ピーター・スワンソン全作品評価|読む順番とおすすめ作品まとめ

ピーター・スワンソン作品のまず何がいいかって、邦題がオシャレだ!
そこかよ、と思われるかもしれないが、タイトルというのはすごく重要なのだ。
書店で本がずらりと並んでいるとき、最初に目へ飛び込んでくるのは、あらすじでも帯の推薦文でもなく、まずタイトルである。
そこで「なんだか気になる」と思わせられるかどうかは、本との出会いを左右する。少なくとも私は、タイトルに惹かれて手に取った本が何冊もある。
その点、ピーター・スワンソン作品の邦題は強い。
『そしてミランダを殺す』。
『ケイトが恐れるすべて』。
『アリスが語らないことは』。
『だからダスティンは死んだ』。
どれも意味深で、少し物騒で、それだけで物語の向こうにある秘密を想像したくなる。
なぜミランダは殺されるのか。
ケイトはいったい何を恐れているのか。
アリスは何を語らず、ダスティンはなぜ死んだのか。
タイトルの段階ですでに、小さな謎が仕掛けられている。
しかも実際に読み始めると、その予感を軽々と超えるほど、ろくでもない秘密と危険な人間が次々に出てくる。
タイトルに名前を刻まれた人物が中心にいると思いきや、物語が進むにつれて立場が反転し、誰が被害者で誰が加害者なのかさえ揺らいでいく。
タイトルを見たときに思い描いていた物語が、読み終える頃にはまるで違う意味へ変わっている。この仕掛けまで含めて、スワンソン作品の邦題はうまい。
恋人、夫婦、家族、隣人、昔の友人。スワンソンが描くのは、どこにでもありそうな人間関係である。しかし、その穏やかな表面を一枚めくると、執着や嫉妬、嘘、殺意がぎっしり詰まっている。
気さくな隣人が殺人鬼かもしれないし、被害者に見えた人物が裏で恐ろしい計画を進めているかもしれない。誰を信じればいいのか迷っているうちに視点が切り替わり、それまで見えていた物語があっさり別の顔を見せる。この鮮やかな反転こそ、スワンソン作品を読む大きな楽しみだ。
アガサ・クリスティーの緻密な構成、パトリシア・ハイスミスの倒錯した人物心理、アルフレッド・ヒッチコック作品の不穏なムード。
スワンソンは、サスペンス黄金期の魅力をたっぷり受け継ぎながら、それを現代の都市生活や夫婦関係、SNS、住居交換といった身近な題材へ持ち込んでいる。
古典ミステリへの愛情は濃い。それでも懐古趣味に収まらず、現代人の孤独や、自分の欲望を正当化する人間の怖さまで容赦なく描き出す。
そして何より、この人の小説には悪人が魅力的すぎるという困った特徴がある。善悪の線を平然と踏み越えながら、独自の理屈と美学で行動する人物たちは、恐ろしいのに目が離せない。
交換殺人、ファム・ファタール、住居交換、連続殺人、信頼できない語り手、古典名作へのオマージュ。作品ごとに趣向を変えつつ、どの物語にも「人間は見た目ほどまともじゃない」という一貫した感触がある。
今回は、日本で翻訳されているピーター・スワンソン作品を一作ずつ取り上げ、物語の完成度、仕掛けの鮮やかさ、登場人物の魅力、サスペンスとしての読み応えをまとめて評価していく。
タイトルだけでも気になる作品ばかりだが、その中で最も危険で、最も鮮やかで、最もスワンソンらしい一冊はどれなのか。
全作品を並べながら、じっくりご紹介していきたい。
1.『時計仕掛けの恋人』(3.0)
──死んだはずの初恋相手との再会が、平凡な男を殺人と逃亡へ引きずり込む現代ノワール。
2.『そしてミランダを殺す』(5.0)
──空港で偶然出会った男女の妻殺し計画が、視点の反転によって殺す側と狙われる側を次々入れ替えていく心理サスペンス。
3.『ケイトが恐れるすべて』(4.0)
──住居交換でボストンへ渡った女性が、隣室の殺人と窓越しの視線に追い詰められていく心理スリラー。
4.『アリスが語らないことは』(4.0)
──父の怪死を追う青年が、美しい継母の沈黙と海辺の町に埋もれた過去へ踏み込んでいく心理サスペンス。
5.『だからダスティンは死んだ』(4.0)
──未解決殺人の証拠を隣人の書斎で見つけた女性が、誰にも信じてもらえないまま完璧な殺人鬼と対峙するスリラー。
6.『8つの完璧な殺人』(4.5)
──古典推理小説八作の殺人計画をなぞる連続事件と、秘密を抱えた書店主をめぐるメタ・ミステリ。
7.『9人はなぜ殺される』(5.0)
──見知らぬ九人の名を記したリストが、全米各地で進む連続殺人の順番へ変わっていく群像サスペンス
1.『時計仕掛けの恋人』
死んだはずの初恋相手との再会をきっかけに、平凡な男が殺人と逃亡の罠へ落ちていく現代ノワール・サスペンス。
二十年前に死んだはずの初恋が、殺人事件を連れて帰ってくる
初恋の相手が二十年ぶりに目の前に現れる、というだけなら、少しロマンチックな再会に見えるかもしれない。
だがピーター・スワンソン『時計仕掛けの恋人』で再会する女性リアナ・デヴィスは、大学時代に自殺したはずの相手である。
ボストンの出版社に勤めるジョージ・フォスは、会社帰りに立ち寄ったバーで、一人の女性に目を奪われる。洗練された立ち姿。忘れようとしても忘れられなかった面影。彼女は、メイザー・カレッジの1年生だったジョージが激しく恋した女性リアナだった。
だが、リアナは死んだはずだった。
ジョージは、彼女の実家を訪れ、遺族の悲しみにまで触れている。あの死が本当だったなら、いま目の前にいる女は何者なのか。逆に、彼女が本物なら、二十年前の自殺劇はいったい何だったのか。
リアナは告白する。あの死は偽装だった、と。追手から逃れるために、自分は死んだことにしたのだ、と。そして今、危険な男に追われている。盗んだ現金を代わりに返してほしい。
普通ならここで逃げる。絶対に関わりたくない。けれど、ジョージは踏みとどまれない。昔の恋心、喪失の記憶、二十年分の未練。理屈では危ないと分かっていても、リアナの言葉に絡め取られてしまう。
そして彼が動き出した途端、周囲で殺人事件が起き、今度はジョージ自身に疑いが向けられていく。
初恋の再会は、あっという間に逃亡劇へ変わってしまう。
甘い記憶ほど、ノワールの罠に向いている
本作は、ピーター・スワンソンのデビュー作である。
後年の作品にもつながる、二転三転するサスペンス、危うい男女関係、過去の記憶が現在を食い荒らす構図。その原点が、すでにここに詰まっている。
古典的なノワールにある「魔性の女に翻弄される男」の物語を、現代的なスピードで組み直したロマンチック・サスペンスだ。
構成もいい。現在のジョージは、リアナの依頼を引き受け、殺人事件に巻き込まれ、警察から追われる。一方で物語は、大学時代のジョージとリアナの出会いも交互に描いていく。
若いジョージがどのように彼女へ惹かれ、どれほど深く心を奪われ、そして突然の死によって何を失ったのか。その過去があるから、現在のジョージの愚かさにも温度が宿る。
彼は馬鹿な男だと思う。でも、分からなくもない。二十年前に失った恋人が、目の前で助けを求めている。しかも、あの頃と同じように美しく、どこか危うい。
こんな場面で完全に冷静でいられる人のほうが少数派だろう。ジョージの判断ミスは、サスペンスを動かす燃料であり、同時に彼の哀しさでもある。
リアナの存在感も抜群だ。彼女は、名前も経歴も人生も変えていく。男たちの欲望、保護したいという気持ち、過去への執着を正確に読み、必要な言葉を選ぶ。彼女の中に本当の感情があるのか、それともすべてが計算なのか。そこが最後まで揺れる。
原題『The Girl with a Clock for a Heart』が示す通り、リアナの胸で動いているものは、温かな心臓なのか、精密な歯車なのか。
このイメージがいい。恋愛小説なら心の鼓動として扱われるものが、ここでは冷たい機械仕掛けに見えてくる。ジョージが思い出しているリアナと、現在のリアナは同じ顔をしている。だが同じ人間として信じていいのか。そこにノワールの甘さと苦さがある。
殺人、逃亡、多額の現金、偽名、過去の死。道具立ては王道だ。しかし、スワンソンはその王道をかなり手際よく転がしていく。
ジョージが一歩進むたび、リアナの過去が少しずつ別の形に見えてくる。真実へ近づいているつもりが、彼女の用意した別の物語へ進まされているような感覚がある。
ジョージにとって、リアナは過去そのものだ。
初恋、喪失、後悔、忘れきれなかった若い日の痛み。そのすべてが、二十年ぶりにバーの席へ戻ってくる。だから彼は立ち上がってしまう。危険だと分かっていても、彼女の頼みを無視できない。
だが、リアナが差し出す物語には、最初から別の筋書きが隠れている。ジョージが追っているのは昔の恋人なのか、それとも彼女が作り上げた幻なのか。
初恋の甘さに足を取られた男が、気づけば殺人と逃亡のただ中にいる。
その苦さこそ、この作品のいちばんノワールな味わいである。
悠木四季ピーター・スワンソンのデビュー作だが、日本で翻訳され出版されたのは4作目にあたる。初恋相手との奇跡的な再会が、数時間後には殺人と逃亡へ変わる。甘さから苦さへ転ぶ速度が気持ちいい。
2.『そしてミランダを殺す』
空港ラウンジで出会った男女の妻殺し計画を、視点の転換と大胆な構造変化でひっくり返していく現代心理サスペンス。
空港ラウンジの軽口から、完璧な殺人計画が動き出す
空港のラウンジで、見知らぬ相手に本音を漏らしてしまう。
酒も入っている。旅の途中で気も大きくなっている。どうせ二度と会わない相手だと思えば、少しくらい危ないことも言えてしまう。
けれど、ピーター・スワンソン『そしてミランダを殺す』では、その軽口が取り返しのつかない殺人計画へつながっていく。
舞台はロンドンのヒースロー空港。ITビジネスで成功した実業家テッド・シーヴァソンは、ビジネスクラスのラウンジで赤毛の美女リリー・キントナーと出会う。
会話の流れで、彼は妻ミランダへの怒りを打ち明ける。建設中の大邸宅で、妻が建築家ブラッドと不倫している現場を見てしまったのだ。
そしてテッドは、冗談半分に言う。
妻を殺したい、と。
ここまでは、酔った男の愚痴で済むかもしれない。問題は、リリーの返しだ。彼女は動揺しない。顔色も変えない。ただ冷静に、ミランダは殺されて当然だと言い、殺害計画への協力を持ちかける。
この瞬間、物語の温度が一気に下がる。リリーは、衝動で危険なことを言っている人間ではない。むしろ、頭の中ではすでに段取りが始まっている。
どう殺すか。どう疑いを逸らすか。どうすれば完全犯罪に近づけるか。テッドは恐れながらも、その冷たさに引き込まれていく。
空港で偶然会った女と、妻殺しの計画を立てる。
どう考えても最悪の選択だが、ミステリとしては最高のスタートだ。
リリーという女が、物語の盤面を冷たく支配する
本作は、パトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』やヒッチコック的なノワールの系譜にある心理サスペンスだ。
見知らぬ二人が出会い、殺人の話をする。そこだけを見れば古典的な構図である。だがスワンソンは、その型を気持ちよく裏切ってくる。テッドとリリーの計画が進むだけの話かと思っていると、途中で物語の土台がひっくり返るのだ。
ここからが本当に面白い。前半では、テッドの視点でミランダ殺害計画が進む。妻への怒り、不倫への屈辱、リリーへの興味。テッドは、どこか受け身で、流されやすい男だ。
金も地位もあるのに、心の奥には情けなさがある。だからリリーのような女に出会うと、自分では踏み越えられない線を、彼女が代わりに越えてくれるように見えてしまう。
一方、リリーの回想が挟まれることで、彼女の倫理観が少しずつ形を持ち始める。彼女にとって、人を傷つけ、裏切り、他人の人生を食い荒らす人間は、排除されるべき存在である。
しかも、その考えに妙な濁りがない。怒りや憎しみで燃えているというより、不要なものを片づけるような手つきで死を扱う。
ここが素晴らしく怖いところだ。リリーは狂っている。だが、彼女の論理には変な一貫性がある。そこに引っかかってしまう。もちろん賛同はできない。
しかし彼女の目から世界を見ると、どうしてそう判断したのかだけは分かってしまう場面がある。この説得力が、リリーというキャラクターをただの悪女から一段奥へ押し込んでいるのだ。
そして中盤以降、ミランダやキンボール刑事の視点が加わることで、物語は一気に複雑になる。ミランダもまた、簡単に狩られる女ではない。欲望と自己保身のために人を動かす力を持っている。
リリーが冷たい美学で動くなら、ミランダはもっと俗っぽく、もっと生々しく、自分の利益へ向かって動く。二人の女の性質が対照的だから、ぶつかったときの緊張感が大きい。
リリーとミランダ。どちらも危険で、どちらも計算している。男たちは、その盤面の上で駒のように動かされていくだけだ。テッドは自分が計画の中心にいるつもりでいるが、読み進めるほど、彼がどこまで本当に主導権を握っているのか怪しくなる。
スワンソンの心理サスペンスは、この「誰が誰を動かしているのか」が何度も入れ替わるところに切れ味があるのだ。
『そしてミランダを殺す』は、殺人計画そのものより、その計画を立てる人間たちの頭の中が怖い作品である。
誰かを排除したいという欲望。自分だけは逃げ切れるという慢心。相手を利用しているつもりで、実は利用されているかもしれない危うさ。登場人物たちは、それぞれの正しさや欲望を抱えたまま、少しずつ深い場所へ落ちていく。
リリーは、感情に流されず盤面を見ている。ミランダは、自分のためなら迷わず人を動かす。テッドは、その間で初手から足を滑らせている。
ヒースロー空港のラウンジで始まった会話は、やがて誰が殺す側で、誰が狙われる側なのかさえ曖昧にしていく。
テッドが冗談のつもりでこぼした一言を、リリーだけが、最初から殺人計画の始まりとして聞いていたのだ。
悠木四季ピーター・スワンソンのデビュー作は『時計仕掛けの恋人』だが、日本でその名前を一気に広めたのは、第二長編にあたるこの『そしてミランダを殺す』だ。
英国推理作家協会賞、イアン・フレミング・スチールダガー部門の最終候補となり、日本国内でもミステリ好きの間で一気に話題になった。
偶然出会った男女が殺人計画を立てる、という古典的なノワールの型を使いながら、途中で物語の見え方を容赦なくひっくり返してくる。
その切れ味で、スワンソンは「これは追いかけるべき作家だ」と強く印象づけた。
3.『ケイトが恐れるすべて』
ロンドンからボストンへ住居交換したケイトが、隣室の女性殺害事件と周囲の男たちの秘密に巻き込まれていく心理スリラー。
人生を立て直すはずのホームスワップが、殺人と覗き見と嘘だらけの悪夢へ変わる
知らない街で、知らない部屋にひとりで泊まるというのは少し心細い。
ましてやケイト・プリディーは、過去に交際相手から異常な束縛と暴力を受け、深いトラウマとパニック障害を抱えている。
新しい生活を始めたい。傷ついた自分を少しでも立て直したい。そんな思いで、彼女はロンドンからボストンへ向かう。
きっかけは、又従兄コービン・デルとのホームスワップである。半年間、ケイトはコービンのボストンの高級アパートメントで暮らし、コービンはロンドンの彼女の部屋で過ごす。
環境を変えるにはぴったりに見える。見知らぬ都市、広い部屋、新しい日常。怖さはあるが、再出発の匂いもある。
ところが、その部屋に着いた途端、空気がおかしい。
隣室の女性オードリー・マーシャルと連絡が取れない。ドアを激しく叩く人物がいる。そして翌日、オードリーは自室で死体となって発見される。ケイトは、新生活初日から殺人事件のすぐ隣に立たされるのだ。
さらに、オードリーの友人を名乗るジャックが現れる。向かいの棟から中庭や部屋を観察しているアランという男もいる。彼らの話によれば、死んだオードリーとコービンは密かに恋人関係にあったらしい。だが、ロンドンのコービンはそれを否定する。
誰かが嘘をついている。しかも、ひとりとは限らない。
ボストンの高級アパートメントは、きれいで安全そうに見える。けれど、隣の部屋では女が殺され、向かいの窓からは誰かが見ている。助けてくれそうな人物も、話せば話すほど別の顔を見せる。
ケイトにとって、この場所は避難先というより罠の中心に近い。
覗かれる部屋で、疑いがどんどん増えていく
本作の怖さは、ケイトの不安と事件の不気味さがぴったり重なるところにある。
彼女は繊細で、傷ついていて、恐怖が限界を越えるとパニック発作に襲われる。だが同時に、鋭い観察眼を持っている。他人の顔や名前を覚え、スケッチとして記録できる。つまりケイトは、脆さと強さを同時に抱えた人物なのだ。
このバランスがとてもいい。何かを見た。誰かがいた。おかしな会話を聞いた。そう感じても、過去のトラウマが彼女の判断を揺らす。
目の前の危険は現実なのか。それとも、心の傷が作り出した恐怖なのか。ケイト本人にも確信が持てない。だから、私たち読者も彼女と同じ足場の悪さを味わうことになる。
舞台となるアパートメントも、ヒッチコック映画『裏窓』を思わせる嫌な魅力があって好きだ。
向かいの部屋が見える。中庭が見える。誰かの暮らしが、窓の向こうで断片的に見える。見る側は安全な位置にいるつもりでいる。だが、見ている人間もまた見られているかもしれない。この反転にぞくぞくする。
アランは、まさにその不快な視線を体現する人物だ。向かいの棟から他人の部屋を観察している男。言い訳を並べても、そこには明らかな執着がある。
しかし、彼の証言が事件の鍵を握っているかもしれない。気持ち悪い。信用したくない。でも、完全に切り捨てるのも怖い。このあたり、ピーター・スワンソンの人物配置のうまさがよく出ている。
しかもジャックも怪しい。オードリーの友人として現れ、悲しみを抱えているように見える。だが、彼が語ることのどこまでが本当なのか分からない。
コービンも同じだ。ケイトに部屋を貸した親切な又従兄に見えながら、オードリーとの関係を否定する姿には、明らかに隠し事の匂いがある。
ピーター・スワンソンは、この全員少しずつ怪しい状態を転がすのが抜群にうまい。善意の顔をした人。弱っている人へ近づいてくる人。心配してくれる人。事情を説明してくれる人。
そういう存在が、安心材料になりきらない。彼らの親切さそのものが、次の不安の入口になってしまうのだ。
そして物語の根には、女性の生活空間が侵される怖さがある。部屋に入られる。見られる。過去の暴力が追いかけてくる。親切そうな男たちが、実はそれぞれの欲望や執着を抱えている。
ケイトが恐れているのは、殺人犯の存在だけに絞られない。自分の安全な場所、自分の身体、自分の判断力が、少しずつ他人に奪われていく感覚そのものが怖い。
その意味で、タイトルの『ケイトが恐れるすべて』はぴったりだ。
彼女の恐怖は一方向から来ない。過去から来る。隣室から来る。向かいの窓から来る。親切そうな声から来る。自分の頭の中からも来る。ボストンのアパートメントは、その恐怖を集める箱のように機能している。
ケイトがやって来た部屋は、再出発の場所になるはずだった。だが、隣の部屋ではオードリーが殺され、向かいの窓にはアランの視線があり、コービンの言葉には空白がある。
助けを求めたいのに、誰を信じればいいのか分からない。外へ逃げても街は知らない場所で、部屋へ戻れば壁の向こうに死の気配がある。
ピーター・スワンソンは、派手な仕掛けよりも、生活空間が少しずつ安全でなくなっていく怖さで追い込んでくる。鍵をかけた部屋、閉めたカーテン、向かいの窓、隣室の沈黙。
ケイトが恐れるものは、ボストンのアパートメントのあちこちに配置されていた。
そして彼女は、その部屋の中で目を開ける。
震えながら、疑いながら、見たものを覚え、描き、確かめる。
恐怖に囲まれた場所で、それでも自分の視線だけは手放さない。
悠木四季部屋は本来、外の危険から身を守る場所である。その内側まで視線と嘘が入り込むから、この物語はずっと息苦しいのだ。
4.『アリスが語らないことは』
父の怪死を追う青年と、美しい継母の過去を交互に描きながら、嘘と欲望の絡み合いをほどいていくサスペンス。
父の死と継母の沈黙が、海辺の町の過去を開く
大学卒業を目前にした青年ハリーのもとへ、父の訃報が届く。
メイン州ケネウィックで古書店を営んでいた父ビルが、海辺の崖沿いの遊歩道から転落して亡くなったという。事故に見えた死。だが、司法解剖によって、転落の直前に頭を殴られていた痕跡が見つかった。
父は、誰かに殺された可能性がある。
ピーター・スワンソン『アリスが語らないことは』は、そんな不穏な帰郷から始まる心理スリラーだ。
失意のまま実家へ戻ったハリーを迎えるのは、父の再婚相手アリスである。彼女は美しく、どこか儚げで、ハリーとは十五歳しか離れていない。ハリーは以前から、継母であるアリスに対して、言葉にしにくい魅力を感じていた。
この設定だけで、もう空気が危うい。父の死。若すぎる継母。古書店。海辺の町。事故に見せかけた殺人の疑い。
しかもアリスは、父の死について何かを隠しているように見える。悲しんでいるのか、怯えているのか、計算しているのか。彼女の沈黙が、ハリーの中に疑いと欲望を同時に生んでいく。
そこから物語は、ハリーの現在と、十四歳のアリスの過去を交互に描いていく。現在のハリーは、父の死の真相を追う。過去のアリスは、アルコール依存症の母とともに海岸の町へやってきて、母の恋人ジェイクと出会う。
少女だったアリスが何を見て、何を奪われ、どんな嘘を覚えていったのか。その過去が少しずつ開かれていく。
そして、遠く離れて見えた二つの時間が、やがて同じ傷口へつながる。
美しい嘘ほど、人を深く巻き込んでいく
原題は『All the Beautiful Lies』。
訳すと『すべての美しい嘘』。
うーん、オシャレだ。このタイトルが本当にうまい。嘘は醜いものとして語られがちだが、この物語に出てくる嘘は、どれもそれなりに美しい顔をしている。
愛情のため。自分を守るため。誰かを傷つけないため。そういう顔をしながら、少しずつ人の人生を狂わせていく。
その美しい嘘をもっとも複雑に体現しているのが、アリスという女性だ。彼女をただの魔性の女として片づけるには、ちょっと複雑すぎる。
たしかに彼女は人を惑わせる。嘘もつく。必要なら、冷たい選択もする。だが読んでいると、「悪女だから」で済ませる気にはなれないのだ。
少女時代のアリスが何を見て、何をされて、どうやって自分を守るしかなかったのか。そこが見えてくるほど、彼女の嘘の意味も変わってくる。
人をだますための嘘であり、自分を守るための嘘でもある。その二つが同じ顔で出てくるから、アリスは怖いし、簡単には嫌いになれない。だからこそ、彼女が何を語らずにいるのか、どうしても追いかけたくなるのだ。
ハリーの視点もまた危うい。父を亡くした悲しみ。アリスへの疑い。昔から抱えていた継母への後ろめたい感情。事件を調べているはずなのに、彼自身もアリスの雰囲気に引き寄せられていく。
そして、その揺れをさらに深くしていくのが、少女時代のアリスを描く過去パートだ。現在では、ハリーが父の死を調べ、アリスの態度に振り回される。過去では、若いアリスが母とともに海辺の町へやってきて、人生を変える出来事へ近づいていく。
片方を読むと、もう片方の見え方が変わる。アリスの沈黙にも、ハリーの疑いにも、最初に見えていた以上の重さが出てくるのだ。
つまり、父を殺した犯人を探す話だったはずが、いつの間にか、家族の中で絡み合った欲望と嘘の話へ踏み込んでいくのである。
本格的な謎解きの興味もありつつ、中心にあるのは人間関係の毒だ。
継母と義理の息子。継父と継娘。親が連れてきた新しい恋人。家族という名前で一つ屋根の下に集められた人々のあいだに、性的な緊張や支配、依存、罪悪感が忍び込む。その気まずさを、スワンソンはきれいに薄めない。
ハリーが帰ってきた家には、父の不在とアリスの気配が並んでいる。
古書店の棚、海へ続く道、崖から落ちた父の身体、何も語らない継母。そのすべてが、彼に過去を見ろと迫ってくる。だが、アリスの過去を知るほど、ハリー自身の心も安全な場所にいられなくなる。
アリスは何を隠しているのか。父はなぜ死んだのか。美しい嘘は、誰を守り、誰を壊してきたのか。答えを追うたび、海辺の町に置かれた古い記憶が少しずつ形を変える。
最後に見えてくるのは、悪女という単純な輪郭をはみ出したアリスの姿だ。
傷つき、学び、嘘をまといながら生き延びてきた彼女の沈黙が、ハリーの前でゆっくりほどけていく。
悠木四季現在の沈黙と少女時代の記憶が交互に開かれ、アリスを見る目が何度も変わっていく構成がうまい。
5.『だからダスティンは死んだ』
隣家の書斎で見つけた殺人事件のトロフィーをきっかけに、信じてもらえない目撃者と完璧な隣人が対峙するスリラー。
隣人の書斎に、未解決殺人の証拠が飾られている
隣人の家で夕食をごちそうになり、食後に書斎を案内される。
新しい街へ引っ越してきたばかりなら、ちょっと緊張するけれど、まあ普通のご近所付き合いだ。
夫婦同士で食卓を囲み、相手の暮らしぶりを知り、これからよろしく、と笑って帰る。たいていはそれで終わる。
だがピーター・スワンソン『だからダスティンは死んだ』は、その書斎の棚に、未解決殺人事件の証拠品らしきものを置いてしまう。
主人公のヘンは、版画家として活動する女性だ。夫ロイドとともに、ボストン郊外の街へ引っ越してくる。転居早々、隣家に住む教師マシューと妻マイラに招かれ、二人は夕食へ向かう。
そこでヘンが見つけるのが、ガラスの置物である。
それは、二年半前に起きた男子高校生ダスティン・ミラー殺害事件で、犯人が現場から持ち去ったと報じられていた記念品だった。つまり、隣人マシューの書斎に、殺人事件のトロフィーが飾られている。
最悪の発見である。
ヘンは、マシューこそがダスティンを殺した犯人だと確信する。しかし、話はそう簡単に進まない。
彼女には双極性障害の病歴があり、過去には感情を抑えきれず暴力事件を起こした経緯もある。そのため、警察も夫のロイドも、ヘンの訴えをまともに受け止めようとしない。
見たものは正しい。でも、誰も信じてくれない。この状況がめちゃくちゃしんどいのだ。
犯人が分かっているのに証明できない怖さ
この作品は、犯人当ての楽しみで引っ張るタイプのサスペンスと少し違う。
物語の早い段階で、マシューが危険な人物であることは見えてくる。
つまり焦点は、「誰が殺したのか」より、「ヘンはどうやってそれを証明するのか」に移るわけだ。しかも、彼女の言葉には最初から疑いのフィルターがかけられている。
ここが本当に嫌なのだ。ヘンがどれだけ必死に話しても、周囲は「また症状が出ているのかもしれない」と受け取る。本人は正気で見たものを訴えているのに、過去の病歴がその言葉を弱くしてしまう。これは殺人鬼に追われる怖さと同時に、自分の現実感を他人に取り上げられる怖さでもある。
一方のマシューは、外から見れば申し分のない人物だ。高校の歴史教師。穏やかで知的。妻と暮らす、感じのいい隣人。だが、その内側には冷たい殺意と異常な倫理が隠れている。
彼は市民の顔を保ったまま、別の場所ではまったく違う人間として動く。その切り替えにほとんど迷いがないところが怖い。
さらにヘンとマシューの視点が交互に語られることで、二人の距離はどんどん近づいていく。ヘンはマシューを疑い、マシューはヘンの危うさを知っている。彼女が訴えても信用されにくいことを、彼は利用できる。
ヘンにとって最大の武器は「私は見た」という確信だが、マシューにとって最大の盾は「彼女の言葉は信用されにくい」という社会の空気なのだ。
この構図が超絶面白いのである。精神的な不調を抱えた人間の言葉が、最初から低く見積もられてしまう。家族や医師や警察の善意に見える判断が、結果として彼女を孤立させる。
そこへ、完璧な隣人の顔をした殺人鬼がいる。ヘンは、疑いながら動くしかない。間違っていたら、自分の病気のせいにされる。正しかったら、相手は殺人鬼だ。どちらに転んでも地獄である。
そしてスワンソンらしく、物語は犯人を知っているから安心という方向へ進まない。マシューの秘密が見えたあとも、まだ別のズレが潜んでいる。
人間関係のわずかな食い違い、夫婦の間にある小さな不信、過去の出来事の解釈。そうしたものが重なって、最初に見えていた構図を少しずつ変えていく。
『だからダスティンは死んだ』の怖さは、殺人鬼が隣に住んでいることだけに集まっていない。
ヘンは正しいものを見ている。しかし、その正しさを周囲に届ける手段が奪われている。夫は心配し、警察は疑い、マシューは隣人として微笑む。そのすべてが、ヘンを追い詰める壁になる。
ガラスの置物ひとつから始まった疑いは、郊外の平穏な住宅街を一気に危険な場所へ変える。
隣の家に招かれた夜、ヘンが棚の上で見てしまったもの。
そこから先は、彼女が自分の目を信じ切れるかどうかの勝負になるのだ。
悠木四季犯人を知っているのに安心できず、証拠を握っているのに勝てない。このねじれが最後まで効いている。
6.『8つの完璧な殺人』
古典ミステリの名作八作を現実の連続殺人へ接続し、本好きの楽しみをそのまま疑惑へ変えるメタ・ミステリ。
昔書いたミステリ紹介記事が、現実の殺人計画になっていた
ミステリ好きが書いた昔のブログ記事をFBIが持ってくる。
この始まりがもう楽しい。いや、当人からすれば最悪だが、ミステリ読みとしてはワクワクするしかない導入である。
ピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』の主人公は、ボストンのミステリー専門書店「オールド・デヴィルズ・ブックストア」の共同経営者マルコム・カーショウ。古い本に囲まれて暮らし、推理小説を愛し、過去にブログも書いていた男だ。
そんな彼のもとへ、FBI捜査官グウェン・マルヴィが訪ねてくる。
彼女が持ってきたのは、マルコムが十数年前に投稿した「完璧な殺人」という記事。そこには、古今の犯罪小説から選んだ、成功確率の高い殺人が描かれた八つの作品が並んでいた。
A・A・ミルン『赤い館の秘密』。
フランシス・アイルズ『殺意』。
アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』。
ジェイムズ・M・ケイン『殺人保険』。
パトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』。
アイラ・レヴィン『デストラップ・死の罠』。
ドン・ドナヒュー『死の支払』。
ドナ・タート『シークレット・ヒストリー』。
なんという素晴らしいラインナップ!
問題は、そのリストに載った小説の手口や構図と、現実に起きている不審死が似ていることだ。誰かがマルコムの記事を、殺人の参考書として使っているかもしれない。
自分の書いた読書記事が、現実の連続殺人とつながる。
これは本好きにとってなかなか最悪な悪夢である。
ミステリ愛がそのまま殺人の地図になる
『8つの完璧な殺人』の面白さは、まず設定の時点ではっきりしている。
古典ミステリの名作リストが、現実の事件と結びつく。つまり、作中の殺人を読み解くには、同時にミステリ史の有名作も思い出す必要がある。
『ABC殺人事件』の見立て、『見知らぬ乗客』の交換殺人、『殺人保険』の欲望と保険金。知っている作品が出てくるたびにテンションは爆上がりである。
もちろん、元ネタを全部読んでいなくても話は追えるのでご安心を。ただ、知っているほどニヤリとできる仕掛になっているのがまたいい。
このバランスが絶妙で、ミステリの知識を試験問題のように押しつけるのではなく、物語の中へ自然に組み込んでいる。マルコムが作ったリストは、単なる引用遊びに終わらない。事件の構造そのものを動かす地図になっているのだ。
しかも、マルコム自身がなかなか信用しきれない。彼はFBIに協力する立場にいる。ミステリに詳しく、過去の記事の書き手で、事件のつながりを考えるうえで重要な人物だ。
だが、彼には亡き妻をめぐる秘密があり、過去に何かを抱えている。語り口は落ち着いているのに、ところどころに隠しているものの気配がある。
この本好きの書店主という安心できそうな肩書きが、だんだん危うく見えてくるのがスワンソンらしい。
事件の被害者たちにも共通点がある。誰かを傷つけた人間。自己本位な人間。周囲から恨みを買ってもおかしくない人間。だから事件は、ただの連続殺人として進まない。殺されても仕方ないと誰かが判断した人間たちを、古典ミステリの手口で消していく。その発想がいやに冷たいが……面白い!
マルコムが紹介した小説たちは、もともとフィクションの中の悪意だった。けれど、現実の殺人犯がそれを真似た瞬間、読書の楽しみは急に危険なものへ変わる。
本を読むこと。作品を語ること。好きな殺人トリックを選ぶこと。
普段なら楽しいだけの行為が、この物語の中では不気味な証拠になっていく。ミステリ専門書店という舞台もたまらない。本棚に並ぶ名作たちが、事件の参考資料であり、容疑者リストであり、告白の予告にも見えてくる。
『8つの完璧な殺人』は、ミステリ好きほど楽しく、同時に少し居心地が悪くなる作品だ。
好きな作品を語る。好きなトリックを選ぶ。あの殺人計画はよくできている、と笑いながら話す。そういう読書の遊びが、現実の死体と結びついた途端、急に別の意味を持ち始める。
マルコムの店には、今日も古いミステリが並んでいる。棚の中には、巧妙な殺人、完全犯罪、嘘をつく語り手、逃げ切る犯人たちが眠っている。誰かがその一冊を手に取り、ページをめくる。
そのとき小説は、ただの娯楽で終わるのか。それとも、現実の事件へ続く設計図として読まれてしまうのか。
本棚の前で立ち止まる時間が、少しだけ物騒になる。
そこが、この作品の最高においしいところだ。
悠木四季『ABC殺人事件』や『見知らぬ乗客』が、引用より殺人の設計図として動き始める。この設定だけで、ミステリ好きにはよだれものである。
7.『9人はなぜ殺される』
無記名のリストに名前を載せられた九人が全米各地で一人ずつ殺されていく、クリスティーへのオマージュを込めた群像ミステリ。
見知らぬ九人の名前だけが、死の順番を告げている
ある日、自分の名前が入ったリストが届く。
封筒には差出人の名前がない。中には一枚の紙。そこに印字されているのは、九人の男女の名前だけ。
説明も警告もない。自分以外の八人に心当たりもない。普通なら、気味の悪いいたずらとして処理したくなる。
ピーター・スワンソン『9人はなぜ殺される』は、そのいたずらで済ませたい紙切れが、本当に死のリストだったと分かるところから動き出す。
リストを受け取ったのは、年齢も職業も住む場所もばらばらの九人。ホテル経営者、看護師、俳優志望の青年、FBI捜査官など、互いに接点の見えない人々だ。
だが、最初の死が起きる。メイン州の老人ホテル経営者フランクが、ビーチで溺死体となって発見される。続いて、マサチューセッツ州でジョギング中の男性イーサンが背後から撃たれる。
ただのリストではなかった。九人は、誰かに選ばれている。
ここから、FBI捜査官ジェシカ・ウィンズロウが動き出す。彼女は他の対象者を特定し、保護し、九人の共通点を探ろうとする。だが、この事件には最初からひどいねじれがある。
ジェシカ自身も、リストに名前のある一人なのだ。捜査する側であり、狙われる側でもある。
事件の真相へ近づくほど、自分を殺そうとしている相手へ近づいていく。この構図だけで胃が痛い。
全米に散らばった九人が、見えない糸でつながっていく
この小説は、アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』へのはっきりしたオマージュを持っている。
ただし、舞台は孤島や閉ざされた館ではない。九人は全米各地に散らばっている。互いの顔も知らず、ひとつの場所に集められてもいない。
逃げ場はいくらでもありそうに見える。だが、殺人者のリストに名前が載った時点で、彼らはすでに同じ場所にいる。
つまり物理的な密室の代わりに、リストそのものが檻になっているのだ。ここが面白い。広い国土を舞台にしているのに、妙に逃げ場がないのである。
一人ひとりの日常が描かれるのも効いている。ホテルを営む者がいて、仕事を抱える者がいて、夢を追う者がいる。それぞれに生活があり、心配事があり、誰かとの関係がある。リストに名前があるから死ぬ、という記号だけで処理されない。
だから、次に誰が殺されるのかという緊張が強くなる。この人は助かるのか。あの人はなぜ選ばれたのか。そもそも、九人のあいだにどんな接点があるのか。
犯人の正体を追う楽しさもあるが、いちばん引っ張るのは「なぜこの九人なのか」だろう。職業も年齢も住む場所もばらばら。見た目には関係がない。だが、誰かは彼らをひとつのリストに並べた。そこには必ず理由がある。
ジェシカの立ち位置も、物語をぐっと引き締めている。彼女は捜査官として事件を追う。だが、同時に自分の名前も死のリストにある。仕事として動けば動くほど、自分の死に関わる手がかりへ踏み込んでいく。
普通の捜査より、判断の一つひとつに体温が乗る。冷静でいなければならないのに、冷静でいられるはずもない状況だ。
スワンソンらしいのは、ここに派手なアクションだけを足さないところだ。九人の生活、孤独、過去、見落としていたつながり。そういうものを積み上げながら、殺人が進んでいく。広いアメリカの各地で別々に暮らしていた人々が、死のリストによってひとつの物語へ押し込まれる。その嫌な一体感がある。
九人は互いを知らない。だが、殺人者は彼らを同じ紙の上に並べた。その時点で、彼らの日常はひとつの順番へ組み込まれている。仕事をしていても、家にいても、遠くへ逃げても、名前はもうリストの上にある。そこから降りる方法を誰も知らない。
『9人はなぜ殺される』は、犯人を探す話であると同時に、見知らぬ人間同士がなぜ同じ運命へ巻き込まれたのかを追う話だ。
ひとり、またひとりと名前が消えていくたび、九人の間にあるはずの見えないつながりが少しずつ姿を見せる。
広いアメリカを舞台にしながら、感覚としては狭い。
紙一枚のリストが、どんな孤島よりも人を閉じ込める。
そこにスワンソンらしい素晴らしく嫌な面白さがある。
悠木四季孤島や館の代わりに、一枚のリストが九人を閉じ込める檻として働いているところがうまい。逃げる場所はいくらでもあるはずなのに、名前を載せられた時点で逃げ道が消えている。この広さと閉塞感の同居が見事だ。
おわりに

絵:悠木四季
ピーター・スワンソンの作品をこうして並べてみると、題材も仕掛けもずいぶん幅広い。
交換殺人、住居交換、連続殺人、家族の秘密、過去から戻ってきた危険な恋人、古典ミステリを利用した殺人計画。
毎回違う趣向を用意しながら、どの作品にも共通しているのは、平穏な日常がほんの少しのきっかけで崩れていく怖さである。
昨日まで信じていた恋人が、実は別の名前で生きていた。隣人の家に、説明のつかない物が置かれている。何年も前に終わったはずの出来事が、現在の殺人とつながっていく。
スワンソンは、遠い世界の怪物を連れてくるより、こちらが普段から信用している人間を少しだけ怪しく見せる。その距離の近さが怖い。読み終えたあと、自分の隣に住んでいる人の生活まで気になってしまう。
そして、スワンソン作品を語るうえで外せないのが、悪人たちの妙な魅力である。彼らはただ残酷なだけの殺人者では終わらない。独自の倫理観を持ち、自分なりの美学や理屈に従って行動している。
やっていることは恐ろしいのに、その考え方にはどこか筋が通って見える瞬間さえある。だからこそ危険で、だからこそ忘れにくい。善人よりも悪人のほうに惹かれてしまうという、少し後ろめたい楽しさまで味わわせてくれる。
古典ミステリへの愛情も、スワンソン作品の大きな魅力だ。交換殺人、クローズド・サークル、見立て殺人、信頼できない語り手。昔から使われてきた仕掛けをそのまま再現するのではなく、現代の都市生活や夫婦関係、孤独、メンタルヘルスと結びつけ、新しいサスペンスへ組み替えている。
古典を知っていれば仕掛けの遊びに興奮できるし、知らなくても危険な人間ドラマとしてたっぷり楽しめる。この両立が好きなのだ。
もちろん、作品ごとに好みは分かれると思う。謎解きの鮮やかさを楽しむ一冊もあれば、異常な人物の心理から目を離せなくなる一冊もある。
だが、どの作品にも「次に何が起こるのか」という期待と、「この人物を信じて大丈夫なのか」という不安がある。そしてスワンソンは、その期待も不安も、こちらが想像していた方向とは少し違う場所へ連れていく。
タイトルがオシャレで、設定が物騒で、登場人物は信用できない。
それでも新刊が出れば、また手に取りたくなる。
次は誰が嘘をつき、誰が殺され、誰が最後まで生き残るのか。
ピーター・スワンソンという作家は、その答えを知りたくなるタイトルをつけるところから、すでに私たちを物語の罠へ誘い込んでいる。
1.『時計仕掛けの恋人』(3.0)
──死んだはずの初恋相手との再会が、平凡な男を殺人と逃亡へ引きずり込む現代ノワール。
2.『そしてミランダを殺す』(5.0)
──空港で偶然出会った男女の妻殺し計画が、視点の反転によって殺す側と狙われる側を次々入れ替えていく心理サスペンス。
3.『ケイトが恐れるすべて』(4.0)
──住居交換でボストンへ渡った女性が、隣室の殺人と窓越しの視線に追い詰められていく心理スリラー。
4.『アリスが語らないことは』(4.0)
──父の怪死を追う青年が、美しい継母の沈黙と海辺の町に埋もれた過去へ踏み込んでいく心理サスペンス。
5.『だからダスティンは死んだ』(4.0)
──未解決殺人の証拠を隣人の書斎で見つけた女性が、誰にも信じてもらえないまま完璧な殺人鬼と対峙するスリラー。
6.『8つの完璧な殺人』(4.5)
──古典推理小説八作の殺人計画をなぞる連続事件と、秘密を抱えた書店主をめぐるメタ・ミステリ。
7.『9人はなぜ殺される』(5.0)
──見知らぬ九人の名を記したリストが、全米各地で進む連続殺人の順番へ変わっていく群像サスペンス
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