高森泉『ぼくたちの告白』- 誰が、何を、どこまで告白したのか?【読書日記】

『このミス』大賞シリーズは毎回欠かさず読んでいるけれど、その中でも高森泉『ぼくたちの告白』は、とくに面白かった!
新人のデビュー作ということを忘れるほど構成が大胆で、しかも仕掛けを重ねるたびに物語の熱まで上がっていく。これは隠し玉の中でも、しっかり傑作と呼びたくなる一作だった。
15年前、卒業式を目前にした小学校で、一人の女子児童が校舎から転落して死んだ。現場の部屋には事故で片づけられない殺人の仕掛けが残され、それでも犯人は見つからない。事件は迷宮入りし、時間だけが過ぎていく。
そして現在、その転落死をそっくり写し取ったような小説が、Webの投稿サイトへ突然現れる。
高森泉『ぼくたちの告白』は、この二つの出来事をぶつけるところから始まる。15年前の死と、いま公開されたフィクション。
誰が書いたのか。なぜ今なのか。文章に混ぜられた事実は、どこまで本物なのか。亡くなった少女・美緒の妹である杏月が、投稿小説の中に不審な点を見つけた瞬間、止まっていた事件がもう一度こちらを向く。
しかも、過去を調べ始めた杏月の周囲では、新たな事件まで起こってしまう。
古い事件を小説が掘り起こし、その小説を手がかりに現実の捜査が進む。現実と創作が互いを映し合いながら、少しずつ形を変えていく構成がとにかく面白い。
投稿小説は犯人の告白なのか、誰かによる告発か、それとも事件そのものを利用した別の企みなのか。
文章を読む行為が、そのまま捜査へ変わっていくのである。
小学校という小さな世界が、事件を飲み込んでいく
物語の第一部では、事件が起きた15年前の小学校生活がじっくり描かれる。
中心にいるのは、美緒とぼく、そしてこうちゃんや八木をはじめとする子供たちだ。教室では給食費の盗難が起こり、ちょっとした窃盗や秘密の共有が、子供同士の力関係を変えていく。
大人の目を盗んで行われる計画。誰かを仲間に入れ、別の誰かを外すための駆け引き。遊びの延長にも見える行動が、少しずつ危険な方向へ傾いていく。
この過去編が、物語全体の半分近くを占める。
最初は長く感じる人もいるかもしれない。給食費が消えた。誰かが嘘をついた。子供たちが何かを隠している。そんな小さな出来事が積み重なっていくため、早く現在の事件へ戻ってほしいと感じる瞬間もある。
しかし、ここで描かれる日常は後半のための準備に収まらない。小学生の世界が、どれほど閉ざされているか。その内部で生まれたルールが、大人の常識からどれほどずれていくか。そこを体感させる時間でもある。
八木の存在は特に怖い。早熟で、頭が切れ、相手の弱みを見抜くことにも長けている。子供だから無邪気、という安全な見方を簡単に崩してくる人物だ。
彼がグループの空気を握ると、校内でのルール破りが秘密の遊びから隠蔽工作へ近づいていく。何が起きても誰にも話せない。話した者が裏切り者になる。小学校という狭い場所が、いつの間にか逃げ道の少ない密室へ変わっている。
一方、この子供たちの描写には好みが分かれそうだ。窃盗を巡る計画や大人を欺くやり方が、年齢のわりに練られすぎていると感じる部分もある。給食費を盗むことの危険と見返りが釣り合っているのか、と引っかかる場面もあった。
ただ、その不自然さを子供たちの歪んだ全能感として見ると印象が少し変わる。
自分たちは大人より賢い。秘密さえ守れば、何をしても見つからない。仲間の中で強い立場にいれば、世界を動かせる。
そんな思い込みが膨らみ、誰にも止められなくなった末に、美緒の転落死へつながっていく。この危うさには、単なる悪童ものとは違う生々しさがあった。
その一語から、認識の罠が始まっている
15年後を描く第二部では、美緒の妹・杏月が実質的な探偵役を務める。
彼女はWeb上に現れた小説を読み、警察や当時の関係者しか知らないはずの情報が含まれていることに気づく。そこから古い捜査資料を調べ、当時の同級生たちを訪ね、姉が死ぬ直前に何が起きていたのかを探っていく。
この切り替わりが気持ちいいし面白い。小学校の日常として読んでいたものが、今度は捜査対象になる。過去編の会話や行動が証言へ変わり、何気ない呼び名に別の意味が生まれるのだ。
私たちが第一部で見た光景と、警察が残した記録、さらに投稿小説の記述。三つを重ねるほど、同じ事件なのに輪郭が合わなくなっていく。
そして本作の最大の武器が、とある認識の誘導だ。
子供同士の呼び方や何気ない会話、視点人物が拾う小さな違和感。読んでいるあいだは自然に受け取っていた言葉が、後半になると少しずつ別の輪郭を帯びていく。
作者は露骨な嘘を置かず、言葉の選び方と情報の見せ方だけで、こちらの受け取り方をそっと導いていたのだ。
終盤で前提が崩れたとき、驚くのは真相そのものだけではない。なぜ自分がそう信じていたのか、説明できないことにも驚かされる。
作者が嘘を書いたから騙されたのではなく、自分で勝手に作り上げ、その像を疑わずに読んでいたのだ。このレベルのどんでん返しは久々だったので嬉しくなってしまった。
第24回『このミステリーがすごい!』大賞で本作が「隠し玉」に選ばれたのも納得しかない。千街晶之が評した「冒頭から仕掛けられていた罠」、福井健太が挙げた複数のフェイズにわたる意外性、村上貴史が評価した構成要素のまとまり。どの言葉も、実際に読み終えたあと腑に落ちる。
本作は一つの大技だけで押し切らない。第一部の過去、第二部の捜査、第三部の解明と、段階が変わるたびに見え方まで変化する。
しかも、給食費の盗難や子供同士の秘密といった細部まで、後半の構造へきちんと組み込まれている。新人のデビュー作とは思えないほど、全体の設計が大胆である。
『告解』から『告白』へ変わった意味
応募時のタイトルは、『ぼくたちの告解』だったという。
「告解」には、自分の罪を打ち明け、赦しを求める宗教的な響きがある。これが刊行時には、『ぼくたちの告白』へ変わった。
この改題が物語の方向をよく表していると思う。登場人物たちが必要としているのは、遠くにいる絶対者からの赦しより、目の前にいる誰かへ本当のことを伝える行為なのだ。
15年間隠してきた罪。言えなかった気持ち。誤解されたまま放置された関係。投稿小説という回りくどい形でしか外へ出せなかった言葉。それらが終盤で少しずつ、人から人へ手渡されていく。
だから、真相解明の場面にも体温がある。犯人と手段が明らかになり仕掛けが解体されても、そこで物語は冷たく閉じない。
孤独を抱えた人間が、たった一人でも自分の側に立ってくれる相手を見つけられるか。過去の失敗を抱えたまま、誰かと生き直せるか。事件のロジックと青春小説の感情が、エピローグでようやく同じ場所へたどり着く。
この終わり方が私は好きだった。多重の仕掛けを売りにした物語は、解答を見せた瞬間に熱が引いてしまうこともある。
『ぼくたちの告白』では、仕掛けが外れたあとから人物たちの表情が見えてくる。誰が何を隠していたかという興味が、なぜ隠すしかなかったのかという切実さへ移っていくのだ。
もちろん、すべての仕掛けに無理がないとは言い切れない。小学生たちの行動や、一部の大人の判断には、物語を成立させるための強引さも感じた。
それでも、その粗さを押し切るだけの構成と感情がある。意外性を重ねながら、最後には人間同士の関係へ戻ってくる。その着地まで含めて、私は「隠し玉」という呼び名がよく似合うデビュー作だと思う。
15年前、校舎の一室に残された殺人の仕掛け。現在、投稿サイトへ放たれた一篇の小説。そして、ずっと言えなかったぼくたちの言葉。
事件を閉じ込めていたのは、施錠された部屋だけではなかった。
誰にも話せず抱え込んだ秘密そのものが、15年間開かなかった最後の扉だったのである。


