『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』- 愛される少女を生け贄に選んだ13歳【傑作小説エッセイ】

なぜ、どうしてって思ってるだろうから教えてやる。髪のせいだよ。
あの子の髪!たまたま目についた、陽の光を浴びたシルクのような金髪。とうもろこしのヒゲみたいな、日向にいると火花が飛ぶんじゃないかってくらいキラキラした金色の髪。それからあたしに向かってほほえんだときのあの目。おどおどしてそれでいて何かを期待するような。ジュードの願いが分からない、みたいな(そんなこと誰にも分かるわけないのに)。だってあたしは暗黒のジュード、「眼の使い手」。あんたらの目は節穴。そんなんであたしのことが分かると思ったら大間違いだよ、バーカ。
『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 (河出文庫)』7ページより引用
ニューヨーク州の富裕な郊外、スカツキル。
整った住宅地と名門私立校に囲まれたこの町で、11歳のマリッサが放課後に姿を消した。
彼女を連れ去ったのは、同じ学校に通う13歳のジュードと、その取り巻きの少女たちだ。
マリッサは人里離れた建物の地下室へ誘い込まれ、「地上では大惨事が起き、世界は滅びた」「ここから出れば死ぬ」と吹き込まれる。
薬で意識を鈍らされ、食事まで制限されるうち、自分は特別な儀式のために選ばれた存在だと受け入れ始めた。地上では別の悲劇も進行し、非常勤講師ミカール・ザルマンへ疑いが集中していく。
ジョイス・キャロル・オーツ『とうもろこしの乙女』は、少女監禁の緊迫感と、共同体が無実の人間を標的へ変えていく過程を並行して描く中篇だ。
地下で一人の少女が生け贄にされ、地上でも別の人間が罪を背負わされる。その二つが重なったとき、物語は少女犯罪の枠を越え、愛情の欠落、同調圧力、郊外社会の冷酷さまで映し出すのだ。
地下室で始まる、少女だけの残酷な儀礼
ジュードは激情に任せて暴走するタイプではない。
相手の心理を読み、警戒を解き、地下室へ誘導した後も、「選ばれた存在」「神聖な客人」と持ち上げながら現実感覚を奪っていく。その言葉は優しさの形を借りているため、露骨な暴力より逃げ道が見えにくい。
中心に置かれるのが、『とうもろこしの乙女』の儀礼である。ジュードは先住民の供犠をもとにした伝承を、自分だけの宗教へ作り替えた。
地下室には祭壇めいた空間が用意され、マリッサには純潔を保つためと称して白い食べ物だけが与えられる。歴史や神話の断片が、少女の支配欲を正当化する道具へ変質しているのだ。
しかし、ジュードを動かしているものは憎悪だけに絞れない。彼女がマリッサへ執着したきっかけは、母親のリアから惜しみなく愛される姿を目撃したことだった。
自分には与えられなかったものを、目の前の少女だけが当然のように受け取っている。その光景が嫉妬と羨望を呼び、やがて愛される少女を自分の手元へ置きたい欲望へ変わっていくのだ。
原題には 『A Love Story』 の副題が付く。ここで示される愛は、相手を守る感情から大きく外れている。愛された経験に乏しいジュードは、誰かを所有し、従わせ、完全に自分だけの存在へ変えることで結びつきを確かめようとした。だから彼女の行動には、悪意と同じくらい深い飢えがまとわりつく。
取り巻きのデニスやアニタも重要だ。二人にはジュードほどの冷徹さがなく、途中で怯え、罪悪感にも揺さぶられる。
それでも仲間から外される怖さや、秘密を共有した共犯関係が足を止めた。思春期の親密さが、小さな独裁へ変わっていく過程が生々しい。
地上でも、別の生け贄が作られていく
地下室の事件だけなら、逸脱した少女による監禁劇として読める。
だがオーツは、地上の社会にもよく似た力学を置いた。マリッサが消えたことで学校と地域には不安が広がり、その視線は31歳の非常勤講師ミカール・ザルマンへ集まっていく。
独身で、学校内でも孤立気味の男性。そこへジュードが残した偽情報まで重なり、「この人ならやりそうだ」と周囲が納得しやすい人物像が先に出来上がる。
一度疑いが向けば、曖昧だった言動まで証拠めいて見え始め、本人の否定さえ新しい疑念の材料になった。真実を探すはずの共同体が、自分たちの不安を終わらせるため、一人へ罪を集めていく。
ここで地下室の儀礼と地上の騒ぎが重なる。ジュードたちはマリッサを選び、特別な意味を与え、生け贄へ変えた。大人たちはザルマンを選び、疑惑を集め、事件の説明役へ押し込めた。規模も場所も違うが、集団の安心のために誰か一人へ役割を背負わせる点は同じだ。
マリッサの母リアも、その視線から逃れられない。娘の失踪で混乱している最中に、通報の遅れや過去の生活まで掘り返され、「母親としてどうだったのか」と値踏みされていく。娘を探すための騒ぎが、いつの間にか周囲の人間を裁く場へ変貌していた。
スカツキルは豊かで安全そうな町である。だが、その外観は家庭内の孤独や親子の断絶を覆い隠す。ジュードの祖母は家の格式や世間体を重んじる一方、孫が何を考え、どこで何をしているかまでは見ていない。
清潔な郊外の家、その地下で少女たちの儀礼が進む光景は、この町そのものの盲点を映している。
愛されたい少女と、声を奪われた少女
とうもろこしの乙女の名前を口に出すのはタブーだった。
触るときも、ジュードの言うとおりでなければいけない。
だってジュードが生け贄の祭司だから。ほかの人じゃダメ。
タブーは死を意味する。破ったら死ぬ。
『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 (河出文庫)』82ページより引用
オーツは視点を次々に切り替え、ジュード、取り巻きの少女たち、リア、ザルマンの不安を描く。
ところが中心にいるマリッサ自身の内面は、ほとんど直接語られない。彼女は他人の言葉を通して見られ、意味を与えられる存在として置かれている。
この沈黙が重い。ジュードはマリッサを『とうもろこしの乙女』と呼び、母親は愛する娘として思い出し、周囲は失踪事件の被害者として扱う。それぞれが別のマリッサ像を抱える一方、本人の声だけが届かない。人間としての彼女が、他人の期待や恐怖によって少しずつ象徴へ変えられてしまう。
地下室の暗闇には、超自然的な怪物など必要ない。怖さの源は、愛情を知らない少女の飢え、友人へ逆らえない弱さ、世間体ばかりを見る大人、分かりやすい犯人を欲しがる共同体にある。どれも日常の中で形を変えながら現れうる感情ばかりだ。
本書には表題作のほか、復讐、姉妹の確執、双子、毒、喪失、身体への執着を扱った六篇が収められている。その中でも『とうもろこしの乙女』が際立つのは、少女の無垢さと残酷さが同じ場所に並ぶためだ。
13歳のジュードは子どもでありながら他人を支配し、11歳のマリッサは何が起きているのかを理解しきれないまま儀礼へ組み込まれていく。
とうもろこしの絹糸を思わせるマリッサの金髪は、ジュードの目には神聖な印として映った。
祭壇へ捧げる象徴として扱われても、その髪の向こうにいるのは、母親のもとへ帰りたい一人の少女なのだ。
地下室の暗闇が深くなるほど、その当たり前の願いだけが、残酷なほどはっきり見えてくる。


