寝舟はやせ『XXX日後に呪われるだけの誰かさんの日記』- 呪いより会社のほうが怖いかもしれない、生あたたかホラーの変な愛しさ【読書日記】

「XXX日後に呪われる」と言われたら、普通は大事件である。いや、普通ならまず仕事どころではない。
即座に有給を取り、寺社仏閣を巡り、霊能者を検索し、ついでに生命保険の内容も確認する。
ところが、寝舟はやせ『XXX日後に呪われるだけの誰かさんの日記』の主人公・琴浪誠也は、そこまで派手に慌てない。
もちろん怖がってはいる。怖がってはいるのだが、それ以上に彼の生活には、出勤、疲労、過労、現実の面倒くささがずっしりのしかかっている。
このバランスがまず異様に面白い。ホラー作品において、呪いはたいてい最優先事項である。人生の中心に怪異が割り込んできて、日常を食い破り、逃げ場を奪っていく。
だが本作では、呪いが日常を破壊する前に、日常のほうがもうだいぶ壊れている。怪異が出る。怖い。だが明日も仕事がある。呪われている。まずい。だが締切もある。生き延びるために日記を書く必要がある。いや、それもまた労働ではないか。そんなツッコミを入れたくなる。
この作品は、怖がらせ方が独特だ。読んでいて心臓を一気につかまれるというより、ぬるい悪夢の風呂に肩まで浸けられるような感覚がある。
逃げたいのに、なぜか体が慣れてしまう。嫌なのに、だんだんその温度を覚えてしまう。まさに「生あたたかいホラー」だ。
日記を書くことで死を先延ばしにする、という地獄の更新作業
本作でまず面白いのは、琴浪誠也が怪異や実話怪談みたいな出来事を日記に書くことで、どうにか呪いのタイムリミットを先延ばしにしているところだ。
これは冷静に考えるとなかなか嫌な設定である。日記とは本来、自分のために書くものだ。
誰にも言えない気持ちを置いたり、一日の出来事を整理したり、忘れたくないものを残したりする。ところが本作の日記は、ほとんど命綱である。書かないと死ぬ。書けば少し延びる。では毎日書くしかない。ホラーでありながら、どこか業務報告書めいているのが恐ろしい。
しかも、琴浪は怪異に遭遇するだけでは足りない。それを日記の「ネタ」にしなければならない。恐怖が体験で終わらず、記録物として整えられる。この構図には現代的な皮肉がある。
しんどいこと、怖いこと、恥ずかしいこと、傷ついたことまで、何かしらの形で外へ出し、言葉にし、コンテンツにしなければ生き延びられない感覚。琴浪の日記は、その悪夢寄りの比喩にも見える。
タイトルの「XXX日後」という伏せ字もいい。はっきりした数字が出ないことで、終わりの見えなさが増している。百日なら百日で覚悟のしようもある。三十日なら三十日で計画も立てられる。だが「XXX日」だと、終点がわからない。どこまで続くのかも、いつ落ちるのかも不明なまま、ただ日々を継続させられる。
ここで面白いのは、呪いのタイムリミットより、会社生活のほうが切実に迫ってくるところだ。呪いで死ぬのが先か、過労で倒れるのが先か。そんな二択は嫌すぎる。怪異に追われる主人公なのに、最大の敵が社会制度っぽく見えてくる瞬間がある。お祓いより労基署案件ではないか、と言いたくなる。
ただ、その笑いは軽くない。琴浪が怪異を前にしても、どこか疲れた反応をするのは、彼が鈍いからではない。怖がる余裕すら、現実に削られているからだ。
ホラーの非日常が、ブラック労働という日常に相対化されてしまう。この身も蓋もなさが、本作の大きな魅力だと思う。
生肉という、気持ち悪くて可愛いという反則技
そして本作を語るうえで外せないのが「生肉」である。
名前からしてすでにだいぶ嫌だ。生肉。もう少しマスコットらしい呼び名はなかったのだろうか。
だが本当に生肉なのだから仕方ない。てちてち歩き、言葉を持たず、肉塊としてそこにいる。普通なら悲鳴である。部屋にいたら即退去である。敷金どころの話ではない。
ところが、この生肉が妙に愛おしい。見た目は生理的にかなりきつい。だが、琴浪に寄り添う姿が健気なのだ。自分の肉を差し出そうとする献身性まである。
いや、その優しさの出し方はだいぶ間違っている。間違っているのだが、こちらの情緒はなぜか揺れる。グロテスクなものが、無垢な好意をまとった瞬間、人間の感情は思った以上にバグる。
このギャップが、本作のホラーとしての個性をはっきり示しているのだ。怪異はただ排除されるべき悪ではない。むしろ琴浪の孤独を埋める、奇妙な隣人として現れる。
だから怖いのに、少し安心する。気持ち悪いのに、そばにいてほしくなる。理性は無理だと言っているのに、情緒は「でもいい子なんだよな」と言い出す。ホラー読みとしては、この感情の裏切られ方がたまらない。
琴浪の周囲には、生肉以外にもろくでもない存在がいる。実家の焼失に関わる「バカ」の霊、自分そっくりのナニカ、現実の人間としての同僚や宗教勧誘。怪異と人間の嫌さが、とても近い温度で並んでいるのがミソだ。
普通のホラーなら、人間世界と怪異世界にはもう少しはっきりした線がある。こちら側とあちら側。日常と異界。安全圏と危険地帯。だが本作では、その境界がぬるっと溶けている。
会社も怖い。霊も怖い。人間関係も面倒くさい。自分そっくりのナニカも嫌だ。生肉は気持ち悪いが、意外と優しい。こうなると、何を怖がり、何に救われればいいのかわからなくなる。
だが、そこがいい!
本作の怪異たちは、琴浪をただ脅かすだけではない。彼の疲労、孤独、自虐、過去への痛みを映す存在でもある。日記に書くことで、琴浪は怪異を記録しているようで、実は自分自身をかろうじて形にしている。
怖いものを書くことが、自分がまだここで生きている証明になるのだ。この構造がなかなか切ない。
解決しないまま続く日常、その中で笑ってしまう怖さ
寝舟はやせ作品の魅力は、劇的な救済へ安易に走らないところにあると思う。
琴浪誠也は、ヒーローではない。特殊能力で呪いをねじ伏せるタイプでもない。口は悪いし、自虐もするし、過去の痛みも抱えている。生きるのがあまり得意ではない人間だ。
だが、だからこそ彼の姿には変な説得力がある。大きな勝利ではなく、今日をどうにかやり過ごすこと。その小さくて切実な継続が、本作の中心にある。
呪いを完全に解く。怪異を倒す。過去を乗り越える。そういう明快なカタルシスがあれば、物語としては気持ちよくまとまるかもしれない。けれど現実には、解決しないまま持ち越すもののほうが多い。
職場のしんどさも、消えない後悔も、孤独も、ある日突然すべて片づくわけではない。琴浪の日記は、そういう未整理のものを抱えたまま、それでも翌日へ進むための記録なのだ。
だから本作の笑いは、ただのギャグではない。とても黒い。怪異が出ているのに会社のほうが嫌そうだったり、生肉の献身に妙な癒やしを感じたり、恐怖の場面で琴浪のツッコミが妙に冴えていたりする。
その笑いは、怖さを打ち消すものではなく、怖さと一緒に口の中に残る。塩辛いチョコみたいなものだ。たとえが妙だが、そういう変な味がする。
さらに、日記形式というのが本当に合っている。日記は断片の積み重ねである。一日ごとの出来事は小さくても、並べていくと、そこに生活の形が見えてくる。本作では、その積み重ねが呪いの進行であり、琴浪の生存記録でもある。
怖いことが起きた日も、くだらないことを思った日も、生肉が何かした日も、会社に削られた日も、全部が同じ日記の中に収まる。この雑多さが、生活そのものに近い。
ホラーなのに妙に生活感がある。怪異がいるのに、妙に所帯じみている。死が迫っているのに、飯とか仕事とか睡眠不足がまとわりつく。そこに本作のすごみがある。呪いは特別なものとして襲ってくるのではなく、すでにくたびれた日常の中へ、当然の顔で混ざってくるのだ。
そして最終的に、本作は「呪いをどう倒すか」よりも、「呪われたままどう生きるか」を描いているように見える。これはすごく現代的なホラーだ。
すべてを解決して明るい場所へ出るのではなく、薄暗いままの生活の中で、奇妙な存在と共に歩いていく。生肉がそばにいる。会社は最悪。呪いも終わらない。けれど、日記は続く。この続いてしまう感じが、私は好きだ。
『XXX日後に呪われるだけの誰かさんの日記』は、怖いものを読みたい人だけでなく、なんだか毎日がしんどい、でも笑わないとやっていられない、という気分の人にも刺さる作品だと思う。もちろん、刺さったあとに妙な肉片が残るかもしれないが、それも含めてこの作品らしい。
呪い、日記、ブラック労働、謎の生肉。並べるとかなりカオスなのに、読んでいくと不思議と筋が通ってくる。
たぶんそれは、この作品が怪異の話をしているようで実は、それでも今日を終わらせるしかない人間の話をしているからだ。
XXX日の果てに何があるのか。
祝福か、破滅か、それともまた出勤か。
その先を見届けたくなる時点で、こちらももう立派な観測者なのである。
おすすめホラー関連記事




