小田雅久仁『禍』- 怖いのに目をそらせない、奇妙に美しい災厄【読書日記】

新刊情報を追っていて小田雅久仁の名前が見えると、私の中の空気が毎回ちょっと空気が変わる。
待ってました、という気持ちもあるし、今度はどこまで連れていかれるのかという妙な緊張もある。
この人はたくさん書くタイプではない。むしろ寡作で、そのぶん一冊ごとの密度がおかしい。軽く読めるはずなのに、読後には何か変なものが身体の奥に残る。『禍』は、その感じが非常に強い短篇集だ。
まず設定がいい。耳、目、鼻、髪、口、肉、肌。そんな身体の部位をモチーフにした七つの話が並んでいるのだが、これがどれも単なる気持ち悪さだけでは終わらない。もちろん嫌な感じはある。ゾワゾワするし、読んでいて顔をしかめたくなる場面もある。
でも、本作の面白さはそこだけではない。気味が悪いのに妙に美しい。生理的にきついのに、どこかうっとりする。『禍』は、その相反する感覚を高いレベルで両立させている本だ。
小田雅久仁は、『増大派に告ぐ』でデビューしてから、『本にだって雄と雌があります』『残月記』と、冊数こそ多くないのに、出すたびにしっかり印象を残してきた作家である。
この人の作品を読むたびに、発想そのものの強さもそうなのだが、世界の立ち上げ方が面白いと思う。
ただ奇妙なことを思いつくのではなく、その奇妙さが当たり前みたいに存在している空気ごと作ってしまう感じだ。『禍』でも、その力ははっきり出ている。
身体が怖いというより、身体から世界が変わってしまう
この本を読んでいてまず面白いのは、身体の一部がテーマなのに、単純なボディ・ホラーに収まっていないところである。
たしかに、本を食べる話や、耳から人の内部に入り込む話や、鼻が栽培される話など、字面だけ見ればかなり強烈だ。しかも描写も遠慮がないので、しっかり気持ち悪い。
だが、『禍』の本当の怖さは、身体が変になることそのものより、その異常をきっかけに世界の見え方が変わってしまうところだと思う。
たとえば本を食べるという発想は、冷静に考えるとなかなか無茶である。だが、読んでいるうちに、その無茶さがだんだん理屈として通って見えてくる。耳から他人の中に入る話も同じだ。普通なら、そんなのありえないで終わるはずなのに、小田雅久仁はその先の感触まできっちり書く。
どうしてそこに惹かれてしまうのか。その異常が、なぜ当人にとって魅力的に見えてしまうのか。その筋道がちゃんとあるから、ただの奇抜さで終わらない。
私はミステリが好きなので、こういう作品でも設定の運び方を見てしまうのだが、『禍』はその点でもとても面白い。奇妙なルールを出して、それを一時の思いつきで終わらせず、世界の土台として使っている。
だから、ありえない話なのに、読んでいる最中はこれがこの作品の現実なのだと納得してしまうのだ。この納得感があるからこそ、怖さが一段と深くなる。
もっと正確に言うなら、読みながら少しずつ逃げ道がなくなっていく感じである。
気持ち悪いのに、なぜか惹かれてしまう
『禍』が面白いのは、恐怖だけで押してこないところにもある。本作の登場人物たちは、異常なものに出会って、全力で逃げ切るとは限らない。むしろ途中から、その異常の側へ少しずつ寄っていく。そこが特に印象に残った。
これはすごく嫌な話のはずなのだ。普通ならそんな世界に巻き込まれたくないし、そんな身体の変化は勘弁してほしい。なのに、『禍』では異常なものの側に、妙な居心地のよさや救いの気配がある。
現実のほうが息苦しく、退屈で、孤独で、その外側にある異様な世界のほうが、かえって居場所に見えてしまう。ここがこの短篇集のとても怖いところだと思う。
『耳もぐり』や『髪禍』のような話には、とくにその感じが強い。個人でいることのしんどさから抜け出して、別の大きなものの一部になってしまいたい。そういう欲望は、ふだん表には出にくいが、現代の感覚としては切実なのかもしれない。
『禍』は、その気分を説教くさく語るのではなく、怪異のかたちで見せてくる。だから読んでいて、ただ怖いだけでは終わらない。少しわかってしまうのだ、この異常に吸い寄せられる感じが。
私はホラーを読むとき、その世界に絶対住みたくないと思うか、それとも嫌なのに少し惹かれるか、をわりと気にしている。『禍』は完全に後者である。
近づきたくない。でも見たい。巻き込まれたくない。でも、あちら側の感触を少しだけ知りたい。そういう危うい魅力が全篇にある。
『残月記』の先で、もっと身体に近いところまで来た本
前作『残月記』が好きだった人ほど、『禍』の変化は面白いと思う。『残月記』にももちろん怖さはあったが、あちらはもっと叙情や悲哀が前に出ていた印象がある。
運命の重さとか、愛のかたちとか、そういうものがしっかり芯にあった。それに対して『禍』は、もっと身体に近い。皮膚、喉、耳、髪。そういう、考えるより先に反応してしまう場所に直接触ってくる。
ただし、これは単純にグロテスクさが増したという話ではない。本作もやはり小田雅久仁の作品なので、異様なだけでは終わらない。嫌悪感の向こうに、きれいなものや切ないものや、妙に甘い感覚が混じっている。そこがあるから、読後の印象が単なる悪夢にならない。むしろ、少し変な夢を長く引きずる感じになる。
文体も好きだ。大げさに煽らず、冷静に書いているのに、脳内には鮮明な映像が浮かぶ。しかも映像だけでなく、触覚まで伝わってくる。耳の奥がむずむずする感じ、肌の表面が落ち着かない感じ、口の中に異物感が残る感じ。そういう説明しにくい感覚まで言葉で運んでくるのが、この人のすごさだと思う。
『禍』は、ホラー好きにはもちろんすすめたいのだが、私は幻想文学として読んでも面白い本だと思っている。怪談というより、身体を入口にして世界の理屈がねじれていく話。しかも、そのねじれが最後にはどこか新しい秩序に見えてしまう。そこがこの本の厄介な魅力である。
読み終えたあと、耳や目や口がいつもどおり自分のものに思えなくなる、と言うと少し大げさに聞こえるかもしれない。でも、『禍』にはたしかにそういう力がある。
これは恐怖の短篇集であると同時に、身体という最も身近なものがどれほど不気味な入口になりうるかを示した本でもある。
そして私は、この本のいちばん怖いところは異形そのものではなく、異形に触れたあとで元の世界に戻る気が少し失せてしまうところだと思っている。
そんな感覚をここまで自然に、ここまで美しく書いてしまうのだから、小田雅久仁はやはりとんでもない。寡作であることすら、この作家の場合は作風の一部に見えてくる。
長い沈黙の果てに、こんな本を置いていかれたらたまらないのである。
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