小林泰三(こばやし やすみ)の小説を一言で説明するのは難しい。
ホラーを読んでいたはずが、いつのまにか本格ミステリになっている。SFだと思っていたら、哲学的な問いが突きつけられる。
ジャンルの境界なんて最初から無視しているような作風だが、それでいてどの分野でもトップクラスに面白い。とにかくすごいのだ。
論理でガチガチに固めた世界に、じわじわと滲み出してくる恐怖。ありえないはずの出来事が、圧倒的な説得力で迫ってくる。
読むたびに、「こんな発想アリかよ……」と驚かされ、最後には必ず唸らされる。
この記事では、小林泰三の中でもとくにおすすめの15作品を紹介する。
ミステリ好きも、ホラー好きも、SF好きも、全員に読んでほしい。
読むたびに世界がひっくり返る、そんな作品ばかりだ。
1.『玩具修理者』 ――壊れたのは玩具か、人間か
「小林泰三といえばこれだろ」と言いたくなるのが、この短編集『玩具修理者』である。表題作に加え、SF仕立ての『酔歩する男』を収録した、まさに名刺代わりの一冊だ。
まず『玩具修理者』。壊れたものなら何でも直すという謎の男の話。壊れた猫ですら、直してしまうらしい。死んだ猫をどうやって直すのか? という時点でちょっと引くのに、主人公が持っていった“あるもの”が、またえげつない。
真夏のうだるような暑さ、腐臭、歪む視界。そんな描写が、ページをめくるたびに脳に染みついてくる。ホラーというより、もはや感覚そのものが崩れていくような読書体験だ。
いったい「直す」とはどういうことか? それがわかった瞬間、ただの怪談では済まない何かが心に突き刺さる。怖さとグロさの奥に、妙に哲学的な問いまで見えてきて、読後にざらっとした何かが残る。
続く『酔歩する男』は、これまたひと筋縄ではいかない話。タイムリープや多世界解釈をベースにした、理詰めのSF的構造を持ちながら、やっぱり不気味で気味が悪い。ホラーなのか、SFなのか、読みながら脳がじわじわ焼かれていく感覚がある。
小林泰三は、理屈で脅してくる。論理的に説明されればされるほど、こちらの理解が追いつかなくなって、その“ズレ”が不安と恐怖を生む。言葉の精度が高すぎて、イメージが脳にダイレクトに流れ込んでくるのも、彼の文体の特徴だ。
どちらの作品も、短いページ数にしては記憶への残り方が異常だ。正直、ホラーが苦手な人は夜読まない方がいい。脳裏に焼きつく映像が、何日も離れないから。
でもその怖さが、たまらなく気持ちいい。怖いものを読みたいなら、いや、怖いものを“感じたい”なら、まずはこの本を手に取るべきだ。
ホラーとSFのはざまにある、小林泰三の異常な才能が、ここには詰まっている。
2.『人獣細工』 ――「人間」と「動物」のあいだで
『人獣細工』は、読んでいてぞわぞわする。グロ描写もなかなか強烈で、内臓の奥からヒヤッとする。表題作はその名の通り、「人」と「獣」を繋ぎあわせたような物語だ。
主人公の夕霞は、臓器移植を繰り返して生きてきた少女。小さな頃からずっと手術を受け、体には無数の傷跡がある。でも、あるとき彼女は気づいてしまう。自分の中にあるのは人間の臓器じゃない。なんと、ブタの臓器だと。
それを知ったときの彼女の気持ち。怖いとか気持ち悪いとか、そんな単純な感情じゃ済まない。それまで自分だと思っていた体が、実は「何かのパーツの寄せ集め」だったとしたら? しかもそれを与えたのが、愛する父親だったとしたら?
父の「愛」と「科学」が、こんな形で彼女に降りかかるという残酷さ。でもそれが現実にありえそうな話に感じるのが、小林泰三のすごいところだ。ほんの少し先の未来、あるいは別の世界で、本当に起こっていそうなリアルさがある。
ほかにも『吸血狩り』『本』という短編が収録されていて、これまたどちらも異色の仕上がりだ。吸血鬼ネタもただの怪奇では終わらず、「それって生きてるって言えるの?」という感覚を揺さぶってくるし、『本』なんかは読書という行為そのものを疑いたくなるような一撃が飛んでくる。
この短編集は、小林泰三の中でも「えげつなさ」はやや抑えめ。でも、精神にじわじわくる怖さは健在だ。読むと、自分の身体のことや、親のこと、あるいは“人間”という存在そのものが気になって仕方なくなる。
読み終わったあと、しばらく自分の胸に耳を当てて、何が鳴っているのか、確かめたくなるような本だ。
3.『脳髄工場』 ――その思考は誰のもの?
この短編集『脳髄工場』は、読めば読むほど頭の芯がじわじわと侵されていくような感覚になる。
表題作『脳髄工場』では、〈人工脳髄〉という不穏なテクノロジーが登場する。犯罪を防ぐために、脳に装着して感情を抑制する人工の装置。しかも、それがこの世界では当たり前になっている。大人になれば、誰もがそれを装着する。いや、させられる。
けれど、登場人物の少年と親友は、それを拒む。自分の感情は、自分で守りたい。誰かに制御されるなんてまっぴらだ。そうして〈天然脳髄〉を選ぶ二人だったが、あるとき親友が装着を強いられたことで、すべてが変わってしまう。目の前にいるはずの彼が、もう“彼”じゃないように見えるのだ。
SFの形をしているが、描かれるのはきわめて人間的な心の揺れだ。感情を抑えることは悪なのか? 自由を守るとはどういうことか? 技術の力で“良い人間”になれるとしたら、それを受け入れるべきなのか? そんなことを考えずにはいられなくなる。
『脳髄工場』は、こうしたテーマを扱った短編を含め、11篇を収録した濃密な短編集だ。どれも小林泰三らしく、ゾクッとする設定に支えられながら、人間の奥底にある葛藤や孤独がえぐり出されていく。グロテスクな描写は控えめだけど、じわじわ来る不快感と不安定さは、まさに“脳を揺らすホラー”。
読んでいるうちに、自分の思考が本当に自分のものかどうか、不意に疑いたくなる。
そういう意味で、この本自体がひとつの〈人工脳髄〉なのかもしれない。
思考を制御するためじゃなく、逆にむき出しにしてしまうための。
4.『アリス殺し』 ――夢で殺されると、現実でも死ぬ世界
「夢オチ」なんて言葉があるけれど、この作品に限ってはそんな生ぬるい話じゃない。小林泰三の『アリス殺し』は、夢の中で人が殺されると、現実でも死ぬ。そんな物騒すぎる“夢と現実のリンク”が描かれた、奇想と恐怖に満ちたファンタジー×ミステリ小説である。
モチーフはもちろん『不思議の国のアリス』。チェシャ猫は出てくるし、帽子屋もいる。会話はちぐはぐ、論理はぶっ飛び。だがこの“異常な世界”が、現実の死とガッチリつながっているところが本作の真骨頂だ。ふざけた世界に見えて、誰かが笑ってる隣で誰かが本当に死んでる。このギャップがまず怖い。
物語は、夢の中のアリス(と名乗る主人公)が、不条理だらけの裁判や怪しい住人たちに翻弄されながら、殺人事件の謎を追っていく。現実世界では警察が捜査を進め、ふたつの視点が交差しながら物語が進んでいく。気がつけば夢と現実の境界があやふやになってきて、読み手も「え、今どっち?」と戸惑い始める。その混乱すら、この作品の仕掛けのひとつなのだ。
ミステリとしても抜群の出来で、ちゃんと伏線も張られているし、二転三転する展開に「おっ」となる場面も多い。けれどグロ描写もそこそこあるので、うっかり“童話っぽいから軽い話だろう”と思って読むと、足元をすくわれる。かわいさの皮をかぶったホラー、と言ってもいい。
それでもキャラクターの会話が中心なので、読みやすさは抜群。文章のテンポもいいし、ミステリ初心者でもスイスイ読める。気がついたらアリスになった気分で、物語に取り込まれているはずだ。
夢と現実のあわいで起こる連続殺人。幻想の論理と現実の死。そんな“ねじれた世界”で謎を追う体験は、ほかでは味わえない。
童話だと思って読むと火傷する。けど、それがまた最高だ。
4.『クララ殺し』 ――車いすの少女が、夢と現実をかき乱す
『アリス殺し』に続くシリーズ第2弾。今度の主役は、あの物語でひょうひょうと登場していた井森。夢の中ではトカゲのビルという、ちょっと頼りないけど愛嬌あるキャラだ。
彼が今回迷い込んだのは、草原がどこまでも続く、どこか懐かしいような異世界。そこにいたのが、車いすに乗った少女「クララ」と、つきそうおじいさん。……まるで『アルプスの少女ハイジ』だ。
ところが、現実でも「くらら」という名の車いす少女が現れて、「脅されてるんです」と相談してくる。あれ? こっちもクララ? 夢と現実がまたリンクし始めてる。これはもう、“あの感じ”だ。境界がぐにゃぐにゃに溶けて、こっちの認識を揺さぶってくるやつ。
今回のモチーフは、ホフマン。『くるみ割り人形』『砂男』『スキュデリ嬢』など、幻想文学好きにはおなじみのあれこれが詰め込まれている。知ってる人にはニヤリとくる要素だし、知らない人は「え、なにこれ?」と戸惑うかも。でも大丈夫、井森=ビルもずっと戸惑ってるから。読者は彼と一緒に、頭をひねって進めばいい。
会話主体でテンポよく進むスタイルは前作と同様。ふわっとした童話感と、グロいミステリ感が不思議と同居してる。このバランス感覚は小林泰三ならではだろう。もちろん、ミステリとしてもトリックが光る。気を抜いていると、後半であっさり騙される。
今回も「ファンタジー風の論理ミステリ」として、ガッツリ頭を使わせてくれる。クララが、くららが、井森が、そして夢が、現実が、どこまでが嘘で、どこまでが本当なのか。読者もまた、奇妙な草原をさまようことになる。
油断して読むと足元すくわれる。でも、それが気持ちいい。
6.『ドロシイ殺し』 ――魔法と死体と、蜥蜴のビル
『アリス殺し』『クララ殺し』に続くシリーズ第3弾。今回も、現実では冴えない井森が、夢の中ではなぜかトカゲのビルになって、奇妙な事件に巻き込まれる。
舞台は、どこまでも続く砂漠の国。そこで彼が出会うのが、少女ドロシイと、かかし、ブリキの木こり、臆病なライオン――そう、今回は『オズの魔法使い』がまるごとモチーフだ。
ただし、もちろんふつうの童話では終わらない。物語の核心は、オズマ女王の宮殿で発見された一体の死体。ファンタジー世界ど真ん中で、なぜ、どうやって、誰が殺したのか? というか、そもそも死体がある時点で、オズの国はもう「ただのメルヘン」じゃない。
現実世界でも不可解な出来事が起き、ふたつの世界は次第に重なっていく。どこが夢で、どこが現実なのか。そんな境目を揺らがせながら、謎はじわじわと展開していく。
本作は、前2作よりもシンプルな構造になっていて、元ネタも『オズの魔法使い』ひとつに絞られているぶん、物語に入り込みやすい。その一方で、小林泰三お得意の“ちょっと理不尽でグロめな展開”もしっかり健在。油断すると、ポップな見た目に裏切られる。
さらに、過去作『玩具修理者』や『酔歩する男』のエッセンスも随所ににじみ出ていて、ファンならニヤリとできる小ネタも。シリーズものとして読むと、世界観の輪郭が少しずつ明らかになっていく楽しさもある。
可愛いキャラと残酷な現実。童話と論理。幻想と死。そんな矛盾が、ぎりぎりのところで同居しているのが、この作品の面白さだ。『オズの魔法使い』を知っている人こそ、その捻じれっぷりに驚かされるだろう。
おとぎ話の皮をかぶった異形のミステリ。その結末を、あなたもビルと一緒に覗いてみてほしい。
7.ティンカー・ベル殺し』 ――無邪気な殺意と、最後の夢の国
「メルヘン殺し」シリーズ、ついに第4作。今回も主人公・井森は夢の中でトカゲの“ビル”になり、不穏なファンタジーの世界に迷い込む。舞台は、そう――あの〈ネヴァーランド〉。でも、安心してはいけない。ここでは大人と子どもが平然と殺し合い、血が流れ、正義もモラルも機能していない。
そして一番の驚きは、あのピーター・パンがまさかの殺人鬼として登場することだ。しかも彼は、自覚ゼロ。無邪気に笑いながら、海賊も妖精もブッコロす。これがまた、原作に忠実だからタチが悪い。実は「ピーター・パン」って、よく読むとけっこうヤバい話なのだ。
そんな世界でティンカー・ベルの惨殺事件が発生。真っ先に疑われるのは当然ピーター・パンなのだが、彼は井森と一緒に「犯人捜し」に乗り出す。とんでもない殺人者が探偵を名乗るというこの狂気。もう何が正しくて何が間違ってるのか、さっぱりわからない。
今回のキーワードは「双子」。この設定がラストに向けてじわじわ効いてくる。キャラクターも多いし、どんどん人は死ぬし、グロ描写もフルスロットル。優しい童話なんて一切出てこない。小林泰三ファンにとっては、まさに「ご褒美」仕様だ。
そして何より、本作でついに“アーヴァタール”という異世界の正体が明かされる。シリーズを追ってきた読者にはたまらないご褒美だ。ただ、それと引き換えに、これは作者の遺作でもある。もうこの夢の国には、誰も新しく迷い込むことはできない。
だけど、ページをめくればいつでもそこにビルがいる。殺人鬼のピーター・パンが、犯人捜しを始める。ファンタジーと死、論理と夢、子どもと大人。その境界線で揺れる最後の一作を、ぜひ読んでほしい。
残酷で、哀しくて、でも最高に面白い。
8.『わざわざゾンビを殺す人間なんていない。』 ――死と論理が同居する、ゾンビ本格ミステリ
ゾンビが世界を覆っている――そんな一文で始まる物語は、たいてい終末的でグロくて救いがない。しかし、この作品は違う。
ゾンビがいて当たり前、死んだらゾンビになるのが当然、という“日常にゾンビが組み込まれた”世界。そこでは、ゾンビは家畜として飼われたり、野良としてそこら中を歩き回ったりしている。不気味だけど、どこか滑稽でさえある。
そんな世界で起きたのが、ある研究者の〈突然のゾンビ化事件〉。場所は密室。殺された形跡もないのに、死んでゾンビになった。これって事故? それとも殺人? いや、そもそも「ゾンビになる=殺された」とは限らないこの世界で、殺人って成立するのか?
この理不尽極まりない謎に挑むのが、探偵・八つ頭瑠璃。設定は突飛でも、彼女の推理は実に冷静で論理的。非日常の中に理性を持ち込むという、このアンバランスさがたまらない。
本作のすごいところは、荒唐無稽な世界観が、読んでいるうちに「まあそういうもんだよな」と納得できてしまう点にある。ゾンビが現れても誰もパニックにならず、飼っていたゾンビが逃げたからって警察もあんまり慌てない。その空気感がクセになる。
そして、ミステリとしての出来も見事。ゾンビという設定を使ったトリックは、“死体”の定義そのものを揺るがせる。グロさよりもアイディアの切れ味で読ませるこの構成、さすがは小林泰三。ブラックユーモアも効いていて、読み終わった後に「うまいことやられたな」とニヤリとしてしまう。
ゾンビものにありがちな絶望もホラーもなく、それでいて本格ミステリとしてしっかり成立しているという稀有な一冊だ。現代の死生観をひっくり返すような発想が詰まっている。
ゾンビ嫌いもミステリ好きも、一度読んでみて損はない。
9.『失われた過去と未来の犯罪』 ――記憶の喪失は、世界の再構築
「記憶が10分しかもたない世界」――この設定だけで、だいぶ頭が混乱する。でも、その世界で人々はちゃんと(?)生きている。記憶を保存する外部装置がないと、会話の途中ですら何の話をしていたか忘れてしまう。そんな不安定な日常が、この小説では“当たり前”なのだ。
『失われた過去と未来の犯罪』は、そんなぶっ飛んだ舞台設定の中で、人間とは何か、自我とは何か、そして犯罪とは何に対して行われるものかを問う、ブラックで哲学的なSFミステリである。
記憶が保存できない。だから、人間は外部装置に頼る。だが、装置の管理は誰がするのか? そして、記憶が他人の体に移植されるようになると、体と心の一致が崩れ始める。「この身体に入っている記憶が、自分を名乗ることは許されるのか?」――そんな倒錯が、当たり前のように横たわっている。
しかも、この設定でユーモアがあるのがすごい。記憶を10分しか保てない人間同士の会話は、ちょっとしたコントのようでもあるし、その滑稽さが逆に人間の可笑しさや哀しさを浮かび上がらせる。
トリックの発想もぶっ飛んでいる。記憶が不確かな世界で、どうやってアリバイを証明するのか。犯行の動機は「記憶」なのか「身体」なのか。読み進めるうちに、現実の感覚がどんどんずれていくが、それが心地よくもある。
この本は、リアルな倫理観を持ち込んだら負けだ。正しさとか間違いとか、そういう既存の枠組みを捨てて、“この世界のルール”の中で考えることが求められる。だからこそ、読了後に残るのは、軽い混乱と、そして妙にしみつく問いかけである。
記憶を失った先に残る“自分”とは何か。その答えを求めて、この奇妙で精密な世界を旅してみるのも、悪くない。
10.『未来からの脱出』 ――“そこ”は本当に老人ホームなのか
「気がつけば、森に囲まれた老人ホームにいた」――そんな出だしから始まる物語にしては、この本、やけにザワザワさせられる。『未来からの脱出』は、いつものようなグロやホラー成分は控えめ。でも、その分じわじわと精神を侵食してくるタイプの不安がある。
主人公のサブロウは、自分の生活にそこまで不満はない。ただ、ふとしたことで「自分には記憶がない」ことに気づいてしまう。これがすべての始まりだった。
なぜここにいるのか? ここは本当に老人ホームなのか? そもそも自分は何者なのか? そうやってじわじわと疑問が膨らんでいくのを、読者も一緒に体験していく。
施設内での出来事は、まるで脱出ゲームのような展開。謎のメッセージ、協力者の存在、少しずつ浮かび上がってくる真相。それらをひとつずつ拾い集めていく感覚がクセになる。部屋の仕掛けを解き、行動範囲が広がっていく様子は、どこかRPG的でもある。
ただし、これはただの謎解き小説では終わらない。終盤に待っているのは、人の死、そして仕掛けられた真実。サスペンスとしてもミステリとしてもちゃんと決着をつけてくるあたり、小林泰三の職人芸が光る。
それでいて、どこか切ない。記憶がないことは、自由なのか不自由なのか。自分の過去があったとして、それを取り戻したいと思えるのか。そんな感情の揺れが、物語の芯にある。
ハードなホラーやグロが苦手な人でも、この作品なら安心して読める。むしろ、小林泰三の“別の顔”をのぞいてみたいなら、最初の一冊としてかなりオススメだ。怖いというより、不思議な読後感。
そして、ふと自分の「今」について考えさせられる。
11. 『海を見る人』 ――小林泰三の優しい顔
グロいホラーや不条理ミステリばかり書いてると思ったら、こんな繊細なSFも書けるのか、と驚かされる。小林泰三『海を見る人』は、全7編を収めた短編集。しかも、どれもがハードSF寄りで、好奇心をくすぐる設定ばかりだ。
もちろん、物理とか時間論とか、ちょっと小難しい理屈が出てくる場面もある。理系脳じゃないと戸惑うところもあるかもしれない。でも、そこに挫けずに読んでみてほしい。この本は、他の小林作品にはない、“優しさ”に満ちているから。
表題作の『海を見る人』なんかは、その典型だ。時間の進み方が異なる二つの世界に生きる男女の、ほんの短いけれど切ない恋の話。1年と100年。たった一度の出会いが、それぞれの時間感覚でまったく違う重みを持つ。別に血は流れないし、死体も転がらない。でも、読み終えたあとに胸がじんわりする。
他の収録作も、短いながらもきちんと世界観が作り込まれていて、それぞれ違った味が楽しめる。知的パズルあり、不条理な構造SFあり、少しコミカルな話もある。要するに、小林泰三の“引き出し”の豊かさを、テンポよく7回味わえるというわけだ。
正直、小林泰三って聞くと「怖そう…」「グロそう…」と思って敬遠してる人もいるかもしれない。でも、この『海を見る人』は、そんな人にこそ薦めたい。文学的な香りと、柔らかい想像力と、きれいな余韻が詰まっている。SF好きも、そうでない人も、読めばちょっとだけ心の中が広がる。
――こんな物語を書ける人が、ホラーの鬼でもあったなんて。小林泰三、やっぱり只者じゃない。
12.『目を擦る女』 ――これは夢か、それとも現実か
「あなたの生きているこの世界は、私の夢の中なの」。
そんなセリフを本気で言ってくる女に出会ったら、あなたはどうするだろう?――表題作『目を擦る女』は、そんな不気味さと紙一重の魅力を持った短編だ。
この短編集には、全8編のSFホラー作品が収録されている。どれも短いながら、しっかりとした設定と仕掛けがあるのがさすが小林泰三。読むほどに「現実ってなんだっけ?」と脳がゆさぶられる。怖いだけじゃなく、妙に納得してしまう理屈があるから厄介なのだ。
『目を擦る女』では、「私を起こしてはダメ」と語る謎の女が登場する。彼女の言い分では、この世界は彼女の夢の中。もし目覚めたら、世界は闇に包まれてしまうという。ありえない話だ。でも、読んでいくうちに、あれ?本当にそうなのかも…と思わされてしまうのが、この作品のうまさだ。
他の収録作も、“現実と非現実の境界が揺らぐ”という点では共通している。どれもじわじわ怖い。血まみれのホラーというよりは、じっとりと心に染み込んでくる不安や違和感がテーマだ。夢の中にいるような不確かさと、目が覚めたあとのヒヤリとする感覚。その往復が、この短編集の醍醐味だろう。
ホラー好きもSF好きも、短編ならではのスピード感でサクサク読めるはず。けれど、読み終えたあとに残るものは意外と重い。「もしあれが本当だったら……」そんな“もしも”の後味が、あとを引く。
小林泰三の不気味ワールドに気軽に浸かるには、ちょうどいい一冊。怖いけど読みたくなる。そんな短編集である。
13.『天体の回転について』 ――宇宙とグロとエロと、小林泰三
宇宙にロマンを感じる人には、ぜひ読んでほしい。いや、宇宙に夢を見なくなった人こそ、読んだほうがいいかもしれない。小林泰三の短編集『天体の回転について』は、そんなSFと人間の関係性を語りかける一冊だ。
表題作では、かつては誰もが憧れた軌道エレベーターが、文明の衰退とともに忘れ去られた世界が舞台になる。科学が進みすぎたせいで、人々は科学に興味を持たなくなった――という皮肉が効いている。そんな中で、ただひとり月を目指す青年の姿がまぶしい。科学に対する情熱がどこか懐かしくもあり、切なくもある。
で、月にたどり着いた先には、なんと実体のない女の子が登場。彼女は意味不明な言葉で話し、何者なのかもよくわからない。けれどその謎めいた存在が、この物語に妙な浮遊感と余韻を与えている。SFでありながら、どこか幻想文学っぽい味わいもある。
短編集全体としては、例によってグロもエロもある。でも、ただのショック要素ではなく、人間の「欲望」と「恐れ」を掘り下げるための道具として使われているところが、小林泰三らしいところ。理屈の通ったおぞましさとでも言おうか。読むほどにゾクッとするけど、妙に納得してしまう。
物理や科学の知識がないとちょっと難しい部分もあるが、そこは著者がちゃんと手を差し伸べてくれている。わからなくても読めるし、読めばわかるようにできている。そこがこの短編集の優しさだ。
「天体」や「軌道」なんて、学生時代に無理やり暗記しただけの人間にこそ、届いてほしい。宇宙を遠くに感じる人こそ、この本で“回転”を感じてみるといい。
少し不穏だが、それ以上に、想像力の芯をつかまれる感覚がある。
14.『臓物大展覧会』 ――内臓が語りはじめるとき
タイトルからして容赦ない。『臓物大展覧会』。本屋でこのタイトルを見かけて、思わず二度見した人も多いのではないか。中身はその期待を裏切らない。グロい。痛い。不気味。それでもページをめくる手は止まらない。これが小林泰三の魔力である。
この短編集は、ある男が迷い込んだ奇妙な展覧会を軸に、9つの物語が展開していく。男は「臓物の声を聴け」と促され、それぞれの内臓が語る物語を“鑑賞”していくのだ。心臓、肺、肝臓、腸……臓器それぞれに人生(?)があり、欲望や恐怖を抱えている。もはや人間より人間らしい。
もちろん、血が飛び散るような描写もある。でもこの本の凄さは、ただのスプラッターで終わらないところにある。ひとつひとつの物語には寓意があり、ユーモアがあり、そしてなぜか“人間の弱さ”が浮き彫りになる。臓物という無機質な存在を通して、むしろ生々しい“生”があぶり出されていく。
小林泰三といえば、緻密な設定と恐怖の組み合わせに定評があるが、この作品ではそこに“香り”という嗅覚的な要素まで加わってくる。読んでいて思わず鼻の奥がムズムズしてくる。気のせいだと信じたいが、ページの向こうから腐臭が漂ってくるような気がするのだ。
読む人を選ぶ――たしかにそうかもしれない。でも、この本にしかない読書体験があるのも事実。内臓に話しかけられるなんて、そうそう経験できない。気づけば、痛みや臭いに耐えながら、その“声”に耳をすませてしまっている。
臓器たちは、今日も語りたがっている。
あなたの中にある、あなたよりも“あなた”を知っている臓物たちが――。
15.『天獄と地国』 ――空の下に足を向けて
またしても、とんでもない世界を見せつけてくれた。小林泰三『天獄と地国』は、読者の常識をひっくり返す――物理的な意味で。
この物語の世界、なんと地面は頭の上にあり、足元は空。下に落ちれば即、宇宙空間に吸い込まれてアウト。何かの比喩じゃない、これは“そういう世界”としてきっちり構築されている。ここまで徹底された設定には、ただただ唸るしかない。
人々は、貴重な資源を分け合いながら、逆さまの生活を送っている。しかし、そんな世界にも“空賊”がいる。資源を強奪して生きるならず者たちだ。そして主人公たちは、その空賊の残り物を拾って食い繋ぐ「落穂拾い」。地味だけど、必死だ。彼らはもっとまともに暮らせる世界があると信じて、旅に出る――果ての先へ。
もともとこの物語は、短編集『海を見る人』の中の一編だった。それを長編として膨らませたのが本作。設定の強度と奥行きが増し、よりスリリングに、より複雑に、物語は進化している。
読んでいるうちに、自分の中の重力感覚がどんどんズレてくる。地面が空、空が地面。立つという行為にさえ、不安定さを感じはじめる。読者の身体感覚ごと揺さぶってくるところが、この作品の真骨頂だ。
小林泰三のことだから、もちろん一筋縄では終わらない。旅の中で明かされる真実、世界の裏側、そしてあのラスト――期待通り、いや期待以上にひっくり返される。物語も、価値観も。
物理も心理も上下逆さま。でも、なぜかスッと納得してしまう説得力。
読後、なんとなく“自分の立ち位置”まで疑いたくなってしまう、そんな一冊だ。
おわりに
小林泰三の小説を読んでいると、世界が少しずつズレて見えてくる。
「現実って、こんなにあやふやだったっけ?」と、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。
それはきっと、彼の物語がただのフィクションではなく、読者の思考そのものに作用するからだ。
ミステリ、ホラー、SF。どのジャンルであっても、小林泰三はいつも“想像のその先”を見せてくれる。
まだ読んだことがない人には、ぜひ最初の一冊を手に取ってほしい。そして読んだことのある人にも、もう一度あの奇妙で鮮やかな世界を訪れてほしい。
ページをめくるたび、あなたの現実が少しずつ変わっていく。
それこそが、小林泰三を読む醍醐味なのだ。