『愚者たちの箱舟』- 青春の誤解が崩れるとき、衝撃の真実が立ち上がる【読書日記】

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綾崎隼(あやさき しゅん)という作家を語るとき、私はずっと、この人は感情を書く作家だと思ってきた。

しかも、ただ切なさをきれいに並べるのではなく、若さゆえの未熟さや、取り返しのつかないすれ違いまで含めて物語にしてしまう。その感情の扱い方が、綾崎作品の大きな魅力だったと思う。

だからこそ『愚者たちの箱舟』は印象的だった。情緒の強さもある。青春のまぶしさもある。恋の切実さもある。けれど本作は、そこに本格ミステリとしての構造の強さがかなりはっきり乗っている。

読んでいるこちらの先入観をきれいに裏切りながら、最後には「これは人が過ちをどう背負うかの話だったのだ」と思わせる。

綾崎隼がこれまで積み上げてきたものが、高いところでひとつにまとまった作品だと感じた。

目次

恋愛ミステリの作家だけでは終わらない

綾崎隼『愚者たちの箱舟』

おすすめ度:(4.5)

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綾崎隼は長く恋愛ミステリの作家として語られてきた。実際、それはたしかにそうである。

『蒼空時雨』にはじまり、「花鳥風月」シリーズや「ノーブルチルドレン」シリーズで見せてきたのは、美しく傷つきやすい若者たちの感情の揺れと、家柄や過去に縛られた関係性の痛みだった。

甘さと切なさをまといながら、きちんとミステリとしての仕掛けも入っている。そのバランス感覚が綾崎作品の持ち味だった。

ただ、近年の作品を見ていると、この人はもうその枠だけに収まる気はないのだなとも思う。心理的な仕掛けを強めた作品もあれば、才能や血縁の問題を前面に出した作品もある。ジャンルは変わっても、ずっと一貫しているのは、人がどう思い込み、どう誤解し、どう壊れていくかを見つめる視線である。

『愚者たちの箱舟』は、その流れのなかでもかなり象徴的な作品だ。もともと『赤と灰色のサクリファイス』『青と無色のサクリファイス』という二部作だった物語を、一冊の作品として再構築し、改題し、大きく手を入れて生まれ変わらせたものだからである。

ここがまず面白い。単なる合本ではなく、今の綾崎隼が過去の自作をもう一度解体し、別の完成形として差し出してきたわけだ。

旧題の「サクリファイス」には、自己犠牲や感傷の匂いがあった。もちろんそれも綾崎作品らしい魅力なのだが、『愚者たちの箱舟』という題に変わったことで、物語の重心はもっと構造的なところへ移ったように思う。

誰か一人の悲劇ではなく、過ちを犯した複数の人間が、同じ船に乗り合わせた存在として描かれる。その広がりが、この作品をより強くしている。

翡翠島という舞台が、青春と罪を閉じ込める

『愚者たちの箱舟』より引用

物語の舞台は、新潟県北部の沖合に浮かぶ架空の孤島・翡翠島である。私はこういう島ものにめっぽう弱い。閉ざされた場所、消えない過去、共同体の湿度。その時点でかなり惹かれるのだが、本作の翡翠島はそれだけでは終わらない。

島には、かつて残留したアメリカ兵が築いた独特の建築物が数多く残されており、それが観光資源であり、島の象徴にもなっている。だが十年前の連続放火事件では、その象徴が次々に焼かれていく。

この設定がすでに面白い。事件は単なる犯罪ではなく、島の記憶や誇り、そして登場人物たちの青春の風景そのものを壊してしまう話になるからだ。

建物が燃えるという出来事には、人の死とは別の重さがある。昨日まで当たり前にあった風景が、ある日突然、元には戻らないものになる。本作ではその喪失感が、若さの終わりときれいに重なっている。

しかも島という共同体の近さが、真実を見えにくくする。誰もが何かを知っていそうで、同時に肝心なことだけが語られない。噂と沈黙が同居する空気が、ミステリとしてとても効いている。

中心にいるのは、十年前に島へやってきた転校生ノア、その親友レン、そしてレンの幼なじみであるヒメだ。三人の関係は、友情や恋愛という言葉だけでは片づかない。憧れ、羨望、独占欲、罪悪感が少しずつ混ざり合っている。

特にノアという存在が面白い。名前からしてもう特別で、美しく聡明で、周囲から浮いている。だが、そういう人物ほどミステリでは危うい。完璧に見える人間の裏側にある歪みや傷を、本作は丁寧に掘っていく。

レンは観測者に近い立場だが、ただの案内役ではない。彼もまた事件の内側にいる人間であり、過去に対する責任を背負っている。ヒメも単なる恋愛要員ではなく、思春期の純粋さと残酷さを同時に背負った人物として描かれる。

この三人の感情のもつれが、十年後の再会によって再び動き出す。青春は終わったはずなのに、終わっていなかったことにさせられる。その構図がとてもいい。

二つの時間軸が、世界の見え方を変えていく

絵:悠木四季

『愚者たちの箱舟』の強さを決定づけているのは、やはり構成だと思う。十年前の過去と、十年後の現在。その二つの時間軸が交互に描かれ、読者は少しずつ事件の全体像へ近づいていく。

過去パートでは、少年少女たちのまぶしさが描かれる。閉じた島のなかで、自分たちなら何かを変えられるのではないかと思ってしまう年ごろの万能感がある。

けれど、その輝きには最初から不穏さが混じっている。若さは美しいが、同時に視野が狭い。善意はあるのに想像力が足りない。だから一歩間違えると、取り返しのつかないことが起きる。本作はそこを甘くしない。

現在パートに入ると、その青春はすでに「事件の記録」として扱われる。あのころの感情や衝動が、論理によって再配置され、因果関係のなかで見直されていく。ここがつらくて、でも面白い。

青春小説のままだったら美しい思い出として包めたものが、ミステリの形式に乗った途端、「あのとき何が起きていたのか」という検証の対象になるからだ。真相解明は、思い出の解体でもある。

綾崎隼は読者の先入観を利用するのがうまい作家だが、本作でもその手つきはかなり冴えている。こちらが当然だと思っていた前提が、ある地点で崩れる。しかもそれが無理やりではなく、ちゃんと積み重ねられた伏線によって起きるので、騙されたというより、見えていなかったものが急に見える感じに近い。

しかも本作は、仕掛けのために人物が動かされている感じが薄い。ここが大きい。ミステリ的な大技をやると、人物が構造の部品になってしまうこともあるが、本作では構造の鮮やかさと感情の流れが自然につながっている。

誰かが隠すことにも、言えないことにも、それなりの切実さがある。だから読み終えたあと、トリックだけが残る作品にはならない。

愚かさを認めた先にしか、救いは来ない

この作品の「愚者たち」という言葉は本当にいい。これは誰か一人を責める言葉ではなく、人は若いころたいてい愚かである、という事実を含んでいる。

良かれと思って動く。自分なりに正しいと信じる。だが、その結果が最悪の方向へ転がることがある。本作は、その若さの危うさをかなり正面から描いている。

うまいのは、それをロマンチックに美化しないところである。若さゆえの過ち、と言ってしまえば甘くなるが、本作で描かれるのはもっと重い。

思い込み、独善、言葉の足りなさ、相手を勝手に理解したつもりになること。そうした小さなズレが、やがて取り返しのつかない事件へつながっていく。その痛さがきちんとある。

十年後にノアが島へ戻るのは、単に未解決事件を解くためではないのだと思う。あのころの自分たちが愚かだったと認め、その愚かさによって置き去りにされたものに、ようやく向き合うためである。

真相を知ることは苦しい。責任の所在が見えてしまうし、失われたものは戻らない。それでも向き合わなければならない。この作品が最終的に描いているのは、そういう種類の再生だ。

ミステリとしての快感はもちろんある。散らばったピースがはまり、世界に輪郭が与えられる、その感覚は本作でも鮮やかだ。だが同時に、真相解明はかなり痛い行為でもある。誰かのことを別の角度から見直さざるをえなくなるし、守りたかった思い出まで別の色を帯びるからだ。この痛みとカタルシスが同時に来るところに、本作の成熟を感じた。

読み終えたあと、『愚者たちの箱舟』は綾崎隼の代表作の一つとして長く残るだろうと思った。恋愛ミステリの甘さを知っている人にも、本格ミステリの構造を求める人にも届くだけの強度がある。

しかも、そのどちらかに寄り切らない。青春のまぶしさも、恋の苦さも、真相が明かされる快感も、過去を掘り返す残酷さも、全部同じ舟に乗せてしまう。その欲張りさが、作品の豊かさになっている。

派手な仕掛けだけでも残らないし、感傷だけでも残らない。論理と感情の両方で刺してきて、そのまま長く居座る。『愚者たちの箱舟』は、まさにそういう作品だった。

綾崎隼のこれまでが好きだった人にはかなりうれしい到達点だし、ここから入る人にとっても、この作家が何を信じて書いてきたのかがよくわかるはずだ。

この作品は、過ちを抱えたままそれでも前へ進くしかない人たちのために用意された、痛みと救いの同乗する箱舟なのである。

Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

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