正直、かなり悩んだ。なんせ年に300冊くらい読んでるもんだから、4年で1200冊以上。
その中から「これは!」と思える国内ミステリを50冊に絞るのって、なかなかの作業だった。
この記事は、【殿堂入り】最強に面白い国内ミステリー小説おすすめ50選【名作選】に続く、比較的最近のミステリを選んだ第2弾的なものだ。
でも、悩みに悩んで選んだこのラインナップは、我ながらかなり自信がある。というか、文句なしに面白いと思ってる。
一応、ここ4年以内に刊行されたものを中心に選んでいるけど、ただ新しいってだけじゃなく、「今読んで最高に面白い」と胸を張って言えるものだけを入れたつもりだ。
今回の50冊は、「おすすめ」というより、「大好き」が詰まったセレクションだ。トリックが鮮やかで膝を打った作品、ゾワッとするイヤミス、涙腺にくる社会派、読み終えて立ち尽くした叙述トリック…いろんな種類の“面白さ”が揃ってる。
どこから読んでもハズレなし。気になるタイトルがあったら、ぜひ試してみてほしい。
ミステリーってやっぱり最高だな、って思ってもらえたら嬉しい。
・【殿堂入り】最強に面白い国内ミステリー小説おすすめ50選【名作選】
1.霊媒と作家のバディが挑む、証拠なき真相―― 相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』
死者が見える。けれど、それだけじゃ犯人は捕まらない。そんな矛盾から始まるこの物語は、最初からただものじゃない雰囲気を放っている。
『medium 霊媒探偵城塚翡翠』は、霊媒師・城塚翡翠(じょうづか ひすい)と、推理作家・香月史郎がタッグを組む、本格ミステリ連作短編集だ。翡翠は死者の魂から「誰が犯人か」を聞き出せる。だが残念なことに、それは法的な証拠にはならない。
そこで登場するのが、香月のロジックだ。霊視ではどうにもならない部分を、彼の推理が補完する。ファンタジーと論理が絶妙なバランスで並び立つ、新しいタイプのミステリといえる。
収録されている『泣き女の殺人』『水鏡荘の殺人』などは、どれもきっちり謎解き型。二人の役割分担が活きた推理の展開には、思わず唸ってしまう場面も多い。特に、翡翠の「犯人はこの人です」とビシッと決めたあと、香月がそれを裏付けるロジックを積み上げていくプロセスは、知的なカタルシスに満ちている。
それにしても、翡翠がとにかく可愛い。黒髪に碧眼というビジュアルもさることながら、言動の一つひとつがほんわかしていて、読みながら頬がゆるむ。ところが油断していると、とんでもない爆弾が投げ込まれる。
そう、この作品の真骨頂は、ラストの衝撃だ。すべての前提がひっくり返るような、鮮やかなどんでん返しが待っている。一気にすべてが反転するのだ。最後の一編でぶん殴られて、気がつけば最初のページに戻っている——そんな体験が待っている。
あの優しげな微笑みも、あの意味深な一言も、全部“あれ”の伏線だったのか――。そんな事実に気づいたとき、あなたはゾッとすると同時に、もう一度読み返さずにはいられなくなるだろう。
これは、そういうミステリだ。
2.犯人×探偵のタッグが挑む、密室連続殺人の迷宮―― 知念 実希人『硝子の塔の殺人』
北アルプスの山奥に、ガラス張りの異形の建物――「硝子館」が建てられた。その館に集められたのは、医師、刑事、小説家、霊能力者、そして名探偵。まるでミステリ愛が暴走したかのような、豪華すぎるラインナップだ。
『硝子の塔の殺人』は、そんなシチュエーションの中で起きる連続密室殺人事件を描いた本格ミステリだ。しかし、ただの「閉ざされた館もの」じゃない。最初からとんでもない爆弾が投下されるのだ。
なんと、第一の殺人の犯人は、あっさり分かってしまう。しかし彼は捕まりもせず、探偵と一緒に事件を追っていくことになる。実は彼は、次に起きた第二、第三の殺人についてはまったく知らなかった。
「え、自分以外にも殺人犯がいたの?」と驚く彼は、自分の罪をごまかすため、ホームズ顔負けの名探偵・碧月夜にワトソン役として接近し、共に真相を追い始める。つまりこの物語、犯人と探偵がタッグを組むという、なんともイレギュラーな展開なのだ。そこに偏屈な刑事まで加わり、心理戦と知恵比べの応酬がヒートアップしていく。
トリックにも抜かりはない。現役医師でもある著者の知識が光る医学ミステリ要素も盛り込まれていて、密室の謎もかなり手応えアリ。誰が、なぜ、どうやって?――その答えが見えてきたと思った瞬間、さらなる衝撃が待ち構えている。
ラストの一撃は、まさに読者の足元をひっくり返すような大どんでん返し。
誰を信じて、誰を疑えばいいのか。
読み終えたあと、背筋に残るのは「もう一度最初から確かめたい」という、奇妙な興奮だ。
3.ゾンビがいても、殺人は止まらない―― 今村昌弘『屍人荘の殺人』
「なんでこんなことに……」
ページをめくるうちに、あなたもきっとそう呟いてしまう。ゾンビと殺人事件が同時進行するなんて、そんな無茶な――と思いきや、これが信じられないほど面白いのだ。
今村昌弘のデビュー作『屍人荘の殺人』は、大学ミステリ愛好会の葉村が、クセの強い会長・明智と、探偵気質の少女・比留子巻き込まれて、映画研究部の夏合宿に参加するところから物語が始まる。会長曰く、「きっと事件が起こる」。その不穏な予言は、想像を超える形で的中する。
舞台は山奥の合宿所・紫湛荘。到着早々、外の世界ではバイオテロが発生し、感染者たちがゾンビとなって周囲を包囲。逃げ場のない館の中で、今度はなんと密室殺人が発生する。
「ゾンビで十分絶望なのに、まだ殺す?」と言いたくなる展開だが、そこは本格ミステリ。密室トリックや凶器のアイデア、ペンションの構造まで抜かりなく設計されており、ミステリ好きの心をくすぐりまくる。
とにかくテンポがいい。ゾンビはどんどん増える、第二の殺人は起きる、犯人はわからない。しかも現場には「ごちそうさま」の謎のメッセージ。比留子の冷静な推理と、葉村の振り回されっぷり、そして映画研究部の個性豊かな面々との掛け合いもまた楽しい。
ジャンルを超えて突き進むこの作品、なんとデビュー作にしてミステリランキング三冠を達成。読んだあとには、「ゾンビと本格って、こんなに相性よかったのか……」と感心すること間違いなし。
型破りだけど、骨の髄まで〈本格〉。
恐怖と謎が交差する館で、あなたの想像力は試される。
準備はいいか? 扉の外には、ゾンビが待っている。

4.極限密室で始まる、命を賭けた犯人捜しゲーム―― 夕木春央『方舟』
地下に閉じ込められるって、こんなにも息が詰まるものなのか。夕木春央の『方舟』は、読んでいるこちらまで酸素が薄くなるような、密室サバイバル×心理ミステリの傑作だ。
主人公の柊一は、大学の友人たちや従兄・翔太郎と一緒に、山奥の奇妙な地下建築「方舟」を訪れる。ちょっとした冒険のつもりが、地震で状況は一変。出入口は巨大な岩に塞がれ、水が少しずつ建物内に流れ込んでくる。パニック寸前の中、偶然一緒にいた矢崎一家を含めた10人が、閉じられた空間に取り残されてしまう。
でも本当に恐ろしいのはここからだ。地下三層構造の「方舟」は、設備が整っているかと思えば洞窟のような不気味な場所も混ざっていて、全体としてどこか歪で、不完全。
そんな空間で、仲間の一人が絞殺体で見つかる。密室殺人。そして水位は確実に上がっていく。
唯一の脱出方法は、外の巻き上げ機を誰かが操作すること。でも、それを動かす人間は最後まで中に残ることになる。つまり、全員は助からない。誰かが犠牲になるしかない。
そして彼らはこう結論づける。
「犠牲になるのは、仲間を殺した犯人であるべきだ」と。
ここから物語は、息もつかせぬ犯人探しと、極限の心理戦へとなだれ込む。疑心と焦燥、仲間への不信、そして「生きたい」という本能。それらが渦巻く中で交わされる会話のひとつひとつが、どれも命に直結している。誰かを信じれば、自分が死ぬかもしれない。でも疑い続けても、時間はない。まさにトロッコ問題を、閉じ込められた人間たちがリアルタイムで選び取っていく展開だ。
そして、本作の真価はその先にある。
すべてを飲み込むラストの衝撃。何が真実で、誰が犠牲だったのか。ページを閉じたあと、まるで地震の余震のように、じわじわと心の奥を揺さぶってくる。
この〈方舟〉は、誰の救いだったのか。それとも、罰だったのか。
読後、しばらく放心することになる。
でも安心していい。
この作品に出会えたこと自体が、もうひとつの救いだからだ。
5.ルールに縛られた孤島で起こる、恐怖と謎の三日間―― 夕木春央『十戒』
「この島から出てはいけない」「犯人を知ろうとしてはならない」「一人で行動してはならない」
もしそんなルールを突きつけられたら、あなたはどうする? しかもそれを破ったら、問答無用で全員まとめて爆殺――なんて言われたら?
夕木春央『十戒』は、命がけのルールに縛られた人間たちが、孤島でじわじわと追い詰められていく、息詰まる長編ミステリーだ。
舞台は、伯父が所有していた無人島・枝内島。リゾート開発のために里英とその父、業者たちが下見にやってくるところから物語は始まる。だが、誰もいないはずの島には、なぜか備蓄された食糧とガソリン、さらには爆弾。そして翌朝、ひとりの業者が無残な死体となって発見され、さらに犯人からの〈十の掟〉が提示される。
この十戒がまた厄介すぎる。推理しちゃダメ、出ていっちゃダメ、勝手に動いちゃダメ。つまり、普通のミステリーで読者が期待する「犯人探し」をすれば、皆殺し。犯人がわかっても、下手に声を上げたらアウト。緊迫感なんて生やさしい言葉では足りない、もう常に首元に刃を突きつけられている感覚だ。
そして追い討ちをかけるように起こる第二、第三の殺人。生き残るためには十戒を守るしかないが、黙っていればまた誰かが死ぬ。動けば、全員が死ぬ。極限の選択が何度も突きつけられるなか、読者も登場人物たちと一緒に心臓を締めつけられながら読み進めることになる。
終盤で明かされる真相は、想像のさらに外側を行く恐怖。
そしてラストの1ページ。
前作『方舟』を読んだ人なら、そこに潜む“もう一つの真実”に震えあがるはずだ。
人を縛るのは、ルールか、それとも恐怖か。
そして、あなたならその〈十戒〉を、守りきれるか?
6.少女たちの密室トレジャーハント―― 夕木春央『サーカスから来た執達吏』
取り立て屋がサーカス帰りの少女だったら――そんなトンデモ展開から始まるのが、本作『サーカスから来た執達吏』だ。
舞台は大正十四年。名家・樺谷子爵家はすっかり没落し、屋敷はボロボロ、家計は火の車。そこへやってきたのが、晴海商事から派遣された執達吏、ユリ子。まだ少女ながら、かつてはサーカス団で空中ブランコを飛んでいたという異色の経歴を持つ。取り立ての矛先は家に残された財産…ではなく、まさかの令嬢・鞠子本人!?
かくして、返済の代わりに連れて行かれることになった鞠子は、ユリ子とともに、明治末期に隠された〈絹川子爵の財宝〉を探すことになる。が、この宝探しが一筋縄ではいかない。密室での失踪、殺人事件、崩壊した館に残された謎の暗号文……と、まるで少年探偵団ばりの難事件づくし。
だけど何より面白いのは、ユリ子と鞠子のコンビの掛け合いだ。読み書きは苦手だけど行動力と野生の勘で突っ走るユリ子に、育ちのよさと知性だけは折り紙付きの鞠子が振り回される。この凸凹っぷりがとにかく絶妙で、会話だけでもずっと読んでいたくなるほど。
そして物語は、命がけの潜入劇あり、伯爵家との駆け引きありと、まさに波乱万丈。二人は敵を出し抜きながら、少しずつ絆を深めていく。その過程がまたグッとくる。
お宝は果たして見つかるのか? 真の黒幕は誰なのか? サーカスと密室とミステリー、全部乗せのこの冒険譚は、読み始めたら止まらない。
古き良き時代の香りをまとった、でも確実に新しいミステリー。肩ひじ張らずに、でもちゃんと熱くなれる一冊だ。
7.死の寸前、あと十五秒で何ができる?―― 榊林銘『あと十五秒で死ぬ』
背後から撃たれて、あ、終わった……と思ったその瞬間、目の前に現れたのは死神だった。でもどうやら、ちょっと来るのが早すぎたらしい。
だってまだ、「私」にはあと15秒の命が残っていたのだから。
榊林銘『あと十五秒で死ぬ』は、そんな“死に損ない”から始まる表題作を含む、4つの短編が収められたミステリー短編集だ。共通するテーマは、ずばり「15秒」。長いようで短く、短いようで意外と長いこの15秒という時間を、各編がこれでもかというほど濃密に使い切ってくる。
冒頭の『十五秒』は、第12回ミステリーズ!新人賞佳作に輝いたデビュー作。「死ぬ寸前にあと15秒あったら、あなたなら何をする?」という問いに対し、主人公は本気で命を使い切る。止まった時間の中で犯人を特定し、証拠を残し、最後の抵抗を仕掛ける。たった15秒なのに、ここまで動けるのか?と驚かされるアクションと心理描写に、思わず息を呑む。
そのほかの短編も、ひと癖もふた癖もある設定ばかり。『このあと衝撃の結末が』では、ドラマの15秒予告から殺人事件の展開を推理し、『不眠症』では、15秒後に事故に遭う夢ばかり見る少女の不安を描く。
そして極めつけは『首がとれても死なない僕らの首無殺人事件』。首を切られても15秒以内に元に戻せば生きていられる――という、どこかポップで猟奇的な世界観がたまらない。
どの話にも共通するのは、「時間が限られているからこそ、人は必死になる」ということ。この切羽詰まった感じがクセになって、気づけばページをめくる手が止まらなくなっている。
さあ、残りはあと15秒。
あなたなら、どう使う?
8.憎しみが、守る理由になるとき―― 方丈貴恵『孤島の来訪者』
殺したいやつがいる。できればこの手で、きっちりと。
そう決意して孤島にやって来たのに――よりにもよって、先に殺されてしまった。しかも、やったのは人間じゃない〈何か〉かもしれない。
方丈貴恵『孤島の来訪者』は、そんなとんでもない状況から始まる、特殊設定の孤島ミステリーだ。
舞台は、過去に十三人が死亡したという凄惨な事件の現場・幽世島(かくりよじま)。テレビ番組のロケのために島を訪れた主人公・佑樹は、表向きこそスタッフだが、真の目的は復讐。幼いころ、親友を事故に見せかけて殺した3人に制裁を下す――はずだった。
だがその矢先、ターゲットの一人が殺される。「おい、俺の仕事を勝手に済ませるなよ」とばかりに混乱する佑樹。
しかも、殺害の手口や状況には人間離れした異質さがつきまとう。
これは本当に、人間の仕業なのか?
ここで面白いのが、佑樹が復讐のために、なんとターゲットたちを“守る”立場になるという構図だ。憎くてたまらない相手なのに、奴らが死んだら自分の計画が台無しになる。この矛盾を抱えた立ち回りが、読んでいて実にスリリングだ。復讐心とサバイバル本能とで揺れる主人公の心理が、物語をぐいぐい引っ張っていく。
シリーズ第2作ではあるが、本作単体でも存分に楽しめる構成なのでご安心を。人外要素のインパクトに目が行きがちだが、トリックや伏線の張り方は非常にロジカルで、本格ミステリとしての完成度も高い。
しかもラストには、何重ものどんでん返しが待っている。
誰が味方で、誰が敵か。そもそも、何と戦っているのか――。
読み終えたあとに残るのは、「正義」でも「悪」でもない、もっと複雑で苦い感情なのだ。

9.楽園は、開園前に地獄と化した―― 斜線堂 有紀『廃遊園地の殺人』
閉園した遊園地が舞台ってだけで、すでにワクワクと不穏が同居しているのに。そこに「宝探し」「着ぐるみ串刺し死体」「クローズドサークル」が加わったら、もう逃げ道なんてない。読む手が止まらない、とはこのことだ。
斜線堂有紀『廃遊園地の殺人』は、かつてオープン前に銃乱射事件が発生し、廃園となった「イリュジオンランド」が舞台。20年後、その土地を買い取った資産家・十嶋が、元関係者や廃墟マニアを集めてこう宣言する――「宝を見つけた者に、この遊園地を譲る」と。招待客たちはそれぞれに胸の内を秘めたまま、幻想の国に足を踏み入れる。
そして翌朝、着ぐるみ姿のまま串刺しにされた遺体が発見される。楽しいはずの舞台が一転、地獄の見世物小屋へ。
犯人は誰だ? 宝はどこだ? 十嶋の真の目的とは?
次々に起こる異様な事件、それぞれ秘密を抱えた登場人物たち。警察の助けもない、外界と遮断された園内は、もはや信じられるのは自分だけ。そんな中でひときわ輝くのが、廃墟マニアでコンビニバイトの主人公・眞上(まがみ)だ。
普段の仕事で磨いた観察力と冷静さを駆使して、どんどん真相に食らいついていく。バイト力、なめんなよ。
遊園地という舞台を生かしたトリックも見応えバツグン。おどろおどろしさと楽しさが紙一重で同居しているのが、なんとも絶妙だ。
そして終盤、眞上の過去に関わる切ないエピソードが物語に陰影を添えてくるのがまたいい。
ラストまで読めば、「遊園地」という言葉の裏に潜む狂気と哀しみに、思わず息を飲む。
ここは夢の国なんかじゃない――それでも、目を逸らせない。
10.すべてがピースになる爽快パズル・ミステリ―― 鳥飼否宇『指切りパズル』
かわいいレッサーパンダに指を噛み切られる――そんな衝撃映像から、この奇妙な物語は幕を開ける。
しかも犠牲者は、人気アイドルユニットのメンバー。動物園イベントの事故とはいえ、インパクトが強すぎる。だが、ここからが本当の地獄のはじまりだった。
鳥飼否宇『指切りパズル』は、綾鹿市動物園で起きた小さな事故が、次第に連続切断事件へと発展していく、異色のミステリーだ。今度は中指、次は親指、そして小指と、アイドルグループの関係者たちが次々と指を失っていく。
なぜ指ばかり? なぜこのアイドルたちが狙われるのか? 犯人の目的は一体?
捜査に乗り出すのは、警察……ではなく、動物園のチーフ警備員・古林。彼がまた変わり者で、登場人物たちをヒグマだのカワウソだの、ことごとく動物にたとえてくるから読み味が独特だ。ミステリーなのに妙に可笑しく、でもちゃんと頭を使わされるという、絶妙なバランスがたまらない。
事件そのものは陰湿でスリリングなんだけど、古林の飄々とした視点とテンポのよい語り口のおかげで、読んでいてどこかユーモラス。動物園という舞台設定も相まって、ちょっと不思議な読後感がクセになる。
そして本作の真骨頂は、終盤に向かって〈謎のピース〉がひとつずつピタリとはまっていく気持ちよさ。散りばめられた違和感が意味を持ち、あのプロローグの真意が明かされる瞬間には、思わず「やられた!」と叫びたくなる。
一風変わったミステリを探しているなら、この指切り事件は、かなりおすすめだ。
奇妙だけど爽快。こんなパズル、なかなかない。
11.温泉、酒、笑い、そして…死体!?―― 東川 篤哉 『スクイッド荘の殺人』
「豪華な温泉旅館でのんびりボディガードのお仕事だなんて、ラクでおいしい話じゃないか」
そう思っていた探偵・鵜飼は、この後とんでもない事態に巻き込まれることになる。なにせ舞台は、崖っぷちに建つ奇妙な高級ホテル「スクイッド荘」。名前からして不穏だけど、まさか本当に人が死ぬとは……。
東川篤哉の人気シリーズ『スクイッド荘の殺人』は、コミカルと本格ミステリの絶妙な合わせ技が光る、贅沢な長編だ。物語は、鵜飼探偵とその助手・戸村が、企業社長の護衛役として温泉旅館に同行するところから始まる。豪華な夕食に舌鼓を打ち、酒をかっくらい、呑気に過ごしていたはずが、大雪により外界との行き来が絶たれ、まさかのクローズドサークル状態に。
そして起こる、殺人事件。さらには地下から第二の遺体が見つかり、20年前のバラバラ殺人事件まで絡んでくる。一気にミステリ・モードに突入――のはずが、鵜飼と戸村のコンビは相変わらずギャグ全開。殺人現場でもボケてツッコむ、この絶妙なゆるさが良いのだ。
警察コンビまで登場し、推理とドタバタの応酬はますますヒートアップ。だけど、ふざけてばかりじゃないのがこの作品のすごいところだ。
終盤には、点と点が見事に線になり、すべての謎がキッチリ回収されていく。笑っていたら、いつの間にか唸らされる――そんな“本格の快感”がちゃんとある。
この烏賊川市(いかがわし)シリーズは久しぶりでも、初読みでもまったく問題なし。
笑えて、驚けて、しっかり満足できる、まさにおトク感満載の一冊だ。
たまには、こんなミステリで温泉気分を味わってみるのも悪くない。……死体さえ出なければ、だけど。

12.笑ってるうちに震え上がる、孤島の大惨劇―― 東川篤哉『仕掛島』
遺言状が読まれるだけのはずだった。
場所は瀬戸内の孤島・斜島にある瀟洒な別荘。招かれたのは亡き資産家の一族と、見届け役の探偵。そして、弁護士。
なのに翌朝、相続人の一人が死体となって発見され、事態は急転直下。さらには嵐で島は完全に孤立し、なぜか幽霊と赤鬼が目撃され、しまいには人が消える。……なんだ、この状況は?
東川篤哉『仕掛島』は、デビュー20周年記念作品にして、東川作品最長の〈本格ミステリー超大作〉だ。けれど長さをまったく感じさせないのは、さすがと言うべきか。重苦しい設定や不穏な事件の合間に、しっかり笑わせてくれる。とくに探偵・小早川と弁護士・矢野の漫才コンビが最高で、殺人事件の現場でも堂々とボケとツッコミを炸裂させてくる。
でも、笑って油断してはいけない。本作の本気は、後半に入ってから牙を剥く。23年前の未解決事件、島にまつわる因縁、そして仕掛島というタイトルの真意。ひとつひとつの伏線がじわじわ繋がり、読者の想像の何歩も先をいくどんでん返しが炸裂する。
そして迎えるクライマックス。「そんな仕掛け、アリ!?」と思わず本を置きそうになるほどの、仕組みと意外性の合わせ技に心拍数が跳ね上がる。まさにミステリの遊園地とでも呼びたくなるサービス満点の展開だ。
実はこの作品、『館島』の続編でもあり、前作の主人公の息子が本作で探偵役を務めている。もちろん単独でも楽しめるけれど、前作を読んでいるとニヤリとできる要素も多め。
笑ってゾッとして驚かされる――そんなフルコースを、たっぷり味わえる一冊だ。
笑いと惨劇の落差に、気を抜いたら足をすくわれる。
ようこそ、斜島へ。
仕掛けはすでに、あなたの足元に。
13.復讐のはずが、地獄のサバイバルに変わる―― 石持浅海『風神館の殺人』
復讐は、計画通りにいくはずだった。欠陥商品で人生を狂わされた十人が、加害企業の幹部を一人ずつ裁く――そのはずだった。
だが最初の殺しが成功した直後、復讐チームの仲間が“何者か”によって殺されてしまう。その瞬間、「味方しかいない」はずの館が、一気に敵が混ざってるかもしれない地獄へと変わった。
石持浅海『風神館の殺人』は、読み手をじわじわと締め上げてくる〈心理戦ミステリー〉の極致だ。舞台は、企業の保養施設「風神館」。すでに一人を殺してしまった彼らは、当然、警察に助けを求めるわけにはいかない。そして嵐のせいで物理的にも外と遮断されたこの場所で、第二、第三の犠牲者が……。
怖いのは、殺人そのものよりも“疑い”だ。
誰が裏切ったのか。なぜ裏切ったのか。
次は誰が死ぬのか――あるいは、自分なのか。
逃げられない、でも止まれない。復讐という共通の目標が、逆に彼らをがんじがらめに縛りつける。
それぞれのメンバーが、微妙に価値観も動機もズレているのもポイントだ。だからこそ会話ひとつとっても探り合いがスリリングで、ちょっとした表情の変化や言葉の端々に「何かあるかも」と思わせる。「この人、怪しいな」と思った瞬間に、その人物が次に殺されてしまう――なんて展開もザラで、読んでいるこっちの推理も翻弄されっぱなし。
ガチガチの密室トリックとはまた違う、会話と心理と空気感で読ませるこの一冊。人間の〈信じたい気持ち〉と〈裏切りへの恐怖〉を見事に描いていて、最後までページをめくる手が止まらない。
誰も信じられない場所で、あなたなら、どうやって生き残る?
読後、胸に残るのは、安堵か、それとも苦い虚脱感か。
これは、ミステリーでありながら、一種の戦場小説なのだ。
14.最終巻なのに、真相がない?―― 紺野天龍『神薙虚無最後の事件』
ミステリー作家の遺作、それも人気シリーズの最終巻に、まさかの「犯人が明かされていない」という仕掛けがあったとしたら? 読者としては気になって気になって眠れない。そして、そう思ってしまった人たちが本気でその謎に挑み始めたら――?
紺野天龍『神薙虚無最後の事件』は、未完のようで完結している伝説の作中作の「真の解決」に挑む、多重解決型ミステリーの決定版だ。
大学生の白兎と志希は、ミステリー作家の娘・唯から一つの頼みごとを受ける。それは、父の遺作『神薙虚無最後の事件』の謎を解いてほしい、というもの。物語内の探偵・神薙虚無が活躍するシリーズの最終巻なのに、なぜか肝心の〈真相〉が描かれていない。読者に解かせようという意図なのか? それとも、隠されたメッセージが?
白兎は名探偵倶楽部の仲間たちとともに、ワイワイと推理を重ねていく。この「チームで謎を解く」空気感がたまらなく楽しい。全員がミステリ好きで、それぞれ異なる角度から仮説を出してくるから、読んでいて「うわ、これもありえる!」と、何度も膝を打たされる。こちらも一緒に〈謎解き合戦〉に巻き込まれる感覚が味わえて、テンション上がりっぱなしだ。
そしてもちろん、作中作そのものもめちゃくちゃ面白い。「二つ名を持つ名探偵」「怪盗王」「使徒」など、ちょっと中二心をくすぐる設定に加え、密室トリックやロジカルな謎もきっちり用意されていて、もはやこの作中作だけでも一冊分読んだ気になってしまうレベルだ。
ラストでは、数々の仮説を経て、ついに本当の真実が明かされる。「こう来たか!」という大どんでん返しが待ち受けており、さらにそのあとに優しさと余韻のある結末が用意されているのがまた嬉しい。
読み終えたときには、「自分も名探偵倶楽部に混ざってたんじゃ?」と思えてしまうほどの読書体験。
青春×ミステリ×メタ構造の面白さを、たっぷり味わいたい人におすすめの一本だ。

15.どこからどこまでが“仕掛け”なのか―― 阿津川辰海『入れ子細工の夜』
探偵が追っているのは、古本屋の袋ひとつ。だけどその小さな手がかりが、まさか殺人事件の真相へとつながっているとは……読んでみないとわからない。
阿津川辰海『入れ子細工の夜』は、構造派ミステリの名手によるノンシリーズ短編集だ。トリックも語りも〈二重三重に仕込まれた入れ子細工〉のように入り組んでいて、1話ごとに何度も予想を裏切ってくる。毎回、「そう来るか!」と叫ばされること請け合いだ。
たとえば1話目の『危険な賭け』。フリー記者の撲殺事件のカギは、鞄のすり替え。そしてそこにあった古本屋の袋。探偵・若槻が本物の鞄を求めて古本屋を巡る展開は、のんびりしているように見えて、最終的には意外性バツグンの真犯人に辿り着く。
2話目『二〇二一年度入試という題の推理小説』は、ある大学で実施された犯人当て試験が舞台。問題文がそのまま掲載され、読者も一緒に頭をひねれる仕掛けになっている。「試験で人を推理させる」なんて前代未聞だけど、それがしっかりミステリとして成立しているのがすごい。
表題作『入れ子細工の夜』は、作家と編集者の危険な密室再現ゲーム。協力関係に見せかけた双方の腹黒さが、少しずつ露わになっていく展開が怖すぎる……と思ったら、最後はそのさらに上を行くどんでん返し。
そして4話目『六人の激昂するマスクマン』は、覆面プロレスラーの中に潜む殺人犯を追う異色作。全員が仮面をかぶっているからこその錯覚とすり替え――こちらも見事に騙される。
どの話も短編とは思えない密度と仕掛けに満ちていて、〈ミステリの醍醐味〉をこれでもかと味あわせてくれる。4話で計200ページ少々なのに、体感は1冊分のミステリを4冊読んだ感じだ。
読み終えたあと、きっとあなたも入れ子の中にいたことに気づくはず。
さあ、どこからが現実で、どこまでがトリック?
その答えはページの中に。
16.ありえない、が鮮やかに謎を生む―― 阿津川辰海『透明人間は密室に潜む』
もしも、透明人間になれるとしたら?
一度は夢見るその能力を、殺人のために使おうと考えた人間がいたとしたら――その先に待っているのは、果たして完全犯罪か、それとも……?
阿津川辰海『透明人間は密室に潜む』は、日常の枠をちょっとだけズラした“ありえないけど面白すぎる”設定の中で、謎とロジックをとことん楽しませてくれる短編集だ。「本格ミステリ・ベスト10」1位も納得の、どの話も粒ぞろいの傑作ぞろい。
表題作『透明人間は密室に潜む』では、世間に〈透明人間になる病〉が流行するという、もう設定の時点で勝ちの物語。薬を飲めば透明化は抑えられるが、主人公・彩子はあえて薬を断ち、透明になることを選ぶ。目的は、密かにある人物を殺すため――。透明化が生むメリットとデメリット(食後に胃が透けるって何…)を活かした、きめ細かな犯罪計画がたまらない。
2話目の『六人の熱狂する日本人』は、裁判員が全員アイドルオタクというぶっ飛んだ設定。なのにしっかりミステリとして成立していて、しかもドルオタ目線で事件を解釈し始めるあたり、笑えるのに推理としてもアリなのがすごい。
3話目『盗聴された殺人』は、“超人的聴力”を持つ助手が登場する、聴覚ミステリ。殺人の音を手がかりに真相へと迫るという変化球ながら、音の情報だけでここまで精緻なロジックを組み立てるとは……思わず唸る。
そしてラストの『第13号船室からの脱出』は、船上での脱出ゲーム中に発生したリアル誘拐事件。ゲームと現実が入り混じる中で、誰が仕掛け人で、何が演出か分からない――という緊迫感に満ちたサスペンスが展開する。
どの物語も、発想は奇抜。でもその土台には、しっかりと本格の技術が詰まっている。だからこそ、驚けて、笑えて、唸らされる。特殊設定×論理のかけ算が生み出すこの面白さ、クセになります。
こんな世界、あるわけない。
でも、こんなミステリなら、何冊でも読みたい。
17.「犯人」じゃなくて、「信用できるのは誰?」―― 芦辺拓『名探偵は誰だ』
朝食のテーブルに並んだ料理は、見た目も香りも文句なし。だけど私の食欲は、完全に失せていた。
だってこの中に殺人犯がいる――それも、4人中3人が共犯で、自分はその「残りの1人」かもしれないから。この食卓は、疑心と恐怖の密室。さて、誰が信用できる?
芦辺拓『名探偵は誰だ』は、「◯◯は誰だ?」という問いをテーマにした全7編の短編集。殺人事件の犯人探しではなく、「信頼できる人物を見抜く」「唯一の生存者を見極める」「真の名探偵を見つける」といった、ちょっと変わった“ターゲット探し”が主軸になっているのが最大の特徴だ。
たとえば『犯人でないのは誰だ』では、共犯だらけの宿泊客の中で、自分だけが標的にされている可能性に震える主人公が、「生き残るために」信じられる誰かを見つけようとする。こんなフーダニット、初めて読んだ……と目を丸くするはず。
他にも、焼け落ちた山荘からただ一人逃れた人物を見極める『生き残ったのは誰だ』、名探偵の正体を巡るひ孫の冒険を描く表題作『名探偵は誰だ』など、アイデアの引き出しがとにかく豊富。舞台も設定も語り口も、それぞれがガラッと変わるから、次はどんな話?とページをめくる手が止まらない。
しかも、ターゲットを見つけ出す方法がまた多彩で、論理的な推理だけでなく、時には直感、腕っぷし、あるいは情に訴える展開もあり、読み味に変化があるのも嬉しいポイントだ。「どんでん返し」というより、「発想の裏を突かれた!」と思わされるオチばかりで、短編なのに読み応えがしっかりある。
一話ごとに構成も結末もがらりと違うのに、どれもちゃんと「フーダニット」として成立しているのがすごい。これは、ミステリを熟知しつくした作者・芦辺拓だからこそできる芸当だ。
「犯人は誰か」だけが謎じゃない。
この本を読むと、推理ってもっと自由で、もっと楽しいものなんだと改めて感じさせてくれるのだ。
18.伏線と感情が連鎖する、変則“犯人当て”―― 片岡翔『その殺人、本格ミステリに仕立てます。』
誰も死なせたくない。でも、舞台はミステリ作家の館。そこで行われるのはマーダーミステリーゲーム。だけどその裏で“本当に誰かが殺される”かもしれない……と聞いてしまったら?
片岡翔『その殺人、本格ミステリに仕立てます。』は、タイトルの通り、殺人を本格ミステリの形に仕立てる物語だ。ただし、殺人を起こさせないために、殺人が起こったように見せかけるという、まさかの逆転構造になっている。
主人公の音更風゛(おとふけ・ぶう)は、ドジでちょっぴり天然な女の子。だけど筋金入りのミステリオタク。ある日、亡き有名作家が遺した“謎の館”でメイドとして働くことになり、そこに現れたのがミステリープランナー・豺(やまいぬ)。そしてふたりは、マーダーミステリーのゲーム中に実際の殺人が仕組まれていることを知る。
だから風゛たちは立ち上がる。本当に人を殺させるくらいなら、こっちから「ミステリの型」で“偽装殺人”をしてやろうじゃないか――と。
死体を演出し、伏線を撒き、トリックを仕込む。すべては“誰も死なせないため”。だが、ことはそう簡単にはいかない。まさかの犠牲者が出て、事態は一気に深刻化。ギャグみたいなやりとりを交えていた空気が、知らないうちにピリピリと張り詰めていく。
そして明かされていく犯人の過去。伏線が回収され、タイトルの意味が裏返り、物語が本格ミステリから心を撃つ物語へとシフトしていく。その流れがとにかく自然で、気づいたら涙ぐんでる読者も少なくないはずだ。
これはただの変則ミステリじゃない。ミステリを愛する人たちが、ミステリの形で誰かを救おうとする、愛の物語なのだ。
笑って、驚いて、泣かされる。
そんな全部入りの一冊が、あなたを待っている。
19.七つの罪とともに、本格ミステリの矛盾に挑む―― 北山猛邦『月灯館殺人事件』
吹雪で閉ざされた山奥の館、次々と見つかる作家たちの死体、しかも首なし、バラバラ、密室。「はいはい、そういうヤツね」と思ったら、むしろそこからが本番だった――。
北山猛邦『月灯館殺人事件』は、あらゆる〈本格ミステリの王道〉をてんこ盛りに詰め込んだような構成で幕を開ける。
主人公は、新作が書けずスランプに陥っている若手作家・孤木雨論。彼が訪れたのは、物書きたちが静かに執筆に取り組む〈月灯館〉。だがそこは吹雪になり、館は完全なクローズドサークルに。そして始まるのが、七つの「大罪」に則った、猟奇的な処刑劇。
「傲慢」「怠惰」「無知」「濫造」「倒錯」「強欲」「嫉妬」――ただの宗教モチーフかと思いきや、これがまた絶妙に作家という存在に突き刺さるテーマなのだ。
密室やトリックの妙味を楽しめるのはもちろんだが、本作の真価はそのメタ性にある。
「なぜ、この館で、作家たちが“ミステリ的”に殺されるのか?」
「犯人は誰か」よりもむしろ、「なぜこの形式が選ばれたのか」を考え始めると、一気にこの作品の奥行きが広がってくる。
王道に見せかけて、王道を分解し、問い直し、再構築する。この小説は、本格ミステリというジャンルそのものを舞台にした、自己批評的な本格とも言える。
古典のオマージュやパロディが随所に織り込まれているので、ミステリ好きなら思わず「ニヤリ」とする場面も多い。でもそのニヤリのすぐあとに、「でもそれって、本当に今の時代に有効なのか?」と鋭く突きつけてくる。痛い。でも癖になる。
ラストに向かうほど、読者の中で「ミステリを読むとはどういうことか」という問いが育っていく。そして読み終えたあと、きっとまた古典を読み返したくなる。新しい目で。
これは、ミステリを愛しているからこそ書かれた、本格の祝福であり、告発でもある。
読めば、あなたの中の探偵小説観が静かに、でも確実に変わる。

20.奇妙な館で呪われた箱を巡る惨劇―― 北山猛邦『アルファベット荘事件』
一夜を過ごせば、何かが起こる――。そんな予感は、洋館「アルファベット荘」に足を踏み入れた時点で確かにあった。
館の至るところに飾られたAからZのアルファベット。そして別館にひっそりと置かれた「創生の箱」。手に入れた者は死ぬと言い伝えられる、呪われた遺物。まさかその中に、翌朝、バラバラ死体が入っているなんて、誰が想像しただろう。
北山猛邦『アルファベット荘事件』は、〈吹雪の洋館×連続殺人〉という王道クローズドサークルに、「呪い」「幻想」「奇術」の要素を詰め込んだ異色の本格ミステリだ。
雪山に閉じ込められた10人の招待客――役者、賞金稼ぎ、犯罪研究者、そして謎の探偵・ディ。どの人物もひと癖もふた癖もあって、読むたびに「全員怪しく見える」仕様。舞台劇のような芝居がかったセリフ回しや、ミステリ好きにはたまらない設定の数々が、序盤からじわじわと不穏さを膨らませていく。
そして箱が開いた瞬間、すべてが変わる。現実ではありえない、でもミステリとしてはアリなトリック。足跡のない殺人、密室の中の死体、空だったはずの箱から突然現れるバラバラ遺体――どれを取っても北山ミステリの醍醐味が詰まっている。まさに「奇想とロジックの美しい衝突」。
何より驚かされるのは、物語の終わり方だ。読者が真相にたどり着いたと思ったその先に、さらにひとつ強烈な仕掛けが待っている。ラスト数ページで世界の見え方がひっくり返るあの感覚は、ちょっと忘れられない。
本作は、北山猛邦の記念すべき初期作品であり、一度は絶版となった〈幻の一冊〉だ。20年越しの復刻というだけでも感慨深いが、今読んでも全く色褪せない鮮烈な一作であることに驚かされる。
「ミステリって、こんなに不気味で、面白くて、美しいんだ」
――そんな原点を、もう一度思い出させてくれる物語だ。
21.あの夏の謎が、密室の中で目を覚ます―― 村崎友『風琴密室』
死体と目が合った瞬間、時間が止まった。再会の笑顔も、懐かしい声も、その視線の前ではただの幻にしか見えなかった。あの日の夏は、こんな形で戻ってくるべきじゃなかったのに――。
村崎友『風琴密室』は、少年時代の甘酸っぱさとほろ苦さを詰め込んだ、青春ミステリである。主人公の凌汰が小学生だったあの夏、野山を駆けまわり、秘密基地を作り、雨という少女と出会い、そして別れた。
だが同じ夏に、兄が川で命を落とす事故が起きている。それから10年。高校生になった凌汰は、母校の廃校をきっかけに、かつての仲間たちと再会することになる。
集まったのは、もうすぐ取り壊されるはずの小学校。ワイワイと始まった同窓会は、台風の接近によって一転、クローズドサークルへと化ける。そして翌朝、仲間のひとりが校舎の屋上プールで変わり果てた姿となって見つかる。
密室、そして水。その状況は、なぜか兄の死と不気味なまでに重なっていた。
本作は、過去と現在を往復しながら、ふたつの密室の謎を同時に追っていく構成になっている。最初はほのぼの青春ものかと思っていたら、いつの間にか本格ミステリの世界にどっぷり沈められているのが面白い。
トリックもきっちりしていて、「えっ、そこが盲点だったの?」と膝を打ちたくなる展開がちゃんと待っている。しかも時折ホラーテイストが混ざる演出が効いていて、ふいに怖さが差し込んでくるのもニクい演出だ。
そしてラスト。
ミステリだと思って読んでいたら、それだけじゃ収まらない、想定外の展開がぐいっと胸を揺さぶってくる。その余韻がじわじわと心に染みてくるのがたまらない。
少年時代の記憶は美化されやすい。でも、忘れていた何かが確かにそこにあった。
そう思わせてくれるこの物語は、ひとりで静かに味わってほしい。
できれば、風の音だけが聞こえる夜に。
22.世界が終わるその前に、ハルは車を走らせた―― 荒木あかね『此の世の果ての殺人』
地球最後の夏に、自動車教習所へ通ってる高校生がいるなんて、誰が想像するだろう。しかも彼女の夢は、「その日」が来る前に、車である場所へ行くこと。ただそれだけの、小さくて大切な願い。
でも世界はとっくに壊れかけていて、街には暴徒があふれ、誰もが「どう生きるか」より「どう終えるか」ばかりを考えていた。
荒木あかねのデビュー作『此の世の果ての殺人』は、江戸川乱歩賞を史上最年少で受賞したことで話題になった、ディストピア×青春×本格ミステリーの傑作だ。
2ヶ月後に地球に衝突する予定の小惑星「テロス」。人類滅亡が確定したその日から、世界はなしくずしに壊れていく。そんな状況の中でも、ハルは車を運転するという夢のため、福岡の教習所に通い続けていた。
だが、ある日突然、教習車のトランクから他殺死体が出てくる。もうすぐ滅びる世界で、一体誰が何のために殺人を犯したのか。命の終わりが見えているのに、なぜ人は誰かを殺すのか。
ミステリーとしても見応えは十分で、手がかりを一つずつ拾いながら、ハルと熱血教官イサガワが真相へと近づいていく。道中には、自殺志願者の集団や暴徒が支配する街、混乱と絶望が支配する光景が広がっていて、「終末のリアル」に震える場面も多い。
それでも物語には、不思議と優しさとぬくもりがある。出会う人たちもみな、人生の最期にちゃんと意味を見出そうとしている。ハル自身も、自分の夢に向かって愚直に前へ進み続ける姿がとても愛おしい。
そして迎えるラストシーン。そこには、「謎解き」と「夢」と「別れ」のすべてが一つになった、静かで胸に残るクライマックスが待っている。
地球が終わるとしても、物語は終わらない。
これは、「最後のミステリー」であると同時に、「最後の希望」の物語でもある。
23.トリックの地雷原に足を踏み入れてしまったあなたへ―― 山沢晴雄『ダミー・プロット』
最初に手首、次に首、そして胴体。まるでジグソーパズルのように、バラバラの死体が街中のあちこちから見つかる――それだけでも十分に不気味なのに、警察が調べたところ、全部ひとりの人間のものらしい。でも、その「ひとり」が誰なのかすらわからないって、どういうこと?
山沢晴雄『ダミー・プロット』は、そんなゾッとするバラバラ殺人から幕を開ける、超本格志向のどんでん返しミステリーだ。もともと同人誌でしか読めなかった伝説の作品が、ついに書籍化された。読み始めたら、もう最後まで一気に突っ走るしかない。
この物語、とにかくいろんな仕掛けがやたら多い。登場人物たちはみんな何かを隠してるし、誰もがちょっとずつ嘘をついている。替え玉を立ててる人物、友人をかばって偽証する人物、遠く離れた大阪で何か企んでる人物……。何が本当で何がウソか、どこまでが事件に関係していて、どこからが煙幕なのか、読者の頭はずっと混乱しっぱなしだ。
だけど、そこにズバッと切り込んでくるのが探偵・砧順之介。スマートに見破っていく彼の推理力には惚れ惚れする。でも油断は禁物。物語の終盤、彼がとんでもない“地雷”を踏みにいく。こっちがすっかり落ち着いた頃を見計らって、最後にもう一発、爆弾が炸裂する。
つまりこの作品、ミステリー好きにとってはまさに罠の見本市。アリバイトリック、視点の反転、巧妙な入れ替え――すべてがコンボのように連なりながら、読者を翻弄してくる。油断したら一発でやられる。
気を抜かずに読み進めて、最後にやられて、それでもニヤッと笑ってしまう。
そんなミステリーこそ、読んだ価値があるというものだ。

24.人間は、命令ひとつで動く装置なのか?―― 松城明『可制御の殺人』
「この女を殺さなければ、また私は負ける」
そんな怖すぎる決意から始まるのが、松城明『可制御の殺人』だ。就職推薦も、彼氏も、ぜんぶ親友の真凛に奪われそうになってる大学院生・千冬が、冷静な顔で殺人計画を立て始めるという、ヤバめの幕開けだ。しかも彼女、工学専攻。つまり殺人方法がガチで理系仕様。無駄がない。精密。怖い。
だけど本当に怖いのは、その裏にいる黒幕の存在だ。名前は鬼界。何かのラスボスかと思うような名前の彼は、工学部に在籍しながら、「人間を制御できるかどうか」をテーマに、実験めいたことを日常的にやっている。
え、人間を制御?って思うかもしれないけど、彼の理屈はこうだ。
「人間の行動も、環境に入力さえすれば、意図通りに出力される」――まるでそれが回路でもあるかのように。
この作品、基本は学園ミステリーの連作短編集なんだけど、1編1編にそれぞれ「鬼界の実験対象」がいて、ちょっとした歪みがどんどん人の行動を狂わせていく。「親友を助けたい」という善意が嘘を生み、「正義を貫く」つもりの行動が誰かを傷つける。読みながら「うわ、自分もこういう罠にハマるかも」ってヒヤッとするんだ。
そして各話で共通するのが、真実に見えて、実は操作された結果だったっていう不穏な展開。誰が自分の意思で動いていて、誰が仕組まれたプログラムなのか、だんだん境目が見えなくなってくる。
だから、読み終えたあとの感覚はちょっと独特だ。ミステリーを読んだはずなのに、まるで心理学と情報工学の講義を受けたみたいな感触。しかも背後にはずっと、鬼界の不気味な笑みがチラついている。
トリックの罠とはまた別種の、「人間理解」という名の迷宮。
あなたの思考だって、どこかで誰かに入力されてるかもしれない――。
25.これは、40年越しの「小説殺人」だった―― 歌野晶午『首切り島の一夜』
「昔書いた小説が、現実になるなんてこと、あるわけない」――たいていの人はそう思うだろう。でも歌野晶午の『首切り島の一夜』では、そんなフィクションめいた展開が、まさかの本当になってしまう。
舞台は、40年前の修学旅行先だった孤島・弥陀華島。還暦間近の高校同窓生たちが、思い出の地に再集結し、旅館で久々の語らいを楽しんでいた。そんな中、ひとりの男が突如語り始める。「俺さ、高校の頃、教師を次々に殺す小説を書いたんだ」って。
皆が笑って流したその夜、嵐が島を閉ざし、男は死体で発見される。え? あの小説、まさか――。
設定だけ聞けば、よくあるクローズドサークルかと思うかもしれない。だがこの作品の妙味は、「過去に書かれた小説」と「現在起きた殺人」との奇妙なシンクロにある。修学旅行を再現した同窓会、そしてそれをなぞるように展開する惨劇。当時の人間関係が微妙に影を落とし、今なお尾を引く“あの頃の感情”が、事件の奥に渦巻いている。
さらに特筆すべきは、構成の巧みさだ。メンバーたちの回想の中にちらつく伏線、それぞれの語りの中に仕込まれた微細な違和感。どこにヒントがあるのかと探しながら読み進めるのが実にスリリングだ。
そしてラスト。事件の真相にたどり着いたと思ったその瞬間、もうひとつ、まさかの罠が明かされる。
えっ、そこにも仕掛けが?と驚かされる演出が、最後の最後に待っている。
カバー裏のある仕掛けも含めて、まさに遊び心に満ちた、これぞ歌野ワールド全開の一冊。
読み終えた後、あなたもきっと、表紙をひっくり返してニヤリとするはずだ。
26.トンデモ推理と学園殺人の饗宴―― 麻耶雄嵩『化石少女と七つの冒険』
もし、化石が好きすぎるお嬢様が、次々と学園で起こる殺人事件をトンデモ推理でかき回しながらも、なぜか全部解決してしまったら……?そんなカオスな光景を目撃できるのが、麻耶雄嵩『化石少女と七つの冒険』である。
舞台は名門ペルム学園。主人公の神舞まりあは、骨の髄まで化石オタクな高校生。部員不足で廃部寸前の古生物部を立て直すため、事件を利用しようとするのだが……この学園、なんか事件が起きすぎじゃない? 密室殺人、焼死体、赤い紐で結ばれた3人の死体――どれもこれも、学園ものの枠を完全に飛び越えている。
そんな非日常を前にしても、まりあの推理は一貫してぶっ飛んでいる。「化石と同じ姿勢で死んでたから犯人はアレよ!」みたいな論理(?)を堂々と展開し、生徒会を犯人に仕立て上げるのがお約束だ。このムチャクチャさに、相棒の彰は毎度ツッコミ役として大忙し。さらに今作では、美少年の新入部員・高萩も参戦し、事件はますますドタバタに拍車がかかる。
それでも毎回しっかり真相にたどり着いてしまうのが、このシリーズの面白さだ。ユーモアとミステリーのバランス感覚が絶妙で、笑わせつつも驚かせてくれる。
そしてラストには、まりあの進路についてのちょっと意外な展開も。あのまりあが……と、しみじみする読者も多いはずだ。
化石と殺人がこれほど似合う女子高生は、後にも先にもまりあだけだろう。
奇想天外で痛快、でもちょっぴり感慨深い青春ミステリー。これだから麻耶雄嵩はやめられない。
27.クイズ、それは人生の断面図―― 小川哲『君のクイズ』
問題文が一文字も読まれないうちに、対戦相手がボタンを押して正解した――そんな場面に出くわしたら、あなたはどう思うだろうか?
「ヤラセだろう」「偶然?」「まさか……未来予知?」
小川哲『君のクイズ』は、そのありえない瞬間をきっかけに始まる、ちょっと異色のミステリーだ。
舞台はテレビのクイズ番組決勝戦。強豪クイズプレイヤー・三島の前で、本庄という男が0文字押し(問題文が始まる前に解答ボタンを押すこと)に成功する。動揺する三島。疑惑にざわつく視聴者。番組の裏に仕組まれた陰謀があるのか、それとも……?
本作はその真相を追いながら、クイズという競技そのものをとことん掘り下げていく。クイズとは何か。知識とは何か。そして、なぜ自分は答えを知っていたのか。本庄が正解を導き出した“理由”は、ただの偶然やひらめきではなく、彼自身の「人生」が関係していた。
そう、この物語は「人生とクイズの重なり」を描いた作品でもある。出題される問題ひとつひとつに、その人だけが持つ記憶や体験が結びついている。問題の調査を通して、自分の記憶を掘り返し、他人の人生の奥深さに触れる。読んでいるうちに、気づけば自分のこれまでまでも振り返らされるのだ。
ミステリーとしての緊張感と、思索小説としての深み。どちらも味わえる稀有な一冊である。
「答えを知る」とは、過去を見つめることなのかもしれない。
そしてその果てに、自分自身のクイズに出会うことがある。
28.無重力の密室で、理屈も重力も通用しない―― 桃野雑派『星くずの殺人』
死体が、宇宙空間で首を吊っていた。
この一文だけでもう、ミステリー好きはゾクゾクしてしまうはずだ。
桃野雑派『星くずの殺人』は、民間の宇宙旅行に参加した6人の男女が、地球の常識が通用しない「宇宙ホテル」で遭遇する異常事態を描いたSFミステリーだ。舞台はホテル「星くず」。そこに到着するや否や、ツアーを率いていた機長が謎の首吊り死体として発見される。
だが、よく考えてほしい。無重力の空間で首を吊るって、どういうことだ? ロープが垂れ下がらないんだから、そもそも吊れないだろうと。そう、これは自殺か他殺か以前に、「物理的におかしい」死に方なのだ。
その不気味さに拍車をかけるように、ホテルのスタッフたちは逃げ出し、残されたのは6人のツアー客と一人のパイロット・土師。閉ざされた宇宙空間で、通信も遮断され、次々と起こる不可解な出来事。この極限の密室サバイバル、手に汗握る展開がノンストップで続く。
トリックの斬新さもさることながら、見どころはもうひとつ。登場人物たちの地球での過去が、少しずつ明かされていくのだ。この人たちはなぜ宇宙に来たのか? 何を背負っているのか? それぞれの動機と秘密が、少しずつ物語を歪ませていく。
そして迎える衝撃のラスト。
〈宇宙〉という極限の舞台で、人間のエゴと謎解きの妙がぶつかり合った結果、〈あの一行〉で思わず息をのむことになる。
空気は薄くても、読み応えは濃い。
この一冊は、想像の重力を完全にぶっ壊してくれる。
29.探偵はいない、でも全員が推理する―― 渡辺優『私雨邸の殺人に関する各人の視点』
ある日、山奥の大豪邸「私雨邸」に集められた11人の男女。資産家の雨目石昭吉が孫たちや旧知のミステリー仲間を招待し、ちょっとしたお披露目会でもするのかと思いきや――まさかの土砂崩れで孤立。しかも、肝心の昭吉本人が殺されてしまう。
そして現場は、がっちり施錠された密室だった。
渡辺優『私雨邸の殺人に関する各人の視点』は、そんな王道のクローズドサークルもの……かと思いきや、そこにひとひねり、ふたひねり入ってくるのがこの作品の面白さだ。
まず最大の特徴は、探偵役がいないこと。そのかわり、登場人物のほとんどが自分なりの推理を始める。各人の視点で語られるそれぞれの主張、理屈、憶測、言い訳……。読み進めていくと、「あれ? さっきと話が違うぞ?」「この人、何か隠してない?」と疑念がどんどん膨らんでいく。
そして中には、やたらテンションが高いミステリー大好き人間がいたり、どこからどう見ても怪しい通りすがりがいたり、そもそも何者かもわからないXという視点まで登場する。もはや読者も、誰の言うことを信じればいいのかわからない。
でも、それがいいのだ。視点が増えるたび、真相はどんどん複雑になる。でもそのぶん、読み応えも抜群。ひとつの事件を何通りにも読み解いていくこの形式、まさに多重推理の魅力が詰まっている。
探偵のいないミステリーは、こんなにもスリリングで、混沌として、面白い。
そのことを思い知らされる、極上の一冊だ。
30.レモンが導くのは、喪失と怒りと、とびきりの地獄―― くわがきあゆ『レモンと殺人鬼』
ひとつひとつ、家族が奪われていく。父は10年前に殺され、母は突然いなくなり、唯一残った妹・妃奈までが、山中でめった刺しの遺体となって発見された。
くわがきあゆ『レモンと殺人鬼』は、そんな絶望のどん底に突き落とされた主人公・美桜の物語だ。
しかも妃奈には保険金殺人の疑いまでかけられ、週刊誌には好き勝手なことを書かれる始末。身内を守れるのは、もう自分しかいない――そう思った美桜は、独自に調査を始める。
最初は、妹の死の真相を追うしんみりした展開かと思いきや、途中から急加速で闇が濃くなる。協力者の存在、出所した佐神の行方、10年前の事件との奇妙な符合――すべてが怪しく絡み合って、美桜の足元を揺らしにくるのだ。
そして物語は後半、見事などんでん返しの連打でギアを上げてくる。あまりにも意外な形で明かされる妹の真実、そして父親の死の真相。何もかもがひっくり返り、読み手の感情はもはや追いつかない。
タイトルにある「レモン」も最初はただの象徴かと思いきや、意味がわかった瞬間に血の気が引く。「殺人鬼」の正体もまた、とんでもなく強烈で、胸をえぐってくる。
これは単なるミステリーではない。復讐でも愛情でもない。人生を奪われた女の物語だ。
苦しみの果てに、彼女が辿りついた場所を、ぜひその目で確かめてみてほしい。
31.儀式と怪異と、そして最後の戦慄へ―― 三津田 信三『忌名の如き贄るもの』
「火葬場へ運ばれる途中に、生き返ったことがあるんです」
そんな話を聞いて、背筋がゾワッとした人は、本作を読む準備ができている。
三津田信三『忌名の如き贄るもの』は、民俗学ミステリーの人気シリーズ「刀城言耶シリーズ」第11弾。今回の舞台は、山奥の閉ざされた村・虫絰村(むしじめむら)だ。そこでは「忌名の儀礼」という、ちょっと聞き慣れない通過儀礼が行われている。
話の発端は、言耶の大学の先輩の婚約者・李千子が語った、14歳のときの体験。儀礼の最中に一度死に、火葬場に運ばれる途中で息を吹き返したという。ウソのような本当の話……かどうかも怪しいが、言耶が村を訪れるタイミングで、その忌名の儀礼がまた行われ、また死者が出る。
首虫だの角目だの、不穏な存在が儀礼に絡んで登場し、ミステリーというより完全にホラーの領域。でも安心(?)してほしい。ここから、ちゃんと謎解きが始まる。村は山に囲まれ、外部との連絡も困難。つまり、おなじみのクローズドサークル状態だ。
誰が、なぜ、どうやって。怪異のせいなのか、人間の仕業なのか。それがなかなか判断できないのがこの作品の醍醐味で、読者はホラーとミステリーの間で右往左往することになる。
そして最後の最後で、ズドンと落ちる。いや、落ちるというより、突き落とされる。これまで積み上げられてきた不安と恐怖が、ある一撃によってとんでもない形で回収されるのだ。
静かに、じわじわと、そしてドカンとくる。シリーズ屈指の破壊力を誇る一冊。読むときは、明るい部屋をおすすめする、

32.告発文が暴く、優秀な若者たちの裏の顔―― 浅倉 秋成『六人の嘘つきな大学生』
これは、就活ミステリーという名の心理バトルだ。
大手IT企業スピラリンクスの最終選考に残ったのは、六人の大学生。いずれも学歴・スキル・人間力、どれを取っても高レベルな精鋭たちだった。だが最後に課されたのは、「この中で誰が最も内定にふさわしいか」を自分たちで決める、というとんでもない試練だった。
議論して、投票して、誰か一人を選び出す。そんな形式だけでも十分キツいのに、事態はさらにひと捻り。選考会場に突如現れたのは、「六人全員に関する告発文」。つまり、誰かの裏の顔を知っている何者かが、彼らの罪を暴露し始めたのだ。
告発の内容は重い。いじめ、中絶強要、過去の非行――どれも表向きのキラキラ優秀な就活生とは思えないようなものばかり。告発文が開封されるたびに空気は変わり、投票の行方もガラリと揺れる。六人の疑心暗鬼と腹の探り合いは、もはやディスカッションという名の心理戦。
犯人探しの要素も濃く、「誰が告発文を仕込んだのか」というミステリーが並行して進むのがまた面白い。誰もが他人を蹴落としてでも内定を取る理由を抱えていて、誰を信じていいかわからない。
しかし、いちばん怖いのは、読んでいるこっちも「うわ、こいつ落ちればいいのに」なんて思ってしまう自分自身だったりする。
青春と就活と犯罪スレスレの告白。
この小説は、思ったよりずっと深くて、ずっと黒い。
33.シンデレラが法廷で無実を叫ぶとき―― 紺野天龍『シンデレラ城の殺人』
「めでたしめでたし」のその先に、死刑判決が待っていたら――。
そんなバカな話、と思いたくなるが、この『シンデレラ城の殺人』は、そんなバカな話を堂々と真正面からやってのけた、とんでもなく面白い一冊だ。
舞踏会の夜、魔法使いにドレスアップされたシンデレラは、カボチャの馬車でお城に向かう……までは童話の通り。だがそこで待っていたのは運命の出会いではなく、王子の死体。しかも現場は兵士が見張っていた密室で、凶器のナイフには、なぜかシンデレラの指紋がベッタリ。おまけに彼女、王子との婚約に猛反対していたという動機まである。
こうしておとぎ話のヒロインは、一夜にして王子殺しの容疑者となるわけだが、このシンデレラがまた一筋縄ではいかない。とにかく口が達者で、屁理屈とロジックの連打。魔法よりも弁舌で戦うタイプのヒロインなのだ。
加えて登場人物のキャラが濃い。姉は大食漢、王子は変態、継母は野心家、裁判官はやる気ゼロ。このブッ飛び具合がクセになる。だが侮るなかれ、物語は意外なほど緻密な本格ミステリー。
兵士がいたのにどうやって殺したのか、血文字の謎とは何か、すべてのピースが最後にビシッとハマる構成は、推理小説としての満足度も相当高い。
笑って読んで、しっかり驚く。
このシンデレラ、ただの魔法じゃ終わらない。
34.探偵と教祖、密室で火花を散らす―― 犬飼ねこそぎ『密室は御手の中』
山奥の宗教施設、信者たちの共同生活、そして密室のバラバラ死体。最初から最後まで、ワクワクするしかないこの設定を、最後にはきっちり「なるほど!」でまとめきる。そんな芸当を見せてくれるのが、犬飼ねこそぎの『密室は御手の中』だ。
舞台は新興宗教「こころの宇宙」。若干14歳の少年・密が教祖を務め、親から受け継いだその座を堂々と守っている。そこへ潜入するのが、女性探偵・和音。冷静沈着なようでいて、なかなか負けず嫌いな性格だ。
で、起こるのが、瞑想室でのバラバラ殺人事件。しかもその部屋、100年前にも修験者が消えたという曰く付き。現場は厳重に施錠されていて、どう考えても犯行は不可能な状況。つまり、ばっちり密室だ。
面白いのはここから。教祖・密が自ら捜査を始め、和音に「助手として働け」と言い放つ。もちろん和音は反発。なにくそとばかりに自分で真相を突き止めようとする。この二人の推理合戦が、とにかく熱い。
相手のミスを見つけては論破し、少しでも推理が甘ければ「それ、論理飛躍してない?」と容赦なくツッコミが入る。子供相手でも手加減ゼロ。だが逆に、密の論理力の高さも只者じゃない。
最終的には、トリックも動機もスッキリ解明。宗教、密室、殺人という重たそうなテーマなのに、読後感はむしろ爽快。「ああ、良質なロジックを浴びた!」って感じだ。
探偵も教祖も、本気で推理するからこそ面白い。
信じるのは神か、証拠か。
あなたの頭も、きっと試される。
35.聖遺物を賭けた、異能VS異能の推理バトル―― 似鳥鶏『推理大戦』
この物語、ぶっ飛んでる。だがそこがいい。
きっかけは、ある日本のミステリーマニアが「とんでもなく貴重な聖遺物」を発見したこと。しかもそれを誰に渡すか、推理合戦で決めようと言い出したのだから、世界中がざわついた。
キリスト教の一大アイテムをめぐって、各国のカトリックや正教会が探偵を送り込み、戦場となったのは――日本。そうして始まるのが、似鳥鶏『推理大戦』だ。
登場する探偵たちが、とにかく濃い。AI並みの計算能力を持つアメリカの理詰め探偵。感覚のすべてで世界を読み取る、日本の五感探偵。時間すら認識から外す、ウクライナのクロックアップ探偵。もう、ジャンプのバトル漫画かと思うくらい異能だらけ。
前半では、それぞれのキャラのバックボーンや思考法が短編のように紹介され、これだけでも一冊のアンソロジーのように楽しい。そして後半、一斉に彼らが集結し、推理で殴り合う「大戦」が開幕するのだ。
ただのトンデモ設定に見えて、実はそのロジックがめちゃくちゃ緻密。ルールと理屈の上で成立する異能が、ちゃんと本格ミステリーとして成立しているのが凄い。
最終的に、誰が勝つのか。そして聖遺物の意味とは何か。
あらゆるジャンルの面白さを突っ込んできた、知と熱量の化け物みたいな一冊。
こんな戦い、見逃す手はない。
36.恋か死か、それが問題だ―― 中村あき『好きです、死んでください』
「好きです、死んでください」――そんなセリフが似合う恋なんて、ロクなもんじゃない。
舞台は、八丈島の沖合30キロ。陸地から遠く離れた孤島で、6人の男女が疑似恋愛をするリアリティーショー「クローズド・カップル」が始まる。だが、ほんの数日でこの島は、愛と欲望と恐怖が渦巻く“地獄のステージ”へと変貌する。
何が起きるのかって? そりゃもう、殺人事件だ。しかも現場は密室。さらに天候不良で島は完全にクローズドサークル状態。よくある設定? いやいや、これはちょっと違う。
中村あきの『好きです、死んでください』は、今どきの恋愛リアリティーと、昔ながらの本格ミステリーを掛け合わせた異色作。とにかく設定がうまい。撮影中という緊張感と、恋愛番組特有の駆け引きが、見事に“殺意”と“疑心”の演出装置になっている。
さらに中盤からは、SNSでの誹謗中傷という現代的なテーマまでぶち込んでくる。誰かが仕組んだ悪意が、ネットを通じてじわじわとメンバーの精神を追い詰め、関係性はますます泥沼化。誰が味方で、誰が敵か。そもそも、誰が人間でいられるのか。
ラブもサスペンスも欲張りたいあなたに、この一冊はうってつけ。
甘さ控えめ、毒強めの恋愛ミステリーを、どうぞお楽しみあれ。
ここには「愛してる」も「助けて」も、もう届かない。
37.探偵は死んだ? いや、ここから始まる―― 斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』
天使が空から降ってきて、すべてをぶち壊した――そう言ってもいい。
この世界では、二人以上を殺した者は問答無用で〈地獄送り〉になる。犯人を告発する必要なんてない。だって天使が勝手に裁いてくれるのだから。そんな世界で探偵はもう必要とされなくなった。無用の長物、過去の遺物。つまり、終わった職業だ。
けれど本作の主人公、元・探偵の青岸は、それでもなお、探偵という存在にしがみついている。そしてある日、孤島・常世島で起きる連続殺人に巻き込まれることで、ついに運命が動き出す。
誰かが殺している。しかも、何人殺しても天使に裁かれない。二人以上を殺した者は地獄送りになるのに、なぜ?
それはつまり、殺人者が天使の目を欺いている、ということだ。探偵がいなくてもよかったはずの世界に、再び「謎」が立ち上がる。しかもこの謎が、めちゃくちゃに面白い。殺害方法も容赦がない。一人はナイフで心臓を刺され、もう一人は槍で喉を貫かれ、さらには井戸の底や、忽然と消える失踪事件まで。
果たして、犯人はどうやって天使の断罪を回避しているのか? 本当に一人の犯行なのか? そして天使とは何者なのか?
トリックもロジックもがっつり詰まっていて、本格ミステリとしての読み応えは十分。それでいて、青岸自身のトラウマや、自分が何者であるかを再確認していく心の旅でもある。つまり、ミステリーであり、成長物語でもあるのだ。
探偵が不要になった世界で、それでも探偵であり続けること。この物語は、その矛盾と誇りに満ちた戦いの記録でもある。
天使が正義を語るなら、人間は矛盾を抱えてなお前に進むしかない――そんな青岸の姿に、胸を打たれるのだ。
38.白骨死体と狂気を詰め込んで―― 門前典之『卵の中の刺殺体』
池の中に浮かぶ、謎の白い卵。それは幻想でも巨大な鳥の巣でもない。中に入っていたのは、右目を鋭利に貫かれた女性の白骨死体だった――。
この時点でもう十分にインパクトはあるが、『卵の中の刺殺体』は、そこからさらに恐怖と謎を積み上げてくる。卵型コンクリートという〈極小の密室〉から始まり、山荘のクローズドサークル、芸術品のように加工された死体、そして連続密室殺人と、次々と事件が連鎖していく。読む手が止まらない、というより、ページをめくる指が震える。
探偵役は、一級建築士で名探偵の蜘蛛手(くもで)だ。ただし今作、彼はほぼ登場しない。その不在が物語をいっそう不安定に、そして面白くしている。代わりに奔走するのはワトソン役の宮村で、彼の困惑や恐怖が、読者の感情と完全にリンクする仕掛けになっているのだ。
そして何といっても、この作品を異様なテンションに引き上げているのが、〈ドリルキラー〉の存在である。人間をバラし、コンクリートに埋め込み、家具にしてしまう。もはや殺人というより悪夢。グロ耐性がないとキツいかもしれないが、逆に言えば、こういう狂気を本格ミステリの枠で成立させてしまう門前典之の手腕は見事というしかない。
終盤、満を持して蜘蛛手が登場し、錯綜する事件の全貌を鮮やかに解き明かしていくくだりは、息を呑む展開の連続。理屈と狂気のせめぎ合いが生み出すカタルシスは最高だ。
奇想、密室、猟奇、そして名探偵。
どれか一つでも刺さるなら、この本を手に取るべき理由は、もう十分すぎるほどそろっている。
39.首のない友情が、夏の終わりに残したもの―― 門前典之 『友が消えた夏 終わらない探偵物語』
その夏、大学の演劇部の仲間たちは、火災に巻き込まれて燃え落ちた合宿所で、白骨死体となって発見された。全員、首なし。まるで舞台のラストを飾る悪夢のような幕切れだった。
犯人らしき人物の遺体も海底から見つかり、事件は「解決済み」とされた――表向きは、だ。しかし、あれから時が流れ、建築士にして名探偵・蜘蛛手の手元に、一本のボイスレコーダーが届く。そこに記録されていたのは、あの事件の「生の声」だった。
本作は蜘蛛手シリーズ第七弾。過去に起きた首なし白骨事件を軸に、記憶喪失女性の拉致事件、執拗なストーカーによる陰湿な犯行が次々に浮かび上がってくる。どれも単体で見れば別々の事件に思えるけど、じわじわと地中で根を伸ばしながら、一本の太い幹として繋がっていく。しかも読者はすべてを「記録」だけで追体験していくので、現場の温度や当事者の感情がじかに伝わってくるぶん、臨場感も異様に高い。
そして、真相が明かされたときのカタルシスといったら! 「まさか」「そう来たか」とページを戻して読み返したくなること請け合いだ。蜘蛛手の冷静なロジックと、記録の裏に潜む人間の弱さ、嘘、欲望。全てが噛み合って、ぞわりとする読後感を残していく。
だが何より強烈なのは、最後の数ページ。宮村に襲いかかるとんでもない危機は、シリーズファンにとっては心臓に悪すぎる。「続きはどこ!?」と本を閉じたあとに叫びたくなること、保証する。
探偵が謎を解くだけじゃ終わらない、終わらせてくれない。
まさに、終わらない探偵物語なのだ。

40.雨の日に生ゴミを燃やす理由とは?―― 米澤 穂信 『可燃物』
雨の日のゴミ捨て場で、なぜか生ゴミだけが狙われる不審火事件。
紙でも木でもなく、燃えにくいものをあえて燃やそうとするなんて、誰が何のためにやるのか――。本作『可燃物』は、そんな「意味不明な事件」の裏に潜む真実を、警部・葛が静かに暴き出す短編集だ。
主人公の葛警部は、とにかく寡黙。余計な言葉を一切発しない。捜査会議でも必要最小限しか話さない。なのにその観察眼と洞察力は凄まじく、誰も気づかない事件の裏側を、いつの間にか見抜いている。言わば、感情を削ぎ落とした機械のような捜査の鉄人だ。無表情のまま事件の核心をつかむその姿は、どこかゾクっとするほど頼もしい。
全5編の短編は、それぞれに「わかりそうでわからない」絶妙な謎が仕込まれている。たとえば表題作では、放火犯の行動がまるで逆説的で、普通の推理パターンでは理解できない。だが終盤、葛がポツリと放つ言葉によって、その奇妙さがすべて合理的に繋がる瞬間がある。この快感が、たまらないのだ。
他の短編も、「凶器がないのに犯人だけはわかる」「複数の目撃証言が、なぜか整合しない」といった、ちょっとしたひっかかりから謎が転がり出す。途中までずっとモヤモヤし続けるのに、最後の種明かしで一気に霧が晴れるこの構造は、まさに米澤穂信の真骨頂だ。
無口な探偵役だからこそ、解決の瞬間の一言が重く響く。思わず「そういうことか!」と声をあげたくなるはずだ。ミステリーランキング三冠を達成した理由も納得の傑作である。
41.その家の間取り、おかしくないか?―― 雨穴『変な家』
「この家、なんか変じゃない?」
間取り図を見せられた時、そんな不穏な空気が漂い始めた――。
本作『変な家』は、オカルト系ライター・雨穴が実際に調査した体裁で語られる、不動産×ミステリー×ホラーの異色作だ。はじまりは、ごくありふれた一戸建ての相談。だがその間取りには、あまりにも奇妙な点が多すぎた。
たとえば、玄関からリビングに入る途中にぽっかり空いた「謎の空間」。二重扉に隔離された子供部屋。窓のない浴室。どれも普通の建築ではまず見ない設計ばかりだ。しかも設計士の知人が言うには「これは偶然ではなく、何かの意図がある」。
そこから推測される仮説の数々が、とにかく怖い。
――子供を外界から遮断するための密室?
――家の中に隠し通路を設けていた?
――浴室は、人を殺すための密室だった?
これだけでも背筋が凍るのに、後半ではさらに別の家の奇妙な間取りも登場。点と点が繋がり、一つの家族の秘密、過去の因縁、呪術的な儀式の存在などが浮かび上がってくる。
文章のスタイルはまるでYouTubeの都市伝説解説を読んでいるようで、一気読み不可避。仮説と考察がどんどん積み上がり、「え、これマジで実在した家なの?」と錯覚しそうになるほどリアルで不気味な構成だ。
そもそも間取りという、誰もが見たことのある身近な図面が、こんなにも恐怖を掻き立てるとは。まさに日常に潜むホラーである。
ネット発の作品がここまでヒットした理由は、ただ怖いだけじゃなく、「そうかも……」と思わせる説得力にある。動画化、書籍化、そしてついに映画化までされたのも納得だ。
次に中古物件を内見する時、あなたは絶対に間取り図をじっくり見るようになるだろう。
42.死んだはずが、しゃべり出す―― 白井智之『そして誰も死ななかった』
密室の洋館、消えた主催者、そして次々と死んでいく招待客たち。
この冒頭だけなら、あの古典的大傑作『そして誰もいなくなった』を思い出す人も多いはず。だが白井智之の手にかかれば、そこからの展開がとんでもなくぶっ飛ぶ。
本作『そして誰も死ななかった』では、五人の推理作家たちが「天城館」に招かれるところから始まる。だが招待主・天城の姿はどこにもなく、館にはミクロネシアの奔拇族の泥人形がズラリ。いやな予感しかしない。
その予感は見事に的中し、作家たちは一人、また一人と死んでいく――が、ここからが本番だ。なんと彼らは死後も意識を持ち続け、自分たちの死の謎を自分たちで解き明かそうと推理合戦を始めるのである。
「え?死んでるのに?」とツッコミを入れたくなるが、すぐに気づく。「そうか、だから誰も死ななかったのか」と。
でもそんな納得もつかの間、今度は泥人形の意味やら天城の正体やら、さらに予想外の展開が雪崩れ込んでくる。
この作品、常識が通用しない。でも、めちゃくちゃ面白い。死者たちによる推理バトルは、作中の登場人物たちが全員ミステリ作家という設定もあって、論理とロジックがとにかく濃密。そして何より、彼らの視点で語られる死の体験が、どこか切なくて不思議と感動すら湧いてくる。
一度読み始めたら最後、泥人形の視線が気になってページをめくる手が止まらなくなること請け合いだ。
ミステリのセオリーをぶち壊しながらも、なぜかしっかり本格してる。
そんな不思議な物語を、ぜひ味わってみてほしい。
43.名探偵は“神”を裁けるか―― 白井智之『名探偵のいけにえ』
最初の数ページで、読者は完全に凍りつく。
ガイアナ共和国のジャングル奥地で、教祖と914人の信者が、毒をあおって次々に命を絶っていく。悲鳴、痙攣、泡、喉を掻きむしる音。これは現実に起きた“あの事件”を想起させるほど、容赦のない描写だ。
だが、これがただの悲劇では終わらないのが白井智之の恐ろしさである。物語はこの大量自殺事件の前日譚に遡り、名探偵・大塒(おおとや)が、失踪した助手・りり子を追ってジョーデンタウンに潜入する場面から本格始動する。
この町は、奇跡信仰で支配されたカルト教団の聖域だ。病気は祈りで治る、死も奇跡で回避できる――そんな狂信のなかで、次々と起きる密室殺人。
なぜ人は死んだのか? どうやって殺されたのか? 何より、「なぜ奇跡の町で、こんなにも人が死ぬのか?」という根源的な違和感が、じわじわと胸を締めつけてくる。
やがて明らかになる、「名探偵のいけにえ」というタイトルの意味。これはただの言葉遊びではない。とてつもない悪意と構造が仕掛けられた、倫理を問う極限のどんでん返しだ。読者は名探偵・大塒の推理の先に、震えるような結末を目撃することになる。
正義とはなにか。
奇跡とはなにか。
名探偵とは何を救う者なのか。
読み終えたあと、しばらく放心すること請け合いの本作は、2023年の本格ミステリランキング第1位も納得の、超弩級の問題作だ。
怖いもの見たさではなく、目撃者になる覚悟で、ページをめくってみてほしい。
44.罪と向き合う、その先に―― 五十嵐律人『法廷遊戯』
遊びのつもりだった。けれど、踏み込んでしまったのだ。罪という、戻れない場所へ。
〈無辜(むこ)ゲーム〉と名づけられた模擬裁判は、ロースクールの学生たちの間でブームになっていた。事件をでっちあげ、学生同士で裁き合う。ルールはシンプル。でも、扱うのは“本物の痛み”だ。プレイヤーの過去、秘密、罪——そのすべてがゲームの材料になる。
主人公の清義も、そのゲームに参加した一人だ。幼なじみの美鈴とコンビを組みながら、自身の隠してきた過去と否応なく向き合わされていく。やがて、模擬だったはずの裁判は、現実の事件と不穏に重なりはじめる。
ゲームの仕掛け人だった馨が、本当に殺されてしまったのだ。そして容疑者として逮捕されたのは、美鈴。彼女を弁護することになった清義は、法廷という舞台で、真実と向き合うことを強いられる。けれど、美鈴は語らない。あの日、何があったのか。なぜ、誰が、どこまで知っていたのか。信じていたものが、静かに崩れていく。
本作は、青春ミステリから法廷劇へと、ジャンルを横断しながら読者の足元をさらっていく。真相にたどり着いたとき、目の前に現れるのは「法では裁けない領域」だ。罪と赦し、正義と後悔。そのどれもが、簡単には片づけられない。
でも、だからこそ胸に残る。読み終えたあと、ただ痛いだけじゃない。前を向くことの尊さが、じんわりと染みてくる。弁護士でもある著者だから描けた、リアルで切実な問いがここにある。
これは、遊びじゃない。これは、生きることそのものだ。
45.虫好き探偵が拾いあげる、ささやかな痛みと光―― 櫻田智也『蝉かえる』
蝉の抜け殻を見ると、ちょっと切なくなる。短い地上生活を終えて、どこかへ行ってしまった命の痕跡。櫻田智也『蝉かえる』には、そんなふうに、ふとした瞬間に胸を締めつける情景がいくつも出てくる。
主人公は昆虫を愛し、各地を巡る青年・魞沢(えりさわ)。彼が旅先で出くわすのは、幽霊の噂が残る被災地や、団地で起きた傷害と交通事故の謎、そしてペンションで出会った中東青年の転落死。全5編が収録された連作短編集だ。
といっても、血なまぐさい事件が次々起こるわけではない。むしろこの作品は、「なぜそんなことが起きたのか」という人間の奥にある痛みや孤独に、じんわりと触れていく。虫好きな青年の視点がちょっとズレていて、それが絶妙な温度で謎にアプローチしてくるのも面白い。
事件そのものよりも、そこに至った経緯や、登場人物の心の在りようがじっくり描かれるから、読み終えた後には不思議とあたたかい気持ちが残る。とくに表題作『蝉かえる』と、少年時代の魞沢を描いた『ホタル計画』には涙腺を直撃される。ああ、人ってこんなふうに誰かを想ってるんだな、としみじみ思えてくる。
第74回日本推理作家協会賞&第21回本格ミステリ大賞、ダブル受賞も納得の一冊。
虫が苦手でも大丈夫。
この物語のあたたかさは、誰の心にもすっと入り込んでくるから。

46.命の重さに、種族は関係あるのか?―― 須藤古都離『ゴリラ裁判の日』
もし、あなたの大切な家族が射殺されたとき、その理由が「人間の命を守るため」だったら。
しかも相手は、言葉を話し、知性も感情もあるゴリラだったとしたら――。
須藤古都離『ゴリラ裁判の日』は、そんな衝撃的な導入から始まる。主人公はゴリラのローズ。動物園で夫を失い、たった一人で人間を相手取った裁判に挑む。だが敗訴。命の重さは人間>ゴリラという不条理な現実に、深く傷ついたローズは動物園を出て、人間社会で生きることを決意する。
こう書くと「えっ?」と思うかもしれないが、ローズはただのゴリラじゃない。人語を解し、手話を操り、数学や論理思考までできるスーパー知能の持ち主。人間の友人と交流を深め、カフェでお茶を飲み、仕事までこなす。
そんな彼女の姿はユーモアたっぷりでありながらも、妙にリアルで切ない。人間に似ているほど、人間になれないことの哀しみが際立つのだ。
人間社会で傷つき、学び、笑い、時に恋をしながら、ローズは再び裁判に立つ。二度目の裁判は、ただのリベンジではない。命の尊さ、共存の可能性、そして「私は誰かを愛したことがある」という、シンプルで力強い叫びのための闘いだ。
荒唐無稽な設定なのに、どこまでもリアルに響く。笑って、泣いて、考えさせられる。これは、法廷劇の皮をかぶった命の物語である。
第64回メフィスト賞、満場一致での受賞も当然の傑作だ。
ローズの叫びに、どうか耳を澄ませてほしい。
47.推理は他人まかせで決まる!―― 大山誠一郎『ワトソン力』
こんな「能力者」がいてたまるか――。だが、読んでみると妙に納得してしまうのが『ワトソン力』の恐ろしさだ。
主人公・和戸刑事は、どう考えても普通の人。推理が冴えているわけでもなく、派手な活躍があるわけでもない。にもかかわらず、なぜか次々と事件が解決されていく。しかも和戸の周囲20メートル以内にいる誰かが、スパッと名推理を披露して。
実はこの和戸、特殊な体質(?)の持ち主だった。彼の近くにいると、なぜか推理力が爆上がりしてしまうという〈ワトソン力〉の持ち主なのだ。つまり、自分では解けないけれど、近くの誰かが代わりに見事な推理をしてくれる。なんて都合のいい――いや、なんてユニークな設定!
収録されている全7編、どれも本格ミステリーの醍醐味をギュッと凝縮したような短編揃いだ。赤い十字架が並んだ密室殺人、毒入りワイングラスのロシアンルーレット、推理作家が殺される展覧会会場など、舞台設定もトリックもバラエティ豊か。しかも毎回、和戸の周りで「新しい名探偵」が誕生するので、読んでいて飽きがこない。
ときどき“迷探偵”も混ざってくるあたり、ギャグのセンスも抜群だ。理詰めなのに脱力系という、この絶妙なバランスが病み付きになるのだ。ライトな文体でサクサク読める一方で、論理性は本格ミステリの王道。「推理小説って、やっぱりこうでなくっちゃ」と思わせてくれる。
自分じゃない誰かが謎を解くのに、なぜか和戸の株が上がっていく――。これはもう、ズルいのに清々しい。
結局、和戸はひとつも推理していないのに、すべての事件が解決していく。
本人が一番びっくりしているかもしれないけど、読んでいるこちらは楽しくてしょうがない。
こんな探偵(じゃないけど)も、アリです。
48.記憶喪失の死者たち、天国で謎を解く―― 五条紀夫『クローズドサスペンスヘブン』
ビーチリゾートで目を覚ましたら、自分はもう死んでいた――しかも、誰かに首を斬られて。
名前も年齢も、過去のことは何ひとつ覚えていない。ただ、自分が殺されたという事実だけが、妙にリアルに胸に残っている。そんな衝撃の幕開けから始まるのが、五条紀夫『クローズドサスペンスヘブン』だ。
気がつけば目の前には古びた洋館、そして同じように殺されて記憶を失った男女が5人。どうやらここは「天国」らしい。そしてこの世界では、無念を晴らさなければ成仏できないというルールがある。つまり、自分たちが死んだ理由を突き止め、犯人を見つけなければならないというわけだ。
設定だけでもう面白いが、さらに熱いのが登場人物たちの心理戦だ。6人全員が同じ事件で死んでいて、誰かが嘘をついている。なのに真相に近づくためには協力しなければならない。信じたいのに疑わずにいられない、そんな空気のなかで、少しずつ真実があぶり出されていく。
この天国がまたよくできている。毎朝届く新聞には、現世での捜査状況が載っていたり、望めばどんなアイテムでも出てくる納戸があったりと、謎解きのギミックとして機能しまくる。ややファンタジックではあるが、ちゃんと論理的なミステリーとして仕上がっているのが嬉しい。
そして終盤、すべてがつながった瞬間のカタルシスは極上だ。「天国だから安心」と思っていたら足元をすくわれるような、鮮やかな転調が待っている。
新潮ミステリー大賞の最終候補に選ばれ、早くも話題になった本作。「死んだあとの謎解き」という突飛なアイデアを、ここまで理詰めで面白く仕上げたセンスに拍手を送りたい。
次に来るのは、きっと地獄からの挑戦状かもしれない。
49.推理は、サイコロと沈黙の少女とともに―― 井上悠宇『不実在探偵の推理』
名探偵は、しゃべらない。動かない。そもそも実在していない。それでも事件は解ける。サイコロさえあれば。
井上悠宇『不実在探偵の推理』は、ちょっと風変わりなロジック・ミステリーだ。探偵役のアリス・シュレディンガーは、“不実在”。大学生の現にしか姿が見えず、声も聞こえない。でも、彼女は天才だ。ただし意思の伝達手段は「サイコロのみ」という不自由極まりない条件つき。
サイコロの目は4種類。「はい」「いいえ」「わからない」「関係ない」。
刑事の百鬼や烏丸、そして現がアリスに質問を重ね、サイコロの目の出方から少しずつ真相へと迫っていく。つまり、重要なのは「何をどう訊くか」だ。そして、答えの裏に何を読み取るか。ミステリーの醍醐味である「思考の組み立て」が、ここまで濃密に描かれた作品はなかなかない。
事件も一筋縄ではいかない。たとえば、藍の花を握りしめて死んだ女性の謎や、宗教施設で見つかった血まみれの眼球オブジェなど、不気味さと奇妙さが絶妙に絡む。水平思考、つまり枠にとらわれない発想が問われるから、読みながら自分も謎解きに参加したくなってくるのだ。
一見すると突飛な設定だが、読み進めるほどにこの形式にハマっていく。アリスの沈黙と、ダイスの目が持つ“余白”が、かえって想像力を刺激する。しゃべらない探偵が、こんなにも雄弁だとは誰が思うだろう。
型破りなのに、妙に論理的。新しい探偵小説のかたちが、ここにある。
50.嘘と真実のあいだにある、バールという名の優しさ―― 青本雪平『バールの正しい使い方』
誰だって一度は嘘をついたことがあると思う。子どもなら、なおさらだ。見栄、寂しさ、ちょっとしたイタズラ心――その裏にはたいてい、誰にも気づかれたくない本音が隠れている。
でも、その嘘を誰かに見抜かれてしまったとしたら? 優しく手を差し伸べられるのか、それとも心の奥まで踏み込まれて、傷つけられるのか――。
青本雪平『バールの正しい使い方』は、小学校を転々とする少年・礼恩(レオン)が、転校先で出会う子供たちの“嘘”を暴いていく全6編の連作短編集だ。礼恩は、空気を読み、人間関係にするりと入り込むのが上手い。けれどそれは、彼が人の嘘や違和感にとても敏感だということの裏返しでもある。
登場する子供たちは、タイムマシンの話を本気で語ったり、友達に嫌われたいと願ったり、誰かをバールのようなもので殴ったという噂があったりと、どれも一筋縄ではいかない。それでも礼恩は、その嘘の中にある真実を見抜こうとする。時に優しく、時に残酷に。
この物語のキモは、礼恩の洞察力そのものというよりも、暴くという行為の意味にある。真実を知ることは、果たして誰かのためになるのか。それとも、ただの自己満足に過ぎないのか。礼恩は、そんな問いを何度も突きつけられる。
中でも印象的なのは、タイトルにもなっている「バール」の扱いだ。物理的な凶器というよりも、人の心に介入するための象徴のように描かれていて、読み終えるころには「バールってそういう意味だったのか」と、はっとさせられる。
ただの児童ものと思っていると、不意打ちを食らう。優しさと痛みが同居する、静かな名品だ。
おわりに
というわけで、国内ミステリー小説の中から「これは面白かった!」と心から思えた50冊を紹介してきた。
もちろん、まだまだ語り足りない作品も山ほどあるし、これからまた新しいやばい一冊に出会ってしまうんだろうなとも思う。でも少なくとも、今この瞬間の自分が全力でおすすめできるのは、この50冊だ。
どれも「読んでよかった」と思えるものばかり。トリックに驚くもよし、伏線回収にニヤニヤするもよし、登場人物の闇にぞっとするもよし。とにかく、ミステリの快感が詰まってる。
この記事が、あなたの次の最高の一冊に出会うきっかけになればうれしい。また何かとんでもないミステリに出会ったら、またこうやって語りにくる。
ではでは、良き読書を!



