藤崎翔『漫才師の殺し方』- 逮捕された瞬間、漫才師の人生は崩れ始める【読書日記】

若手漫才コンビ「パワーブレイン」は、ようやく売れかけていた。
ツッコミとネタ作りを担う五十嵐、奇抜な芸名と存在感を持つボケの富野ゴーレム。
長い下積みの末、M-1グランプリで準決勝まで進み、テレビ出演も増え始めた。アルバイトを辞め、芸だけで生活できる未来が、初めて現実の距離まで近づいていた。
その矢先、ゴーレムが痴漢容疑で現行犯逮捕される。事件の夜は泥酔しており、自分が何をしていたのか思い出せない。
被害を訴える女性の証言と警察の追及を前に、「記憶がないなら、本当にやったのかもしれない」と自分自身まで疑い始め、ついには容疑を認める供述書へ署名してしまう。
逮捕された時点で、賞レースもテレビも劇場も遠ざかる。大手事務所なら弁護士や広報が動く場面でも、パワーブレインが所属するのは小さな芸能事務所だ。相方の無実を信じる五十嵐は、後輩芸人の山岡とともに、自分たちで事件を調べ始める。
藤崎翔『漫才師の殺し方』は、痴漢容疑をかけられた芸人を相方が救おうと奔走する本格推理であり、芸能人が疑惑一つで仕事も信用も失う現代を描いた社会派サスペンスでもある。
元芸人の作者だからこそ知る舞台裏の手触りと、日常の細部を論理へ変える推理が一体となった長編だ。
M-1準決勝の直前、相方が痴漢で逮捕される
この設定が刺さるのは、パワーブレインが売れない芸人でも人気者でもなく、もう少しで人生が変わる場所にいるからだ。
ライブの客も増え、テレビの仕事が入り、M-1準決勝まで来た。長年続けたアルバイト生活から抜け出せそうな瞬間に、ゴーレムの逮捕がすべてを止める。
芸人にとって、逮捕報道の速度は司法判断より早い。番組は出演を見合わせ、劇場も起用をためらい、ネットには名前と容疑が並ぶ。無罪か有罪かが決まる前に、痴漢で捕まった芸人の像だけが一人歩きする。後になって事情が覆っても、最初に広まった印象まで元通りになる保証はない。
だから五十嵐が守ろうとしているのは、相方の身柄だけで足りる話ではない。二人で積み上げたネタ、舞台へ立つ資格、観客との信頼、ようやく見え始めた仕事。そのすべてが、五十嵐にとって守る対象だ。タイトルにある「殺し方」も、この社会的な死を意識した途端、響きが一気に重くなる。
しかも五十嵐には、刑事の肩書も専門的な捜査技能もない。使えるのは、相方を長く見てきた経験と芸人仲間のつながり、舞台で培った観察眼だ。
後輩の山岡と現場を歩き、ゴーレムが何をしたのかを一つずつ洗い直していく。小さな事務所の若手芸人だからこそ、救援を待っていられない焦りが前面に出る。
ここに元芸人の藤崎翔ならではの現実味が加わる。芸人同士の距離感、売れ始めたときの高揚、仕事が増えた喜び、賞レース前の張り詰めた感覚まで具体的だ。
芸人の日常から事件が立ち上がっているため、五十嵐たちの焦りにも自然な説得力が宿る。
舞台裏の雑談まで、後から意味を持ち始める
冒頭にはパワーブレインの漫才がしっかり書き込まれている。
二人の芸風はもちろん、ネタの言葉選びや呼吸、コンビ内の力関係まで、その数ページだけではっきり見えるのだ。その後の自主捜査でも、相方をどこまで理解しているのかが重要な足場になる。
藤崎翔自身、約六年間「セーフティ番頭」で芸人活動を続け、ネタ作りも担当していた。だから漫才の場面は、小説家が外側から想像した芸能界描写とは感触が違う。笑いが起こるまでの間、相方の言葉を拾う速度、舞台袖の緊張、売れない時代の生活まで細部に体温がある。
しかも、本作ではそうした芸人生活の細部が推理にも入り込む。楽屋で交わされた会話、貧乏時代の習慣、何気ない身体の話。最初は人物を知るためのエピソードに見えていたものが、後半では事件の矛盾を確かめる材料へ変わっていく。
特に重要なのが、ゴーレム自身の身体に関わるある経験だ。ここは核心へ触れるため詳しく書けないが、藤崎翔本人も同じ経験を持つと明かしている。
元芸人であり、その身体上の出来事まで知る作家。その二つが重なったことで、奇抜に見える事件のロジックへ独特の生々しさが生まれた。
後半へ進むにつれ、冗談めいた会話と事件の手掛かりの境目が薄くなる。笑いのために置かれたように見えた一節も、別の角度から確かめ直す対象だ。
漫才と本格推理は遠いようで、どちらも言葉の順番、間、前提のずらし方が重要になる。その共通点を物語の土台へ持ち込んだところが、藤崎翔らしい持ち味だ。
人を殺さずに、漫才師を殺す方法
この物語で怖いのは、刃物や毒を使わなくても芸人の人生を壊せる点だ。
痴漢の疑いが広まり、警察で自白までしてしまえば、その情報だけで仕事先は離れていく。コンプライアンスを重視するテレビやスポンサーにとって、真相が確定するまで待つこと自体がリスクになりかねない。
さらにSNSがその速度を上げ、短い見出しだけが拡散されると、過去の映像や発言まで次々に掘り返される。知らない人々まで断片的な情報から人格を決め、法律上の有罪判決とは別の場所で、芸人人生への判決が先に下されてしまう。
本作は、被害を訴える側への配慮も同時に置く。警察が訴えを調べる必要性も描きつつ、一度できあがった「こいつが犯人だ」の見方が捜査や世論を縛れば、別の可能性へ目を向けにくくなる。五十嵐が相手にするのは、事件の謎と、その空気の両方だ。
だから本格推理としての解明にも独特の切実さがある。名探偵が喝采を浴びる知的ゲームとは距離があり、答えへ届かなければ相方の芸人人生が消えてしまう。
五十嵐にとって推理はゲームではなく、二人で舞台へ戻るための手段だ。その必死さが、ロジックに感情の熱を加えている。
そして藤崎翔自身が芸人として舞台に立ち、解散後に小説家へ転身した経歴も、本作の底に流れる。売れない時間の長さも、コンビでしか作れない笑いも、舞台へ立てなくなる痛みも、作者自身の実感に近い。
だからこそパワーブレインを成功目前の芸人に置いた設定が、物語の切迫感を支えている。
舞台中央に一本だけ置かれたマイクは、漫才師にとって仕事道具であり、相方と並んで立つ場所の印でもある。
逮捕の一報が奪いかけたのは、その場所へ戻る権利だった。
二人で同じマイクの前へ立つこと。
その当たり前に見えた光景へ、本作は思いがけない重さを与えている。
あわせて読みたい藤崎翔作品おすすめ3選
1.『逆転美人』
美貌に苦しんだ女の告白、その文章には罠がある
2022年に双葉文庫から書き下ろしで刊行され、累計10万部を突破した藤崎翔の長編ミステリ。
物語の大部分は、美貌ゆえに苦難を重ねてきたシングルマザー・香織の自伝的手記として綴られる。いじめ、男女から向けられる偏見、事件後の被害者バッシングなど、その半生は重苦しい。
だが本作の本領は、手記の文章に潜む小さな違和感と、紙の書籍そのものを利用した大胆な仕掛けにある。終盤へ進むと、それまで何気なく見ていた文章や題名『逆転美人』まで別の意味を帯び始める。
外見だけで人を判断する社会への視線も物語へ組み込まれ、読んできた文章そのものを疑いたくなる仕掛けが待っている。
2.『お梅は呪いたい』
呪うほど、なぜかみんな幸せになっていく
全5編+序章・終章からなる連作短編集。
戦国時代に大名家を滅ぼした呪い人形「お梅」が、五百年ぶりに令和の世へ復活する。現代人を次々と呪い殺そうとするものの、その努力はなぜか空回り。
ユーチューバーを人気者にしたり、失恋や引きこもりに苦しむ人々を立ち直らせたりと、殺意がことごとく善い方向へ転がってしまう。
旧仮名遣いで考えながらテレビで現代社会を学び、猫やカラスに翻弄されるお梅の姿がとにかく可笑しい。各話は独立しつつ、人間関係や小さな出来事が少しずつつながる仕掛けも用意されている。
引きこもりや介護、孤立など重い題材を扱いながら、悪意が思わぬ救いへ変わる軽やかなオカルトコメディだ。
3.『オリエンド鈍行殺人事件』
王道ミステリのお約束を笑いと仕掛けで次々に崩していく
短編5編とショートショート5編を収める藤崎翔の作品集。
表題作では、土砂崩れで立ち往生したローカル列車内で殺人が発生するものの、名探偵は不在。乗客たちが自力で犯人を探すうち、事件と無関係な秘密や悩みばかりが次々と明るみに出ていく。
ほかにも、タイムスリップ、RPG、推し活、読書感想文、こっくりさんなど題材は幅広い。おなじみの物語パターンを少しずらし、予想外の方向へ転がしていくユーモアが全編を貫く。
長めの短編の合間に掌編が挟まるためテンポも軽快で、藤崎翔らしい仕掛けと笑いを次々と楽しめる短編集となっている。


