H・G・ウェルズ『タイム・マシン【新版】』- 未来へ行ったはずなのに、見えてくるのは人間の古さだった

未来へ行く話のはずなのに、この小説が本当に見せてくるのは、人類のいちばん古くて厄介な癖なのかもしれない。
H・G・ウェルズ『タイム・マシン』を【新版】で読み返して、あらためてそう思った。
タイムトラベルSFの元祖としてあまりにも有名なので、つい発明のアイデアがすごい作品みたいに紹介されがちなのだが、実際にはそれだけではまったく足りない。これは未来見物の冒険譚というより、未来を使って現在をえぐる小説だ。しかもかなり容赦がない。
今回の新版は、『タイム・マシン』に加えて五つの短編を収めた一冊で、ウェルズという作家の幅がかなり気持ちよく見えてくる。こういう本は大好きだ。
代表作だけで終わらず、短編まで読んだときに、その作家の思考の癖みたいなものが見える本はだいたい当たりである。ウェルズはまさにそういうタイプだ。
空想は大胆なのに、発想の着地は妙に冷たい。夢を見せるふりをして、最後には人間の嫌なところをきっちり見せてくる。
未来を描いているのに、やたら今っぽい
『タイム・マシン』のすごさは、時間旅行という装置を思いついたことだけではない。もっと大きいのは、その装置で何を見せたかである。
タイム・トラベラーがたどり着くのは、はるかな未来。そこには華奢で愛らしいイーロイと、地底で暮らすモーロックがいる。最初は牧歌的な未来世界のように見えるのだが、話が進むにつれて、この世界がとんでもなく嫌な仕組みで成り立っていることがわかってくる。
イーロイは地上でのんびり暮らし、見た目はかわいらしいが、知性も意志もかなり弱っている。対してモーロックは地下で機械を操り、夜になると地上へ現れる。ここでウェルズがやっているのは、ヴィクトリア朝の階級社会を、未来の生物学的悪夢にまで押し広げることだ。
富裕層と労働者の分断が、そのまま種の分裂にまで進んでしまったのである。しかも嫌なのは、どちらも勝っていないところだ。楽をしすぎた側はふにゃふにゃに弱り、働かされ続けた側は捕食者みたいになっている。全員まとめてあまり幸せではない。妙に筋は通っているけれど、なんだか嫌だ。
この小説を読むたびに、ウェルズは進歩という言葉を全然信用していないのだなと思う。便利になれば人間は立派になる、快適になれば文明は完成に近づく、という話をこの人はかなり疑っている。
むしろ、すべてが満たされて緊張も困難もなくなったら、知性そのものが要らなくなるのではないか、と考えている。かなり意地が悪い見方なのだが、この意地の悪さがいい。人間に対して甘くないのである。
この感じは、ちょっと本格ミステリに近い面白さだと思っている。ひとつの仮定を置き、その仮定を最後までちゃんと追い詰める感じだ。
もし格差が固定されたらどうなるか。もし快適さが人間から努力を奪ったらどうなるか。もし進化が進歩ではなく、ただの適応なのだとしたら未来はどうなるか。
ウェルズはそのへんをふわっと流さない。だから古典なのに、いま読んでも変に生々しい。
本当に怖いのは、モーロックよりその先かもしれない


絵:悠木四季
『タイム・マシン』がさらにすごいのは、イーロイとモーロックの話だけで終わらないところだ。物語はもっと遠い未来、人類の気配すらほとんど消えた世界まで進んでいく。
赤く巨大化した太陽、冷えきった地球、終わりかけた生命。この終盤は、冒険小説というより宇宙規模の悪夢である。十九世紀の小説でここまでやるのか、とちょっと笑ってしまうくらいスケールが大きい。いや笑っている場合ではないのだが、あまりに容赦がないので半笑いになる。
ここでウェルズが突きつけてくるのは、人間中心の歴史観の崩壊である。文明がどれだけ立派でも、宇宙の時間の前では一時の出来事にすぎない。タイムトラベルものなのに、未来が希望の展示場ではなく、文明の終わりと宇宙の冷たさの見本市みたいになっているのがすごい。夢がない。だがそこがいい。
しかも語りの運びもうまい。科学講義っぽい導入から始まりつつ、だんだん地下世界の不気味さや夜の恐怖が濃くなっていく流れには、怪奇小説めいたぞくぞくがある。
見えていないものがいちばん怖い、という感覚の使い方が非常にうまいので、ミステリ好きとしてもかなり楽しい。理屈があるのに不安が消えない。
説明されるほど嫌な想像が広がる。このへんは、さすが後のSFやホラーに大きな影響を与えた作家だなと思う。
短編まで読むと、ウェルズの底意地の悪さがよくわかる


絵:悠木四季
この新版の楽しさは、短編をまとめて読めるところにもある。
『塀についたドア』はとりわけ印象的だ。子どものころに見つけた楽園への扉を、生涯忘れられない男の話なのだが、これが実にきれいで、実に残酷である。成功や義務を優先するたびに、幸福の可能性を取り逃がしていく。その痛みが、幻想小説のかたちをしてすぱっと刺してくる。甘い夢の話に見えて、かなり厳しい。
『奇跡を起こせる男』は、突然なんでもできる力を手に入れた平凡な男の話で、ウェルズのユーモアがよく出ている。万能の力があっても、使う側が平凡だとろくなことにならない。すごく夢のない教訓だが、その夢のなさが妙におかしい。
『水晶の卵』では異世界を覗き見る装置の不穏さが光るし、『ダイヤモンド製造家』では大発明がそのまま幸福につながらない社会の皮肉が効いている。『イーピヨルニスの島』も含めて、どの短編にも、科学的なアイデアと人間の間の抜けたところ、あるいは社会の歪みがきれいに同居している。
そして阿部知二の訳もやはり魅力的だ。少し古風な格調があって、ウェルズの論理と幻想の両方をしっかり受け止めている。
今の軽快な訳文に慣れていると最初は少し背筋が伸びるが、このくらいの品のよさがむしろ合う。古典を古典らしく味わう楽しさがちゃんとある。
『タイム・マシン【新版】』は、SF史の記念碑を読む一冊、で終わらせるにはかなりもったいない。
ここにあるのは、未来を空想する楽しさより、その未来が暴いてしまう人間社会の危うさを見つめる想像力である。
時間旅行の話を読んだはずなのに、最後にはこちらが現在を見返している。
この小説の怖さは未来にあるのではない。
その未来を、いまの私たちがわりと素直に想像できてしまうところにあると思うのだ。





















