『ロングウォーク』- スティーヴン・キングが描いた勝者なきデスゲームの原点【読書日記】

ただ歩いているだけなのに、なぜこんなに怖いのか。
怪物が出るわけではない。幽霊が襲ってくるわけでもない。館の密室で名探偵が腕を組むわけでもない。
やっていることは、少年たちが道路を歩く。それだけである。にもかかわらず、この小説には、下手なホラーよりもずっと逃げ場のない恐怖がある。
ルールは単純だ。
選ばれた少年たちが、ひたすら南へ向かって歩き続ける。一定の速度を下回れば警告。警告が重なれば、即座に射殺される。最後まで歩いていた一人だけが勝者になる。
説明すると10秒で終わる。だが、その10秒があまりにも容赦ない。
しかも本作は、キングがリチャード・バックマン名義で発表した小説だ。バックマン作品には、キング名義の作品にある親しみやすい語り口や、どこかに残る救いの気配が薄い。
もちろんキングらしい会話のうまさや人物造形の濃さはある。だが、全体を覆っている空気はもっと乾いていて、冷たい。人間を極限まで追い込み、その奥に何が残るのかを、無言で見つめてくるような感触がある。
そして恐ろしいのは、この競技がただの狂気として描かれていないことだ。国家が認め、軍が管理し、群衆が熱狂する。少年たちは死に向かって歩いているのに、その周囲ではイベントとして成立している。
この、ちゃんと運営されている地獄の感じがたまらなく嫌だ。雑な暴力ではない。制度になった暴力である。そこが本当に怖いのだ。
では、なぜ今『ロングウォーク』なのか。
日本では本作は、1989年に扶桑社より『バックマン・ブックス(4)死のロングウォーク』として文庫化されていた。
だが、その後は長らく新刊で手に入りにくい状態が続き、スティーヴン・キング作品の中でも「読んだ人はやたら熱く語るのに、いざ読もうとすると見つからない」タイプの一冊になっていた。
つまり、存在だけは有名なのに、入口がめちゃくちゃ狭かったのだ。こういう本がいちばん読書欲を刺激してくるので、困っていた方も多かったと思う。
今回の新装版復刊は、映画化をきっかけにした再注目と無関係ではない。『バトル・ロワイアル』や『ハンガー・ゲーム』以降、デスゲーム的な物語に親しんできた現在の私たちにとって、『ロングウォーク』はその源流のひとつとして読み直されるべき作品である。
だからこそ、新装版として今ふたたび読めるようになる意味は大きい。
これは単なる復刊ではなく、長く「幻の書」として語られてきた一冊が、現代の読者の前にあらためて差し出された事件なのだ。

この『バックマン・ブックス(4)死のロングウォーク』は私の宝物のひとつ。
歩くことが、こんなにも残酷なルールになる
『ロングウォーク』のすごさは、設定を盛りすぎないところにある。
デスゲームものというと、派手な罠や武器、裏切り、心理戦を想像しがちだ。
だが本作の競技は、ほとんど歩行だけで進む。参加者たちは走る必要すらない。ただ、歩く。歩き続ける。眠くても、腹が痛くても、足が壊れても、泣きたくても、止まってはいけない。
これがめちゃくちゃ効くのである。なぜなら、歩くという行為は私たちにとってあまりにも身近だからだ。
銃撃戦や特殊訓練なら「まあ自分には関係ない世界だ」と距離を取れる。だが歩行は違う。誰でもできる。だからこそ、そこに「止まったら死ぬ」というルールが乗った瞬間、日常の動作が悪夢へ変わるのだ。
しかも、速度が落ちると警告が出る。タイマーが進む。あと何秒、あと何回、あとどれくらい持つのか。これが読んでいるこちらの神経まで削ってくる。ミステリでいうなら、犯人探しではなく、残り時間そのものが犯人みたいなものだ。時間が靴底の肉を削るように迫ってくる。
また、このルールには妙な公平さがある。誰かだけが特別扱いされるわけではない。全員に同じ制限速度、同じ警告、同じ銃口が向けられる。だから一見すると公正に見える。しかし、その公正さこそが不気味なのだ。
公平なルールで人を殺すことは、果たして正しいのか。いや、正しいわけがない。けれど社会は、ときどきこういう顔をする。ルールだから仕方ない、制度だから仕方ない、競争だから仕方ない。そう言いながら、人間の痛みを数字に変えてしまう。
『ロングウォーク』は、その変換の怖さを描いている。少年たちは名前を持った人間なのに、競技の中では番号と速度と警告回数に分解されていく。あまりにも冷酷な計算である。
だが、その計算の中で、彼らは必死に冗談を言い、怒り、励まし合い、見栄を張り、弱音を吐く。
だからこそ痛い。数字にされても、彼らは最後まで人間なのだ。
少年たちの胸の内に、恐怖、虚栄、友情、自滅願望がむき出しになる
本作の中心にいるのは、レイ・ギャラティという少年である。
彼は英雄ではない。特別な戦士でもない。むしろ、自分でもはっきりとは説明できない衝動に押されるようにして、この死の行進へ足を踏み入れてしまった少年だ。
だが、その曖昧さがいい。ギャラティは明確な信念だけで歩いているわけではない。名誉、賞金、反抗心、虚栄、好奇心、自分でもうまく説明できない衝動。そういうものがぐちゃっと混ざっている。
人が大きな決断をする時というのは、案外そんなものではないだろうか。立派な理由だけで人生を動かしている人など、そう多くないはずだ。
彼の周囲にいる少年たちも、それぞれに濃い。相棒のような存在になるマクヴリーズは、皮肉屋でありながら妙に優しい。自暴自棄に見えるのに、他人を助けようとする。その矛盾がものすごく人間くさい。
バーコヴィッチは嫌なやつとして登場するが、読み進めるほど、彼の攻撃性の奥にある孤独が見えてくる。ステビンズは不気味な観察者のように後方を歩き続け、物語全体に影を落とす。
この小説がただのサバイバルにならないのは、彼らが「勝つための駒」ではなく、「歩きながら崩れていく人格」として描かれているからだ。
体力が落ちる。足が壊れる。眠気が意識を食う。すると、普段なら隠しているものがむき出しになる。怒り、恐怖、性、家族への思い、過去の傷、くだらない意地。極限状態は人を高潔にするのではなく、余計な包装紙を剥がしてしまう。
ここでキングの会話のうまさが炸裂する。少年たちは、死がすぐ横にあるのに、くだらない話をする。悪態をつく。笑う。しょうもない見栄を張る。その感じが絶妙にリアルなのだ。
人は絶望の中でも、ずっと深刻な顔だけをしているわけではない。最悪の状況でも腹は減るし、変な冗談は出るし、隣のやつの言葉に救われたり腹が立ったりする。
だから『ロングウォーク』は怖いだけではない。むしろ、ときどき妙に青春小説の顔をする。道路の上で出会い、語り合い、傷つき、互いを少しだけ理解する。だが、その青春は常に銃声で断ち切られる。
友情が芽生えた瞬間、その友情がこの競技においては弱点にもなるのだ。この構造はあまりにも残酷だ。キングは十代の心を知りすぎている。
デスゲームの源流にある、勝者なき競争

絵:悠木四季
『ロングウォーク』は、後のデスゲーム作品を思わせる設定を早い段階で提示した小説として語られることが多い。
たしかに、国家や社会が若者を選別し、死を娯楽として消費する構図は、『バトル・ロワイアル』や『ハンガー・ゲーム』、さらに現代のさまざまなサバイバル作品にも通じるものがある。
ただ、『ロングウォーク』は派手なゲーム性で読ませるタイプではない。むしろ、ゲームとしては単調なくらいだ。だからこそ、逃げ場がない。戦略でひっくり返す場面も、武器で突破する場面もない。
できるのは歩くことだけ。つまりこれは、勝ち抜きの物語というより、競争という仕組みに人間がどう削られていくかを描いた小説なのだ。
ここが今なお読まれ続けている理由だろう。
私たちの日常にも、もちろん銃を持った兵士はいない。だが、立ち止まれない感覚はある。
成果を出せ、遅れるな、脱落するな、周囲より前へ出ろ。そういう圧力は、形を変えていくらでも存在する。
『ロングウォーク』の少年たちは、あまりにも露骨な形でその圧力を背負わされている。だから極端な設定なのに、どこか現実の比喩として読めてしまう。
そして、この小説の本当に苦いところは、「勝てば救われる」と単純には言ってくれない点だ。最後まで歩いた一人は、たしかに制度上は勝者になる。
だが、その人間は何を失っているのか。友人の死を見送り、自分の肉体を壊し、心のどこかを決定的に焼かれたあとで手に入る勝利とは何なのか。
ここに、バックマン名義の冷たさがある。希望を完全に消しているわけではない。少年たちの会話や一瞬の優しさには、人間の尊厳が確かに残っている。けれど、それが制度そのものを簡単に変えるわけではない。
優しさは存在する。友情も存在する。それでも銃声は鳴る。このバランスがしんどい。そして、とても忘れがたい。
『ロングウォーク』は、読む前に想像するよりずっと地味な小説だ。
舞台は道路。行動は歩行。目的地は南。
けれど、その単純さの中に、生きること、競うこと、国家に管理されること、若者が消費されること、人間が人間であり続けることへの鋭い考察が詰まっている。
歩く。
ただ歩く。
それだけの物語が、ここまで胸に食い込む。
キングの原点にして、バックマンという影の名義が残した、あまりにも嫌な輝きを持つ傑作であることに間違いない。
『ロングウォーク』を閉じても、行進は続く。
少年たちが踏みしめた道路、削れていく足、銃口の気配、そしてそれでも交わされる冗談や友情のかけらが、頭の中でまだ歩き続ける。
たった一歩を前に出すだけの行為が、こんなにも生々しく、こんなにも残酷な意味を持ってしまう小説は他にないだろう。
これは、怪物の物語ではない。
人間が作ったルールの中で、人間がどこまで壊れ、どこまで人間でいられるのかを見せつける物語である。
だからこそ『ロングウォーク』は怖い。
そして、だからこそ忘れられない。




