある。
その境目を、芦沢央はミステリの仕掛けと人間心理の細やかさで描き切った。



