島田荘司『改訂完全版 奇想、天を動かす』- 傑作再び。十二円の怒りが、やがて天を動かすまで【読書日記】

島田荘司『改訂完全版 奇想、天を動かす』が3月に出たので、これは改めて読まねばと思って手に取った。
もともと強く印象に残っていた作品ではあったのだが、読み返してみると、やはりかなり変わった小説である。
何が変わっているのかといえば、使っている材料があまりにも両極端なのだ。
片や、たった十二円の消費税をきっかけに起きる、あまりにも小さくて、あまりにもみじめな殺人。片や、北海道の雪原、夜行列車、消える死体、動き出す死体、そして「白い巨人」という、ほとんど伝奇小説みたいな大風呂敷。
普通なら、この二つは同じ作品の中でうまく噛み合わない。本格の奇想を前に出せば社会の現実味が薄れそうだし、逆に社会派として地に足をつけようとすると、怪奇めいた仕掛けが浮いてしまう。
でも『奇想、天を動かす』は、そのかなり無茶なことをちゃんとやってのける。島田荘司の小説には、ときどき「そこまでやるのか」と思わされる瞬間があるのだが、本作はまさにその典型である。
本格ミステリの派手な奇想と、社会派ミステリの重い現実。その二つを雑にくっつけたのではなく、ちゃんとお互いが必要なものとして結びつけている。
だから本作は、島田荘司の代表作のひとつというだけではなく、この作家の持ち味がかなりむき出しに出た一作なのだ。
12円の殺人から、とんでもない場所まで連れていく話運びが面白い
発端はじつに地味である。消費税導入直後の東京で、老人が十二円を請求されたことに怒り、店の女主人を刺し殺す。
字面だけ追うと、なんともやりきれない。大がかりな犯罪ではないし、華やかさもない。むしろ世間からは「変な老人が起こした理不尽な事件」として片づけられそうな話である。
けれど、この小ささがいい。本作は最初から「これは大事件です」と大きく構えない。あまりにも小さい、あまりにもしょうもなく見える事件の背後に、どれほど巨大な時間と感情が沈んでいるのかを、少しずつ掘り起こしていく。
その運びがほんとうにうまい。吉敷竹史が、ただの不可解な通り魔事件として処理せず、黙秘を続ける老人の沈黙の向こうに別の重みを感じ取るところから、物語は一気に深くなる。
そして捜査が進むと、北海道の過去へつながっていく。この流れが見事なのだ。夜行列車の中で死んだはずのピエロの死体が消える。轢断されたはずの死体が動き出す。白い巨人が列車を持ち上げたという証言まで出てくる。
冷静に並べると、かなり無茶である。だが島田荘司は、こういう「そんなバカな」と言いたくなる光景を、とにかく魅力的に見せるのがうまい。
しかも本作では、その奇怪さがただの見世物で終わらない。後半になるにつれ、それらの奇想が全部、人間の悲惨な生のあり方へつながっていく。ここがやはり強い。
本格ミステリの快感のひとつは、ばらばらに見えていたものが最後に一本の線で貫かれる瞬間にある。本作はその気持ちよさをしっかり用意しつつ、その一本の線があまりにも痛々しい人生の跡でもあることを示してくる。
だから「鮮やかだった」で終われない。解ければ解けるほど、胸の奥に重たいものが残る。このあたりが、ただ奇抜なだけの作品とは違うところである。
吉敷竹史という、人間くさい刑事がこの物語をちゃんと支えている


絵:悠木四季
この作品がもし御手洗潔シリーズだったら、また違う読後感になっていたはずだ。御手洗潔なら、あの奇想はもっときらびやかに、もっと神業めいた論理のショーとして解体されたと思う。
もちろんそれはそれで見たい。だが『奇想、天を動かす』に必要だったのは、御手洗潔のような超越者ではなく、吉敷竹史のような泥臭い刑事だったのだと思う。
吉敷竹史の良さは、天才ではないところにある。彼は傷つくし、迷うし、感情にも引っぱられる。組織の中で器用に立ち回るタイプでもない。だがその不器用さが、本作ではかなり大事になる。
なぜならこの事件は、トリックだけ見ていては届かないからだ。老人はなぜ沈黙するのか。なぜそんな場所まで追い詰められたのか。何がこの人物の人生をここまで壊したのか。そうした部分に執着する吉敷の目線があるからこそ、本作は冷たいパズルで終わらない。
吉敷竹史という人物は、刑事というより傷ついた人間の声を拾いにいく人だ。本作でもまさにそうで、周囲が早々に切り上げようとするところで、彼だけが踏みとどまる。
そのしつこさが、単なる職務上の熱心さではなく、もっと人間的な共感から来ているのがいい。島田荘司の社会派っぽさは、こういうところでいちばんよく出る。
しかも吉敷竹史の捜査は、かなり地道である。足を運び、話を聞き、記録をたどり、忘れられた過去を少しずつ掘り返していく。この現実的な積み重ねがあるから、途中で現れる巨大な奇想が浮かない。
荒唐無稽な謎を、きちんと現実の地面に着地させるための重しとして、吉敷竹史の存在がしっかり効いている。もっとくだけて言えば、吉敷竹史がいるから、この物語はちゃんと人の話になるのだ。
奇想がただの見世物で終わらず、踏みにじられた人生の形になっている
本作を傑作たらしめているいちばん大きな理由は、やはり奇想そのものが人間ドラマと切り離されていないことだろう。
ここが島田荘司のすごいところで、派手なトリックや仰々しい光景を出しておきながら、最後にはそれを「この人でなければ生み出せなかったもの」と思わせてしまう。奇想が飾りではなく、その人物の絶望や執念や祈りの形になっているのである。
本作の根っこにあるのは、戦後日本の歪みであり、差別であり、見捨てられた人々の痛みである。とりわけ呂泰永をめぐる物語は重い。個人の不幸というだけでは済まされない。社会がある人間をどう扱い、どんなふうに踏みつけ、どんなふうに忘れていくのか。その過程がかなり生々しく刻まれている。
だから後半で真相が見えてきたとき、驚きと同時にやるせなさが押し寄せる。あまりにも巨大な仕掛けの奥にあるのは、結局のところ、ひとりの人間の踏みにじられた生なのだ。
この作品が「本格」と「社会派」を融合していると言われるのは、単に両方の要素が入っているからではない。本格の仕掛けが社会派の主題を運ぶ器になっているからである。
列車を持ち上げる白い巨人というイメージは、ただの名場面では終わらない。あれは現実では声を持てなかった者の、あまりにも巨大な叫びのように見えてくる。
タイトルの『天を動かす』という言葉も、読み終えるとかなり違って響く。途方もない奇想で世界をひっくり返す話であると同時に、どうしようもなく傷ついた人生が、それでも何かを動かそうとした記録にも見えてくるからだ。
この『改訂完全版』で読むと、その輪郭はいっそう研ぎ澄まされている印象がある。物語の密度が高まり、奇想と感情の結びつきがよりはっきり感じられる。
昔の作品なのに古びないどころか、むしろ今のほうが刺さる部分も多い。格差も差別も、弱者の見えにくさも、結局いまなお終わっていないからだろう。
私はこの作品を、ただ「トリックがすごい」だったり「スケールが大きい」などと言うだけでは少しもったいないと思っている。もちろんそこもすごい。だが本当に心をつかまれるのは、そんな奇想の果てに、ひどく人間くさい悲しみが横たわっているところだ。
本格ミステリの快感をしっかり与えながら、最後にはそれだけでは済ませない。解決がそのまま救いになりきらず、それでも解き明かすことに意味があると信じさせる。
その苦さと熱さの混ざり方が、『奇想、天を動かす』という作品の代えがたい魅力なのだと思う。
島田荘司はときどき、こんな作品を平然と書いてしまう。だから困るし、だから大好きなのだ。
読後に残るのは、きれいに解けた満足感だけではない。
こんなにも荒唐無稽で、こんなにも痛切な物語が成立してしまうのか、という圧倒である。



















