マルク・ラーベ『スズメバチ』- ロックスター殺害事件の奥に、東ドイツの毒がある【読書日記】

血の入ったアルミケースに、小さな白い羽根が一枚。
マルク・ラーベ『スズメバチ』は、冒頭から嫌なものを差し出してくる。
派手なロックコンサートの熱狂。二万人を超える観客の歓声。スターのもとへ届く謎めいた封筒。その中身が、血と羽根である。
この組み合わせだけで、空気が一気に変わる。しかもラーベは、その不穏な小道具をただのショック演出で片づけず、白い羽根をベルリンの壁崩壊前夜、東ドイツの監視社会、そしてトム・バビロンの家族史へとつなげていく。
〈刑事トム・バビロン〉シリーズ第3作にあたる本書は、『17の鍵』『19号室』で積み上げられてきた謎と傷を、さらに深い場所へ押し込んでいく一冊だ。

事件そのものはロックスター殺害から始まる。しかし読み進めるほど、視界に入ってくるのはひとつの死体だけに限らない。東西ドイツ分断の記憶、シュタージの監視、密告、逃亡、そして消えた妹ヴィオーラの影。
一言でいうなら、ロックスター殺害事件を入口に、ベルリンの壁崩壊前夜の国家的陰謀と家族の傷が一気に噴き出す、映画的疾走感全開の歴史サイコスリラーだ。
ページ数は602ページ。文庫としてはなかなかの厚みで、手に取ると軽い覚悟を求めてくる。だが、このシリーズは厚さで怯ませておいて、章の短さと場面転換の鋭さで一気に読ませるタイプである。
気づけば、こちらは血と羽根の意味を追い、トムの家庭崩壊を見守り、1989年の東ドイツまで連れていかれている。
怖い。忙しい。なのに楽しい。事件の不穏さと過去の重さが、読む速度を落とさせない。
祝祭の場に落ちる血と羽根
物語の現在は2019年10月のベルリン。アメリカのカリスマ的ロックスター、ブラッド・ギャロウェイのライブが開催される。
観客は二万人を超え、会場は熱狂に包まれている。そこへ一通の封筒が届く。中に入っているのは、血の詰まったアルミケースと、一枚の白い羽根。
この導入がまず嫌な意味で美しい。ロックコンサートの派手さと、血の入った小箱の冷たさ。この落差が、ラーベらしい。光量の多い場面に、いきなり暗いものを置く。すると場面全体が別の意味を帯び始める。歓声は悲鳴に近づき、ステージの熱は犯罪の予告へ変わる。
翌日、ギャロウェイは警察ゲストハウスの一室で惨殺死体となって発見される。しかもそこは、警察が管理するはずの場所だ。安全なはずの空間が破られる。守る側の領域で、あまりにも無惨な殺人が起きる。この構図だけでミステリとして強い。
さらに事件は、主人公トム・バビロンの私生活へ食い込む。被害者とトムの妻アンの関係が浮上し、妻には殺人容疑がかかる。夫であるトムもまた、警察組織から疑いの目を向けられる。捜査する刑事だった男が、追われる側へ転落していく。
トムは事件を追う。だが事件のほうも、トムの家庭を容赦なく追ってくる。妻、息子、妹の記憶、過去の家族。守りたいものが増えるほど、彼は冷静さを失っていく。
こういう主人公は個人的にも好きだ。優秀だが危うい。行動力はあるのに、心の奥がずっと火事。推理をする前に人生が燃えている刑事。困った男である。
その隣に立つジータ・ヨハンスの存在も大きい。臨床心理士であり、トムの相棒であり、彼の暴走を現実につなぎとめる人物でもある。トムが前へ突っ込むほど、ジータの冷静さが際立つ。
バディものとしても読ませるし、互いの傷を知っている二人だからこその信頼が、物語の背骨を支えている。
ベルリンの壁の向こうから、家族の傷が戻ってくる
『スズメバチ』をただの猟奇殺人ものとして読ませないのが、1989年の東ドイツパートである。
そこでは、5歳だったトムと、母インゲ、父ヴェルナー、幼い妹ヴィオーラの過去が描かれる。舞台はベルリンの壁崩壊前夜。街は歴史の転換点に向かっているが、そこに暮らす人々にとっては、毎日の生活こそが緊張の連続だった。
インゲとヴェルナーは、東ベルリンのフリードリヒシュタット・パラストで働いている。華やかな舞台、西側文化の香り、一般市民には手に入りにくい化粧品や衣服。表面だけ見れば、彼らの暮らしにはきらびやかさがある。けれど、その裏にはシュタージの監視が張りついている。
誰が密告者かわからない。隣人か、同僚か、友人か、もっと近い誰かか。ここがミステリとしてうまい。殺人事件の犯人を探すだけでなく、日常そのものが巨大な犯人探しの空間になっているのだ。
信じている相手が裏切るかもしれない。疑うことが身を守る手段になり、信じることが危険になるなんて最悪だ。そんな社会で家族を守ろうとするインゲの焦りが、胸に重くのしかかる。
そして彼女は、西側への逃亡を計画する。だが、その計画は密告によって破綻する。ここから物語は、家族の悲劇と国家の暴力を結びつけていく。
ラーベが巧いのは、歴史的背景を説明として置くのではなく、登場人物の選択と感情の中に埋め込むところだ。シュタージ、人道買収、逃亡、密告。そうした言葉が、資料的な知識として浮かず、トム一家の傷として読める。
タイトルの『スズメバチ』も、この過去パートによって意味が変わってくる。作中ではシュタージの極秘作戦のコードネームとして現れるが、それは単なる組織名にとどまらない。
スズメバチの針は一度刺さると、毒が体の中をめぐる。国家の暴力も同じだ。直接傷つけられた人間だけでなく、その子供、その家族、その後の人生まで蝕んでいく。この比喩が、作品全体にぴたりとはまっている。
トム・バビロンは、真相に救われるのか

シリーズものの醍醐味は、巻を重ねるごとに主人公の傷の形が変わって見えるところにある。『スズメバチ』は、その意味で第3作らしい重みを持った作品だ。
第1作『17の鍵』では、トムの妹ヴィオーラ失踪が物語の中心に置かれた。第2作『19号室』では、相棒ジータの過去が前へ出た。
そして第3作では、二人の運命を背後から動かしていた東ドイツの暗部が、現在の事件と接続される。事件の規模をただ大きくするのではなく、過去の意味を塗り替えていく。この組み立てが、シリーズものとしてとてもおいしい。
トムは名探偵然とした安定感のある主人公から遠い。頭は切れる。行動も速い。だが同時に、妹への執着、依存、家庭の崩壊、組織への不信を抱えている。読んでいるこちらの胃に悪いタイプの男である。けれど、その危うさこそが彼を走らせる。真相を知りたいというより、真相を知らなければ生きていけない。そういう切迫感がある。
ミステリにおける真相は、しばしば救いとして扱われる。隠されていたものが明らかになり、混沌に形が与えられる。だがトムにとっての真相は、救いと呪いの境目にある。知れば知るほど楽になるとは限らない。
むしろ、知ったことで壊れるものもある。それでも彼は進む。妹ヴィオーラの失踪、母の死、父の復讐、妻アンとの関係。そのすべてが、彼を過去の奥へ押し戻していく。
ラーベの語り口は、ここで速度を失わない。過去と現在を交互に切り替え、章を短く刻み、場面の緊張が高まったところで別の視点へ移る。この編集感覚が、映像畑出身の作家らしい。
こちらは続きが知りたいのに、過去パートも気になる。現代の事件を追っているはずが、1989年の逃亡劇にも心を持っていかれる。結果、分厚い本なのにページをめくる手が軽くなる。ずるい作りである。
酒寄進一の翻訳も、この読み味を支えている。ドイツ語圏ミステリらしい硬質さを残しつつ、日本語としての流れがなめらかだ。ベルリンの冷えた空気、監視社会の息苦しさ、現代パートの加速感。その切り替わりが自然に入ってくる。重い歴史を扱いながら、物語の推進力が落ちないのは大きい。
『スズメバチ』は、猟奇殺人、逃亡劇、家族の崩壊、冷戦下の国家犯罪をひとつに束ねた、濃厚な歴史サイコスリラーである。血のアルミケースから始まった事件が、ベルリンの壁の向こう側へつながっていく。その広がり方に、私はまんまと興奮してしまった。
しかも本作は、シリーズ完結編へ向けた導火線としても強い。トムの人生はさらに不安定になり、ヴィオーラ失踪の謎はより深い場所へ潜っていく。解決へ近づいているはずなのに、安心感よりも不穏さが増していく。この嫌な高揚感がいい。
血と羽根と壁。たったそれだけのモチーフが、ここまで大きな物語へ化けるのだから、海外翻訳ミステリはやめられない。マルク・ラーベは、事件を見せ場として描くだけでなく、過去が現在を刺す瞬間を描くのがうまい。
ベルリンの壁は崩れた。しかし、そこで終わったはずの毒は、家族の記憶を通って現在まで流れ込んでくる。
『スズメバチ』というタイトルが最後に不気味な重さを持つのは、その針が事件の犯人よりも深く、過去そのものを指しているからだ。
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