小松立人『そして誰もいなくなるのか』- 人生大逆転にはほど遠い、あまりに「せこい」地獄のルール

小松立人『そして誰もいなくなるのか』は、かなり性格の悪い小説である。
もちろんこれは褒め言葉だ。こういう小説は大好きである。
設定だけ抜き出すと、死神に一週間の猶予を与えられ、そのあいだ仲間を殺すと相手の寿命を少しだけ奪える、という話だが、まずこの時点でだいぶ嫌だ。しかも奪える寿命が、何年何十年ではない。せいぜい数日。ここが本作のいやらしさの核心だと思う。
もしこれが、誰かを殺せば十年生き延びられる、みたいな話ならまだわかりやすい。人は極限状態ではそこまでやるのか、という方向に話を持っていける。だが本作はそこを妙にケチくさくしている。
仲間を一人殺して得られるのは、たった数日。全員を手にかけても、人生大逆転にはほど遠い。要するに、見返りがしょぼいのである。しょぼいのに、殺す。ここがいい。いや、よくはないのだが、小説としてはかなりいい。この小ささ、このみみっちさが、人間の本音をやたらむき出しにしてくる。
特殊設定ミステリというのは、その設定がちゃんと人間を追い込む道具になっているかが大事だと思う。珍しいルールを置いただけでは、パズルとしては楽しくても、小説として深く刺さらないことがある。
その点、本作のルールはかなり優秀だ。ルール自体は派手なのに、やらされることは妙にせこい。だからこそ、人間の底の浅さがよく見える。高尚な理想のためではなく、ほんの数日延びたいから裏切る。
ここにあるのは崇高さではなく、ほとんど生存本能の安売りみたいなもので、その安っぽさがなんとも嫌で、なんともおもしろい。
数日の寿命のために人を殺すのか、という嫌な迫力
本作のまず面白いところは、死が確定しているところから始まる点だ。
事故は避けられない。七日後にはまた死ぬ。その閉じた時間の中で、他人を殺せば少しだけ寿命が増える。
つまりこれは、未来を切り開く話ではなく、どうせ終わるとわかっている中で、どこまでみっともなくあがくのかを見る話である。ここが実にいい。
人間は、希望が大きいから残酷になるとは限らない。むしろ、本作を読んでいると、ほんの少しの得でもちゃんと残酷になれるのだなと思わされる。しかも相手は赤の他人ではなく、昔つるんでいた仲間たちである。
友情だの青春だの、そういう少しは美化できそうな記憶があるはずなのに、その上に寿命の奪い合いがそのまま乗ってくる。この雑さがいい。人生というのは、そんなにきれいにジャンル分けされていないのである。若気の至りの犯罪も、昔の友人関係も、死神のルールも、ぜんぶ同じ鍋に放り込まれて煮込まれる。その結果、だいぶ嫌な味になる。
しかも、その過去の犯罪がまた立派ではない。巨大な陰謀でも、悲壮な事情でもなく、かなり軽薄なノリでやってしまった窃盗である。この軽さが本作ではずっと尾を引く。学生時代の悪ノリが、十年後に死神つきの地獄として帰ってくる。
因果応報というには少し派手すぎる気もするが、でも妙にしっくりくる。若いころのしょうもなさというのは、ときどき本人が思っている以上にしつこい。そこを本作は、かなり意地悪く突いてくる。
本格ミステリとして見ると、ここはかなり変わった立ち位置でもある。犯人探しの形をしていながら、中心にあるのは正義の回復ではなく、誰がいちばんみっともなく生き残ろうとするか、という話だからだ。
つまり推理小説なのに、気高いところがほとんどない。でも、私はこういうのがわりと好きである。みんなが少しずつだめで、少しずつ身勝手で、でもその分だけ行動に変な説得力がある。
立派な人たちが極限で崩れる話もいいが、最初からあまり立派ではない人たちがさらに崩れる話には、また別の迫力がある。
作者と同じ名前の主人公、かなりいやなメタ構造
この小説をさらに気持ち悪く、魅力的にしているのが、主人公の名前が著者と同じ小松立人である点だ。
しかも作中の小松はミステリ作家志望で、この死神案件を究極の小説ネタみたいに扱っている。いや待て、いま命が残り少ないのに、まず書くのか、と言いたくなるのだが、そのおかしさがそのまま本作の個性になっている。
ここにはかなりブラックな笑いがある。死のカウントダウンが始まっているのに、創作意欲が消えない。いや、消えないどころか、むしろ燃料になっているのだ。
この感じは、作家という職業の業の深さというより、もう少し雑に言うと、だいぶ面倒くさい人の発想である。だがそこがいい。生き延びたいのか、書き残したいのか、自分でもたぶん少し混ざっている。そのぐちゃぐちゃした感じが妙に生々しい。
しかも作者は、自分と同じ名前の人物を、あまり好感度の高くない位置に置いている。ここがなかなか大胆だ。普通はもう少し格好をつけたくなりそうなものだが、本作はそうしない。
むしろ自意識も浅ましさも、かなりそのまま出してくる。なので読みながら、これを書いている人はだいぶ性格がいいか、だいぶ性格が悪いか、たぶん両方なのだろうな、という気分になる。この感じが楽しい。
メタフィクションというと、ともすれば頭のいい仕掛けとして処理されがちだけれど、本作のそれはもっと泥くさい。作者と主人公の名前が同じ、作中で小説を書く、その小説が現実の本と重なって見える。やっていること自体はかなり技巧的なのに、読んでいる感触はむしろねっとりしている。
これはたぶん、作中人物があまりきれいな人間ではないからだろう。メタ構造が知的遊戯として軽やかに浮かず、人間の執着にまみれた状態で置かれている。そのせいで、仕掛けそのものにも変な体温が出ている。
会話が少し長めだったり、説明が多めだったりする部分もあるが、私はそこまで気にならなかった。むしろ、死が近い人間ほどよくしゃべる、という感じがして、わりと納得できた。黙って悟るような上品さはこの小説には似合わない。
みんな必死に理屈をつけ、言葉を重ね、自分を正当化しようとする。その見苦しさ込みで本作のリズムになっていると思う。
クリスティへの目配せをしつつ、かなり現代的でせこい地獄を作っている
タイトルからして、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』への意識は明らかである。だが本作は、古典の型をなぞるというより、その型を現代的ないやさに置き換えている。
孤島で順番に消えていく怖さではなく、時間の檻の中で、寿命というリソースを奪い合う怖さ。ここには今っぽい発想がかなり濃い。なんでも数値化され、管理され、取り引きできそうに見える時代の感覚が、そのままミステリの仕掛けに入り込んでいるのである。
そして誰もいなくなるのか、という疑問形もいい。
言い切らないで、少し濁す。
その感じが、この小説のいやらしさに合っている。全員死ぬのかもしれないし、誰かが少しだけ延びるのかもしれない。だが、どちらにしてもすっきりはしない。その保留の感じが最後までついて回る。
ものすごく感動的とか、人物に深く寄り添えるとか、そういうタイプの作品ではない。むしろ逆で、登場人物たちにはだいぶ腹が立つし、判断も雑だし、身勝手だし、あまり仲良くなりたくない。
だが、だからこそ目が離せない。人間の立派でない部分を、特殊設定の中でここまで露骨に動かしてみせるのは、なかなかおもしろい。
小松立人『そして誰もいなくなるのか』は、特殊設定ミステリというジャンルが、まだまだ嫌な方向へ、そしておもしろい方向へ伸びられると教えてくれる一冊だ。ルールは鮮やかで、読みやすさもあって、終盤にはちゃんと構造の反転もある。
なのに、読後にいちばん残るのは、人間って案外すぐこうなるのだな、といういやな納得だったりする。
うまくできた小説だな、で終わらない。
よくこんな設定を思いついたな、でも終わらない。
もう少し身もふたもなく言うと、みんなだいぶろくでもないのに、なぜこんなに読まされてしまうのか、という引力がある。
読み終えて広がるのは、爽快感とは無縁の、泥水のような諦め。
だがその泥水こそが、私たちが隠し持っている本音の味なのだろう。



















