角川ホラー文庫30周年の祝祭、あるいは惨劇 – 『潰える 最恐の書き下ろしアンソロジー』【読書日記】

  • URLをコピーしました!
四季しおり
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

ホラー小説を読んでいると、怖さにも時代があるということを実感する。

近年は超がつくほどのモキュメンタリーホラーブームだし、幽霊屋敷の怪談が流行る時代もあれば、都市伝説やネット怪談が主役になる時代もある。

そんな視点で見ると、角川ホラー文庫30周年の企画として登場したアンソロジー三部作、『堕ちる』『潰える』『慄く』は、かなり象徴的な企画だと思う。日本ホラーがこの三十年でどこまで広がったのか、その現在地を一気に見せてくれた。

その中でも、私が特に印象に残ったのが『潰える 最恐の書き下ろしアンソロジー』である。

タイトルからして不穏だが、この本が描いているのは単なる怪奇現象ではない。もっと身近で、もっと厄介なもの……つまり、日常そのものが崩れていく感覚である。

スーパー、村、団地、住宅地。どこにでもある場所が、ほんの少し視点を変えただけで怪異の舞台になってしまう。このアンソロジーは、そんな生活圏ホラーの最前線を見せてくれる一冊だ。

私がホラーに求めているのは、単なる心拍数の上昇ではない。それは、自分が立っている強固な現実という地面に、ふとした拍子にピキリと亀裂が入る、あの世界の底が抜ける瞬間の悦びなのだ。

1994年の創刊以来、日本の怖さの基準を更新し続けてきた角川ホラー文庫が、30周年という節目に放った三部作。

その中核をなす第ニ弾『潰える 最恐の書き下ろしアンソロジー』は、まさにその亀裂を覗き込むための、最悪で最高の企画だ。

テーマはたった一つ。

「考えうる、最大級の恐怖を」

この条件だけで書かれた短編が並ぶわけだから、面白くならないはずがない。

このあまりに純粋で暴力的なオーダーに対し、Jホラーの生みの親から現代モキュメンタリーの旗手まで、手練れたちが持ち寄ったのは「希望も、論理も、肉体も、すべてがゆっくりと形を失っていく(潰える)」物語たちだった。

目次

密室の美学と、土地が語り出す不都合な真実

ホラーにおける恐怖の苗床は、いつもの日常の空間にある。本書でも、スーパーマーケット、村、団地、新興住宅地といった、私たちが無防備に身を置く場所が、悪意に満ちた異界へと変貌を遂げる。

トップバッターを飾る澤村伊智の『ココノエ南新町店の真実』は、近年のトレンドであるモキュメンタリー形式を極限まで研ぎ澄ませた一編だ。

ネットで噂される「心霊スーパー」を取材するライターの視点は、丁寧な語り口でありながら、読み進めるほどに記録者の正気そのものが侵食されていく。ここにあるのは、怪異そのものよりも、それをコンテンツとして消費し、忘却していく大衆の不気味さだ。

また、小野不由美の『風来たりて』は、ファン待望の『営繕かるかや怪異譚』シリーズの一本。新興住宅地で聞こえる不気味な唸り声。近隣トラブルかと思いきや、物語は一気に土地の記憶という深淵へとなだれ込む。

小野不由美の描く恐怖は、決して一過性のショックではない。家を建て、住まうという行為が、いかに脆い均衡の上に立っているかを、建物の構造や風の流れといった物理的な側面から冷徹に突きつけてくる。

営繕屋・尾端が登場したときの安堵感と、それでも拭えない土地の病理の重苦しさ。このバランスこそが、現代ホラーの宝物だと思う。

どんでん返しの向こう側、死神が囁く数字の論理

私が最も好きだったのは、原浩の『828の1』だ。 老人ホームで暮らしている母が呟く謎の数列。ミステリ的な導入から始まり、母の生家を訪ねる過程で明かされるのは、あまりに理不尽で、それでいて完璧な死の法則である。

母は他の老人たちと比較してもかなり頭脳明晰だと思う。それに日常生活に誰かの世話を必要としているわけでもなく、病気を持っているわけでもない。それがここ最近、意味不明な言葉を発するようになった。数字の羅列だ。

828の1。

今年に入ってから、母はこの言葉を時折ぼそぼそと呟くようになった。

『潰える 最恐の書き下ろしアンソロジー』198ページより引用

この設定がとにかく見事で、ミステリ好きの心にも刺さる。怪異がただ理不尽なのではなく、きちんと論理があるのだ。しかしその論理がわかった瞬間、「じゃあ逃げられないじゃないか」という絶望が襲ってくる。

伏線が回収された快感の直後に、それが自分自身の死刑宣告へと繋がっていることに気づく。この「知らなければよかった」という後悔こそが、ホラーにおける最高のカタルシスではないか。

一方で、巨匠・鈴木光司の『魂の飛翔』は、自身の金字塔『リング』をメタ・フィクション的に再構築してみせる。30年後の視点から、貞子というアイコンと対峙し、情報の拡散そのものが持つ不気味さを描き出す。

かつてのビデオテープという物理媒体を必要としなくなった現代において、呪いはもはやデジタルの海に散在する「魂の飛翔」へと変質しているのだ。

結局、安住の地なんてどこにもない

絵:四季しおり

一穂ミチの『にえたかどうだか』が描く、団地という閉鎖的なコミュニティでの孤独や、わらべ歌に隠された飢餓の記憶。阿泉来堂の『ニンゲン柱』が突きつける、因習村での肉体的な融合というグロテスクな祝祭。

これらの物語が共通して描いているのは、私たちが無意識に頼っている防壁の崩壊だ。科学的論理、地域社会、家族の愛情。それらが実は、いとも容易く変質し、呪いへと転じる可能性を秘めていることを、本書の作家たちは残酷なまでに詳らかにする。

『潰える』というタイトルが示すのは、劇的な爆発ではない。何かがゆっくりと腐心し、本来の形を失っていくプロセスそのものだ。それは、不確実な現代社会を生きる私たちが、心の奥底で感じている予感と見事に共鳴してしまう。

窓の外を眺めると、見慣れた街並みが少しだけ違って見える。隣人の挨拶の裏側、スマホの画面に並ぶ数字、そして足元の土地の記憶。それらは本当に、昨日までと同じ安全な日常なのだろうか。

角川ホラー文庫の30周年記念アンソロジーは、単なるエンターテインメントではない。それは、日常という薄氷の上で踊る私たちに、その氷がいかに薄く、すでにヒビが入っているかを教える、あまりに実用的な警告書なのだ。

怖い話を読んだあと、部屋の電気を明るくしたくなることがある。

でもこの本の場合は、電気をつけても安心できない。

なぜなら、怖いのは暗闇ではなく、日常そのものだからだ。

著:有栖川 有栖, 著:北沢 陶, 著:背筋, 著:櫛木 理宇, 著:貴志 祐介, 著:恩田 陸
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場で見る
\ポイント5%還元!/
Yahooショッピングで見る
あわせて読みたい
【ホラー小説おすすめ60選】本当に怖くて面白い日本の傑作・名作選【2025】 ホラー小説とは、単なる「怖さ」だけでは語れない文学だ。 背筋が凍るような怪異や、不気味な日常のひずみ、さらには読者の倫理や理性を揺さぶるような物語まで、その魅...
Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

四季しおり

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがあります。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎる。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ただのミステリオタク。

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

目次