ジェシー・ケラーマン『駄作』- これは紛れもなく、駄作である。【エッセイ】

まず最初に言っておきたい。
これは駄作である。
褒め言葉として、そう呼びたい。
タイトルからして『駄作』、中身も売れ線スリラーの定番をこれでもかと詰め込み、それを自分で茶化しながら最後まで突っ走る。ここまで堂々と駄作を名乗り、その言葉自体を遊び尽くす小説も珍しい。
売れない文学教授が、死んだ親友の未発表原稿を盗む。しかもその親友は世界的なベストセラー作家で、盗んだ原稿は発売直後から空前の大ヒット。名声も金も、昔から思い続けていた女性との距離まで、一気に手へ入る。
ここまでなら、嫉妬と盗作をめぐるブラックな出版業界小説である。ところがジェシー・ケラーマン『駄作』は、そんな予想を途中から豪快に吹き飛ばす。
盗んだ原稿をきっかけに、アーサーは自分の理解をはるかに越えた騒動へ巻き込まれ、いつしか自分が馬鹿にしていた売れ線スリラーさながらの世界へ放り込まれてしまうのだ。
2012年に米国で刊行され、日本では2014年にハヤカワ・ミステリ文庫から林香織訳で登場した。全566ページ、2013年のエドガー賞最優秀長編賞では、デニス・ルヘイン『夜に生きる』やギリアン・フリン『ゴーン・ガール』らと並んで最終候補入り。
原題『Potboiler』は、生活費を稼ぐため粗製濫造された通俗小説を指す言葉だ。
邦題『駄作』は、この作品に漂う意地悪な笑いをそのまま突いている。
親友を見下していた男が、その親友の原稿を盗む
主人公アーサー・プフェファコーンは、地方大学で創作を教える中年教授だ。
若いころは将来を嘱望された文学青年だったが、処女作を酷評されて以降、二作目の冒頭二十ページを何十年も直し続けている。
作品は完成せず、作家としての時間だけが過ぎた。それでも自分は本物の文学者だと信じ、大衆向けの娯楽小説を内心で見下している。
その劣等感を最も刺激する存在が、学生時代からの親友ウィリアム・ド・ヴァレー、通称ビルである。学生時代、文章の才能で目立っていたのはアーサーだった。
ところが卒業後に成功したのはビル。分かりやすいスリラーを次々と書き、莫大な金と名声を手にし、さらにアーサーが長年思い続けていたカルロッタまで妻にしてしまった。
アーサーにとってビルは親友であると同時に、自分の人生が失敗した事実を何度も見せつけてくる巨大な鏡でもある。才能では自分が上だったはずなのに、世間が選んだのはビル。その悔しさを、アーサーは大衆小説への軽蔑へ変換して生き延びてきた。
そんなビルがヨット事故で消息を絶ち、死亡宣告を受ける。追悼のため彼の家を訪れたアーサーは、書斎で誰も知らない未発表原稿を発見する。読めば、いつもの通俗的な娯楽スリラーだった。
文学的価値など低い、自分ならもっと高尚なものを書ける。そう見下しながら、彼はその原稿を盗み、自分の名で出版社へ持ち込んでしまう。
ここが嫌なほど人間臭い。ビルの作品を馬鹿にしているのに、その作品が稼ぐ金と称賛は欲しい。自分には価値があると信じながら、それを証明するため他人の文章へ手を伸ばす。アーサーの虚栄心、嫉妬、自己欺瞞が、盗作の瞬間に全部むき出しになる。
そして皮肉なことに、本は爆発的に売れる。周囲は彼を天才と持ち上げ、巨額の金が入り、カルロッタとの距離まで縮まった。
長年欲しかった人生を、彼は自分が最低だと軽蔑していた娯楽小説によって手にしてしまうのである。
『駄作』の中身が、現実そのものになっていく
普通なら、ここから盗作が発覚するまでの心理サスペンスへ進みそうだ。
だが『駄作』はそこでハンドルを思い切り切り、まるで別の本が始まったかのような方向へ暴走する。
アーサーが盗んだ原稿には、彼が想像もしなかった事情が隠されていたのだ。成功に浮かれていたはずの彼は、気づけば出版業界の内輪話をはるかに越える騒動へ巻き込まれ、自分が軽蔑していた売れ線スリラーさながらの状況に立たされていく。
しかも本人には、そんな世界を生き抜く準備などまるでない。文学理論と嫉妬を抱えて生きてきた中年男が、自分の理解を超えた出来事へ次々と放り込まれていくため、前半との落差までだんだんおかしくなってくる。
ケラーマンは最初、売れない文学者の自意識や出版業界の俗物性を細かく笑っていた。ところが途中から小説自体がアーサーの嫌っていた売れ線スリラーへ姿を変え、彼自身までその物語の登場人物として走り回らされる。何が起きるのかを知らずに入ったほうが、この急変は圧倒的に楽しい。
しかも全編は88章。数ページ単位で場面が切り替わり、息をつく間もなく次へ進む。重厚な文学を気取る主人公とは正反対に、小説本体はベストセラー型スリラーの速度で突っ走る。この悪ふざけが徹底していて気持ちいい。
だから『駄作』は、荒唐無稽な展開を笑うだけでも楽しいが、その笑いの矛先はアーサー一人に向いていない。
売れる作品を低俗だと決めつける文学観、売れれば掌を返す出版業界、定番を求めながら予想外の展開も欲しがる市場。
小説を取り巻く欲望まで、まとめて茶化されている。
『駄作』と名づけながら、娯楽小説の快楽を全部やってしまう
さらに面白いのが、ジェシー・ケラーマン自身の立場だ。
父はジョナサン・ケラーマン、母はフェイ・ケラーマン。どちらも長年ベストセラーを生み続けてきた犯罪小説界の巨匠である。
ジェシー自身はハーバード大学で心理学を学び、その後は戯曲創作を専攻し、劇作家としても活動した。そんな人物が、大衆小説を見下す文学教授と、売れまくるスリラー作家を並べて『駄作』を書いた。
ここまで来ると、アーサーとビルの関係へ作者自身の影がちらつく。偉大な先達がすでに成功している世界で、自分は何を書くのか。
受け継いだものを使えば模倣と呼ばれ、距離を取れば意識しすぎているようにも映る。その息苦しさを、ケラーマンは深刻な告白へ変えず、盗作から始まる大騒ぎへ投げ込んでしまった。
原題『Potboiler』が最後まで意地悪なのもいい。アーサーはビルの小説を駄作だと思っている。けれど自分では、その駄作すら書けない。
しかも盗んだ作品で成功し、ついには自分が軽蔑していた娯楽小説さながらの冒険へ巻き込まれていく。手元の『駄作』自体も、売れ線スリラーの定番を遠慮なく使い倒す。
高尚な文学と娯楽小説をきれいに分けようとするほど、その境界が馬鹿馬鹿しくなる。作品を笑っていたはずが、いつの間にかその作品と同じ快楽を味わわされる。この二重三重の悪戯こそ、私が本作で最も好きな部分だ。
最初にアーサーが盗んだのは、親友が残した原稿だった。けれど話が進むほど、彼はその原稿の中へ自分の人生まで盗まれていく。
文学者を気取っていた男が、最後には自分が軽蔑していた娯楽小説のど真ん中を走らされる。
『駄作』はその途方もない皮肉を、566ページかけて全力で遊び尽くしている。


