『漂泊の星舟』- 宇宙船という密室で、自分が何者かまで疑わしくなるSFミステリ【読書日記】

宇宙船というのは、ミステリの舞台として反則気味に魅力的である。
館なら逃げ道を探せる。孤島なら海を眺めて絶望できる。雪山の山荘なら、とりあえず暖炉の前で誰かが意味ありげな顔をする。
だが宇宙船は違う。外に出たら即アウト。窓の向こうには、助けを呼んでも返事をしてくれない宇宙が広がっている。逃げ場のなさで言えば、密室界のラスボスみたいなものだ。
北清夢『漂泊の星舟』は、そんな深宇宙の閉鎖空間を舞台にしたSFミステリである。人類の新天地となる惑星Xを目指して航行する恒星間宇宙船〈フェニックス〉号。
その船内で爆発事件が起き、船長を含む複数の乗組員が死亡する。しかも船は進路を逸れてしまい、このままでは目的地にたどり着けない。限られた時間の中で犯人を見つけ、船を立て直さなければならない。
この設定だけでもうおいしい。宇宙船、爆発、犯人は船内にいる、タイムリミットあり。ミステリファンなら、皿に盛られた瞬間にいただきますと箸を持ちたくなるやつである。
ただ、本作が面白いのは、単なる宇宙船サスペンスで終わらないところだ。ここには、環境破壊、地球の分断、移民計画、ジェンダー、生殖、AI、拡張現実、そしてアイデンティティの揺らぎまで詰め込まれている。
文字にするとかなり重装備だが、物語としては意外と読みやすい。大きなテーマを背負いながらも、中心にあるのはあくまで主人公アスカの不安と孤独だからだ。
宇宙の果てを目指す話なのに、読んでいて一番近く感じるのは「自分はここにいていいのか」という感覚なのである。そこがいい。
宇宙まで逃げても、人間の面倒くささはついてくる
本作の地球は追い詰められている。気候変動、山火事、環境破壊、社会の分断。
絶滅した動植物は、もう現実ではなくVRの中でしか見ることができない。遠い未来の話のようでいて、妙に現在の延長線上にあるのが怖い。SFの顔をしているのに、足元を見たら現実の地面とつながっているタイプの怖さである。
人類は、居住可能な惑星Xを目指して〈フェニックス〉号を送り出す。名前は希望に満ちている。フェニックス。不死鳥。滅びからの再生。なんとも堂々としている。だが実際の中身はシビアだ。
これは夢いっぱいの宇宙旅行ではない。地球がまずい状態になったので、人類という種をどうにか次へつなぐための計画である。
乗組員の多くは、生殖可能な年代の女性たちだ。ここが本作の大きな特徴になっている。古典的な宇宙SFにありがちな「選ばれし男たちが未知の宇宙へ挑む」タイプの物語ではない。ここで描かれる宇宙行きは、英雄の冒険というより、未来そのものを身体に背負わされた人たちの旅である。ロマンより責任のほうが重い。宇宙船の燃料より、そっちのほうが重そうだ。
しかも〈フェニックス〉号は、地球の問題から自由になっているわけではない。乗組員の構成には、各国の出資や政治的な力関係が影を落としている。アメリカ、中国、日本、その他さまざまな国の思惑が、船内の人間関係にもにじんでいる。つまりこの船は、地球を離れたはずなのに、地球の面倒くささを丸ごと積んでいるのだ。
ここがとても皮肉で面白い。人類は新天地へ向かっているのに、古い対立や不信感まで一緒に連れていってしまう。せっかく宇宙まで来たのに、まだ政治と人間関係で揉めている。人間は、どこまで行っても人間である。宇宙服を着ても、心の中身まではアップデートされない。
この設定は、ミステリとしてもよく働いている。爆発事件の犯人は、船内の誰かなのか。だとしたら、動機は何か。個人的な恨みなのか、思想なのか、地球に残された家族への思いなのか、あるいは宇宙移民計画そのものへの反発なのか。
候補が多いぶん、疑いも広がる。誰もが仲間であり、同時に容疑者でもある。この空気が、宇宙船という密室をさらに息苦しくしている。
アスカは名探偵ではなく補欠探偵である
主人公のアスカ・ホシノ=シルバは、日本人の母とアメリカ人の父を持つ。アメリカで育った彼女は、日本代表枠として〈フェニックス〉号に乗っている。けれど日本語は完璧ではなく、日本チームの中でもどこか浮いている。
日本にルーツはある。でも、日本人として自然に受け入れられているわけではない。アメリカ育ちでもあり、日本にもつながっている。でも、どちらにもぴたりとははまらない。この「はまらなさ」が、アスカという人物の大事なところだ。
彼女は船内でも、代替要員、つまりオルタネートという立場にいる。誰かが欠けたときに補うための存在で、特定の専門職を持っているわけではない。周囲はそれぞれの分野のエキスパートばかり。そんな中で、自分だけが何者でもないように感じている。これはなかなかしんどい。宇宙船に乗るほど選ばれた人間なのに、本人の感覚としてはずっと補欠席に座っているようなものだ。
だが、ミステリとして見ると、この補欠性がものすごく面白い。
普通の名探偵なら、鋭い観察眼や専門知識で事件を解く。だがアスカは、いわゆる堂々たる名探偵ではない。自信満々に「犯人はあなたです」と言うタイプでもない。むしろ、自分がここにいていいのかずっと迷っている。だが、その迷いがあるからこそ、彼女は周囲の違和感に敏感になるのだ。
専門家は、自分の専門領域を見ている。技術者は機械を見て、医師は身体を見て、操縦士は航路を見る。でもアスカは、どこにも完全には属していないからこそ、それぞれの隙間を見ることができる。いわば、船内のすきま風に気づく人間なのだ。
このアスカの立ち位置がすごくいいと思う。名探偵というより、補欠探偵。だがこの補欠探偵こそ、閉じた船内でいちばん自由に動ける。肩書きが弱いからこそ、あちこちを横断できる。自分の居場所のなさが、逆に武器になる。この反転が本作の気持ちよさにつながっているのだ。
アスカにとって宇宙へ行くことは、人類の未来を背負う任務であると同時に、過去から遠ざかるための旅でもある。だが、宇宙まで来ても過去は消えない。
むしろ、狭い船内で何度も顔を出す。逃げるには宇宙でも足りない。なかなか残酷である。
DARと鳥が教えてくれる、見えている世界の危うさ

絵:悠木四季
本作で印象に残る設定が、DARというデジタル拡張現実の技術である。
乗組員たちはインプラントによって、無機質な宇宙船の内部を、自分好みの風景に変えて見ることができる。緑の森、故郷の街、落ち着く部屋。実際には金属の壁でも、脳には別の風景として見える。
これはたしかに便利だ。何十年も宇宙船の中で暮らすなら、心を守るために必要なのもわかる。私だって、ずっと灰色の壁だけ見て生活しろと言われたら、たぶん一週間で壁に名前をつけ始める。
ただ、このDARがやはり不穏なのである。同じ場所にいても、人によって見えている景色が違う。ある人は森の中にいるつもりで、ある人は海辺にいるつもりで、また別の人は失われた故郷を見ているかもしれない。身体は同じ宇宙船にいるのに、心は別々の現実に閉じこもっている。
これは現代の私たちにもかなり近い。SNSやネットの世界では、同じ社会に生きているはずなのに、人によって見えているニュースも、信じている事実も、世界の切り取り方も違う。みんな同じ場所にいるようで、実はそれぞれ別の画面を見ている。本作のDARは、そういう現代的な感覚をSF的にわかりやすく見せてくれる。
そして、本作を柔らかく、でも切なく彩っているのが鳥のモチーフである。アスカは鳥に詳しく、物語の中でも鳥に関する知識がたびたび語られる。これが単なる豆知識では終わらない。むしろ、作品全体のテーマをそっと映している。
たとえば、カッコーの托卵。他の鳥の巣に卵を産み落とす習性は、アスカの立場と重なる。自分の場所ではないところに置かれた存在。そこにいていいのか分からない存在。アスカ自身が、どこか托卵された卵のようでもある。
同時に、〈フェニックス〉号そのものも、死にかけた地球という巣を離れ、惑星Xという見知らぬ場所に人類の未来を託そうとしているわけだ。そう考えると、この船全体が大きな卵のようにも見えてくる。宇宙を飛ぶ不死鳥の名前を持ちながら、実際には誰かの巣を探して漂っているというのがなんとも切ない。
鳥には自由や飛翔のイメージがある。けれど本作の乗組員たちは、宇宙船という巨大な檻の中にいる。星々のあいだを進んでいるのに、自由というより閉じ込められている感じがある。このズレが、本作の独特な寂しさを生んでいる。
『漂泊の星舟』は、SFミステリとしてかなり楽しい作品だ。爆発事件、船内の犯人探し、タイムリミット、AIの記録、DARの不具合。謎解きの材料はきちんとあるし、閉鎖空間のサスペンスもある。
でも、読みどころはそれだけではない。むしろ私が一番ぐっときたのは、アスカが事件を追いながら、自分の居場所も探しているところだ。犯人を見つけることと、自分が何者なのかを見つめ直すことが、物語の中で重なっていく。
宇宙船の中で、アスカは美しい仮想風景の奥にある剥き出しの現実と向き合う。そこにあるのは、冷たい金属の壁かもしれない。壊れかけた船かもしれない。疑わしい仲間たちかもしれない。それでも、偽物の安心より、本当の現実を選ぶ。その姿がいい。
地球を失い、星々のあいだを漂う船。その中で、補欠だった少女が真実に手を伸ばす。スケールは宇宙規模なのに、胸に残るのはとても人間くさい不安と願いである。
自分の居場所がわからない。誰を信じればいいのかわからない。それでも、同じ船に乗っている誰かと未来へ進もうとする。
『漂泊の星舟』は、そんな不器用で切実なSFミステリである。
宇宙は広い。けれど、人間が抱える寂しさは、たぶんそれに負けないくらい広い。
本作は、その寂しさを抱えたまま、それでも前へ進む物語なのだ。




