消されるはずの人生を拾い上げる -『特殊清掃人グレイス・マクギルと孤独な死者たち』が踏み込む死後の密室【読書日記】

人が亡くなったあとの部屋を片づける、という設定だけでもう重い。
しかも、その人が誰にも気づかれないまま、何週間も、場合によっては何ヶ月も部屋にいたのだとしたら、そこには事件の怖さとは別の、もっと生々しい怖さがある。
殺人鬼が出てくるわけでも、血まみれの追跡劇があるわけでもない。けれど、背中のあたりがすうっと冷える。自分の暮らしている社会のすぐ近くに、こういう死があるのだと気づかされるからだ。
C.S.ロバートソン『特殊清掃人グレイス・マクギルと孤独な死者たち』は、そんな場所から始まる小説である。
主人公のグレイス・マクギルは、孤独死の現場を清掃する特殊清掃人だ。遺体はすでに運び出されている。だが、部屋にはまだ死の跡が残っている。染み、匂い、腐敗の痕跡、散らかった生活用品、誰にも見られなかった日々の残骸。グレイスはそれらを片づけ、消毒し、部屋を元の状態へ戻していく。
普通なら、そこで仕事は終わりである。部屋はきれいになる。死者の痕跡は消える。次の誰かが、何事もなかったようにそこへ入ってくる。
けれど、グレイスはそこで終わらせない。彼女は死者の持ち物に目を留める。古い写真、新聞の切り抜き、捨てられなかった品物。そこから、その人がどんな人生を送っていたのか、何を抱えていたのか、なぜ誰にも気づかれずに死んだのかを探ろうとする。
この設定がまず面白い。名探偵が颯爽と現れて、虫眼鏡片手に「犯人はこの中にいます」とやるタイプではない。グレイスが入っていくのは、事件の華やかな中心ではなく、すべてが終わったあとの部屋だ。
誰も見たがらない場所。誰も長居したくない場所。そこで彼女は、消されていくはずだった人生のかけらを、ひとつずつ拾い上げていく。
ミステリとしても、これはかなり変わった入口だと思う。死の謎を追う話でありながら、スタート地点は死体そのものではなく、死体が去ったあとの空間なのだ。
普通なら脇に追いやられる場所を、ど真ん中へ持ってくる。この時点で、作品の目つきがかなり独特である。
グレイス・マクギルという、やさしくて怖い探偵役
グレイス・マクギルという人物が、またいい。いや、いいと言っていいのか少し迷う。
魅力的なのだが、同時にかなり不穏である。彼女は警察官ではない。探偵でもない。記者でもない。死の真相を暴くことが仕事ではなく、死の跡を消すことが仕事である。ここが本作の面白いところだ。
ミステリでは、痕跡はとても大事だ。血痕、足跡、指紋、メモ、写真、少しだけ位置のおかしい家具。そういうものを拾い集めて、意味をつなげて、真相へ近づいていく。ところがグレイスは、その痕跡を清掃する側にいる。手がかりを見つける人でありながら、手がかりを消す人でもある。
この二重性がずっと不安を生むのだ。彼女は死者のために動いているように見える。忘れられた人たちの人生を、せめて自分だけでも覚えていたい。そんな思いがあるようにも見える。だが同時に、他人の死へ近づきすぎているようにも見える。
グレイスは、生きている人間とはうまく関われない。けれど、もう話さない死者には妙に近づいていく。ここが切ない。死者は彼女を責めない。拒まない。余計なことも言わない。だからこそ、彼女にとっては生きている人間よりも、死者のほうがずっと親しい存在になってしまう。
しかも彼女自身の生活も、なかなかしんどい。支配的でアルコール依存症の父親との関係。他人との距離の取り方の不器用さ。清潔さへのこだわり。外から見ると、淡々と仕事をこなすプロに見えるが、内側ではいろいろなものがぎりぎりで保たれている感じがある。
死者の部屋を完璧に片づけることで、自分の人生まで整えようとしている。そんなふうにも見える。
そして、グレイスの印象的な特徴が、清掃現場のミニチュア模型を作ることだ。孤独死の部屋を、小さなジオラマとして再現するのである。これがまた、なかなか不気味である。いや、発想としてはわかる。わかるのだが、やっていることは少し怖い。
もちろん、死者を忘れたくないという気持ちはわかる。誰にも見つけてもらえなかった人の最後の場所を、自分だけは記録しておきたい。その思いは、弔いにも見える。
でも同時に、それはかなり危うい行為でもある。他人の死を、小さな箱庭にして自分の手元へ置いておく。現実の腐敗や匂いや混乱を、きれいな模型に変える。そうすることで、グレイスは恐ろしい現実を、自分が扱える大きさに縮めているように見える。
このへんが特に好きだ。派手なトリックでドンと驚かせるタイプとは違う。人物そのものが、少しずつミステリになっていく。グレイスという人間を見ているはずなのに、いつのまにか彼女自身が謎の部屋みたいになってくるのだ。
孤独死というテーマが、ぜんぜん他人事に見えない
本作の中心にあるのは、孤独死である。しかも、ただショッキングな題材として使っているわけではない。そこがいい。
孤独死というと、どうしても「亡くなったあと、長く発見されなかった死」という結果のほうへ目が行きがちだ。けれど本作が見ているのは、そこに至るまでの時間でもある。その人が少しずつ社会から見えなくなり、誰にも気づかれなくなり、やがて本当に消えてしまうまでの流れだ。
グラスゴーの集合住宅。閉ざされたドア。隣に誰が住んでいるのかもよく知らない暮らし。ネットで買い物ができる。食事も届く。娯楽も画面の中で済む。便利な生活は、たしかにありがたい。私もその恩恵を全力で受けている。正直、雨の日に外へ出ずに済む配達サービスにはかなり助けられている。
でも、その便利さは裏返すと、誰にも会わなくても暮らせるということでもある。
そして、それはさらに裏返すと、誰にも気づかれずに死ねるということでもある。
ここが怖い。この小説の孤独は、特別な人だけに起こるものではない。どこか遠い世界の話ではない。むしろ、現代の暮らしの延長線上にある。部屋のドアを閉めて、スマホを見て、宅配を受け取り、誰とも深く話さないまま一日が終わる。そういう普通の生活の先に、ぽっかり穴が開いている。
著者クレイグ・ロバートソンは、もともとジャーナリストとして多くの事件や悲劇を取材してきた人物である。そのせいか、本作の死の描き方には、妙なリアリティがある。必要以上に感傷的にしない。かといって、冷たく突き放すわけでもない。社会のどこにひずみがあり、誰がそこからこぼれ落ちているのかを、かなり淡々と見つめている。
そして物語は、現代のグラスゴーだけにとどまらない。清掃現場で見つかった写真や新聞の切り抜きをきっかけに、グレイスは過去の出来事へ近づいていく。現在の孤独死から、1960年代のビュート島で起きた失踪事件へ。ここから、ミステリとしてのエンジンがぐっと回り始める。
この流れがとてもおいしい。現在の死から過去の秘密へ。部屋の汚れを落としていたはずのグレイスが、今度は時間の底にこびりついたものをこすり出していく。
ビュート島は、休暇や思い出と結びついた場所として描かれる。海辺、船、観光地、家族旅行。明るくて懐かしい風景のはずなのに、その奥には少女の失踪と、長く口を閉ざしてきた人々の気配がある。
ミステリで「のどかな島」「古い写真」「過去の失踪」が並んだら、もう安全なわけがない。脳内では、勝手に警報が鳴る。平和そうな場所ほど、だいたい何か埋まっている。床下か、記憶の奥か、共同体の沈黙の中か。場所は違っても、だいたい何かが埋まっているのである。
ロバートソンが面白いのは、懐かしさをただ美しいものとして描かないところだ。楽しい思い出の風景が、見方を変えた瞬間に、誰かの不幸を隠すカーテンのように見えてくる。幸福そうな集合写真が、実は秘密の入口になっているという反転が、本作の暗い魅力だと思うのだ。
死者を忘れないことは、本当に救いなのか

絵:悠木四季
この本でいちばん引っかかるのは、グレイスの行為が本当に救いなのかどうか、簡単には決められないところだ。
彼女は死者を忘れない。誰にも看取られなかった人たちの人生を拾い上げようとする。そこだけ見れば、とてもやさしい。社会が見落とした人を、彼女だけは見ようとしている。
でも、その見方はまっすぐなものなのか。グレイスは、何を残し、何を消すのかを自分で選ぶ。部屋を清掃する。痕跡を消す。けれど、別の形で記録する。模型として残す。自分の中にしまい込む。
それは弔いでもある。だが、支配にも見える。
ここが怖い。善意と執着が、ほとんど同じ顔をしている。死者への共感と、自分のための欲望が、きれいに分けられない。グレイスは死者を救おうとしているのか。それとも、死者によって自分を救おうとしているのか。その境目がぼやけていく。
本作は、そこを簡単な感動話にしない。「忘れられた人にも人生がありました。だから大切にしましょう」という話にまとめれば、もっとわかりやすく、もっと泣ける小説になったかもしれない。でもロバートソンは、そこへ安易に逃げない。死者を語ることのやさしさだけでなく、危うさまで描く。
他人の人生を語るということは、かなり大きな力を持つ行為である。特に、相手がもう反論できない死者ならなおさらだ。グレイスは彼らの声を聞こうとする。けれど、その声は本当に死者の声なのか。それとも、グレイスが聞きたい声なのか。
このあたりが、本作を単なる職業ミステリから、一段深い心理スリラーへ押し上げていると思う。
死とは、単なる終わりではない。部屋に残されたものが、その人の生を語り始める。写真、手紙、新聞、服、食器、捨てられなかった小物。そういうものが、言葉よりもずっと多くを語ることがある。
ただし、本作はそれを美しい話に変えない。忘れられた人たちの人生を、きれいな涙で包んだりしない。そこにあるのは、寂しさであり、社会の無関心であり、グレイス自身の危うさである。だからこそ、読んでいて苦い。けれど、その苦さが作品の味になっている。
『特殊清掃人グレイス・マクギルと孤独な死者たち』は、かなり嫌な手触りのある小説である。だが、その嫌さは悪趣味なものではない。見たくないものを、こちらの前にそっと置いてくる嫌さだ。
特殊清掃という仕事の過酷さ、孤独死という現実、過去の失踪事件、そしてグレイスという人物のやさしさと怖さ。それらが重なって、死者の部屋から現代社会の形が浮かび上がってくる。
読み終えて残るのは、派手な驚きだけではない。しばらく連絡していない誰かのこと。隣の部屋の気配。自分は誰かにちゃんと見えているのか、という妙な不安。そういう日常のすぐそばにあるものが、少し違って見えてくる。
死者の部屋を清掃する物語なのに、この小説が最後にこすり落としていくのは、私たちが孤独について見ないふりをするために貼っていた薄い膜なのかもしれない。
グレイス・マクギルの手袋越しの指先は、死の痕跡だけでなく、生きている側の鈍さまで、容赦なく拭い出してくるのである。


