『アリス・ミラー城』殺人事件 – 北山猛邦作品で一番好きな城と物理トリック論【傑作ミステリエッセイ】

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北山猛邦(きたやま たけくに)の城シリーズには、いくつもの忘れがたい城がある。

時計仕掛けのように世界を狂わせる城もあれば、瑠璃色の幻想をまとった城もある。

どれも妙に美しく、どれもどこか壊れていて、そして当然のように人が死ぬ。

北山作品の城は、観光名所ではない。入ったら最後、建築と幻想と物理トリックに囲まれて、こちらの推理力まで試される危険な場所である。

その中でも、私がいちばん好きなのが『アリス・ミラー城』だ!

鏡、城、孤島、雪、チェス、人形、アリス文学、十人の探偵、密室殺人、見立て、物理トリック、古典ミステリへの参照。ミステリ好きが反応する単語を片っ端から並べたような作品なのに、単なる寄せ集めにならない。

むしろ全部がひとつの幾何学的な盤面に収まり、読み進めるほど、この城そのものが巨大な推理装置だったことが見えてくる。

舞台は日本海に浮かぶ江利ヵ島。そこに建つのが、鏡の国に行けるという伝説の鏡、アリス・ミラーをめぐる奇妙な城である。

主催者ルディの招きによって十人の探偵たちが集められ、最後に生き残った者だけがアリス・ミラーを手に入れる権利を持つ、という不穏なルールが提示される。

この時点でにやにやしてしまう。孤島に探偵を集めて、生き残りルールを告げる。要するに本格ミステリの危険物倉庫に火をつけるような導入である。

だが本作の恐ろしさは、そこから先にある。北山猛邦はこの設定を、単なる連続殺人の舞台として使わない。

アリス文学の言葉遊び、チェスの駒の運動、館ミステリの空間トリック、さらには本格ミステリが世界をどう認識しているのかという問題まで、ひとつの鏡の迷宮に押し込めてしまうのだ。

というわけで今回は、北山猛邦作品の中でも私が一番好きな城について語りたい。

鏡の国に建てられた、あまりにも美しく、あまりにも性格の悪い、あの『アリス・ミラー城』について。

目次

アリス文学の影を背負った探偵たちの惨劇

北山猛邦『アリス・ミラー城』殺人事件

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本作でまず面白いのは、登場人物の名前である。

ここがとにかく楽しい。いや、楽しいと言っていいのか少し迷う。なぜなら名前の時点で、すでに人間扱いされていない感じがあるからだ。

本作に登場する探偵たちの名前は、ただ変わっているだけではない。よく見ると、ルイス・キャロルのアリス文学に登場するキャラクターたちが、言葉遊びの形で埋め込まれている。

まず、物語の中心にいる若き探偵・无多(ないだ)は、名前の響きからアリスの飼い猫ダイナを連想させる人物である。彼に同行する入瀬(いるせ)は、平仮名を一文字ずつ五十音順で前に戻すと「あ・り・す」になる。

つまり、入瀬は名前のレベルでアリスを背負わされているわけだ。この時点で、もう普通の登場人物紹介ではない。名前そのものが暗号であり、作品世界へ入るための鍵になっている。

ほかの探偵たちも同様である。大学院生の鷲羽(わしば)は、アリス文学に登場するグリフォンを思わせる。関西以西で名の知られた探偵・観月(みづき)は、三月兎へつながる人物だ。

塹壕コートをまとった古加持(こかじ)は、音を入れ替えると小鹿を想起させる。豪快な元刑事探偵の海上(うみがみ)は海亀、招集された一癖ある探偵・窓端(まどはた)はマッドハッター、つまり帽子屋、艶っぽい雰囲気を漂わせる女性探偵・山根(やまね)はヤマネに対応している。

さらに、城の管理を担う堂戸(どうと)はドードー、主催者であるルディはトゥイードルディを思わせる名前になっている。そして、アリス・ミラー城を建てた伝説的建築家・白角(しらすみ)は、白い角を持つもの、つまりユニコーンへとつながっていく。

こうして並べると、本作の人物たちは単に「十人の探偵」として集められているのではないことが分かる。彼らはそれぞれ、アリス文学のキャラクターを背後に隠し持った記号であり、同時にチェス盤上に配置された駒でもある。名前が個性を示すだけでなく、物語上の役割や運命を予告しているのだ。

ここがめちゃくちゃ怖い。名前を持つことは普通、人物に個性を与える行為である。だが本作では逆に、名前が人物を記号へ押し込めていく。探偵たちはそれぞれ癖があり、経歴があり、推理観がある。

しかし、その個性の背後で、彼らはアリス文学という既存の物語と、チェスというゲームの規則に縛られている。自分の意志で動いているように見えて、実は最初から盤面に置かれているのだ。

特に入瀬と无多の扱いが面白い。若い二人は、ゲームの進行にともなって兵卒、つまりポーンの位置から別の役割へと移っていく。入瀬はクイーンへ、无多はナイトへと昇格していくように見える。

このプロモーションの感覚が、物語全体を一気にチェスの終盤へ押し上げる。殺人が進むたびに、ただ人数が減っていくのではない。駒の価値が変化し、盤面の意味が組み替わっていくのである。

この構造を知ると、人物の名前を眺めるだけで妙な寒気が出てくる。探偵たちは事件を解くために集められたはずなのに、そもそも彼ら自身が事件を構成するパーツになっているのだから恐ろしい。

探偵が駒になる。ミステリ好きにとって、これほど意地の悪い構図はなかなかない。探偵とは本来、盤面の外から全体を見渡す存在であるはずだ。

ところが本作では、その探偵自身が盤上にいる。しかも、自分がどの駒なのかを完全には把握できていない。

この時点で、北山猛邦の遊び方は相当に危ない。アリス文学の可愛らしい言葉遊びを入口にして、探偵の主体性を奪っていく。

童話の仮面をかぶったメタミステリ。そういう面倒くさいごちそうが、私は大好きなのである。

メルヘンの顔をした惨劇が、容赦なく積み上がる

絵:悠木四季

しかし本作は、記号遊びだけの小説ではない。むしろ血の量が多い。

アリス、鏡、チェス、人形などと聞くと、幻想的で洒落たミステリを想像しそうになるが、実際に城内で起こる事件はかなり即物的で、凄惨で、嫌な手触りを持っている。

第一の事件からして容赦がない。被害者は腹部を無惨に切り裂かれ、顔面を溶かされた状態で発見される。さらに鍵は死体の口の中から見つかる。もう密室の情報量が多い。死体、鏡、鍵、口の中。どれも過剰で、どれも意味ありげで、いかにも北山猛邦の不可能犯罪という感じがある。

しかも、ここで探偵たちが一致団結しないところがいい。いや、実際にその場にいたら全然よくないのだが、ミステリとしてはとてもいい。探偵が十人もいるなら安心かと思いきや、全員が癖のある推理機械なのである。

密室を前にして、それぞれが勝手な解釈を持ち込み、疑い、反発し、独自に動く。知性が集まっても、秩序が生まれるとは限らない。むしろ知性の渋滞が発生する。

第二の殺人では目撃者がいる。普通なら大きな手がかりだ。だが、その目撃者は精神的に追い詰められ、まともな証言ができない。

ここでも本作は、ミステリの定石を少しずつ歪めてくる。目撃者がいるから安心、ではない。証言があるから進展する、でもない。手がかりらしきものが増えるほど、盤面はかえって混乱していく。

そのうえ、城内には次々と怪異めいた現象が現れる。血に染まった部屋。天井を逆さまに歩くように見える不審な人影。暗闇で動くアリス人形。これだけ並べると完全にホラーである。だが本作は、怪奇を怪奇のまま放置しない。すべてが何らかの物理的可能性、あるいは認識の歪みへとつながっていく。

さらに外界では、白かった雪が黒い雪へと変化していく。この黒い雪のイメージがとてもいい。単なる不吉な演出ではなく、世界が白と黒のチェス盤へ塗り替えられていく感覚がある。

孤島という閉鎖空間が、ただ外から隔絶されているだけではなく、現実そのものから切り離されていく。探偵たちは日本海の孤島に閉じ込められているのではない。白黒のゲーム空間に幽閉されているのだ。

ここで思い出すのは、当然『そして誰もいなくなった』である。招かれた人々、閉鎖空間、連続する死、減っていく人数。だが『アリス・ミラー城』は、クリスティ的なクローズドサークルをそのままなぞらない。人数が減る恐怖だけではなく、空間が歪み、役割が変化し、名前が記号化し、推理そのものが狂っていく恐怖へと変えている。

しかも犯人は、探偵たちが悠々と推理することを許してくれない。安楽椅子探偵的に落ち着いて考える暇などない。ナイフを持った暴力が、推理の最中に乱入してくる。ここがまた乱暴でいい。

本格ミステリのロジックの場に、突然、肉体的な危機が割り込む。頭を使っている場合ではない、走れ、逃げろ、生きろ、という状況になる。論理と暴力が同じ部屋に押し込められる感じが、とても北山作品らしい。

その果てに浮かぶ犯人像も、単なる殺人者ではない。地球規模の環境破壊という巨大な問題を、圧倒的な物理的力技で処理しようとする独善的な狂気がある。ここで話がいきなりスケールアップするのも、本作の奇妙な迫力である。

密室殺人を追っていたはずなのに、いつの間にか人類規模の妄想へ引きずり込まれている。いや、振れ幅が大きい。大きすぎる。でもそこがいい!

本格ミステリの歴史そのものが、鏡の中で反射している

本作がさらに面白いのは、ミステリ史への言及がこれでもかと散りばめられているところである。

これは単なる衒学趣味ではない。登場人物たちが、自分たちの置かれた状況を過去のミステリ作品と照合しながら理解しようとする。その行為自体が、本作の構造に組み込まれているのだ。

たとえば、孤島殺人の原型としてアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』が匂わされる。これは当然の参照だ。

「僧正、城、騎士が二つずつに、兵卒が四つ。王などありやせん。普通は王がなければチェスの試合は成り立たん。しかし駒の配置をよく見ると、無造作に盤上に置かれたわけでもないらしく、きちんとマスの中におさまっておるじゃないか。おまけに十という数字じゃ。いやでも想像してしまう。いいか。ワシはこう思うんじゃよ。白の駒はインディアン人形の代わりなんじゃろうと」

「チェスの駒がどうしてインディアンになるんだよ。インディアンだったら、僧正というより祈禱師だしな」海上は云ってから気づいたようだった。「あれか、ヴァン・ダインの」

「『僧正殺人事件』ではない。クリスティの『そして誰もいなくなった』じゃ。この作品の中では、マザー・グースの童謡になぞらえて殺人が起きる。その童謡こそ、十人のインディアンが一人一人いなくなっていくという内容なんじゃが、物語中のインディアン島と呼ばれる島の館には、テーブルの上に十体のインディアン人形が置かれていて、誰かが殺される度に一つずつなくなっていくんじゃ。島を訪れた十人の人間が、最後には誰もいなくなってしまうんじゃ」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 32ページより引用

探偵たちが閉鎖空間で次々と死んでいく以上、この影は避けられない。

だが本作は、それを出発点にしながら、アリス文学とチェスの構造を重ねることで、ただの見立て殺人とは違う幾何学的なゲームへ変えている。

中井英夫『虚無への供物』を思わせる名前が出てくるのも重要だ。

ワシらはこうして、チェス盤上に将来起こりうる世界を見ている。久生奈々(ひさおなな)の云い種ではないが、起こるかもしれない犯罪なら、先にそれを推理して犯人の見当をつけてしまうこともできるのじゃ

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 35ページより引用

これは反推理小説の系譜への接続である。つまり本作は、フェアな本格ミステリでありたい一方で、本格ミステリそのものを疑う視線も持っている。

事件は解かれるべきものなのか。そもそも、解くという行為にどこまで意味があるのか。その不穏な気配が、ここで濃くなる。

エラリー・クイーン『ギリシャ棺の謎』や『Xの悲劇』への言及も、論理の規範として大きい。

『ギリシャ棺の謎』なんかはもう駄目じゃな。『一ページの中に四人以上の新しい人物を登場させるべきではない』と書いておったのは誰じゃったかな。もう覚えておらん。

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 75ページより引用

入瀬は不安そうな顔で書いた。

「どんな形で殺されるかわからないからな。調べているんだ。『迷路館の殺人』と『Xの悲劇』を知ってるか?あんな風に殺されたくはない」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 141ページより引用

クイーン的なミステリは、手がかりを積み上げ、可能性を削り、最後に合理的な真相へ到達する快感を持つ。

『アリス・ミラー城』はその快感を理解しつつ、同時にそれを鏡の迷路へ放り込む。論理で進め。だが、そもそも進んでいる通路が本物とは限らない。そんな意地悪な構造である。

泡坂妻夫への連想も見逃せない。奇術師でもあった泡坂妻夫の存在は、錯覚と物理的仕掛けの境界を思わせる。

「たとえばある奇術師兼探偵小説家の書いた『トリック交響曲』に記されているような分類を見れば、トリックがミステリの中だけに留まるものではないことがよくわかると思います。つまり、物理トリックをミステリの世界に回復させたいのならば、そのトリックが現実に用いられるだけの必然性を考慮すればいいのだと思いますが」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 89ページより引用

本作の鏡、人形、通路、部屋の仕掛けも、まさに奇術的である。

目の前で見たものが正しいとは限らない。だが完全な幻想でもない。どこかに仕掛けがある。その感覚が、北山作品の物理トリックと相性抜群なのだ。

さらに小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』を思わせる館ミステリの系譜も見えてくる。

だったら二次元図表が三次元モデルになれば、もっと物理トリックは歓迎されるのか?え?」

「どうじゃろうな。だが『黒死館』や『流氷館』の三次元モデルが発売されれば、確かにワシは喜びのあまり泣くじゃろう。さもなければ」

「さもなければ?」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 91ページより引用

奇怪な建築物が、そのまま事件の論理を支配する。この発想は館ミステリ好きにはたまらない。建物がただの背景ではなく、犯人の共犯者のように振る舞う。

アリス・ミラー城もまさにそうだ。城が人を殺すわけではない。だが、この城でなければ、この事件は起こらない。

ノックスの十戒への意識も、本格ミステリのルールをめぐる視点として面白い。

「仕掛けられた物理トリックには新しさがなければならない。もはや新しいものなどないと云うかもしれんが、あからさまな盗用だけは避けてもらうべきじゃろう。この点については、ドイルの時代から散々議論されてきたことじゃろうから、各人の良心に任せるしかないのう」

「おや、なんだか十戒めいてきたな」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 95ページより引用

フェアプレイとは何か。提示された情報だけで真相にたどり着けるのか。そんな本格ミステリの基本ルールが、鏡の城では不安定になる。ルールはある。だが、ルールの適用範囲がぐらついている。

フレドリック・ブラウン『不思議な国の殺人』への接続も、アリス文学を殺人事件に組み込む先行例としておいしい。

无多が部屋に戻ってきたのは、三時間くらい後のことだった。入瀬はその時、ベッドに横になってフレドリック・ブラウンの小説を読んでいた。元多の声が聞こえたので扉を開けた。

エラリー・クイーンの『キ印ぞろいのお茶会の冒険』も、アリス的な狂った茶会をロジックに変換する試みとして響き合う。

「扉の数を数えてみてください」

古加持は左端から順に扉の枚数を数えた。

「十七枚」

「その数について、何か思い当たりませんか?」

「いや、別に」

「これは『不思議の国』と『鏡の国』に登場する詩の総数ですわ。ところでエラリー・クイーンの短編はお好きですか?」

「いや、嫌いじゃないが読んだことはない」

「それなら詩について詳しいことは云わないでおきましょう。大切な読書経験を奪ってしまうことになるかもしれませんからネ。

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 242ページより引用

高木彬光『人形はなぜ殺される』の人形殺しの意味論も、アリス人形の不気味さと重なってくる。

「説明はいい。どうしてこんなところで人形がバラバラにされているのか、理由を教えてくれ」

「人形本人にでも聞くんだな」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 335ページより引用

そしてエラリー・クイーン『九尾の猫』を思わせる、首を刎ねよという暴力的な解決法の響き。

ある探偵の言葉を思い出すね。

『女王は大小にかかわらず、すべてのトラブルをただ一つの方法で解決するのを覚えておいでですか? ”彼の首を刎ねよ!”』」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 361ページより引用

これはもう、アリス世界の女王的な理不尽さと、犯人の独善が重なる場面として見事である。

問題があるなら首を刎ねればいい。なんという雑な解決。だが、その雑さが権力や狂気の本質を妙に突いている。

こうして見ると、本作はミステリ史そのものを鏡の中に並べた作品でもある。

クリスティ、クイーン、中井英夫、泡坂妻夫、小栗虫太郎、島田荘司、綾辻行人、高木彬光、フレドリック・ブラウン。

名前を挙げるだけで脳内が忙しくなるラインナップだ。しかも、それらの参照が単なる飾りではなく、アリス・ミラー城という空間の中で反射し合っている。

私はここが本当に好きだ。読んでいるこちらが、作品内の事件だけでなく、ミステリ史の迷宮にも入り込んでいく感じがある。

目の前の密室を考えているはずなのに、その背後に『そして誰もいなくなった』が見え、『Xの悲劇』が見え、『迷路館の殺人』が見え、『黒死館』の怪しげな影までちらつく。もう大変である。だが楽しい!楽しすぎる!

そして本作の最大の面白さは、物理トリックのフレーム問題にある。現場には無数の物理的条件がある。重力、摩擦、反射、角度、素材、気流、熱、音。探偵は、その中から事件に関係するものだけを選ばなければならない。だが、何が関係していて、何が関係していないのかは、最初から分かるわけではない。

鏡の角度が一度違ったら。人形が動いたように見えたのが錯覚ではなかったら。扉の増殖が心理的な混乱ではなく、建築上の仕掛けだったら。

考え始めると、可能性は無限に増えていく。推理とは可能性を絞る行為のはずなのに、本作では推理すればするほど可能性が増殖する。これは本格ミステリにとって、非常に意地悪な罠である。

つまり『アリス・ミラー城』殺人事件は、ただの派手な館ミステリではない。論理で世界を整理する快感を差し出しながら、その論理がどこまで世界を捉えられるのかも同時に突いてくる。探偵たちは真相へ向かっている。だがその足元の盤面は、鏡とチェスとアリス文学によって、最初から少し歪んでいるのだ。

だからこの小説を読むと、ミステリを読む楽しさと怖さが同時に押し寄せる。

手がかりを拾うのは楽しい。名前の由来を考えるのも楽しい。チェスの配置を追うのも楽しい。過去の名作とのつながりを見つけるのも楽しい。

しかしその楽しさの先で、ふと気づく。自分もまた、この城のゲームに参加させられているのではないか、と。

鏡の向こうには、真相がある。ただし、その真相を見ようとした瞬間、こちらの顔もまた鏡に映る。

『アリス・ミラー城』殺人事件は、そういう小説だ。

ミステリ好きの好物を山ほど並べながら、その好物の皿そのものをぐにゃりと曲げてくるのである。

物理トリックは、なぜ「あらかじめ失われている」のか

絵:悠木四季

『アリス・ミラー城』殺人事件の中で、私が死ぬほど好きな場面がある。

探偵の一人である窓端が、物理トリックについて語り出す場面だ。

「いわゆる物理トリックといわれるものについてじゃ。口にするまでもなく、ミステリで描かれるトリックには様々な種類があるものじゃが、ワシがもっとも好んでおるのが物理トリックなんじゃ。

山根さんなどは、あまりミステリに詳しくないようじゃからあえて説明しておくと、物理トリックというのは機械的な操作で自分の犯罪を誤魔化そうとするトリックのことじゃな。

逆に云えば、人間の情動や錯誤など心理的な揺らぎに影響されることなく、淡々と物理法則に従ってのみ発動されるトリックじゃ。

これは大抵、犯罪者が容疑を免れるために考案されるものじゃが、時には自然の物理現象が事件に何らかの変化を加えてしまう場合もある。ここで物理トリックなるものを大きく二つに分けてみると、『人間の意図によるトリック』と『自然現象によるトリック』になるな。

ワシらが今問題にしておるのは、『人間の意図によるトリック』じゃ。

まあ、ミステリでは普通、犯罪者の狡知と探偵の叡智が戦わされるわけじゃから、前者のトリックが多いことは云うまでもあるまい」

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫) 87ページより引用

この後も長々と物理トリックについて語るシーンが続くのだが、これがもう、ミステリオタクの面倒くさい飲み会みたいで最高なのである。

話が長い。だが、その長さがいい。ミステリ好きが一度は考えてしまう厄介な問題を、窓端は実に楽しそうに、そして妙に切実に語っている。

窓端によれば、物理トリックとは、機械的な操作や物理法則を利用して犯罪を誤魔化す仕掛けである。心理的な錯誤や感情の揺れに依存するのではなく、糸、針、ロープ、重力、摩擦、反射、時間差、自然現象などを利用して、淡々と発動するタイプのトリックだ。

大きく分ければ、犯人が意図して作る「人間の意図によるトリック」と、自然現象が事件に変化を加える「自然現象によるトリック」がある。

本作で問題になるのは、もちろん前者である。犯人が何らかの物理的仕掛けを用意し、それによって不可能状況を作り出すタイプのトリックだ。

ここまでは、いかにも本格ミステリの基本講座である。だが面白いのは、そのあとだ。

窓端は、物理トリックには根本的な脆弱性があると言う。現実にそんなことをすれば、むしろ証拠を残すだけではないか。

つまり、物理トリックはリアリティを求められながら、同時にリアリティから離れざるをえないという矛盾を抱えている、と言うのだ。

物理トリックは、本格ミステリの花形である。密室、足跡のない雪原、消えた凶器、移動する死体、閉ざされた部屋の中で起きる不可能犯罪。こういうものが出てくると、ミステリ好きの心はどうしてもざわつく。もちろん私もざわつく。

だが一方で、あまりに地味な仕掛けだと物足りない。糸で鍵を動かしました、ロープで死体を引っ張りました、針金で何かしました、となると、もちろん処理の巧さ次第では面白いのだが、現代のミステリ読みはそう簡単に満足してくれない。ぜいたくな生き物である。私もその一匹なので偉そうなことは言えないが。

では、もっと派手で新しいトリックを出せばいいのか?

ここで問題が起きる。新しくすればするほど、トリックは現実から遠ざかっていくのだ。

大がかりになりすぎる。そんな装置をいつ作ったのか、誰が運んだのか、なぜ気づかれなかったのか、そもそもそんなことをするくらいなら別の方法で殺せばよかったのではないか。そういう冷たい疑問が、読んでいるこちらの頭に浮かんでしまう。

つまり物理トリックは、リアリティがありすぎると古びて見え、真新しさを求めると非現実に近づく。窓端が言うように、それは「あらかじめ失われている」存在なのだ。

物理トリックは、最初から成立不可能な矛盾を抱えている。現実的であれ。しかし見たことのない驚きを与えよ。物理法則を守れ。しかし誰も思いつかないことをやれ。いや無茶である。犯人より作者のほうが追い詰められている。

ここで『アリス・ミラー城』が面白いのは、その矛盾から逃げないところだ。むしろ作品の中心に、その問題を堂々と置いてしまう。

物理トリックはもう限界なのではないか。真新しい物理トリックは、リアリティを失う宿命にあるのではないか。ならば、その失われた物理トリックに、どうやって存在する意味を与えるのか。

この小説は、その答えとして「城」そのものを差し出しているように見える。

アリス・ミラー城は、物理トリックの非現実性を隠すための舞台ではない。むしろ、その非現実性を引き受けるための舞台である。

普通の屋敷で大がかりな仕掛けが出てくれば、どうしても不自然に見える。だが、最初から鏡と人形と奇妙な通路に満ちた城であればどうか。

しかもその城が、アリス文学とチェス盤の構造に支配された、現実と幻想の境界がぐらつく空間であればどうか。物理トリックの無理が、単なる無理ではなく、作品世界のルールとして受け入れられていく。

ここが北山猛邦の面白いところだ。物理トリックの非現実性を、リアリティの欠如として処理するのではなく、幻想的な世界設計と結びつけることで、別の説得力に変えている。

鏡の通路、巨大な鏡の部屋、増殖するように見える扉、動くアリス人形、黒い雪。これらは一見すると怪奇現象めいているが、同時に物理トリックが成立するための「異常な現実」を作っている。現実の世界では浮いてしまう仕掛けも、アリス・ミラー城の内部では、奇妙に収まりがよくなる。

ただし、それは単に「特殊な城だから何でもあり」という話ではない。むしろ逆である。この城では、何でもありに見えるからこそ、どこまでが物理で、どこからが錯覚なのかを見極める必要がある。

ここで本作は、物理トリックのもうひとつの問題に踏み込む。つまり、探偵はどの物理条件を信じ、どの可能性を捨てるべきなのか、という問題だ。

物理トリックを解くには、現場にある膨大な条件の中から、事件に関係する要素を選び取らなければならない。重力、摩擦、光の反射、鏡の角度、扉の位置、鍵の移動、人形の重さ、通路の構造、死体の損壊、目撃証言。

全部を真面目に検討していたら、頭が止まる。だが、何かを無視しなければ推理は前に進まない。そして、無視したものの中に真相があったら終わりである。

この意味で、本作の物理トリック論は、いわゆるフレーム問題ときれいにつながっている。人間は世界のすべてを計算して行動しているわけではない。無意識にこれは関係ある、これは関係ないと枠を作っている。

探偵も同じだ。探偵はすべての可能性を検討しているように見えて、実際には推理可能な範囲を切り取っている。その枠が正しければ名推理になる。間違っていれば、真相は枠の外に逃げていく。

『アリス・ミラー城』は、この枠をぐにゃりと歪める。鏡がある。人形がある。奇妙な建築がある。アリス文学の記号がある。チェスの駒としての配置がある。古典ミステリへの参照がある。どれも手がかりに見える。どれも飾りにも見える。

探偵も、読んでいる私たちも、何を重視すればいいのか分からなくなる。物理トリックを考えているつもりが、いつの間にか「物理とは何を信じることなのか」という場所まで連れていかれるのだ。

つまり本作の物理トリックは、単に新奇な仕掛けを見せるためのものではない。物理トリックという形式そのものが抱える矛盾を、作品内で語り、実際の事件によって試している。

リアルな仕掛けは古びる。新しい仕掛けはリアルから離れる。

ならば、その非現実性を丸ごと抱え込む異常な空間を作り、その中で物理法則を再配置すればいい。

アリス・ミラー城とは、そのための実験装置なのだ。

この発想がたまらなく好きである。普通なら弱点になりかねない物理トリックの無理を、作品の思想にしてしまう。こんなに堂々と開き直られると、こちらも笑うしかない。いや、開き直りというより、むしろ逆襲である。

物理トリックはもう古い、物理トリックは非現実的だ、そんなことは作者も分かっている。そのうえで、それでも物理トリックでしか到達できない奇妙な美しさがあるのだと、本作は鏡だらけの城を建ててみせる。

糸やロープや鍵や死体移動だけでは、もう物足りない。けれど、物理法則を破ってしまえば本格ミステリではなくなる。

その苦しい場所で、北山猛邦はアリス文学とチェスと館ミステリを接続した。物理トリックを単なる犯行手段ではなく、世界の見え方を揺さぶるための装置へ変えたのだ。

なので『アリス・ミラー城』殺人事件を読んでいると、密室の解法を追っているだけでは済まなくなる。

物理トリックとは何か。本格ミステリにおけるリアリティとは何か。

そもそも、私たちはどの範囲までを「考えるべきこと」として選んでいるのか。

そんな面倒で楽しい問題が、鏡の向こうからこちらを覗いてくる。

物理トリックは、あらかじめ失われている。

だが、失われているからこそ、そこには幽霊のような魅力が宿る。

『アリス・ミラー城』殺人事件は、その幽霊を、鏡と雪と血と人形の城に閉じ込めた作品なのだ。

読めば読むほど、楽しい。読めば読むほど、信用できない。

この矛盾した感覚こそ、北山猛邦の城に足を踏み入れる快楽である。

Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

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