倉知淳おすすめミステリー小説10選 – 猫丸先輩から星降り山荘まで、ミステリで遊ぶ天才を味わい尽くす

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四季しおり
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

ミステリ界に「異才」は多いが、「異才の中の異才」となると、倉知淳(くらち じゅん)の名前を挙げずにはいられない。

鋭利なロジックと、毒にも薬にもなるユーモア。堅牢なトリックと、どこか捻じくれた人物造形。そして何より、物語のあちこちに仕掛けられた、読者をからかう愉悦。

この作家は、ただ謎を解かせてくれるだけの人ではない。「お前も一緒に遊べ」と笑いながら、密室の中へ引きずり込む張本人なのだ。

倉知作品を語るなら、まずは〈猫丸先輩〉のことを抜きにはできない。あの脱力系探偵に振り回されたことのある人間ならわかるだろう。ミステリのくせに、いやミステリだからこそ、あれほど緻密で、あれほどフリーダムな探偵が成立してしまうのは奇跡に近い。

そして彼は、倉知ワールドの入り口にすぎない。探偵小説、倒叙、バカミス、ホラーすれすれの怪談風……と、ジャンルを横断しながら、なお一貫して「倉知淳」印の作品であるのが、この作家の凄みなのだ。

本稿では、そんな倉知淳の魅力が詰まったミステリー小説10作を厳選して紹介していきたい。論理の快楽を味わいたい人も、とにかく一筋縄ではいかない物語に浸りたい人も、きっとお気に入りが見つかるはずだ。

ミステリのルールを知り尽くしたうえで、それを楽しげにひっくり返してみせる倉知淳。その遊戯的論理に、いまこそ身をゆだねてみよう。

目次

1.黄金時代ミステリを現代の息で吹き返す── 『過ぎ行く風はみどり色』

古き良き館ミステリを読むときの高揚感は、なぜあんなに楽しいのか。屋敷、密室、謎めいた家族。そして死。これらが揃った瞬間、こちらの推理エンジンはフル回転を始める。

倉知淳『過ぎ行く風はみどり色』は、そんな古典本格の黄金律を踏まえながら、現代的な語りとキャラクターによって見事に蘇らせた一作である。

発端は、元不動産王・方城兵馬の死。亡き妻に詫びたいという彼の願いから、霊媒師を呼んだことがすべての始まりだった。降霊会、オカルト研究者の乱入、そして密室殺人。最初の犠牲者は当主自身。

悪霊の仕業とされる事件の裏で、第二、第三の死が次々に発生する。もはや霊のせいか、それとも人の業か。そんな混乱の渦に、あの猫丸先輩がふらりと現れるのだ。

密室×降霊×猫丸先輩、なのに妙にあたたかい

本作に並ぶのは、カーやクイーンを彷彿とさせる古典的ガジェットの数々。密室、連続殺人、遺産相続、降霊術と、ミステリ好きがにやける構成で固められている。

だが、そこに飄々とした猫丸先輩が登場することで、空気が一変する。オカルトの香り漂う重苦しい家に、彼の存在が風穴を開けるのだ。

構成面でも見どころがある。事件の語りは、陰を抱えた青年・成一と、屈託のない従妹・佐枝子の視点が交互に描かれる。この視点の落差が、物語に不穏さと柔らかさを同時に与えていて、最後には〈ある仕掛け〉として回収されるのだからニクい。

最大の驚きは、これだけクラシカルで重厚な展開を経ながら、最後にふわりとしたあたたかさを残す点にある。まるで青春小説のような終わり方なのに、それが妙に腑に落ちる。この感触を成立させられるのは、倉知淳という作家の優しさと知性のなせる技だろう。

事件は解決した。でも、心のどこかに風が通り抜けるような気配が残る。それが『過ぎ行く風はみどり色』というタイトルに、ふさわしい感想だ。

2.雪の山荘に仕掛けられた、作家からの挑戦状── 『星降り山荘の殺人』

雪に閉ざされた山荘、集まったクセ者たち、そして殺人。ミステリ好きなら誰もがニヤつく王道シチュエーションで幕を開けるのが、倉知淳の『星降り山荘の殺人』だ。こんなに気持ちよくテンプレを踏み抜かれると、むしろ清々しい。

物語の語り手は杉下という会社員。彼は、変人で同僚の星園詩郎に誘われ、埼玉の山奥にあるコテージ村へと出かける。そこには人気女性作家にUFO研究家、仲良し女子大生コンビなど、癖の強い面々が顔をそろえている。

全員が一癖も二癖もありそうで、もうこの段階から「何か起こるぞ感」が濃厚だ。

フェアであること、そしてそれが裏返ること

期待通り、大雪によって外界から完全に隔離され、案の定、殺人事件が発生する。探偵役は星園、語り手は杉下というクラシックな構図。これだけでも新本格ファンなら満足できそうなところだが、本作の本当の面白さはここから先にある。

各章の冒頭には、作者自身が語りかけてくるようなメタ構造の文章が挿入されており、それが本編に対するヒントだったり、逆にノイズだったりする。つまり、読者にとっての敵は犯人だけじゃない。もう一人、“作者”という強敵がいるのだ。気を抜けばミスリードの罠にズルズル引き込まれるし、疑いすぎても足を取られる。なんというバランスゲームだろう。

終盤では、物語の構造そのものが反転する。伏線が見事に収束するのは当然として、「この人はこういう役割だろう」と思っていたキャラクターの関係性が、根本からひっくり返される。その時点でようやく、自分が“読まされていた”ことに気づく。

これは単なる山荘ミステリではない。クラシックなフォーマットを踏襲しながら、そもそもの構図や視点の在り方をねじってくる、極めて現代的な作品だ。

最終的には、物語そのものがメビウスの輪のような構造を描いていたと知って唸ることになる。

あのときのあの会話。あの視線。あの沈黙。それらすべてが実は真相への手がかりだったと気づいた瞬間、世界の見え方が変わる。

倉知淳は、ミステリというジャンルに対する深い愛情と敬意を抱きながら、そのルールごと再構築してみせた。

雪に閉ざされた山荘に、UFO研究家、スターウォッチャー、売れっ子女性作家、癖の強い面々が集められた。交通が遮断され電気も電話も通じなくなった隔絶した世界で突如発生する連続密室殺人事件!

3.猫丸先輩は、なぜそんなところにいるのか?── 『日曜の夜は出たくない』

喫茶店で語る男の背後に、いつの間にか現れる。披露宴の帰りに偶然事件を引き寄せる。気づけば船頭をやっていたり、演劇の舞台に立っていたり……。

正体不明、行動原理不明、だが圧倒的な存在感。そんな探偵・猫丸先輩が初登場するのが、倉知淳のデビュー作『日曜の夜は出たくない』だ。

本作は全7編から成る連作短編集。それぞれの話が独立したミステリとして成立していながら、どこか不思議なつながりと違和感をまとっている。謎を解いても何かが残る。事件が終わっても何かが始まっている。

そんな奇妙な読み心地が、最後の最後でとんでもない形に集約される。

点と点が、ラストで巨大な円環を描く

まず断っておくと、猫丸先輩はあまり犯人を捕まえない。推理もどこか気まぐれで、ふらっと現れては、ふらっと立ち去ってしまう。その態度に最初は面食らうが、読み進めるうちに「これはそういう作品なんだ」と納得してくる。

……と思った瞬間、その納得こそが罠だったと気づくことになる。

本作の核心は、各短編が積み重ねた小さな違和感が、最後の仕掛けによって一気にひっくり返される構造にある。ミステリとは何か、探偵とは何か、物語とはどこからどこまでが物語なのか。そうしたジャンルの骨組み自体を、にこやかに問い直してくるのがこの作品の恐ろしさだ。

しかもそれを、ユーモアと軽妙な語り口で包みながらやってのけるあたりが倉知淳の真骨頂。いかにも気のいい先輩が、するりとこちらの思考の裏をかく。その構造そのものが、作家としてのスタイルを象徴している。

タイトルの意味がわかるとき、事件の構造も、猫丸という存在も、そして本作全体の仕掛けも一本の線でつながる。その瞬間の快感は、ちょっと他の短編集では味わえない。

いや、短編集という言葉すら、そもそも罠だったのかもしれない。

今日も今日とて披露宴帰りに謎解きを始めた猫丸先輩。新聞記事につられて現地へ赴くこともあれば、あちらの海では船頭修業。絶妙のアドリブで舞台の急場を凌ぎ、こちらでは在野の研究家然とする。

4.真相じゃなくても、真実にはたどり着ける── 『夜届く (猫丸先輩の推測)』

猫丸先輩は、犯人を追い詰めたりしない。誰かを断罪したりもしない。でも、謎に対しては真摯だ。だからこそ彼の推理──いや、“推測”は、ときに真実以上の説得力を持つ。

倉知淳『夜届く(猫丸先輩の推測)』は、そんな猫丸先輩がちょっと変だけど切実な日常の謎に挑む短編集である。殺人も密室も出てこない。それでもページをめくる手が止まらなくなるのは、そこにある違和感が確かに謎だからだ。

たとえば表題作『夜届く』では、差出人不明の不気味な電報が毎夜届く。それが個人的な嫌がらせだと思っていたら、近所にも似たような電報が──? という始まり。事件じゃないのに、完全にミステリなのだ。

推理じゃなく“推測”。そこが猫丸先輩の矜持

猫丸先輩シリーズの肝は、彼が決して「真相を明かす探偵」ではないという点にある。

彼が語るのは、あくまで可能性の一つ。にもかかわらず、それが妙に納得させられるのは、彼の推測が筋道立っていて美しいからだ。論理というより、むしろ知的なパフォーマンスに近い。謎を解くというより、謎から物語を紡ぎ出していく感覚に近い。

『失踪当時の肉球は』では猫探偵が活躍し、『桜の森の七分咲きの下』では新入社員の花見場所取り中に奇妙な出来事が次々と起きる。

それらすべてが殺人事件よりもよほど人の匂いに満ちていて、ラストにはなぜか心があたたかくなる。感情や関係の綾を読み解きながら、ちょっと世界を整えてくれるのが猫丸先輩なのだ。

倉知淳はこの作品で、「探偵とは何か」をもう一度定義しなおしている。推理=真相の暴露、という図式に飽きてきたなら、ぜひこの“推測”に触れてみてほしい。

軽やかで、でも鋭い。その匙加減こそがこのシリーズの持ち味であり、日常の謎というジャンルの完成形のひとつだと思っている。

実際、猫丸先輩はほとんどの場合、真相を言い当てているのではない。彼はただ「こう考えれば謎は謎でなくなる」と言っているだけなのだ。こうだとすれば、ほら、不思議でもなんでもない、謎でもなんでもないじゃいか、と。

P.386解説より

5.風変わりなアルバイトと論理の冒険── 『幻獣遁走曲』

猫丸先輩に定職はない。だからこそ、彼はあらゆる現場に現れる。山の中だったり、ヒーローショーの舞台裏だったり、猫コンテストの控室だったり。『幻獣遁走曲』は、そんな猫丸的フットワークが全開の短編集である。

探偵が事件に巻き込まれるのではない。事件の方が、猫丸先輩を見つけてしまうのだ。表題作では幻の珍獣「アカマダラタガマモドキ」を追って山をさまよい、『寝ていてください』では治験モニター中に被験者失踪事件に巻き込まれる。

『たたかえ、よりきり仮面』ではヒーローショーの怪人役として子どもたちに囲まれ、『猫の日の事件』では猫まみれの会場で盗難騒動に直面する。

どの話もバカバカしいほどの非探偵的状況なのに、最後にはちゃんと筋が通っている。そこが最高におもしろい。

探偵の知性が、舞台装置を丸ごと笑いに変える

本作の真髄は、「高度な知性が、ばかばかしい状況に本気で突っ込む」という構図にある。

幻獣捜索においては軍人ばりの敬礼と指揮、ヒーローショーでは観客そっちのけの推理劇、猫コンテストでは人も猫も大混乱。まともなのは、猫丸先輩のロジックだけ。でも、それがなぜか一番浮いて見えるのだ。

倉知淳のユーモアは、単なるドタバタでもなければ、皮肉でもない。舞台は突飛でも、登場人物たちは本気で困っていて、真剣に行動している。だから笑えるし、どこか愛しくなる。

そして最終的に、猫丸先輩の推理が、そのカオスに論理の光を差し込んでくる。事件が解決するたび、「なるほど」と「なんでそうなる」が同時に込み上げてくるのが、本作の魅力だ。

結局のところ、倉知淳が描くのは「人間っておかしいけど、それもまたいいよね」という感覚なのだと思う。どんな舞台でも論理は通用するし、どんな珍騒動にも理由がある。

それを証明するために、猫丸先輩は今日もどこかのアルバイト先でトラブルに巻き込まれているのだ。

6.犯罪がなくても、謎は存在する── 『とむらい自動車(猫丸先輩の空論)』

「なぜそんなことが?」とつぶやいてしまうような、不思議だけど切実で、そしてどこか寂しい都市の謎。それを、飄々とした猫丸先輩が〈空論〉として解き明かしていくのが、『とむらい自動車(猫丸先輩の空論)』である。

表題作では、友人が交通事故に遭った現場に花を手向けていた語り手のもとに、呼んでもいない無線タクシーが次々と現れ、存在しない客を奪い合うような騒動が発生する。

乗る者のいない車列。誰のためでもない行動。そして、見落とされていた都市の“仕組み”が、そこには隠されている。

犯罪ではなく、都市の歪みを“空論”で読み解く

猫丸先輩の推理は、殺人や失踪事件を扱うものではない。彼が向き合うのは、都市生活に潜む妙な違和感や、日常の中にうっかり空いた「論理の抜け穴」だ。

『水のそとの何か』では、毎朝アパートの同じ場所に置かれる謎のペットボトルに、住人たちの意図せぬ勘違いが絡み合っていた。

この“空論”という言葉が象徴するのは、「真実はわからない。でも、これなら説明がつく」というスタンスだ。証拠もなければ断定もしない。ただ、論理と想像力によって混沌に秩序を与える。そのプロセスにこそ、現代の探偵の在り方が凝縮されている。

倉知淳は、都市生活の中で見過ごされがちな人間の習慣、思い込み、善意、沈黙を、ミステリという形式で丁寧にすくい上げる。そのやり方は、ときに鋭く、ときにやさしい。

だからこそ、猫丸先輩の“空論”は、事件を解決するのではなく、世界をすこしだけ理解可能なものにしてくれる。

犯罪は起きない。誰も裁かれない。でも、謎はちゃんとあって、ちゃんと解かれる。そして、日常がほんの少し、いいものに見えてくる。

そういうミステリがあってもいい。いや、むしろ今こそ必要なのかもしれない。

7.名探偵は、放課後の教室に現れる── 『ほうかご探偵隊』

最初に消えたのは、風景画だった。次にニワトリ、そして空の募金箱。最後に、縦笛の一部分。誰も欲しがらないようなものばかりが、奇妙な順番で盗まれていく。

これが殺人だったら、犯行動機を疑えばいい。でもこれじゃあ、どうやって謎を解けばいい? そう思ったときにはもう遅い。小学校五年三組に、完璧な論理パズルが仕掛けられていたのだ。

倉知淳の『ほうかご探偵隊』は、ジュブナイルであることを逆手に取った本格ミステリの傑作である。登場人物はみな小学生。殺人もないし、脅迫もない。でも事件は起こる。しかもちゃんと解かれる。しかも論理で。これが本作のすごいところだ。

バラバラな事件を、一本の糸で縫い合わせる快感

物語の語り手は、少し気弱で平凡な少年・藤原高時。そんな彼の隣に座っているのが、クラスの変わり者・龍之介くん。

無口で変人扱いされている彼は、実は恐ろしく頭が切れる観察魔。謎の連続盗難事件に首を突っ込む高時に対し、龍之介は仮説を立て、観察し、そして推理する。その姿は、まるで子供の皮をかぶった本格探偵そのものだ。

盗まれたものは、「あってもなくても困らない」ものばかり。それが逆に不気味で、意味があるように見える。本作のキモは、まさにこの違和感のライン取りにある。

犯人の動機や感情の掘り下げではなく、「なぜこのラインナップなのか?」という論理的思考へと物語がシフトしていくあたり、倉知淳の構成力は見事というほかない。

さらに言えば、龍之介が語る「かっこいい叔父さん」のエピソードが、某シリーズファンにはたまらないニヤリ要素として差し込まれているのも注目点。本格とキャラ芸を横断するこの作者らしいサービス精神も健在だ。

派手なアクションも劇的な告白もない。でも、そこにあるのは「推理で世界を解きほぐす」ことの面白さ。子供向けだからと油断していると、思いがけない論理のキックを喰らう。これはそういう本格ミステリである。

ある朝いつものように登校すると、僕の机の上には分解されたたて笛が。しかも、一部品だけ持ち去られている。―いま五年三組で連続して起きている消失事件。不可解なことに“なくなっても誰も困らないもの”ばかりが狙われているのだ。

8.笑わせてから叩き落とす── 『豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ事件』

こんなタイトルを見せられたら、思わず笑ってしまうに決まっている。でも、その笑いがすべて罠だったと気づいたときにはもう遅い。

『豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ事件』は、ユーモアと本格が真正面から激突し、最終的にはロジックがすべてを制する、倉知淳の“らしさ”が凝縮された短編集である。

表題作の舞台は、戦時下の帝国陸軍の秘密研究所。頭を割られて死んだ若き兵士の周囲には、なぜか豆腐のかけらが散乱していた。しかも現場は密室。

上官が放った「豆腐の角に頭ぶつけて死ね」という暴言を、まさか本気で実行したのか? という、ふざけたような導入なのに、話が進むにつれてその“ふざけ”がひとつ残らず仕掛けだったことが明らかになっていく。

奇想で目をそらさせて、論理で刺しにくる構成力

この表題作における最大の魅力は、「設定がふざけているからトリックもいい加減だろう」という先入観を逆手に取る構造にある。

豆腐で殺せるわけがない──と笑っていたら、すべてが理詰めで説明されてしまう。その瞬間、読んでいたこちらの脳が真っ白になる感覚すらある。

笑いは飾りではない。それは、論理に立ち向かう前に思考を鈍らせる最強のミスディレクションとして機能している。どこまでも愚かしく見える状況が、精緻なロジックに貫かれていたときの反転こそ、この作家の真骨頂だ。肩の力を抜いて読み始めたつもりが、気づけば真剣勝負の盤上に引きずり込まれている。

収録作『夜を見る猫』では、企業研究所で起きた傷害事件に猫丸先輩が登場。こちらは一転して、軽妙なやりとりと論理の切れ味が絶妙に絡む、王道の味わいを楽しめる。

どれもネタっぽいのに、最後はキッチリ決めてくる。それが倉知淳。そして本作は、その技芸を最も突き詰めた、爆笑と驚愕の両立が実現した一冊だ。

9.超常現象を論理でぶん殴る、それが本格の矜持── 『ドッペルゲンガーの銃』

密室での死体出現、空を飛んだような完全犯罪、そして一人の人間が二カ所で同時に事件を起こす……。

倉知淳の『ドッペルゲンガーの銃』に収録された3編は、いずれも物理的にあり得ないはずの現象から始まる。そして、そこからきっちりロジックで切り崩していく。まさに不可能犯罪ミステリのお手本のような連作集である。

主人公は女子高生にして作家志望の水折灯里と、その兄でエリート警察官の大介。探偵役と聞くとお堅い印象になりがちだが、この兄妹コンビの軽妙な掛け合いがいい意味でクラシックな謎解きにほどよい柔らかさを添えている。

事件はガチだが、語り口はちょっとした青春ミステリっぽさもあり、非常にバランスがいい。

不可解×幻想×論理=これぞ不可能犯罪の美学

まず『文豪の蔵』では、外から鍵がかかっていた蔵の中に、誰にも目撃されずに他殺死体が出現するという王道の密室殺人が展開される。

続く『ドッペルゲンガーの銃』では、まさかの同一人物が同時に別の場所で事件を起こしたように見えるというトリッキーな状況。そして『翼の生えた殺意』では、人間が空を飛んだとしか思えない消失がテーマだ。

どの事件も、設定だけ見れば超常現象に近い。だが倉知淳はその幻想的な皮を丁寧に剥ぎ、論理の核だけを抽出する。

解決編では、あくまでフェアプレイに則り、物語の中にすでに置かれていた手がかりを積み上げて答えを導き出す。これが気持ちいい。目の前で火を吹いていたドラゴンが、実は巧妙に組み立てられたからくりだったとわかったときの爽快感。まさにそれだ。

ミステリ好きなら、この落差に心を打たれないわけがない。幻想に魅せられ、論理に打ちのめされる。そんな本格ミステリの醍醐味が、三発連続でぶち込まれてくる構成はなかなか豪快で、読み応えも抜群だ。

奇天烈な謎ほど、解かれたときに光る。それを見せてくれる、気持ちのいい不可能犯罪集である。

女子高生ミステリ作家(の卵)灯里は、小説のネタを探すため、警視監である父と、キャリア刑事である兄の威光を使って事件現場に潜入する。
彼女が遭遇した奇妙奇天烈な三つの事件とは――?

10.倒叙という名のスリル満点のゲーム── 『皇帝と拳銃と』

犯人は誰か? そんな疑問に興味はない。なぜならこの物語は、犯人の名前も、動機も、手口も──すべて最初からわかっているのだから。

『皇帝と拳銃と』は、いわゆる倒叙ミステリ。読者は探偵と一緒に謎を追う立場ではなく、犯人と共に追い詰められていく立場に置かれる。そしてその立場が、異常なまでに息苦しく、スリリングなのだ。

表題作では、大学内で〈皇帝〉とあだ名される高慢な教授が、自身の秘密を握る男を完璧な計画で殺害する。『恋人たちの汀』では、劇団主宰者が看板女優をめぐる醜い取引に激昂し、衝動的に殺しを犯す。

どの事件も、犯人は完璧を信じて疑わない。ところが、その前に現れるのが乙姫警部という男である。

証拠より綻びを追う、優雅で不気味な名探偵

乙姫(おとひめ)警部。優雅な名前に騙されてはいけない。登場するや否や場の空気を一変させるその風貌は、〈死神〉の異名すら似合ってしまう。

彼は指紋や凶器に頼らない。証言の矛盾、目の動き、わずかな間。それだけで犯人のほころびを拾い上げ、じりじりと追い詰めていく。

倒叙ミステリの醍醐味は、探偵が“どう見抜くか”にある。本作における乙姫警部は、まさにその職人だ。犯人の心理的なゆらぎをじわじわと暴いていく過程は、パズルの完成よりも、むしろジェンガが崩れる瞬間を見守るような緊張感に満ちている。

犯人の側から描かれるこの物語群は、倉知淳の作品群の中でも異色でありながら、論理と心理の両面で緻密な読み応えを持っている。華麗な論理ゲームとは対照的に、ここで描かれるのは人間の愚かしさと脆さ。完璧だと思っていた計画の綻びは、案外、自分自身の中にあるのかもしれない。そんな皮肉すら噛みしめたくなる。

知的で、冷酷で、どこかブラックユーモアすら感じさせる倒叙短編集。乙姫警部という探偵の不気味な魅力に、一度ハマったら抜け出せなくなる。

謎と遊ぶ、という精神の揺るぎない魅力

倉知淳の作品世界には、まだまだ語り足りない仕掛けと遊び心が埋め込まれている。

だが、まずはここで挙げた10作品を入り口として、その奥深い迷宮に足を踏み入れてほしい。そこは、単なる謎解きでは終わらない、考えることそのものを楽しませてくれる遊園地だ。

トリックに唸り、論理に酔い、笑いながらまんまと騙される。そんな贅沢なミステリ体験を、倉知淳は当たり前のように提供してくる。

読者を信用しすぎているのか、舐めているのか、はたまたその両方か。だが、それが心地いい。ルールを愛し、ルールを破る。それがこの作家の流儀だ。

ページをめくるたびに仕掛けが笑い、真相の奥にもうひとつの顔が覗く。そんなミステリを愛するすべての人へ、倉知淳という名の遊戯的論理を心からおすすめしたい。

ハマると抜け出せないので覚悟してどうぞ。

猫丸先輩シリーズの順番

①『日曜の夜は出たくない (創元推理文庫) 』短編集

②『過ぎ行く風はみどり色 (創元推理文庫)』長編

③『幻獣遁走曲 猫丸先輩のアルバイト探偵ノート(創元推理文庫) 』短編集

④『夜届く (猫丸先輩の推測) (創元推理文庫)』短編集

⑤『とむらい自動車 猫丸先輩の空論(創元推理文庫)』短編集

⑥『月下美人を待つ庭で 猫丸先輩の妄言 (創元推理文庫)』短編集

となっている。

猫丸先輩シリーズは見事に面白いので、2作目まで読んで猫丸先輩を気に入っていただけたなら、全部読んでしまおう。

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