もうダメなのではないかと思っていた。
どこまでも続く広大な砂漠をもう一ヶ月も歩き続け、食料も水も残りわずか、強い日差しは情けも容赦もない。
隣で双眼鏡を覗く召使いRは、何人も連れてきたうちの最後の生き残りだった。
「どうだ、宮殿は見えたか。魔法のランプのあるという古代の宮殿は?」
Rがあまりにも長い間双眼鏡を持ったままなので、私は苛立ちをぶつけるように彼に尋ねた。それでもRは返事すらしない。
私は堪えられなくなって、彼を突き飛ばし双眼鏡を覗き込んだ。
息を呑む光景が唐突に私の目に飛び込んできた。
「……宮殿だ。目指していた場所が遂に見つかったぞ!」
私は砂地に倒れ目を回しているRに見向きもせず先へ走った。召使いなど、もうどうでもいい。
徐々に肉眼でも宮殿が見えてくる。砂に半分埋もれてしまった古びた宮殿だ。
腕を広げたように左右に長い建物、その中央部に何やらキラキラと光るものがある。
私は追いついてきたRにニヤリと笑いかけた。彼は追従の笑みを返してくる。
果たしてそれは、私が追い求めていた魔法のランプであった。
私はそっとそれを手に取ると、ゆっくり全体を眺め回した。
傷一つない金色がこれを本物だと私に確信させた。
そこで私はランプをこすりながら呪文を唱えることにした。
「アブラカタブラいでよゴマ!」
そう叫ぶとランプは急に手元から離れ宙に浮かんだ。
Rは真っ青な顔で震えている。私も震えていたが、それは恐怖というよりも興奮と期待によるものだった。
ランプから白い煙が立ち上って、あっという間にそれは足のない痩せた男の形になった。
男は寝ぼけた目をしていたけれど、私を見るとにっこり笑ってこう言った。
「これはこれは御主人様、ワタクシはランプの魔人でございます。どんな願いでもたちどころに叶えて差し上げましょう。ただし願いは三つまでですよ」
「砂漠をたくさんの水が満ちた豊かな土地に変えてほしい」
と言ったのは召使いのRで、私は違うと否定した。そんなことに貴重な願いを使われてはたまらない。
喉が渇き腹が減っていた。それを解消するのが一番だ。
「まずはこの宮殿を元の立派な姿に戻せ」
私が命じると魔人は「承りました」と厳かに頷いて、大きく息を吸い込み始めた。
さすがは魔人、すごい力だ、地面が揺れる。そうするうちに緑色の光の粒が引き寄せられ、彼の口の中に入った。
こうして金色の体になった彼がふうと息を吐き出すと、一瞬強い風が吹き抜けて次の瞬間、私は光り輝く宮殿の中に立っていた。
目の前には大量の料理と酒、私は迷わず飛びついた。
久しぶりの美味い食事を堪能しながら、私は次の願いを考えた。
そうだ、迷う必要なんてないじゃないか。私は金銀財宝を願うことにした。
しかしここでまたRの横槍が入る。彼は遠慮しているのか恐れているのか、すぐ手の届くところにある食事に少しも手を付けていなかった。
「ランプの魔人様、どうか我が母国で起こっている戦争を止めていただけないでしょうか。まだ幼い弟や妹のことが心配なのです」
私の堪忍袋の緒が切れた。Rを蹴り飛ばし、私は”正しい”願い事を魔人に伝えた。
魔人はまた光の粒を吸い込んで、宮殿の広場に山のような宝物の数々を出現させた。これで私は世界一の大金持ちだ。
だが私の欲望はこの程度では収まらない。願いはあと一つしかない。
私は悩んだ。「美女を百人」、「素晴らしい音楽の奏者たち」、「世界を牛耳るための不死の軍団」……。
数時間悩み続けた。叶えられる望みはたった一つなのだと思うと簡単には決められない。
私にはまだまだたくさんの欲しいモノがあるというのに。
一つでなければいい、その発想が素晴らしいアイディアを閃かせてくれた。私は待ちくたびれた様子の魔人に願った。
「魔法のランプをもう一つくれ」
これにはさすがの魔人も意表を突かれたらしい。顔に張り付いたような笑みもこの時は鳴りを潜めて、彼はしばらく渋い表情でブツブツと何かを呟いていた。
考える時間を与えてはダメだと私の商売の勘が訴える。私は少し不機嫌な様子を装ってムッツリとこう言ってやった。
「なんだ魔人よ、御主人様の願いだぞ。早く叶えてみせてみろ」
急かされた魔人は結局考えるのをやめて、新しい魔法のランプを創り出した。
それからは魔人も吹っ切れたのだろう、私が二つの願いを叶え、残りの一つを新しい魔法のランプのために使うと言っても躊躇することはなくなった。
私はそれを繰り返し、思う存分願いを叶え続けた。
魔法のランプが10個になる頃、私はとうとう思いつく限りの望みを叶え終えた。
気づくと魔人が驚くような巨漢になっていた。どうやらあの光の粒が彼にとっての栄養になるらしい。
さて、あらゆる夢を現実にした私だったが、なぜか心が満ち足りていない。
理由を考えて、ふと五年前に残してきた妻と三人の息子たちのことを思い出す。
そうか、今の私に足りていないのは家族の温もりなのだ。
私はこれも魔人に頼むこととした。彼は眠そうにあくびをしていた。
「なあ魔人よ、私の故郷にいる家族たちをここへ呼び寄せてくれないか」
今までの願いと比べれば些細なことのはず、だが彼は首を横に振った。
「御主人様、申し訳ございません。そればかりはワタクシにも出来ません」
どうしてかと尋ねても魔人は「どうしても」と言うだけで一向に埒が明かない。
仕方がない。私は召使いのRに言いつけることにした。
金も、昼夜休まず風の速さで駆ける銀の馬もある、これなら妻たちもさほど苦労せずここまでやってくることが出来るだろう。
だが、いくら呼んでもRからの返事はなかった。横に控えていたはずなのに姿も見えない。
不思議に思い、魔人に私の召使いを知らないかと尋ねた。
彼はにっこり笑って自分のたるんだ腹を指差した。あの光の粒が何千万と吸い込まれたあの腹を。
魔人は一つ大きなゲップをして言った。
「アナタの願いはアナタにとって大事な人の命と引き換えに叶えられたのです。ごちそうさまでした。アナタのご家族、召使い、そして世界中の人々の魂は大変美味でございましたよ。では、ワタクシはお腹いっぱいになりましたので」
そのまま魔人は浮かび上がって空の彼方へ消えてしまった。
私の本当の幸せをその体に宿したまま。
(了)