北沢陶『花檻の園』- 見惚れた瞬間にもう逃げられない、美しさという檻の物語【読書日記】

北沢陶(きたざわ とう)という作家は、出てきたときからずっと気になる存在だった。
デビュー作『をんごく』で横溝正史ミステリ&ホラー大賞の三冠を達成、という時点でかなり強いのだが、実際に読んでみると、話題性だけではまったくなかったことがよくわかる。
情念の濃さ、怪異の気配、そしてどこか古風な幻想の匂い。そのあたりの混ぜ方がうまくて、しかもそこに現代っぽい痛みまでしれっと差し込んでくる。
そんな北沢陶が『をんごく』『骨を喰む真珠』を経て放った『花檻の園』は、大正末期の大阪・新世界を舞台にしたゴシックホラーである。
舞台だけ見ると、耽美寄りの幻想譚っぽくもある。けれど本作は、ただ綺麗で妖しいだけの話では終わらない。
むしろ美しさそのものが痛みに変わっていくし、人が「美しいものを見たい」と思う気持ちそのものが、かなり怖いものとして立ち上がってくる。
私はミステリでもホラーでも、まず構造や設定に惹かれるタイプなのだが、『花檻の園』はそこに加えて、イメージの強さがかなり印象に残った。大正十四年の新世界、廃れかけたルナパーク、美しい少年の身体に咲く花。
こうして並べるといかにも耽美なのに、実際に読んでいると、うっとりするより先に「痛い」「こわい」「でも見てしまう」となる。この感覚がすごくよかった。
新世界という舞台がまず強い
本作の魅力を語るうえで、やはり最初に触れたいのは舞台である。
大正十四年の大阪・新世界。この時点でかなり勝っている。私はこういう、土地そのものが物語の空気を作っている作品が好きなのだが、『花檻の園』の新世界はまさにそれだった。
そもそも新世界という場所自体がかなり面白い。西洋への憧れと、見世物的な娯楽がごちゃっと混ざった人工の街である。華やかで、派手で、いかにも夢を売っていそうなのに、どこか最初から足元がぐらついている。その感じがすごくいい。
本作の新世界は、ただ背景として置かれているわけではない。主人公・朔哉のあり方そのものときれいに重なっている。人を眺める街。珍しいもの、美しいもの、異様なものに人が集まる街。見られることが価値になる街。
そう考えると、この舞台は朔哉にぴったりすぎる。というか、ぴったりすぎて少し怖い。彼はもともと美貌ゆえに視線を集める少年なのだが、新世界という場所に置かれることで、その性質がもっと露骨になるのである。
そして物語の核にあるのが、荒廃したルナパークの跡地だ。ここがまた抜群にいい。かつて人を楽しませたはずの場所が、時間が経つことで異界の入口みたいな顔を見せる。
こういう「楽しかった場所の死後」みたいなモチーフにかなり好きだ。遊園地は本来、人工的に夢を見せる場所だ。だからこそ壊れたあとの空虚さが、妙に不気味になる。本作のルナパークには、その感じがしっかりある。
しかもここは、朔哉にとって姉の死ともつながる場所である。街の記憶と個人の喪失が同じ場所に積み重なっているから、怪異がただの超常現象ではなく、過去の傷そのものみたいに見えてくる。このあたりの置き方がとてもうまい。
美貌がそのまま檻になるのがきつい
主人公の朔哉は、中学三年生の少年で、母親譲りの際立った美貌を持っている。
設定だけ見ると、いかにも耽美小説っぽい。だが本作がいいのは、その美しさをロマンティックな特権としてほとんど描かないところである。朔哉にとって美貌は、まず「人に見られる理由」でしかない。
ここにとても嫌なリアルさがある。外見が整っていることは、表面的には恵まれているように見える。けれど本作で描かれるのは、その裏側だ。周囲は朔哉を見て、勝手に意味づけし、欲望や嫉妬や崇拝を向ける。
彼が何を考えているか、どれだけ疲れているか、何に傷ついているかは後回しになる。まず見た目が先に消費される。朔哉は人というより、観賞対象として扱われてしまうのである。
しかも彼には、姉の世話という家庭内の役割もある。学校でも家でも、彼はなかなか自由に息ができない。周囲から与えられた役目をこなすことを求められ続けている。その時点で、すでに小さな檻の中にいるようなものだ。
そんな朔哉の身体に、ある夜を境に花が生え始める。ここが本作最大の見せ場であり、いちばん強烈なところだ。花と美少年、という組み合わせだけ見ると、いかにも幻想的で美しい。
だが北沢陶は、それを綺麗な象徴のまま終わらせない。花は皮膚の上に貼りつくのではなく、肉に根を張り、神経とつながり、激痛とともに咲く。つまりこれは、ただの装飾ではない。身体そのものが花に食い込まれていく怪異なのだ。
この設定が本当にうまい。もともと「見られること」に苦しんでいた少年が、怪異によって本当に見世物になってしまうのだから。しかも花は美しい。
見た目だけなら、なおさら人は目を奪われるかもしれない。けれど本人にとっては、生活も尊厳も削られていく異変でしかない。この皮肉がかなりきついし、だからこそ印象に残る。
耽美なのに、かなり容赦がない
『花檻の園』を読んでいて面白かったのは、モチーフ自体はかなり耽美なのに、書いてあることは思った以上に容赦がないところだ。
本作にはたしかに『ポーの一族』のような気配がある。美しい少年、危うい絆、退廃した街、花と死のイメージ。こうした要素だけを並べると、かなり幻想文学寄りに見える。けれど北沢陶は、その美しさを綺麗なまま飾ってはおかない。むしろ、美しいものが肉体とぶつかったときの軋みや不快さを丁寧に描いていく。
だからこの作品は、耽美であればあるほど痛い。花が咲く場面にしても、視覚的な綺麗さより先に、皮膚が裂ける感じや、神経に触れるような痛みが伝わってくる。
服がこすれるだけでも苦しい、という感覚がかなり生々しい。華やかなイメージと、身体的な苦しさがぴったり重なっているのが本作の強さだと思う。
文章もよかった。必要以上に重たくしすぎず、でも怪異の描写ではしっかり気持ち悪さや痛みを通してくる。全部を説明しすぎないから、かえってイメージが頭に残るのである。この書き込みすぎないのにちゃんと伝わる感じはかなり好みだった。
それから青路という存在もよかった。彼は朔哉をルナパークへ導く転校生で、理解者っぽくもあり、でも最後までどこか掴みきれない。親しさと不穏さが同時にある。
この曖昧さが作品全体の雰囲気によく合っている。ただ優しいだけの相手ではなく、救いにも破滅にも見える存在として置かれているのがいい。
大正ゴシックなのに、ちゃんと今の話になっている
『花檻の園』がただの雰囲気ものでは終わらないのは、ここで描かれている苦しみがかなり今っぽいからだと思う。
朔哉は、美しいという理由で見られ、期待され、勝手に意味づけされていく。これは大正時代の見世物の論理にも近いのだが、同時にいまのSNS社会や外見至上主義にもかなり近い。
外見が価値として流通して、それが本人の意思を追い越してしまう。注目されることが、必ずしも救いではないどころか、搾取になることもある。本作はその感じを、花が身体から生えるという怪異でかなり鮮やかに見せてくる。
タイトルにある『檻』もすごくいい。朔哉を閉じ込めるものはひとつではない。美貌も檻、家庭も檻、新世界という街も檻、そして最後には身体そのものが檻になる。逃げ場がないというより、逃げてもまた別の枠が現れる。この息苦しさがすごく現代的だと思った。
そのうえでいいのは、本作が説教っぽくなっていないところだ。メッセージを前に出すのではなく、まず物語のイメージと痛みでこちらを捕まえてくる。
花の咲いた朔哉の姿には、どうしても目を奪われる。けれどそれが彼の苦しみの結果だということもわかっている。この両方を抱えさせるから、見ている側の残酷さまで意識させられるのだ。
『花檻の園』は、耽美、怪異、身体ホラー、そして社会の視線の問題がかなりきれいに重なった一作だった。大正新世界の虚飾っぽさ、廃園の光、美少年の身体、そこに咲く花。そのどれもが綺麗なのに、綺麗なだけでは済まされない。そこがこの作品のいちばん面白いところだと思う。
北沢陶はこれまでの作品でも、生と死の境界や身体に刻まれる異変を描いてきた作家だが、『花檻の園』ではそこに耽美の純度がかなり高い形で加わった。
そのぶん、痛みもいっそう際立った。読後に残るのは、花の香りというより、花弁の縁で指を切るみたいな感触である。
かなり好みが分かれそうな作品ではある。けれど、耽美と怪異が好きなら、かなり刺さる一冊だと思う。
綺麗なものが好きな人ほど、たぶんちょっと痛い目を見る。
そこまで含めて、北沢陶らしい小説だった。



















