【自作ショートショート No.62】『悪魔のちから』

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街灯ひとつない、夜の路地。

仕事帰りの青年は、とぼとぼと帰路についていた。

彼は一流企業の社員だが、まだ新卒二年めで、毎日、上司にこっぴどく叱られていた。

こんなことなら、車にでも轢かれたい。

そう思って横断歩道をわたっていると、急に角から車があらわれ、青年の鼻先で止まった。

「おい、おい」

「すいません、ぼうっとしていました」

「なにを勘違いしてるんだ。おまえはいま、たしかに死んだ」

「……ははは、なにをおっしゃる」

「冗談ではないさ。おまえはいま、車に轢かれたんだ」

「……あなたはなんなんですか」

「おれは悪魔さ。死をつかさどる、悪魔さ」

青年は驚いて車を見た。

たしかに、バンパーには血の跡がある。

「すると、本当にしんだのですか」

「そうだ」

「そして、あなたは、悪魔と……」

「信じられないだろうが、そうだ」

「信じられないな。だってあなたは、そのう……」

青年は、悪魔と名のった男を見た。

男は、やすものの背広をきて、どこかのビジネスマンのような風体をしていた。

「あぁ、おまえの言いたいことはわかるよ。だが、よく考えてみな。悪魔がいかにも悪魔みたいな恰好で、うろついていると思うかい。おれだってあまり姿をみせたくない。だけど、おまえがあまりに下をむいてあるいていたから、ぶつかってやったんだ」

その言葉には、ふしぎな説得力があった。

そして青年には、その言い分がすんなりと入ってきた。

「すると、悪魔がぼくなんかになんのようです」

「おまえに、おれのちからを貸してやろう」

「悪魔のちからってのは、なんです」

「くわしくは教えられない。だが、おまえの命を救ったのは、おれのちからだ」

「なんだか、あやしいな」

「断るならそれでもいいんだ。だが、そのときはお前は絶対に後悔することになるがな。おまえはこれから、こうしてつまらない毎日を繰り返していくことになるんだ」

「すると、これは、ぼくの人生の転機というわけか」

「あぁ」

男は、しばらく考えた。上司にたんまり絞られていたので、頭はうまく回らなかった。

だけど、断る理由もなかった。

「よし、やろう」

「よし、それなら、この契約書にサインをしろ」

青年は、驚いて男をみた。

「まさか、金を払えと言うのか」

「少しだけだ。それで悪魔の力がつくんだ。安いもんだろう」

「そういうものかな」

「そういうものだ」

青年は、その契約書をながめた。決して安い金ではなかったが、どうせ友達もいないのだ、使うあてもない。青年はサインをした。

「よし、契約成立だ」

「効果はあるのかい」

「自信をもて、なにもこわいものはない」

「そういうものかな」

「そういうものだ」

「大丈夫だ。いいか、まず胸を張れ。だいじょうぶ、おれがいつでも見ているんだ。いやな上司なんて怖くない」

「そういう……」

「そういうものだ」

悪魔は青年のはなしをさえぎって、そのまま路地に消えていった。

「悪魔か」

とたんに、男は気分が良くなってきた。

なんせ、自分はいま、悪魔と契約を結んだのだ。

悪魔祓いという言葉があるくらい恐ろしい存在。

そいつと契約したのだ。なにも怖いものなどない。男はそのまま、胸をはって帰った。

そしてその自信は、見ためや態度にも現れた。

一か月後、上司の男が、男に声をかけた。

「きみ、最近仕事ぶりが変わったじゃないか。なにかあったのかい」

「いいえ、なにも……」

「そうか、そうか。それにしても、きみはいちやく出世頭になったなぁ」

悪魔のいうことはほんとうだった。胸をはるだけで、こうも人相は変わってくるものなのか。

気持ちの問題かも知れない。だけど、それだけではない力を青年は感じていた。

自分の人生はいまはじまったのだと、自信に満ちあふれていた。

そしてあるとき、男のまえに、再び悪魔が現れた。

「久しぶりだな」

「あぁ、悪魔さん。お久しぶりです。いやぁ、あなたのおかげで楽しいですよ」

「そうか」

「えぇ、そうです。力のおかげです」

「そんなおまえに、悪いニュースだ」

「なんでしょう」

「おまえとは、契約を終えようとおもう」

「なんですって」

「おまえからは十分、かねをもらった。もう十分だ」

それだけいって、悪魔は去って行った。

「そ、そんな」

しかし、男もそう簡単に引き下がれない。

よりいっそう、悪魔にお金を送りはじめた。

このままでは、まやかしの力が消えてしまう。

そう思い、出世して大もうけしたお金も、供え物のために投じた。

男みがきのための金もつかい、時には会社の金を横領することもあった。

そうして、男はまた信用を失った。それでも男は悪魔に金を送りつづけた。

だいじょうぶ、あの力さえあれば、ふたたび成功すること間違いなしなのだ。

するとある時、悪魔が再び、男の前に現れた。

「久しぶりだな」

「あぁ、あなたを待ちわびていたよ。わたしに、どうか力をください」

「そういうわけにはいかないな」

「しかし……」

「どうしても困っているのか」

「はい」

「金だけなら、なんとかなるぞ」

「ならば、金だけでも……」

すると、悪魔はにやりと笑った。

「てっとりばやい方法がある。まずは、そのへんでうなだれているやつを探して、そうだな、車で轢いたふりとかがいいだろう。そうして『おれは悪魔だ』といえば、バカは簡単にだまされてくれる……」

(了)

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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