小松立人『そして物語のおわりに』- 孤島、館、バラバラ死体。極上のフルコースに混じった整いすぎない本格【読書日記】

小松立人『そして物語のおわりに』は、とてもまっすぐに本格ミステリをやっている小説だ。
しかも、ただ古典の型を大事に並べました、というだけでは終わらない。孤島、館、外部と切り離された状況、奇妙な死体、限られた容疑者たち。
こうして並べると、もう本格ミステリ好きの脳内では景気よくファンファーレが鳴る。もちろん私も鳴る。めちゃくちゃ鳴る。こういう舞台を出されると、それだけで少し嬉しくなってしまうのは、もはや条件反射みたいなものだと思う。
ただ、本作のいいところは、その王道セットをきっちり揃えたうえで、最後にぜんぶを額縁の中へぴたりと収めて、はい完成、とはしないところにある。むしろ、きれいに見せながら、ほんの少しだけずらす。その少しのずれが読後に残る。ここが実にいい。
個人的な話ではあるけれど、私が本格ミステリを読んでいていちばん好きなのは、世界がいったん滅茶苦茶になったあと、論理でなんとか組み直されていく感覚だ。死体が出る、状況は混乱する、人間関係はぎすぎすする、そのぐしゃぐしゃを一つひとつ拾い直して、「なるほどそういうことか」と見取り図が浮かぶ瞬間がたまらない。
本作は、その快感をちゃんとくれる。しかも、組み直したあとで「でも現実ってそんなに全部きれいに収まるか?」と、少しだけ意地悪く言ってくる。この感じが小松立人という作家らしい。
デビュー作『そして誰もいなくなるのか』が、特殊設定を前面に押し出した、ちょっと嫌な感じのサスペンス寄り本格だったとすれば、本作はもっと正面から本格ミステリのど真ん中に入ってきた印象がある。
とはいえ、急に優等生になったわけではない。むしろ王道に寄るぶん、作者の癖が逆にはっきり見えてくる。整っているのに整いすぎない。
ロジックはあるのに、どこか人間の不格好さが残る。その感じが本作では大きな魅力になっているのだ。
孤島と館とバラバラ死体、ミステリ好きが元気になる舞台装置
なんと言ってもまず舞台がいい。
冬の離島、ゼネコン会長の館、壊れた通信設備、すぐには来ない船。ここまで来ると、さすがに本格ミステリのサービス精神が旺盛すぎる。
ありがたい。こういうのを見ると、ああ今日はちゃんとミステリを読めそうだ、という気持ちになる。料理で言えば、最初にいい匂いがしてくる感じである。
もちろん、本作は舞台を「それっぽさ」のためだけに置いているわけではない。ちゃんと使っている。
外に連絡できない。逃げ場がない。警察もすぐには来ない。だから容疑者は自然に限られる。
つまり、現代ではだんだん作りにくくなっているクローズド・サークルを、かなり丁寧に成立させているのだ。スマホで何でもつながる時代に、孤立した状況をきちんと納得させるのは意外と難しい。本作はそこをごまかさない。この真面目さはとても好きだ。
そして事件の出し方も実にいい。余命を告白したゼネコン会長が、翌朝には四肢を切断された死体で見つかる。しかも海ではなく池で。字面だけ見るとだいぶ物騒なのだが、この物騒さがちゃんと「謎」になっているのが本格ミステリとしてうれしい。
なぜそんな場所なのか。なぜそこまで損壊する必要があったのか。ただショッキングだからではなく、そこに犯人の理屈が潜んでいるはずだ、と思わせる作りになっている。
私はグロテスクな描写そのものが好きなわけではないのだが、グロテスクさがちゃんと論理の入口になっていると、一気に見方が変わる。本作のバラバラ死体は、怖がらせるためだけの装飾ではなく、時間や状況認識をずらすための部品として機能している。
つまり、嫌な見た目をしながら、かなり働き者なのである。そう考えると、読んでいるこちらも気味の悪さを感じつつ、でもこれはどういう理屈だ、と考え始めてしまう。
この「嫌だ」と「でも気になる」が同時に来る感じは、本格ミステリではかなりおいしい。
張田と久郷のコンビが、理屈っぽい話をちゃんと楽しくしている
本作でもうひとつ大きいのが、張田雅之と久郷一という二人の探偵役である。このコンビが実にいい。
医学生で、理屈と知識で現場を見ていく張田。そして、どこか変で、妙な嗅覚で真相に近づいていく久郷。役割分担はわりとはっきりしているのだが、そのぶん推理の流れに立体感が出る。
張田は、死体や現場の状況を物質として捉え、そこから論理を組み立てていく。医学生という設定がかなり効いていて、死体描写にも説得力が出るし、状況の整理役としても機能する。要するに、話をちゃんと前に進める人である。こういう人がいないと、本格ミステリはときどき全員が好き勝手しゃべって終わるので大事だ。
一方の久郷は、もう少し変な方向から事件を見る。論理を積み上げるというより、違和感や勘のようなものでぐっと核心に寄っていく。この人がいるせいで、作品がただの理屈の行進にならない。このバランスがかなり好きだった。
片方だけなら、もう少し整いすぎた話になっていたと思う。張田が積み上げ、久郷がずらす。その往復があるから、真相への近づき方に独特の揺れが出るのである。
しかも張田が、全面的に感じのいい主人公ではないところもいい。少し理屈っぽい。少し鼻につく。ちょっと面倒だな、と思う瞬間もある。
だが、そこがいい。きれいに好感度調整された主人公より、少し癖があって、ときどき「なんだこいつは」と思わせる人物のほうが、話に厚みが出るのではないかと思っている。本作の張田はまさにそのラインにいる。
久郷もまた、ただの変人枠では終わらない。変人探偵というのは便利な型だが、うっかりすると「はいはい変な人ですね」で流されてしまう。本作ではそうなっていない。久郷の奇妙さにはきちんと意味があるし、最後の感触にもつながってくる。
単なる味つけではなく、作品の見方そのものをずらす存在になっている。変なのに、ちゃんと芯にいる。このあたりも凄くいい。
きれいに解けるのに、少しだけ解け残る感じがむしろいい
本作を読んでいていちばん印象に残るのは、やはり「現実社会はジグソーパズルではない」という考え方だ。これはかなり大きい。
本格ミステリは長いあいだ、ばらばらに見えた事実が最後にぴたりとはまり、すべてのピースがかっちり収まる快感を大事にしてきたジャンルだと思う。
もちろん私もその快感が大好きで、本格ミステリを読む理由のかなり大きな部分はそこにある。だが本作は、その気持ちよさをわかっているからこそ、「でも現実ってそんなに都合よく全部そろうか?」と少し言ってくる。
ここが本作の面白いところであり、ちょっと意地悪なところでもある。もちろん事件は解かれる。伏線も効いている。真相も示される。ミステリとしての仕事はちゃんとしている。
なのにそれでも少しだけ、本当に全部きれいに収まったのか?と考えたくなる感触が残る。この残りかすみたいなものを、本作は欠点ではなく、現実の手触りとして差し出してくる。
これはかなり勇気のいるやり方だと思う。本格ミステリ好きは、わりと容赦なく「そこをちゃんと説明してくれ」と思う生き物だからである。
私もそういうところはある。ピースがひとつでも机の下に転がっている気配がすると、すぐ拾いに行きたくなる。だが本作は、その「少し拾いきれない感じ」まで含めて作品の味にしている。私はこれがとても好きだった。
というのも、犯人の行動や計画が、完璧な機械仕掛けみたいには見えないからだ。追い詰められた人間が、その場その場で無理をし、偶然に助けられたり、偶然に振り回されたりしながら進んでいく。その不格好さが結果としてリアリティになっている。
本格ミステリだと、ときどき犯人が優秀すぎて「この人は犯罪者というより現場監督では」と思うことがあるが、本作はそこまでいかない。少し危うく、少し無理がある。その感じがむしろ信用できた。
しかも、本作は猟奇的な事件を扱いながら、読後感がひたすら重く沈むタイプではない。文章にどこか乾いたユーモアがあるし、人物同士のやり取りにも少し力の抜けた部分がある。この温度がちょうどいい。
ずっと陰惨一辺倒だと、論理を楽しむ前に気持ちが疲れてしまうが、本作はそこをうまく中和している。深刻な事件をやりつつ、読む側にはちゃんと考える余白を残す。このあたりのさじ加減はとてもいい。
巻末の遊び心まで含めて考えると、小松立人という作家は、本格ミステリのルールにかなり敬意を払いながら、そのルールの外側にあるものもちゃんと見ているのだと思う。
パズルの美しさは大事だが、そこから少しこぼれ落ちるものもまた大事だ、と言っているように見える。その姿勢が本作を、単なる技巧派の一冊で終わらせていない。
小松立人『そして物語のおわりに』は、孤島もの、館もの、猟奇もの、探偵ものとして十分に楽しい。ミステリ好きが好きな部品はかなり揃っているし、その部品の使い方もうまい。
そして一番いいのは、全部をきれいに収めることだけをゴールにしていないところだ。論理で事件を解きながら、論理だけでは処理しきれない現実のざらつきも残していく。その少し厄介な感じが、この小説の読後感をかなり独特なものにしている。
物語は終わる。でも、頭の中では少し続く。
あのピースは、本当にあそこだったのか。いや、少しはみ出していたのではないか。そんなことをつい考えてしまう。
読後にそういう余計な数分を残してくるミステリは、やはり良い。
きれいに解ける快感を知っている作家が、あえて少しだけ解け残りの感触まで差し出してくる。
そのやり方が、この作品ではとても魅力的に見えたのである。




















