隙間を見つけると心が躍り、そこに体を滑り込ませてまるで抱擁されるような素敵な圧迫感を感じるのが何よりの楽しみである主人公・蝶野広美。
幼い頃からこのフェティシズムを楽しんでいたものの、身体の成長と共に“ちょうどよい”隙間は見つけづらくなってしまう。
そんなある時、勤め先に営業でやってきた男性の体格に目を付ける主人公だったが、彼には婚約者がいて恋人になって毎晩抱きしめてもらうという願いはかなわない。
そこで主人公が取った行動とは──。
評判の表題作に加え、10代息子の屁理屈理論に困り果てるシングルファーザーの顛末を描いた『論リー・チャップリン』、コロナ禍の狂乱を描いた『Vに捧げる行進』など全6編を収録した、超弩級のミステリー短篇集。
単なる恋愛小説には留まらないミステリー小説となっている表題作
読んだ方の評判が一番高く、読んでいて一番引き込まれたのが、やはり本作の表題作でもある『素敵な圧迫』です。
“いい隙間を見つけると、心が躍った。”という変わった一文から始まるこの短篇は、狭い所に挟まるのが好きな女性を主人公にしたミステリー小説。
冒頭で主人公はなぜか誘拐されているらしく、誘拐の理由が主人公の幼い頃からの“とある行為への執着“と共に語られていきます。
はじめのうちは「自分も小さい頃はお気に入りの行為があったな」と少なからず共感しながら読んでいけるものの、だんだんと主人公の行為はエスカレートしていき、あっという間に破滅の道を突き進んでいってしまいます。
この作品には途中で主人公の理想の隙間を提供できる男性が登場しますが、彼には婚約者がおり、彼の恋人になって毎晩抱きしめてもらうということは望めそうにありません。
そこから普通の三角関係の小説になるのではなく、ミステリー小説になっていくのが流石ですよね。
話がどのような着地を迎えるのかは最後までわからなかったので、ハラハラしたまま一気に読み進めることができます。
「もうやめなよ」と思いながら読むのか、「もっとやってしまえ!」と応援しながら読むのか、人によって変わりそうな作品です。
社会問題への「これってどうなの?」から始まる物語たち
表題作以外の短篇も面白く、特に現代の社会に対するちょっとした疑問から派生した小説が豊富だなと感じました。
それが顕著だったのが、理屈で相手をやり込めようとする13歳の息子とその父親に焦点を当てた『論リー・チャップリン』という短篇。
ある日息子の勝に“十万円をよこせ、よこさなければコンビニで強盗をする。息子が犯罪者になったら困るだろう”と脅される主人公。
やり取りの末、強盗をしたら親子の縁を切ると宣言するも、未成年の息子を見捨てるのは保護責任者不保護であり、社会的な死を迎えるのは主人公の方だと言いかえされてしまう。
10代の息子に“論破”されてしまう主人公。その後も主人公は会う人皆に言い負かされてしまう。
この作品は、すぐ論破だなんだと言い合理的な答えを求めてしまう現代の風潮に一石を投じている小説だと読んでいて感じました。
『ミリオンダラー・レイン』は、教育程度や収入に恵まれず、明日への希望を感じられない若者の反骨精神と、彼の犯した犯罪が迎える皮肉な結末をテーマにした小説。
コロナ禍の人通りのない商店街に落書きがされる事件を扱った『Vに捧げる行進』は、警察小説であると同時に、コロナ禍当時の狂乱した雰囲気をうまくとらえた小説となっています。
商店街という一見あたたかな題材を扱ったとは思えない、不穏でぞくぞくした感じが初めから終わりまで貫かれていて、とても印象に残りました。
日常の疑問に対する自分なりの意見を考えたくなるきっかけの短篇集
この短編集に収録された作品に共通しているのは、何かしら社会への不満や不安・抑圧への抵抗などが主題として表れている点だと言えます。
例えば、表題作の主人公の隙間への異常な執着などは、普段私たちが日常生活を送る上で知らず知らずのうちに受けている抑圧への抵抗の表れなのかもしれません。
こうして考えてみると、一見奇抜な設定として描写されている表題作も、途端に自分の物語として受け入れられるように感じました。
自分が一番執着していることってなんだろう、それってなぜなんだろう、突き詰めたらどうなってしまうのだろう──少し考えてみると面白いかもしれません。
相手を論破することが称賛され、発言が過度に合理化された社会は果たして良い社会と言えるのだろうか。
「親ガチャ」「人生ガチャ」という言葉が流行り、働いても働いても報われない社会で、自分はどうすれば良いのか。どうして行くべきなのか。
そういった日常の問題に気づき、疑問を持つきっかけになる短篇集だと感じました。
本短篇集の著者である呉勝浩さんは、2015年に『道徳の時間』で第61回江戸川乱歩賞を受賞しデビューを果たした作家であり、その後も『白い衝動』で第20回大藪春彦賞を受賞、2020年には『スワン』で第41回吉川英治文学新人賞と第73回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門を受賞するなど、数々の賞を受賞してきた経歴を持っています。
2021年には直木賞の候補ともなっていて、今後も注目していきたい作家の一人と言えるでしょう。
本作を読んで、呉勝浩さんの作品の不穏さや破滅への渇望の虜となった方は、ぜひ他の作品も読んでみてください(๑>◡<๑)
『爆弾』もめっちゃ面白いです。