月影朔『とある村の奇妙な求人広告』- 求人票が異界への入口になるモキュメンタリーホラー【読書日記】

求人広告というものは、本来であれば現実的な情報である。
勤務地、勤務時間、給与、福利厚生、必要なスキル。そこに並んでいるのは、あくまで生活のための条件だ。
時給はいくらか。交通費は出るのか。週何日から働けるのか。怖い要素など普通はない。むしろ怖いのは、求人内容と実際の職場が違いすぎるブラック案件のほうである。まあ、それはそれでだいぶホラーだが。
月影朔『とある村の奇妙な求人広告』は、その求人広告という日常的な形式を、異界への入口に変えてしまうモキュメンタリーホラーである。
舞台となるのは、かつてダムの底に沈んだはずの■■村。物理的には消滅しているはずの村から、戦前から現在に至るまで、なぜか求人広告が出され続けている。
しかもその条件が妙におかしい。「泳ぎが得意な者」「体が硬い方」「絶対音感を持つ者」「瞬きを三時間しない方」──どう考えても通常業務ではない。事務職でも工場勤務でもなさそうだ。もはや労働条件というより、怪異に食べられる前の選別条件である。
この時点でもう好きだ。日常の書式がそのまま恐怖へ反転するタイプの作品には、独特の嫌な魅力がある。
履歴書、契約書、チラシ、掲示板、求人票。そういうふだん見慣れているからこそ疑わない紙が、ある瞬間にこちらを見返してくる。『とある村の奇妙な求人広告』は、その嫌さをちゃんと分かっている作品だ。
求人広告という名の、村からの呼び声
本作の怖さは、■■村という場所が過去の遺物として眠っていない点にある。
ダムの底に沈んだ村、という設定だけなら、土着ホラーではわりと王道の部類に入る。近代化のために消された土地。水底に沈められた家々。帰る場所を失った人々の記憶。そこに怨念や信仰、村の秘儀が絡めば、それだけで十分に不穏な舞台ができあがる。
だが本作の村は、ただ沈んでいるだけではない。求人広告という形で、外の世界へ手を伸ばし続けている。ここがめちゃくちゃ嫌で、同時に面白い要素になっている。
村が人を呼ぶ。しかも祟りや夢枕ではなく、求人という経済活動の形で呼ぶ。これが現代的で怖い。怪異が「働きませんか」と言ってくるのである。妖怪もいよいよ人手不足か、なんて言いたくなるが、笑っている場合ではない。求人広告とは、外部の人間を合法的に内部へ招き入れる仕組みだ。つまりこの村は、怪異でありながら社会制度の顔をしている。
「泳ぎが得意な方」という条件は、沈んだ村との関係を連想させる。「体が硬い方」は、狭い場所へ押し込まれるような不快な想像を呼ぶ。「絶対音感」は、人間には聞き取れない音や、村の中で鳴り続ける何かを示しているようにも思える。
求人広告は、単なる仕事の募集ではない。天蓋村にふさわしい身体、感覚、精神を持つ者を探すための選別装置なのだ。労働力を求めているようで、実際には「村に組み込める人間」を探している。
この発想がとにかく怖い。働くとは何か。雇われるとは何か。自分の身体や時間を差し出すことの先に、どこまでの支配が待っているのか。本作はそのあたりを、ホラーの形でぐいぐい突いてくる。
記録が重なるほど、真実が遠のいていく
『とある村の奇妙な求人広告』の面白さは、物語がひとつの視点だけで進まないところにもある。
匿名のウェブサイト、人気ポッドキャスト、そしてジャーナリストの記録。この三つの形式が重なり合うことで、天蓋村という存在が少しずつ立体化していく。
いわゆるモキュメンタリーの醍醐味である。資料を読んでいるはずなのに、いつの間にか事件に巻き込まれているような感覚。あれが好きな人にはかなり刺さるタイプだと思う。
まず、ウェブサイトのパートがいい。過去の求人広告や村の情報が、淡々と整理されている。こういう妙に冷えた資料感は、ホラーではとても大事だ。文章が落ち着いているほど、そこに混じる異常な情報が目立つ。
しかも、ウェブサイトという形式には、発信者がよく分からない怖さがある。誰が調べているのか。なぜここまで集めているのか。サイトの運営者は無事なのか。読んでいる側がその疑念を抱いた時点で、もう作品の術中にいる。
次にポッドキャストのパート。これがまた現代っぽい。怪異や未解決事件を、エンタメとして語る空気がある。少し軽くて、少し無責任で、でもその軽さがあるからこそ現実に近い。私たちは怪談を消費する。都市伝説を考察する。怖がりながら楽しむ。その距離感がだんだん崩れていくのだ。
怪異を語る側だった人間が、怪異に語られる側へ回っていく感覚。これがモキュメンタリーホラーの恐ろしいところである。安全圏から眺めていたはずの噂が、ある日、自分の生活圏に入り込んでくる。これは本当に嫌だ。イヤホンで聞いていた怪談が、背後の部屋から聞こえはじめるようなものだ。
そしてジャーナリストの記録が加わることで、村の輪郭はさらに濃くなる。ウェブサイトが資料なら、ポッドキャストは拡散であり、ジャーナリストの記録は執着である。知りたい。確かめたい。真相に触れたい。その欲望が、人を危険な場所へ近づけてしまう。
ここがミステリ好きとしてニヤリとしてしまうポイントだ。なぜなら本作には、ホラーでありながら調査型ミステリの快感があるからだ。
断片を集め、時系列を整え、条件の意味を考え、村の過去と現在をつなぐ。怖いのに、謎解きのエンジンが回っている。気持ち悪いのに、先が気になる。いや、気持ち悪いからこそ先が気になる。困ったものである。完全に村の求人に釣られている気分だった。
怪異より怖いのは、日常に紛れた書式である
本作が後を引く理由は、村そのものの不気味さだけではない。求人広告という題材が、あまりにも生活に近いからだ。
私たちは日常的に、無数の募集文を目にしている。求人サイト、駅の掲示、店先の貼り紙、SNS広告。普段なら読み飛ばすだけの文面である。
「未経験歓迎」「アットホームな職場です」「やりがいのあるお仕事です」
場合によっては、それだけで別方向のホラーが始まりそうだが、本作を読んだあとでは、もっと別の嫌さがまとわりつく。
その条件は、本当に仕事のための条件なのか。
その勤務地は、本当に地図上に存在するのか。
その村は、本当に沈んだままなのか。
求人広告は、人を集めるための言葉でできている。だからこそ、その言葉には誘惑がある。自分に合っているかもしれない。条件がいいかもしれない。応募してみてもいいかもしれない。その「かもしれない」の隙間に、この村は入り込んでくる。
本作のモキュメンタリーとしての手つきは、単に資料風の体裁を真似しているだけではない。現代人が情報をどう信じ、どう疑い、どう消費するかまで含めて設計されている。ネット上のアーカイブを見て、ポッドキャストを聞き、誰かの残した記録を追う。その行為自体が、すでに怪異へ近づく手順になっているのだ。
さらに面白いのは、前半の資料型ホラーから、後半にかけて物語性や種明かしの濃度が増していく点である。ここは好みが分かれる部分かもしれない。得体の知れないまま進む怖さが好きな人にとっては、謎が解かれていくことで恐怖が少し形を持ちすぎると感じる可能性もある。
だが私はこのシフトも楽しめた。というのも、本作は「何か分からない怖さ」だけに頼らず、「分かってしまう怖さ」へ進んでいく作品だからだ。怪異の仕組みが見えてくる。過去の出来事がつながる。条件の意味が読めてくる。
すると安心するかというと、そんなことはない。むしろ、ちゃんとした理由があるからこそ怖い。村が偶然に人を呼んでいるのではなく、明確な仕組みを持って求人を出していると分かるほうがよほど嫌である。
『とある村の奇妙な求人広告』は、ダムに沈んだ村の怪談であり、ネット時代の記録ホラーであり、労働と共同体をめぐる奇妙な寓話でもある。
消えたはずの場所が、人を必要とし続ける。忘れられたはずの共同体が、求人という形で現在へ侵入する。その発想の気持ち悪さと面白さが、本作の芯にある。
求人票は、ふつう未来への案内である。新しい職場、新しい生活、新しい役割。だがこの村の求人は、その逆を向いている。そこに応募することは、未来へ進むことではなく、沈んだ過去に雇われることなのだ。
「一緒に働いていただける方を探しています」
そんな一文を見たとき、私たちはまず条件を見る。給与を見る。勤務地を見る。けれどこの作品を知ってしまうと、その前に考えてしまう。
この求人は、本当に人間が出したものなのか。
そう思わせた時点で、『とある村の奇妙な求人広告』はもう十分に勝っている。
日常の紙切れ一枚を、異界からの招待状に変えてしまったのだから。
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