ジェフリー・ディーヴァーのおすすめミステリ小説10選【どんでん返しの魔術師】

ミステリを読んでいて、最後の数ページで景色がひっくり返る瞬間がある。
それまで信じていた構図が崩れ、犯人像も、事件の意味も、手がかりの見え方も一変する。あの快感を味わわせてくれる作家として、ジェフリー・ディーヴァーほど頼もしい名前はなかなかない。
さて、ディーヴァーといえばやはり「どんでん返しの魔術師」である。
ただし、その驚きは単なる奇抜なオチではない。科学捜査、心理戦、交渉術、ゲーム理論、犯罪計画の緻密さ。そうした要素をパズルのように組み上げ、最後にひとつの視点を反転させることで、物語全体の意味を変えてしまう。そこがディーヴァー作品のたまらないところだ。
代表的なのは、四肢麻痺の天才鑑識官リンカーン・ライムと、現場を駆けるアメリア・サックスのコンビで知られる〈リンカーン・ライム〉シリーズだろう。
『ボーン・コレクター』をはじめ、科学捜査ミステリとしての面白さと、サスペンスの速度感、そして終盤の鮮やかな反転が見事に噛み合っている。
さらにディーヴァーは短編でも恐ろしいほど切れ味がある。『クリスマス・プレゼント』や『ポーカー・レッスン』、『サプライズ・エンディングス 罠』系の短編集では、限られた枚数の中で読ませ、誘導し、最後に容赦なくひっくり返す。短編になると、ディーヴァーの罠づくりの精度がむしろ剥き出しになる感じすらある。
この記事では、そんなジェフリー・ディーヴァーのおすすめミステリ小説を10作品ご紹介していく。
リンカーン・ライム・シリーズから読むべき代表作、どんでん返しの魅力が詰まった短編集、そしてキャサリン・ダンスやコルター・ショウなど別シリーズの注目作まで、ディーヴァー作品の入口としておすすめしやすいものを中心に選んだ。
緻密なプロットに翻弄されたい人、最後の最後で気持ちよく騙されたい人、そして「ここでそう来るのか!」と本を閉じる前に思わず唸りたい人には、非常に危険な作家である。
一度ハマると、次の罠を求めてどんどん読み進めてしまう。ディーヴァー沼は、実に抜け出しにくいのだ。
1.『ボーン・コレクター』
動けない天才鑑識官と現場を走る女性巡査が、骨に執着する連続殺人鬼へ挑む、科学捜査ミステリの伝説的開幕。
科学捜査と安楽椅子探偵が合体した、シリーズ開幕の怪物級ミステリ
地面から突き出した薬指に、指輪がはめられている。
この冒頭の絵面だけで、もうただごとではない。
ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』は、リンカーン・ライム・シリーズの第1作にして、科学捜査ミステリの快感を一気に押し広げた作品である。
事件の異様さ、捜査の緻密さ、タイムリミットの焦燥感、そしてライムとアメリア・サックスの出会い。シリーズの魅力が、初回から濃い濃度で詰め込まれている。
舞台は、国際平和会議を控えたニューヨーク。ケネディ空港からタクシーに乗った男女が姿を消し、やがて男性の遺体が発見される。殺害方法は凄惨で、犯人は現場に次の犯行を示すような手がかりを残していた。そこで警察が協力を求めたのは、かつて鑑識の神様と呼ばれたリンカーン・ライムである。
ただし、この名探偵は現場へ行けない。四年前の事故で脊椎を損傷し、動かせるのは首から上と左手の薬指だけ。しかも物語開始時点の彼は、自らの死を考えるほど追い詰められている。
だが、事件現場の写真と微細証拠を目にした瞬間、眠っていた知性が再起動する。この場面がいい。生きる気力を失っていた男が、犯罪の論理に触れた途端、ものすごい速度で戻ってくる。
名探偵の復活というより、封印されていた超高性能鑑識システムに電源が入る感じである。言い方は少し失礼かもしれないが、実際そのくらい鮮烈なのだ。
そして、ライムの手足となるのが、巡査アメリア・サックスだ。彼女は偶然最初の現場に立ち会い、証拠を守るために大胆な行動を取る。ライムはその判断力を見抜き、彼女を現場へ送り込む。
ベッドの上のライムが指示を出し、サックスが地下鉄、廃墟、マンホール、ニューヨークの危険な場所へ踏み込んでいく。この構図がとにかく強烈だ。
ベッドの上からニューヨークを解剖する名探偵
本作の面白さは、古典的な安楽椅子探偵の形式を、現代の科学捜査へ接続したところにある。
ライムは動けない。だが、動けないからこそ、頭脳だけで都市を支配する。土、繊維、埃、金属片、水分、匂い。普通なら見過ごされるような微細な痕跡が、彼の中では地図になり、時刻表になり、犯人の行動経路になっていく。
これがめちゃくちゃ楽しい。派手な銃撃戦ではなく、砂粒ひとつで場所を絞り込む。わずかな残留物から、犯人がどこを通ったのかを推理する。ミステリ好きの脳内にあるツボというツボを、ディーヴァーは全力で押しまくってくるのだ。
一方で、サックスの存在が本作を単なるパズルミステリにしていない。彼女はライムの代理人であると同時に、現場の恐怖と死体の重さを直接引き受ける人物だ。ライムがデータとして処理するものを、サックスは身体で受け止める。ここに二人の補完関係がある。頭脳と肉体、部屋と都市、分析と直感。その組み合わせこそシリーズの核だ。
犯人のボーン・コレクターもまた、嫌になるほどミステリ的な悪役である。ただ殺すのではなく、手がかりを残し、次の犯行までの猶予を突きつける。
これは警察への挑発であり、ライムへの挑戦でもある。解けなければ人が死ぬ。だが、解けたとしても間に合うとは限らない。この時間制限が、物語を常に前へ前へと押し出していく。
しかも、事件はわずか数日の中で進む。拉致、遺体発見、次の予告、現場検証、推理、追跡。息つく暇がないのに、捜査の細部は緻密だ。このスピードと細かさの両立がディーヴァーらしい。勢いだけで走っているように見えて、実際にはすべての歯車がきっちり噛み合っている。
『ボーン・コレクター』は、リンカーン・ライムという異形の名探偵を誕生させた作品である。ベッドから動けない男が、ニューヨーク全体を頭の中で解剖していく。
その発想だけでも十分に魅力的だが、そこにサックスとの出会い、猟奇的な連続殺人、科学捜査の快感、どんでん返しの切れ味が加わる。第1作にして、すでにシリーズの骨格は完成している。
ミステリとしては冷徹に組まれているのに、人間ドラマとしてはとても熱い。そこがいい。
ライムは証拠を読む。サックスは現場を走る。その二人が出会った瞬間、ニューヨークの闇に眠っていた真実が、少しずつ形を持ち始める。
シリーズ開幕編としてこれほど頼もしく、物騒な一冊もなかなかない。
事件は最悪なのに、シリーズの入口としては最高にワクワクしてしまうのである。
〈リンカーン・ライム〉シリーズ全作品の評価と読む順番
1.『ボーン・コレクター』(4.5)
──骨と塵を手がかりに、動けない天才捜査官と現場を駆ける女性巡査が猟奇殺人鬼に挑む、科学捜査スリラーの伝説的開幕。
2.『コフィン・ダンサー』(4.0)
──死神の刺青を持つ完璧な暗殺者と、ベッドの上から証拠を操るリンカーン・ライムが激突する、シリーズ屈指のプロ対プロ型サスペンス。
3.『エンプティー・チェア』(4.0)
──証拠を信じるライムと、人間を信じるサックスが衝突する、シリーズ屈指の異色な湿地帯サスペンス。
4.『石の猿』(3.0)
──科学捜査と兵法が交差するなか、密航者たちの命と希望を狙う犯罪組織にライムが挑む、シリーズ屈指の社会派サスペンス。
5.『魔術師』(3.0)
──密室、消失、錯覚をめぐる殺人ショーに、リンカーン・ライムの科学捜査が挑むイリュージョン型ミステリ。
6.『12番目のカード』(4.0)
──タロットカードに導かれた少女襲撃事件から、150年前の冤罪とアメリカ社会の傷へ踏み込んでいく、歴史ミステリ色の濃いライム・サスペンス。
7.『ウォッチメイカー』(5.0)
──時計職人を名乗る精密すぎる知能犯と、ライム、サックス、ダンスがそれぞれの捜査技術で挑む、シリーズ最高傑作。
8.『ソウル・コレクター』(4.0)
──個人情報を武器に人生そのものを奪う犯人に、リンカーン・ライムがデータと証拠の矛盾から挑む、現代型サイバー・サスペンス。
9.『バーニング・ワイヤー』(3.0)
──都市を支える電力網を凶器に変える犯人に、ライムたちが電流の痕跡と論理で挑む、インフラ型パニック・サスペンス。
10.『ゴースト・スナイパー』(3.0)
──南国リゾートで起きた超遠距離狙撃事件をきっかけに、ライムが国家権力と情報操作の闇へ踏み込む、苦みの濃いミステリ。
11.『スキン・コレクター』(4.0)
──骨の悪夢が皮膚の傷として蘇る、ライム・シリーズの暗い原点回帰ミステリ。
12.『スティール・キス』(3.0)
──IoT化した日常の機械を凶器に変える犯人に、ライムとサックスが現場とデータの両面から挑む、現代型テクノロジー・サスペンス。
13.『ブラック・スクリーム』(2.0)
──悲鳴を旋律に混ぜる殺人芸術家を、ライムの科学捜査が解体する異国篇ミステリ。
14.『カッティング・エッジ』(3.0)
──幸福の象徴であるダイヤモンドが殺意の迷路へ変わる、ニューヨーク回帰型の鑑識サスペンス。
15.『真夜中の密室』(4.5)
──どんな鍵でも開ける侵入者ロックスミスに、立場を奪われたライムが物理と情報の密室を読み解いて挑む、古典密室反転型のライム・ミステリ。
16.『ウォッチメイカーの罠』(5.0)
──時計職人の犯罪王とリンカーン・ライムが、最後の秒針をめぐって激突する宿敵決着篇。
悠木四季〈リンカーン・ライム〉シリーズについては、ぜひ以下の記事を読んでほしい。

2.『サプライズ・エンディングス 嘘』
言葉、記録、視点に仕込まれた嘘が、最後の一行で別の顔を見せる、ディーヴァー流どんでん返し短編集。
その言葉を信じた瞬間に、ディーヴァーの罠へ落ちている
嘘というものは、ミステリにとってほとんど燃料みたいなものだ。
誰かが嘘をつく。何かを隠す。都合よく語る。そこから事件がねじれ、人物関係が歪み、最後に「そういうことだったのか!」とひっくり返される。
ミステリ好きとしては、まあ嫌いなわけがない。むしろ大好物である。嘘の盛り合わせ、罠のフルコース、どんでん返しの回転寿司。そこへジェフリー・ディーヴァーが乗り込んでくるのだから、もう油断するほうが悪い。
『サプライズ・エンディングス 嘘』は、ディーヴァーがオンラインなどで発表していた短編を、日本向けに独自編集した短編集である。タイトル通り、軸になるのは『嘘』だ。
ただし、ここで扱われる嘘は、単に人物が口先でごまかす程度のものではない。言葉の嘘、視覚の嘘、報告書の嘘、制度の嘘、そして自分自身につく嘘まで多層的に仕掛けられている。
たとえば『ターニングポイント』では、連続殺人鬼が犯行現場にマトリョーシカを残していく。もう小道具の時点で勝ちである。マトリョーシカ。入れ子。開けても開けても中から別の人形が出てくるあれだ。
ディーヴァーがこのモチーフを使うとなれば、物語そのものも当然、入れ子になる。警察の作戦、犯人の狙い、人物たちの発言、そのすべてが何層にも重なり、どれが本当でどれが仕掛けなのか、どんどん分からなくなっていく。ミステリの小道具として、これ以上わかりやすく不穏なものもないだろう。
嘘は隠すためではなく、見せるために置かれている
ディーヴァー作品を読んでいると、嘘の扱い方が独特だと感じる。
普通、嘘は真実を隠すためにある。だがディーヴァーの場合、嘘はむしろ目立つ場所に置かれる。見せつけるように配置される。いかにも怪しいもの、いかにも意味ありげな発言、いかにも重要そうな証拠。
こちらはそれを見て、勝手に方向を決めてしまう。つまり、嘘に騙されるというより、自分の中の「こういうことだろう」という思い込みに足をすくわれるのだ。
『帰任報告』も、その意味で非常にディーヴァーらしい。麻薬カルテルへの潜入捜査が失敗した後の報告という形式で物語が進む。報告書というものは、一見すると客観的で、整理されていて、信頼できそうに見える。
だが、そこに書かれた事実が本当に事実なのか。誰が何を隠し、何を都合よく並べているのか。事務的な文書の顔をした物語が、少しずつ別の表情を見せてくる。この書類が怖くなる感じが、地味であり、嫌である。怪物より報告書のほうが怖い日もある。社会人ならわかるのではないだろうか。たぶん。
本作の面白さは、短編でありながら、どの作品にもきちんと反転の設計図があるところだ。長編ならページ数をかけて罠を張れる。だが短編では、限られた枚数の中で情報を置き、視線を誘導し、最後に一気に裏返さなければならない。
これはとても高度な職人芸である。しかもディーヴァーは、ただ意外な結末を出すだけでは終わらない。反転した瞬間に、それまでの言葉や描写が別の意味を持ち始める。さっきまで何気なく読んでいた一文が、急に刃物みたいな顔をする。こういう瞬間があるから、ディーヴァーの短編は好きなのだ。
さらに、日本独自編集という点も見逃せない。海外でまとまった形では手に取りにくい作品が並ぶため、ディーヴァー好きにはちょっとした宝箱感がある。しかも中身は宝石というより、開けた瞬間にバネ仕掛けで何かが飛び出してくる箱である。嬉しい。怖い。でも開ける。ミステリ好きとはそういう生き物だ。
『サプライズ・エンディングス 嘘』は、嘘をテーマにした短編集であると同時に、ミステリというジャンルがいかに「信じること」を利用して成立しているかを見せてくれる作品集でもある。
信じた瞬間に罠へ落ちる。疑いすぎても、別の罠へ進んでしまう。その意地の悪さが、最高にディーヴァーだ。読み終えるたびに「またやられた」と思うのに、なぜか腹は立たない。
むしろ、次の嘘を待ってしまう。騙されたことに気づいた瞬間、物語の景色が反転し、それまでの言葉が別の意味を帯び始める。
その快感を短編という凝縮された形で味わえるところに、『サプライズ・エンディングス 嘘』の魅力がある。
3.『サプライズ・エンディングス 罠』
犯罪計画、心理戦、古典の変奏、ライムものまでを詰め込み、仕掛ける側と嵌められる側を何度も反転させる短編集。
仕掛ける側が勝つとは限らない、ディーヴァー式どんでん返しの箱庭
『罠』という言葉には、妙なわくわくがある。
もちろん現実で罠にかかるのは絶対に嫌だ。床が抜けるとか、変な契約書にサインさせられるとか、そういうのは遠慮したい。だがミステリの中の罠となると話は別である。
誰かが誰かを嵌めようとして、さらにその上から別の仕掛けがかぶさり、最後には「そっちが罠だったのか!」とひっくり返される。これぞディーヴァーの得意技、という感じがする。
『サプライズ・エンディングス 罠』は、『サプライズ・エンディングス 嘘』と対になる日本独自編集の短編集である。テーマはタイトル通り『罠』。ただし、ここでいう罠は落とし穴や爆弾のような物理的なものだけではない。
人の思い込みを利用し、欲望を誘導し、正義感や恋愛感情まで材料にして、相手を望んだ場所へ歩かせる設計図のことだ。性格が悪い。だが、その性格の悪さがめちゃくちゃ楽しい。
巻頭の『どんでん返し』では、犯罪組織を壊滅させるため、ミステリー作家アランが奇抜な作戦を考えることになる。作家が現実の犯罪者を罠にかけるためにプロットを組む。もうこの設定だけでおいしい。虚構の技術が現実の犯罪に持ち込まれるわけだ。
ところが、物語は当然ながら、作家の思い通りに進まない。仕掛けたはずの側が、いつの間にか自分の作った筋書きに絡め取られていく。
この皮肉がディーヴァーらしくて、読んでいて「出た!こういうやつ!」とテンションが上がるのだ。
罠は相手の弱点ではなく、思い込みに仕掛けられる
本作の面白さは、罠がただ巧妙なだけではなく、人間の見方そのものに食い込んでくるところにある。
たとえば『魔の交差点』は、一見ばらばらに見える七人の人物が、ある交差点へ向かっていく群像劇だ。それぞれの事情が並べられ、少しずつ不穏な気配が濃くなっていく。
最初は「この人たちがどうつながるのか」という興味で追っているのに、最後にすべての線が一点で結ばれた瞬間、見えていた景色がまるごと変わる。こういう収束のさせ方は、やはりディーヴァーの独壇場である。
『麗しきヴェローナ』も楽しい。対立する犯罪組織の息子と娘が恋に落ちるという、明らかに「ロミオとジュリエット」を思わせる設定で始まる。こちらは当然、その古典的な悲劇の型を意識する。
するとディーヴァーは、その予測を利用してくる。知っている物語の枠があるからこそ、逆方向へ振られたときの衝撃が大きい。名作古典まで罠の材料にする、ディーヴァーの遠慮のなさが面白い。
そしてシリーズファンとして見逃せないのが『完全犯罪計画』である。ここでは、なんとリンカーン・ライム自身が標的になる。四肢麻痺の名探偵を殺すために練られた完全なプラン。これだけで物騒なごちそう感がある。
ライムは動けない。現場へ行けない。逃げることもできない。だが、だからこそ彼の頭脳が前面に出る。微細証拠、データベース、わずかな矛盾。短編の限られた尺の中で、ライムものらしい科学捜査の快感がぎゅっと圧縮されている。デルレイが登場するのも、シリーズを追っている側にはうれしいところだ。
『嘘』が情報のずらし方を楽しむ短編集だとすれば、『罠』は構造そのものの反転を楽しむ作品集だ。誰が仕掛けているのか。誰が獲物なのか。そもそも、今見えている構図は本当に正しいのか。そう思った時点で、もうこちらは危ない。ディーヴァーの作品では、警戒しているつもりの視線すら誘導されているからである。
『サプライズ・エンディングス 罠』は、短編というサイズの中に、犯罪計画、心理戦、古典の変奏、シリーズものの魅力を詰め込んだ、実にぜいたくな一冊だ。
どの作品も、最後の一撃のために丁寧に導線が敷かれている。読みながら「今度こそ見抜くぞ」と身構えるのに、気づけばまた変な角度から足元をすくわれる。
悔しい。だが楽しい。ミステリ好きにとって、この敗北感はほとんど快楽なのだ。
4.『クリスマス・プレゼント』
短編ごとに違う顔を見せながら、最後には必ず視界をひっくり返してくる、ディーヴァー流サプライズ・ミステリの豪華な詰め合わせ。
短編の箱を開けるたび、最後に爆竹が仕込まれている
贈り物の包みを開けるとき、人はだいたい中身を想像している。
箱の大きさ、重さ、リボンの感じから、「まあこういうものだろう」と勝手に決める。
ジェフリー・ディーヴァーの『クリスマス・プレゼント』は、その油断をきれいに利用してくる短編集である。箱を開けた瞬間、欲しかったものが出てくる……と思ったら、底板が外れて別の部屋に落とされる。
そんな作品が16編も並んでいる。なんという迷惑な贈り物。だが、こういう迷惑なら大歓迎である。
本書は、ディーヴァーが2003年に発表した初の短編集『Twisted』の邦訳であり、彼が「どんでん返しの職人」としてどれほど細かい仕事をする作家なのかを、めちゃくちゃ濃厚に味わえる一冊だ。
舞台は現代ニューヨークから100年前のロンドンまで広がり、精神科医と患者の心理戦、ストーカーに狙われるスーパーモデル、詐欺師と未亡人の駆け引き、さらにリンカーン・ライムものの書き下ろしまで入っている。ジャンルの品ぞろえが妙に豪華で、ミステリのデパ地下みたいな楽しさがある。
収録作『ジョナサンがいない』では、亡き夫を想い続ける女性の日常が、ある発見を境に別の顔を見せていく。感傷的な物語として進むかと思えば、そこにディーヴァーらしい冷たい刃が忍び込む。
『ビューティフル』では、ストーカーに悩まされる美女が、自分の美しさそのものを武器にして状況を切り返す。美は祝福なのか、呪いなのか。そんなテーマをサスペンスの形でさばいてくるあたり、実にいやらしい。もちろん褒めている。
ひねりは最後の一撃ではなく、最初から仕込まれている
ディーヴァーの短編が面白いのは、ラストだけで勝負していないところだ。
最後に驚かせる作家なら他にもいる。だがディーヴァーの場合、冒頭の一文、人物の説明、何気ない会話、妙に丁寧な描写まで、すべてが終盤の反転に向けて配置されている。
つまり、ひねりは最後に突然出てくるのではなく、最初から堂々とそこに置かれているのだ。ただ、こちらがそれを別の意味で受け取ってしまう。ここが実に悔しい。
『パインクリークの未亡人』では、詐欺師と未亡人の駆け引きが描かれる。どちらが相手を出し抜くのか、どこまでが演技なのか。その探り合いが短い枚数の中でぴんと張り詰めている。
『三角関係』もまた、不倫と殺意というよくある題材を扱いながら、着地点がひと筋縄ではいかない。人間関係の泥っぽさを利用しつつ、最後には構図そのものをくるりと反転させる。この「見ていた盤面が実は違った」感じが、ディーヴァー短編の醍醐味だ。
さらに『釣り日和』のように、不安を抱えた人物の心理をじっくり描く作品もある。派手な事件だけで押すのではなく、人間の内側にある恐怖や思い込みを、きちんとサスペンスの燃料にしているのがいい。
歴史ミステリ『この世はすべてひとつの舞台』では、シェイクスピア時代の演劇界を舞台にしていて、ディーヴァーの引き出しの多さに思わず笑ってしまう。科学捜査だけの人ではない。いや、知っていたけれど、あらためて芸域が広いと思わされる。
表題作『クリスマス・プレゼント』は、リンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場する一編である。クリスマスの夜という、普通なら少し温かい雰囲気になりそうな設定に、ディーヴァー印の仕掛けがきちんと入る。ライムものとしての満足感もあり、短編集の締めに置かれる贈り物としても気が利いている。もちろん、包み紙を信じすぎると痛い目を見るのだが。
『クリスマス・プレゼント』は、短編ミステリの楽しさを純度高く詰め込んだ作品集である。一編ごとに世界が変わり、語り口が変わり、最後には視界がひっくり返る。しかもその驚きは、単なるびっくり箱では終わらない。
人間の欲、孤独、虚栄、愛情、執着が、反転の瞬間にふっと浮かび上がる。だからこそ、読み終えたときに「やられた!」だけではなく、「そう刺してくるのか」と妙に感心してしまう。
短編の箱を開ける楽しさと怖さが、これほどサービス精神たっぷりに詰め込まれているのだから、やはり最高に贅沢だ。
5.『ポーカー・レッスン』
こちらの警戒心まで読み切ったうえで、二段三段の反転を仕掛けてくる、ディーヴァー短編技巧の高レートな心理戦ミステリ集。
配られたカードを読んだつもりで、こちらが読まれている
ポーカーは怖いゲームだ。
手札そのものより、相手が何を考えているか、自分がどう見られているか、その読み合いで勝負が決まる。
つまり、カードを見ているようで、実は人間を見ている。いや、もっと言えば、自分の思い込みを見せられている。
ジェフリー・ディーヴァーの『ポーカー・レッスン』は、まさにそんな短編集である。
こちらは物語を読んでいるつもりなのに、いつの間にかディーヴァーに表情を観察され、手札を見透かされ、最後にチップをごっそり持っていかれる。なんだこの文学カジノは!と言いたくなる。しかも、負けたのにまた席に着きたくなるから悔しい。
本書は、『クリスマス・プレゼント』に続く第2短編集であり、原題は『More Twisted』。つまり、もっとひねってやるぞ、という宣言である。
前作の時点で十分ひねられていたのに、さらにねじる気だ。ディーヴァーは一体、読者の首をどこまで回すつもりなのか。
収録作は16編。ポーカー勝負を描く表題作をはじめ、法廷劇、密室めいた会話劇、歴史ミステリ、リンカーン・ライムものまで幅広い。
表題作『ポーカー・レッスン』は、高額な賭け金が動くポーカーの勝負を描いた一編だ。だが、ここで本当に勝負されているのはカードの強弱だけではない。ブラフ、視線、沈黙、わずかな反応。そうした細部が、すべて心理戦の材料になる。
ポーカーというゲーム自体が、ディーヴァー短編の構造そのものに見えてくるのが面白い。情報は配られる。しかし、それが本当に強いカードなのか、見せ札なのか、こちらにはなかなか分からない。
どんでん返しを警戒する人間を、さらに嵌める技術
前作『クリスマス・プレゼント』を読んだあとで本書に入ると、こちらも当然身構える。どうせ最後にひっくり返すんでしょう?と、ちょっと斜に構えたくなる。ところがディーヴァーは、その警戒心ごと罠に使ってくるのだ。
ここが本当にいやらしい。こちらが「これはミスリードだな」と思ったものが本筋だったり、「これは本筋だな」と思ったものが別の誘導だったりする。疑うことさえ、すでに読まれている。ミステリ作家というより、読書中のこちらの脳内を覗くディーラーである。
リンカーン・ライムが登場する『ロカールの原理』も、本書の大きな目玉だ。接触した二つのものの間には、必ず何かが残る。ライムの捜査哲学の根幹にあるこの原理が、短編の中でぎゅっと凝縮されている。
微細証拠、論理、観察、推理。長編ではじっくり展開される科学捜査の快感が短編サイズに圧縮されていて、シリーズファンとしてはすごく嬉しい。小さな痕跡から世界をひっくり返すライムの切れ味は、やはり別格である。
『一事不再理』は、法廷劇としての面白さが光る一編だ。一度裁かれた事件を再び裁くことはできないという法の原則が、物語の中心に据えられる。法律という硬い仕組みを使いながら、そこに人間の悪意や抜け道を絡めていくあたりがディーヴァーらしい。正義は制度で守られるのか、それとも制度を利用する者にねじ曲げられるのか。そんな嫌な感触が、ラストの反転によってぐっと濃くなる。
『生まれついての悪人』のような会話劇もいい。派手なアクションではなく、一室でのやり取りだけで緊張感を積み上げていく。こういう作品を読むと、ディーヴァーは大仕掛けだけの作家ではないのだと改めて感じる。人物の言葉、沈黙、心理の押し引きだけで、十分にサスペンスを作ってしまう。
そして『ウェストファーレンの指輪』では、19世紀ロンドンを舞台にした歴史ミステリまで見せてくる。ジャンルの引き出しが多い。しかも、どの引き出しにも罠が入っている。収納として最悪、短編集として最高である。
本書の特徴は、反転の回数が増えていることだと思う。単に最後に一回ひっくり返すのではなく、途中で一度見え方を変え、さらに終盤でもう一段深い場所へ落とす。いわば、どんでん返しの二段底である。
こちらが「そういうことか」と納得した瞬間、その納得そのものが危うくなる。ミステリ好きにとって、これは幸福な敗北だ。
『ポーカー・レッスン』は、ディーヴァー短編の技巧がさらに鋭くなった作品集である。ブラフを読むつもりが、こちらの読み筋まで読まれている。勝負しているつもりが、最初からテーブルの位置まで決められている。
それでも楽しい。いや、だからこそ楽しい。何度負けても、次こそは見抜いてやると思ってしまう。
ディーヴァーの短編は、ミステリ好きにとって危険な賭場である。
そしてこの一冊は、その中でも特にレートの高い勝負を仕掛けてくるのである。
6.『スリーピング・ドール』
身体の動きや声の揺れから嘘を読むキャサリン・ダンスが、カルト指導者の心理操作に挑む、シリーズ開幕の心理戦サスペンス。
身体の動きから嘘を読む、キャサリン・ダンス始動の心理戦ミステリ
人というのは、口ではいくらでも嘘をつける。
だが、肩のこわばり、視線の逃げ方、声の揺れ、ほんの一瞬の表情までは、なかなかごまかしきれない。
そこを読む。そこを突く。
ジェフリー・ディーヴァー『スリーピング・ドール』は、リンカーン・ライム・シリーズとはまた違う角度から、「証拠とは何か」を見せてくるスピンオフ第1作である。
主人公は、カリフォルニア州捜査局の特別捜査官キャサリン・ダンス。彼女は、身体の動きや声の調子から相手の心理を読み取る運動学、キネシクスの専門家だ。ライムが土や繊維や微細証拠から真実へ迫るなら、ダンスは人間そのものを現場にする。
顔、手、言葉の間、沈黙の質。そこに残された揺らぎを拾い上げていく。これがもうめちゃくちゃに面白い。鑑識が顕微鏡で世界を見るなら、ダンスは会話の中に潜む微細な地震を読むのである。
物語の中心にいるのは、かつてクロイトン一家惨殺事件を起こしたカルト指導者ダニエル・ペルだ。彼は八年前、実業家一家を殺害し、終身刑を受けていた。
その事件で唯一生き残った末娘テレサは、眠っていたために犯人の目を逃れ、「スリーピング・ドール」と呼ばれるようになった。この通称だけで、すでに不穏である。事件の残酷さと、童話めいた響きが妙に噛み合わない。その噛み合わなさが、ずっと胸の奥に引っかかっている感じだ。
ペルは新たな未解決事件の証拠をめぐって尋問されることになる。そこで対峙するのがキャサリン・ダンスだ。だが、相手が悪すぎる。ペルはただの殺人者ではない。他人の欲望や不安を読み取り、操り、依存させる天才である。
尋問される側でありながら、いつの間にか場の空気を支配していく。普通なら、ダンスが相手の嘘を見抜く側だ。ところがペルは、その分析すら計算に入れてくる。
ここが怖い。キネシクスという武器が、相手に研究され、逆に利用されるかもしれないのだ。
カルトの怖さは、暴力よりも居場所を与えるところにある
本作の見どころは、ペルの元「ファミリー」である女性たちの描写にもある。彼女たちは、かつてペルに支配されていた。だが、その支配は単純な恐怖だけで成立していたわけではない。
彼は彼女たちに居場所を与え、承認を与え、理解者の顔をして近づいていた。だからこそ厄介なのだ。暴力なら逃げればいい、と外側からは言えてしまう。だが、そこに愛情めいたもの、救済めいたもの、家族ごっこの温度が混ざると、人は簡単には抜け出せない。
ディーヴァーは、このカルトの仕組みを冷徹に描く。ペルは怪物でありながら、人を引き寄せる魅力を持っている。その魅力があるからこそ危険なのだ。悪人がいかにも悪人の顔をしていたら、まだ楽である。
だがペルは、相手の心の隙間に合わせて顔を変える。優しい父親にも、恋人にも、導師にもなれる。人間関係の隙間に忍び込むタイプの悪。これに嫌なリアリティがある。
一方で、ダンスもただの捜査マシンではない。彼女には家族があり、仕事と私生活の間で揺れる感情がある。ライムがベッドの上から都市を解析する異形の名探偵だとすれば、ダンスはもっと地に足のついた、しかし同じくらい鋭い観察者である。
相手の身体を読むだけでなく、傷ついた人間の心にどう近づくかも問われるのだ。テレサの失われた記憶に触れていく場面には、事件解決だけでは片づかない痛みがある。
そしてもちろん、ディーヴァーである。終盤に入ってからの反転の畳みかけは容赦ない。誰が誰を操っているのか。逃げているのは本当にペルなのか。追っている側は、本当に主導権を握っているのか。
そう思った瞬間、足場がずれる。またやられた。毎回そう思うのに、やっぱり気持ちよく転がされてしまう。
『スリーピング・ドール』は、科学捜査のライム・シリーズとは別方向から、ディーヴァーの知的サスペンスを広げた作品である。物的証拠ではなく、人間の仕草、声、記憶、依存を読むミステリ。そこにカルトの残酷さと、どんでん返しの快感が絡み合う。
キャサリン・ダンスという主人公の魅力も、この一作でしっかり立ち上がっている。
ライムとは違う武器で戦う名探偵の誕生として、とても読みごたえのある開幕編だ。
7.『ネヴァー・ゲーム』
ゲームを模した現実の殺人ルールに、報酬探求者コルター・ショウが確率思考とサバイバル技術で挑む、新シリーズ開幕のデジタル・サスペンス。
デジタル社会の死のゲームに、サバイバル脳で挑む新ヒーロー
ゲームは楽しい。
少なくとも、画面の中で遊んでいるぶんには。
だが、そのルールが現実に持ち込まれ、失敗すれば死ぬとなったら、話は一気に洒落にならなくなる。
ジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』は、まさにその「遊び」と「殺人」の境界を踏み越えてくるサスペンスである。しかも舞台はシリコンヴァレー。テクノロジーと資本とゲーム文化がごちゃっと渦巻く場所で、現実そのものが危険なステージに変わっていく。
本作は、リンカーン・ライム、キャサリン・ダンスに続く新たな主人公、コルター・ショウのシリーズ第1作である。
ショウは警察官でも私立探偵でもない。アメリカ各地をキャンピングカーで移動し、失踪者や逃亡犯にかけられた懸賞金を追う「報酬探求者」だ。この肩書きがまずいい。賞金稼ぎと言うと少し荒っぽいが、ショウはそれだけでは収まらない。
倫理観があり、追跡技術があり、さらにサバイバリストの家庭で叩き込まれた生存術がある。要するに、現代版の知性派レンジャーみたいな男である。
物語は、富裕な実業家の娘ソフィーがカフェを出た後に失踪する事件から始まる。依頼を受けたショウは調査を進め、事件の背後に『ウィスパリング・マン』というビデオゲームの存在を見つける。
犯人はゲームの内容を現実に再現し、被害者を孤立した場所に閉じ込め、生き残るための「アイテム」を与える。だが、それは助けではなく罠でもある。ゲームで拾うアイテムならありがたいが、現実で渡されると急に怖い。
回復薬の顔をした毒、攻略ルートの顔をした行き止まり。ディーヴァーは、そういう嫌な遊びを思いつく天才だ。
確率で考え、野生の勘で生き残る男
コルター・ショウの面白さは、行動の基準がとにかく確率にあることだ。彼は感情だけで突っ走らない。目の前の証拠を見て、可能性を更新し、どの行動が最も生存率を上げるかを考える。新しい情報が入れば、仮説を修正する。
つまり、彼の頭の中では常に「今いちばん可能性が高い筋は何か」が計算されている。リンカーン・ライムが微細証拠の王なら、ショウは確率と期待値のハンターである。
この思考法が、シリコンヴァレーという舞台とよく噛み合っている。作中では、ビデオゲーム、仮想現実、企業倫理、巨大資本の冷たさが絡み合う。すべてがデータ化され、数値化され、効率化されていく世界だ。だが、その中でショウが頼るのは、意外にも原始的なサバイバル技術でもある。
水がなければ人はどれくらい持つのか。身を隠すならどこか。相手が合理的に動くなら、次にどんな選択をするのか。デジタル社会の罠に、アナログな生存術で対抗する。この組み合わせが燃えるのだ。
犯人が仕掛ける死のゲームも、単なる猟奇趣味では終わらない。ゲームという形式は、ルールを持つ。勝敗があり、条件があり、プレイヤーがいる。だが現実では、ルールを作った側が圧倒的に有利である。
被害者はゲームに参加させられた時点で、もう盤面の上に置かれている。ショウの役割は、その盤面を外側から読み解き、犯人の設計を逆算することだ。ここにディーヴァーらしい知的ゲーム感がある。走る。追う。殴る。だけではない。まずルールを見抜かなければ勝てないのだ。
さらに、本作にはショウ自身の家族をめぐる謎も組み込まれている。サバイバリストだった父は、なぜ家族を隠遁生活へ導いたのか。その死には何が隠されているのか。
事件単体のスリルに加えて、シリーズ全体を貫く大きな謎が走っているので、第1作でありながら先が気になる仕掛けがしっかりある。ディーヴァーは、読ませる導線の置き方が本当に抜け目ない。
『ネヴァー・ゲーム』は、デジタル時代の犯罪を描きながら、最後に問われるのは人間の生存能力だというところが面白い。
画面の中のゲームはリセットできる。だが現実の罠にリセットボタンはない。
そこでコルター・ショウは、確率を読み、地形を読み、人間の欲望を読み、生き残る道を探す。
ライムともダンスとも違う、新しいタイプのディーヴァー主人公の誕生である。
8.『オクトーバー・リスト』
最終章から第1章へ時間を遡りながら、出来事の意味も人物の顔も次々に反転していく逆行型サスペンス。
最後から始まる物語は、最初に戻った瞬間に牙をむく
ふつう、小説は最初から読む。
当たり前すぎる話である。
冒頭があり、事件が起こり、謎が深まり、最後に真相へたどり着く。
ところがジェフリー・ディーヴァー『オクトーバー・リスト』は、その当たり前をいきなりひっくり返してくる。
物語は「最終章」から始まり、「第1章」へ向かって時間を遡っていくのだ。
つまり、いきなりクライマックスを見せられる。しかも、事情はよく分からない。分からないのに緊迫感だけは異様に高い。これはもう読書というより、逆走するジェットコースターに乗せられる感覚である。
物語の中心にいるのは、ガブリエラ。彼女は誘拐された娘ソフィーを救うため、犯人との交渉に臨んでいる。要求されているのは多額の身代金と、「オクトーバー・リスト」と呼ばれる謎の文書。
冒頭から状況は切迫している。銃声が響き、誰かが倒れ、取り返しのつかない出来事が起きたらしい。だが、なぜそうなったのかは分からない。誰が味方で、誰が敵なのかも分からない。
ここから物語は、少しずつ過去へ戻っていく。時間が巻き戻されるたびに、さっき見た場面の意味が変わる。
ガブリエラはなぜリストを持っているのか。彼女に協力するダニエルとは何者なのか。投資顧問会社の不正、ロシア系マフィアの影、誘拐事件の裏にある思惑。それらが、通常のミステリとは逆方向から明かされていく。
この構成だけでもう変態的だ。もちろん褒めている。ディーヴァーは、ここでもまた妙な遊びを思いついてしまったのだ。
原因があとから来ると、真実は何度でも姿を変える
本作の面白さは、単に「時間が逆に進む」ことではない。結果を先に見せられ、原因をあとから知ることで、こちらの解釈が何度も修正される点にある。
普通の物語なら、原因があり、結果がある。だが本作では、まず結果が提示される。こちらはその結果を見て、「きっとこういう事情があったのだろう」と勝手に補う。
ところが、少し過去へ戻ると、その推測が崩れる。さらに戻ると、さっきの崩れ方すら別の意味を帯びる。読んでいるこちらの脳内で、何度も事件の図面を引き直すことになるのだ。
これぞディーヴァーの真骨頂。彼はただ時系列を逆にして奇をてらっているわけではない。逆行構造そのものをトリックにしている。未来の場面で善意に見えた行動が、過去へ戻るとまったく違う意図を持っていたと分かるのだ。
逆に、怪しく見えた人物の振る舞いが、別の文脈では切実なものに見えてくる。人物評価がぐるぐる変わる。感情の置き場所が定まらない。読んでいる側は、証拠品を裏返しては「こっちが表だったのか!」と驚かされ続けるしかない。
さらに面白いのは、本という形式そのものまで仕掛けに組み込まれているところだ。目次が巻末に置かれていたり、写真のキャプションが物語の補助線になっていたりする。紙の本の構造まで使ってくるあたり、とても手が込んでいる。電子書籍でも読める作品ではあるが、これは本の物理感を意識して読むとより楽しいタイプだと思う。
ただし、この作品は人を選ぶかもしれない。通常のサスペンスのように、事件を順に追いかける快感とは違う。むしろ、すでに起きたことの意味を、後ろ向きに解体していく面白さである。
物語の推進力も、「次に何が起きるか」ではなく、「さっき起きたことは何だったのか」にある。この読み心地が合うかどうかで評価は分かれそうだ。だが、ミステリの構造実験が好きな人にとってはたまらない作品だ。
そして第1章にたどり着いた瞬間、物語全体の意味が反転する。この到達感がすごい。最後まで読んだはずなのに、むしろここからもう一度読み直したくなる。
順行で読むとどう見えるのか、最初に見落としていた台詞や表情は何だったのか。そういう再読欲を強烈に誘う作品である。
『オクトーバー・リスト』は、ディーヴァーの技巧が極端な形で出た実験作だ。時間を逆に流すことで、因果関係も、人物の印象も、事件の意味も、どんどん塗り替えていく。
これは単なるどんでん返し小説ではない。物語の順番そのものをミステリの武器にした、非常に攻めた一冊である。正直、読んでいる間は頭の中の時系列メモが大忙しになる。
だが、その混乱すら楽しい。ディーヴァーの魔術師ぶりを変わった角度から味わえる作品だ。
9.『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』
シリーズのスターたちが短編という弾丸で暴れる、ディーヴァー流サプライズ短編集。
短編という弾丸で、ディーヴァーがこちらの予想を撃ち抜いてくる
ジェフリー・ディーヴァーの短編は、のんびり味わうお菓子というより、開けた瞬間に作動する精密な小型爆弾に近い。
油断していると、最後の数行で視界がひっくり返る。しかも爆発音だけ派手なのではなく、あとから破片を拾ってみると、すべて計算された角度で飛んでいたことが分かる。恐ろしい職人技だが、実に楽しい。
『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』は、ディーヴァーの第3短編集『Trouble in Mind』の日本語版上巻であり、6編の短・中編を収めた作品集である。
ディーヴァーは短編を「狙撃手の放った銃弾」のようなものとして捉えているらしいが、まさにその通りだ。長編のように大きな世界をじっくり組み上げるのではなく、一瞬の照準、一発の衝撃、そして命中したあとに残る妙な納得感で勝負してくる。
しかも本書が贅沢なのは、ディーヴァー作品の人気キャラクターたちが次々に登場するところである。キャサリン・ダンス、リンカーン・ライム、ジョン・ペラム。シリーズもののスターが短編の舞台に呼び出され、それぞれの武器を限られた紙幅の中で披露する。
これはもう、ディーヴァー版オールスター戦と言っていい。ただし、試合会場にはだいたい罠が仕掛けられている。安心して観戦できない。そこがいい。
表題作『フルスロットル』では、キャサリン・ダンスが国内テロの阻止に挑む。二百人の命がかかったタイムリミットの中、彼女は尋問のプロとして相手の言葉、表情、身体の微細な反応を読み取っていく。
ライムが物証の隙間を覗き込む名探偵なら、ダンスは人間の反応そのものを証拠に変える捜査官だ。短編という短い時間の中で、尋問の緊迫感がぎゅっと圧縮されていて、読んでいるこちらまで呼吸が浅くなる。
シリーズの武器を、短編サイズに圧縮する凄み
『教科書どおりの犯罪』は、リンカーン・ライムものとしておいしい一編である。犯人は、ライム自身が書いた科学捜査の本を読み込み、その知識を逆手に取って証拠を偽装する。つまり、ライムの武器が犯人の防具になっているのだ。
これはシリーズを追っている側にはたまらない設定である。名探偵が作り上げた方法論を、敵が学習して対策してくる。まさに科学捜査対科学捜査対策。なんという面倒くさい犯人。だが、こういう知的な面倒くささこそディーヴァーのごちそうである。
この作品の面白さは、ライムが単に微細証拠を分析するだけでは済まないところにある。犯人が証拠の扱い方を理解している以上、物証はそのままでは信用できない。
では何を見るのか。そこで、動機や心理、行動の不自然さが浮かび上がってくる。ライムというキャラクターの科学的な鋭さに、人間を見る感覚が加わるのだ。その変化を短編で見せるあたり、気が利いていて好きだ。
『パラダイス』では、ロケハンスカウトのジョン・ペラムが登場する。彼はコロラドの山道でトラブルに巻き込まれ、立ち寄った町で殺人容疑をかけられる。ライムやダンスとは違い、ペラムの魅力はもっと泥臭く、移動生活者らしい勘としぶとさにある。田舎町の閉塞感、腐敗した空気、外部から来た男がはめられる不穏さ。短編ながら、ハードボイルド寄りの味わいがしっかりある。
さらに『バンプ』では、ポーカーのリアリティ番組を舞台にした虚実の反転劇が展開される。ディーヴァーとポーカーの相性はやはりいい。ブラフ、視線、演技、勝負の流れ。すべてがミスリードの材料になる。
『三十秒』は、わずか三十秒の出来事を膨らませていく技巧が見どころだ。時間の短さと語りの密度が噛み合い、何気ない瞬間の裏側にどれだけの情報を詰め込めるかを見せてくる。短編作家ディーヴァーはやはり圧がすごい。
本書を読んで改めて感じるのは、ディーヴァーの短編が長編の余技ではないということだ。むしろ、ミステリの仕掛けを純度高く抽出した実験室に近い。尋問、科学捜査、ハードボイルド、詐欺、心理戦。作品ごとにジャンルの顔つきは変わるが、どれも最後には読んでいる側の認識を撃ち抜いてくる。
『フルスロットル トラブル・イン・マインドⅠ』は、まさにタイトル通り、最初からエンジン全開の短編集である。一編ごとに違う角度から罠が飛んでくるので、読んでいる側はなかなか休めない。だが、その忙しさが楽しい。
シリーズキャラクターの魅力を再確認しつつ、ディーヴァーの短編技巧もたっぷり浴びられる。
短い物語でここまでひっくり返されるのか、という快感を味わいたいならこの一冊は外せない。
10.『死亡告示 トラブル・イン・マインドⅡ』
どんでん返しの快感だけでなく、論理の外側や人間の暗部まで踏み込んでくる、短編の苦みと実験性が濃い作品集。
ディーヴァー短編の暗い側面が、ここでは本気で牙をむく
ジェフリー・ディーヴァーの短編は、基本的に「やられた!」を楽しむものだと思っている。
最後の数行で認識をひっくり返され、悔しいのにニヤついてしまう。ミステリ好きとしては、あの敗北感がたまらない。
だが『死亡告示 トラブル・イン・マインドⅡ』は、同じディーヴァー短編集でも少し手触りが違う。
もちろん、どんでん返しはある。仕掛けもある。いつもの職人芸も健在である。けれど本書では、その反転が快感だけで終わらない。もう少し暗い場所へ連れていかれるのだ。
本書は、第3短編集『Trouble in Mind』の日本語版下巻にあたる作品集である。上巻『フルスロットル』が、シリーズキャラクターの魅力と短編技巧を前面に押し出したエンジン全開の一冊だったとすれば、こちらはもっと実験的で、苦く、時に不穏だ。
ミステリのルールを守りながら、その縁を踏み越えようとする作品が並んでいる。ディーヴァーは、ただのどんでん返し職人では終わる気がない。そういう作家の攻めた顔が見える。
表題作『死亡告示』では、リンカーン・ライム自身の死亡告示が新聞に掲載される。生きている本人が、自分の死を先に紙面で見せられるのである。これは嫌だ。めちゃくちゃ嫌だ。ライムほど合理的な人物であっても、自分の死が予告される状況には心理的な圧がかかる。
ここで面白いのは、事件が単なる脅迫ではなく、ライムの分析能力そのものに挑む形で進むことだ。死の不安にさらされながらも、彼はいつも通り証拠を読み、犯人の意図を追う。冷徹な知性と、避けられない肉体の有限性。そのぶつかり合いが、短編ながら濃い。
論理の外側にあるものまで、ディーヴァーは罠にする
本書で特に異色なのが『永遠』である。統計とデータですべてを読もうとする若い数学刑事と、経験と勘で動くベテラン刑事が、一見すると心中に見える事件へ挑む。
コンビものとしても面白い。数字で世界を切る若手と、現場の匂いを知る古参。いかにも衝突しそうな二人だが、その組み合わせが事件に独特のリズムを与えている。
ただ、この作品はそこで終わらない。背後に、超常的な存在の気配が漂うのだ。合理的に解けるはずの事件に、論理だけでは割り切れない影が差す。これが不気味である。
ディーヴァーといえば、ライムに象徴されるように、証拠と推論の作家という印象がある。その作者が、あえて「理屈では届かないかもしれない領域」を覗かせる。これはちょっとした自己挑発のようにも見える。自分が築いたミステリの堅牢な箱に、自分で小さな穴を開けている感じだ。
また、本書には勧善懲悪から外れた苦い結末もある。悪がきっちり罰され、善が救われるとは限らない。長編ではシリーズとしての期待やキャラクターの積み重ねがあるため、ある程度の約束事が必要になる。だが短編では、その約束を少し崩せる。
ディーヴァーはここで、事件解決の爽快感よりも、人間の欲や弱さが残すざらつきを選ぶことがある。そのため、読み終えたあとにスッと整理されるというより、そこに着地するのか、と少し黙り込むような感触がある。
『死亡告示 トラブル・イン・マインドⅡ』は、ディーヴァー短編の中でも暗めで、実験色の濃い作品集だ。
ライムものの緊張、統計刑事とベテラン刑事の異色バディ、オカルトめいた不穏さ、詐欺小説の愉しみ、そして正義が必ず勝つわけではない苦さ。上巻のスピード感とは違い、こちらは深い穴を覗き込むような読み心地がある。
ディーヴァーは、どんでん返しで驚かせるだけの作家ではない。驚きのあとに、何を見せるか。その一点で、本書はとても印象に残る。
気持ちよく騙されたいだけなら、少し暗すぎるかもしれない。
だがミステリの形を使って、論理の外側や人間の底まで踏み込むディーヴァーを堪能するなら、この下巻はとても刺激的だ。
おわりに

絵:悠木四季
ジェフリー・ディーヴァーの作品を読んでいると、ミステリの騙される楽しさをこれでもかと味わえる。
ただし、その騙し方は雑ではない。いきなりちゃぶ台をひっくり返すような驚きではなく、ちゃんと手がかりを置き、心理を読み、科学捜査や交渉術や犯罪計画を積み上げたうえで、最後にスパッと景色を変えてくる。
だからこそ、読んでいて悔しいのに気持ちいい。完全にディーヴァーの手のひらの上で転がされているのに、「もう一回お願いします」と言いたくなるのだ。
〈リンカーン・ライム〉シリーズでは、ベッドの上から証拠を読み解くライムと、現場で身体を張るサックスのコンビが、科学捜査ミステリの面白さを一気に広げてくれた。『ボーン・コレクター』から始まるこのシリーズは、犯人との知恵比べ、証拠の読み解き、タイムリミットの緊張感がぎっしり詰まっている。
一方で、短編集も見逃せない。『クリスマス・プレゼント』や『ポーカー・レッスン』、『サプライズ・エンディングス 罠』などの作品では、短い物語の中に罠を仕込み、こちらが油断したところで一気に反転させてくる。長編では巨大な迷路を歩かされ、短編では足元に小型の罠を置かれる。どちらにしても逃げ場がない。怖い作家である。
また、キャサリン・ダンスやコルター・ショウが登場する作品では、科学捜査とはまた違う角度からディーヴァーの面白さが見えてくる。人間の仕草を読むキネシクス、サバイバルや報奨金ハンターの世界、実験的な構成のサスペンスなど、同じ作家なのに毎回違う遊び方を見せてくれるのがすごい。
ディーヴァー作品の魅力は、ただ「犯人は誰か」を追うだけでは終わらないところにある。何を信じるか。どの情報を本物だと思うか。どこで自分が思い込みに引っかかったのか。読み進めるうちに、こちらの見方そのものが試されていく。
だから、どんでん返しが好きな人にはもちろん、緻密な捜査ミステリが好きな人、心理戦が好きな人、最後に「やられた!」と気持ちよく敗北したい人にも、ジェフリー・ディーヴァーをおすすめしたい。
気になる作品から手に取ってしまえば、たぶん次も読みたくなる。
そして気づけば、証拠品と伏線と反転だらけのディーヴァー沼に、深く足を取られているはずだ。
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