【ショートショート No.8】『万能殺虫剤噴霧装置』

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「……F博士! ようやく……ようやく完成しましたね!」

計らずも僕の口から溢れ出た歓喜の雄叫びは、上擦ってしまった。

長年に渡る試行錯誤。心が折れかけたことだって、一度や二度ではない。

そんな悠久にも思えた終わりの見えない研究に、ついに終止符が打たれたのだ。

「Sくん。今まで本当にありがとう。君の協力がなかったら、この研究は完成に至らなかっただろうて。……これでようやく人類も、幸せに暮らすことができるわい」

F博士もこの研究の集大成、新薬が波打つフラスコを手に持ち、その相好を崩した。

その気持ちとってもよく分かります! とうとう完成したのですから!

僕たちが研究に研究を重ねた「殺虫剤」が!

……今、不思議に思った人もいるのではないだろうか。

あえてその人の気持ちを代弁するならきっとこうだろう。

「え? 長年の研究成果がたかだか『殺虫剤』?」と。

僕たちの研究成果を侮ってもらっては困る。心外もいいところだ。

誤解をしている諸兄のために、少し補足をさせていただこう。

F博士が愛おしげに見つめているこの液体は、いわば『究極の殺虫剤』。

駆除したい害虫だけを確実に殺すことができる、夢の殺虫剤なのだ。

例えばこの世から蚊が絶滅したら、デング熱やチクングニア熱などの媒介感染症がなくなり、医療後進国でどれだけの命が助かるか計り知れない。

農作物に害をなす害虫を確実に全滅させることができたら、飢餓で苦しむ人たちを、どれだけ救うことができるだろうか。

この殺虫剤の存在を知れば、どこの国や企業からも引く手数多となることだろう。

だけどF博士は金や名声のために、この薬の開発を始めた訳じゃない。

あくまで病気や飢えで苦しむ人たちを思ってのことなのだ。

そんなF博士に感銘を覚え、僕は自ら協力を申し出た。

今思い出してみれば、その邂逅がこの殺虫剤を世に生み出したと言っても過言ではない。

僕は工学系の研究者。博士の開発した殺虫剤は、どんな害虫にも有効な本当に画期的なものだ。

ただその弊害もあって、多少効き目が強すぎる。そこで僕の出番となるのだ。

博士が開発した殺虫剤を、僕が作った特殊装置にセットする。

次にその装置に駆除したい害虫の情報を入力する。

そしてここからが重要なポイントなのだが、特殊装置に繋がれたタッチパネル式のセンサーに手を当てて、駆除したい害虫をイメージする。

すると博士の開発した殺虫剤から必要な毒素のみを抽出した液体が噴霧されて、その害虫のみを殺してくれるシステムなのだ。

名前はまだ決めていないが便宜上、「万能殺虫剤噴霧装置」とでもしておこう。

いよいよ試験初期段階。

目の前にある大型のクリアケースには、数十種の害虫と言われる虫類が、所狭しと入れられている。

そしてクリアケースから延びる管の先には「万能殺虫剤噴霧装置」が取り付けられている。

必要な情報を入力し終わると、僕はタッチパネル式のセンサーに手を乗せる。

そしてハエをイメージすると、スタートボタンを押した。管を通してクリアケース内に殺虫剤が噴霧される。

しばらくすると無数に飛び交い動き回る虫たちの中から、ハエだけがぽとぽとと落下した。

僕は興奮を隠すことなF博士に向き直り、破顔した。

「F博士! 試験も成功です! 早速これを学会で発表しましょう!」

「いや、Sくん。念には念を入れておかないといけない。明日、屋外での試験を試みてみよう。野外ではどれくらいの範囲まで有効か、細かなことまで確かめようじゃないか」

F博士は神妙な顔でそう言った。

何に対して慎重なところも、僕が博士を尊敬する理由のひとつでもある。

都心から離れた郊外の町で、実験が行われた。「万能殺虫剤噴霧装置」のタンクには、F博士の魂とも言える殺虫剤がなみなみと注がれている。

噴射口を空に向かって固定すると、手始めに畑を荒らす害虫の名前をインプットして、タッチセンサーに手を乗せる。

……さあ、いよいよだ! これで人類の歴史は大きく変わる。F博士……いや、僕たちは、人類の英雄になれるんだ!

ぼくは害虫をイメージをした。

そしてスタートボタンを押したその瞬間、下から大きな振動が僕らを突き上げた。

縦揺れの大きな地震が起こったのだ。

「Sくん! 装置を支えるのじゃ! これを絶対に壊してはならん!」

博士の声に弾かれて、僕は必死に「万能殺虫剤噴霧装置」を支えた。しばらくすると揺れもおさまり、僕は安堵の息を吐く。

「……ふう。どうにか装置は壊れなくてすみましたね」

額に滲んだ汗を拭いながら振り返ると、鬼頭博士が地に伏していた。

「……F博士! どうしました! しっかりしてください!」

僕がF博士を抱き抱えると同時に、急に目眩が襲ってきた。

「な……なんだこの目眩は、く、苦しい……」

膝をつき、それでも僕たちの研究の成果を守らなければと「万能殺虫剤噴霧装置」に視線を移す。

タッチセンサーは裏返り、土が剥き出しの地面に落ちていた。

目眩に負けまいと目を擦り「万能殺虫剤噴霧装置」の計器類に視線を移すと目を見張った。

そこに表示されていたのは、害虫の名前ではない。変わりにこう記されていた。

『ニンゲン』と。

ま、まさか……タッチセンサーが大地に反応したとでも……。

僕たち人間は……地球の……この大地にとって、害虫だとでも言うのか?

装置を止めようにも、既に体は動かない。僕も地面に倒れ込んだ。

殺虫剤の原液はまだたっぷりと残されている。

まさか……こんなことになるなんて。

絶え間なく噴霧される“殺人剤”に震える手を伸ばしながら、僕の視界はだんだんと暗くなっていった。

(了)

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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