マルセル・シュオッブ『黄金仮面の王』- 博識が悪夢の仮面をかぶったら、幻想文学はここまで濃くなる【読書日記】

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著:マルセル・シュオッブ, 翻訳:大濱甫, 翻訳:多田智満子, 翻訳:垂野創一郎, 翻訳:西崎憲

幻想文学にはときどき、何を食べたらこんなものが書けるんだ?と言いたくなる作家がいる。

マルセル・シュオッブは、まさにそのタイプだ。

歴史、神話、古文書、伝説、犯罪史、終末幻想、海賊、仮面、死体、顔の喪失、奇跡。材料だけ並べると、だいぶ物騒な闇鍋である。

しかも鍋奉行がとんでもなく博識なので、こちらが「これは何の肉ですか」と聞く前に、中世フランスの俗語やら古代哲学やら海賊史やらをすっと差し出してくる。怖い。だが、うまい。怖いのに、うまい。この感じがシュオッブである。

河出文庫から刊行された『黄金仮面の王』は、そんなシュオッブの魅力をぎゅっと詰め込んだ傑作選だ。

全二十二編。表題作『黄金仮面の王』をはじめ、終末世界を描く『地上の大火』、近代技術と死の幻影が絡む『〇八一号列車』、戦争と身体の恐怖を扱う『顔無し』、さらには『エンペドクレス』『パオロ・ウッチェッロ』などの架空伝記的な作品まで入っている。

もうラインナップの時点で濃い。幻想文学の詰め合わせというより、棚の奥から出てきた特級呪物セットである。

しかも翻訳陣が、西崎憲、多田智満子、大濱甫、垂野創一郎という豪華さ。幻想文学好きからすると、これはもう文庫棚に現れた小さな魔術道具みたいなものだ。文庫なのに、妙に重い。ページ数の問題ではない。知識と死と美意識が詰まりすぎているのだ。

マルセル・シュオッブは一八六七年生まれ、一九〇五年没。三十七歳で世を去った十九世紀末フランスの作家である。象徴主義やデカダンスの空気の中で、古代から中世、神話から未来の終末までを自在に扱った。

ざっくり言えば、博識な人が史実の隙間に幻想の毒を流し込んだ作家だ。これがまた、実に危ない。ちょっと読んだだけで、これはただの昔の幻想小説ではないとわかる。

歴史の皮をかぶった悪夢。考証で固めた幻覚。そういう、妙に高級で、妙に不穏な味がする。

目次

博識がそのまま怪異になる、この異常なうまみ

『黄金仮面の王』

おすすめ度:(5.0)

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シュオッブのすごいところは、知識がただの飾りになっていないところだ。

作中に歴史上の人物や古い伝承が出てくると、普通なら、この作者は勉強して書いているなあ、で終わることもある。だがシュオッブの場合、その知識そのものが怪異になる。

たとえば『エンペドクレス』や『パオロ・ウッチェッロ』のような作品では、実在の人物が題材になっている。けれど、彼はその人物の生涯をまじめに整理して紹介するわけではない。そんな親切な伝記作家ではない。むしろ、その人物の中にあったかもしれない執着、狂気、破滅への傾きだけを抜き出して、短い幻想譚へ変えてしまう。

これがたまらない。史実なのか、作り話なのか、読んでいるうちに境目が怪しくなってくる。いや、正確に言えば、史実よりも本当っぽく感じられる瞬間がある。事実の説明ではなく、その人間の芯にあったかもしれない異常な熱だけを見せられるからだ。ミステリでいえば、アリバイ表ではなく、犯人の脳内の一番暗い部屋を覗かされるような感覚に近い。

このあたりは、後のボルヘスにもつながる魅力だと思う。架空の伝記、偽の考証、存在しない本、あり得たかもしれない過去。シュオッブはそういう知的な怪しさを、かなり早い段階で研ぎ澄ませていた作家である。

ボルヘス好きがシュオッブに惹かれるのは当然だし、逆にシュオッブを読んでからボルヘスに行くと、秘密の地下通路がつながっている感じがするはずだ。

そして表題作『黄金仮面の王』である。これがまた、タイトルからして勝ちである。黄金、仮面、王。三つ並んだだけで、もう幻想文学の役満みたいな迫力がある。

物語の舞台は、歴代の王が仮面をかぶることを義務づけられた国。王の顔は隠され、仮面こそが王権の象徴になる。素顔を隠すことで王になるのか。王であるために素顔を捨てるのか。この設定だけでテンションが上がる。仮面が出てくるだけで、脳は勝手に回転を始める。正体か? 入れ替わりか? 偽装か?と身構えてしまう。

だがシュオッブは、そこからもっと変なところへ行く。仮面を剥がせば真実が出てくる、という単純な話ではない。むしろ、剥がした先にあるものが、人間にとって耐えられるものなのか、という方向へ進んでいく。

見えること、見えないこと、王であること、人間であること。その全部が絡まり合って、怪奇譚のように始まった物語が、いつの間にか奇跡譚めいた光を帯びていく。

この転調が本当にいい。グロテスクなのに神々しい。怖いのに、どこか祈りのようでもある。シュオッブよ、そこでそんな美しい方向に持っていくのか、と読んでいて軽く唸る。

というか、普通の作家ならそのルートは選ばない。仮面の下にあるものを暴く話かと思わせて、仮面そのもの、人間そのもの、王権そのものの意味まで揺らしてくるのだ。

残酷なのに、なぜか人間へのまなざしが残る

シュオッブの作品には、けっこう残酷なものが多い。終末、疫病、戦争、顔の喪失、死、仮面、犠牲、毒。

素材だけ並べると、なかなか物騒である。文学界の闇鍋というか、鍋の蓋を開けたら骨と金箔と古文書が入っていた、みたいな感じだ。

だが、不思議なことに、ただ嫌なだけではない。なぜかというと、シュオッブの残酷さには、どこか憐れみがあるからだ。

『顔無し』は、その典型だと思う。戦場で顔を失った兵士たちを描く作品だが、ここでの恐怖は、外見の損傷そのものだけではない。

顔を失うとは、自分が自分であるための記号を失うことでもある。人間は顔によって他者から認識され、自分でも自分を確かめている。では、その顔がなくなったとき、その人間はどこに残るのか。

この発想は、とてもミステリ的でもある。ミステリではしばしば「誰であるか」が問題になる。身元、偽装、変装、入れ替わり、仮面。だがシュオッブの場合、その関心は犯人当ての方向には向かわない。

もっと根っこの、人間の存在そのものへ降りていく。顔という証拠品が失われたとき、人はどこまで人でいられるのか。そこにあるのは、謎解きではなく、存在の足場が崩れる感覚だ。

『未来のテロ』も嫌な切れ味がある。理想の社会を作るために人間を犠牲にする者たちが描かれるのだが、怖いのは暴力そのものより、思想が人間を見なくなる瞬間である。目的が大きくなりすぎると、目の前の一人が数字になる。

これが本当に怖い。しかもシュオッブは、そこを感情的に叫ばない。淡々と見せる。声を荒らさず、冷たい刃物を机に置くように見せる。その距離感が逆にえぐい。

『地上の大火』は、終末幻想として美しい。いや、世界が滅びる話に美しいと言うのもどうかと思うが、シュオッブの場合はそう言うしかない。世界が終わりへ向かい、人々の活力が失われていく。その中で、なお小さな生命の気配が残る。このコントラストがたまらない。絶望の光景なのに、どこか澄んだ美しさがある。

ここで思うのは、シュオッブは死や破滅をただのショック描写として扱っていない、ということだ。彼にとって残酷さは、人間の表面を切り開くための道具なのだと思う。社会的な肩書き、顔、仮面、伝説、思想。そういうものを一枚ずつ剥がしていく。その手つきは冷たい。めちゃくちゃ冷たい。だが、最後に残るものを見捨ててはいない。

だから読んでいて、ぞっとするのに妙に胸に残る。怖がらせるだけなら、もっと派手にできるはずだ。だがシュオッブは、派手な脅かしではなく、残酷さの向こうにある人間の弱さや哀しさを見せてくる。そこが本当に厄介で、魅力的で、やっぱりすごい。

ボルヘス、澁澤龍彦、そして幻想文学好きの秘密の通路

シュオッブを語るとき、ボルヘスの名前はどうしても出したくなる。というか、出さずにはいられない。

偽書、架空伝記、博識と幻想の融合。そういう文学の快楽を考えると、ボルヘスがシュオッブを愛したのも当然すぎる。むしろ「でしょうね!」と言いたくなる。

シュオッブは、世界を巨大な図書館として見ているような作家だ。ただし、その図書館には普通の本だけではなく、存在しない伝記、呪われた写本、怪しい古文書、誰が書いたのかわからない記録まで並んでいる。棚の奥に手を突っ込むと、紙ではなく骨が出てくるタイプの図書館である。最高に困るし、最高に楽しい。

この感じは、日本の幻想文学とも相性がいい。澁澤龍彦がシュオッブに惹かれたのもよくわかる。博識、異端、美、残酷、神話、倒錯、死。澁澤龍彦の美意識に引っかかる要素が、これでもかと入っている。

山尾悠子の幻想世界にも、どこかシュオッブ的な気配を感じる瞬間がある。つまりシュオッブは、遠いフランスの古い作家でありながら、日本の幻想文学好きにとって妙に近い場所にいるのだ。

さらに中島敦との共鳴も面白い。どちらも短い生涯の中で、古典や歴史を素材にした高密度の作品を残した。どちらも博識を単なる知識自慢にせず、物語の緊張感に変えることができた。もちろん作品の肌触りはかなり違う。けれど、歴史の中から人間の極限をすくい上げる感覚には、通じるものがある。

この河出文庫版『黄金仮面の王』のありがたさは、そうしたシュオッブの世界にとても入りやすい形で触れられるところにある。かつては幻想文学マニアの奥座敷に鎮座していたような作家が、文庫で読める。これは大きい。

幻想文学の世界には、名作なのに入手が難しい、名前だけは聞くけど実物が見つからない、という本がけっこうある。そういう意味でも、この一冊はありがたい入口になっている。

翻訳の違いも楽しい。多田智満子の詩的な響き、大濱甫の端正な手触り、西崎憲の現代的なリズム、垂野創一郎の怪奇への感度。それぞれの声が混じることで、シュオッブという作家がひとつの顔ではなく、いくつもの顔を持って見えてくる。仮面の作家を読む本として、この翻訳の多声性はかなり合っていると思う。

『黄金仮面の王』は、わかりやすいストーリー展開でぐいぐい読ませる本ではない。名探偵が登場して事件を解決するわけでもないし、どんでん返しが派手に炸裂するタイプでもない。けれど、ミステリ好きに刺さる要素はかなり多い。

仮面、正体、偽装された伝記、隠された顔、歴史の空白、死者の気配。謎解きの形をしていないのに、世界そのものが何かを隠しているように感じられる。

私にとってシュオッブは、幻想文学の棚におとなしく収まっている作家ではない。ミステリの隣の、少し暗い小部屋にいる作家だ。

扉を開けると、黄金の仮面をかぶった王がいて、顔を失った兵士がいて、終末を見つめる人々がいて、古い伝記のふりをした悪夢が並んでいる。怖い。めちゃくちゃ怖い。でも、目をそらすにはあまりにも魅力的である。

この本を読むことは、知識で作られた悪夢の中を歩くことに近い。しかもその悪夢は、ただ不気味なだけではない。仮面の下にある人間の脆さや、死のそばに残る美しさまで見せてくる。

シュオッブの小さな秘密結社は、文庫という入口を得て、また新しい仲間を増やしていくのだろう。

私もたぶん、その片隅で、黄金の仮面を少しだけ怖がりながら眺めている。

やはりこういう本が文庫で読める時代というのは、めちゃくちゃ贅沢なことだと思うのだ。

著:マルセル・シュオッブ, 翻訳:大濱甫, 翻訳:多田智満子, 翻訳:垂野創一郎, 翻訳:西崎憲
Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

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