六月末日、東京都練馬区の郊外にある借家で、夫婦の遺体が発見された。
夫は首を吊っており、妻は全身を刺されて失血死。
夫が無傷で血まみれだったことから、警察はこの事件を、夫による妻殺害と無理心中だと考えた。
しかし心中にしては、奇妙な点がいくつもあった。
まず遺体の周辺に、チクワが散らばっていたのだ。
ごく普通の筒状のチクワが、数千本か、あるいは数万本か、とにかく大量に。
しかも梅雨時の常温下で放置されていたため、カビが生えていたり腐って溶け出したりで、異臭を放っていた。
さらに夫のポケットに、本人による手記と思われる紙束が入っていた。
書き出しは、「私はチクワに殺されます」と、これまた異様な文章。
人がチクワに殺されるなんて、あり得るのだろうか?
床に散らばったチクワは何なのだろうか?
答えは手記の中にあった。
チクワの穴から覗いてみると…
『私はチクワに殺されます』は、前代未聞のサスペンス!
ジャンルで言うと、チクワ・サスペンスとでも表現すべきでしょうか、とにかく未だかつてなかった斬新な小説なのです。
チクワは、もちろん、あのチクワ。
魚のすり身を筒状にして焼き上げた、ごく一般的な食品ですね。
そのためタイトルやジャンルだけ聞くと、まるでギャグのようですが、内容はなかなかどうして恐ろしい。
なんせ冒頭から、夫は首吊り、妻はメッタ刺し、周囲には無数の腐ったチクワ。
さらに、その男の手記と思われる長い文書が、また不気味。
これには、男がチクワを通じて体験した異常な出来事が書かれています。
男はまず、仕事中にいただき物のチクワを食べていた時、近くで働く作業員を、なんとなくチクワの穴から見てしまいます。
するとその作業員の頭から血が噴き出し、首がねじ曲がっている姿が見えました。
目の錯覚かと思ったら、チクワを食べえた瞬間、作業員は落下事故で頭が割れ、首が折れてしまいます。
そう、穴から見た通りの姿になったのです。
後日男が自宅でチクワを食べていた時も、同じことが起こりました。
たまたま穴の向こうに、集金に来た隣家の奥さんが見えたのですが、やはり血みどろの姿。
そしてその奥さんは、その晩のうちに野犬に噛み殺されてしまうのです。
チクワの穴から人を見ると、死に様が見えるのか?
あるいは自分が穴から見たせいで、人が死んでしまうのか?
男は恐怖を感じ、やがて狂気の世界へと堕ちていく…というのが、第一章・手記の内容です。
チクワの魔とヒトの魔
この狂気の世界が本書の見どころで、チクワに秘められた魔力が、民間伝承を絡めて描かれています。
チクワの魔力と聞くと、これまたギャグのように思えますが、決してそんな楽しいものではなく、ひどく生々しいです。
チクワって、原料は死んだ魚ですよね。
それをすりつぶして、練り上げて形を整え、最後に穴を開けるのですから、想像するとあまりにもグロテスク。
そして民間伝承「秘拷穴」は、まさにそれに通ずる内容なのです。
死体に穴を開けて、ある祈祷を行うというもので、そのドロドロとした怖さは、民間伝承というよりもはや呪術。
そして男はこれを知り、まるでチクワに憑りつかれたかのように、ある目的のためにチクワを集め始めるのです。
荒唐無稽な展開のようですが、モノが日常でおなじみの食品だからこそ、真に迫る怖さがあるんですよね。
男の狂気は、続く第二章でも描かれます。
こちらは、遺体を最初に発見した男の娘へのインタビュー形式となっており、自分の父がどのように狂い、自滅していったかが赤裸々に語られます。
父の行動を冷静に分析し、証言していく娘にもまた狂気を感じずにはいられない、ゾクゾクする内容です。
そして第三章では展開がガラリと変わり、視点人物は娘にインタビューをしたライター。
娘の証言から矛盾を見つけ、夫婦の無理心中の真相を探り、チクワの真実へと迫っていく様子が描かれています。
怖さの中に、謎を次々に暴いてゆくカタルシスがあり、先が気になって気になって、もう読む手を止められません!
果たしてライターが知った真相とは何なのか。
チクワから生まれた狂気の行き着く先は?
結末での恐怖の絶頂は、ぜひご自身でお楽しみください。
読めばチクワに囚われる
「チー、クー、ワー!」
と叫ばずにいられなくなる、こんな小説は人類史上初でしょう。
そしてチクワが生理的に怖くなり、食べられなくなる。
あるいは、穴から誰かを覗いてみたくてたまらなくなる…。
こんな衝動が湧き上がるのも、世界にこの小説くらいだと思います。
五条 紀夫さんの『私はチクワに殺されます』は、そのくらい前代未聞で、人を操るパワーのある作品です。
まず表紙からして異様で、チクワの穴がデカデカと描かれているのですが、その奥から不気味な目がこちらをジッと見ているのですよ。
それこそ狂気に満ち満ちた目なので、怖くて凝視できません(泣)
そして中身も、ホラーさながらの怖さ!
無理心中、腐敗、民間伝承、呪い、陰謀といったネガティブ展開が列をなし、ノンストップで読者に襲い掛かってきます。
勢いがあり、それでいてジットリ濃密なので、読者は逃れることのできない底恐ろしさを感じることでしょう。
にもかかわらずページ数は意外と少なく、200ページ弱。
だからこそ、猛スピードで迫り来るような恐怖が際立っているのかもしれません。
第三章での真相開示や終盤のどんでん返しも、秀逸です。
ギョッとして、ハッと気づいて、でもすぐに引きずり込まれて、泥沼化していく感じを味わえますよ。
このアクの強さや、頭がグルグルする感じ、クセになってしまう人も多そうです。
そして読了後には、きっと叫びたくなります。
「チー、クー、ワー!」と。
興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。
あなたは果たして、「チー、クー、ワー!」と叫ぶ衝動を止めることができるでしょうか。